1. みんラボ2 〜みんなの才能研究所〜
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2022-11-18 20:01

【番外編 #003 /江川海人さん③】「自己開示」をすることによって生きやすくなる?【みんなの才能研究所|みんラボ2】

■今回の内容【毎週金曜日/朝5時放送】

今回は、自己開示することの重要性について、2人の実体験を元に考察していきます。
才能研究者のたかちんこと佐野貴がお送りします。  


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00:08
【みんなの才能研究所バージョン2】、略してみんラボ2の配信をスタートします。
前回に続き、水戸さんに来ていただきました。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。江川水戸です。
前回は、水戸さんがやってきた活動について、いろいろお話を聞かせてもらって、
今やっているアーティストの話だったり、自分の考えているアーティストの観点だったりとか、
街づくりの観点だったりとかを聞かせてもらったんだけれども、
これから水戸さんがやっていきたいことだったりとか、
この21年間でやってきたことを踏まえて、
この先、1年後、3年後、5年後、10年後、やっていきたいビジョンというところを聞かせてもらいたいなというふうに思っています。
はい。
どのぐらいの先まで自分のビジョンというのは見据えていっているんですか?
あの、ものすごいざっくりとした方向性だと、死ぬまで。
死ぬまで見てるんだ。
それこそ日付を考えて行動しようというのは、
大体3ヶ月くらいしか見れないなという。
それこそ、人生ってものすごくいろんな急展開があるから、
半年後とか1年後とか考えても仕方ないなというので、
3ヶ月くらいという感じかな。
2つなんだね。
死ぬまでと見ているのと、3ヶ月までを見ていて、
その期間の間は見ないようにしているというか、
変わっちゃうから見なきゃいけないって思ってるんだね。
じゃあちょっとその死ぬ時のビジョンを教えてもらってもいい?
なんかすごい哲学的になっちゃうけど、
自分の中で決めてるルールというか決まりみたいなのがあって、
それが、強く、悟く、誠実にという、その3つの柱があって、
強くはもう肉体的に、健康的に強くないと、
幸せに生きていけないなっていうのは、自分は強くあって、
っていうのも、それこそ中学生、小学生の時に、
今はだけど結構体が弱くて、
あとものすごくアレルギー体質で、
アレルギーっていうのもあって、
本当にそのアレルギーに傷ついて対処するまでは毎日吐いていて、
嘔吐を繰り返したり、
あとはその喘息が結構ひどくって、
今も普通に天気とか、あと自分の体調によってはすぐ発作が出ちゃうんだけど、
そういう感じで、喘息だと息ができないから、
ものすごく絶望感というか、
死ぬんだっていう感覚に近くて、
だから健康じゃないとまともに生きていけないっていうのが、
ものすごく強くあって、
他にも頭痛持ちで、
1年間半分くらいは頭痛を持ってて、
そう考えると、
健康の時がものすごく自分の人生の中で輝いてるというか、
充実してて、
だからまず第一に強くあることを求めていて、
自分の中では、
一つ目、強くっていうので、
その上で積み重なっていくのが、
悟くっていう部分で、
03:00
平たく言えば賢くっていう部分で、
自分は目指していて、
それはこうやって自分自身のことを分析したり、
社会のことを見たり、
もしくはそれを見るだけじゃなくて、
絵だったり音だったり、
言葉だったりで表現するっていうことにすごくイコール、
すごく等しいけど、
そういった感じで、
なんかただ万全といけるんじゃなくて、
それをわざわざと難しくするわけではなくて、
その自分の思考のレベルっていうのを、
自然まで持っていきたいと思ってて、
自然っていうのは、
今までのは、
自然観、自然観っていう、
しっくりくるか納得感がいくか、
それが物理的説理、
自然の説理に従っているかっていうのが観点だったけど、
今言う自然っていうのが、
いわゆるネイチャー、
木だったり、
水の流れだったり、
天気だったり、
雲の流れだったり、
そういうものに近づけていきたいなと思っていて、
自分の思考のレベル、
自分の思考のレイヤー、
思考の解像度っていうのは、
自分の夢に近いというか、
自分の若干野望なのかな、
無謀に近いかもしれないけど、
でもそれが自分の快楽に、
ものすごく近いなっていうのは感じていて、
繋がっているなって感じていて、
それを活動していること自体が、
ものすごく楽しいし、
コマを前に進めていくのが、
ものすごく楽しくて、
もともとこの概念でしか、
この思考の枠組みでしか、
このフレームワークでしか、
生きていけなかったけれども、
それがグッと変わって、
次の次元に行けた時の感覚って、
あるじゃないですか、
なんかそういう、
この思考の枠組みを取り入れたことによって、
自分の生き方、
自分の考え方が大きく変わったっていう瞬間、
その瞬間がたまらないというか、
もしかしたら今後、
そのことは決してないけど、
そういった機会は少ないかもしれないけれども、
そういう大きな、
ブレイクスルーのタイミングっていうのに、
どんどんどんどん出会っていきたいし、
それを感じていたいなっていうので、
その2つ目の悟くっていう部分があり、
3つ目の誠実にっていう部分は、
この強く悟くっていう部分は、
ものすごく自分自身に矢印が向いていて、
自分自身で完結してしまうかもしれない、
絶対完結はしないけれども、
3つ目の誠実にっていう部分は、
ものすごく対外的で、
自分以外のところに向いているもので、
これが人との人間関係、
もしくは自分との向き合い方、
もしくは自然との向き合い方の上で、
その誠実であること、
正直性だったりとか、
誠実にはいろんな定義があるけれども、
その誠実であることっていうのが、
悔いなく生きるため。
強くあることは、
自分自身がそもそも炎上野望であるというか、
可能性を秘めているためであって、
その上で自由になるために悟くあって、
その最終形態として、
自分が悔いなく生きるために、
誠実でありたいなっていう部分があって、
例えば今この瞬間話しているときも、
06:02
ちゃんと向き合っていたいし、
自分に対して向き合っていたいし、
相手に対して向き合っていたいし、
あとは自分が仕事をするときに、
都市計画、街づくりをやっているときに、
絶対誠実でいたいなと思っていて、
人間もしくは自分はものすごくできないことが多いし、
ものすごく不可能性があって限界があるから、
何か期待されて何かお願いされて、
自分でやりますって約束してできないことっていうのは、
結構たくさんある。
けれどもその中でも、
自分は誠実でありたいなと思っていて、
正直に精一杯最後までできる限り尽くすっていう部分を、
誠実にやっていきたいっていう部分が、
人生の中で。
映画を見とっている人生を全うして死ぬまで、
その3つをやり遂げたいっていうふうに思っている。
マジでヤバいね。
人生何週目だよっていうような発言を、
なんかすごい結論してるね。
なんかいいなって思って、
自分もなんかその3つどれもいいなって思って、
勝手にマネしたくなっちゃうぐらい、
素敵な生き方だなって感じました。
特になんか強くってところはまず、
結構土台となると思うんだけれども、
以前アレルギーが30種類以上あるっていうふうに思いまして、
それってすごく生きにくいじゃないですか、実際。
で、生きにくい中で、
ただその生きにくいからこそ、
喘息とかも含めて、
死を感じるっていう経験をしてる。
だからこそそこすごい大事だよね、多分感じてるし。
でも逆に感じられない人たちとか、
あまりそこまでアレルギーがないとか、
病気にならない人っていきなり来たりとかもするから、
分かんないんだけれども、
なんか欠乏からまたそこも来てる欲求な感覚があって、
なんか今までミトさんが経験してきた人生は、
その欠乏はいくつかあったかもしれないけど、
それのおかげで、
すごい得たものっていうのがポジティブにたくさんあるんだね。
間違いなく。
誠実ってところは元々誠実性を持ってたの?
いや、本当に今話した順番で思い立ったっていう感じで、
誠実っていうのを意識したのは、
19歳?18歳?
なんかそれまで、
自分ものすごく嘘をつく人間で、
ああ、そうだったんだ。
嘘をつくっていうことに対して抵抗を持たないというか、
嘘に快楽を感じるってわけでは決してなくて、
嘘をついた方が、
自分これうまくいくなって時に、
何の抵抗もなく嘘をついてしまうっていう、
ずる賢い人だったと自分は思っていて、
ちょっと1個、パーソナルな話していいですか?
突然。
自分自身がゲイで、
同性愛者として、
ずっと生きてて、
その自意識、自覚っていうのは、
どのくらいだろう?
小学生からずっと持ってたから、
小学校3年、2年くらいからずっと持ってたから、
その年齢が一桁の時から、
自分は同性愛っていうのを持っていて、
本当に同性愛者の人、両性愛者の人、無性愛者の人、
09:01
本当にいろんな人共通してると思うけど、
その人たちって、
ちょっと語弊は見たくないけれども、
嘘をつくっていうことがものすごく当たり前。
嘘をつかないと、
自分のアイデンティティを保てない。
自分を肯定できないっていう感覚っていうのが、
ものすごく胸に通じている。
だから、これも欠乏なのか。
自分は、だからこそ、
ものすごく嘘が身近で、
嘘っていうのが、
自分自身が社会の中で生きていくための、
生存戦略の一つで、
たわやもない日常会話の中でも、
嘘をついてないと、
会話が成立しないし、
肉体的ないじめっていうのも受けるし、
社会的ないじめ、
省かれるとかもあるし、
あとは、それの疑似体験。
目の前に、
自分と同じ属性の人がいて、
その人が、
ものすごく酷い言葉を見せられたり、
肉体的な暴力を受けていたり、
そういうのを見たときに、
自分自身のアイデンティティに対して、
嘘をついて否定して生きていかないと、
自分って生きていちゃいけないんだ。
自分のアイデンティティを肯定しちゃいけないんだ。
っていうのがあったからこそ、
もしくはそれだけを、
理由ではないと思うけれども、
それがあったからこそ、
自分にとってものすごく、
嘘っていうものが、
身近というか、
当たり前に、
常にあって、
だから、
もう本当に嘘ばっかついて、
生きていたんだけれども、
今、
やって6年目、7年目くらいの、
彼氏がいて、
彼氏は、
その嘘っていうものに対して、
ものすごい厳しい意見を持ってて、
パートナーって、
往々にして、
ものすごく真剣に向き合うじゃないですか、
お互いに。
それで、
自分もそのパートナーっていうのに、
ものすごく向き合って、
それは、
愛情があるからこそ、
好きだからこそ、
愛してるからこそ向き合う。
その嘘、嘘、嘘で生きてきて、
嘘っていうものに対して、
ものすごく嫌悪感だったり、
ものすごく否定感、
哲学的な否定、
論理的な否定をしている人を見て、
その嘘っていうものを、
誠実性っていうものを、
Honestyっていうものを、
自分の中ですごく見つめ直したんだよね、
その時。
で、
その見つめ直しっていうのは、
全然1ヶ月とかじゃなくて、
3年間くらい見つめ直して、
少し、
自分の中で崩れていったというか、
この嘘をつくっていうことに関する、
もともとの固定観念っていうのが崩れてきて、
嘘をつかないとか、
正直でいることを、
あるがままで伝え合うことっていうことの、
重要性、
価値。
これは、
必要性とか、
正義感とか、
そういう話では決してなくって、
そうした方が、
生きやすい。
そうした方が、
自分って悔いなく生きられるんだ。
これが、
より良い人生に繋がるんだっていう部分。
これは、
正しさとか、
そういう話では決してなくって、
そうした方が、
自分自身の生活が、
より豊かに、
生きていたいって思うふうな、
生き方になるんだっていうふうに、
思ったっていうのが、
12:00
流れとしてあって。
なので、
誠実性に関しては、
本当にここ、
スパンとしては5年間、
6年間くらいだけども、
そうしたいと、
明確に思ったのが、
2年間、
3年間くらい。
なるほどね。
なんかその、
今の告白をしてくれて、
すごい、
告白をするときの言葉にも、
屈折とか、
不安とか、
なんか、
乗り越えるっていう感じも伝わらなくて、
いやなんかもう、
すごいオープンハートで、
喋ってくれてるなっていう感覚があって、
なんかもうそこに既に、
誠実性が出てるなとは感じるんだけど、
ここ2,3年ってことは、
2,3年くらい前から、
そのことを解釈するようになったって感じなのかな。
そうだね。
例えば、
高校時代は、
オープンにしてなかったかな。
あの、一回、
なんかアウティングっていう、
その、
自分は言いたくないけれども、
自分の秘密にしてることを、
他人にバラされてしまうみたいなことが、
一回高校生の時代にあって、
その時に、
ものすごく自分は嫌で、
ものすごく落ち込んだし、
ものすごく悲しかったっていうのを、
考えると、
あ、その時は、
そのことをオープンにすることに対して、
壁があったし、
トラウマがあったんだろうなって、
風に自分は、
今冷静になって分析できる。
どこら辺からオープンになり始めたの?
なんかきっかけがあるの?
オープンにしようって。
生きた?
それとも徐々にオープンにしていた?
あ、段階的に?
段階的にか。
初め、親友に伝えて、
次に家族に伝えて、
その次に、
あ、職場か。
あの、自分が今、
ずっと働いているところに伝えて、
その次になんか、
普通の友人?
その、年に5回くらい遊ぶような友人に伝えて、
そういう風に話すようになって、
で、今、
なんでもオープンというか、
聞かれたら全然答えるし、
あの、
理解を深めてもらうためなら、
なんだろう、
自分を開示するっていうだけじゃなくて、
それの事象自体に理解を深めてもらうために、
どんどん話していくのもいいな、
みたいに思えるような形に、
だんだんと、
開示の方法が変わってきたっていう感じかも。
いや、めちゃくちゃいいね。
やっぱりなんか、
開示することをすごい推奨したいわけじゃないけど、
世の中に対して。
ただ開示をした方が、
あの、受け入れてくれる世界は必ず存在してるから、
最終的にそこの、
このなんか、
受け入れてくれない世界と、
受け入れてくれる世界の狭間にいる時って、
一番辛いじゃん。
でも完全シフトチェンジして、
受け入れてる世界に行っちゃえばさ、
とても気持ちよく生きられたりするじゃん。
なんかそこの、
乗り越えさえできれば、
あの、
生きやすいよっていうメッセージを、
すごい僕も出したいなと思う派だから、
すごい共感する。
そうだね。
僕もラジオで結構自己開示させてもらってるけど、
なんかもう言っちゃったら怖いものがないというか、
なんか、
そうだね。
知らないところで勝手に噂が広まる方が怖いよね。
うんうんうん。
そうだね。
あとはなんか、
それこそ、
自分を隠して隠して、
生きてると、
出てる部分が少ないから、
それで判断される。
もしくはその予想とかもので判断される。
15:00
っていうのは、
逆に偏ったイメージを、
強く与えてしまうというか、
かつてそれが限定的だからこそ、
そこに一個ポッと新しい要素があると、
それでその人が、
なんか透明な水に、
なんか赤い液体をポッと入れてても、
バーッとその人のアイデンティティが、
大きく塗り替えられてしまう。
けれども、
その自己開示っていう事象、
自己開示っていうもの、
それ自体意味をグッと広げる。
だから、
自分の何かが一つの要素を開示するってことじゃなくて、
自分を開示するっていうことに広げると、
いろんな要素を伝えるじゃない。
だから、
その自分がゲイであることってだけじゃなくて、
自分はアートが好き、
自分は共感覚があったり、
自分はなんかアレルギーがすごいたくさんあったり、
そういう感じで、
人間ってものすごく多面的で複雑だから、
そういういろんな要素を伝えまくる。
開示してまくることで、
それぞれの要素が小さくなっていくというか。
別にそれ自体で、
目新しかったりするかもしれないし、
それ自体が特別にスペシャルに映るかもしれないけれど、
要素だったりとか一質みたいなのは感じられないというか、
全体のうちのパーツの一つとしてあって、
それが他の開示、
他の開示された部分と重なり合ってるから、
逆にものすごく自然に見えるというか、
だからそう思ったんだ、
だからそう考えてるんだよね。
だからっていう感じで、
その因果律っていうのが正しいかどうかさておいて、
そういう納得感、
調律感、
調和感っていうのをその相手に向けられる。
そのこと自体が性質につながるかもしれないし、
人間関係という上でも、
よりお互いが信頼し合える関係に近づくなっていうふうに思うな。
なんか実際に自分が開示してみて、
そのリアクションだったり、
そのリアクションに対する自分のリアクションだったり、
っていうのを客観視したときに、
これってこういった効果があるんだっていうふうに思うな。
自己開示について。
めちゃくちゃ解像度上がった。
しかも全てに同意する。
なんか本当にその通りを感じてたなと思ってて。
なんか今お話を聞いて、
因果律がどうかどうかわからないけれども、
でも納得度っていうのは確かに上がるなと思っていて、
いろんなその人のパレットを見れるから、
なんかその人の色がその角度によって全然違うというか、
光の当て方によって全然色が違うって言うから、
なんかその納得感はあるなと思っているかな。
なんかこの前一緒にご飯食べたときはさ、
とてもアウトローな話をさせてもらったじゃん。
でもそういう世界の中での僕らの認識もあると思うし、
こういう才能とか、
こういうお互いの人生について語り合うっていう側面もあるし、
今日初めて聞かせてもらった話もあるし、
なんかそういうことを一つ一つ積み重ねていくと、
その人の映る世界が変わっていくから、
結局なんかよく人間関係の一番の解決方法って、
コミュニケーションの量だよねって、
社内ではよく言ってるんだけど、
なんか量って多分そこの開示度だったりとか、
自分のエピソードをどれだけ語れるかによって、
相手に対する認識を変えていく活動なんじゃないかなって今思っていて。
18:00
だからそこを誠実って呼ぶのはなんかとても素晴らしいなって思った。
全部開示することが正しいとも言えないけど、
受け入れるキャパがなかった人に対しては、
変なことが起きてしまうからね。
間違いなく。
私そういう眼鏡で見てしまったりするからね。
私恐怖を観察してしまったりするケースもあるからね。
ただなんか相手がここまでは大丈夫だろうと思うなら、
開示をしていくっていう世界観はすごくいいよね。
だから全部含めた自分の思いとしては、
意外といけるぞっていうのは。
特に日本社会だと、
いや本当に優しい人ばっかりというか、
もちろん自分自身もいろんな開示の中で、
いわゆる差別的な目だったり批判だったり、
社会的肉体的暴力っていうのもあったけど、
それとも自分がどんどんこうやってぶっちゃけて言っちゃうのは、
自分の周りにいる人がほとんどいい人だったというか、
ほとんど受け入れて、
そのまんまもしくはセレブレーションしてくれるというか、
なんかそれを祝ってくれるような感じがあったからこそできたから、
だからそうじと思うのが意外といけるぞっていう。
いいメッセージだねそれ。
意外といけるぞってミトさんに言われるとそう思うよね。
でもね、ほんと意外といけると思うよ。
僕の仲良い友達もゲイだったりするけど、
ゲイだからなんなんだろうって逆に思うし、
みんなそれぞれに結構個性が存在しているのに、
それを開示するのと同じぐらいのレベル感だと思っていて実際は。
トラウマを開示したりとかもするじゃん実際自分は過去にこういうことがあってさとか、
そういうものと一緒の認識だけど、
いかに世の中の人たちがみんな自分の敵なんじゃないかみたいな
小手がいを持ってたりするから多くの人たちが、
意外といけるぞっていうのは実際あると思うんだよね。
そうだね。ほんとに意外といける。
20:01

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