問いを見つける力があれば争いも無くせるんじゃないか…
そういう風に問うって言うのは人間だから出来ることで
感情もあるし、欲望ってものがあって、根源的に新しいことを知りたいっていう…
収録日:10月18日
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サマリー
このエピソードでは、シュウとショウが未知の理を探索している様子が描かれています。彼らは人間の根源的な欲望や知的好奇心について考察し、AIとの比較や探求のパラドクスにも触れています。また、知識の楽しさとその必要性について語ります。問いを持つことの重要性や、自身の存在についての考えも展開されています。さらに、好奇心やメタ認知力の向上が日常生活に与える影響についても議論されています。
未知の理への探求
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は午後5時通り、シュウとショウの日が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、
未だ知らないことあり、つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。下手をしたら、二人の持ち振りを探すだけの気のままな旅、ゆるーくお付き合い頂けたら嬉しいです。
前回からの続き。
その分析、冷静に何で今怒っちゃったんだろうとか、何でそもそも争ってるんだろうとか、シュウさん言ったようにそういうのも往々にしてあると思うので。
そういうふうに問うっていうのは、人間だからできることで、それはやっぱり人間が感情があるし、何にしてもその欲望があるからだと思うんですけど、
その欲望っていうのが、根源的に新しいことを知りたいかっていう表現になるのかな。そういう知的な好奇心に関わる根源的な欲望を持ってるなって感覚的に思ってて、みんなですね。
だから、そこがやっぱり一番人の強みだろうし、逆に言ったらだから、AIとかが人間に反乱を起こしてディストピアみたいな話とかあると思うんですけど、あれっていうのはAIに欲望が生まれない限りないと思ってるんですよ。
欲望っていうのと感情っていうのがこのイタチごっこになるかもしれないですけど、そもそもそれぞれの定義含め。
ただその感情みたいなもの、あるいは欲望みたいなものがない限りはですね、そういうことには多分なり得ないから、そういった形のディストピアみたいなのはあまり想像はしてないんですけど、
あえてその欲望を埋め込むみたいなことをしない限りですね。逆に言ったらそういうのを埋め込むことで限りなく人間のように自ら問いを生み出すみたいなことができるようになってくると、
すごい発展の仕方をしてそういう状態みたいなのをリスクとしてあるのかもしれないですけどね。何だろうな。全然話が変な方向に行きましたね。
いやいやいや、面白いですね。それも途中の位置表現に食いついちゃうだけになるかもしれないんですけど、欲望をあえて埋め込むっていうのをしない限りは、みたいなことをおっしゃったと思うんですけど、欲望を埋め込めるようなレベルにまで人間が頭が良くなってたら、
もうそもそもその欲望というもののメカニズムがわかって、欲望の制御の仕方までわかって、ってなったら人間が欲望に苦しめることすらなくなってるだろうな。少なくともその埋め込めるほどの理解度の人はぐらいに思って面白かったなと思って。
なるほどなるほど。確かに確かに。パラドクス的な。そうですね。
さっき紹介した本の中に話は変わりますけど、何のパラドクスだったかな。自分、問いのパラドクス?
なんか、自分が知っているものは、すでに知っているから、探求のパラドクスだったかな。知っているものは知っているから、そもそもそれを探求しようとは思わない。はいはいはい。
けど自分の知らないものは、それが何かさえわからないから、探求のしようがないみたいな。知っているものも知らないものも、だから探求しようがないから、その、探求できない。
うん。探求、それはどういう季節だったかな。なんかまあ、今の文脈で言うところのそのパラドクスですよね。その、探求をするっていうのはどうしたらいいんだみたいな、何かを。
みたいな話がちょっと出てきてました。面白い。
これ自体はなんか、プラトンとかまで作家の頃かな。どこで出てきたんだろうな、この話は。
でもまあ哲学者が、昔の哲学者とかの話の内容でなんか出てきてた気がします。
でもそうか、欲望を埋め込めるほど、理解しとけば、確かにね。
いやまあ直感的にちょっと思っちゃっただけなんですけど。
いやいやいや、面白いですね。
でもほんとその問いの力の話がやっぱりめちゃくちゃ面白くて、僕道のりで飽きるの話とかもしてきたけど、それも多分減るなと思うんですよね。
あ、そうですそうです。
もうこれ以上っていうか、なんていうのかな。
もうそういうもんだって思っちゃったらつまんなくなっちゃう。
けどよくよく見たらそういうもんだって本当にちゃんとわかってるかなみたいに解きほぐす力みたいなのになりそうだなと思ってて。
まさにそうですね。
その中でも結局その、基地、基地すでに知るっていう状態。
はいはい、基地すでに知ってる。
いかに道を増やすかみたいなところがやっぱポイントで、今その基地を道に戻すには、今言った解きほぐすことで道になれば、そこがさらに次の問いを生んで飽きないじゃないですか。
あるいはその無知の状態。知らない。知らないことさえ知らない。
そこは知らないっていうことを知る、いわゆる無知の地ですよね。知らないっていうことを知ればそれは未知になるから。
だからそっち側からのルートとすでに知ってるものを未知に戻すっていうアプローチ。
その2つのアプローチっていうのがやっぱ大事ですよね。
その飽きるっていうのが、そもそも人間がその時に話したと思うんですけど、生存可能性みたいなのを上げようと思えば、いかに多様性を担保するかっていうところが最前作だと思うんですよね。
それで多様性を担保しようと思ったら、新しいものをすでに取り組もうとした方がいいので、新しいもの、つまり知らないものっていうのに興味が湧くようにできてる。
だからその好奇心みたいなのがあると思ってて。だからそれを知らないっていう風な認識をできれば、その好奇心が自然と湧くから飽きない。
だからすでに知っているっていう風に自分が思っちゃってるものをいかに解きほぐして、いや実は知らないよねみたいな認識にフィードバックできる、フィードバックじゃないな、戻せるかみたいな話なのかなってちょっと思いましたね。
そうですね。そこをなんていうか、自分は知らないんだっていうのをちゃんと自覚できる力っていうのが必要な気がしてて。
知らないことを知ろうとして、知った状態にしていくことって、本来楽しい、本来というかちゃんと解像度を上げてそういう風に自覚できて、自分の中でゲーム的感覚でそれをやっていったら楽しいはずなのに、
それに気づけてないと逆に不安とか恐怖になる知らないことっていう側面あるから、そこにその自覚の力というかそういうのが要りそうな気がするから。
あとは今の話聞いて思ったのが、知ってるっていう状態は安定するんですよね、心が。だから知ってるっていうことをあえて知らないっていう状態に戻すのって、一瞬やっぱ難しいというか、あえてしないことですよね。心の安定からは遠ざかるんで。
だから習慣として問いを持ってしとけば、無意識にそれができてしまうっていうメリットがあるなって思いましたね。
すごくいいとこなんですけど、すみませんちょっと問い…。
ごめんなさい、じゃあ僕も行ってきます。すみません。
いやいや、ちょっと。
録音そのまましておきます。
はい、すみません。すみません。
ああ、いえいえ。すみませんね。
なんか体が揺れてらっしゃるなと思ってたんですけど、気づかずごめんなさい。
いえいえ、すみませんすみません。
いやー、でもなんか話としてはだいたい収まってたような気もするんですけど。
なんか浮かんでたんだよなー。
まあまあ、そんなに大きく追加するっていう、本当にちょっとした付け足し程度だった気がするんですけど。
すみません。
あ、全然。
そこまで聞いてくれたですね。
はい、はい。
いえいえいえいえ。
そこまで。
全然、全然です。
いや、あ、そうか。
もう本当しょうもないことだった。
しょうもないことだったんですけど。
確かね、どんな文脈だったか忘れたんですけど、道のりでだいぶ前に、僕が合体ロボットの話したことあるんですよね。
はいはいはい。
何の文脈でだったか忘れちゃいました。
えー。
忘れちゃったんですけど。
うん。
あれはー。
お、しょうもさんだったら覚えてるかもしれない。
僕はもう全然覚え出せる気がしないんですけど。
え、でもその、
はい。
あの辺、あれじゃないですかね。
お。
変態か自己組織か当たりじゃないですかね。違うか。
変態は昆虫とかの?
昆虫とかのさなぎからあるところか、
か、あるいは自己組織化の話かと思いましたけど。
ただその合体ロボットどんな話ですかね。そこまで聞かない。
合体ロボットの、えー、よくできたもんでーみたいな表現で言ったと思うんですけど、その、
えー、合体しているロボットの状態の時には、それぞれの、まあ、電車だったり、飛行機だったり、そういうのに、各、各、各マシンに戻したくなる。
で、各マシンに戻して、あー戻ったーってなったら、また、こう、うずうずして、それを、またガチャガチャって、合体ロボに戻したくなる。
っていうのを小っちゃい頃に思ってて、それに何かを当てはめて、それと法則が一緒だ、みたいなことを僕言った気がするんですけど。
うーん、そこの合体ロボの下りは、置いてますけど。
あー、どこやったかなー。結構前っすよね。結構前です。もう序盤です。道のりの序盤の気がします。
いや、まあまあ。
そこはちょっと今、僕も出てこないです。
うんうん、全然。ただ、今回の問い直しのところに、同じ構図。
繋がる。
感じで、それだけで楽しいよねって思うんですよね。何がなくても。
そうなんすよ。
なんか、もうあんまり、なんていうか、もともと平凡な日常だみたいに退屈だみたいに、それこそ飽きるじゃないけど、そういうふうに思い込んじゃってると、それに何かを追加しないといけなくなって、
購買欲求とかがどんどん加速したりして、今世の中、極端な言い方ですけどね、はしょりすぎだし極端だけど、世の中おかしくなっちゃってるって僕思っちゃってるから、
それを、ただ自分の中で問い直して、それをまた解決していくっていうだけで、すごい楽しいっていう気が、合体ロボみたいに楽しいみたいに。
いやいや、なんかいい表現ですよ、その合体ロボの。
ほんとですか?よかった。
うん、何回やっても分解して、組み立ててみたいな。
そうそう。男の子にしか伝わんないかもしれないけど。
そうですね、そういう遊びだけして暮らせればいいのにって前から思ってる。これこれは僕の勝手な願望ですけど、それで暮らせないかなみたいな。
実際、整形立てるっていう意味合いからしたら、一時的に哲学者ってどうやってなったらいいんだろうって思ったこともあったりしたんですけど、本来そこだけで人間って楽しかったりするから。
うん、そこに続けば。やっぱりそこが麻痺していろんなことがおかしくなってるっていうのは、その本の中でも一部出てきますけど、結局、情報化社会でいろいろと購買するものとか、購買じゃないにしても購読とかいろいろ見たりするのとか、
それに関連するラインナップがどんどん向こうで出てくるじゃないですか。買ったものから次はこれでしょみたいな感じの。そこら辺っていうのも言ってしまえば市場を作るために向こうから提示されてきてるものなんで、すでにコントロールされてるというか。
自分が本当に欲しいものとか、なんかそこの提示されたものじゃなくて、そこを問い直すことみたいなのがやっぱ、ちゃんと意識的になることが大事だし、そういう類の話もありますね。
そうですね。やっぱ自分が主体になりたいですよね。問いの主体に。
そうそうなんですね。
なりたいですね。面白いですからね。
私がカイツマンでいろいろ紹介をちょっとすると、その主体みたいなのも、私っていう主体があるんですけど、私はなんなんであるみたいな、私は主語的私で証言されてて、
問いの重要性
主語的私じゃなくて、述語的私っていう表現があってですね、私はなんなんであるみたいな、そういう風に文章をいっぱい考えて出してみるみたいな、
ワークがあって、まるまるななんなんであるっていう、私ってすると、私は主語的私なんですけど、実際、私はまるまるななんなんであるみたいな、述語とつながるじゃないですか。
で、なんて言ったらいいのかな、たとえば、私は、たとえばと言ってもすぐあれなんですけど、そのままいくと二次の父親であるとか、あるじゃないですか、そういったのでいろんな風に説明できるじゃないですか。
そしたら、文人論とかともつながりますけど、結局いろんな私が、述語で言ったらいろんな切り口があるわけですよね。そっちの述語の方に注目して、いろんな私を許容した上で、いろんな私がいると。
そしたら、それぞれの私で視点、いろんな視点があるから、そこをそれぞれでいろんな問いが生まれる余地がある。だから、私自体をまず解きほぐすみたいな話も、私っていうその境界、あとはその境界も含めですね。
っていうような話もちょっとあります。
面白そうっすね。
ぜひ読んでみてください。
ありがとうございます。時間かかってもいいんで、一番最安の送料で。そこだけが気になる。
もう大丈夫です。
あとね、もう一個思ったことがあって、奇象転結ってあるじゃないですか。あれは点があるから面白いと思ってて、問いを持つ習慣というか力があったら、自分で点が作れるなと思って、外部からの点ってあんまり望ましいって感じられないことも多いじゃないですか。
そうですね。
でも自分で点を作るから、奇象転結の点、問い直すみたいな視点が持てたら、それでそこから解決するみたいな楽しみがそこから生まれるみたいな視点になるだろうし、ドラマは外部から見てるから面白いけど、自分に振りかかってきたら結構大変だーになっちゃう。
でもさっき言った、それこそ自覚したら問いを持てること、それを楽しみとして持てるみたいに思うと、そういうメタ認知力も鍛えられていくなーみたいな感じがして。
そこが大きくて、問い自体っていうのは、メタ認知に他ならないというか、いろんな切り口から見て構成していくわけで、自ずとメタ認知力っていうのも強化されると思うんですよ。
だから、今僕の中ですごく生きていく中で重要な要素として、今までメタ認知とか好奇心だったりとかっていうキーワードとしてはあったんですけど、
今やっぱりその辺が結構まとまって、そこが根本的なのが問う、問える、問う習慣、問う体質ですね、もっと言うと。
それになっていれば自然となんでもうまくいくだろうなーみたいな。
問う体質っていうのはみんな子供の頃は自然にできてたのに、できなくなっていってしまうっていうところに対して何かアプローチしたいなっていうところが僕の中で今大きな一つの目標としてできたような感じですね。
好奇心と自覚
で、久々その本も読んで、なんか久々楽しむ読書みたいなのができて、なんかやっぱちょっと仕事に追われすぎててもしょうがないので、
やっぱりちょっと自分も問う体質により慣れるようになんかしていきたいなーっていうふうに思ってますね。
めっちゃめっちゃ思います、僕も。ずーっと思ってるけどなかなか、なかなか鍛わっていかないなと思ってたんで、一人喋りしてても何かを断定する言い方が嫌いなくせに、そういう言い方になっていって、
問いとして喋ればいいのになーなんでこうなんだろうねみたいな言い方でもいいはずなのにって思いながらなかなかできないから、意識するだけじゃなかなか進まないなーみたいに思ってたんで、とか言いながら読んでみて全然読めなかったらごめんなさい。
いやいや、全然それはいいと思う。なんかちょっとやっぱその少しその、僕なんか特にあんま漢字とか得意じゃないので、これなんて読むみたいなのが結構あったりとか、それちょっときついですよね。
とかちょっと文章的に賢まってる感じ、というかちょっと知らない単語とか出てきがちではありますけど、ただ代用としては多分しゅうさんが直感的に思われてる範疇にすごく類似する部分があると思ってるので、入ってはくると思います。
読むのが少しちょっとそういうところで、少し固い部分があるから、もしかしたらちょっと合わないかもしれないですけど、その時はその時で。
僕どっちにしてもその中の型みたいなのをもうちょっと結局文章で書いてあっても全然なんかこう習慣化するの難しいので、何かこう図に落としたり、なんかこうマークみたいなのを作ったりだとかしようと思ってるんで、
なんかそもそも前いろいろと話したことあると思うんですけど、古典ラジオとかであった圧縮ファイルの話覚えてますか?
もちろんもちろん。
だからあそこの考え方は結構好きで、そういう意味からするとその身につけるアクセサリーとして、その型の情報を埋め込む、圧縮するとかをしとくと、それをふと見た時にそれに気づけると、その型、連動して型を想起しやすいとか、
そういうようなところで、なんかちょっと子供たちに対してそれがより自然と習慣化できるようなものをいずれにしても作りたいなと思ってるんで、その過程で何か出来上がったら共有できると思います。
ぜひぜひ。
ちょっと読めるかどうかは自信はあまりないんですけど、ほんと読書筋力がめちゃめちゃ落ちてて、大輝くんに教えてもらった本で、ちょっとゴーシューショーラジオって一応お笑いってタイトルについてるから、お笑いの哲学だったっけな?っていう本を教えてもらって借りたんですけど、もう全然ダメで、もうすぐ眠くなっちゃうんですよ。
固すぎて、文章が。哲学的な本なのかな?
哲学、昔は哲学的な本も読んでたんだけど、筋力が落ちすぎてるのか、よくわかんないですけど、もうちょっと断念しようと思って、もうすぐ返却期限来ちゃうから返しちゃうんですけど、そういうこともあるから、ちょっとダメだったらすいませんって感じですけど。
ででで、その時は大丈夫です。
いやーでも興味は、今しょうまさんから聞いてる限りではめちゃくちゃ興味あるし、その本がダメだったとしても、意識は続けていきたいなーって思いました。問いを持ち続けられる人間になっていきたいですね、もっと。
はい、大体こんな感じですかね。
ですかねー。
これ話しときたかった、みたいなのが特になければ。
そうですね、収録の範疇では特に。
了解です。じゃあ録音きてからまたしょうもない話を続けましょう。
そうですね。
収録としては一旦この辺で、今回もありがとうございました。
ありがとうございました。
はーい。
28:52
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