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みやけん🌋パッチマンガアートのサトリの学講です。
はい、ということで、えーと
普段はイラスト講師、NFTクリエイターとして活動している、私、みやけんが
時々趣味で勉強していたスピっぽい話をするという
自己満足の企画でやっております、サトリの学講です。
今日もやります。よろしくお願いします。
えーとですね、今日はですね、先に本編の方だけちょっと移動中に収録しておりますので
若干ノイズ等々入っておりますが
ご勘弁くださいという感じで話、よろしくお願いします。
では、いくぜ!
えーと、今日は
魂についての話を
量子力学的サトリの観点からやってみたいと思っております。
あのー、字が青選挙
ちょっと移動中なので
はいはい、頑張ってくださーい。
はい、ちゃんと名前もね、載せたところで
えーと、なんだっけ、あ、そうそう
で、よくね、字がというのは錯覚だよっていうね
話を僕はしているんですが
どうしようかな、一般的な、僕もそうだったんですけど
今までそうだったんですけど解釈としては
魂みたいなね、命の器的なものがあって
そこに字ががひも付いているというか
魂イコール字か、みたいな感じでもいいのかな
で、それがね、宿っていると、肉体に宿っていると
で、死んだらこの魂がヒュルヒュルヒュルヒュルっと
体が抜け出して
あとは何だろうな、49日で
天軸、天国に行って
原生に生まれ変わって落ちていくときに
その字がは記憶をなくして改めて生まれてくるみたいなね
原生に魂として生まれてくると
で、また新たな字がが形成されていくんだが
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何かのきっかけで前世の記憶が蘇るとかね
そういうお話があったりとかするんだけど
非常にでもこれ分かりやすくいいんですよね
なるほどと思える話なんですよね
だから僕もそういう理解ではあったんですけれども
でもこれだとですね
ちょっとやっぱり科学的な理解ができない部分があって
例えば魂の僧侶ってどうなっているんだと
昔はね、縄文時代とかは
人類の人口が何万人とかの時代があって
それから人口が今ね
80億人とかになっているわけじゃないですか
どのタイミングで増えたんだとかね
人口が減っていったら
この余った魂どうなんだとかね
いろいろ何となくでしか捉えられないところがあって
いたんですけれどもね、僕自身はね
一旦そういう感じですね
じゃあちょっとですね
字がっていうのはどういうふうに生まれるかっていう話なんですけど
一応私福祉系の大学に行ってまして
そこで発達心理学っていうのを習ったんですけど
それがちょっと面白くて
子どもがどうやって字が思っていくかみたいな話のところが面白くて
ほぼそこしか覚えてないんですけど
最初生まれたての赤ちゃんっていうのは
その感覚しかなくて
実際僕も子どもを持ってみてわかったんですけど
常に手足を動かしているんですよね
だから勝手に動いてるんですよねきっと
反射っていうものもありますけど
グーパーに行ったり
移動しようとしたらギュッと捕まるとか
移動しようとすると眠くなるとかね
いろいろそういう赤ちゃんの反射っていうのはあるにしても
基本的に起きてるときは結構手足を自由に動かしているんですよね
やつらはきっとそういうことをしてるうちに
この感覚とか感触とかね
あれは自分が手を上げようと思ったら
手が上がるとかを
半自動的に覚えていくわけですよ
だから赤ちゃんが手を見つめるっていう仕草があるんですよね
そういうのもよく子育ての中で
赤ちゃんの反応で出てきたりもするんですけど
自分の手を見つめてはこれは俺の手なんだみたいな感じでね
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観察する動きをしたりとかするっていうかね
赤ちゃんはまずそもそも
自分と他人の境界をまず持ってなくて
最初にこの他人との境界を知るのが
やっぱり母親との関係なんですよね
だから母親と自分との区別がそもそも最初はないんですけれども
だんだん成長に従って
この人は私の思った通りに動かない部分だから
これは自分とは別なんだみたいなね
手とか足とかは自分の思ったように動くことが大事
顔とかを人だと認識するみたいなのもプログラムされてるらしくて
笑ったりとかねそういう顔は笑ってる
笑ってるというか敵対心のない状態とか
だから声のあとトーンとかでも感じるらしいですね
低い声でウンッとか言うと
ウンッとか言うと
ウンッとか言うと
低い声でウンッとか言うと
威圧されてるっていうのは本能的に感じる
プログラミングがされてるとかねあるらしいんですけど
そういうのを発達心理学とかで習ったんですけれども
そうやってまず自分と他人がいるんだというのを
最初に覚えてきた時から自我が徐々に育ち始めるっていうね
そういう感じらしいんですよ
だから生まれたての状態に自我はないんですよね
例えばお腹の中の記憶があるとかいうのも
おそらく視神経で見たもの
耳で聞いた音とか画像とかを記憶していて
その画像を記憶とか音の記憶とかを
後からね
そういえばこういう記憶残ってんなみたいなので
さらに多分自分なりの物語を加えて喋るんだと思うんですよね
だから4歳ぐらいだっけ
3歳か4歳ぐらいの時に
お腹の中どうだったって聞くと
結構答える子がいるっていう話があったりして
僕のところはちょっとそれっぽい面白い話は聞けなかったんですけどね
残念ながらお腹の中どうだったとかはね
友達に聞いたら
お腹の中こうして
そしてドーンってしたんだとかね
生まれる時の話とかをしたらしいんですけどね
そういうのはそうしたってそうしようとかじゃなくて
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多分絵とか感覚が残ってて
それを後からねそうしたって言ってるんだと思うんですよね
というようなのが一応科学的な発達心理の中で
自我が芽生えるっていう工程なんですけれども
まあこのことからもですね
自我っていうのは
五感を通じて受ける刺激を理解するために
生み出されるみたいなね
統合されていく中枢神経っていうのは言われますけどね
いうことで生まれてくるっていうことらしいんで
だとすれば確かに錯覚っちゃ錯覚なんですよね
リアルなものっていうのは
この五感しかないんですよね
それを統合して物語にしたのが
自我であり
そして自我を通して外界の世界を理解していくっていう
発達プロセスにおいて形成されたものなんですよ
科学的に見ると
だから魂とかね
そういうのはやっぱりその観点で見ると
完全にファンタジーとしか言えなくなっちゃうんですけど
それもそれでね
だから実際に過去性を思い出すとか
前世の記憶を思い出すっていう人もいるから
じゃあそれはどう説明するのだって話になって
袋小路にいるんですけど
そこでやっぱり量子力学的な
結局全て波動であるみたいなね
この考えを取り入れると
僕の中ではめちゃくちゃ納得ができたんですよね
だから前回話したかな
意識っていうのも波動でありみたいな
同じ波動で重なり合いの具合によって
それが意識として発現する場合もあるし
物質として発現する場合もあると
元は全て同じ波動だ
空っていうね
だとすれば
だとすればじゃないな
そういう教えというかね
説明をされたんですよ僕としては
その説明もしょっちゅう言ってますけど
メンターという人たちの説明なんですけど
その説明の中で
前世とか生まれ変わりっていうものに関して言えば
意識っていうのも波動の重なり合いとかによって
偶然生まれたものなんだけど
それは確かにそこに生まれたものであり
だから肉体がなくても
その波動そのものとか意識そのものは
やはり存在できるするっていうんですよね
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ただ肉体とか言えば
五感とつながる脳神経とつながる
紐づくものがないがために
結構バラバラに散りやすいと
その意識はね
だから身肉体がなくなって
五感がなくなって
意識の部分だけになると
この重なりが結構ブレブレになって
バラバラになっていくと
でたまたま他の意識
他の人の意識とそれがシンクロして
急にあの人の記憶が分かるとかね
なんかそういうのになるのが
イタコ的な現象だったりするのかなと思えば
ちょっと納得できるかなと
だから臓器移植なんかをすると
その移植元の人の記憶とか
あるいは好みとかがね
その移植された人に移るっていうのも
その臓器に紐づいた
意識につながる波動っていうのは
やっぱそのまま移ってきて
その移植元の人の
また波動に重なった時に
それが発現するっていう感じ
って考えると
なるほどという気もするんですよね
生まれ変わりとか魂っていうことで言うと
やはりバラバラになった波動っていうものが
別のやっぱ肉体のところに
元々はね
紐づかれてる意識だから
新しい別の肉体に
波動が乗っかった時に
集まりやすいっていう感じで捉えると
なるほど
その前世の記憶を持ったみたいな
まるで一人の人間みたいなの
意識がそのまんま乗り移ったかのような
動きを見せるっていうのも
なんかわかる気がする
でもそれは本当に
元々言ってたような魂みたいな
完全にこの人の自が
丸々その100%そのものが
を持ってる魂がポンと映って
100%丸々生まれ変わりで出てるというよりは
その人の意識を司っていた波動そのものが
ある程度養成集められて
たまたまそこに付着したみたいな
そういうことでの
過去性発現みたいなね
とはいえ新しく
全く新しいは新しいんですよ
そうですね自然化学的に発生した自我に
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その自然化学的に発生した自我っていうのも
まあ言えば波動の重なり合いが
たまたまそういう形になったっていうことなので
そこに別な波動が乗っかってきて
重なってみたいな
でそれが元のやっぱ自分の意識っていうのを
ある程度集めてきてみたいな形で形成されると
いう感じをね難しいな自分で言ってても
でもなんとなく僕はその方が理解というか納得が
一番できたんですよね
部品は同じものみたいな
だから僧侶は変わらないっていうね
そんな感じ
だから量子力学的悟りで言うと
魂とかはないんだけど
生まれ変わりはあるみたいなね
そういう結論に僕は捉えてます
だからあの前世がどうのとかいう話を
全く否定する根拠は僕にはなくて
なるほどその波動の重ねてがそこに重なったんだなとか
過去の記憶として今現在のその人に
ちょうど折り重なって発見してるんだなとか
いうのでそういう人生はまた別なところで
あったはあったんだろうなとかね
風には思うわけですよ
まあまあそんな感じかな
量子力学と悟りの
教えというかいうものを結びつけて
同種と考えて理解すると
魂とか自我とか
生まれ変わりっていうのは
そういう説明になるのかなと思って
納得しております
外から部屋に帰ってきました
ちなみに2日ほど日も跨いでおりますが
まとめると
物質の最小単位である分子
原子分子電子
そして素粒子
量子
さらに観測も微妙な
波という部分まで
科学的には行ってますよという話ね
波という周波数を持つ波長とか
波の重なり具合によって
物質になったり
するのかなみたいな
微妙なところなんですが
解明としてはね
その説というかそういう方向で考えるのが
量子力学と
悟り的な感覚でいうとその通りですよ
そして意識とか目に見えないけども
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存在するものっていうのも
同じ波でできてますよと
科学的に観測できないものであったりするけども
確かに存在はすると
それが脳の中で巡っていれば
意識とかになるだろうしみたいなね
意識っていうのは
そういう
不確定要素の中に
ぼやぼやっと生まれたりしてるものなんだが
何分この物質化した
肉体というものに神経というものがあって
さらにその神経に基づく
感覚機関
五感というものがあって
そしてこの五感というものがあまりにも強烈
強力であるがゆえに
その中枢であるところの脳のところで
意識というものも
ものすごく強力に
存在するものというふうに
我々は感じていると
意識イコール自我ということですね
でも自我を通さないと周りの物質世界も
理解できなくて
生活できないぞみたいなね
そんな話なんだが生活とか云々っていうのを
全部切り離して赤ちゃんの状態に戻ると
全ては本当は境目はなくてね
一つの波長の重なりでしかないんだよ
みたいなね
捉え方もできるよねって赤ちゃんの
感覚で見ればね
そんなところですね
さらに言うと
波動とか波とか波長
というもの自体は
今ここにしか存在していなくて
重なり方によって
人によって捉え方も違ってくるというだけの
話で
この悟り
世界観で言えば
ここにまた世界観と言うとややこしいんですけど
多次元とかもないし
あちらの世界とかもないし
今ここに全てがあると
そういうことに繋がってくるという感じなのかなと
以上を踏まえて僕的には
魂
固有の魂と固定された
一個の100%の
自我としての魂というものはないけれども
生まれ変わりというものは
ある意味あると
それは部分的なものを共有していたり
情報をたまたま読み込んだりするものであると
同じように霊みたいなものも
存在するんだろうなと思っているというのが
私の理解です
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長くなりましたけども
今日の佐藤の学校は
こんなところで終わりにします
今ここを見つめよう
ではまた