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はい、皆さんこんにちは。先日ですね、スタイフのトップパーソナリティですね、寸釈観音さんが、好きなことを仕事にしたは良いけれど、という話のですね、19をですね、更新していただいて、その時ですね、部落企業の話をされていたので、あの、まあちょっと違う観点からなんですけど、少しまあ仕事の話みたいなことをですね、今日はしようかなと思っています。
何の話かというとですね、就職氷河期世代っていう話なんですけれども、ちょっとネットの方で調べたら、就職氷河期時代って何歳から何歳までの方かっていうのを調べると、昨年の時点で最新の情報が出てたのが、39歳から53歳までの人っていうのが就職氷河期世代の対象年齢だそうなんですね。
私はですね、43なので、もろその中に入っていて、あとですね、5年くらい後に生まれてたらですね、この中には入らなかったんだろうなというところもあるんですけれども、バッチリ引っかかっているわけですよ。就職氷河期世代っていう言葉もですね、あんまりよく分かってないまま、私の場合はですね、もうハルキ先生とかもおっしゃっていた、キャバクラ短大みたいなところにですね、入ってしまったわけですよ。
何も考えないで、本当はですね、ちょっと違うことをやりたかったんですが、費用もかかるし、親からお金も出ないしということで、四大はちょっとね、特にですね、私立大学っていうのは絶対に無理だったんですよね。私の父親がですね、定国大出身なんですよね。
それでですね、学歴社会っていうのもバリバリのですね、考え方で、私立の大学っていうのは大学じゃないっていうのがですね、あのうちの父親の言っていることだったので、国公立じゃないと四大は行かせないっていうふうに言われてしまったんですよね。なので、もともとですね、私立大学に行くっていうような選択肢がなくて、もう大学と見なされなかったんですよ。
それであれば2年にしてくれと。2年にしてもお金は出さないぞと。でも2年にしろというような話があってですね、私もまだまだですね、あの世間が見えてなかったので、そのままですね、その時期に入れる、けばくら短大みたいなところにですね、入学をするわけですよ。
そうすると、2年後も就職しなきゃいけないってことで、四大の方だとだいたい2年とか3年ぐらいからかな。3年ぐらいから就活を始めるところが、私の場合はですね、もう最初に1年目入って、ちょうど今頃ですね、9月ぐらいから就活のことを始めるっていうような形になるんですね。2年の短大とか専門学校行ってる方ってみんなそうなんですけれども、そこで気づくんですよね。就職表記だってことに。
これはまずいぞと思ってですね。理由が、まず2年後就職し始めて9月か10月ぐらいから奨学金が入ってくると。これが就職決まっていないと奨学金払えないので、親からもですね、散々言われたんですよ。就職を決めると。決めないと我々にお金が支払いが入ってくるので、それでは困るから早く支払いができるように就職しろとすごく焦らさせられるんですよね。
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それでですね、私もあのとにかく就職をしなきゃいけないと思って、就活に臨むわけですよ。就活に臨む前ですね、最初の短大に入って1年の中の半月はですね、かなり遊んだんですね。やっぱりケバクラ短大と言われるだけあってですね、みんな遊びまくってるんですよ。
私の周りにいた同級生っていうのは、大半がケバクラか風俗で働いてる人だったんですよね。何度誘われたかわからないですが、ものすごい誘われました。でもですね、私はちょっとその時ですね、住んでいた場所が、家からもう実家から出てしまっていて、親戚の家に住んでいたので、文言があったんですよね。
遅くに帰ってくるなと言われて、10時半までに帰ってこいと言われたので、ケバクラで働いてしまうと10時半では帰れないので、物理的に無理だったんですよね。そうすると、時給の高いアルバイトをしないと生活費ももらってなかったので、稼げないということでですね、高級ホテルのですね、高級バーみたいなところですね。
食事もできるところですね。そこで1回、誰かいらっしゃったら10万ぐらい使っていくような、すごい高いところだったんですけど、そこは時給が結構良かったので、そこでバイトしたりですとか、ホテルの配膳でバイトしたり。最終的には、クレカのですね、特卒企画に金を払えと言い続けるような仕事だったので、全体的にですね、当時で2,300円ぐらいもらえるような時給のところで働いてたんですよね。今も平均が1000円ですよね。
でも当時は700円とか800円の時代なので、それよりずいぶん高い時給で働けるようなところで、土日とか平日夜とか、週2,3回なんとか入れて、土日はほとんどアルバイトしてましたね。7時間、8時間。
そんな感じでですね、お金を稼ぎながら就活するというかなりハードなことを、ケバクラ短大に入ってからですね、もう半年後から始めた感じですね。
その先生たちもですね、すごく就職率がその中でもいいケバクラ短大だったんですよね。なぜいいかというとですね、就職室みたいな先生たちがいるんですよね。
先生というかですね、外部からもうそういったエージェントみたいなものを雇っていて、求人をとってくる優秀な営業マンが何人かいるようなところだったんですよね。
なので、そこの先生たちとですね、ちょっと仲良くなったんですよ、私。そこにいらっしゃった女性の方で、ものすごい美人な方でいて、今でも忘れないんですけど、顔はですね、完全に井川はるかなんですよ。
井川はるかにのですね、綺麗な方で、当時ですね、35,6歳で、お子さんがですね、もう既に2人いらっしゃる方だったんですよ。
なぜかもう本当にバリキャリーで働いていらっしゃる方で、もともとリクルートとか多分大手のそういった人材紹介的なところの会社から転職してこられた方で、
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当時のね、19とかぐらいの私にとってはとっても魅力的な方で、たまたまその方にちょっと気に入られたんですよね、なぜか。
で、就職をこういうところでやりたい、ああいうところでやりたいっていうところで、私は希望していたのが、とにかく就職するってことで、
頭悪いんでね、何も考えてなくて、事務職とかね、あとはその秘書とかね、そんな仕事をやってみようかなみたいな、ちょっとパソコンもその当時の時代の中では割とできたので、
そんなことを言ったらですね、面談みたいなものをしてもらって、その方が言ったのがですね、ダメだと。事務とか秘書はあなたには向かないっていうのを言われたんですよね。
じゃあ何が向くんだっていうと、営業職にしろと言われたんですよ。これだけ口が動くから営業職が向いてるぞというふうに言われて、何にも口を動かしたつもりはないんですけど、
彼女の中でピンと来たということで、営業職で総合職を目指しなさいと。学歴は関係ないんだ。金さえ稼げばトップになれば、全然学歴関係なく稼げるから営業職にしなさいという、そういう話が出てですね。
営業職でですね、いくつか求人をその方から持ってきたんですよね。持ってきた中で、持ってきた中以外もですね、私就活を始めて、当時はですね、まだアナログとデジタルの中間地点みたいなところがあったので、今だと就職活動っていうのが、
リクナビとかマイナビとか、ネットで就職活動するのは当たり前じゃないですか。エントリーシートとか。当時はですね、ちょっと紙が半分とエントリーシート半分というちょっとね、瀬戸際だったんですよ。ただ私はもうその時点でパソコンがもう、ブランドタッチなんかは高校の時代からできたので、全然パソコン使えたんですね。最低限のこと。
なのでちょっとパソコンは自分で持ってなかったので、学校で借りたり、あとは満喫ですね。その当時満喫っていうのが結構でき始めて、綺麗なところ、もうピカピカですよ。新しいお店なんで。そこでパソコン借りてですね、エントリーシートを出しまくったんですよね。
エントリーシートって一個作っておくと一気に出せるじゃないですか。紙だと何枚も必要ですけれども、それが必要ないので、リクナビかな当時。リクナビに登録して一気に出して、そこでですね、何十社出して、最終的に全部数えると100社ぐらい受けたんですけど。
で、書類審査通ったのがですね、本当に5社ぐらいで、これもですね、ケバクラ短大にしては奇跡だと言われたんですけど、それが通って、その先生からね、伊賀遥二の先生からね、紹介されたところも通ってですね、私はその伊賀遥二の方が人材商会で働いてたっていうのを聞いて、人材商会の営業を目指したんですよ、実は。
で、その先生に憧れを持ってたっていうのもあったし、こういう風になれればいいなっていうのが何となくあって、人材商会のですね、当時のめちゃめちゃブラック企業ですね、ブラック企業で内定をもらったんですよね。
で、その会社は4台しか取らない、まぁだいたいそういったところって4台しか取らないって書いてあるんですよ。書いてあってもう出せと言われたので、出しまくってて1個引っかかったところで、最終面談で面接で社長から気に入られて採用だというふうに言われて、そこでもう私の就活は実は終わったんですね。
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なので、実は他の方より結構早めに終わったんですよ。2年の5月ぐらいに終わったので、これでも最速だったんですよ、当時は。ただですね、その前に受けていたある大手企業の、当時の上場企業で、社員数が4桁の企業があって、内定をもらってたので遊んでたんですよね。
内定終わったら、イエーイみたいな感じで。イエーイっていうのと遊びながら、お金を貯めようと思ってバイトしながらですね、いろいろ自的にやってたんですけど、たまたまですね、その4桁の社員数のある上場企業、当時の上場企業の会社から、3次面接に来てくれと言われたんですね。もう落ちたと思ってたんですけど、なんか随分時間が経ってから3次面接に来てくれって言われて、3次面接に行くかどうかっていうのをこの井河春神の先生に相談したら、絶対行くべきだと。
ということで行ったんですよ。行ったらグループセッションか何かなんですよね。大きい会社ってだいたいグループで、一つのテーマに対して議論みたいなするような、そういうのをですね、面接官が見て判断するっていうのがあるみたいで、それを受けたんですよね。
そしたらですね、そこからトントン拍子に4次面接、5次面接まで行って、最後6次面接が最終だったみたいなんですけど、私の場合は学歴がないのに多分こんなに長くさせられたと思うんですけど、最終面接まで何とかで結構1ヶ月ぐらいでススッと行っちゃって、最後はもう確認でしたね、完全に。
確認だったんですが、その時に言われたのが、もともと関西の会社なんですよ、そこは。私は大阪にいたんですけれども、東京に今進出していて店舗をめちゃめちゃ増やしてるから東京作業にしたいって言われて、それでですね、はいと言って内定をもらいましたと。
それでですね、その内定をもらった当時の上場企業、社員数4桁の上場企業っていうのが、私が希望していた人材紹介の会社じゃないんですよ。全く別のですね、無形商材は無形商材なんですけど、別の商材で、かつですね、その競材、その商材を使ったことも見たこともないような商材なんですね、実は。
皆さんご存知のものだと思います。今も他で売ってるようなものなんですけど、なのでですね、人材紹介じゃなくなってしまうんですよね。そこでですね、その内定をもらった会社と、そのもう一つもらった人材紹介じゃない企業とですね、どっちかっていうのをちょっと悩み出すんですよ。
それでですね、それもですね、またその井河遥二の先生に相談に行くんですけど、私の方でですね、ピンと来てたのが、まず東京で働けるっていう、本当にね、頭が悪いんでね、上京するっていうところに関してね、ものすごいアンテナが張られちゃったんですよね。
で、それと企業がですね、その初めに決まった会社より断然でかい、でかいしネームがある、ネームがあるっていうところですね、もう完全に惹かれてしまったんですよね。で、それでですね、ただ私がその最初に決まった人材紹介の会社って人材紹介なので、B2Bなんですよね。
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ただ、その4桁の社員数の上場企業っていうのはB2Cなんですよ。個人営業なので、どうしたもんかなと思って、相談に行きますと。そしたらですね、もうその井河遥二の人はですね、もう完全にそっちに行きなさいと言った方が多分いいと思うのでっていう話が出てですね、もう最初にもらっていた内定の会社を蹴ってしまうっていうことですね。
基本的に内定をもらった時に蹴るっていうのはですね、当時は、今もそうだと思うけどタブーなんですよね。なのでですね、その内定を蹴る時にですね、親が死んだと。親が死んで実家に帰らなきゃいけなくなったので、内定を取り消しさせてくださいっていうような言い方で、確か電話か何かでお断りして最後書面を送って終了だったかなっていう記憶があります。
そしてですね、東京勤務っていうことになるんですけど、ここからがね、入社してからものすごい量働いたと思います。今は多分この40とかで働けないような時間を費やしたと思うんですけど。
というわけなんですけれども、もうね、やっぱりネームに惹かれましたね、完全に。それで入社した時もですね、やっぱりネームに惹かれてきてる人が圧倒的に多くて、かつですね、短大とか専門学校卒とかっていうのはですね、まあいないんですよ。
同じ同期でですね、短大卒だった人は人にもいなかったですね。全員、まあそのマーチとかGマーチとか、総計とか、まあ本当にいい大学ですね、東京に関しては。で、大阪から来てる人もあんまりいなかったんですよね。
で、行ってもやっぱり、えっと、立命官とかああいうちょっと賢いねところで、官官同律っていうようなところですね。あの辺の大学の方ばっかりで、まあこれ大丈夫なのかと思いながらね、なんか働きだしたっていうのを記憶してますけどね。その後のことに関してはちょっとノートで何回、2回ですね、書いた内容があるので、もし興味がある方いたら読んでもらえればと思いますけど、大したこと書いてないですけども。
っていう就職氷河期だったわけなんですよね。それで周りの人っていうのはどういうふうに就職してたかっていうと、一つは縁起ですね。あのまあコネです。コネクションですね。親が経営者で、親の会社に就職するだったり、親がその結構その経営者だからその経営者同士の誰かの知り合いの会社に取ってもらうとか。
まあ事務ですね。事務とか秘書とかそんなところですね。で、あと経理系のもう母規一級持ってる人がいたんですよ。私の友人で。で、その人はですね、あのそのケバクラ短大を特大生で入ったので、受講料無料で入ってるんですよね。で、その子は一番先に就職決まったかな。
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何だっけな。なんか経理の会社ですね。そんなに大きい会社じゃない中小企業の会社に決まったんですけど、働いて2年で辞めちゃいましたね。もう結婚するって言って。それからもう一度も仕事しないですね。その子は。もう仕事したくないって言ってずっと専業主婦みたいですけれども。
ということは、あと就職浪人にしかかって、親が結構金があるような親がいるようだと、大学にね、転入するとか、専門学校に行くとか、資格の介護とかね。やっぱり介護の専門学校とか、あとは臨床心理師とかそういう専門学校に行ってる子もいましたし、そんな感じでしたね。
つなぎとして、学校にどこかに所属しなきゃって言って進学する人もいた。完全に就職浪人になってしまって、フリーターになる人もいました。
で、やっぱりですね、新卒で入るっていうことの重要さは、井川はるかにの先生にめちゃくちゃ言われたんですね。これ最初でこけるわけにいかないぞと。最初にこけたら次もこける可能性っていうのは非常に可能性として高くなるから、最初にネームのある会社行っとけば、次なんとかなるっていうのはめちゃくちゃ言われて。
それでですね、本当は人材紹介の営業したかったのに、全然違う畑違いの無形商材の個人営業に決まったときに、そっち行った方がいいよっていうふうに言われて行って、今なんとなく今があるっていうそんな感じですね。
ただ、最初の就職に、私の場合は全てつながってるんです。実は。同じオーナー、商材をずっと売ってきてるので、全てつながっているっていうところで、やっぱりここでまた中村知彦さんの全てのことは縁になってるっていうような話をされてたんですけど、つながってるんですよね。
なので、私の場合は多分最初が今ものすごい働いたりきついこともあったんですけど、最初がついてたのかもしれないっていうのを今思い起こせば感じてます。
自分の同級生とか、キャバクラ短大にいた方たち、途中で就職活動をしっかりしたいので、遊んでる連中とは手を切ったんですよ。
その遊んでる連中はどうなったかというと、半分はフリーターで、半分は就職しましたと。円子とかそういうので就職したんですけど、結局続かなくてやめたり入ったりしてる人もいれば、早めに結婚しちゃってっていう人もいますね。
特にキャバクラに働いてた子は頭いいですね。さっさと見込みのある男性ですね。若くて同じぐらいの年齢の将来見込みのある男性をしっかりゲットして専業主婦だったりパートとかしてるから、やっぱり年収の方も安定してるって言いますね。旦那の方が年収も安定して。
割と大手とかに入った大学生とかを当時狙ってたんで、そこをしっかりとつなぎ止めたみたいですけれども、中にやっぱり離婚しちゃった人とかもいますが、大体うまく生きてるのはキャバクラちゃんと働いてた人だな、あの人たちは本当に上手だなと思いますね。
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どこからそんな人みたいなっていうのはぶっちゃけありますね。なので生き方は人それぞれだと思うんですけど、ここで何が言いたいかっていう何が気づいたかっていうと学歴はあんまり関係なかったかな私の場合はっていうところですね。今でもですねやっぱりあの前職も今の仕事もですね周りがみんなですね大学大卒なんですね。
たぶん私みたいなこうバカな学校に行ってた人っての一人もいないんですよ。みんなあのもう本当にみんなが聞いたらわかるような大学しか行ってなくて、えっとエフランの大学も多分いないんですよ。なのでですね本当にあのついてたなって思いますね。
結局栄養職っていうのは数字稼いでなんぼなので学歴は全然関係なかったっていうところです。ただですねやっぱりあの勉強してきてる人っていうのは頭がいい人がね多いのでもちろんそういう人には勝てないですし本当に頭いいなって思う人もいますけどそうでない方っていうのを大量に見てきてるんでもうお花畑でね何も続かないとかね。
なのでまぁまぁまぁ今振り返ってまぁ何にも体制してませんけどまぁ良かったんじゃないかなってその時代にねにしては氷河期の時代にしてはまぁ生き残ってる一人なんじゃないかなっていうのがえっと今私の自分の人生振り返って思うところでした。はいもう19分ぐらい話してしまったんですけれども今日はこんなところで終わります。