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2024-07-28 21:26

耳毒【サトリの学講】 #19 量子力学とサトリが似ている話

学んで知った、私がしていた「悟り」に対する勘違いを話しています。

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00:11
みやけん🌋パッチマンガアートでお馴染みのです。今回の話題は、耳毒【サトリの学講】
日曜日なので、好きなことを喋ってもいい日という理解をしております。
普段はイラスト講師、クリエイターとして活動している、私、みやけんですが、
時々趣味で、かつて勉強していたスピっぽい話をするという自己満足の企画でございます。
先週からですね、この手の話題がちょっと沸騰していたというのもありまして、
今日もね、今回もサトリの学講をやってみようかなという感じで収録を始めております。
サトリとかね、お釈迦様のサトリの教示みたいなのがありますけど、聞きますけど、
それって一体何なの?っていうのを自分なりに勉強して、こういうものだっていうのがある程度わかったので、
それをね、自分の言葉として、こうらしいですよということでお話しているところです。
今日はですね、量子力学の話をしようと思います。
力さんとね、先週ずっと議論という感じでやりとりした中で、最終的に量子力学とサトリの世界教治ということでお釈迦様が語ったことが、
僕の中では同じことだなって思ったっていう話をしていきたいな、していきますよって力さんにも言ったところだったので、
そういうことをね、しゃべっていこうかなって感じですね。
まずは量子力学に、それに伴ってまずは量子力学について一回まとめてみようということで今日は話してみます。
とはいえね、あくまで僕も別に物理学者じゃないし、専門的に習ったわけでもなく、主にyoutubeで習った内容になりますので、
まあでもね、今調べればすごく出てくるんでね、そういうのを解説するのがね。
だから家庭の医学程度の知識だと思ってください。僕もね、あくまでもね。
それを前提とおいた上で、ちょっと話をしてみたいと思います。
量子っていうのは、そもそもね、僕ら世代にもよるんでしょうけど、科学の世界でね、物質の最小単位っていうのがありましたでしょ。
03:09
あらゆる物質は、何個?200何個だっけ?忘れたけど、水平、リーベ、僕の船みたいな元素というものが組み合わさってH2OとかCO2とかね、
いうので、このCO2だったら酸素とかH2Oだったら水とかね、
それは分解すると、水素原子2つと酸素原子1つが結びついたものですとかね。
あれ?合ってる?まあまあその程度のものなんですけど、僕もね。
で、その元素っていうものを詳しく見ていくと、中心に原子があってその周りを電子が回ってますよみたいなね。
僕らが学生の中学校の頃とかは、これぐらいが最小単位だったんですけど、その研究が進んでいく中で、
もっともっと最小いくと中性子とか、なんちゃらーっつって出てきて、まあ言えばそういうミクロの世界、物質の最小をずっと探っていったら、
最終的には何だろうな、物質というよりはなんか
量子、なんか量子というものに、だーっていうのが今の最先端の科学ですよみたいな、そんなような話ですね。
なんかいろいろやっぱ定義とかを気をつけようと思うとうまくしゃべれないですね。まあでも僕も理解がざっくりなんで。
で一番理解として面白かったなと思うのは、要はよくよく見ていくとなんかもはや物質とは呼べなくて、それは単なる波だと。
波動であるぞと、どうやら波動みたいだぞっていうところまで行き着いているぞっていう話をね、聞いているんです。
だから何だろう、物と物が触れているってどういう状態とかね、いうのをそのミクロ、超ミクロのレベルでいくと、波動と波動が重なり合ってどうのこうのみたいな、そういう話になるっつうんですよ。
で、えーとねー、
どうしようかな、そうね、じゃあスピリチュアルの世界からこの波動っていうのを見ると、
まあ悟りの境地の世界からって言えばいいのかな。僕が一番納得した解説は、
06:02
物質っていうのはこの波動というね、まあ波動っていうのは量子でね、量子理学では言うけども、
まあスピリチュアル的には波動で、科学的には量子だとして、
要は両方で言いたいことは、要はエネルギーそのものだっていうね、ところですよね。
エネルギーそのものは波みたいな性質を持っているっていうのは、多分両方の共通する理解になってくると思うんです。
って思ったんです、僕はね。
で、このスピリチュアル的にはこの波動の揺らぎが重なったところ、まあ言えば波と波がこう重なり合って頂点が大きくなるみたいなね、突出する。
その突出した部分が物質であったりとか、
あれはですね、そういう物質に限らず思考であったりとか、
精神的なものもこのエネルギーの波が重なり合って突出した部分、それがパッとその瞬間あなたの思考だったり、私の思考だったりする。
そういう意味でこの意識とか思考とか、あるいはこのオーラとか、発する雰囲気とか、
例とか、そういうものもエネルギーが重なって突出した時にあるセンサーが聞いた人がそれを感じ取ったりする、そういうものだみたいなね。
だからエネルギーを感じている人とかね、例を見える人とか、オーラが見える人っていうのはまあそのセンサーの捉え方と、
あとその本人が感じた感じ方、あるいは実際に見えた見え方によって言い方が変わるんだろうなっていうのも、なんか僕の中では納得だったんですよね。
センサーは人によって違うし、脳を通した解釈も人によって変わるんで、
エネルギーのこの揺らぎの突出部分を感じた時に、それが目に例という形で見える人もいれば、オーラという形で見える人もいれば、
雰囲気でここは気持ちが悪いって感じる人もいたりとか、そういうことだと説明されれば、ああなるほどなあといっての理解に僕は至ったわけ。
だから要はエネルギーの、存在しているのはエネルギーの揺らぎだと。
それがこの重なりによって何か物質になったり、認識できるものになったり、感覚として感じるものになったりするんだっていうことだと理解しています。
これをお釈迦様の言葉で言うと、空即是四季四季即是空という言葉ともはまるなあと思ったっていうところなんですよね。
09:07
空とは言い換えればエネルギーと、四季とはエネルギーの揺らぎ方によってたまたま何かにセンサーに引っかかるようになった部分みたいなね。
四角というセンサーを通せば目に見える物質だったりするし、物質とは限らないですね。今言ったように霊の存在だったりとかもするかもしれないですね。
そういう意味では確かにすべては同じもの。エネルギーの揺らぎであると。すべては空であると。
あるいは見え方と感じ方によってそれが四季という感覚で捉えられるものに変わったりするというね。
そういうことを言っているんだろうっていうのが僕の中で一番納得がいったっていうことですね。
これが僕が言う量子力学と悟りの教師が一緒っていう意味です。
量子力学の最小単位を探っていったときに波動だ、エネルギーだというものと、お釈迦様が言った空だ、空の見え方が変わっているだけだというのは同じものを指しているんだなというふうに。
そういう解釈ができるなってなると思うんですけどね。
っていう話を僕は言っているんですね。
量子力学の話だけをもうちょっとするつもりだったのに、結局結論というか答えというかの部分を、答えというのは僕の中のものですよ。
を喋っちゃいましたね。
どうしようかなぁ。 量子力学の話もうちょっとしようと思ってたやつもしましょうかね。
話ちょっと変わっちゃってこういう話になったんですけど一旦ね。 もともとしようとした話は、量子力学はそうやってそのミクロのあるいは
ミクロの世界を探っていったって話なんですけど、そこの量子とかを測っているときにいろんな不思議なことがね、今までのニュートン物理学じゃ説明できないようなことが検証、実証されたっていう部分があって
それをね、今もずっと論じているんですね。
ニュートン力学を見直さないといけないんじゃないかっていうのと、いやそれは見落としがあるだけであって、実はその見落とし部分をちゃんと見つければニュートン力学で説明できるようになっているはずだっていうね。
12:04
この前者を、後者を実在主義って言いますね。
ニュートン力学が、まだその実験が足りなくて見つけられてない物質だったり何かが見落としているだけでニュートン力学に間違いはないはずだっていうのが実在主義ですね。
そうじゃなくて、根本から違うじゃないかっていうのが非実在主義っていうやつですね。
その根本から違うよねってなぜそういう発想が出てきたかっていうのが有名な2つの実験、シルデン川の猫の思考実験というやつと二重スリット実験というやつですね。
この2つの観測結果がニュートン力学を覆すことになったっていうお話なんですよ。
シルデン川の猫っていうのは、原子…ここはちょっと難しかったなぁ。
とにかく、ブラックボックス、中が見えない箱の中に猫がいて、毒薬があって、
その毒薬が散布されるトリガーになるのが、原子の崩壊によって起きる中性子の子が飛び出してぶつかったらその毒薬が散布されるみたいな、すっげえ難しいやつだったと思うんですけど。
この原子の崩壊がいつ起きるかわからないっていうような状態であるというのが実験装置。
実験装置ってこれ試行実験なんですけど、実際の実験じゃなくて。
という条件下で行われる実験があったとしてみたいなね。
いつ猟師が飛ぶかわからない、イコールいつ毒が散布されるかわからない、いつ猫が死んでるかわからない、
あるいは猟師の原子の崩壊が起きないかもしれないし猫も死なないかもしれないというのがわからないという猫のブラックボックスを作ったとして、
これを開けた瞬間に猫との結果がわかる。これ当たり前ですよね。
開ける前の状態っていうのは、これは猫が死んだ状態と生きた状態とが決定してない曖昧な状態で存在しているんじゃないかという仮説ですね。
確かにこれを言われたら確認のしようがないんですよね。
だからもしかして開けた瞬間に物事が決まるんじゃないか。
15:03
観測者が観測したときに初めて物っていうのは決定するんじゃないか、その可能性十分にあるじゃんっていうのがまず第一の考え方ですね。
実在主義、非実在主義の第一の考え方。
実在主義っていうのは、開けようが開け前が、死んでたら死んでる猫がそこにいる。
生きてたら生きてる猫がそこにいるっていうのは、開けようが開け前がどっちかに決まった状態で存在しているに決まってるじゃんみたいな。
今まで通りのわかりやすい考え方ですね。これが実在主義。
でもそういう可能性捨てきれないよねっていうのが非実在主義で。
で、なぜそんなことを考えるようになったかっていうのが二重スリット実験の結果からということですね。
二重スリット実験は難しい。
光子、光の粒を飛ばす。
スリットの空いてる板に向かって光を飛ばす、光子を飛ばす。
スリットを通り抜けた光子は後ろの壁にマークをつけるみたいな実験装置で。
これは実際に現実的に作られた実験装置でですね。
それを二重のスリット、二つスリットがある場合は、
もしこれが粒の性質と思っていれば、スリットを通り抜けた、そのスリットの形に沿った跡が後ろの板につくはずだと。
スプレーでプーって吹いたみたいな感じだと思えばいいんですけどね。
もしこれが、この光子が粒ではなく波の性質を持っていれば、
スリットを抜けた光子は揺れながら飛んでいって、壁に着弾、マーカーをつける。
それを何度も繰り返すと、いろんな要はスリットから先いろんな散らばって、壁にマークをつける。
だけども波の性質上、揺らぎのちょうど重なる頂点ばかりに跡が集まるはずだみたいな。
集まるような感じで、要は縞模様が描かれる。
縞模様がもし描かれれば、それは波の性質を持っているってことだよねみたいな。
スリットの形に2本線ができれば、それは粒の性質だよねっていうことがわかるよねっていう実験なんですね。
飛んだ時にまっすぐ飛んだかどうかを観測する機器を入れると、後ろについた模様は2本線になる。
18:25
ところが観測機器を入れないで同じことをすると縞模様ができるみたいな。
とにかく観測すると粒になるのに観測しないと波になるっていう話ですよ。
逆だったかな。どっちでもいいんですけど。
要は言いたいことは観測するかしないかで結果が変わるっていうのが現実に起きたっていうのがこの二重スリット実験ですね。
二重スリット実験自体を怪しむ人もいますね。
でもこの結果をまともに受け取ると観測者がいるときといないときで結果が変わるという結論になるわけですね。
だからその先の試行実験として蓋を開けるまで猫が生きてるか死んでるか決定されていないと。
開けたときに初めて生きた状態だったかが決まる。あるいは死んだ状態だったかが決まる。
開ける前は波のように生きたと死んだの間をどっちつかずでいるような状態にあるっていう可能性があるんじゃないかとこの二重スリット実験の結果を受けてなったわけですね。
ということはこの世の中っていうのは全てが人間が観測するから存在が確定するわけであって
そういう人間みたいな知的な生物あるいはこの見る人要は感覚を持っているものが存在感覚で捉えられるという存在がなければ
宇宙そのものがそもそも存在してない単なる揺らぎでしかないんじゃないかみたいな揺らぎでしかないんじゃないかとまで言わないのかな存在しないんじゃないかこれが非実在主義ってやつですね。
それぞれがそれぞれの主張を証明するために今も日夜研究が進んでいるっていうのが量子力学の世界らしいですよ。
知らんけど。
これね全部知らんけどつけないといけなくなってるんですね最近は。
あくまで僕の理解ということですね。
ということで最初の結論につながっていったわけですね僕はそれは空のことを言ってるお釈迦様のが空のことでも説明してるんじゃないかみたいなね。
21:10
まあそんな感じですね長くなりましたが
喋りたいことは喋ったので今日はこれで終わりたいと思います。
今ここを見つめよう。
ではまた。
知らんけど。
21:26

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