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おはようございます。働く人に贈る精神分析チャット1056回をお送りします。
7月19日木曜日7時29分です。
いやー、多分これを聞いている人のうちの9割にとってはどうでもいい話なんですけど、
昨日とうとうあれですね、チバロッテマリーンズが4位に転落し、
これであのクライマックスシリーズというね、パリーグが最初に始めた不思議な制度の3位にすら引っかからない可能性が出てきたという、
ちょっと今年そうなるとは絶対考えてなかったので、信じがたいパターンなんですよ。ファン的にはね。
なんかどうかしちゃったのかなぐらい急に夏場に来て、まぁ毎年夏場に来て弱くはなるんだけど、
とにしても今年はなんかこう、まぁ毎年そうですね、毎年そうだけど、今年もひどいよねっていう感じがここに来て、
もうなんか誰が出てきても負けるみたいな感じになり始めましたね急に。
いや本当にびっくりですね。あのまあ再配画とかこうなるといろいろ言われるわけですよ、監督とかもね。
でもこうなるかっていうぐらいに、何をやっても失敗するみたいなすごいですよ。
まああのもともと今の楽天監督を率いている今井監督もね、ロッテの選手なんですけど、ロッテのサードやってたんですけど、
僕結構好きで、割と間近で見たこともあるんだけれども、まあ彼まだ監督って感じの人じゃないでしょうって、多分皆さん今井とかご存知ないんじゃないかと思うんですよね。
一応FAで楽天に行ったんですけど、トレードだったかな、ちょっと曖昧ですけど、とにかくそういう人が率いていて、
あそこ今年最下位なんじゃないかと思ったら、そこに抜かれて4位になるというね、まだ0.0ゲーム差という勝率でわずかに向こうが上回っているだけなんで、
あれなんですよ。勝ち越している場合は勝ち数が、負け数が少ない方が上に行くんですね。これあの簡単なやつです。
あの2勝1敗の方が100勝99敗より同じ貯金1なんだけど、率はずっといいですよね。
だって2勝1敗なら3分の2勝ってるから、67%ぐらい勝率になるけど、100勝99敗ってほとんどゴブゴブじゃないですか。
だから1個しか勝ち越したい、これ貯金1位言うんですけど、その場合は負けが少ないほどいい。
だいたい負け越しの場合逆になっていくんですよね。1勝2敗よりは99勝100敗の方がはるかに勝率が上ってことですね。
だから借金1ならば負け数が、勝ち数が多い方がいいわけです。
でも普通優勝争いするから日本の場合勝率で考えるんで、とにかくもう勝てなくてもいいから負けないことなんですよね。
引き分け多いチームは結構優勝争い有利だったりするんですよ。
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まあこれも昔はだからですね、広島というのはなかなか独特のチームで、よく中止になっちゃうというか、
土球場なんで、今でも土なんですけど昔は水はけが悪い土だったんで、引き分けにすぐなるわけ。途中で同点とかだとですね。
一方で巨人とかだと東京ドームで早い段階でドームにしたからお金あるからね。
ドームにするとほらずっと雨降んないから最後までやらなきゃならないわけですよ。
当然引き分け減るんですよね。だから勝率で微妙に広島は上回りやすいという変な現象が起きてですね。
よくそのこと外国人の選手が怒ってたりしたりしたんですね。
あんまり大リーグに引き分けという概念は持ち込まないようにできていますから、決着つけたいんですよアメリカ人はね。
だから自然とより多く勝った方が優勝当然でしょっていう感じなんだけど、日本はそうじゃないですよね。
割り算を始めちゃうんで、どっちかっていうとやっぱりこう、微妙なその計算してこっちの方が勝率は上だみたいな。
勝った数は少ないけど負け数が少ないからとかって言い始めて、何かややこしいことをジャパニーザー言ってるみたいなそういう勢いでですね、結構批判している記事を読んだことがあります。
まあこれで4分使うのもどうかと思うんですけどね。しかも今日話長くなりそうな予感があるんですよ。
短くしたいなぁと思ったんですが、聞いてくださっている方はもう答え知ってるんで、相変わらず不思議な感じがするんですよ。
僕はこれから喋るから。聞いてる方は何分であるかはもう見えてるはずですからね。
これが毎回毎回不思議な感じがするんですよ。これを喋ってるうちにね。
最近のですね、セミナーは30名いらっしゃって大変盛況で大変ありがたかったです。
あの辺の動画を引き続きどうしていこうかは今検討中なんですけれども、
とりあえずは配布はするって言ったから、これから一般配布を有料でさせていただこうかなぁぐらいには思っております。
はい、えーと、なんだっけ、まあまあお知らせ10月13日、そうそう今日はこのお知らせにカコつけて本題に入るんですが、
10月13日にですね、人望庁でリアルのみのセミナーをやろうと思っています。
そこの中で何やるんだっていうお話をですね、ご質問でいただいたんでその話をこれからしたいと思うんだけど、
10月13日3時間かけてですね、もしかしてもうちょっと伸ばせるとすると4時間弱かけていこうかと思っていたりするんですが、
あのー、いずれにしてもリアルだけでやって、レクチャー部分を動画に撮っておいて後に配布させてもらうというのをやってもいいかなと思うんですけど、
趣旨が少し違うかなと。で、ハイブリッドにしてもいいんだけど、ハイブリッドに今回はどうしてもハイブリッドにするとですね、
これはもう今後の課題として自分でも努力していこうと思っているんだけど、ハイブリッドにすると、
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オンラインの先の方に意識を集中しすぎると現場を割とスルーしがちなんですよ。これぐらいでちょうどいいって感じもなくはない。
現場で盛り上がりすぎるとオンラインは明らかに置いてけぼりにしてしまうんで、これは大体おそらく評判良くないと思うんですね。
ただ、人間の注意ってやっぱりそう、2個同時閉グレットって訓練次第だと思うんだけど、なかなか簡単ではないし、非常に現場は気を使うことになるのでですね、
かなり慣れたイベントでないと、これをやるのは簡単ではないと。でもまあ今後はこれは絶対やっていかなければいけない課題なんですけれども、テレビってある意味すごい嫌だと思うんですよね。
現場でやっておきながらちゃんと視聴者意識があるわけじゃないですか。ライブでそれができているってのはやっぱり職業人なんですよね、と思います。
野球やってる人たちとかはそんなこと全然考えてないから、だからあれは分業になってますよね。映す人と映される人が一緒であるプロ野球YouTuberみたいな人って今のところ出てこないじゃないですか。
あれやりながらカメラ目線を常に意識するとか、ほぼ不可能だと思うんですよね。勝てなくなる気がする。やっぱりそういうことなんですよね。
だから分業になるのは当然だろうと思いつつ、我々は分業にすることの資金力とか人材を持ってないので、なるべく全ては自分たちで賄うみたいになりやすいんでね、そこを考えていこうといった感じです。
とにかく10月13日、もしいらっしゃることができれば千代田区人望庁で開催しますのでよろしくお願いします。
何をやるかをこれからお話ししますね。だからこれはCMと番組が同じになるというやつなんですけど、まあでも本題に入っていけると思うんですよ。
何をやるかの説明がそもそもなぜ難しいのかというと、とにかく僕が信じているのはですね、情報を聞いても大した役に立てるのが困難であると思うんですね。
人の話を聞かないと、その人がタスクシュートに記録がつけられませんという話ですらいいんですが、先送りとかね、先送りがしてしまいますとか、あるいはSNSをずっと見ちゃいますとか、この話は最近本当によく聞くんですよね。
どうなったんだろうっていうぐらいよくよくいろんな方がおっしゃるんですよ。
でもそのSNSを見るのをやめるってことはないと思うんですよね、私はね。そんなことは、例えば答えてる方だって見すぎるならこうやってストップワークかけましょうっていうかもしれないけど、それを言った人が見すぎてないという保障がどこにあるんだろうなっていう感じがするんですよ。
あれですよ。だからあのタバコやめましょうねって言ってる人がタバコ吸ってるということがあり得るってことですよね。
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タバコの場合は現代ではそれはなかなか難しいんだけど、だから先日お話した松本俊彦さんは面白いんですよ。依存症の精神怪異でありながら自分自身依存症であるというニコチンね。
これはね、稀だと思うんですよね、実際には。でもあの多分遠端ハイスさんもかなりのヘビースモーカーで、でもカウンセラーなわけですよ。
ああいう方のところにタバコ先生やめたいですっていう人が来た場合どうなるんだろうなって思うんですよね。
SNSは絶対僕はアドバイスしてる人だって見てるに決まってると思うんで、実際にはそれアドバイスにならないじゃん。どんなアドバイスだとしてもと思うんですよね。
が、そこでなんですよ。見すぎるって話になる。だけど何時間以上もって見すぎって言うんだろうねっていうのもあるじゃないですか。
しかも大体ですね、自分が依存症でないと思ってる人、つまりSNSの自分習慣持ってるけど全然いいよねと思ってる人は、これが役に立つ行為だと信じてるし、役に立つ職業かもしれないんですよ。
役に立つかどうかを大概の人はなぜか情報の質で決めようとするんですけど、僕はナンセンスの極みだなと思うんですよね。それはもうほとんど何かを誤魔化してるに過ぎない。そうじゃないじゃないですか。
何の職業をやってるかとか、何を自分がライフスタイルにしているかによって、その情報が役に立つ情報なのかどうかの意味って全然違ってくるに決まっていますよね。
私が冒頭で言った千葉ロッテのニュースなんて、私が例えばそれこそ医者であれば精神科医であればほぼいらないんですよね。これが役に立つからロッテの試合見てるんだとか、役に立つから山本大都さんの、なんて言っても全然誰もわかんないと思うんだけど、見てるんですって言っても大体誰も納得しないと思うんですよ。
でも僕が例えば産経スポーツの記者とかだったら話全然違いますよね。見てなかったらダメじゃないですか。全然ダメだと思うんですよね。こういうことが考えられるのに、そこすっ飛ばして情報の価値とか言い出すのは本当ナンセンスだと思うんですよね。
情報がそれこそエログロナンセンスだって、それ見なければ仕事にならないって人も世の中にはいる一方で、それを見ることはどう考えても円溜めでしかないっていう人も当然職業上いるわけですよ。だから見すぎるっていうのはダメだし、見れば見るほどいい職業あるわけですからね。見すぎるというのはダメだし、何を見てるかで決め縛るのもダメなんですよ。意味が全くない。
で、あとはそれが結局のところ、自分と人にとってハームがある。つまりある種の有害性があるかどうか。だけどSNSを見ることの有害さって他人に対してはほぼ何もないと思うんですよね。もう残るは自分しかないと思うんですよ。だからハームリダクションで考え方は私はとっても新しいなと思うんです。
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依存症に対して今までハームリダクションという言い方はまず考えられなかった。やっぱりこうゼロにしよう運動だったんですよね。依存症というのは。これを昨日申し上げたんですよ。で、ここまで考えてみるとですね。
僕は結局のところ、依存症の治療するわけじゃないって。10月13日に何がしたいかというと、この一種依存…なんていうのかな。薬用陽明酒で病気未満を未病と言いますっていう奇妙な言い方あるじゃないですか。未病と言ったら健康未病なんじゃないのって気もするんだけど。あれ精神医学的な発想だと健康は未病に近いんですよね。精神分析なら多分絶対そう言うんですよ。
だって神経症と健常者を分けられない感じになってますから。マイルドな神経症ですよね。で、その未病っていう言い方でも面白いなと思うんですね。結局未依存症なんですよ。
私が10月13日にせよ3ヶ月チャレンジ、次回から3ヶ月セッションという名前にしたいんですけどね。セッションってグループセッションも含むんで、コミュニティ感を持ちつつワンオンワンがたくさんあるよっていう含みなんですが、ここでも基本的にまずやりたいのはこの未依存症なんですよ。
世の中には様々な依存がありますが、全てが全てマニュアルで依存症と診断されるわけではないです。まだ正式にはSNS依存症などとは言わないと私は思いますね。ネット依存はあるのかな。
ネット依存なんて言ったらほとんどネットニュース依存なんじゃないかなと。でも私のように明らかにニュースには何の興味もない人間も結構いるはずですからね。この依存症未満。これだってやっぱり同じなんですよ。しかし考え方としては。
依存症だったら個人にカスタマイズしてハームリダクション、つまりその人にとってのハームやその人の周囲にとってこれは何がハームになるのかを考えていかなきゃいけないんだとすれば、依存症未満ならますますそうだと思うんですね。だってマイルドなんだから。
基本的にいくらやっててもいいわけじゃないですか。まずこのいくらやっててもいいはずだっていうその依存症未満でハームが少ないならやっててもいいはずだっていうのを先に踏まえないといけないと思うんですよ。ここでですね、ある意味精神疾患を扱ってる世界に抜かれてる場合じゃないと思うんですよ。
ヘロインだって世界でですよ、日本じゃないですけど、ヘロインだって害にならない程度は打ち続けるというか、打っていいんだ的な機能を話しました。イギリスでの実験的な試みだと思うんですけど、たぶんこの流れはある程度の成功を収めると思うんですよ。
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実は昔あったんですよ、これ。アメリカであまりにもなんでも食べすぎちゃう人に食べることに罪悪感を持つのがいけないんだということで、接触障害の重度の人を治すケースですね。アイスでもケーキでもなんでもいいから冷蔵庫にたんまり入れときなさいという、これ一定の成果を収めるんですよね。
こういう考え方が依存の世界で進んできているのに、なんかライフワークではダメ絶対みたいな、SNSダメ絶対みたいなことをやるのって時代錯誤も派手しいと思うんですよ。ここで罪悪感というものが手放せさえしなかったら、たぶん重篤になったケースでは何にも手出しができなくなるとしか思えないんですね。
つまり依存に対して脅迫で向かっていくのはダメだと思うんですね。依存に対して脅迫で向かうっていうのはまさにゼロにするとか、役に立つことしかしないとか、上限時間を簡単に設定しちゃうとかね、子供には1時間しかSNS見せないとか簡単に言ってしまうっていう、そういうことがいかにハームフルなことかってこと。
ハームリダクションという発想が出てくる以前は、ハームなのかどうなのか問いもせず、とにかくダメ絶対にしていたわけじゃないですか。とにかくゼロにするのが望ましいんだっていうことにしちゃってたわけですよね。
この何が望ましくて何が望ましくないかについて、現実検討が全然行われることなく、とにかくほとんど快不快原則で言っちゃってるという、もともとなぜ依存がいけないのかというか、なぜ依存を避けたいのかというと、それは現実原則に基づいた話なんですよ。
どう考えたって。だって人がSNS何時間やろうと、そんなのはその人の勝手ですよね。その人がお金がいっぱいあって困ってないならば。ただ、精神分析ではそうは考えない。なぜならば、これは快不快原則というものだけでは人は生きていけないと多分考えるからなんだと思うんです。
で、なんでそもそもSNSをやめさせたいのか。例えば子供の成績悪くありませんと、友達もいますと。でもYouTubeの時間を1時間に打ちはしてますっていうのは多分僕はそれはわかんないですよ。非常に微妙な線だけれども、ここは親の快不快が入ってると思うんですよ。
で、親の快不快が入ってても別にいいと思うんですよ。ただ、親の快不快が入ってていいということは子供の快不快が入ってたって当然いいわけですよ。こういうのが現実原則ってものではないかと思うんですね。だからダメ絶対っていうのは、政府はどう考えてたのか知りませんけれども、多分快不快原則なんですよ。
昨日紹介した松本さんの本でもよく出てくるんですよ。ああいうボスポスターにね、まるで当時ヒロポンとか呼んでたんだけど、覚醒剤みたいなものをやった人はゾンビになっちゃうんだみたいな、こういうスティグマを煽るようなやり方をしていて、それらの人たちが覚醒剤をやってる自分に絶望して、
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覚醒剤をしかしそれがゆえにやめますなんてことを期待するのはナンセンスだろうっていうことを書いていて、あれは非常にこうね、倉田慶三さんがGood Vibesなんかでもよくおっしゃってたような内容じゃないですか。つまり、もう自分はダメだと思っている人に向かって罪悪感のラベルを投げたところで、その人があの超自我を発動してね、
俺はダメな人間だから心を入れ替えようと言って、急にまともなことを知らす、そういうことを期待するのがおかしいよねっていう話ですよね。あの伸田くんのママがね、よくスネ夫くんのお母さんと一緒に、うちもね勉強もせず漫画ばっかり読んでるんですよ。
あ、オタクは漫画全部捨てたんですか。うちも全部思い切って捨てようかしらみたいな。捨てても勉強するようになるはずないじゃないですか。これは全部同じ話、同じような話してると思うんですよ。
回復解原則っていうのは絶対ベーシックに必要なものなんですよね。回復解原則だって生まれつき持ってるものではないんですよ。僕ら誤解してるんですけどね、きっとここ。
ここんところで自閉症スペクトラムの話が出てくるからすごい難しい感じがするんだけど、やっぱりこう自閉症的な、これは精神分析の私が知る限り松木さんの、松木さんじゃないんだけどベースはおそらく外国の人なんだけど、
二次元的な心象の上に三次元的な心象を発達させて、だからこれは発達の経過なんですよ。結果と言ってもいいか、成果と言ってもいいぐらいだと思うんですよね。回復解というのは私たちが身につけるスキルなんですね。
何が私にとって深いで、大体生物にとって同じものになるんだけど、何が生物にとって深い、私にとって深いかというのは生まれつき決まってはいないんですよ。決まってるんだったらコーヒー好きな人と嫌いな人に分かれない。アルコール好きな人と嫌いな人に分かれない。スイーツだって嫌いな人いますからね。
虫が好きな人と虫研究したがる人には分かれない。これは回復解原則というのは身につけるものであって、回復解原則で生きている人というのはただ自然に生きてればそうなりますけど、でもこれはやっぱり一定の教育成果なんですよね。
だから文化が違う国と喧嘩になったりするわけじゃないですか。あいつらのやり方なってねえみたいにすぐ思うわけですよ。日本人はアメリカ人のやり方が全然全然なってないと思ってたし、逆もそうなんですよ。そういうもんですよね。
見た感じの回復解ってあるじゃないですか。例えば茶碗を持ち上げて食べないでご飯食べるとなんかこうダメな感じがするみたいな。そういうのに対して何かが劣ってるって感じるっていうのは人間の欠点だと思うんだけどしょうがないんですよね。三次元的世界に生きていると。回復解原則で生きていると。
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この上に僕らはさらに四次元的な新書を乗っけなきゃいけないんですよ。現実原則ってやつ。だからそこら辺でうんことかできないじゃないですか。現実原則がかかってるからであって、回復解原則だけだったらもうしたくなっちゃったらするしかないんですよ。したくなっちゃったらするしかない時って旅行中とかないわけじゃないですけどね。
だけどもトイレがお金かかったりするっていうのが僕はイギリス行ってそれに衝撃を受けたんですけどね。金はありますよ。ただ25セント玉みたいなものがないんですよ。25セントっていうのはイギリスじゃ使ってないけど。とにかくないんですよ。しかも結構高かったりするんですよ。びっくりしますよね。
というわけで、僕らはそのいわゆる四次元的新書の上に回復解的新書を乗っけていて、さらにその上に現実原則を乗っけていて、現実原則で機能することだけはできないんで、回復解原則で生きてるんですけれども、これだけでも生きてはいけないんで。だからこれのいろんなパーセンテージで僕らは生きているんですよ。
このパーセンテージどこが正しいのっていうのもないんですよ。それはその人の置かれている立場とパーソナリティによって変わるから。だから多分、死壁というか依存症の傾向も変化するんですよ。で、我々はいわゆるパーソナリティ障害の人と似たところはみんな絶対僕はあると思うんですね。
つまり、一時ナルシシズムと言いますか、一時過程を取っておくわけですね。それが依存症につながるわけですよ。現実原則をここは外したいと。回復解原則でここはやっておきたいと。だから現実検討能力を下げたいと。
そんなものばかり食べてると血糖値が上がるよっていうのが現実原則なら。でも甘いものは気持ちがいいんだっていうのが回復解原則じゃないですか。これがですね、なんか脅迫的なその文化に行くと、私がずっとやってきたビジネスショートライフハック界はこういう傾向を持ちやすいんだけど、いやスイーツゼロにしようよってことになりやすいんですよ。
現実原則をどことん優先させようよってことになりやすいんですよ。その方がありとあらゆる意味でいいじゃんってことになりやすいんだけど、ありとあらゆる意味でいいかもしれないけど、回復解原則をゼロにすることそれ自体はできないんで、それは無理じゃないですか、そんなことは。
それつまり、考えたくもないからやめといた方がいいかな。虫だらけの部屋で寝ても気持ち悪くは感じないってことですよね。もちろんそうじゃない方がいいから虫は排除するんだけど、この時の排除の仕方も脅迫的になると徹底しちゃうんですよね、むしろ。
嫌じゃないのに徹底するっていうのは非常に独特の心理状態を表すと思うんですけれども、嫌じゃなくても徹底するみたいなね。だから別に私はスイーツ好きなんだけど、スイーツはゼロにするみたいな、そういう感じになるわけですよ。
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つまり非常に数値逆感化していくんですよ。そうすると人生が良くなるという、良くはなるのかもしれない。ただそれは現実適応度が高くなるっていう意味であって、そして何か奇妙な事態が進行する。
これが食欲に適応しようとすると接触障害になりやすいっていう話を、この番組では何回か松木邦博さんの本を参考にしながら出してきたんですね。
という話を10月13日にしたいから、そもそも何を一時過程の温存に持ってきているのか。私だったら静止劇依存的な内容、それも今で言うと動画的な、つまり二次元じゃないってことね。
それには理由がある。理由はみんなあるんです。それがSNS、ニュースの人もいるし、スイーツの人もいるんですよ。当然アルコールとニコチューンはいます、当然ですね。ギャンブルも当然いるはずです。
この辺まではなんちゅうないに入るなと思っている。治療じゃないとはいえドラッグは私は扱わない。わかんないから。その世界になってくるとわかんない。あと片付けられないっていう話がありますね。
もう一つ片付けすぎるって話もあります。どちらも同じですね。同じじゃないけど結果は大きく変わりますけれども、この結果が変わるってことも考慮に入れないとダメなんですよ。
だから僕はハームリダクションっていい考えだなと思うんですよ。適応度がいいとされているものは気をつけるべき部分っていうか、そこをマイルドにしていこうがいい部分ってあると思うんですが、
ハームが少ないのにその依存から抜け出さなければいけない理由は別にないわけですね。だから僕はそのハームが少ないものとしてタスク管理を上げるわけですよ。
この辺から10月13日の話のメインステージが上ってくると思うんだけど、ハームが少ないものとしてタイムスケジュールとかタイムマネジメントとかライフカークが上がってくる。
で、それは当然社会からすると支持的な内容になってくる。支持ってのは何ていうのかな、OKというかむしろやってねって感じになってくる。そこが気の付けどころなんですけれども、でも少なくともそれは、
万引きが癖ですみたいなものに比べると気は楽だということは言えると思うんですよね。
でもそれは僕からすると同じような課題がその人の中にはあるはずだと。どういう課題かっていうとストレスがかかるたびにそれをやらずにはいられなくなるという課題ですよ。
ストレスがかかるたびに皮膚の一部をむしり取るようなことをやっていると皮膚病ってものが進行するんですよ。
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これは自体愛的な話ですよね。昔赤ちゃんの時におっぱいが欲しい時にもらえないと子は指をおっぱい代わりにすると。その時に一時過程が進行してるじゃないですか。
快不快が先んじている。現実にはおっぱい吸わないと栄養が足りなくなるんで指しゃぶってても栄養にならないんですよ、現実には。
でも快不快っていう意味では代替物をしゃぶってれば、だからおしゃぶりってあるんだけど、代替物をしゃぶってればいい。この時なるべくおしゃぶりはおっぱいだと信じたいじゃないですか。
つまり現実見当能力というものを下げておきたいわけですよね。これを政治になって意図的にやっているとしばしばパーソナリティ障害みたいな出来事になるんだけど、私らはそれに準ずる位置にいると思うんですよ。
そういうことをある程度せずにはいられないんですよ。なくそうっていうのもわからなくはないんですよ。だからハームが大きいものに関してはなくすことはなくても大いに減らしたほうがいいよねということになるわけで。
一方で、でもゼロにしようっていうのはやめようと、特に我々はおそらくハームの少ない刺激、アディクションだからそんなに減らすこともないんですよね。
ここの時にもう一つの課題が、我々はビジネス書とか仕事術とか言ってるわけだから、時間をぐっと使うのはハームとしてでかくないっていう問いなんですよ。
グッドファイブスでクラウドの研修生がおっしゃってるのは時間ってものはもともとないんだから、観念なんだから。これによって時間がいくら解けようと、今そうおっしゃってるかわかりませんけども、いくらなくそうといくら解けようと気にするべきものではないんだと。
だから罪悪感はなくていいんだと。今でも罪悪感はなくていいんだって言うと思うんですよね。私も原則は全く同じ意見です。原則は全く同じで、罪悪感はゼロでいいと思うんですよ。
ただ時間が多分解けてなくなることに対してはみんなもっと敏感だと。ここなんだと思うんですよね。僕はここにもう少し強い焦点を当てたい。結局同じ結論になるんです。
時間がいくら使おうと、そんなものは害ではないと思うんだけど、でも多分これが害だっていう意識から抜けられないという人はいっぱいいて、そこに僕はこのライフハッカーという人たちが持っている、つまり自分が加害をしているっていう思いから抜け出さないとならないなって思ってるんですよ。
そのためには時間なんてないんだっていうのは結論としてはとても強くていいんですけれども、信じられないとどうにもならない。だから多分ここが一つの焦点というのかな、焦点付けするポイントになるだろうなと思ってます。
13日とかでも今後の3ヶ月セッションでも必ずこの話にはつながっていくだろうなとは思うんですよね。その時に精神分析、今までも十分精神分析出てきてましたけれども、精神分析というものが出てこざるを得ない。
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なんで時間がそこまで惜しいのかという問いがここに立たなきゃいけないと思うんですよね。これはライフハックだけで考えてもなきゃいけない問いだと思う。時間が貴重なのは自明ですよねっていうのは僕はライフハックとしてもダメだと思うんですね。自明では全然ないと思うんですよ。
時間は命ですなどというのはナンセンスの極みだと思うんですよね。時間命だと思っているのは人間だけなんで、生命体の中で。で、生命体の中で人間だけが信じていることを絶対的に客観的に真理だっていうのは全然当たる感じがしないんですよね。
生命体として一番最初に出発したのすら人間じゃないのに、人間だけが信じている、それも生命に関わる話を我々だけが真理を知っているって言えるはずがない気がする。で、そもそも生命の中には一部ですけれども死に近い存在っているので、そういう存在のことを考えてみてもですね、時間が命であるというのはどう考えてもおかしいと思うんですよ。
ぐっと短い生命体とほぼ無限っていう生命体と両方あって、どっちも生命体であるわけじゃないですか。時間が命であるとか時間が経験であるというのは、私はもう全然どこにも真実らしさを感じないので、これはもうパスする。
でも時間が貴重だというのは、これはだから現実原則なんですよね。私たちの文化が時間が重要だというふうに、時間は金より大事だと。みんなそう思って行動しているようには見えませんが、そういう言い方をするぐらい大事があると。金をどのぐらい大事があるかっていうのも非常にいろいろあるんですけれども。
どっちもお金とか時間とかまさに人が発明した観念なんだけど、この観念をどれぐらい大事があるかということについて、自明ではないので、自明でないとなった場合、どうやってその価値観を保持し維持して強化しているのかというのについて分析的になるというのは、私は必要だと思いますよね。
私は必要だと思うので、つまりそんなに大事がある理由が本当はないはずだってところを出発点にするので、生まれた時にはだってそうではなかったはずですから。ほぼ確実にさっきの言い方と違う言い方をするならば、これはやっぱり学習したものですから。
しかも回復剤原則が実は入り混じってますから、ここにはね。現実原則だけで時間を扱っているわけでは絶対ないと思うんで。明らかに回復剤原則が入ってきちゃってるんで。ということはですね、これはほんと小さい頃に僕らが身につけさせられたトイレトレーニングみたいなものなんだと思うんですよ。
33:02
親から譲り受けてると僕は思ってるってことですよね。だから親から譲り受けたって話になってくると、もうこれは思いっきり分析の対象になっていくんですよ。そうすると聞かないとわからないんですよ、その人に。だってその人の親御さんのことを私は知らないですからね。聞けばわかるのかっていう話になりますよね、自然と。
だから僕はここでロジャーズが出てくるしかないなって思うんですよ。ロジャーズ唐突な感じがしますけど、慶長共感事故一致っていうのを3原則に打ち立てて、日本のカウンセリング界をですね、ロジャーズ自身がってことではないんだけど、誰かが見つけたんだと思うんですけどね、一斉を風靡したんですよ。
なんかこういうところが日本だけじゃないかもしれないけど、心理カウンセリングの世界では時々起こる、この辺のことを戸畑海人さんとか山崎孝明さんがよく書いていらっしゃってて、僕はそれを非常に参考にしてるんで、この2人を親になってるわけだけど、みんないろんな人が多分言ってることだと思うんですよ。
当然、僕だって漠然とは知ってましたから、とにかくこの急に出てくるんですよ。精神分析とか認知行動療法とかそういう方法論じゃなくて、ロジャーズっていう人間が出てくるんですよ。カール・ロジャーズね。有名な方なんで、日本では特に有名なんで、聞いたことあるっていう人はいらっしゃると思うんですけど、とにかく慶長共感っていうことを盛んに強調している。
ほぼ他のことは強調してないと感じられるほど、この点を強調している。話をよく聞けと。こんなのは当たり前なんですけれども、これがね、共感につながるように慶長するというのは、一見すごい簡単なことのようなんですよ。
特に我々日本人はある程度そういう教育を強めに受けてきているから、人の話をよく聞きなさいって言いますよね。コミュニケーション上手は聞き上手ですと。私はでだらめだと思うんだけど。でもそういう話はそこらじゅうで聞くんですが、これが問題になったわけですね、昔の日本では。
一生懸命心理師は慶長、慶長で聞いてたんだけど、全然共感できないわけですよ。というか治らない、それでは。クライアントさんがね、よくならない。それこそヒロポン売ってる人がお話を聞いてあげて、これ聞いたと思うんですよ。
思うんだけど、うちは親が本当に虐待的で、というか当時そういう言葉はないかもしれないけど酷くて、ウェルトで鞭打って、金も持ってっちゃうし、覚醒剤打ってますみたいな話を聞いて、すごい一生懸命聞くと、本当に多分日本人真面目だから、当時の日本人は特に真面目だったから、めっちゃ一生懸命聞いたと思うんですよ。
これ効果あったと思うんだけどね、でも覚醒剤を打つのやめられませんとか、そこまでいかなくても信頼やめられませんみたいになった時に心理師が責められるっていう事態が起こったわけですよね。
誰が責めたのか知りませんけどね、心理師の上の人たちとかですかね、お前教科が足りないんだと、ちゃんと聞いてるのかと、で責められると、めちゃくちゃつらいじゃないですか、そんなこと言われたら。
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お前がちゃんと聞けばあの人は信頼やめるのに、お前がちゃんと聞かないからまだ信頼は続いてるんだぞって、こういうロジックですからね。
それで非常に昏迷したようなことがいろんな本で書かれて、具体的には見てきたわけじゃないんで、そんなの分かんないんですけどね、私には。
で、かわいはようさんが出てくるわけですよ。大きくこの事態を救ったというか、要するに昏迷の時代をヒーローのように救う人が出てくるわけですよね。
かわいさんが言ったのは、なんで共感できないのかってことを教えてくれたっていうか、少なくとも語ってくれたわけですよね。
共感できないですよね。私はこれを対象関係的に考えられるように、考えるようにしてきているんだけれども、
例えば、うちの親はひどいという話を聞くじゃないですか。で、一生懸命聞くと、どう感じることになるか。
ああ、本当にお母さんひどかったんだなあって、これが共感ですよね。
が、ここに共感するということはですよ。
もし私がここに一致って問題が出てくるんですけど、でも本当だろうかっていうのが全くなくなるとするとですね、その人の話は話ではなくなるんですよ。
ここに僕はそのいわゆる現実原則と言いますか、まあ現実原則だよね。
怪不怪原則だけでいくならば、完全に共感してしまったほうが不快はなくなって、怪になるわけですよ。
本当にお母さんはひどいんだと。ひどい目にあったということにとことん共感していくと、自分も一緒になってその人にひどい目に合わされているような感じがして、来なければいけないじゃないですか。
Aさんのお母さんはひどい人で宗教を強迫して無視で打ちますみたいな、なんかもう自分が打たれたように痛いみたいな、共感ってそういうところまでいくんで。
それって現実見当を変えていくことになりますよね。
ちょっとややこしい話なんですけど、相手が言っている話はその人の経験だから記憶であり現実かもしれないけど、聞いている私にしてみればそれは私の空想に近いものだから、空想現実だと思い込んでいくってことは、
つまり現実見当が失われていくってことになるじゃないですか。
これはだから一時過程に入っているわけですよ。
ここで頑張って、いやいや、これはこの人の話だから。
私が別に無知で打たれてるわけじゃないし、そもそもこのお母さんはそんなに本当にひどい人なんだろうか。
この人の心の中のお母さんの話してるんじゃない、これが心的現実ですよね。
してるんじゃないだろうかと思うと今度は何が起きるか。
話に共感できてなくなっていくじゃないですか。
少しどこか冷めた目で見ることになりますよね。
こういう話の聞き方っていっぱいありますけれども、目の前の人が言ってることを100%は信じない。
39:01
100%信じるってことはできないんだけど、100%は信じてない。
冷静に聞くって言えば聞こえばいいんだけど、一方でこれは共感はしてないってことになりますよね。
ここでロジャーズが実はもう一個言う自己一致ってやつが非常にくせものなわけですよ。
お前は嘘をついてないかってことですよ。
いや分かるよ、分かる分かる。
分かってないじゃんみたいな。
分かってないってことは話している人にお母さんひどいですね、それはよく分かりますよって言ったら嘘ついてることになるわけですよ。
でもじゃあ本当のことを言って、お母さん本当にそんなにひどかったんですかね。
私そんなに信じられないんですけどって言ったら相手の人傷つくじゃないですか。
ここで悩まなきゃならなくなるわけですね。
だから自己一致って言葉が出てくるんですよ。
自己は一致しなきゃならない。
つまり常に正直でいるってことですよ。
傾聴して共感して常に正直でいることはできないんですよ普通は。
そこをカウンセラーってのはできるようにならなきゃいけないって話を
カワイハヨさんは非常にユング心理学を使ってめくるめく説明をしてくださった。
だから一世を風靡していくわけですね。
急速に彼の熱が高まってみんながカワイハヨを言い出すっていう時代がやってくるわけですよ。
これはもう歴史の話なんで興味ない人は興味ないと思うんですけど。
で私はそれを対象関係で考えるようになったわけです。
とにかく対象ってのがあるんだと。
その人がしているお母さんの話はお母さんの実物でなくていいんだと。
お母さんその人の生きひどいと言ってるのはひどいことしたんでしょうけど
でももう今してるわけじゃないわけだから。
今されてる気がするのは対象によって責められてる気がする。
私はここはよくわかるんですよ。
自分はこんなにお母さんにひどい目にあったわけじゃないけど
対象関係がかんばしくないというか
人間関係がいいものになりませんっていうのは
しばしば対象関係がいいものにならないんですよ。
ちょっととっぴなようですけど夢の色って考えてみてほしいですね。
私夢の色はグレー。ダークグレーなんですね。
つまり私は夢の中の人間関係
これは夢の中に人間いないから夢の中の対象関係
私のお父さんの夢を見る、私のお母さんの夢を見る
私の肉親の夢、私の妻の夢
私が昔出会った学校の先生、友達たちの夢
全然いい夢がない。
ってことはお前はよっぽどお母さんやお父さんにひどいことをされてきたのか
そんなことはない。
でも私の心の中の人間御用においては
残念ながらダークグレー。
なんか私はしょっちゅう母親と殴り合ってみたり
父親とツンツンしてみたり
いいことが起きない夢の中ではね。
皆さんどうですかね。
夢はバラ色って人は
たぶん現実の人間関係うまくいきます。
これは逆じゃないんですよしばしはね。
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現実の人間関係がうまくいってるから夢がバラ色になる
だったらいいんですけど
私は現実の人間関係は今すこぶる恵まれてるんだけど
夢は相変わらず
ブラックではなくなったけれども
決してバラ色ではない。
やっぱり夢の中では
私の対象関係は相変わらずいまいちかんばしくない。
親はいい育て方をしてくれたと思うんですけれども
いいと言ってもいろいろで
やっぱり私と親の関係にはどこか微妙なところがあったんでしょうね。
だから私と私が夢に見る母は
私の夢の中の私との関係です。
夢の中の私は子供になってますけど多くの場合
うまくいってない。
これが対象関係ですね。
これを現実に適用してしまうんですよ。
しょっちゅう我々はやるんです。
それが投影というものですね。
これならわかるんですよ。
つまり目の前の人が訴えている
お母さんは宗教にハマって
ドラッグやってお父さんは酒ばっかり飲んで暴力を振るってました。
っていう話はそれを対象関係として聞く限り
厳しい対象関係だ。
だって目の前にはもうお父さんはいない。
なんならお母さんは多戒されている。
暴力を振るわれたって言ってるけど
これは過去の話で今振るわれてるわけではないけれども
心的現実としては非常にダークなものがある。
私の心的現実はダークまでいかないけど
でも昔ダークだったし
そういう目にお父さんやお母さんから
合わされてはいないんだけど
でも結局夢で見てみると
夢の中の人々は冷たい。
ここで私は対象関係として考える限り
傾聴した内容に共感することができるようになっていく
糸口が見つかるんですよ。
そうすると自分が正直でいたまま
相手に対して
でも今それは現実じゃないですよねって言っても
傷つけない言い方を模索することができるような気がするんです。
こういうことを13日にもそうですし
3ヶ月セッションというような名前のものにでも
そうしたいわけですけれども
カスタマイズして
カスタマイズの形状ですから
話聞かないとカスタマイズのしようがないんで
カスタマイズして
自分の対象関係を探りながら
相手の対象関係を見ることはできないですけれども
見ていって頑張って見ていって
ここに共通なものを見出せることを
遠いどいつかっていうし
共感というんだと思うんですよ。
この時は一致していくはずなんですよ。
ある程度相手と自分の対象関係に関する
感情というか情緒の動きがですね
近しいものになっていって不思議はないと思うんですね。
ここになぜその人が温存する一時家庭が
例えばSNSニュースなのか
SNSニュースを見て
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このお父さんやお母さんに復讐したいという気持ちを
どこかである程度満たすっていうのが
その人にとってのアディクションになりうるんではないか
みたいなところまで持っていけるとですね
だいぶ展開の仕方を考えることができるような気がするんですね。
気がするだけですよ。
今言ったような話は専門家からすると
全部ナンセンスかもしれないんだけど
私の頭の中ではこういうふうにまとまりがつきつつあるわけですよ。
で、そうなった時にこのアディクションを
いきなり全部は消せないので
どういうふうに考えてみても
なぜならばこの対象関係をすぐにバラ色にはできないじゃないですか。
現実はもうすでにそうでなかったとしても
現実に関わる時間を増やすっていうのは
いいことだと思うんですけれども
いきなりこれだけのダークな対象関係を
いきなりバラ色にはできないわけですよ。
だからしかもその対象関係が
リアルなものにすごく感じられているわけですよね。
目の前にお母さんもいないかもしれない。
すでに高いされてるかもしれないけどなおですね
お母さんはひどい人だ。
それはリアル。
現在形で語ってしまう。
ひどい人だったというよりも
ひどい人だって言ってしまう。
現在官僚系みたいな言い方をしてしまう。
そういうところに対象関係の持つ
真的現実のリアリティというものの
強さを感じるわけですよね。
でも私だってそういう話はあるわけですよ。
私の対象関係の中では。
夢の中だって殴り合いすれば
夢見てるときはそう思ってないわけですから。
これも現実検討式を失ってるわけだけど
夢ってまさにそうですけど
だからそれのまま起きると
夢遊病になっちゃうわけですけれども
そういうことはありますからね。
だからその辺から糸口を見出して
結局のところ私たちが
取っておきたがるアディクションというものの
糸口と正体をはっきりさせて
ここからハームリダクトにつなげていくってことは
できるんじゃないかなと。
現に私はやってるんじゃないかなと。
ここもやっぱり自己一致ですよね。
私がやれてないことを言うわけにはいかないので
私でもできる。
私でいえば性刺激依存のハームを減らしていく。
ハームというのは例えば
時間を溶かすでもいいですし
お金を使いすぎるでもいいと思うんですね。
これを13日に
オープンダイヤルにしていただく必要はないと思うんですね。
言ってはばかれることは
他の人も言う一対一じゃないわけですから
いわゆるプライベートルームではないわけですから
概念としてこういう話を示して
言っても差し支えない方の
言っても差し支えない範囲の話を伺うことで
私がこの図式の中で
どういうふうに扱っていくと
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うまくいきそうかの話をさせてほしいと。
それにはやっぱり集まった人の人数次第ですけど
3時間は言うにかかるんじゃないかなと思うんですよ。
ただ図式があるからね
帰ってから検討してもらってもいいと思いますし
これをまた例のあれです。
3ヶ月セッションの
ここでお支払いいただいた金額は
もし3ヶ月セッションにつなげたければ
そうしていただくこともできるようにすると。
これはですね、やっぱり私は
3ヶ月では難しいだろうって言われると思うんですけど
正式からすると鼻で笑われそうなんですけど
僕はこれを3ヶ月でやり抜ける方法が
あるような気がしてきているんですよ。
もちろん継続していただくのはすごく嬉しいですし
私自身の技術の限界から
継続していただかざるを得ないケースも結構あるんだけど
でも3ヶ月で結果を出せるようにならないと
最近ちょっと新しい本を入手したんですよね。
一番多いカウンセリングの回数は何回か
1回だって言うんですよね。
そういうことだと思うんですよ、僕は。
その本は非常に精神力道だとすると
興味深いテーマだと思ったんですよね。
現実には1回なんだと。
精神力道だろうとなんだろうとそうなんだと。
1回で決着をつけないとダメでしょうと。
で、つくわけないじゃないですか。
つくはずがないんですよ、そんなものは。
しかし現実には1回なんだっていうね。
1回1回で一定の成果を出さなければ
この商売はできるようにならないんだ
っていうような話が含まれているんですね。
だからそれへの挑戦という意味が
1回だったら1時間じゃダメだっていうね。
1回だとなるとオンラインでいける気がしませんよ
って感じがするんですよね。
そこも将来的には分かりません。
松本敏子さんのアディクションから
アームリダクションからロジャーズまで出てきているんで
まさにつまみ食いなんですけれども
私はつまみ食いしかないんだと思うんですよ。
思えばですね、戸畑海斗さんが
平成のありふれた心理療法
あれに信田紗友子さんが
そのネーミングはいかがなものかとおっしゃってたし
その気持ちも分かるんですけど
HAAPですよね。平成のありふれた
いきなり心理療法だけPだけど
サイコアナリシスなのかな。
HAAPですよ。
そこではつまみ食いが両方として行われている
これは治療人類学みたいな
考え方らしいんですけどね。
特に台湾などではそういうのが
すごくあるらしいんですけど
それはそうだろうと思うんですよね。
あのなんですけど
ちょっと正式には忘れたし
正式なものはないんですけど
戸畑さんがロジャーズ風の
なんだっけ
とにかくなんとかフレーバーの
ギアンデどうたらこうたらみたいな
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今ではそれが日高同僚法師でもある
要するにものすごくカクテルなんですよ。
キメラなわけですよね。
いろんなものが入っていて
純金の考え方
つまりいやそれやでしょって
ユング派ならユング派
フロイドならフロイドでいかないとって
いうのってあると思うんですよね。
アカデミーコンプレックスみたいなものがあって
絶対あると思うんですよ。学歴コンプレックスみたいにして
私は何派で
何々の手法でやってます
って言いたいわけですよ。
でも現実はそうはいかないよねってことですよね。
特に人の
セラピーを
ケアとかセラピーを
こととするには
その人の事情ってものが
何々を好みますっていうのは
絶対あるんでね。
のの医者とか
戸畑さんはそういうのがお好きだし
お得意だからあるんですけれども
のの医者ってもう完全にオカルトじゃないですか。
生命判断して
星占いしてみたり
なんかこう
じゃらじゃらした宝石とかで
登校出張所を直すみたいな。でも直る人がいるっていうね。
好みってものは
大事なんですよね。ここで行われてるのは
僕はでも
共通の説明があるとみんな
ホッとするじゃないですか。
共通の説明をそうやって無理矢理作り出すのは
良くないと思うんですけど
でも一個、平調は
あろうと思うんですね。
多くの場合
お説教が入ってくるんだけど
なんでお説教かっていうと
平調と自己一致を優先させたいからなんですよ。
自己一致ってのは
私としてはやっぱりですね
相手の人に一致していった上での
自己一致でありたいわけですよ。
正直に自分の
心情をトロするときに
自分は相手のどこかに
とっかかれるところとか
だから私は
対人関係では無理だから。だって
相手のお母さん知らないのに
相手のお母さんひどい人だと
私が確信するには至らないんで
どんな話を伺っても
でも対人関係ならできるのでね。
だから
そういう風にしてるわけです。
でもお説教をするということは
そうじゃないのよ。あなた、お母さんはね
そんなにひどい人じゃなかったのよ。
あなたを一生懸命育ててくれたんじゃないって
これは自分の気持ちに相手の気持ちを
一致させようとしてるわけですよね。
嘘はつかずに済むんですよ。このやり方なら。
だから
継承してるんだけども
説教するっていうのは
僕から感じる矛盾はあるんですけれども
でも継承と自己一致っていう線は
踏まえてる感じがするんですね。
これを使うってことを
加味すれば
のの医者とか
のらカウンセリングで
行われてることだってですね
結局近い線を
いってるような感じってあるんですよ。
つまりこれが
つまみ食いっていうものだと思うんですよね。
やっぱり好みってものが
あるじゃないですか。
説教されるのが好みですって人は
いっぱい世の中にはいらっしゃるんで。
それだと課題が残ると思うんだけど
それはでも力動的な考え方
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なんですよ。長時間で
押し切るのはいかがなものでしょうかって
感じがするとか
エリプスコンプレックスで全然物作業いかずに
ほとんど屋根が
従わせるっていう形で
結局押しちゃうのはどうなのっていう感じって
あると思うんだけど。でもそれで
実際には
良くなってしまうというケースだってない
わけじゃないと。だから
それだけにですね
人が絡んでくれば
自分一人だったらですね
私はユング派のこの考え方で
自分の心理状態は
完全に救い上げられた
っていうのは僕だって
多分にあるわけですよ。対照
関係とグッドバイブするだけでいけたな
みたいな。でも他の人はそうじゃない
ということはいくらでもあり得るんで
だからやっぱり
いろんな考え方の中の
解体的に
使って
いいとこ取りっていうのとは
だいぶ違う気がするんですけれども
解体的に
使って
家を作るときに
セットをなるべく
使わないようにするっていうのは
やっぱり
手間暇かかるんですけどね
新地では難しいという気もするんだけど
いろんなそこにある
矛盾を
つうんですかね
あの
継ぎはぎしていかなきゃ
家ってそういうもんじゃないですか
セットを使わないんだったら
お風呂のセットと
応接間のセットと
今のうちの技術ってすごいんで
真剣でガチャってくっつけると
家立ちますと
そっちの形に合わせて
それを極力
ギリギリの線まで解体していく
っていう作業をしていくと
それはつまり
平成のありふれた心理療法みたいに
決めらかしていくことには
なるんだと思うんですよね
あとはもう
やっぱり
話元に戻るんですけど
リスナー