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2024-08-14 21:17

耳毒【サトリの学講】 #21 お盆なので「白隠禅師坐禅和讃」を紹介

読経→ 解説→

白隠禅師坐禅和讃

衆生本来仏なり  水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく  衆生の外に仏なし
衆生近きを不知(しらず)して  遠く求むるはかなさよ
譬(たとへ)ば水の中に居て  渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は  己が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏そへて  いつか生死をはなるべき
夫れ摩訶衍の禅定は  称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等
其品多き諸善行  皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も  積し無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき  浄土即ち遠からず
辱(かたじけな)くも此の法(のり)を  一たび耳にふるゝ時
さんたん随喜する人は  福を得る事限りなし
いはんや自ら回向して  直に自性を証すれば
自性即ち無性にて  すでに戯論(げろん)を離れたり
因果一如の門ひらけ  無二無三の道直し
無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として  謡うも舞ふも法の声
三昧無碍の空ひろく  四智円明の月さえん
此時何をか求むべき  寂滅現前するゆゑに
当所(とうじょ)即ち蓮華国  此身即ち仏なり
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00:01
どうもー
君の
イラストスキルを高め自己肯定感をも高めたいイラスト講師みやけんです
えっとねこれね悟りの学校ですね
あの
お盆だからね
なんかより
この
えー
仏教?仏教なのかなお盆って?神道?どっちだろう?よくわかんないですけど、なんかちょっとそういうね
えーことを
やりたいなぁと
思って
えっと前に
先週かなあの
えっとなんだっけ
えっと般若心経をやったんですけど
えー今日はですね
あの白隠禅師坐禅和讃っていうのがありましてね
うーん
あの
同じく
般若心経と同じく悟りの教知の世界の話を
してるんですがこれね
日本語なんですよ
あのいわゆるお経ってサンスクリット語の官訳みたいな音訳みたいのが多いんで
まあその言葉自体は
何言ってるかわかんないものがありでまあ官訳だったら
だからなんだっけ
えっと
般若心経は官訳ですね漢字に訳したやつの要は漢語を読んでるっていうね
元がサンスクリット語でで
官訳の
お経とか経典があって
で官訳だと漢字って日本人意味がわかるんでなんとなく何書いてるかわかるんですよね
でさらに
さらにそれを今度は日本語にしたやつですねこれいつだろうはもう昔のお坊さんなんですけどね
白院っていうね
禅寺のお坊さんでしょうね禅寺っていうぐらいだからそんな詳しく知らないんですけど
その太田禅和さんっていう日本語で悟りの世界のことを言っているお経というかね
のりとというかねをちょっとやってみようかなと思います
ではいきます
白院禅寺座禅和さん
白院禅寺座禅和さん
修女本来仏なり水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく
修女の他に仏なし
03:04
修女を地下気を知らずして
遠く求むる儚さよ
例えば水の中にいて
鰹を叫ぶがごとくなり
長者の家のことなりて
貧乳に迷うにことならず
六宿林寝の因縁は
己が愚痴のやみじなり
やみじにやみじを踏み添えて
いつか生地を離るべき
それまか縁の禅状は
承談するに余りあり
不正や自戒の諸波羅蜜
天仏懺悔修行等
その品大きい諸禅行
皆この家に帰するなり
一座の香をなす人も
罪し無量の罪滅ぶ
六宿居津にありぬべき
浄土すなわち尖らず
片仕けなくもこの法を
人たび耳にふるる時
三丹随喜する人は
福を売ること限りなし
言わんや自ら栄光して
時期に自称を称すれば
自称すなわち無称にて
既に家論を離れたり
因果一如の門開け
無二無三の道直し
無双の双を双として
行くも帰るもよそならず
無念の念を念として
歌うも舞うもノリの声
三昧無下の空広く
七縁廟の月さえん
この時何をか求むべき
寂滅厳禅するゆえに
道称すなわち蓮華国
好みすなわち仏なり
06:16
では、訳を読みましょう。
最初に、主状本来仏なりというのが出てきますけれども
我々人間はもともと仏なんですよっていうね
仏っていうのはここでね仏っていうのはいわゆる仏さんとかなんかなんだろう
修行僧のすごい人とかブッダとかじゃなくて
あの食う
いわゆる食うというものだよっていう意味で捉え
るところですね
本来食うであるということですねエネルギーそのものですよと
我々はエネルギーそのものですよと
水と氷のごとく似てっていうのは
まあ何だろう人とものが違うとか
いろんな万物あれはあれはあれこれはこれそれはそれっていうものの
別れ方っていうのは水と氷の関係のようなもので
エネルギーそのものが形を変えて現れているものだよみたいなそういう話ですね
水と氷のごとく似て水を離れて氷なくっていうね
だから水と氷は別物ではないよね本来ねっていう話
主状の他に仏なし、逆に言えば我々
食う以外のものはないと
で主状近きを知らずして遠く求める儚さよ
何だろう
近く近くというかまあ
全てはそういうものであるエネルギーそのものだよということを知らないでいて
遠くにこの真理とか本来の自分があるんじゃないかということを求めて
回るということが儚い虚しいことだと
いうことだと言っております
そして
例えば水の中にいて鰹を叫ぶが如くなり水の中にいるのに喉乾いたと言っているような
もんだよと
長者の家のことなりて貧乳に迷うことならずお金持ちの家に生まれているのに貧乏な
貧乏だと思っているようなものだと
六宗輪廻の因縁は己が愚痴の闇地なり
陸道輪廻の世界なんか地獄界とか
何だろうか機械とか何かいろいろ
語れるもは要は物語いろんな世界があって魂はそこを巡ってみたいな話あるけども
それはあの別にそういう世界がね他に
次元を離れたところにあるとか死後の世界とか言うは言うことじゃなくて自分のこの気持ち
09:06
具合によって
気持ち的に地獄界に落ちているとか
そういうものなんだよって言うね
闇地に闇地を踏み添えていつか少女を離るべきそういうことを繰り返してね
たとえ
死して生まれて輪廻転生したとしても
いつその気持ちね
気持ちの問題だよっていうのを
気づかずにいつ気取りに対してそれそういうことだということに気づくんでしょうかと
それ魔戒の前兆は焦炭するにあまりありと
そんなことにとらわれずに
善を行い無に無心
無心というものを知りなさいと
それはそういう何だろう気持ちの持ちようによって
地獄界に落ちたりするそういうものからするとね
とても素晴らしいものだよと
本当の善を行い本当の苦悟を知りなさい
してみたら知ってみたら素晴らしいよということを説いております
不正は次回の諸波羅三つ念仏懺悔修行と
そのしな大きい諸善行を皆このうちに記すのだ
そのしな大きい諸善行を皆このうちに記すのだ
いわゆる修行とか
不正お不正とかね
自分を忌ましめる自戒を持って生活するとか
いろんなそういう仏の教えとか修行とか行為とか言われているもの
いろいろありますけど
要するに最終的には
それを行ってこの無の境地
善の境地っていうものを知るべき
知りなさいということに記しておりますよと
一座の子を成す人も罪し無量の罪滅ぶ
これはだから
善を行い仮に一別でも一度体験したものならば
今まで背負っていた罪とか
そういうもの何もなかったということに気づくと
罪滅ぶと
悪臭いづくにありぬべき
浄土すなまち等からずと
そういう思い込みとか
そういうものね
全てどこにあったんだと
そもそも浄土
浄土っていわゆる
なんて言えばいいんだろうな
そういう一別を感じて
本当の世界こうなんだ
というものは
そんな遠くにあるものじゃないよと
いうことに気づくぞと
片脇じけなくも
このノリをひとたび耳に振るるとき
惨憺ずいきする人は
不幸を得ること限りなし
こういう教え
12:01
善を感じなさいと
一別してみな
みなご覧なさいよと
こういう教えを耳にして
そんなもんか
やってみようかなと
なるほどこれしかないやろう
みたいなね
いうふうに思った人は
福を得ること限りなし
限りない幸福を得ることができるでしょうと
いわゆる自ら
栄光を知って
だから言うまでもなく
自分からやってみようと
取り組んでいる人
そういう人は時期に自傷を
自傷すなまち無償に
すでにケロンを離れたりと
やがて一別することが
できれば
自分は
無がね
自分というものはなかったんだと
それが本質だ
我々自分と思っているものは
エネルギーの
塊一部なんだ
空なんだみたいなことに
その正体というものが
分かれば
それはすでにそういう
気持ちによっていろいろ
見え方の変わる世界とか
世俗的なものから
離れることができておりますよと
因果一如の門開け
無二無三の道直し
そうだね
因果律みたいな
世界からも
離れと
門が開いてそういうところから離れると
そうすると
いろいろ迷っていた
思い悩み
迷っていた道も
一つの道に
正されていきますと
無双の早々として
行くも帰るも
よそならず
自分の体を
自分自身というものがない
ということに気づくと
どこかに行かなければならない
行くも帰るも
よそならず
あっち行くとか
そういうことでもなく
無念の念を念として
歌うも舞うも
のりの声
今体の話したから
これは気持ちね
無我というものを知れば
この意識とか
そういうものすらもともと
本来の姿は
ただのエネルギーの揺らぎだ
というものが分かれば
歌うも舞うも
物理的じゃなくて
思想的に
いろんなことを考えたり
物思いに吹っかけたり
過去のことを後悔したり
未来に不安を抱いたり
そういうものも
単なるエネルギーの揺らぎ
でしかないと
のりの声
でしかないよね
山前無下の空広く
七円明の月
三円
15:01
山前無下
無心の状態
逆もあるんだよね
何かにガーッと集中して
それそのもの
になってしまう
自分というものがなくなって
よくちくわさんが音楽になる
って言い方しますけどね
音楽
ライブとかで
盛り上がってのりのって
自分自身が
空広くになってしまう
みたいな状態
あるじゃないですか
わかるかな
そういう状態
山前無下
何もこの心も
自分自身も
何もなくなって
音楽と一体になる
ような状態になると
空広く
世界は広がると
広がると
そういう感じ
七円明の月
三円
四つの地
とにかく
全ての
難しいな
一別したら
全てのことがわかる
全てのものが
照らされる
そういう月
さっき空で
どんな月に例えてるんでしょうね
感じる空間
世界っていうのは
延々に広がり
そしてこの知識とか
そういう
内面
これも内面
知識とか疑問とか
そういうものを
月として例えたときに
それも全て
さえ渡ると
そういう状態のときに
このとき何をか求むべき
っていうね
そういう状況において
何をこれ以上求めるものがありますかと
着滅厳然する
ゆえに
着滅厳然も難しいな
そういう
煩悩悩み全て
事故事がというものも全て
滅することによって
本来の
本当の
真理が
見える
見える
見える
見える
!
!
!
!
!
!
!
!
もそもそもそもいたんだと今いるここが弱点の国なんだと どこかにあるものではなくて今ここにあるもの
18:04
感じれるものなんだと いうことに気づきそしてこの身すなわち仏なりこの体も同じエネルギー帯
なんだとレンゲ国そのものなんだと いうことに気づきますよという
話ですね ということを語っておりますねはい
というのがこの じゃ白陰禅寺座禅和さんという
日本語で書かれたでも日本語だから昔の日本語とはいえ昔の言葉や仏教用語とかも いっぱい出てくるんでちょっと現代訳しないとわかりにくいんですが
というのを一応やってみました
はいえっと まあ僕がね悟りの学校とかで言ってるのはだいたい
この話ですこれに領地力学のでいう漁師とか が要は波エネルギー
としか言えなくなるんですよみたいな 物理学のこの研究の今今んところに行き着いている部分がちょうど
重なるんじゃないかなと 同じエネルギーですよっていうね
ところとこのこれね原始仏教ですねいわゆる今の宗教化された 仏教とはまたちょっと違う
じゃあ原始の分教でお釈迦様の悟りでこういう話ですっていうのがね うんと日本語訳されているやつです
お盆なのでえっとちょっとそういう例的な世界っていうものを感じつつ うーんと聞いてみてくださいみたいな感じですね
はい以上ですえっと今日夜 あの
イージーさんのやギタロットが届いたのでそれの開封の儀をライブでやりたいと思います まだねほんと届いたばっかりで開けていないのでその開けるところから後名前をつけたりする儀式がある
んでそれをやりたいと思いますのでよければ遊びに来てください ということで
よくねこの悟りの学校の最後には今ここを見つめようっていうのを言ってるんです けど
うーんと えっとなんか死後の世界とかじゃなくて今ここにまさに目の前にある
ここに今ここに 全てがある今ここが練技ここであり
今喋っている私自身が同じエネルギーの揺らぎであると いうことをね言っているんですよで今ここを見つめようと言わせてもらって締めて
おります 宮剣でしたではまた
21:17

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