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こんばんは、無限塔の秘密、アヤコPです。
お久しぶりでございます。
無限塔からお送りするのはかなり久しぶりですね。
ちょっとね、間が空くとあんまりよろしくないということで、
今日はゴーデンウィークの後半、もう終わりかけという感じですけれども、
お送りをしてみようかなと思っています。
ゴーデンウィーク、皆さんどんな感じでお過ごしでしょうか。
私はね、暦通りに過ごしたと言っていいのかな。
最初の3連休、そして3日の稼働日、そして後半4連休という感じで過ごしています。
ゴーデンウィークね、何をしてたかというと、
あんまりそんなに大したことはしてないんですけれども、
英語の勉強をしようかなと思ったり、
あとね、片付けのバッチ処理をしようという感じで、
ぼちぼちやったり、レイジーな日々を過ごしたり、
本読んだり、映画見たりしてますかね。
あまり変わらないですね。
変わらないんですけど、世間様がお休みなので、
私も休み気分を味わっているという感じです。
なんかすごい雨が降った日とかもあったので、
また天気のね、気温の上がり下がりが結構激しいなぁと思ってますけど、
今日はすごいお天気だったのでいい感じでした。
今日ね、お話ししたいのはですね、
休み中に行ってきた大吉原店の話です。
大吉原店の展示
大吉原店、東京芸大のですね、上野の展示スペースでやってますね。
多分6月までやってるので、まだ見に行けるかと思いますけれども、
これ始まる前からね、かなり炎上みたいな感じにニュースで取り上げられていました。
私もね、女性の体を売ってお金にするみたいなところを、
アート的に表現するっていうことがけしからんということで、
それをね、零産じゃないんですけど、そういう負の側面を見せずに、
すごくオシャレな文化の発展みたいな形で表すのはいかがなものかというご意見があったそうなんですよ。
多分それで、メインビジュアルとかキーコンセプトとか、
キービジュアルも変わって、変えたんじゃないかなと思いましてですね。
変わったっぽい。変わったんですよね。
その変わる前はあんまり見てなくて知らないんですけど、
変わった後に行ったので、そこまでね、違和感はなかったと言っていいのかなと思うんでございます。
まずですね、大雨の中行ったんで、ちょっとね、なんか気分もなんとなく晴れない感じではあったんですけれども、
最初入り口でご挨拶みたいなものがありまして、
この本店の学術顧問、田中裕子さんという方がですね、ご挨拶みたいなので文章が載ってるんですよね。
それだけ写真に撮れたんで、撮ってきたんで、今見てるんですけど、
一応参考までに読みますが、
本日皆様にこれからご覧いただく吉原の情景、そのにぎわい、華やかな年中行事、話し声や音楽、音と曲や、
歌が聞こえてくるかのような幽女たちの日々、その着物、かんざし、書、佇まい、失来などなどは、
すでにこの世に存在しません。そして二度と作られることはありません。
なぜなら、どれほど美しいものであったとしても、その根幹には女性への性の売買があったからです。
本展覧会の実施に関わる私たちは、女性への人権侵害を一切許しません。
人権侵害とは、一人の人間の全体から一部を切り離し、消費あるいは利用することです。
性の利用や売買はその最たるものです。
原始女性は太陽であった、という日本の女性運動の始まりの言葉は、
社会の中で男性と同様に働き、時に重要な地位を占めていた女性がいたことを示唆しています。
やがて権力や権威の道具にされるようになりましたが、それでも平安時代の女性たちには才能を発揮する機会がありました。
中世の女性たちも江戸時代の女性たちも、この展示に見られる優女たちのように知的好奇心に富み才能にあふれ、
能力を開花させる努力を惜しまず、人として毅然とした姿勢を持っていました。
にもかかわらず、優格においてその能力と努力は、家族のための前借り金と男性たちに身をうるうことによる返済の日々を前提にしていました。
これほどの文化の集積地と誕生の地が、なぜ生の売買という基盤の上に成り立っていたのでしょうか。
それなしではこのような時空は生まれなかったのでしょうか。
そのことは日本文化の抱える問題として考え続ければなりません。
江戸時代、女性の人権侵害の根底には、国家に組み込まれた家族制度の固定観念が潜んでいると考えられます。
私たちにも当たり前と思える様々な固定観念によって、人を差別し、その人権を侵害する可能性があります。
この展覧会を私たちは、吉原に生き亡くなっていった多くの女性たちの日々に思いを馳せることによって、
現代にも存在する女性の人権侵害をどうすればなくしていけるのか、熟考する機会にしたいと考えています。
本展学術顧問の方のメッセージと、主催者のメッセージが横に並んでいました。
そちらの方もですね、本展に吉原の制度を容認する意図はありません。
北方宇多摩路、葛飾北斎、宇多川広重など、日本美術を代表する絵師たちによって描かれた絵画作品を中心にして、
吉原の歴史、優女の教養、ファッションなどについてテーマごとにご紹介し、当時の美意識を探ります。
同時に作品に描かれた優女たちに寄り添いながら、制度の犠牲になった優女たちなしにはありえなかった吉原の文化と歴史を再考する機会として参ります。
みたいなね、メッセージも全部はちょっと読み上げないんですけどありましたね。
というような感じから始まって、ここに先ほど読み上げたように、
大体ですね、この北川宇多摩路、葛飾北斎、宇多川広重の浮世絵とか、それ系の絵画がほぼほぼ飾られていて、
吉原の情景であるとか日常とか、朝起きて、朝起きてじゃないな、朝起きてか、朝起きて、
昼からお店出て、休んで、もう一回夕方になってお客様迎えて、
深夜になってやっと眠いにつけるみたいな、そういう優女たちのですね、一日を表している作品なんかをですね、
持ち寄って、一日はこんな風に過ごされていたとかですね、そういった展示があったりとか、
大きな大きな絵画で、たくさんのね、吉原に働いたり来ている客とか、
桜が咲いてて植えられているよとかですね、そういったものが描かれている絵を、
これは例えば神室の子がいたりとか、やり手ババアがいたりとかですね、
お付きの人がいるみたいな、そういう、どんな風に、どういう人が描かれているのかっていうのが、
文字で付け足しされながらですね、展示されていたりとかするのが、
ワンフロアあって、もうワンフロアがですね、
そういう第三者が描いた作品ではなくて、その優女たちが作った、さっきもありましたけど書。
すごい綺麗な金文字で書かれている書とか、あとはそういう浮世絵系じゃなくてですね、
油絵なんかもあったりとか、あとは写真なんかもちょっとあったりする。
リアルな再現と不快感
最上階がですね、その中でテーマごとに、一人の男優をですね、モチーフにして何か特集があったりとかしている中の、
一番奥にですね、でっかいジオラマがあって、多分それがすごい見どころなんじゃないかなと思うんですけど、
吉原のですね、茶屋っていうのかな、がジオラマで再現されていて、
その中にですね、人形を作る人形師さんが作ったオイランとかラユーとか、その他諸々の人たちの人形が置かれていてですね、
それがかなり現実に近いような感じの配置とかされているようなのがあって、それがすごいね、見物っていう感じだったかなと思います。
そんな構成でした、ざっくり言うとね。
で、私がね何を思ったかっていうと、まず印象的な話でいくと、
そのジオラマはね、いろんな意味でね、ちょっとね、かなりリアリティがあって、ジオラマなんですけど、
何がね、うわーって思ったかっていうとね、
当然なんですけど、お部屋がたくさんあるんですよね、その1個の誘惑に。
それが、なんか障子だかふすまだかなんですけど、そんなんで仕切られてるわけじゃないですか。
っていうのがね、ありありとわかるので、ちょっとひどくないですか、それって。
よく大学の頃に合宿とかで行った雑魚寝するような旅館とかありますよね。
あんな感じの、当然ですけど、防音がなされてないわけですよね。
そんな環境で、本当になんかマッチ箱みたいな部屋がたくさんあって、非常にそれがリアリティがありまして、
あともう一つが、その1階がね、要はなんかショーウィンドウみたいになってるんですよね、今風に言うと。
で、格子がこうね、ある向こう側に、友女の人たちがね、座っているわけですよ。
なんか商品陳列エリアみたいな感じののが、まあよくわかるんですよね、そのジオラマを見ると。
絵ではちょっとなかなかわからないですね、そこが。
なので、それがね、もう見てて、改めてね、これはきついなと思ったんです。
まあいくらね、そのきらびやかな華やかな文化が生まれたとか、歌とかそういう芸妓さん的な歌とか踊りとか、
まあそういうのもあったんでしょうけど、で、そういうのが発展して、ね、なんかシャミセンとかもね、
芸能的なのが発展したのもあるんでしょうけどね、まあまあひどいもんですよね、本当。
なので、改めて、なんかきらびやかなものが発展したよっていうのをモチーフにしてたっぽいなと、私もちょっとなんとなくやっぱりわかって、
それはね、なんか違うんじゃないかなって思いましたし、
なんでその吉原というか優格が江戸時代に政府公認の下であったのかとか、なんでこんな女の人がたくさんいるのかとかね、
の解説があるにはあったんですけど、まあそれがね、非常に少ないかなと思って、
やっぱりなんか華やかさみたいなところとかに目が行くような展示になってるかなと。
なんかサロン文化とかも生まれましたみたいな感じでね。
それは事実そうなんだから、全然いいんですよ、言うのはいいんですけど、
なんかバランス的にやっぱ比重がちょっとね、実際の歴史の深掘りみたいなところにもうちょっと比重を分けてくれた方が、
よっぽどフラットな気持ちで歴史として受け止められるなと思ったんですけど、
なんかね、やっぱり不快感というか、絶望的ななんか救いのない、なんかその優女の方々のね、優女というかその女性の方々ですよ、
のやるせなさみたいなのが、なんかこう消えてる感じもしていてですね。
だってすごい、その一角、もうすごい人工的に作られたその一角はなんだかすごく華やかなんですよね。
桜も綺麗だし、江戸後期には捉えしたなんかランプとかね、街灯とかもなんか置かれたりして、なんだかすごく雰囲気のあるような感じがあって、
そういうのをCGとかで再現したビデオとかも流れていたんですけど、
いやそれはね、見に来てた人みんな感じてたと思うんですけどね。
一マスのやるせなさみたいな。
そこは企画者としては多分、そういうね、なんか違和感というか不快感みたいなのを心に残すっていう意味で、
女性の人権侵害への思考
改めて前書きにあったような、女性の人権侵害は一切認めませんみたいな、
そういった主張というか、まああの趣旨が、あの誘引されるものになっていたかなとは思うんですけどね。
まあまあ、何が正解かなんて別にないので、そういう企画展だったんだなってすごい思いますし、
なんかね、表現の自由とか言って言い始めると、それはそうですねということしか言えない。
ので、一マスの何度も言ってる不快感みたいなのが残ったことが、
私という一人のビジターに対しては、すごい成功だったんじゃないかなと思いますね。
私だったらもうちょいね、歴史的な背景とかをもうちょっと深掘りするかなと思ったので、
自分でも改めて考えてみたわけなんですけど、そもそもなぜ吉原が作られたのかという話なんですけどもね。
大きな要因は江戸城だということが、その展示では書かれていたんですね。
江戸城とかその他の大規模な工事には当然、屈強な労働力が必要なわけじゃないですか。
で、そのためにたくさんの男性が地方から江戸にやってきたと。
お金を稼いでね、新しい労働者会計みたいなのが出来上がったんですよね。
で、その人たちの娯楽とかストレス発散の場として、レジャー施設的な位置づけで作られましたみたいなことが一言。
それだけかな、書かれてたの。
前書きにあった家族制度が一つ大きな原因だみたいなことも書かれてたんですけど、
それもすごい説明不足ですよね。
舞妓の世界と家制度
家族制度というか家制度というかね、女性が普通の職業というか、要は働けないと、女性はね。
生まれたらその分、食費とか生活費かかる。
貧乏なお家とかは、要は働きに行ってお金稼いでこいと。
要は借金の前借りみたいな話もありましたけど、そのために売られていくわけですよね。
そういう時代だったっていうことで、女性の人権がないに等しいみたいなのは、もちろん、
カフ調整とか徳川家が統治しようとしたその日本のガバナンスの手段が家制度だったっていうこともありますよね。
普通に女性も働かせれば普通の稼ぎ手になるはずだと思うんですけど、
まだまだそういう職業自体がなかったのかもしれないですね。
それこそ腕力が必要な作業ができないわけですから、男性に頼らざるを得ないと。
でも、男性の慰めはすべきであるみたいな。
だから稼ぐんだったら誘拐。
というかもう、前払いで売られて、後は働くだけみたいな。
すべてを蝕まれていくだけだという感じだったと思うんですけどね。
だって吉原の外に出れないんですよ。
友情になったら。
身受けがされないと。
しかも、ほぼ稼げない。
人気のオイランとかになる以外は。
そういうのを合法化して徳川の時代300年ぐらいに渡ってずっと姿形を変えたりとか、
位置づけが変わってきたりもしたそうですけれども、
続いたっていうのはね、いやこれはね悲惨ですよ本当に。
許しがたいとか言ったってしょうがない話なんで。
当然そこから生まれてきたいろんな文化ももちろんあるでしょうけどね。
そういった歴史があったんだなということがよくわかる。
よくわかるというか、自分でいろいろ考えたりするきっかけになるものではありましたね。
まあ悲惨ですね本当。絶対悲惨だと思いますよ。
美化して映画とか作られたりね、すごい綺麗な感じで撮影されたりしていましたけど、
私もねその映画とか結構好きで見てましたけどね。
いやー多分ねめっちゃ悲惨ですよ本当。
っていうのもあの写真がね、実際の絵じゃなくて写真がちょこちょこあって、もちろん白黒なんですけど、
想像しているような感じでもないし、誰一人笑顔でね写真なんか写ってないしね。
それをね、なんかああいうねポップなキービジュアルにしちゃうのはね、
歴史を学び、幸福への道を模索
ちょっとねやっぱりいろいろ炎上しても仕方がないかなと思いますが、
まあああでもしないとなかなか関心を持ってもらえないっていうのもあるだろうし、
ああいう色めいたものはね、人間どこかしら好きなところがあるでしょうから、
まあ集客効果はあったんだと思いますし、そういうのを狙ったんだと思いますけどね。
すごくね人たくさん来てましたね。
まあ女性の方が多かったかな。男性もいましたけどね。
女性はね結構若い人もいたし、お年を召したおばあちゃんみたいな方もね、結構いましたね。
まあそういった歴史を積み重ねていき、いろいろ今に至ると、
最近あの朝トラでトラに翼っていうのがねめちゃくちゃ人気で、私も本当に面白くて見てますけど、
あれ戦前の話なんで、家族法とかねそういったものがGHQによって改革される前の話なんで、
完全にあれをよく見てもよくわかりますけど、
女性の権利なんてね、ないのが当たり前というか、
そういうもんだみたいなのの時代背景の中で弁護士を目指して頑張っていく女性の主人公ということで、
別に私フェミニストでもなんでもないんですけど、
ああいう歴史をね学んでいくのはすごい面白いし、
なんでこんな男性がね偉いみたいな風になってるのかっていうのをね、いろいろ紐解いていくとすごく面白いですね。
やっぱ家制度って日本独特のものなので、今でもねすっごい根強くいろんなところにありますし、
個人個人もね、別にそれ意識したことなくても、なんか家族っていうのがね、
良くも悪くも軸になっていて、家に入るとか、長男がどうのこうのとかね、いろいろまだありますよね。
良し悪しというわけじゃなくて、どういうふうに変化していったのかっていうのを考えるのはすごく面白いですね。
はい、というわけで、大吉原展に行ったというお話でございました。
なんかね、ジオラマは本当にね、見ていただきたいですね。
で、ジオラマだけ写真が ok だったので、ちょっとニュースレターに貼っておきます。
あんまりうまく撮れてないんですけどね。
あとそのジオラマに載っていた人形を作った辻村女三郎さんという方がですね、
残した言葉なのかな、そういうものもちょっと書いてあってですね、メモしてきたんですけど、
なんて書いてあったかというと、
人間は悲しみや苦しみにも華やかにその花を咲かせることができるのだから、人の生命とは尊いものである。
辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、冷酷なようだけれど、それらに耐えて生きている人たちのなんて美しいことだろうというですね、
そういうメッセージとともにですね、飾られておりますので、
その時代に生きている人はもうその時代に生きちゃっているのだから、
なんて言うんですかね、その社会を恨んでも仕方がなくて、どうにかこうにかつらい中にもですね、
その時代の中で見つけられるほんの小さな喜びとか楽しさとかね、
ちょっとでもあったらよかったけどなぁって思いますけど、
またはその諦めというかですね、
なんか生まれ持った自分のパーソナリティとか環境とか境遇とかを受け入れて、
それでも生きていくんだっていうようなしなやかな強さが大事なのかなと思います。
虎に翼とか光る君へとか見ていても、そういうのがね結構根底にあるなぁみたいなのが思いますね。
そうやってね、誰もが笑える、みんなが平等な社会というものをね、みんなで目指して、
ちょっとずつちょっとずついろんな人が努力をしてきて、その過渡期にあるということだと思います。
ずっと過渡期だと思うんですけど、今のこの時代性の中で、
じゃあ私はどう生きるかとか、何を楽しみにして生きていくかとか、何を社会に貢献していくかみたいなことは、
やっぱり自分なりに考えて活動をして、また次の世代にバトンタッチしていくっていうね、
そういうリレーのようなもので成り立っていますよね。
そういう流れみたいなものを感じることができる。
今回の大吉原展もそうだし、そういう作品がね、ずっと最近増えてるなぁと思って、いいなと思っております。
そういうのが目につくようになってる年なのかな。ちょっとよくわかんないですけどね。
はい、そういう感じでございました。
ゴーデンウィーク、あと2日しかない。2日しかないよ。
本当にね、皆様ちょっとでもね、有意義な何か発見とかできるといいなと願っております。
私もあともうちょっとね、いろいろ見たり吸収したりしようと思っております。
ではまた、いつかどこかで無限島の秘密をお会いしましょう。
あやこぴーでした。ありがとうございます。