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シュウとショウの未知の理への道のり。
この番組は、文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、
適当に好きなことを話しながら、
未だ知らないことわり、つまり、
未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、下手をしたら、二人の持ちっぷりを探すだけの気のままな旅。
ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
はい、ということで、
どんな感じでもいいかな、という自由な気分ではありますが、
どんな感じがいいんでしょうね。
僕としては、
二人が喋る場みたいなのが、
不定期でも全然いいし、
二人の気分が乗った時とかでもいいし、
それも絶対二人だけじゃないといけないとか、そういうのにもこだわらず、
興味ベースで、義務感じゃなくて、興味ベースで、
お互いが興味あることを、
一人で喋るよりは、二人で相乗効果みたいなのが高まるよね、みたいな場として、
しょうまさんの提案を捉えているところなんですけど、
まさに、お考えの通りで、
僕も、ゆるーくなんかですね、
っていうのは多分ポイントにあって、あまり負担にならない範囲で、
一人喋りの中では出ないような、
しゅうさんのとこにゲストで行っているような時に、
今やっているような話の広がりみたいなのがある機会があれば、
なんかいいなあっていうふうな感じなのを思っていたもんですから、
それをどうしても録音するっていうんだったら、
もう一つ番組みたいにしちゃってもいいのかなと思ってですね。
なんかそんなのがあると嬉しいなあと思ってはいるんですけど、
どんなあれがいいんでしょうね。
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そうですね。
今の第0回的に話しましょうかみたいにして、
今録音前に言ってましたけど、
今話をどう進めていくかっていうのも全然もう計画が僕なくて、
まずコンセプトは何か一つ添えてた方がいいのかなっていうのは思ってて、
ここはそれぞれが興味あるところの、
ずっと考え続けるだろうなっていうビッグテーマに関して、
いろんな切り口からずっとやっていくっていうのもいいのかなと思ったり、
本当にぽっと出た興味からでもいいと思うんですけど、
番組としてやるなら、
そこの一つ通ったコンセプトをバラバラランダムにやるにしても、
何かしらのコンセプトみたいなのは述べられるようにしてた方がいいのかなと思ってですね。
多分タイトルとかにも繋がってくると思うんで。
そうですね。
今具体的にこれみたいなののピントはきてはないんですけど、
おそらくさっきおっしゃってたように、
しゅうさんのイメージからもクオリティとして、
かなりコンテンツ的なものにしたいというわけではないですよね。
コンテンツ的なものにしたいわけではなさそう。
番組として相方が欲しいというふうな感じでつぶやいてらっしゃったりしてたのは、
基本的に2人で話して、
何か番組みたいなのをやりたいというようなイメージで、
2人でやるときにそのときのイメージとして、
内容みたいなのをしっかり作り込んで面白い内容にして、
できる限りリスナーさんが聞いてくださるような感じで作り込んで、
それこそ最終的にマネタイズをしてみたいとか、
そういうふうなところのイメージまではない。
ごめんなさい、それはないですね。
もちろん面白いものとして成り立っている人たちの聞いて、
羨ましく思うということは結構あるにはあるんですけど、
それは最終的に偶然そういうのがポコンと生まれてたりしていったら嬉しいは嬉しいんですけど、
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それを最初からやろうとするとなかなか難しいだろうなっていう感じと、
偶然そういうのが生まれる方がワクワクするかなみたいな、
ずっと七の戯言の方で僕がゲストに呼んでくださった回のやつも、
後から聞いて、あんなこと喋ってて客観的に見ると意外と面白いなみたいなことがあったりとか、
そういうのも全然ありだとは思ったんですけど、
僕が相方が欲しいなっていう気分の理由の一つに、
僕自身がですね、ビビりすぎて、
あ、これを言うとこういう批判が来そうだなみたいなのを感じた瞬間に、
言い訳みたいなのを最初に自分で言って、
で、それをまた前置きした上で話を続ける、
下手したらその話を続けるはずが前置きに引っ張られて話元のやつを忘れちゃうとか、
いろんな言葉であるもんで、
なんかそういうのがでも対談してるとそれが結構少ないなとか思ってて、
多分一緒に喋っていたり、相手がちゃんと肯定的なリアクションを返してくれたりとかで、
安心してそういうことをしなくて済んでるみたいなところがあるなみたいなののメリットっていうんですかね、
そういうのがだいぶあるなと。
で、特にその10箱の隅の2人がそれぞれ1人で喋った時には、
もうすごい辛かったみたいな。
あそこほどじゃないというか、もうね、さすがに慣れちゃった部分はあるんですけど、
でもやっぱりこう2人で喋る時の面白さというか、話の広がり具合というか、
予想もつかない方向に自由に話が行って、
それもそんなに1人で喋ってる時みたいに不安にならないで済むなみたいな気分があってっていうところが、
の方が一番大きいですかね。
もちろんさっき言ったみたいにテーマとかコンテンツとしてっていうのもありますけど。
そうですね。
いや、そこのちょっと一応お気持ちを誤解してたらまずいなと思ったんで、
まあ多分そうじゃないだろうっていうふうに思ってたんですけど、
一応ですね、僕自身がそのガッツリやろうぜっていう風なところの意気込みがしっかりあるわけではないので、
いろんな時間帯も含め、そこの擦り合わせはちょっとまずできておかないといけないかなと思ってですね。
今後ちょっと時間がどれぐらい取れるかもわかんなくて、
別に一緒にやろうかみたいな話もちょっとあったりなんだりしてて、
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それ自身は指導はまだしてはないんですけど、
まあそれはテスト的にみたいな話で、ちょっとまだオープンにはしてなくてですね。
ただ、しゅうさんとは定期的におしゃべりしたいなっていうところがそもそもあるので、
どうせだったらそのゆるさで一個番組みたいに流しちゃってもいいんじゃないかっていうのが元々の発想ですね。
はいはいはい。全然もうそれで十分だし嬉しいです。めっちゃ嬉しいです。
そう言っていただけると僕も良かったですね。
実際どんな感じで第0回的には話すのがいいかなと思ってて、
僕がですね、そのコンテンツとしてくっきりしなくてもみたいにさっき言ったのが、
結構最近自分でも前から思ってはいるんですけど、
僕ほんと感覚が先に行く人間だなと思っていて、
なんかこう計画を立ててそれに沿って動くみたいなっていうよりは、
感覚とか感情とかそういうのがやっぱどうにもこうにも先に来てるんだなっていうのがあって、
そういう意味ではスカイさんとかとは逆のタイプなのかもしれないと思っていて、
ああいうすごいたくさんの量の本を読んでインプットして、
そこから抽出したものを分かりやすく喋るみたいなんじゃなくて、
どっちかっていうとこうちゃんと全部調べたわけではないんだけど、
情報の欠片を拾ってきて、そこを勝手に直感と直感で紐付けて遊ぶぐらいな、
そういう浅いタイプだなとか思っていて。
この間のつぶやきで、愛の大元って自己増殖なんかなみたいな感じのつぶやきをして、
しょうもさん面白いっていうふうにおっしゃってくださったのがあったと思うんですけど、
ああいうのも全部そんな感じなんですよね。何の根拠もないというか、
勝手に自分の中で発想を巡らせてるみたいなところがあって、
計画を立てて進めるってなってくると、できなくはないのかもしれないですけど、
どっちかっていうと興味がいろんなところに移り変わっていってるだろうなみたいな感覚があるんですよね。
僕もそっちのタイプなので、
細かくこの本の内容とかを調べてまとめてとか、
そういうような感じっていうのは、本当にそれが好きじゃないとなかなかやれないでしょうし、
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だからそういう意味で僕もいろんなところに興味が動いてばっかりいるんで、
正直この自分の中の偏愛みたいなのがないんですよ。ないというか、
これが自分の偏愛だみたいなのは何か言えないんですよね。
やっぱり調べ物を含めたところでしっかりまとめ上げてっていうよりも、
もうそれぐらいのスタンスの方が基本的に言うとそうだと思いますし、
だからもう普段の生活の中だったりとかで聞きかじったことで、
実際その聞きかじったことは全然違うことを言ってるかもしれないけど、
着想だけで話を進めちゃう。
だからそれがコンセプトでもいいと思うんですよね。
根拠も何もないところで聞きかじったことの実際の内容が何かどうか知らないんですけど、
適当に着想して何の根拠もないことをただ喋りまくりますみたいな感じのコンセプトでもいいんじゃないかなと。
いいですね。それの方がすごいワクワクしますね。
なんかそんな感じがいいのかなとイメージする感じだと。
そこにちょっときっかけを与える最初の一滴というか、
そこら辺が僕がさっきテーマとかって言ったのはそういうイメージですね。
なるほど。
この前しゅうさんがおっしゃってたような擬態がちょっと気になるとか、
この前本読んでてこうだったとか、
それこそつぶやきとかで愛の大元が自己増殖とかそういう風なところのきっかけがあった。
それこそあった時にやりましょうかでもいいでしょうし、もしかすると。
ちなみにあれをしょうまさんが面白いっておっしゃってくださってましたけど、
あれは僕の描いた感覚とかは本当感覚だからなかなか説明しようとしても多分、
今日それを説明しようとするのありっちゃありなんですけど、
何かこう喋りながら深掘って言ってまた今日は今日で違う方向に行くような感じはあるんですけど、
面白いっておっしゃってくださったってことはしょうまさんなりに何かこう、
何かあるというか感じたこととか考えてたことがあったとか何かあるのかなと思ってそこを興味あったんですよ。
そうですね、僕自身がその愛の大元とかっていうところをしっかり何か
理解できてるかどうか受け取れてるかとかわかんないですけど、
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自己増殖っていうのがやっぱりそもそもこの愛とコミュニケーションの話とか、
理性的な愛とか小泉さんとかの話とかもあるんですけど、
あるじゃないですか。あれとはちょっと別の領域ですよね多分。
何かそんな気はしてて。それで言った時にその愛って結局そのやっぱり人間だから、
究極はもう全部自己愛というか、
一回こう自己中心的リタみたいな話を町子さんとの対談の時に、
リタって何みたいなそういう風なところの話で、
自己中心的リタっていう言葉をちょっと紹介させてもらったと思うんですけど、
あれも結局自分中心がないと続かないし、
結局その詰まるところ、愛って自分に向けられてるものだなと。
その中で他人にそれを拡張するっていうのは、
自己を増殖させるっていう風な表現を、
そういう意味で使われてるんじゃないかなとかっていうのをちょっと思ったり。
僕的には他の人に自分を投影するというか、
なんかちょっとそんなイメージがちょっと、もう本当に直感的に何か面白いなってことを思ったんで面白い。
つぶやいたんですけど、そこに具体的な考えがあるかと言われると、
そこまででもないんですが、
そんな感じのイメージを持っての発言でした。
もしかしたら前々からご自身で考えられてたこととかで、
似たようなことがあったりしたらと思って興味があったっていうのはあったんですけど、
どっちかというと、変なこと言ってたじゃないけど、
そういう表現の仕方が面白いとか、そういう感じの面白いだったっていう方が近い?
そうですね。そこの表現自身で、
なんかちょっと考えがいがありそうな問いをもらえたなっていう意味合いの面白いっていう風に捉えてもらった方が、
合ってると思いますね。
あれは種明かしをするというか、種明かしってほど大げさじゃないんですけど、
本当に根拠とかはなくて、人から聞いたことをポッて思い出したっていうところが、
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最終的に愛っていう単語がくっついてきたのはあるんですけど、
もともとの僕が考えてたのはその自己複製の方なんですけど、
本当にしょうまさんとの最初の、しょうまさんがゲストに来てくださったときの、
たぶん最初の回に言ったビリヤードの玉の、あれの発想の延長なんですよ。
宇宙全体というか、宇宙で起きていることがああいう感じで、ただこう何かと何かがぶつかって的な、
単なる偶然だったり適材適所的な動きなんじゃなかろうかっていうところが、
それを深掘って言ってたんですね。勝手に一人で。
前回のゲストに来てくださったときにも、もしかしたら宇宙全体がもう生命なんじゃないかみたいな表現にもなったと思うんですけど、
なんかそういう感覚は一つあって、でもこう生命誕生みたいなところ、誕生というか生命の定義自体が、
その自己複製っていうのが生命の定義になってますよね。
まえりょうさんにお話聞いてっていう話をしばらく僕続けて、2、3回かな。
続けていて、ちょっと次に話そうと思ってたところがそういうところがあったのかな、確か。
まだ言ってないですよね。その自己複製生命の定義っていう話。多分してないかな。
多分あの毒性とか擬態とかの流れですかね。
多分知ってないのかなっていう前提でなんですけど、
まえりょうさんがその細菌とウイルスの話をしてくださったんでしょう。
で、その時に最初にまえりょうさんがお話の初めでしてくださったのが、
生命の定義ってわかります?っていう。
で、僕はなんかで確か聞いたかなと思って、
自己複製死ですかみたいにして聞いたんですね。
そしたらまあほぼ合ってますみたいな感じで、
ただその自己複製死の死がついちゃうと、
生死とか乱死とかいう話みたいなのになっちゃうけども、
細胞分裂みたいにして自分だけでこう自己複製するものもあるから、
定義としては自己複製をするっていうところが生命っていう風に一応言われていると。
でもウイルスは自分一人では自己複製できないっていうところで、
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一応生命じゃないっていう風になっているらしいんですよね。
宿主細胞に入らないとダメみたいな話ですね。
ああ、そうですそうですそうです。
あの、宿主って書いて宿主ですかね。
僕の読み方間違ってるかもしれないです。
ああいやいや、たぶん聞き覚えあるから、
マイロさんもそうやって言われたんじゃないかなっていうのを今ちょっとメモを見ながら、
あ、メモしてないや。
ごめんなさい。
そういう意味での定義としてはウイルスは生命じゃないとか言われますよね。
それはさておき、
宇宙全体も生命かもしれないっていう気分も持ちつつ、
やっぱり一番興味あるのが自分たちというか、
生きるって何だろうっていうところが興味が一番あるから、
やっぱりその自己複製っていうところから考え始めたっていうところがあって、
それはまあね、僕みたいなのが考えてわかることではないんですけど、
なんかこう、えっとですね、これはだから思い出したことになるんですけど、
波動の法則っていう本があるんですけど、ご存知ですかね。
いや、聞いたことないですね。
僕も読みたい本には登録はしてるんですけど、読んだことはないんですよ。
ただ、宇宙についてのお話し会みたいなお話し会に参加したことがあって、
その時にその本を紹介してくださってたんですね。
その方の話は一部結構スピリチュアルなところもあったりして、
僕もだから全部を鵜呑みにしてるわけではないんですけど、
まあなかなか面白い発想が、僕その鵜呑みにはしないんですけど、
逆にこう、それはそれとして受け取るみたいなところがあって、
何にも壁がないタイプなんですね、僕。
基本的にあんまり何に対しても偏見を持たないようにしてるみたいなところがあって、
一旦情報として受け取るっていうことを何に対してもするもんで、
その時もその波動の法則っていう本の話を聞いていて、
その波動の法則はですね、僕の記憶ではっていうことになるんですけど、
ちょっと前に聞いたお話し会だし、ちょっと録音とか録画とかはしてなかったんで、
本当に僕の記憶ベースなんですけど、
宇宙からのメッセージみたいなものを、
自分の意識がマドロームみたいな状態に持って行った時に、
手が勝手に動いて、
その状態からパッと目が覚めたらなんか文章が書かれてるみたいな、
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そういう風な宇宙からのメッセージを受け取って、それを文章化した、
みたいな感じでそのお話し会では聞いたんですね。
ちょっとその本を読んだらその辺が正確にわかるのかもしれないんですけど、
僕の今の記憶で、だいぶ毎渦場と思って聞いてもらった方がいいんですけど、
そこであるページを読んだ時にそのお話し会をされた方が、
そこですごく感動したっておっしゃってたのが、
宇宙の物質の最小単位、物質って言い方じゃなかったかな、
とにかく最小単位みたいなものがあって、
それが何でできてるかっていうと、
それが愛でできてるっていう表現がその本の中にあるらしいんですね。
そこの部分を読んですごく感動したみたいな話を聞いていて、
僕はその生物に限らずそういう話っていうのがその本の中であるのかもしれないけども、
もしかしたら生物っていうものの中での最小単位っていうのにも、
その話が適用できるんじゃないかなみたいな勝手な話から聞きかじったことで、
もしかしたらそういう生物の単位っていうことで言うと、
その自己複製をするっていう生物の最小単位の中に、
その自己複製っていう要素自体が、
その延長が愛みたいなふうに表現ができるのかなみたいな、
かなり無理やりなことなんですよ。
表現としてこうやってしまうと。
っていう結構、それ自体をこれに違いないって思ったんじゃなくて、
勝手にあった情報から紐づけて、
なんかそういう想像をしたみたいな、
単なる本当にそういうつぶやきだったんですね。
だからちょっとしょうもさんだけじゃなくて、
確かもぐもぐたべるたんさんもコメントくださってて、
ちょっと内容忘れちゃったんですけど、
僕のそういういい加減なものとは違って、
すごく意味のある形の返信をされてたんで、
これちょっと説明むずいと思って、
いいねだけをしてそれに対する返事は僕はしてないみたいな状態だったんですけど、
そんな感じだったんですよ。
だからそういうところから発想を深めて、
いったら面白いかなみたいな一つの、
ただの勝手な紐づけをそこでしたっていう感じだったんですね。
だからこれが、それから何かが、
生まれる確信とかがあるとかでは全然ないっていうことです。
そういう発想遊びみたいなものを常にやってるというか。
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今聞いたお話だと、
すごく言語化が難しいような内容だなという動向をさせると同時に、
ただあまり何かに囚われず着想の赴くままに、
一応言葉をつなげて問いを立てたみたいな感じですよね。
だから結果それを立てたことで、
僕がこういうことなんじゃないかという別の着想に、
波紋が広がってモグさんにも広がってっていうような感じだったと思うんですけど。
そこが起点になるっていう意味合いで、
あくまで言葉がつながったところの起点だけで、
そこに対意はないっていうような感じで捉えていいんですかね。
そうですね。
だからそこから、愛は自己複製だみたいなところの文脈から、
じゃあ具体的にそれはどういうことかっていうのの、
先に答えっぽいものを置いて、そこを後から考えるっていうスタンス。
僕の中では、答えとまでは勿論勝手にひも付けてるから、
あの時の表現も。
愛の大元は自己複製なんかな?みたいな書き方をしてるぐらいな。
はい、だと思います。
だから直感的にそう思ってですね。
超相対性理論で、最近渡辺さんがおっしゃってた、
コンテクストデザイナーっていうのを直感的にこれじゃないかと思っておいて、
そこに向かって実質やっていったという話があったじゃないですか。
なんかあんな感じがちょっと想起されて、
直感でこんな感じじゃねえかなみたいなのを置いて、
それが本当に答えかどうかわかんないけど、
それを置くことでそこにたどり着くような思考が生まれてくるっていう、
イメージを持ったんですね。
そういう思考のスタイルをされるのかなと思ってちょっと興味深く聞いてたんですけど。
そうですね、今回は偶然恐縮ながらというか、
渡辺さんと同じ思考ができます?みたいなことは言えないんですけど、
偶然黙ったと言えなくはないかなみたいなところですかね。
そこからすると、僕がそういう感じの思考をしたことが多分ないので、
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そういう意味で面白いなと思ったんですね。
だからその言葉が置かれて、僕が思ったのは、
言葉が置かれてさらにしゅうさんのこの説明を聞いた時に、
愛っていうもの自身は人間が一応作った概念であるけども、
その概念が最小単位ってどういうこと?みたいな問いがまず生まれたんですね。
生命としての自己複製をしていくっていうのの最小単位が愛だとするなら、
愛っていう概念は人間が作っている抽象的なものだけども、
物質的なイメージが強くなるじゃないですか、さっきの表現だと。
自己複製。
自己複製というか、宇宙の最小単位が愛だみたいな。
波動の法則の方ですね。
そこがどういうことかなっていうのが生まれて、
この波動の法則の愛が最小単位っていうところと、
最小単位だからこの生命っていうのが最小単位としてはそれが含んでるだろうというところから来た発想なんですよね。
そこ、もうちょっとアバウトかもしれないですね、僕の場合は。
そこら辺をちょっとどういう感じかなって考えた時に、
今みたいな疑問というか問いが出てきたっていうだけの話なんですけど、
あの言葉だけ置かれた時に僕が感じたのは、さっき一番最初に言ったような感想だったんですね。
愛っていうのは自己複製なんかなっていう、
あの文脈だけ見た時に、
愛って結局自分に対して向けるもの、極論自分に対して自分がみんな一番可愛いから、
それ自身を他人に拡張していく、自己を複製していくっていう風なニュアンスのことなんじゃないかなっていう風なイメージを持ったんですよね。
ただそこも色々愛っていうものの考え方があるので、
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なんかちょっと今自分で言っててしっくりきてないですか?
ごめんなさいね、自分の表現がまずすごい分かりづらいところがあるんですけど、
逆に分かりづらいからこそ今日の話は色んな方向にどうとでも飛べるっていうのを勝手にワクワクしてるんですけど、
さっきのですね。
次回へ続く。