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これをお聞きのMoさんにもやってもらいたいですね。
なんかちゃんと話してるから、もはやもう公開して欲しくなってきた。
公開して欲しくなってきましたね。
素晴らしいわ。
いろんなポッドキャストのノウハウがたまってはいて、
そういうのを風靡を通してもんですし、
こういうリスナーさんたちにも伝えていけたらいいんだろうなと思っている。
最近ですね。
さっきのコミュニティを作ってくれる人が現れましたと同じように、
先生になってくれる人が現れたり、
それこそ株式会社でサポートしてくれる人が現れたり、
何て言うんだろう、呼び寄せてる。
誰が何を?
必要な時に必要な人が引力に惹かれて集まってきてるみたいな感じもあるのかなと思って。
それは僕らのティーチャーティーチャー2ですか?
多分。
だって先生はいるかもしれないけど、
コミュニティやりましょうよって言ってくれる人ってなかなかフラッとこない気がする。
そうですね。たまたまなんですよ、本当に。
なんですけど、あえて論理立てて言えるのかな?
論理立てて言うと自分がそれを狙ってやったみたいな感じで超おこかましくなっちゃうんで。
偶然起きたことを今俯瞰してみて、
皆さんが応用できるのはこうなのかなみたいな視点で話すと、
何なんだろう?
問い合わせてくれたリスナーさんとか、
意見をくれたリスナーさんと、
はるかと僕とその方でZoomで話すとか、
っていうのは知ってたんですよ。
スポンサーになってくれましたっていう方が、
スポンサーの方がこういうことを今までやってきてて、
こういう風なことだったら力になれるかもですとか、
そこまではなくても経歴だけ教えてくれたりとかってあるんですけど、
そういう時に結構お話させていただくようにしてて、
3人で。
3人でもだし、僕とその方だったり。
最近も村の方とかがそうだったり。
なので結構本当にスポンサーになってくださった方がやりたいことで、
実際やって楽しいことを一緒に考えようみたいなスタンスを
結構持ってると思うんですよね。
それがいいのかなっていう、
そんな狙ってやってたわけじゃないですし、
狙ってやってたのかな?
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狙ってやってたわけじゃないと思うんですけど、
自分たちにやりたいことがあるっていう前提があって、
そこにちょっとでも興味を持ってくれた方と、
一回話してできそうな、
お互いウィンウィンになるポイントで何かできないですかねっていう
スタンスを持っているっていうのがあるかもしれないです。
それで最近だとかなり小さいこと、
僕にとっては大きいんですけど、
東京でいろいろビジネスとしていろんなことやってきたけど、
今は直近は関われないかなってなった人が、
東京で交流会開く、オフ会開く、
それで一回銀座で交流会開いてくれて、
そこに僕ももちろん行ってとかっていう、
いろんなことができる、関わりたいって思ってくれるポイントがあるので、
そこを一緒に探すみたいなことをやってますね。
すごい分かってきたのが、
ポッドキャストの作りもすごく難しいんですよね。
ポッドキャストの作りもすごく難しいんですよね。
すごい分かってきたのが、
ポッドキャストの作りもすごく丁寧じゃないですか。
きっと作って放送した先にはこんな人がいて、
もしかしたら傷ついちゃうかもしれないってことを、
なるべくなくしていくっていう丁寧さを常に持っていますよと。
スポンサーさん、サポーターさん、リスナーさんに関しても、
ただの数字とかお金をくれる人とかじゃなくて、
一人一人の顔があって、性格があって、
特性、得意なこと、才能みたいなのがあって、
一人一人とちゃんと向き合ってるって感じがしますよね。
きっと番組もそうだし、
みんなに話しかけてるわけじゃなくて、
きっと聞いてくれるあなたの未来に話しかけてくれてるし、
コミュニティに関してもそうなのかもな。
丁寧。丁寧な人たち。
当たり前っつったら当たり前なのかな?分かんなくなってきたな。
全然丁寧じゃないこと多いですけどね。
意識してる一個ではありますね、もちろん。
前提として、
僕は人、
遥かから影響を受けてることも相当あるんですけど、
この一個人が楽しく力を発揮できる場所があるっていうのを結構強く思ってるんですよね。
どんな人にでも。
一個人が力を発揮できる場所は必ずどこかにあるってこと?
どんだけその人が今の環境にマッチしてなかったり、
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僕らがこれやってってオーダーしたことをできなかったりとかしても、
絶対その人が楽しく力をちゃんと発揮できる場所があるっていうのを結構思ってるっていうのがあるんですよ。
これは僕個人の生き方的なものなんですけど。
なんでそこに向き合いたいって結構思うんですよね。
これはなんか最近思いましたね、すごい。
これ思った背景もいろいろありますが。
こんな話もしていいのかな?いいんすかね?
いいんすか?分かんないけど。誰か聞いてるけど分かんないけど。
自分が力を発揮できない環境、発揮できる環境。
結構僕はこの大学生の時から8年もっとか10年くらいか、
ずっとどっちも経験してきたんで。
それちょっと聞きたい。
僕の場合ありがたいことにこのポッドキャストとかストリートダンスでも結構いろんな
ダンスなんだ。
全国大会とか結構やってたりして、
自分に活躍できる、自分がエネルギー出せる場所はあったんですよ。
でも一方で全然ダメダメな人っていうポジションのコミュニティもあったんですよね。
それは割と分かりやすいところで言うと、
一生社員とかっていうので、一生社員として働く中で全然力発揮できないみたいな場面もありますし、
研究とか、学校じゃない研究だとちょっとでも興味なかったらできないところもありますし、
結構それはこのティーチャーティーチャーやる中でもティーチャーティーチャーの中で、
この領域は全然やっぱりできない、興味湧かないしできないとかもあるんですよね。
いろんなところで自分の、自分という人格の評価が、
自分の評価が外によって大幅に変わるっていう経験をしすぎた感じがあって、
そう思うと、結局どんな人にでも活躍できることがあるんだなっていうのは結構思っているところがあるんですよ。
っていうのが、自分はそうだったらいいよなっていうことがその話なんですけど、
もう一個、普通に人が活躍できるとか人が楽しい、変なストレスがかからないみたいな環境を作っていくことが、
自分にとってもすごい合理的だなって思うんですよね。
それは、例えばAさんが会社でこの環境で活躍できないから、できない人だって扱うとして、
じゃあこのAさんが別の環境で才能を発揮して輝いたときに、
僕らが、もともといた会社の僕らがこのAさんはダメな人だって扱うと、
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Aさんが他の場所で輝いたときに自分たちに対して何か恩を返してくれるとかって思えないんですよね。
でも、このAさんの才能をどこだったら輝けるかなっていうのを一緒に探して、
結果別の団体に転職したりとかするかもしれないですけど、
そこの才能を一緒に考えられた人たちには、
多分そのAさんがどんだけ力がついても、
頭の片隅にはいつか何かできたらいいなって思ってくれるっていうのは思ってて、
何言ってるかわからなくなったかもしれないですけど、
結果、人に対して輝ける環境とか、その人が力をはっきり生きることを提供するっていうことは、
将来的に自分に返ってくるんだなっていうのを、
その人がどこかで活躍したとき、
別にこれは10年後になるかも20年後になるかも活躍できなくても別にいいんですけど、
そのスタンスで人に接していくっていうことが自分にとって合理的だなっていうのをすごい感じるんですよ。
だから、一人一人に向き合おうって思う。
なるほどね。
やっぱりそもそも自分があるわけですよね。
もうちょっとすごい聞きたいのが、
自分の才能ってどこにあると思います?
できることとできないことのうちのできること。
ついついやっちゃうことみたいな。
タカチンさんのですね。
大好きなタカチンさんの。
そうですね。
最近の生活を思い返して思うのは、
どうやったら身の回りの社会とかが良くなるのかなとずっと考えちゃいますね。
そこが才能なんだろうなとは思いますね。
得意とは思わないですけど。
社会じゃなくて周りの、それは社会とかじゃなくてチームとか、ダンスのチームとかっていう人のことを結構優先に考えるみたいなことですか?
というよりは社会ですね。
社会なんだ。
社会に対して自分と自分が所属しているティーチャーティーチャーとかポトキャスト制作のフービーとかが何ができるかっていうのをずっと考えちゃう。
そのためにいろんなことを知りたいっていう頭でずっとオーディブル聴いてるとかがあるんですよ。
昔から?若い頃っていうか学生さんの頃から?
これは最近です。
前提として本気でやりたいと思ったことにボッとしちゃうみたいなのが基本スタンスとしてあって。
ダンスの時だったらダンス自分が上手くなるためにどうしたらいいかっていうのを常に考えちゃうみたいな。
どうやったらダンス、体の動き良くなるかなとかずっと考えるみたいな。
受験時だと受験勉強も。
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それがたまたま今は社会に向いてるっていうだけ。
それでいうと基本スタンスはそういう自分の信じたことを通して考えたりやったりしちゃうみたいなことがあって、
今はそれが社会のこと、自分が何ができるかなみたいなことをずっと考えますね。
もちろん仕事としてもやってるので、普通に生活にも直結してますし、
社会にとってどういうポイントにどういうふうに寄与できるかっていうのが分かんないと仕事もできないんです。
それでもう正社員とか苦労するんですけど。
株式会社の正社員は基本的にはお金を稼いでもらうっていう存在だと思うので、
お金を稼いでもらうためにどうするかっていうのを一番に持ってきてほしいって上司なり取締役は思うから、
社会のことはちょっと後回しにしてくれませんかってフェーズ結構あると思う。
そうなんですよね。それでたまたまいろんな偶然でポッドキャストとか伸びたりして、
やっと適合できる環境を見つけたなって。
このティーチャーティーチャーの人種だと、社会のことを考えることがみんなにとってもいいし会社にとってもいいってなるので、
それの才能がいいことであるって思ってくれるじゃないですか。
それが今たまたまそこに巡り合えた感じです。
じゃあもう一段深く。
社会のことっていうのは、じゃあ社会のことをもうちょっと具体的に言いましょうか。
社会のことってどういうこと?
社会をハッピーにしたいとか、正しい形にしたいとかって言うとどうですか?
僕はそこもすごいいろいろ悩んだんですよ。
結局自分が社会のことを考えようって日々なるけど、何から考えればいいのかみたいな。
すごい迷ってきたんですよね。
それが困ってる人が、例えば困ってる人がどうやったら楽になるかみたいな視点でも考えることもあったりしたし、
したんですけど、今どこに落ち着いてるかって言うと、
今どこに落ち着いてるかで言うと、
社会のことを考えようってなった時に何を考えるかですよね。
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今は自分の蓄積されてきた資産、スキル、人脈が社会のどこに役立つかなですね。
なるほど。
それはポッドキャストを作るっていうことかもしれないし、
ティーチャーティーチャーで告知するっていうことかもしれないし、
このフリースクールコンコンによって救われる人たちみたいな。
自分の持っているスキルとか資産が徐々に今増えている感覚はあるんですね。
それを使ってできることって何だろうっていう視点でいろんな情報を見ているかもしれないなって思いました。
具体的にこういう社会にしたいからみたいなのはプロジェクトベースでは全部あるんですけど、
自分の人生、生き方としてはそこは別に定めてないっていう感じです。
じゃあ自分が得てきたコンテンツとかスキルっていうのが社会とつながって、
社会がより良くなっていくっていうような動きのイメージがあるわけですね。
はい。
じゃあ社会が良くなる話をしたから、悪くなるってどういうこと?どうなっちゃったら悪くなっちゃう?
違うんだけどなって思う社会ってどういう?
いや難しいですね。これを昔は定義してたんですけど、
それこそ結構資本主義のことを、ポスト資本主義の方を好んでたりもしたし、
今でも結構その思想もあったりするんですけど、
自分がその社会の良し悪しを決めることにも結構おこがましさを感じてたりもして、
もちろん知識としてはいろいろ知りたいんですけど、
それがどうなんだろうって思うと、結局僕は人が育つみたいなことが今は良いと思うんですよね。
思っている。それは何でだろう?
いろいろあるんですよね。例えば地域がもっとつながり強くなって、
高齢者とかが元気に暮らせるとか、もっと相互扶助の関係ができるみたいな。
こういうのを目指したい。確かに一個そういう思想もあるんですよね。
でもそれをやろうと思った時にプロジェクトとしては、
自分が完全にそれにその社会を作りたいと思って、
自分の中で固定されたビジョンではないっていう感じなんですよね。
そういうのに関しては。
これは何の、ちょっと一旦もうリスナーさんいないと思って言いますけど、
なんで良し悪しをどう判断するかですよね。
ちょっと具体に落とし込んでみます。
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具体的には不登校の子が29万人、30万弱いるじゃないですか。
いい視点ですね。
そもそも不登校っていう言葉がどうなんていうのはありつつ、
でも子どもたちがあいつらダメだなって思われている状態って
良くない社会じゃないですか。
でもそういうニュースを聞いて、
良くないな、なんとかなればいいなって思う人がほとんどなわけですよ。
思うだけの人。
良くないよね、みたいな。
社会ちょっと変わっちゃったね、みたいな。
文科省何とかしてくれないかな、とか。
っていうのはほとんどだと思う。
でもそれを、
時間と投資しているわけですよね、スキルと。
それはなぜ?
これはたまたまであったからなんですよね。
僕も環境問題の問題を見て、アクションできるかどうか、
そういう意味で、
たまたま自分の持っているポッドキャストを作るとか、
その業界の構造を考えてプロジェクトにしていくとか、
っていうのがたまたま自分にできることだったんで、
それが遥かの人と噛み合って、
これは自分ができることだと思って関わってる、みたいな感じで。
自分ができることだと思って関わってる、みたいな感じで。
これは自分ができることだと思って関わってる、みたいな感じなので。
あくまでやっぱり、自分ができることで、
この目の前とか社会が困っていることに、
本当にこれをやれると意味ありそうだなって思えるかどうかっていうのが、
思えたから関わってるっていう感じですね。
自分のスキルがきっと活かせるなっていう。
僕最近すごい聞いて好きな言葉で、
エフェクチュエーションっていう、ご存知ですか?
本ありますね。
こういうぐるぐるの。
お聞きになっているもさんにちょっと解説するんですけど、
エフェクチュエーションの反対語としては、
コーゼーションって言葉がありまして、
ほとんどの株式会社はそうで、
しっかりとした売上目標、数値目標みたいなのがあって、
そこに行き着くために、
どんなプランを立てて近づいていくかっていうのが、
コーゼーションって考え方。
一方でエフェクチュエーションっていうのは、
そもそも持っている自分のスキルっていうのを、
自分ってなんだろうっていうのをきっちり分析していって、
手中の鳥の法則っていうんですけど、
自分自身っていうのを分析していった中で、
じゃあ何ができるかなと、
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出会った人、誰とできるかなっていう風になって、
次はクレイジーキルトの法則っていう、
出会った人、できることと合わせていって、
思っても見なかったようなものを作り出していく。
インパクトを残していく。
それこそが今までのイノベーターの考え方だったんだ、
っていうようなことですね。
聞いていると、
っていうことかなって。
ああ、僕はその本を読んだ時に、
この考え方を基準にしてるなとは思いました。
結構思いましたね、それは。
だからやっぱりリスナーさん、
スポンサーさん、サポーターさんか、
サポーターさんと会った時も、
悪い言葉で言うと、
使えそうだなってなるかもしれないし、
いい言葉で言うと、
仲間としてできんじゃんっていう、
フラットな目で見れるっていうか、
エフェクチュエーション野郎なんだなっていう。
なるほど。
そうか。
そうですね、なんか本気でやろうと思った時に、
エフェクチュエーションの考え方でやることは多いんですよね。
今できること、
目の前のちょっとワクワクすることで、
まずできる人たちでやってみて、
そっからまたできること、
資産が増えた時に、
また新しいこと、
その人たちとやってっていう、
どんどんやれることが増えていく感じ。
まさにはるかとずっとそれをやってきたんですけど、
そのスタンスで言いますね、結構。
だからコンコンだって、
3ヶ月後、半年後、
全然違うかもしれないってことを、
2人とも同士としてるわけですよね。
なんなら、
完全に考えがいろいろ変わって、
もう僕がやりたくないとか、
はるかがやりたくないってなることも、
許容しながらずっと話し合ってます。
相互理解大事だなと思って。
っていう人には、
フラッと風の人が現れた時に、
一緒にやりましょうよって言いやすいですよね。
もうゴールはこれで、
この計画でやってますってなると、
フラッと来た人の入る余地がないわけじゃないですか。
はいはいみたいな。
頑張ってますんで、はいはいみたいな感じになっちゃうけど、
そのスキルいいっすねみたいな。
なんかもっと大きくなっちゃいますねみたいな。
感じに捉えられるかもしれないですね。
それがあるのか。
それで純木さんとかが、
ディスコードやってもらった時に、
うん。
あざーっすって言って、
はいはいやりましょやりましょっていうのができちゃう。
余地があるのかもしれない。
気づけてなかったです。
そういうことか。
なるほど、やっぱり、
まあ多分、あれですね。
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いろんな目標を立ててやろうとしてきたことが、
うまくいかなかったり、
うまくいって目標がアップデートされたりっていうのを、
まあ経験してきたからそうなった感じもやっぱありますね。
面白い。
エレクチュエーションだとか、
ちょっともう一回本読み直します。
5つの法則が確かになって。
実は今日持ってきて。
ぜひそれちょっと皆さん読んでいただいて、
僕も読み直そう。
面白い。
じゃあティーチャーティーチャー、
はるかさんひとしさんは、
エレクチュエーション野郎だったということで、
一部は一旦よろしいですかね。
じゃあ次はももさんが来たら、
また撮りましょう。
どうなんだろう、ももさんこれ流してくれるのかな。
ぜひ。
誰が聞いてるかわかりませんが、
ありがとうございました。
でもこれなんかちょっと、
皆さん、
はるかに聞いてほしいかな。
樋口塾コミュニティぐらいだったらいいかな。
ティーチャーティーチャーのコミュニティにも、
もしももさんが配信してくれたら、
告知しようかな。
ぜひお願いします。
村の方々、初めまして。
曽根です。ありがとうございました。
それではさよなら。
さよなら。
ありがとうございました。