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こんばんは、無限塔の秘密、アヤコPです。
2023年10月の6日、金曜日の真夜中です。
今日はですね、以前の無限塔の秘密のエピソードにお便りをいただきまして、
真面目な話のお便りをですね、いただきましたので、それをご紹介したいと思います。
機会格差の是正について
エピソードは何かというとですね、機会格差の是正についてのですね、エピソードです。
これは、ポッドキャストで言うと、63個目ですね。
はい、ちょっとね、私もドキドキしながら語ったので、ちょっと大丈夫かなとかね、ちょっと思いながら話したんですけど、
真面目な話としてですね、お便りいただきました。
機会格差を是正するっていうですね、そういうNPOがあって、それを知ったということから、
私が機会格差を是正するのが必ずしもいいことではないんじゃないかということをですね、語ったんですね。
なので、ちょっと63話目も聞いていただいて、こちらお便りをお読みしたいと思います。
無限塔ネーム金魚さんからですね。
格差は社会問題として確かに存在すると思うし、
あやこさんがおっしゃるように、ユダヤ人大量虐殺や大陸の侵略、奴隷制度、今も続く人種差別やジェンダー差別などなど、
ぺけぺけだから、というのを理由に全存在を全否定、
どころか人権さえ奪ってしまう人類の大いなる過ちはもちろん許されるものではないけれど、
親がちゃなどの言葉に現れるように、
ぺけぺけだからどうせぺけぺけだ、というような諦めと言い訳、
つまり過去現在未来を否定してしまうことは、自分が持っている可能性への冒涜だなぁと感じます。
もちろんいろんな状況の方々がいらっしゃるし、私なんぞは至って平和で平凡な家庭で育ったので、
お前はいいだろうよと言われてしまうかもしれませんが、
苦しみも幸せもマンダラのように相対的なもので、どこかで線を引くかで幸せにも不幸にもなるし、
じゃあどうするかといえば、ぺけぺけにも関わらず私はこう生きる、という存在への勇気しかないんじゃないかと感じる日々です。
The Courage to Be 存在への勇気という本をまさに今読んでいるのですが、
てかまだ10分の1くらいしか読んでないんですが、
あらゆる苦しみにも関わらず、それに抗って自らの本質的存在を肯定することは魂の喜びを生み出す。
その喜びは欲望が充足されたことによる喜びではなく、すべて偶然的なことを超えて報じされる喜びである。
偶然的な諸要素の妨げにこうしながら、自らの本質的存在を肯定すること。
なんかもうどんなレイヤーの妨げであってもそれしかないし、自分を選んで生まれてきたからには常に超えていくことは可能なんだと、
そんなことをエピソードを聞いて改めて思いました。
またストーカーのようにロングお便り失礼しました。
金魚さん、どうもありがとうございます。
金魚さんのお便り、いつも言葉が美しくて、非常に勉強させられるというか、むちゃくちゃ上手いですよね、文章がね。
本当ありがとうございます。賛同というか、方向性としては合意をいただいたのかなと思ったりしていますね。
いいですね、この本。The Courage to be 存在への勇気。
勇気を持つことの重要性
差別をなくそうとかね。
なんで差別というものが起こるんだろうということを、私ちょっと対話会というのをですね、開いていた時期がありまして、今もたまに同じようなものをですね。
同じようなテーマで、ちょっと対話会ではないんですけれども、ちょっと何か講演を手伝ったりということもしたりはするんです。
差別とか区別、差別と区別は違うよねとかですね。
差別を起こしているのは、結局その人の存在が差別的というか、違うものとかっていうような、そういうくくりを作っているのはやっぱり人間であって、人間社会であって、
社会がですね、そういう差を生きにくくさせているっていう、差があることで生きにくくさせているのが、社会なんですよね。
誰しもが生きやすい社会であるべきですけれども、そういった形で、自分に与えられた何かしらの違いというものは、もう誰しも思っているじゃないですか。
マジョリティ・マイノリティっていうような言葉がありますけど、見方を変えるとみんなマイノリティなんですよね。当たり前ですけどね。
それが、マイノリティ、一人一人のマイノリティであったとしても、社会の大多数の方に、いけるマイノリティといけないマイノリティがあって、
いけるいけないっていうのも、勝手に権力を持っている人たちとかが作り出している、そういう社会構造なわけですよね、今。
それは良くないと。もちろん良くないんだけれども、それが相番、解決するわけでもないので、
だとすると、やはり勇気を持っていくと。自分の存在に勇気を持つっていうことを、金魚さんが言ってくれているわけですよ。
なんか非常に、勇気づけられる言葉だなぁと思ったりしました。
なんか久しぶりにちょっと真面目な話なんで、ちょっと調子が狂っておるんですけれども、
教育現場の課題
この間まで、9月までやってたNHKの朝ドラのランマンってやつ、私もすごい大好きで、
今はね、ちょっと新しい朝ドラが始まっていて、私は全くもう見てないんですけど、
そのランマンのね、主人公の牧野万太郎氏がですね、世の中に雑草っていう草はないんです、ということを言ってたんですよね。
なので彼は、すべての植物に名前をつけるということにものすごくこだわったんですよ。
もちろん分類をして、これは何々花、何々木みたいな、そういう分類をしていくということもやっていて、
植物分類学っていうの草分けなわけなんですけど、分類をしたいというよりは、名前をつけたかったんじゃないかなと思うんですよね。
一個一個の草に。
雑草っていう形で乱暴に、本当に名前もないような、見るに値しないようなものじゃないんだということを、彼は言いたくて、おそらく。
なんか今の時代にああいうドラマがものすごく人気になったっていうのは、何かそういう、もちろん雑草というものを、雑草じゃないや、草花っていうものをモチーフにして、
名前をつけることにとにかく執念を持っていた牧野万太郎っていう人の生き様とかに、みんながですね、共感したっていうか感動を覚えたんだと思うんですよね。
それって先人がね、過去の先人が、取るに足らないものを一個一個、めでて愛しいと思って、大事にしてきたっていうことのその営みに、今の時代の私たちがすごく感動を覚えたっていう。
そのですね、何か、現代の人たちに訴えるものが多分あったんだろうなってすごく思うので、もう昔からみんなわかってることなんだと思うんですけどね。
本当に昔からそういうこと、そういうなんか格差とかに抗ってきたわけで、何かそれがまだまだ続いている。続いてるんだけれども、格差がある、差別があるっていう世の中なんだけど、そこに一人一人が勇気を持って立ち向かって自分の生き様を作っていくっていう。
そういうもんなんじゃないかなっていうのを、この金魚さんのお便りを通じてまた改めて思いましたね。
何か何か何なんでしょうね。だから、ないものねだりをしたりとか、誰かに憧れたりとか、いろいろしますけど、そこ憧れるのは全然いいというか、憧れるのをやめましょうっていう大谷翔平の言葉がありましたが、
憧れるのをやめましょうでもいいんですよ。でもその憧れとか、そういう嫉妬とか羨ましいっていう気持ちとか悔しいとか、そういうのが自分を作っていくっていうことだと思うのですが、これは結構私の考え方は古いのかな。
わかんないですけど。
なんかね、こう、ありのままでいいみたいな話があって、私も子ども会議でいろんな子どもさんを見てきている中でですね、まあ難しいですよ。本当にいろんな子がいるので。
なんか急に話変わりますけどね。なんか教育現場とかもすごい大変だと思うんですよ。なんか私たちが小学校とか中学校とか、もう何年前だって感じなので、ですけど、昔は本当にありのままでいいなんていうことがね、一切言われない時代だったので。
何か一つの成功モデルがあって、なんとなくね、あって、そこに向かって努力をせよという時代だったわけですね。今もそれ続いてますよね。
なんかね、受験とかみんなするし、都心の人たちとか、いい学校に行こうとするし。なんか意思があるのかないのか、本人にないままにね、こう導いてあげたりとかしてるけど、まあまあそういう親のもとに生まれたんだったら、まあそういうことなんですよね。
それで、そういうことに対してどうするかっていう、自分が。本当にね、いろんな子がいるので、なんかね、いろんな子をありのままでいいよって、そのまま伸び伸びしてくれっていうのも、なんかね、やっぱ現場に降りると結構難しいんですよ。
なんか私もね、ついついね、なんか嫌だったその先生。なんか強制的にいろいろと、なんかおとなしくさせたりする先生みたいになっちゃう。なっちゃうっていうか、なってないんだけど、そうしたくなる気持ちもよくわかるっていうかね。
教育の在り方と勉強不足
なんか一個の物事仕上げようとかした時に、もう本当にカオスな状態だと、なんかやっぱりそうやってね、ちょっとリーダーシップ発揮したくなっちゃうんですよね。私がね。こっちに来いみたいな。こっちだ、あっちだみたいなね。なっちゃうんで、まあ先生たちの気持ちもよくわかる。
あるんですよ。だから、教育の在り方とか、なんか子供に接する大人たちの在り方って、ものすごい勉強不足なんだろうなって思うんですよね。
だしまあ、たぶん今はまだ正解がないというか、まあいろんなね、その通常の教育じゃない教育の在り方とかね、すごい流行ったりしてますけどね。モンテス・ソーリー教育とかあるじゃないですか、なんかそういうのありますけど。
全員が全員それでいいかというと、そういうわけでもないような気もしますしね。それで、あの才能が伸びたり、いい方向っていうか、その人の持つなんか使命みたいなところがね。
使命って言ったら大げさだけど、なんだろう、興味のあることにどんどんどんどん邁進できるような、なんかそういう環境を与えることがいい場合もあるし、みんなと共同して一個のものを、大きなものを作り上げるっていうそういうチームプレイみたいなことも絶対に大事だと思うんですよね。
だからそれ、向き不向きがやっぱりあるから、ね、向き不向きがあるからね、チームプレイをじゃあしようっていう時に、本当にこう、自分本位とかだと、もうまとまらない、まとまらない、まとまらない?
作り上げることが難しかったり、難しくないかもしれないけど、それをファシリテイトする大人たちの能力が足りないっていうね。私は足りないと自分で思いますけど、なんかそういうのあるよなと思って、まだまだ社会が成熟とはいえ、見方によってはものすごい未成熟だなというふうに思いました。
とはいえ、与えられた環境で、とにかくね、自分のこう、自分がこう、何だろうな、望んでない環境、いろいろあると思いますけど、それを踏まえてどうするかっていうね、どう行動するかみたいなのに、目を向けていった方がすごく健全ですね。
今日もですね、仕事で、とあるクライアントさんの中に入ってお仕事してる中で、すごく小さな会社だったのに、どんどんどんどんやっぱり事業を大きくしようとしていくと、人も増やさなきゃいけなかったり、組織を組織立て作らなきゃいけないとかね、なっていくと、他のチームのことがやっぱり見えなくなっていったり、
自分たちの課題を解決しようとしてるんだけど、どうしても他のチームがとあることをやってくれてないから、こっちの方がうまくいかないとかって言ってね、やっぱりね、もちろんそれもね、芯なりなんですよ。
あっちのチームがもうちょっとここやってくれると、うちのチームのここがうまくいくのにみたいな、出てくるんですよね。
で、それ私も全職でもう死ぬほど自分が思ったんで、あのチームがどうのこのってね、なんだかんだ言ってね、他の人のせいにしたくなっちゃう。
意識してなくてもそんなつもりないんだけど、どうしても目がそういうふうに行きがちだなってね、今でもすごく思うんですよね、自分でも。
現場を大事にすることの重要性
なので、今日はね、その一緒に仕事してる人が、いやなんか他のチームのせいにしたくないし、自分たちでできることをしたいんだっていう一言を言ってね、はっと気づいたんですけど、
なんか全体感を見ると、例えば私が手伝ってるチームがBチームだとして、Aチームがやっぱり課題だと、問題があるっていうふうになるんだけど、
AチームはAチームでそれなりにやってると。なんかサボってるわけじゃ全然ないわけで、じゃあBチームはBチームでできることを精一杯やるだけだと。
で、その全体をね、調整したり、課題解決したりするのはまた別の役割の人がいるので。
っていうね、なんかなんだろうな、いやでもこれ言うとすごい近視眼的というか視野が狭いとか、視座が低いみたいなふうにね、マネジメントの話だとなるんですけど、
自分がそのマネージャーという立場でもない中では、低減はするけど、まあ置かれたところで精一杯するだけっていう、そういうことも同時にありますよね。
全体観見つつも、やるべきはもう自分の足元みたいな、本当に下手すると評論家みたいになっちゃうから、そうじゃなくて現場を大事にすると、
自分の置かれた環境で自分をどうするか、自分たちの仕事をどうするかっていうことに集中するっていうことをね、その人の発言で結構気づいたりして、いいなと思ったりしました。
えーと、ちょっとねまとまりのない話になってしまいましたけど、今日は10月6日の無限等の秘密でございました。
明日は10月7日、えーと明日が三連休ですね。ちょっとね月曜日仕事、間に合わなくて仕事が入っちゃったんだけど、三連休皆さん楽しんでください。
私はですね、えーと明日はライブですね。ライブに行きます。近所の横浜で行ってきますということで、
ニュースレターに宇野田が書いたルナシーさんがですね、再録したものを引っさげてアリーナでツアーをするということで、楽しんでこようと思います。
はい、では皆さんも良い週末をお過ごしください。無限等の秘密、綾子Pでした。