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はい、みなさんこんにちは。
ちょっとですね、朝配信を聞いていたら、ちょっとこれはまずいなということが、私の中で勝手に違和感を感じたことがありましたので、ちょっと話してみました。
思いつきで話しているので、同じ話を多分2回ぐらい言っているかもしれないです。
ちょっとその点だけご了承いただきたいので、そこだけご注意いただけたらと思います。
もし興味のある方は聞いてみてください。
はい、おはようございます。
今日はですね、ちょっと人間関係の話したいなと思ってまして、バイネームは出さないんですけれども、人間関係をカテゴライズして、時間術で考えるということをちょっと聞いたんですね。
私はその意見に関しては、反対か賛成かというと、やっぱり賛成ではないんですよ。
理由がですね、人間関係というのは、私が考える人間関係というのはグレーなんですよね。
だから白黒をはっきりつけてはいけないものだっていう認識なんですよ。
例えばね、私がもう生理的に受け付けないっていう人がいたとしても、その方ももしかしたら他のところで共通点があるかもしれないし、いい面があるかもしれないじゃないですか。
すごく好きな人がいても、その好きな人がとっても私と意見が合わない嫌いな部分があるかもしれないじゃないですか。
だからですね、好き嫌いだけで物事を判断してはいけないっていうのが、私の考える人間関係なんですね。
人間関係を消費、浪費、投資で3つで分けて、浪費の部分は捨てていこうみたいな話をする人がいるんですけど、浪費じゃないんですよね。
一人でいれればいいじゃんっていう話なんですよ。
だからその一人じゃなくて、仕方なく何かに属しているものは浪費とすると思うんですけど、その話だと。
でもですね、別に属さなくていいし、断ればいい話じゃないですか。
結局断れないからそういったカテゴリーに分けるっていうことですよね。
だからそこに潜んでる、奥底に潜んでるのがやっぱり他人塾かなって私は感じたんですよ。
それで自分もですね、そんなに人柄の良くてですね、誰にでも好かれるような人ではないんですね。
ありませんし、それを別に望んではいないんですよ。
私のことがいいです、好感持てるっていう人がいればラッキーだし、嫌いな人がいればそれはそれで結構ですっていう認識なんですよね。
ただしですね、一緒に仕事をする人とか、お金がかかることに関しては嫌われてはいけないっていう認識なので、
そこはですね、一本も二本も下がってやっていくわけなんですけど、ビジネスにおいては。
ただプライベートに関しては別に好き嫌いっていうのを相手が判断することだって私のことではないので、
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私のことを例えば嫌いですっていう人がいればそうですかで終わるんですよね。
結局その人間関係をカテゴライズして、浪費とか消費とか投資に分けるっていうことは、
他人軸っていうところもそうなんですけど、ちょっとね、人間関係に対してのリテラシーが低いのかなっていう感じもするんですよね。
結局その真剣に誰かと本音を出してぶつかってきたことがないんじゃないかなっていう感じがしました。
人間関係を浪費っていうのもおかしいし、投資っていうのもおかしいんですよ。
これは結局投資っていうところになってくると、ビジネスが絡んでくるってことじゃないですか。
自分にとって得な人と仲良くなる。これが投資っていうことですよね。
浪費っていうのは別に消耗してもいい。別に自分にとって害がないから消費って言うんですよね。
浪費っていうところに関しては、自分にとって害になる。マイナスになるから捨てるってことですよね。
だから浪費っていうのは捨てるってことになりますよね。
人間関係を捨てるっていう言い方は、相手にとっても自分にとっても、私はちょっと良くないかなと思う。
特に相手にとってはとっても失礼なことだと思うんですよね。敬意を感じない。
これはどんな方においても、敬意を持って接するっていうところは、私はちょっと接客業が長いので、
そういう形なんですよ。もちろんバカにしたりジスしたりすることはありますよ。
ありますけど、基本的に敬意を持つっていうのはとっても重要だと思うんですよ。
たとえ自分のことを嫌っていたとしても。
なのでやっぱり人間関係っていうのはグレーな状態が一番良くて、カテゴライズもできないと思うんですよ。
もちろん趣味の、例えば私であれば音声配信につながっている人とか、海外ドラマで好きでつながっている人とか、職場の人とかね、
そういうカテゴライズっていうのはできると思うんですけど、
投資と浪費と消費っていうのはカテゴライズしてはいけないと思うんですよね。
結局自分よがりなんですよ。
相手がもしね、例えば私でしたら、私のことが例えば好感を持ってたとしますと、
でも私にとってこの人との関係は無駄だっていうのが向こうにバレてしまったとするじゃないですか。
これって相手を傷つけたことになると思うんですよ。
なのでですね、分けられないし、数字にもできない人間関係っていうのは、答えがないっていう部分なんですよね。
ってなってくると、どんな方に対してももちろん好みはありますよ。好き嫌いはあります。
ありますけど、敬意を持つっていうところと、ニュートラルな対応っていうのがとても重要になってくるんじゃないかなと思うんですよね。
例えば私とは考え方が合わない人ってもちろんいます。もちろんいるし、考え方が合う人もいます。
いたとしても、その部分において考え方が合わないだけで、別の部分では考え方が合うってことは絶対にあり得るんですよね。
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なので、一人の人間に対して好きが嫌いかっていうのを一つのことで判断してはいけないなっていうのが最近この年になって感じることなんですよ。
私も結構若い時は、この人嫌いだとかこの人好きだって感情的にやっぱり物事を考えてしまうことっていうのは結構あったんですよね。
でもですね、感情的に考えることこそですね、不幸になることはないんですよね。不幸なんですよ、やっぱり。
やっぱり不幸だし、ある時に突然関係が切れてしまったりとか、例えば業務上とか仕事上では絶対にしてはいけないことだなっていうふうに感じるんですよね。
なので、自分にとって得か損かとか、そういったことで人を判断してしまうときもあるんですけど、こういった3つに分けてしまうと、さっきも言った通り、
投資っていう部分は自分にとって得な人と付き付け合うってことじゃないですか。これを公言してしまうってことに関してですね、公言してしまっている人に、やっぱりもう心に問題があるというふうに私は感じたんですよね。
その根底にあるのがやっぱり他人塾、自責志向、他責志向っていうところですね。やっぱり他人に対して他人のせいにする。で、他人塾っていうところなんですよね。
ここはですね、やっぱりよく皆さん考えてもらいたいんですけど、時間術は何でも時間術でやっていくっていうのは別に私は否定しないです。
私も時間の使い方すごく下手なので、うまく使っている人のことはすごいなって思うんですけど、やっぱり人間関係はね、これはね、やっぱりちょっといただけないなと思ったので、今日ちょっとそんな話をしました。
皆さんどう思いますか?人間関係を尊徳で全部数字でカウントしたりですとかカテゴライズってしてますか?
これね、ちょっとやっぱり危険な状況だと思うので、もしされている方がいれば少し考え直してもらってもいいんじゃないかなって私は思いました。
私は逆に人間関係をグレーな状態に保つために、基本一匹狼でいるっていうのを貫いてからですね、すごく楽なんですよ。
悩むこともないんですよね。結局その俯瞰してものが見れるから、別に私のことを嫌っている人がいても、もちろんね、嬉しいか悲しいかっていうと、悲しい部類に入りますよ。
もちろん人はね、自分のことを嫌われるといい気にはならないです。
ただしですね、相手がそう思っているのであって、別に私のことは関係ないよねってなったら、別に何とも思わないっていうことなんですよね。
ここまでやっぱり達するには、ある程度ですね、やっぱり知識を入れる必要はあるので、やっぱり子供なんだろうなっていうふうに、その話し手のことを聞いて思いましたね。
っていうのはちょっと今日話したかったことになります。それでは失礼いたします。