1. スピの認識【言霊コーチ天野】
  2. 【幸福論】井の中の蛙は幸せか..
2024-02-22 27:41

【幸福論】井の中の蛙は幸せか?それとも不幸か?◆ヌーソロジー◆唯識学

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あなたが進化するメルマがやっています。詳しくは概要欄から。言霊の力であなたの人生を変えるコーチ天野です。
今回のテーマは、井の中の蛙から考える幸福論です。
井の中の蛙っていうのは、一般的には、そんな狭い世界の中で満足してるんじゃないよと、
そんなところで満足しているのは、井の中の蛙だよと、もっと大海大きな海を知りなさいと、そういうふうに、
人を叱るような文脈で使われるような言葉ですよね。
だけどですよ、実は井の中の蛙さんが、もし幸せを感じているとするならば、
それは、もうその人にとっては、それが世界のすべてであり、宇宙の本質をつかみ取っているという状態なんですね。
だから幸せそのものなんですよ。
だからわざわざ大きな海に出ていくことなんかないし、
なんて言えばいいのかな、 大きければいいとか広ければいいとか、そういうものではないんですね。
幸せというのはそういうことでは決まらないわけですよ。 だからこの辺を勘違いしてないと、なかなか
幸せな人生を送ることができないということになってしまうので、本当に今回の話は慎重にというか、
今までの自分の認識を打ち壊すような、そういうような意識でぜひ聞いて欲しいんですけど、
というのも人っていうのは、
自分というものはとても小さな存在で、それに対して世界、宇宙は広いんだっていうふうに、そういうふうについつい考えちゃうんですよね。
だからこの小さな自分が強くなければいけないとか、強くならなければいけないとか、より外に出ていかなければいけない。
まあ開拓者精神なんてのはそういうような一つの現れですよね。もっともっと開拓していかないといけないみたいな、そういう考えですよね。
だけどこれってすごく本質を外している認識なんですよ。
そういうふうに人は考えるから、昔から争いが多かったりとか、
未だに幸せな、みんなが幸せに暮らせるような状況っていうのは起こってないわけなんですね。そういう状況ってのは出来上がってないわけなんですね。
もっと言えば別に世界は広いとかそういうこともないですからね。
広いとか狭いとかそういう、もはやそういう次元の話ではないですから、そういう次元というか、この広いとか狭いっていうのは3次元的な発想ですよね。
でもそうではなく、別に僕らが確かに感知できる範囲内というのは3次元世界ですけど、本当の世界っていうのはもっともっと次元が高いわけですから、
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だからその次元の高い部分から見ると広さっていうのはもはやもうどうだっていいんですよ。
広いとか狭いとかそんなことはどうだっていいんですね。どうだっていいし、もうすべては一つだし。
もっと言えばすべては浮遊するエネルギーだし。
あんまりこの辺の話をですね、深掘りしてもちょっと話が全然違う方向に行っちゃうので、ちょっと話を戻すとですね、
胃の中の河津っていうのがありますよね。つまり胃の中の河津は幸せではないっていうこの考えは、なんでそういうふうな考えになってしまうかというと、狭い世界の中で暮らしているからっていうことですよね。
つまり狭い世界はダメで広い世界はいいんだっていう、こういう認識で生きているからこそ胃の中の河津はダメだっていうふうに思っちゃうわけじゃないですか。
でもそれって実はすごく間違ってるわけですからね、そういう考えっていうのは。 胃の中の河津にとってはその世界がすべてだし、すべてということはまさに宇宙そのものなんですよ。
それは宇宙そのものということはもうみんなと同じなんですね。 あの宇宙っていうのはもう一つであり、もう
なんて言えばいいのかな、広さっていう概念もないわけですからね。だから胃の中の河津にとってはもうその世界の中で暮らしているっていうことそのものが宇宙なわけですよね。
だったら何が重要かというと、その世界の中で幸せかどうかっていうことが一番重要なわけじゃないですか。
別にその世界が三次元的な発想で狭いか広いかっていうことが重要なのではなくて、
その人の人生、胃の中の河津にとっての認識の中で自分がどういう人生を歩んでいると思えているか、これが一番大事ですよね。
そうした場合、三次元的に見て狭かろうが広かろうが本人が不幸だと感じていたらやっぱりそれは不幸なんですよ。
三次元的に狭かろうが広かろうが本人が幸せだと感じていればそれは幸せなんですよ。それが全てなんですよ。
ここをよく分かっておく必要があるんですね。 例えばですよ、なかなかこういう話をしていてもすごくややこしい話をしているなというふうに
捉えてしまう人もいると思うので、もうちょっとわかりやすく事例なんかも交えてお話しすると
結構有名な映画でトゥルーマンショーというのがあるんですよ。1998年の映画でジム・キャリーが主演です。
トゥルーマンショーというのはどういう映画かというと、 ある一人の男の人生を描いているという映画なんですけど、でも実はその男の人生は
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作り上げられたものなんですよ。 本人だけが知らないんですね、そのことを。気づいてないんですね。
つまりどういうことかというと、いろいろ生きていく中でいろんな人に出会ったり、いろんな仕事に出会ったりするわけですよね。
実はそれらすべてがテレビ局によって作られたものなんですね。 出てくる人はみんな俳優なんですよ。ただ街を歩いてすれ違う人がいますよね。
すれ違う人とかもみんな俳優なんですよ。 だから大スペクタクル映画を
テレビ局が作っているわけなんですよ。 一人の男、だから知らぬは本人だけ。
その一人の男が、その男として見れば、だからジムキャリーが主演なんですけど、 ジムキャリーにしてみたら普通に生きているというふうに思うんですけど、でも実は身の回りにあるものは全部
テレビ局が用意したものなんですね。 それはすべて地区一カメラで撮影されていて、全米で放映されているんですよ。
みんなが見ている。
そういう映画なんですね。 そういう設定の。
ただ視聴者にしてみたら、本人だけが知らない、実はもうみんな作り上げられたものだってことを知らないことを、
一つのドッキリを見るような感じで見ているわけなんですね。
それで、すごく人気の番組みたいな扱いになっているんですけど、
そうした場合ですよ。ちょっとここで考えてほしいんですけど、もしこのトゥルーマンショー、この場合で言うとジムキャリーですよね。
ジムキャリーの
人生が 幸せだとするのならば
どうでしょうか。ジムキャリーの人生って幸せだと言えるのでしょうか。 つまりジムキャリーはその人生を歩んでいて、
テレビ局が用意した人生を一生懸けて歩むわけですよ。 その人生を生き切ったとして、それで俺は幸せだったというふうに感じながら死んでいったとするのならば、
果たしてジムキャリーが 演じるところのその主人公ですよね。その主人公は
幸せな人生だったと言えるかどうかということなんですよね。 ここがですね、
人によって認識が分かれるところなんですよ。 胃の中のカワズはダメだっていう発想をする人は
この主人公は不幸だって考えるんですよ。 なぜならば、たとえ本人が幸せを感じていたとしても、それは単にテレビ局が用意したものに過ぎないと。
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テレビ局が友達を用意し、テレビ局が通行人を用意し、 テレビ局が恋人を用意し、テレビ局が家族を用意した。
その人たちに囲まれて幸せな人生を送った。 知らぬは本人ばかりなりと。みんなそれは俳優だったんだよってことは、
本人だけは知らないのであって。 だからまあそれって単なる胃の中のカワズでしょと。
本人は幸せなまま死ぬのかもしれないけど、でもみんな笑って見てるんだと。 じゃあ不幸じゃんっていう発想なんですよね。胃の中のカワズはダメだって発想する人は。
でも、しっかりと本質を見ることができる人っていうのは、
この主人公はまさに幸せそのものの人生を送っているし、 本質的に見てもそれは幸せだっていうふうに正しく見ることができるんですね。
たとえ観客がそれを見て大笑いしていたとしても、本人は幸せであれば、それは本質的に幸せなんですよ。
これはですね、そう思い込もうとかそういう話じゃないんですね。 伝わってますかね。
だってそう言っても観客は笑って見てるじゃないかと。
本人の人生をテレビ放映されていて、それを観客は笑って見てるんでしょうと。 じゃあ全然幸せじゃないじゃんと。お前笑われてるんだよっていう。
そういうふうに思うかもしれないですけど、でも幸せなんですよ。 幸せだし本質的にも幸せなんですよ。
繰り返し言いますけど、これはそう思い込もうって話じゃなくて本当にそうなんですよ。
じゃあそれがなぜそう言えるのかっていうその根拠は、いろいろと述べることができますよ。
僕も過去そういうお話をしてきました。 ただそれを話し始めるとものすごく長くなるんで、
2つの根拠らしきものをここでは紹介します。 1つは有識学です。有識学というのは仏教という哲学ですよね。
この哲学で、昔から紡ぎ上げられてきた主にリュージュ・ナガール・ジュランという人なんですけど、
その時代からずっと紡ぎ出されてきた
哲学というか科学ですよね。 仏教って科学ですから。
有識学というのはその文字通りただ認識があるだけだという、こういうことを解明していく学問なんですよ。
ただ認識があるだけ。つまり僕らってこうやって現実世界を生きているような気になっているじゃないですか。
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でも実はそれって現実世界なんてもなくて、ただ認識があるだけなんですよ。
なぜならば五感というものを通して僕らは見ているわけですよね、この世界を。
それを脳みそで感知して、それで処理してこの世界を把握しているわけじゃないですか。
ということは本当の世界なんて誰も見てないんですね。 だって僕らの例えば目だって完璧じゃないですよね。
宇宙の果てが見えるわけじゃないし、逆にそのものすごく小さいものが見えるわけじゃないですよね。
分子や原子や原子核や電子が見えるわけじゃないですよね。
その時点で僕らはかなり限定された五感という不完全なものでしかこの世界を把握していないということなんですよ。
その不完全な五感というものを使って、しかもさらに不完全な脳みそというものでこの世界を把握しているので、
その上で紡ぎ出された自分が思っている、この世界だと思っているその認識というものはまさに幻想でしかないんですよ。
だから有意識学と言われるんですね。有意識学。ただ認識があるだけだ。
僕らはただ認識の中を暮らしているだけだ。もっと言えば夢の中を生きているだけだ。
それを正しく解明しているのが有意識学なんですよ。ただ一つの根拠なんですね、これは。
ただまさにトゥルーマンショーと同じじゃないですか。僕らはこの現実だと思ってますよね、この世界を。
目の前を見ればいろんなものがある。 だけどそれはもう自分がそう思っているだけなんですよ。
本人だけしか、実はそれは現実でもなんでもないということは、神様は知っているわけですよね。
もう知らぬは本人ばかりなり、本当にトゥルーマンショーと同じことなんですよ。
トゥルーマンショーを笑って見ていられないんですね、とても。みんな同じですから。
みんな演劇しているんですよ。みんな思い込みの中を生きているんですよ。
だったら大事なのはこの思い込みの世界、自分が見ているこのただ認識だけがある世界、このただ認識だけがある世界が幸せなのか、そうでないのかっていうことが全てだってことはわかりますよね。
わかりますよね。 だってこれが全てなんですから。ただ認識があるっていうことが全てなんですから。
だったらそれが幸せかどうかが一番大事なわけじゃないですか。それはその人それぞれに世界があるわけですよ。
A君、B君、C君、D君、それぞれに世界があるわけなんですよ。それぞれの世界は全く違うわけです。
だから、例えばA君から見てB君はなんか幸せそうじゃないなと、こいつ胃の中のカワウザだなと思っていても、B君がその世界をすごく楽しんでいたらそれでOKなんですよ。
別にA君がとにかく言うことはないんですね。一番考えるべきことはA君はA君の世界を幸せにしていくことを考えるのであって、そうするのが正しいのであって、別にB君を見て、お前は胃の中のカワウザだなんて言う必要は全くないし、
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B君自身もA君のそういう言葉を受けて、俺は実は胃の中のカワウザだったんだということは不幸なんだなんてことは思う必要は全くないんですよ。
だから、本人がどう思うかなんですね。 だからもしトゥルーマンショーの主人公が幸せなまま一生を送ったとするのならば、その人の人生は本質的に幸せというふうに言えるわけなんですね。
そしてもう一つの根拠らしきものを挙げるとすると、ヌーソロジーという考え方があります。
YouTubeとかいろいろ漁っているとヌーソロジー関連の動画が出てきたり、いろんなブログなんかも出てくるんで、興味があったら調べてほしいんですけど、ヌーソロジーというのはこの仏教の優位識学みたいなことをもうちょっと突っ込んで、
さらに本質的に迫ったような学問というのかな、考え方、ものの捉え方だと思ってください。
ハンダコーセンさんという方が主に提唱されている考え方なんですけど、考え方というか分析の仕方ですよね、この世界の分析の仕方。
ヌーソロジー関連のブログとかYouTubeとか見ていただけたらわかると思いますけど、それはもう自分の見ている世界がすべてなんですよ。
それをヌーソロジーでは漁師力学とかそういった最先端の科学なんかも使ってクリアに説明しているわけなんですね。
なぜ自分が見ている世界がすべてだと言えるのかという。
ちなみにということで言うと、もうちょっと突っ込んで言うと、自分が見ている世界がすべてだし、それが他の人が見ている世界と関連する部分もあって、
言ってみたらパラレルワールドみたいなもんですよね。パラレルワールドとしていろんな世界が存在していて、そして同時にそれが統一されているような形でこの世界というのができているんだみたいな。
とてもじゃないですけど、この短い動画で数分数十分の動画で語れるような説明ではちょっと説明しきれないんですけど、
ヌーソロジーというのはそういうことを解明していると思ってください。ただ、もし興味があったらヌーソロジー関連のブログ、YouTubeを見てください。
そういったものを見れば、自分が見ている世界がすべてだというのがクリアにわかるはずです。
ヌーソロジーって結構難しいですからね。ちょっと今までの僕らの常識で見ちゃうと、もうありえないように見えちゃうような考え方だったりするんで、
ちょっと最初はとっつきにくいですけど、でも何回か見ていくうちにすごく腑に落ちるはずです。
いずれにしても、このヌーソロジー、こういったことからも自分が見ている世界がすべてだということがクリアにわかるはずです。
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だからここまでの話をまとめると、有意識学の観点から、そしてヌーソロジーの考え方の観点からして、
自分が今見ている世界がすべてだし、ということは、胃の中のカワズにとっては胃の中のカワズの世界がすべてだし、それが本質である以上、
その世界が幸せかそうでないのかということが一番重要だということがわかりますよね。
ということがまあ一つの説明ですよね。さらにさらに他の角度から説明すると、例えばですよ、これもうちょっと僕らの日常感覚ということで、
そういう角度からちょっと説明してみたいんですけど、例えばゲームというものについて考えてみましょうか。ゲーム。
ゲームというもの、まあ今すごくたくさんありますよね。
すごくまあ、本当いろんなゲームがあるわけですけど、
そのゲームをやっていて、やっぱり楽しいと感じたり、面白いと感じたり、なんか幸せだなと感じたりするわけじゃないですか。
で、そうした場合ですよ。今のゲームってやっぱりすごくレベルが高いわけですよね。
じゃあ、昔のゲームって
つまんなかったのかっていう、そういうことなんですよ。 昔のゲーム。例えば僕が子供の頃とかだったら
ファミコンぐらいしかなかったわけですよね。 ファミコンってのはまあすごく単純なゲームしかないような世界なんですけど、
ただ、僕が思い出す感じで、もうファミコン
っていうのはすごく楽しかったですね。
今から見ると本当にくだらないですよ。超くだらない。なんかボールを移動するだけとか、その程度のことしかできないゲームばっかりなんですけど、ただ
むちゃくちゃ面白かったです。まあそれは僕が子供だったからとかそういうのもあるでしょうけど、ただ大人も夢中になってましたからね。
ファミコンというものには。 あのファミコンどころかもっと遡るとインベーダーゲームっていうのがあったわけですよ。
インベーダーゲームになるともうさらにさらに単純なゲームなんですけど、でもこれはまあ僕はちょっと世代じゃないんであんまり覚えてないですけど、
まあ大人がすごい夢中になったみたいですね。インベーダーゲームって。 じゃあインベーダーゲームってまあすごく単純なゲームですよ。
単純なゲームだから、じゃあ今のゲームからすると全然くだらないから。
じゃあ幸せじゃないのかっていうことなんですよね。 今の僕らがですよ、この高度なゲームがたくさん揃っている今の僕らがタイムスリップして昔に戻って
そのインベーダーゲームを夢中になって遊んでいる大人たちに向かってですよ。 もしもしあなたたちすごくレベルの低いことをしてるんですよ。
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あなたたちすごく楽しんでいるようですけど実はそれって幸せじゃないんですよ。 そこに気づいてくださいっていうふうに
言いますか。 どうでしょうか。
いやいやいやいやその当時の人にとってはそれが全てだしそれが幸せなんですよ。
それはそれでいいんですよ。わざわざ未来にはもっと高度なゲームがあるみたいなことを教えてあげなくたっていいんですね。
教えてあげなくたっていいし、たとえ教えられたとしてもあんまり楽しめないと思います。
だってあまりにもわからないから意味がわかんないから。今のゲームってインベーダーゲームをしてた頃からすると多分意味わかんないと思うんですよ。何が楽しいのか。
まあ言ってみたらまあいろんな概念が広がっているんですけどね今のゲームって。
例えば rpg っていう概念もインベーダーゲームの時代にはないわけですからね。 rpg みたいなものの何が楽しいのか多分よくわかんないと思うんですよ。
こういったものがあるよって言われてもポカーンとする人も多いでしょうね。
もちろん羨ましがる人もいるでしょうけど楽しそうだっていうふうに感じる人もいるでしょうけど。
でもいずれにしてもインベーダーゲームの時代の時はインベーダーゲームがすべてだしそれで ok なんですよ。それで幸せだったらそれでいいわけじゃないですか。
もっと言うとですよ。例えばインベーダーゲームをしていたとしますよ。その当時インベーダーゲームを思いっきり楽しんでいた。
楽しんでいる時にもし自分が今しているゲームって10年後20年後30年後はもしかしたらレベルが低いものになってしまうのかもしれない。
だとするのならば今自分がインベーダーゲームを楽しんでいるというこの状況は間違いなのかもしれないというふうに自分に言い聞かせますかってことなんですよ。
それこそつまんない人生ですよ。素直に今目の前にある幸せを受け取ればいいのにいやこれは幸せじゃないみたいな感じで。
そういう人ってもう拗ねた人なんですよね。 こういう拗ねた人ってのは幸せな人生を歩むことができないんですよ。
自分の世界に幸せが溢れているのにそれを受け取らずにもう全部受け取り拒否して、
もっともっと他にもいいものはあるはずだみたいな外に自分の世界以外に幸せを求めていくっていうそれはもう自分の世界をないがしろにして
自分の世界に唾を吐いているってことですよね。それで他人ばかりあがめたてまつってるみたいな。
そういう人が他人を羨ましがる人生になるわけなんですよ。 で言ってみたらですよ。
胃の中の河津は幸せではないみたいな。そういう発想をする人っていうのは他人を羨ましがる人なんですよ。
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だから今大事なのですよ。とにかく大事なのは今の自分の人生を充実させていくことなんですよ。
今持っている設定条件で、今住んでいる場所で、
今ある環境で、
そこにある幸せをすべて受け取っていくっていうことなんですよ。 もちろん
だからといって仕事変えちゃいけないとか引っ越ししちゃいけないとか、いつまでもここにずっと住んでなきゃいけないとか、そういうことを僕は言いたいわけじゃないですよ。
そうじゃなくて、今ここにある幸せを100%受け取りつつ、自然な形で、もし世界が移動していくのならば自然な形で移動していけば、それはそれでまたその人の世界になっていくんですね。
井の中の河津もそうですよね。井の中の河津として狭い井戸の中ですごく幸せを感じていたとします。
そしたらやっぱりこの世界って自然な力学が働いてますから、幸せを感じている人、存在のそういう力学には幸せを感じるような状況っていうのはさらにさらに
もたらされるようになってくるわけですよ。だから何かの拍子にその井戸からちょろっと出れるような感じになって、
ちょっとした小川に出るような感じにもしかしたらなるのかもしれないですね。井の中の河津も。
その場合っていうのは、その井の中で幸せを思いっきり感じていたからこそ、自然にそういうふうな場所の移動っていうのがもたらされたわけだし、
そしたらそれは自然の力学によってもたらされた現象ですから、それはそれでいいわけですよ。
今度はその小川でまた幸せを感じていけばいいわけなんですね。
こんなふうに今ここにある幸せを100%受け取りつつ、自然な形で世界を変えていく。自分の住む世界を変えていく。
こういう生き方が望ましいわけなんですよ。 一番ダメなのは今ここにある幸せを受け取らずに唾ばかり吐いて、
俺はこんなところにいる人間じゃないみたいな感じで、井の中の河津、大海を知らずって言葉もあるだろうと。
もっともっと他の場所に移動しなきゃ、広い世界を知らなきゃ、みたいなことをしながら一生拗ねて生き続けるような人。
こういう人は自分の人生を幸せにできないわけですよね。自分の人生を幸せにできないということは、自分の世界を幸せにしていないということですから、
ということはその人の人生は幸せじゃないということで確定しちゃうわけなんですね。
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それが真理なんですよ。真理でありことあり、物事のことあり。
だからその人の人生は幸せではなかったってことになってしまうんですね。
ただ大事なのは井の中だろうと、大海に出ていようとどうだっていいんですよ、そんなことは。どっちだっていいんですよ。
問題は本人の認識の中で幸せかどうかなんですね。そこだけを考えていけば自然な形で、
またいろんな場所の移動も起こってきますから、それはそれで環境の変化を楽しんでいけばいいわけじゃないですか。
何たくさんありましたかね。人生いろいろですけど頑張っていきましょうね。
あなたが進化するメルマがやってます。詳しくは概要欄から。
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