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スプタン男のみんな違ってみんな良い。
ごきげんよう。スプタン男のTsuNです。
この番組では、みんな違ってみんな良いを 基本に、世の中のあれこれを 考えていく 番組です。
気楽に 聞いてくだされば 幸いです。
今日は 喪失感について 考えていきましょう。
喪失感です。みなさんはいろいろな 喪失感が あると思います。
やっぱりね、まあね、失恋した後なんかね、 もう一生彼女なんか作んねえとかさ、
もう私は、もうあの人が、あの人がいなかったら 生きていけないから、これからの人生はもう、
私の中で消化試合なの、みたいな風になっちゃったりとかさ、
失恋とかはね、みんなよくある話としてね、 体験したことがあるんじゃないでしょうか。
喪失感。
まあね、歳をとっていくごとに 逆上がりができなくなったとか、
あとは全力疾走で、あの100メートルが 2本目走れなくなったとか、
そういう時に、あーっていう喪失感とかも、 まあいろんな喪失感があるんですけど。
そう、なんでね、今日ね、こんな話を しようかなと思ったらね、
そう、喪失感に慣れているから、 割と強いんだろうな、俺はっていうところにもね、
一つあったんですよ。
まあ諦めと割り切りが上手っていうのも あるんですけど、
やっぱりね、あの最大の喪失感っていうのは、 まあ私別だと思うんですよ。
そう、ペットが死んじゃってペットロスになったりさ、
まあ恋人が死んで鬱になっちゃったりとか、 パートナーが死んでとかさ、
まあ親が死んで友達が死んでっていうのはさ、
まあ世の中は絶対そういう人がいると思うんだ。
そう、もうなんだろうな、寿命っていうものもあるしさ、
なんかしょうがないことじゃん。 生まれちゃったんだからさ、いつか死ぬじゃん。
その形はさ、自死じゃない方向?って言ってほしいなとはさ、思うけど。
けどさ、基本的になんだろう、みんなさ、
一回ぐらいはさ、ああ、なんか本気で死にたいって 思ったことあると思うんだよ。ないかな?
私は結構ありますよ。何回もありますよ。 まあ若いうちが多かったですけどね。
そう、けど年取ってからもきっと何回か起こるんだろうなって思うよね。
そこは何だろう、10年ぶり、15年ぶりとか、
大人になってそこのなんだろうな、大鎌時っていうんでしょうか、
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そういうのにハマってしまったらやべえだろうなって思いますね。
そう、まあね、別に、そうだな、自死を認めるなんてことはできませんが、私は。
まあでもね、認めないといったところでなくなりゃしないし仕方ないので、
まあそれも含めて寿命かなというのも思って生きています。
が、やっぱりさ、寂しいよね、死ぬっていうのはね、
動物の死や恋人や友達が死ぬっていうのは寂しいですよね。
あとは案外不思議な気持ちになりますよね。
ああ、もういねえのかって。
うん、なんか本当によく言う言葉でも手垢のついた表現だけど本当に今でもいるみたいみたい。
今でも連絡したら連絡が返ってきそうみたいな風に思っちゃうよね。
そう、そんな、まあね、でも本当若い、早い、遅いだけで絶対死んじゃうんだけどさ、人は。
つまり生物はね。
今日はね、この中にファンの方がいるかもしれないのですごくなんとも言えないんですけど、
まあね、話の出しに使うつもりは一切ないんですけど、
ガゼットのね、ビジュアル系バンドガゼットのレイタさんが救援なさったということで、
まあね、今日はそんな話をしていこうかなってきっかけにはなったんですけど、
皆さんね、ビジュアル系バンド聞きますか?
私は聞きます。
まあね、EX JAPANとHIDE WITH SPIRIT BEAVER、
HIDEとEX JAPANが主に聞いているって感じなんですけど、
あとは何かな?
まあ、あの、MAPERAとかも好きだったし、NO GODとかも好きでしたね。
あとマイナーバンドとね、医療系、ビジュアル系バンドっていうので、
LULUっていうのが昔あってですね、初期の頃はよくライブも行ってましたね。
今、メジャーなところで頑張っているところ、大手ですね。
まあ大手と言って差し支えないでしょうは、
SHIDOとガゼットとDIR and GROWだと思うんですよ。
この3大バンドが今本当にビジュアル系の勢力図の大手って感じだと思うんですよ。
もうね、正直EX JAPANとかさ、LUNACYとかGREYとか、
あとはGAKUTOとかも含めていいのかな?とかって、もうちょっとさ、
BAKUCHIKUとかもさ、もうなんだろうな、
黎明期組はもうちょっと違うポジションにいるじゃないですか。
失礼な話ね。
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そこでその中でガゼットとSHIDOとDIRっていうのは今の大手だと思うんですよ。
そのバンドの中でガゼットでレイタさん知ってますか?
ガゼットっていうビジュアル系バンドの中の人間がぽやーっと浮かんで、
その中で鼻に布を巻いてる人です。
いつも鼻に布を巻いて鼻を見せてない人。
皆さんわかんないですかね。
私はね、とても高校生の頃好きでしたね。
でも、いつだろうな、
2011年とか12年とかに最後ライブ行ったんですけど、
多分それが俺の最後なんですけど、
多分REDが出た後とかだったかな。
まあね、なんとなく追っていたんですよ。
周りにすごく好きな人が多くて、
私の妻も結構ガゼットが好きで、
去年は目指せ全通みたいなことをしているぐらい好きで。
でも、俺はちょっと離れちゃったんですけど、
それでも好きなバンドの一つには変わりなくて、
そう、やっぱり悲しいよね。
寂しいよね。
42歳ということでね、役年だった。
そういうタイミングで、そういう大鎌時っていうのに、
きっと足を取られてしまったんでしょうね。
時間とかね、そのタイミングとかっていうのはね、
絶対落ち込みやすい時があるからね、人は。
そう、だからなんだろう。
まあ一つ、本当に寂しいよね。
好きなバンド、好きな芸能人が亡くなっちゃうっていうのもさ、
一つ模質だと思うんですよ、本当に。
結構さ、芸能人が亡くなっちゃったり、
アイドル的な子とか俳優とかが亡くなっちゃうと、
若くして、特に自私だったりすると、
なんかセンセーショナルで後追いの子が出たりとか、
少しするじゃないですか。
この模質感、やっぱり死というエネルギーは、
生というエネルギーに追いになっているだけあって、
すごい強いエネルギーを持っているなって思うんですよ。
でもね、極端な話、
すごいあれですよ、叩かないでほしいんですけど、
あくまでも生きる世界、私たちの生きてる世界って、
生きてる人間のためにある世界なんで、
死んでる人間のために生きるのっていうのはまた違うかなって思うんですよ。
忘れなければいいなっていうのもありますよね。
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なんかやりきれない思いが永遠と募ってしまう。
今でも乗り越えられていない死というものもあるんですよ、私にも。
そう、あるんですけど、
もうね、泣くことはないですが、
まあ本当どうだろうな、何年かに1回くらいあるかな。
ただ、女の子なんですけどね、
女の子の元恋人だった子なんですけど、
その子の息子が小学生になっている姿を見たりとか、
あとは明日近くになったり、誕生日近くになったりすると、
ふと思い出したりはするんですけど、
印象がとても強いですよね。
まあね、その子はね、自死というよりも自己死だったんですけどね。
まあね、苦しい苦しいって言ってたんですけど、
それを何だろう、受け入れるしかないですからね。
まあね、葬儀の時はもうね、ほんと周りが引くぐらい泣いてたんですけど、
まあね、一緒に働いていた同僚も病気で死んだり、
まあね、30年も生きていればね、
友達が死ぬなんていうこともね、1人2人いますよ。
ただすごい近しい奴が死んだのはその女だけで、
その女は今でも、
まあ完全に乗り越えられているかといえば乗り越えられていないんですけど、
でもそれでもなんかやっぱり前向きに生きていかなきゃいけないし、
息子たちの様子をたまには見に行かなきゃいけないし、
って思うんですよ。
そう、だから難しいよね。
それぞれだと思うんです。
でも、そこでさ、腐って自分の中でどうしようもないことを悩み続けたってしょうがないじゃないですか。
どんなに泣いたってさ、引きこもったって、自分の手首切ったって、生き返らないし。
そうなんですよ。
なんか死というエネルギーの強さって、もう二度と会えないっていう強さなんですよね。
もう大きいよね、これ。
ああ、もう二度と会えないのかって。
二度と喋れないんだって。
それがね、やっぱ大きいよね。
そう、それをね、ああって。
なんか本当、芸能人との距離感っていうのはある。
喋ったりはしたことはもちろんないしないけど、
ああ、もうレータ見れないんだって。
ガゼットのライブ行ってもレータのベースソロ、
もうあのダミ声で叫ぶのももう聞こえないんだって。
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結構長年時間を追って見てしまっていると思うよね。
なんかそれが年を重ねていくことだとも思うし、
俺がね、生きているということだけど。
なんか、模質感。
そういうものと向き合い上手になっている人の方がやっぱり大人なのかなとは思います。
まあね、難しいんですけどね、これね。
なんか、泣かない医者は立派な医者なのかとかさ、
そういう理論になってくるんですけど、
医者とか看護婦なんていうのはもう死が間近にある仕事じゃないですか。
だからそのたんびに落ち込むことは多少あるのかもしれないけどさ、
取り乱して泣くこととかさ、
仕事途中で早退するとかそんなこと言ってられない仕事じゃないですか。
そう、だからある程度の割り切りができていると思うんですけど、
死について皆さんはどんな価値観でしょう。
これがね、とても嫌なのが猫ですね。
今までの人生の中でその女の子の死というのは私の人生の中で一番苦しかった。
一番泣きましたね。
でも鬱になることもなくしょうがないなって受け入れられることはすぐできたんですけど、
もうある程度大人だったから。
受け入れられないって何でなんだろうね。
それってさ、でも失礼じゃない?
自分が向き合って自分がそのことを積み上げてきたものっていうものがあるわけじゃない。絶対。
そいつを見てそいつを感じてそいつのことを思ってってやっぱり本当なんだろうな。
よく言う言葉で言うと私の心の中で生きているみたいなところってあると思うんですよ。
もうそれがなくなりはしないからね。
死んでも過去はなくならないので、それは忘れなければいいって思うところではありますね。
いずれ私も死ぬしね。
それが長生きしていつかになるかっていうのはまた別の話ですけど。
でもそういう喪失感がやっぱり最大で、それを超えてしまうと失恋の悲しみって軽いじゃないけど感動ポルノっぽくできるよね。
悲劇のヒロイン昇降群じゃないですけど。
かわいそうな私とか愛されてない私とか捨てられた私みたいな。捨てた俺みたいなさ。
なんか空気に浸っちゃうところってちょっとあるよね。そこって余裕だよね。悲しむことを楽しむことっていうのも大事だよね。
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なんか人の死を利用している感動ポルノっていう風に捉えられたらとても嫌なんですけど。
語弊を恐れずに表現をしてしまうならば、なんだろう、死んだことを俺に体験させてくれたし、
愛する人間が失うっていうのを、こんな気持ちなんだっていうのを味合わせてくれたっていうのは一つ大きなものだと思うんですよ。
そういうのってさ、良くない?初めての体験っていいなって思うんですよ。
普通に生きてると気度哀楽があんまりどんどんどんどん少なくなってくるわけじゃないですか、刺激が。
その刺激の咲いたるものと言ってもいいものじゃないですか。
人が死ぬ、生物が死ぬっていうのは。
それは、なんだろう、いいよね。
そこまで悲しめるとか、そこまで辛く思えるっていいなって思いましたね。
もう、泣いて、もう止めどなく泣けてきてしまって、もう本当に泣けちゃって泣けちゃってって。
なんかね、あんまり泣かないんですよ、俺。
あんまり、なんだろうな、気度哀楽、なんだろう、あんまり感情が触れないように生きているし、もう触れないし大人だしね。
そう、でも本当にね、それを感じれたのはとても良かったですね。
そう、次、死ぬ猛獣感、喪獣感で怖いのは猫ですね、猫。
猫をね、4匹私は飼っているんですけど。
一番ね、最初に飼った猫が、もう13歳、13歳、14歳か。
今年14歳になるのかな、なるんだけど。
もうね、嫌ですよね。
もうそいつだけはね、ペットと飼い主っていうよりも、もうなんか友達的な感じなんで、もうね、すごい嫌ですね。
そう、俺とその猫の関係性を見ている周りの人間たち、本当どうしようって、本当悪君が死んだらどうしようってみんな言いますね。
俺もそれはね、ちょっと予想がつかないのでどうなるかなって、ちゃんと割り切れて受け入れられるのかなって思うんですけど。
まあ受け入れられないなんてことはないんですけどね。
動物を飼う中で一番いい習慣は死を見とれるところだってね、むつごろさんが言ってたので。
もうそれは結構心理だと思うんで。
やっぱりね、何事もそうだけど、行けるときに行く。
押しは押せるときに押せ。
好きなエネルギーがあるときに好きと伝える。
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これやっぱり大事だよね、全てにおいて。
ペットも動物も恋人も友達も。
それが擬似的なアイドルだっていいし、ビジュアル系だっていいし、芸能人だって俳優だっていいしって。
そこにはまってるんだったらその瞬間のエネルギーをやっぱりぶつけたいよね。
それね、やっぱり多くの人は急死をしたり、引退したり解散したり、いなくなってしまったり、かたまた死んでしまったりっていうのが起こるから、いつどんな状況で会えなくなるかっていうのはわからないわけですよ。
友達だって結婚した相手が、なんだろうな、あんまり友達と遊ばせたくないと思う。
パートナーをえっと結婚してしまったとか。
子供が双子だったとかだったら、なかなか会う機会っていうのが少なくなってくると思うんですよ。
だからやっぱりね、今周りにいて、周りにあるもの、自分が好きなものを愛することっていうのは大事だよね。
それができていれば、もっとしときたかったって思うことが、それが愛しいよね。
その気持ちが愛しい。そんなことを思ってしまう自分を愛しく思いましょう。
死の割り切り、無質の割り切りってそういうところがあると思うんですよ。
失恋もそうで、あんまり乗り越えられない悲しみっていうのはやっぱりないと思うから。
ワンピース的に言うとね、お前失ったものじゃなくて今あるものを数えろみたいな。
エースは死んだけど何がお前にあるって。仲間がいるよって、あの問題なんですよ。
失ったものばっかりに囚われては前に進めないから、本当に受け入れるしかないんですよ。
受け入れて自分の中で消化するなり、思い出すときは思い出してもいいし、忘れないってことも一つの供養だと思うんですけど。
でも今あるものを、今愛しているものを、もしくは今自分を愛されているものをないがしろにしてはいけないよなって思った。
今日の出来事でした。
今日はね、今日からね、ほんと7日ぐらいは私はガジェットを聞いて、少しね、おとなしく音楽ライブをね、楽しもうと思います。
では、ありがとうございます。
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またねー。