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2023-03-27 29:31

hiroroさん交えて3人回~法具の様に圧縮して言葉を残したい

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#熾火のように のhiroroさんを交えての雑談第3回

ChatGPT先生は平気で嘘をつくらしい…w

先人の知識や技術はどんどん失われていくけど、そのバランスを探したい

密教でいうところの法具のように圧縮して、言葉を残していきたいな~


hiroroさんの個人Podcast:熾火(おきび)のように( https://open.spotify.com/show/6s0fSHyHzqoqepeWzwJShU


収録日:2月25日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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ゆるゆるーくお付き合いする番組
しゅうとひょうも、みちのりへのみちのり。
この番組は文字通り、しゅうとひょうもの気が向いた時に、
適当に好きなことを話しながら、まだ知らないことはないことわり、
つまり、つまり、みちのりを探していくみちのりを描く番組です。
下手をしたら、下手をしたら、二人のおもちっぷりを探すだけの気のままな旅。
ゆるーゆるーくお付き合いいただけたら、うれしいです。
前回からの続き。
何々さんの代表作は東京ラブストーリーですね。
断定するんだ。
まさにさっき僕が言ってたことの例ですね。
面白いなと思いました。
平気で断定して嘘をつく。
なるほど。そっかそっか。そこは要注意ですね。
答えを求めるんじゃなくて、自分の活動とかアイディアの起爆剤みたいに使うイメージですね。
あるいは上手くチャットGPTを理解して、上手い質問の仕方っていうのをチューニングすることで、
何かしら文章作成とかそういったところのツールとして扱うみたいな。
なんかそんな感じのイメージかなっていうのは思いましたけど。
全然自分の知識外のところから話してたら新しい単語とか出てきたりするわけじゃないですか。
さっきしゅうさんがおっしゃってたようにGoogleとかで自分で探しに行くわけではなくて。
そういったところから自分の次の発想のきっかけみたいなのが生まれるからですね。
さっきしゅうさんがおっしゃってたように先生としていいのかもしれない。
自分の発想の起爆剤。
ただそのチャットGPTっていうものがどういうものかっていうものを注意してみときつつ、
使い方みたいなのを考えると面白い使い方がいっぱいできていくような気がしますね。
知識と技術の繋がりについて
そうですね。
なんか私もわからないこととか結構多いので、自分で調べるには調べるんですよ。
でもなかなか調べてもわからないことってあるじゃないですか。
でもそういったときに今だったらね、たとえばしゅうさんにパソコンっていうかIT周りのこととかちょっと聞くところすぐ答えてくれるっていうか
作ってくれるっていうかね。
だからそういうところはね、なんだろう、すごいなっていう。
分かってるっていうのを知ってるっていうのって力になるんだなっていうのがね、感じますけどね。
私もわからないと、いくら調べてもわからないで止まっちゃうことって結構多くて。
でも分かる人にとったら結構簡単に。
最近ね、しゅうさんにカバーアートをちょっと新しいポートキャストをやろうかなってずっと思ってて。
カバーアートを作ってもらおうと自分で作ったんですね。
でもなかなか作れなくて、素材はこれにしようと思うんですけど、でもパッと言ったらもうそのタイミングはよく見てくれて。
1分、2分後にこんなんどうですかって来るので、あれを作るとしたら私もう半年くらいかかっちゃうなっていうぐらい。
いやいやいや、そんなことはないと思うけど。
だから分かってるっていうのはね、ほんとすごいなっていうか。
だからそういったところからも学びっていうか、学んでいけたらね、ほんといいなっていうのは感じますけどね。
あとおじいちゃんとかね、私結構おじいちゃんと一緒に住んできたり、今も近くに99歳のおじいちゃんいるんですよ。
やっぱり今99歳なんですけども、おじいちゃんが近くにいるんですね。
ご自身のひろろさんのおじいちゃん?
私の妻方の。
あーはいはいはい。
で今、ほんと近くに引っ越してきているんですけども、まだ元気って言ったら元気なので。
やっぱりいろんなやっぱりこと知ってるんですよ、ほんとにもう。
今最近はちょっとそんなに動けなくなりましたけども、山行ったらこの木は何だ、この葉っぱは何だとかね。
そういう何か知ってるとそっからまた面白いじゃないですか、この葉っぱが。
例えば小ならだったら小ならで、こっちが何でしょう、この葉っぱなんだとかね。
だから知ってるってとてもいいなっていうのが常々。
ありますよね。
そのおじいちゃんも高校の入試が新聞によるじゃないですか。
毎日新聞読んでるんですけども、その高校入試のやっぱり物理とか研ぐんですよ。
すごい。
で、元々設計図っていうかエンジン屋っていうんですか、エンジンを作ってるっていうかそういう仕事をしてたらしくて、
物理系とかすごくその人も得意っていうか。
で未だに何か解いたりして、こういうの分かると面白いんだろうなって。
そういうとこも繋がってますからね。
何かでもね、そういう知ってる人がどうしてもいなくなっていくというか。
確かにですね。
そういう知識の話でもそうだし、技術的なところで言ったら僕以前ちょっとだけ竹細工習ってたりしてとか、
そういう人もでももう竹細工一本で食べてる人が宮崎では一人しかいなかったその人が、
もう今は仕事としては閉店に辞めなくなったとか、それは年齢的なものなんですけど、
そういうふうに技術も失われていくしみたいなところがあってめちゃくちゃこうもったいないなっていう感覚になるんですけど、
何でなんだろうっていうか、そこの一番いいバランスのところみたいなのを探したいっていうのはこの道のりとか喋りながらいつもどっかの片隅に意識の中に常に、
道のりじゃなくて修法もそうかな僕の場合はあるんですけど、
いかんせん僕が発想がぶっ飛びすぎるっていうところがあって、具体と抽象の一番抽象的なところまで飛んじゃうから、
そこをもうちょっとこう間を埋めるような作業をこの道のりでやりたいなみたいなところを意識してて、
この今言ってる表現自体がだいぶ漠然としてるとは思うんですけど、
道のりでも割と初期の方に僕物質の最小単位に愛がもうそもそもあるんじゃないかみたいな言い方をしてるんですけど、
それだけ聞いてもなんかでぇっていう感じになるじゃないですか、
そこを日々の具体的な動きの中にもっと取り込めるようにちょっと今後できたら、
しょうもさんが前に表現されてた言葉借りると仏教でいう宝具みたいなものだったり、
なんかこの言葉にその思いをぎゅっと圧縮して詰めるみたいな言葉を何となく作っていった方がいいのかなみたいな感覚的な欲求が湧き上がってきて、
欲求が湧き始めてて、やりたいんですよ。
僕もなんかこう、なんかマインドセットみたいな形で、
アクセサリーだったりTシャツだったりとかっていう風なのを持ってましたけど、
なかなか自分の中ではあるにしてもなんかそこまで作ろうみたいなモチベーションなかったんですけど、
アウトプットが先Tシャツ
それこそ修復の中でこの言葉だとか、
それこそアウトプットが先もいいと思うんですけど、
いろいろこう作ったやつで、Tシャツとか作っちゃえばいいじゃないですか。
Tシャツで。
アウトプットが先。
アウトプットが先のTシャツポジティブ。
本当ですか。アウトプットが先ってイケてますか?
なんかこう、それだけ聞くと、アウトプットを先にやるのねって捉えられちゃうから、
なんかそこ自体をもうちょっとちゃんと、ちゃんともうちょっと表現しないと成り立ってないよなみたいな気分でいて、
今日とかもそういう話題になったらそれも話題の一つとして相談しようぐらいな気分だったんですけど、
イケてるんですかね、その表現だけで。割と伝わってるんですかね。
それこそ何ですかね、中長度高い言葉ですし、
万人に伝えようと思うんだったらそれこそちょっと具体側に寄せて、
それに付随する小グループみたいな単語を何パターンか作るのもいいかもしれないですけど、
周りにいらっしゃる方たちはアウトプットが先で十分伝わるし、
それをこうなんか着て背中に掲げとくとかって結構面白いなと思ったりする。
なるほど、そっか。
メッセージTシャツとかね、私も昔よく着てましたもん、背中に。
今じゃ恥ずかしくて着れないですけど、背中にメッセージが書いてあるTシャツとか。
なんかここに異人のメッセージが書いてあるTシャツとかね、よく着てたなって。
そういうのすぐ作れる時代ですからね、すずりとかですぐ出しちゃえば。
アウトプットが先Tシャツちょっと考えてみようかな。
大塚さんにちょっと相談して、大塚さんってペガペガさんに相談してみようかな。
アパレルの、そういうTシャツ作りとかだったらみたいなことを前に何かおっしゃってたんで。
宝具っていうのは何でしたっけ、どういう漢字でしたっけ?
宝具は法律の法律。
で、あとはもう道具の具ですね。
宝具的言葉の圧縮
その宝具ですね。
ちょっとそれを、僕がどういう意味で言ってたかっていうと、
これは古典ラジオの密教とかを話された回で、
そういう宝具とか密教で言う単語っていう言い方だったかな。
ちょっと僕だいぶ表現が怪しいので、そのまま受け取られるとちょっとまずいかもしれない。
ちょっと古典ラジオの密教の回のあたりを聞き直していただいた方がいいかもしれないんですけど、
そういうある一つの言葉に、ものすごく本当は正確に表現しようとしたらめちゃくちゃ長くなる文章みたいなものを、
一つの単語にギュッと圧縮するみたいなことをして、
それをさらに積み重ねていくことで、密教の真理みたいなところに近づいていくみたいな、
そういうニュアンスで僕は捉えていて、
しょうまさんもそういうところに面白みを感じるみたいにおっしゃってたっていうところで、
ちょっと僕の中ではしょうまさんとはそういう共通言語的に、
そういう宝具的なことみたいな言い方をしてるんですけど、認識しょうまさんとあってますかね。
ちょっと補足していただいた方がいいような気がして。
古典ラジオのところでそういうものを圧縮ファイルみたいな表現をして。
圧縮ファイルでしたね。
そもそも圧縮ファイルっていうのが圧縮ファイルみたいな状況になってますけど、
え、どういうこと?
今しゅうさんが言われた言葉からすると、言葉にいろんな情報を詰め込んで表現すること自身が圧縮ファイルじゃないですか。
ただその宝具の意味合いを圧縮ファイルっていう言葉にすること自身が圧縮ファイルじゃないですか。
そうっすね。
そんなこと言ったらちょっと混乱しちゃうかもしれないですけど、
結局いろんな表現したいこととかそういうものをシンボル化するというか、
それが宝具とかそういう実際の物質的なものにシンボル化することで、
例えばそれを見るとその意味合いっていうのが想起される。
考え方が先に進む
だから自分が忘れたくない大事なことだったりっていう思いだったり、
そういうものをシンボル化して持ち物とかずっと身につけられるものにしておくっていうのが、
宝具の意味合いっていう風に感じたので、
それを現代版でそれこそ仏教とかにとらわれないでやりたいな、なんか面白そうだなっていうのがそういう話のところですね。
分かりやすいですね。よく分かりました。
しょうまさんに話してもらうと急に分かりやすくなるんですよ。
よく分かりました。
僕がそれができないから、できないからなんかせめて宝具みたいなものを作る過程で、
多少こう分かりやすく噛み砕いて構築していけないかなみたいな感覚をちょっと持ってるっていうところなんですよね。
しゅーさんのアイディアっていうのが、例えば五周章ラジオを一つにしても、
キャッチコピーっていうか五周章ラジオっていうのも五周法っていうのがあるけども、
そこで五周章っていうのはすごく上手っていうか面白いなっていうふうに感じたし、
しょうまさんがインプッターっていうのを表記したじゃないですか、
それがね、パッとね、よく作れるなーって。
僕は関心しましたけどね。
そういったところでアイディアがあるんだろうなっていう。
なかなか作れないなっていうふうに。
いやいやいやでも、さっきのアウトプットがさっきみたいに、
本当は単発じゃ難しいのかもしれないけど、
なんかその、こういうふうな発想になったことの一つに、
さっき言われてたみたいな、
小学校とか中学校の時みたいに何も考えずに勉強できてたみたいな、
そういうのが難しいっていうようなところに結構僕の中では意識がつながってたりして、
そことちょっと直接的なリンクじゃないのかもしれないんですけど、
全部がこう、なんか今はストックしていけるみたいな感じで、
ポッドキャストも配信してるけど、いつなくなるかわかんないみたいな、
これはなっちさんのアンカーとは別で自分の声を残そうみたいな動きとか、
そういうのにも通じるもんがあると思ってるんですけど、
でもとはいえそれもずっとじゃないよなみたいなふうに、
思考がどんどん先に進んじゃうんですね、僕。
で、そうすると結局は全部がなくなっていくみたいに考えたら、
それこそこう、全部ほんとに波みたいなものだよなっていうふうに考えがちなんですよね。
音声や言葉が生き残る価値
だから今僕はすごくポッドキャストに可能性を感じて、そこで現時点で伝わることっていうのを大事に生きてはいるんですけど、
でも歴史みたいなことを考えると、だいぶ人間の生きる100年とかからしたら、
だいぶ長く感じられるような何千年っていう時間を、書き記した言葉みたいなものが生き残ってきてるんだよなって思うと、
そういう音声だけじゃなくて、宝具のようにして何か言葉を紡いでいって残しとくみたいなのに価値があるのかなみたいに思い始めたっていう。
伝わりましたかね。
なくならないっていうかね、いつでもその人がいなくなっても形に残ってたりしたらいいなって思うし、
ほんとおじいちゃんとか、親もそうですけども、いろんなこと知ってて教えてほしいなって思うけども、
意外とその時って教えてもらわないんですよね。
なくなったりいなくなったりすると、あの時もっと聞けばよかったなっていうのが今、小さな頃の勉強の話とつながりますけども、
そう考えると今が生きてるので精一杯っていうか、そこに意識がいっちゃってるんだろうなっていうか、
当たり前のように、親とかね、おじいちゃんおばあちゃんとかっているなって思ってても、いなくなった後の方がね、
もっと相手のこと聞いておけばよかったなとかって思っちゃうのはね、思っちゃいますけどね、別の話になりましたけども。
いやいやいや、そう、そういう感覚、なんかもう心の中にある大事なものみたいなこと、
良い悪いじゃない、全体というか、宇宙単位で言ったら良いとか悪いとか全部ないみたいな話に、
僕自身がよくするんですけど、でもなんかこう心の中にある大事なものみたいなのを頼りにただただ生きてるだけだよなって思ったら、
そこを大事にすること以外にやることないなみたいにも思ったりもするし、
なんでそれが失われていくのかなーみたいなところに、今は結構意識が行っていて、それが僕の中ではやっぱりそういう、
そういうのを、そんなことよりもお金を稼がないとみたいな風になっていくことが、
世の中全体がたきそぼに向かうように、僕から見えちゃってるから、それをとどめるためにもやっぱりこう、大事なことで感じられることに意識が行く時間をちょっとでも長く残しておきたいなっていう感じはしますよね。
そういう習さんが考えられていること、思考のプロフィクスとかを声で残しておくっていうのは、やっぱり一つ一番大きいところですよね。
それを聞いた人たちがそれをきっかけに変わるかもしれないし、アナログ的に残しておくっていうのももしかしたらいるかもしれないですけど、
やっぱり一番データとしての残る補修生だったり、そういうところがしっかりあるんだったら、やっぱり一番声がいいような気がしますね。
それこそ、思考プロセスとか全部もう一人ごとのようにずっとあってもいいのかなっていう話を聞いてて思いますね。
こうやって一緒に対話する中でいろいろお話しますけど、習さんが多分普段ずっと内省されてると思うんですよ。
それを全部声に出してひたすら残しておく。
それは習さん的にもフィードバックにし、習さんこういう風な思考プロセスをたどってるんだとか、それをまた一つ面白い、コンテンツという言い方したらあれですけど、
そういう価値のあるものになるのかなと。
僕は全部書き出すというか、思考プロセスを全部文章にしてもいいかなと思いましたけど、やっぱり声のニュアンスだとかもあるし、
一番楽だから考えてることを口に出して全部言っちゃう。
録音しとくとかっていうのも面白いかなって思いましたね。
習慣的に思考プロセスを残すことの価値
なんか収録っていう感じで録っちゃうと、やっぱり聞き手を意識してビビりながら喋ってるから、本当の思考プロセスとはずれていっちゃうんですよね。
だから本当はそういう録音できるタイミングじゃないときに結構思考プロセスが進んじゃってて、運転中は辛うじて頑張れば録音できるのかもしれないけど、
例えば月に1,2回しか行かないけど銭湯に行ってるときとかかなり進むんですよ。
でも銭湯入ってるときって一番録音できないタイミングだったりして、すっげー難しいなみたいな感じがあるんですよね。
だからでも思いついたときに音質は悪いかもしれないけど、録しておくっていうのが大事かもしれないですね。
使わない想定で聞き手を意識せずにビビらずに喋るのが大事そうな気がしますね。
逆に今、しゅんさんがやりたいことの本質とはずれちゃうんですけど、今生活していく中でやっぱり今の社会上お金っていうのも必要だし、
逆に聞き手を意識しない方のものをそれでも聞きたいっていうレアな人に売っちゃうとか。
それでも聞きたいというか、むしろ完全にオープンになると言葉とか色々選ばないといけないじゃないですか。
ただこの中は全然そういうの意識してない。意識してないし、何も本当に売れてないという前提の上で、それでも聞きたいという人がいたら聞ける環境にはできる。
で、そこを有料化しとったらわざわざそんなのっていう人は来ないじゃないですか。
そしたらそっち側の人はやめとくっていう人も聞かないでし、それでも聞きたいって思う人はそれで聞いてくれれば多少しゅんさんが生活していく中の話になるだろうし、
ただしゅんさんが本当にやりたいというところの本質とはずれるんでどうかって言ったのはそういうところになりますけど、そんな感じも何かいいのかなと思って。
なんかその方向性、その通りっていうのはなかなかやっぱちょっと難しいんですけど、フィルターを何らかの形でかけるっていう意味で別の手法を一旦ちょっと考えたくてっていう、でもそのアイディア自体はありがたいです。
ありがたいし、ちょっと考えていたことでもあったりもしますね。
まあ売ろうっていう意味じゃなくて。
ああ、わかったわかった。たぶんそうだろうなと。そこに売ろうっていう感覚がまずしゅんさんがないだろうなと。思った上で言ってたんで。
渡せる人にだけ渡せるみたいなのは、僕はでもいいなあぐらいにしかまだできてなかったんで、言っていただけてすごいありがたかったんですけど。
抽象的だと、反対に興味関心示している人ってそこから入っているところは自分でなんだろうこれはって自分で考えていっていいかなと思うんですけどね。
反対に抽象的な方が、ちょっとほら具体的に固まっていると反対に入りやすいんだけども、誰でも入っていて結構離れる人って多いのかなって。
抽象的だと自分でなんだろうなと興味関心を示している人だけが自分で調べていって考えていって、そこでほらしゅんさんが本来言っているアウトプットが先っていう意味っていうのはどっかに明記されていたらわかりやすいかなって。
そういうのはちょっと困りますけどね。興味関心を示して入るのがいいかなとは感じますけどね。
話がまとまらないかもしれないんですけど。
時間があれですね。
チャットGPTの可能性
この話題でチャットGPTの話が出てくるとは思ってなかったんですけど、チャットGPT自身のチャットGPTとの付き合い方の本質的なところにしゅんさんはたどり着いているんだなという印象を受けました。
あれは答えを求めるべきものではなくて、自分の思考のヒントだったり、自分で何かするときの起爆剤というか、そういうのとして付き合うっていうところは使い方として面白いね。
そういう使い方ほど効果を発揮するもの。
自分の外の情報をアイディアとしてくれるから、自分で探しに行くのは自分が肝に思ったこととか今の自分の中でのものしか言ってしづらいからですね。
そういうあり方っていうのは、やっぱりAIの可能性のひとつだと思ったので。
面白いですよね。
感想を述べてみました。
ありがとうございます。すみません、この時間の。
本当は急な日程でありがとうございました。
いやいやいや、ジローさんも本当にありがとうございます。初めて。
またよろしくお願いします。
これからもよろしくお願いします。
よかったです。
じゃあ一旦番組としてはここら辺でということで、本当に今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。
29:31

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