公開収録の始まり
じゃあ、これもちょっとスタートしよう。
あ、これインスタライブ?
はい、インスタライブ。
なるほど。
すごい手軽ですよね。
そうですね。
すいませんね、ごめんなさい。今、来ていただいてるのに、こんなことを始めました。
じゃあ、ちょっとですね。
あれ、なんて言うんでしたっけ?どなり。
がなり。
がなりですね。
じゃあ、いきます。
武庫之荘ごきげんラジオという。
です。
です。
武庫之荘ごきげんラジオを始めたんですよ。
最近始めたんですけど、落語家の桂弥太郎さんです。
よろしくお願いします。
そして、私がDIYブックスの天使の平田大と申します。
お願いします。
ということで、今日は公開収録というと。
休憩ですね、ゲリラ。
店の中で、今日、大太郎さんがトルティーヤを焼いてくれるというイベントに発展し、その流れで収録をするという。
なんだかわからないけれども、面白いことに。
ありがとうございます。
いつもこんなことに協力してもらって、ありがとうございます。
ご近所だからこそできることですよね。
できることですよね、そうなんです。
いつもご機嫌に生きるためのこととか、武庫之荘のことをよく話してるんですけど、始まったばっかりですけど。
今日はですね、この雨の日の心理学っていう本をちょっと紹介したいと。
心理学の新しい視点
雨の日なんでっていうこともあるんですけど。
そうですね、ちょっと小雨が降っておりますが。
これちょっと八太郎さんから紹介されて、僕も読ませてもらってて。
遠畑貝兎さんの本って読んだことあります?
はい、あの誰?心はどこへ消えた?っていう本。
並んでましたよね、この本ね。
そうなんです。
すごい面白い。
書きっぷりとかもね、すごい面白い。
そうなんですよ、書きっぷりがすごくいい人だなと思ってます。
文春で連載コラボしたりとかして、心理学者の先生なんですけど、すごい面白くて。
そうなんですよね。
なんか大人気心理学者ですけど、割と何て言うんですかね、いろんなことやってらっしゃって。
そうですよね。
沖縄とかに移り住んで、地元のユタって言うんですか?
はいはいはい。
ユタとかに、そういう専門家、お医者さんって呼ばれる人たち以外の心理セラピーっていうか、関わってる人たちのフィールドワークみたいなことをしてらっしゃったりとか、すごい面白い活動をずっとしてらっしゃって。
そうですよね。
その方の最新家なんですが、雨の日の心理学っていう。
そう、だから晴れの日と雨の日っていうのは比喩というかであるんですよね。
そうなんです。晴れの日が9割で、雨の日が1割ぐらいである。
心理学、セラピーとかケアっていうものの大半を素人の人っていうか、日常でみんなやってることで、最後の1割の雨の日のところだけ、もう本当に緊急事態のときだけ先生って呼ばれる人たちが出てきて、受け持ってますみたいなことですね。
だから、要はよく言う感じで、例えばうつのときに頑張れとか言われるのであんまりよくないよとか、ケースバイケースだけどあるんですけど、例えばそれがいわゆる雨の日っていう感じですね。
ちょっと違うんですかね。
そうですね。そういう状態に陥ってても、大半の9割方は家族とかでケアし合ったりとかしてるんだみたいなところが、一つなんか面白い視点だなと思って。
そうですよね。誰でしたっけ。最初に図が出てくるじゃないですか。いくつかケア、そもそもケアとセラピーの違いみたいなものが、僕これ全然知らんかったなと思ったんですけど。
僕も全然わかってなかったですけど、オーディオブックで聞いてるので、僕は図を全く見てなくて。
そうなんですか。
そうなんです。オーディオブックではKindleの読み上げで見てて、ケアのところで僕もびっくりしたのがあって。
わかりやすい図が載ってますね。
図があるんですよね。アーサー・クラインマンっていう医療人類学っていうところの学者さんの病の語りとか臨床人類学とか、それの中にあるケアの地図みたいなのがあって。
そこで、いわゆる専門職セクターっていうものと民族セクター、あと民間セクターっていうケアが三つに分かりますって言い方をしてて。
セクターって言い方がわかりづらいんですけど、でも言ってみると、一個専門職のほうは、例えば東波多さんみたいなカウンセラーの方とか、あとは先進会の方とかですね。
科学的な所見をする人。
もう一つ、民族学っていうのは、例えば先ほど言われてた沖縄のユタだったりとか、ちょっとスピリチャルとか言われるけれども、そういう心のケアをする人。
最後の民間セクターっていうのが一番大きくて、それが要は家族が、例えば本当に熱があったら、水に濡らした布巾を替えてあげるとか、
太陽を毎日測ってあげるとか、そういうことで実は8割とか治ってんじゃないかっていうような、そういう分け方をしてるんですね。
ケアとセラピーの違いみたいなところなんですけど、途中で出てくるアフォリズムっていうんですかね。
短い短文でぐっとくる言葉がいくつか挟まってるんですけど、その中でケアのないところでのセラピーっていうのは暴力であるっていうのが出てきてて、
基本的にはケアをちゃんとできているっていうところがあってこそのセラピーというのは、例えば家族間とかで、友達相手とかでも、急にそれこそ頑張れって言葉を投げかけたりとか、
ケアとセラピーの理解
こうした方がいいよって言ってあげたりとかすることは、やっぱりセラピーの範疇なんですね。
なのでそのセラピーっていうのはケアが成り立っていればそれはもちろんしてもいいことなんですけど、それが完璧にケアできてない状態での言葉の投げかけであったりとか、
そういうものが割と暴力になってしまうんですよみたいなことが書いてて、そういうのがすごいわかりやすくて。
確かに本当に。僕もまだちょっと序盤だけではあるんですけど、雪だるまで例えてましたよね、ケアとセラピーの違いを。
だから雪だるまで言うと、ケアで言うと溶けないように冷蔵庫に入れるとか、ずっと部屋の温度を寒くするとかいうことをする。
だからケアはその人の一部分を変わってあげるとか、そういう部分ですよね。
あとケアの一番のあれは傷つけないことの目的になってるんだっていう、そこを間違えなければ大丈夫みたいなことが書いてますよね。
ニーズを満たすとか、お世話をするみたいな。一方でセラピーはどういう。
セラピーは専門領域のところなので、あんまり僕らが急にできることではないみたいなことが書いてますね。
そうですよね。ニーズを変更することみたいな。
だから何かに悩んでる人にそれは違うからこれやってみたらっていうようなことがセラピーみたいな感じですよね。
そこまで来るとなかなか素人では確かに難しいなっていうところがあって。
家族とかでできるのはやっぱりケアの部分なのかなって思ったりとかしますし。
そうですよね。
あとわりと心理学の先生たちが実際に日常的にどんなことをしてるんだみたいなことが書いてあって、
それの手法みたいなのも教えてくれるんですけど途中で。
補助線を引きましょうみたいなことが出てきて三つのやり方が書いてあるんですけど、
その三つが無意識と意識っていうところを意識してみましょうみたいなことと、
あとエロスとタナトスっていうものを意識しましょうっていうのと、
あとPSポジション、Dポジションっていうのを意識しましょうって。
この三つの補助線の引き方みたいなものを教えてくれるんですけど。
無意識意識は結構すんなり知ってる言葉ですけど、
僕もエロスタナトスぐらいはエヴァンゲリオンとかで覚えたのでわかるんですけど。
最後のやつとかね。
そうですね。
でも難しいですよね。
そうなんです。
でもこの順番に実践していくと自分の心もわかるし、
人の心もわかるようになりますよっていう手法なんですけど。
なるほど。
こういうところを読むだけでもすごいですね、勉強になるというか面白い、興味深いですよね。
プレイヤーの観点ってことですか、その三つの部分は。
心を知るっていう部分だと思いますね。
なるほど。
自分でも実践してみれるというか、
例えば自分がイライラしてしまってることってあると思うんですけど、
その時に僕はその意識と無意識っていうところを、
あんまり単語としてはわかってたけど、
この本で教えてもらったのは、やっぱり心の表層っていうか、
自分が思っていることを、
例えば目の前の人ちょっと嫌やなとか、
歩くスピードちょっと違うなって思ったりとかするじゃないですか。
でもそれやったら別にその人がいなくなったらもうイライラって終わるはずなのに、
イライラが残ったりしますよね。
それって多分無意識下では別に人の歩くペースなんてバラバラで当たり前って、
心の中で別のことを思っている心もやっぱりあって、
それが表層化してないから自分はただイライラしてるだけって思ってる。
その二つの葛藤する何かがあるからこそイライラが続いちゃうんだみたいなことを思うと、
自分の実際思ってる感情と、
そのもう一つ裏側にもしかしてこっちの感情もあるんじゃないかなっていう、
想像力が働くというか。
それが自分で意識できるだけでも割とイライラが収まるというところがあって、
すごい有効やなと思って。
ちなみにエロスとタナトスっていうと。
エロスとタナトスはエロスっていうのは結局人とつながりたいっていうモード、
タナトスっていうのは死という意味ですので断絶したい、孤独になりたい、一人になりたいっていう状態。
そのモードっていうのがやっぱり人によって入れ替わりがそれぞれあるので、
この人今タナトスモードやなって思うと。
タナトスモード。ちょっとかっこいいですけどね。
タナトスモード入ってんなみたいなときには。
中二病を刺激される。
そうですね。そのときはそっとしとくっていう。
ああ、なるほど。
なので、自分の中でもあると思うんですけど、
自分が今タナトスとかエロスとか、どっちの状態に自分がいるのかっていうのを見極めて、
心の理解とケアの重要性
それが決して周りのその場にいる全員と同調してなかったとしても、
自分今タナトスなんでみたいな。
かっこいいな。
という状態で。時間を置いたら勝手にエロスになることもあるし。
いやでもほんとそうっすよね。
そういうところがちょっと心を理解する上で役立つなと思いましたね。
あともう一つの最後のPS?
PSポジション、Dポジション。
Dポジション。
これ難しいんですよね。
難しいですね。
意識・無意識とタナトス・エロスの先にある考え方なので、
この前の二つをちゃんと理解して実践していけると、その次もわかってくるみたいなものなんですが。
なるほど、なるほど。
ちょっと僕もまだ言葉ではちゃんと説明できないですが。
そうか。でも結構あれですよね。
戸畑さんの文章ってわりとわかりやすく話し言葉だったりするけど、
内容としてはめっちゃ難しかったりしますよね。
そうですよね。
それを多分わかりやすく書こうとされてるっていうか。
いいですよね。これなんか5日間のセリナーのものを文字起こしというか再編集してるものなので、
一般の方に向けてっていう本なのですが、わかりやすく書いてらっしゃいますよね。
そうですよね。だからなんかこれって、この本ってすごい視点が面白いなと思ったのは、
結構、例えば本屋でそういう打つとか、例えば辛い時にとかっていうのは、
当事者が辛い時に読むとかそういう場合ってあると思うんですけど、
この本って誰かをケアする立場になった時にっていう視点もある。
そこが結構メインだったりすると思うんですけど、
それってでも往々にしてあるはずなんだけど。
意識できてない。
ケアしてないというか、というのも僕は読んでて思ったんですよね。
実践的なケアの方法
あんまりそうか、でもケアすべき立場なのになとか思ったりする。
でもそれはご家族いてあったら自然としてあるところもありますね。
それもあるんですけど。ちなみに八太郎さんこれなんで読もうと思われたんですか?
八太郎 僕は遠畑さんの本を読めるものは読もうと思ってたんです。
そうなんだ。
八太郎 でもすごい専門書みたいなのも多いので、割と読めないこともあるんですけど、
これはすごい読みやすいと思います。
僕もやっぱり家族にちょっと体調崩したりとかしてて、
ケアしないとなと思ってるけど、やっぱりうまくできないですよ。
ちょっと離れて暮らしてるのもあるんですけど。
なので、いざ家族に会った時に、通常モードではない雨の日にそれこそなってることがあると思うので、
そういう時の対応の仕方というか、やっぱり家族なのですぐイラっとして怒っちゃったりとかもすると思うんですけど、
そうではなく、そういうことを事前準備というか知識があるだけで。
そうですよね。でもこれ僕一番難しいなと思うのが、
僕も一時期ヘッドスペースっていうアプリを落として。
それは瞑想アプリなんですよ。
英語でガイドしてくれるんですよ。
アンディ・プリコムさんだったかな。
すごい有名なイギリス人か誰かのやつで、それでやってたんですけど。
確かにすっきりはするんですよ。
瞑想を進めてるのは一回俯瞰するっていうか、
自分をもう一歩引いた視点で見れるようにするための心のトレーニングみたいなところがあるんですけど、
全然できなかったですね。
でもやっぱり深呼吸したり目閉じるんで、すっきりはするんですけど、
僕はその俯瞰まで至れなくて。
でも今さっきの戸畑さんがおっしゃってるような、
そういう無意識とかエロスタナトスモードだなみたいな風に見るっていう視点がちゃんとあって、
こう見ないと急に難しいじゃないですか。
何ていうのかな。
普通にいるとオラオラになっちゃうというか、バーサスモードというか。
そのタナトス対タナトスというか。
それが結構一番難しいところだなと個人的には思ってるんですけど、どうなんでしょうね。
一歩引く、立ち止まる、相手を見るみたいな、結構そこが難しいなと。
そうですよね。
それこそ、瞑想とかって東洋系の思想じゃないですか。
東洋思想とかってあんまりやり方は書いてるけど、西洋医学みたいに名前がはっきりしない。
概念がはっきりしないみたいなのが多いですよね。
なので、相性が良くて漢方が効くようにスッとそのモードに入っていける人はあれなのかもしれないですけど、
割ともうちょっと学術的な知識がサポートとしてあると、もしかしたらやりやすい人もいるのかもしれないですよね。
確かに。
結構今、西海岸系というか、なんとかカバット人という人で、マインドフルネスっていう考え方で、
禅の思想をそのまま科学的に持ってきたっていうのがあるんですけど、結局根本は禅とかと変わんないんですよ。
禅の老子の話とかを聞くと、例えば呼吸の数を数えるとか邪道みたいなことを言う人もいて、何を信じればいいかわかんなくなるんですよね。
僕はいろいろ見てて、例えば怒りを抑えるテクニックとか言うので、ブレスレットを右にしておいて、怒ったら左手に移すみたいな。
それを繰り返すことで、あ、戻ってないじゃんみたいなことをやるとかいうのがあるんですけど。
もともとどっちにつけてたっけとかなったら、もう終わりっていうか。
でもね、それはちょっとまた別の話ですけど、そもそものケアをしているかどうかみたいな視点は大事ですよね、やっぱりね。
これに対してとか。だから思わずセラピーのほう。
そうなんですね。
それはベクトルを変えちゃいがちだかもなっていうのは、僕は最初のほうを読んでても思いましたね、自分で。
そういう状態じゃないってことですね。
そうですよね。
まずセラピーを受けられるところまでケアをちゃんとしてあげるっていうのが大切なんですよね。
現代社会とコミュニケーション
本当でも僕も本屋やるようになって、僕自身そうでしたけど、やっぱり教会みたいな感じだなと思うんですよ、本屋って。
逃げ込む、駆け込み寺とか。
あとやっぱりしんどいときに僕本屋行くとき多かったんですよ。
そういう感じで来られる方も結構いて、まさに国会とか懺悔聞くわけではないんですけど、
ここで2,3時間話して帰られる方とかいるわけですよ。
でもそれはみんなやっぱり思うのは当たり前なんですけど、みんな傷ついてるよなと思うんですよ。
だけど満身創痍できてるのに、意外とケアされないから、
ていうかなんていうのかな。
どういうことですか。
行きづらすぎないかなと思って。
世の中ですか。
今の世の中。
例えば仕事でも、やれコンバージョン率がどうのだとか売り上げどうのとか、
全部同じ形で急にうってなるような言い方をしたりとか、面接落ちましたとか、理由はこうでとか。
それを自動メールで送られるとか。
細かい話すると最近電話の問い合わせとかって、
すごい待ったのに、もうつなげないので切ります、ガチャンみたいな、勝手にロボットに切られるみたいな。
あと挙句の果てに、マイクロソフトとかはAIで読み上げるんですよ。
こっちの言ってることをあっちで認識して、それに返答するんです。
僕は入力してくださいみたいなこと言われて、
これがアカウントでログインできないですとか言ったら途中ではい、いいですみたいな感じで切られて、
返答されるんだけど全然チンプンカンプンだったりとか。
すごい世の中、出口とか、人と話す間の空間がなさすぎる。
だからそれでみんな傷ついてるから、
やっぱりケアを前提にしないといかんなっていうのは思いますよね。
そうですね。ケアしてもらえる場所とか、自分がケアする場所とか、もっともっといっぱいないと。
そうなんですよね。
それこそベンチとかがないとか。
ベンチがない、確かにね。
あとゴミ箱ないのもいい加減にしてほしい。
ゴミ箱ね。そうなんですよね。
ゴミ箱がないってことはゴミ拾いがやっぱりできないじゃないですか。
そうなんですよ。
ケアとはあれですけど。
本当にそれ思う。
僕も子供とかと行く公園に、中高生か小学校、高学年がちょっとイキって、
夜に駄菓子を食べてね。
ビーフとかじゃないんですよ。缶ジュースとか駄菓子とかが散らばってるのを朝見るってことがあったんですよ。
ありますよね。
一時期それ拾ってたんですよ。
だけど自分家の燃えるゴミの前の日に行かないと捨てられないじゃないですか。
とか考え始めると、ゴミ拾いをする人がいっぱいいて、中継地点で捨てられる場所があったら、
たぶんみんなやると思うんですけど、全部同じルールとか、一面の理由だけでゴミ箱があると荒らすとか、
そういう理由だけでなくなっちゃうじゃないですか。
そうなんですよ。
でも違う観点で実はゴミ箱って世の中にあったんじゃないのみたいなのが議論されないままなくなっちゃうみたいなのが今多い気がするんですよ。
公衆電話とかにしても、ポストとかにしても。
そうですよね。
本当に。だから世の中が今ちょっと優しくないかなっていう。
信用してもらえてない感じがありますよね。
そうそう。
行政から。
確かに。
僕らも信頼してないから。
いや本当ですね。
よくないですよね。コミュニケーションやっぱ取れてないですもんね。
そうなんですよね。
それこそAmazonとかでなんかトラブったときとかに、じゃあどこに連絡するんだよみたいなときに、
逆に窓口ってフォームとかじゃないですか。
なんかやっぱりちょっと顔出してくださいみたいな。
とりあえずお声を聞かせてくださいみたいなことがありますよね。
そうなんですよ。だから僕も、ここね、僕も普段いないのが悪いんですけど、やっぱりすごいお忙しいと思うんですよ、配達員の方も。
でね、ポストというかここの取っ手みたいなのがあるんですよ、シャッターの。
Amazonと顧客サービスの問題
だから僕高校に初めて通勤できたら、そこにめっちゃ大きい荷物がボサボサしてたことがあるんですよ。
いや、いくらなんでもこれはなと思って。
で、ちょっと破けてたんですよ、中が。
さすがにこれはちょっと連絡しようと思って、連絡したらAmazonの人が、まず面白いのはチャットでまず連絡して、たぶん結構待ったんですよ、何十分か。
で、いろいろ事情を打ち込んだら、すいません、その内容は別の部署ですので転送しますって言われて、
転送はしてくれるんだよね。
いろいろ話した挙句、配達員は個人事業主なので、こちらではどうこうできませんみたいなのが多いと思って。
だって正直僕プライム会員でお金払ってるわけですよ、Amazonにお金払ってるじゃないですか。
で、それを個人事業主の人に責任を押し付けるって、ちょっとありえないなと思って。
でも使いますもんね。
そうなんですよ。だからAmazon使うのが良くないんですけど。
これはでも、このままでいいとは思わないですよね。
ラストマイル、ラストマイルですか、映画ね。
ありますよね。
やってますけど、Amazonテーマ、名前は出ないですけど、テーマで途中でやっぱりマジックワードって言葉が出てきて。
お客様のためにっていうのがマジックワードとして出てきて、
それは結局最初働き出した人たちにとっては、お客様のために全部やるんだ、いい社税やなと思って扱ってるんですけど、
そのうちトラブルが起きたときに、それが本当のマジックワードで裏を返したら、
お客様のためであれば何でもOKっていうか、資本主義を追求することのお題目として、
そのお客様のためにっていうのが使われてるぜっていう。
怖い話ですね。
そういうメッセージの、ちょっと映画のテーマを言っちゃってあれなんですけど。
なるほど。
でもそれがさらに大手映画の配給会社で配信を今やってて、お金儲けももちろんしてあるわけで、
それをみんな見てくださいねって宣伝してる三島さんとかが、全体がディストピア感がすごい。
確かにね。
それさえもエンタメにしてしまうっていうことが、いいことだと思うんですよ。
知られること自体があるけど。
そうなんですよね。
でもその資本が入ってるところでまた自分たちをカニバリズムみたいな感じで、
叩くことさえもエンタメとして見せるっていうのが、ちょっと怖いですよね。
怖いですよね。
そういうことじゃないんじゃないですかって思ったりもしますし。
マーク・ザッカーバーグだったかな。
だからFacebookだったと思うんですけど、Googleだったかな。
Don't Be Evilっていうね。
邪悪になるなっていうなんか標語が貼ってあるとかいう話はあったんですよね。
そういうスタートアップにね。
めっちゃ邪悪ですよね。
最近のやり方はいろいろと。
Facebookはちょっと雑いですよね、全体的に。
そうですね。
それにしてもGoogleも何してるのかわかんないしとか。
Googleさんはちょっと撤退が早すぎますよ。
そうですよね。
いろいろね。
Googleプラスとかありましたけどね。
いろんなのがね。
そうなんですよね。
そうですね、いろんな問題があります。
でもケアを、さっきの立ち止まってみれないみたいなことに関して言うと、
今話してて思ったのは、ケアを前提に一回向き合おうっていう修行をするのはありだなと思いましたね。
そうですよね。
でも家族とかだと難しいですよね。
そうなんですよね。
そうなんだよな。
そう。
永遠に終わらない問題な気はしますけど。
そうですよね。
ただでもさっきのサービスとかそういう部分は、やっぱケアをされると逆に感謝というか、
この人たちいいなとか、また使おうとかって思うじゃないですか。
もともと多分商売ってそういうところじゃないですか、誰かの役に立ちたいからとか。
そうですよね。
だからケアの視点をちゃんと真面目にやるだけでも、それこそAmazonのさっきの配送サービスをちゃんと謝ってくれてとかだったら、
そういう会社がむしろやっぱり続いていくような気がしますよね。
そうですね。
でもそれってもう不可能なんじゃないかって諦めているところもありますね。
ケアの視点で考える商売
そうですね。そうなんですよ。今更覆せないかなとかね。
そこでやっぱりローカルでアナログなのかなとは思いますね。
そうですね。商店街とかでやっぱりそういうものが。
だから必死こいてAmazonで買わずに、僕も書店まで足を運んで買いに行くとかすればいいんですかね。
そうですね。僕もオーディオブックを聞いてる場合じゃないですか。
まあまあそうですよね。
かなり逃れられない。
逃れられないですよね。便利さがね。
そうなんですよ。ということでちょっといろいろお話ししてまいりました。
雨の日の新日本。皆さんもぜひ。
ということで。
ありがとうございました。
切ります。