その時にも、ただ吉木のね、過去話してないようなエピソードを含めて、
僕なりの視点で吉木という芸術家、アーティスト、音楽アーティストのすごさというのを話すだけじゃちょっとつまらないと思って、
それを割と分類してね、こういう角度から見るとこういうところがすごいみたいな話をした上で、
どっか過去に話したことがない話として、そもそも弱者からスタートしているっていう視点だとか、
あるいは誰もがね、そういう吉木の魅力と同じものを誰もが持っている、みんなが持っているものでもあるみたいな、
そういう視点を最後に少し話して終わったんですけど、
なんか今回はね、その続きとかそれの繰り返しとか延長ではなくて、もっと先に行きたいと思ったんですよ。
ただね、さらにもっとね、分かりやすくしたくて、前回はちょっと気合い入りすぎてペンこぼれにしちゃったんですけど、
今回は同じく吉木の魅力であるけれども、またこの半年の間に僕が築いた新たな視点がすごく大事で、
それによって本当に芸術家吉木はより一層分かるようになったんですよね。
誰もがなるほどって分かるように。その視点をちゃんとはっきりとお伝えした上で、
その視点から実は皆さん、聞いてる皆さんの人生と全く重なる部分があるんですよと。
もう簡単に言うと、吉木という人間はやっぱり世界的な芸術家になっているわけで、それってすごいことですけれど、
その彼の人間的なすごさ、あるいは彼の人生の素晴らしさから引き算をしましょうと。
その中で例えば音楽的な才能、たぐり迷いのある名曲を生むことができるっていう才能を引いてみましょうと。
あるいは彼の命がけの生き方っていうのは本当にすごく肝玉が育ったところがあって、
彼の精神的な強さというか、何も怖がらないというか、全力でぶつかっていく。
そういう部分もなかなか同じぐらい思ってる人はいないだろうから、それも引き算しましょうと。
そうすると残りがありますと。それもたくさんありますと。
その2つを引いた残りは皆さんと同じですよと、もともとの。
そういったときにそうかもしれないと思う人もいれば、本当?と思う人もいるかもしれないけど、
じゃあその引き算をしたものが本当に皆さんがもともと持っているものなのかどうかを、
やっぱりスーパースターが集まってもさらにぶっ飛んでるっていうところが。
今話に出たあのメンバーの中のヨシキっていうものを見てて。
チェラシーのレコーディングをしていた時に、
エンジニア含めて当然アメリカのスタッフ、
しかもリチブリだってグラミン賞を既に複数回取ってたときに取ってた後で僕ら知ってくれてるんでトップオブトップですよね。
そのエンジニアの一部に含めて複数のロジャーラブだって参加してくれてたから。
そういうメンバーでレコーディングしてるときにやっぱりヨシキが突然こういうふうにしたりつってどんどん変えてったりとか、
スケジュールでもう突然今すぐやりたいとかっていう。
それにちょっといい加減にしてよって俺にやっぱり来るわけですよね。
そのアメリカのスタッフが。
その時にスティービーワンダーじゃないんだからって言うわけよ。
ヨシキはまだね、アメリカでは誰も知らない彼はあれでしょ。
まだまだこれからの人でスティービーワンダーじゃないんだからさって聞いたときに、
俺はもうスティービーワンダー大ファンだから。
え、やっぱりスティービーワンダーでそうなの?って興味が湧いて聞いちゃうわけ。
そうすると彼のレコーディングが有名で、
とにかくもう全部無視して今この瞬間にすぐにつって大変だって。
みんな投げてるんだっていう笑い話をしてくれて。
だからヨシキも同じだからそれはいくらなんでもどうなのって言ってるんだって言ってくれて。
まあスティービーワンダーがやってるんだったらやらせてよって。
俺はそうお願いしてたっていう無茶苦茶な会話があるんだけど。
そのときに俺はさ、スティービーワンダー本当に神様なんで僕にとって。
だからどっか似てるとこあんのかなって思ってたのね。
惹かれるところがこうやっぱ共通するものがあるんですね。
でもスティービーワンダーそんな感じなんですね。
僕が聞いたのはそうでしたね。やっぱりこうぶっ飛んでるというか。
でも去年の11月の時すらもやっぱりそうだったのは、
僕はヨシキのぶっ飛んでる嘘でしょって思うことをやって、
しかもそれを必ず最終的に成功させちゃう様子を、
とにかくハイではいつもそれを楽しんでるっていうか。
それに驚愕しながらも、それをまたそれで納得したみたいな。
そういうところがありますよね。
ハイドの楽しんでるがわかりますね。
いや無理でしょっていうところを最終的には。
人から見てどうなのかとか、今これってかっこよく見えるかとか、結構みんなに評価されてるかとか、全然関係ないんですよ。
自分がそこからこれがすごいかどうかにものすごい勝負をかけてて、揺るぎないんですよね。
自信とかっていう次元じゃなくて、信じきってるんですよ。
吉木の場合はすごく恵まれてたっていうか、今の世界的に吉木を形作ってる一番大事なところって、
たぶん僕の予想ですけど、これは吉木とゆっくり話す機会があったらちゃんと聞きたいんだけど、
たぶん幼少の頃とか青年になるに向けて、自分の思う音楽をどんどんどんどん形にしていく過程で、
自分が美しいと思うものが世の中になかったんじゃないかと思うんですよ。
あったらモノマネになっちゃう。
例えばドラムっていう楽器に弾かれた、最初にはKISSをはじめとしたロックバンドの素晴らしい演奏とかがあったとは思うけど、
そのドラムをどう叩いて、それにどんなメロディーを乗っけてっていうのは、吉木が自分で美しいと思ったものをやったのがXじゃないですか。
あんなのないじゃないですか、その世界中に。
これは演奏家が一番わかりやすくちゃんと答えてくれると思うんだけど、ないですよね、そんなのって。
だからあれが美しいんだって信じきるエネルギーがXの元を作ってると思うんですよ、僕は。
その延長をずっと吉木がやっていて、じゃあクラシカルの世界で吉木はどういう存在であるかって言ったら、
クラシカルの世界では存在してないに等しいですよ、ロックスターですから。
だけど、要するにクラシックの伝道って、世界的な場所でコンサートをやる。
まずそれ普通できないですよね、そういう意味では。
でも彼は彼の美を信じきってるから、だからそういう話が来た時に、じゃあ挑戦する、やるってなっちゃうんですよね。
で、実際成功させるところまで持ってっちゃうっていう。
そのエネルギーも結局根本は、誰が何と言うと自分が美しいと思ってるものはものすごいっていう信じきってる力だと思うんですよ。
だからこれが全てなんだなと思って。
吉木はファッションに関しても、吉木ものとは違うアプローチで、
いわゆる典型的なファッションの、あの世界で自分が作品を作るってなったらどうするかって考える機会があったときに、
いろんな人たちの見て、皆さん素晴らしいけど、え、だったら僕だったらって。
え、だったらっていうのは口癖なんだけど、吉木って。
俺がよくそばにいたときって、すごいね。
でも、だったらって、必ずだったらって言って。
僕だったらこうするっていうのがあるんですよ。
え、だったらって言ってやったんだと思うんですよね。
それが紛れもなくあったから必然性があって、吉木の技が炸裂したんだと思うんですよ。
え、普通はこうなんだ、でもだったらこうしたいなーって言ってやってるうちに、それを多分ファッション界の人が見たときに、え、すごいいいじゃんってなったんじゃないかなと思うわけ。
あれとアンダースカイが同じようにできているんだろうなっていうのが僕の推測なんですよね。
だからそれが世界の場合は通用する。
日本だったらそういうのないんですよ。日本だったら権威主義で、この人はこの世界のすごい人だからねってなっちゃうんだよね。
多分音楽と一緒で吉木のその映画、ドキュメンタリーの吉木の構想を多分聞いたり実際に始めたときに、
その映像の世界のアメリカのトップクラスの人たちが、それは素晴らしいと思う。ってなったんだと思うんですよ。
本当に結果主義なんで、僕が知っているアメリカのエンターテインメントは、とにかくすごかったらもういきなりOK。
だってもうグラミン賞だけは必ず僕、ミヤと一緒に今年のグラミン賞って必ず映像で見てるんですけど、毎年びっくりするんですよ。
もう本当にちゃんと新しいすごいのが出てくるんですよ。
でもそれは過去にはないんですよ、いつも。
だからそのすごさっていうのは、ちゃんとわかってますよね、アメリカのエンターテインメントは。
必ず新しくすごいと思うのは賞を与えし、期待をして、その場所を与えるっていうのが徹底してるんで、
あの僕が見て感動して美しいなと思った吉木のファッションの、あの美を多分評価したんだと思うんですよ。
今僕が言ってるようなアメリカとか世界のエンターテインメントってそういうとこあるからで、ここはわかんない人には多分何もわかんないと思う。
吉木、有名で日本人の吉木がそんなんできるの、なんかうまくやっちゃってるんじゃないのっていう変な雑音を聞こえたりしたから、
本当にわかんないんだよな日本の人って思ったけど、全然そんな甘くないですよ。
すごい逆に言うと、何かちゃんとすごいと思ったらちゃんと評価する世界ですよね。
その辺がもうすごいシビアというか、良ければ評価されるし、ダメだったらもうバッサリ通用も何もしないし、そういうところですよね。
あんまり他のアーティストは自分の美を信じきることができないっていうことなんですかね。
僕は信じきっているアーティストはいっぱいいると思うんですよ。日本にもちゃんと俺尊敬してるアーティストいっぱいいるんですよ。
いっぱいって言っても世の中的にはすごい少ないですけど、ちゃんといるんですよね。
そういうそれぞれの人のやっぱり自分を信じきっている素晴らしさを感じて俺は感動してるんだと思うんですよ。
僕は全然大丈夫なんですよ。圧倒的だっていう自信はあるんですけど、
そういう意味で僕は自分の音楽には揺るぎなく信じきってますね。
でも自分の場合も、僕はあらかじめ言うと今誰も知らなくても必ず本当にすごいことになります。
これははっきり言ってきますね。それは僕も自分の信じきって、
多分その数年のうちにびっくりすることになると思うんですけど、
それはもう最初から分かってるんですけど、その信じきっているもとになっているところに、
本当に聞くときに自我とかなく素晴らしいものに対して本当に素晴らしいなって、
心の底から感じられる。だから3人に似てます。
メーバーラジオの3人と同じで、本当にすごいねと本当にすごいねって、
それを本当に思える。自我がないから自分と比べたりとか自分はどうだろうなんか全くなく、
もうおの手分けで素晴らしいと思えて。
で、自分の作品に向かったときも、またそれと全く別に、
本当に世界で唯一無二の僕だったら綱直しのメロディーはまた別に、
こんなに素晴らしいのはあるんだねって幸せになるっていう分離してる感じ。
僕よく音楽とか技術は競争じゃないって言ってるのはそのことで、
素晴らしいものを本当に素晴らしくて心震わせて、
で、自分も全く同じで心震わせて、そこには一切の日本語で何て言うんだろう、
ぶつかったりギシギシ言うものは全くなくて分離してるんですよね。
だからその素晴らしいと思ったときの感動と本当にちゃんとその神秘感も必要で、
例えば僕だったら、僕名曲にしか興味ないから名曲に足してないのはゼロなんですよ。
僕ってすごいシビアで。
で、それがあって自分の作品を中学校高校で作っていくうちに最初ダメなんですよ。
そこまで行けてないんですよね。
で、そこまで行くために自分の中を高めるしかない。
自分との戦いなんですけど。
で、あるときから20代に入ったときに急にできるようになっちゃったんで埋めるようになったんですよね。
で、なんかそれがなった瞬間からもう大丈夫になるんですよ。
それまではちゃんと神秘感があるから名曲か名曲じゃないかだけしか興味なくて、
名曲だったら物だけで素晴らしいと。
それは冷静にちゃんとわかってて。
あとは自分もそこに足してなかったから急に足しちゃったときにもう大丈夫で、
これ名曲なんだってなったんですよ。
そうすると信じ切れるって。
吉木はそれがすごい早かったんでしょうね。
10代の頃にそれが確信したんでしょうね。
で、しかも世の中にないから明確にあれもこれも素晴らしいけど自分のは自分でまた別に素晴らしいって明確に分けることができたんだと思うんですよ。
そこはすごく大事かもしれないですね。
だってたまたま今ねN像のzoomの自分を表すアイコンのところが素晴らしいアーティストの。
そうですね。
この人だって自分の美を信じ切ってなかったらあんな活動とかあんな発表できないじゃないですか。
最近ちょっと心配な状況になってますけど。
そうですね。確かにそうですね。
信じ切ってますよね。
これこれ聞いてる人にはわかんないからあれですけど説明しますけど、
僕のここのアイコンがマリリンマンソーになってるので、そのことについて話してるわけですね、津田さんは。
今マリリンマンソーと一緒に飲んでる感じになってますからね。
だからやっぱりすごい昔のアーティストだけど例えばプリンスとかなんかもさ、信じ切ってなかったらわからないでしょ、一瞬プリンスのすごさっていうのも。
やっぱり信じ切ってるからあのすごさがだんだん途中からわかるとかね。
絶対そうだと、みんな信じ切ってなかったらできないでしょ。
スティービーワンダーズって最初は人のメロディーを歌ってたんですよ、あの話でね。
なんか途中から自分が作るべきじゃないかなと思ってわざわざコロンビア大学にもう一回通い始めるわけですよ、一回スターになった後。
で、音楽をもう一回勉強し直して、今度は閉じこもって全部自分でやるっていうやり方で、それで生まれたのはキー・オブ・ライフっていうとてつもない、
キー・オブ・ライフは前からもうそういうスタイルでやってましたけど、金字塔はキー・オブ・ライフだけど、
あんな世界中に誰もできない音楽をやっちゃったみたいな。
信じ切ってないとできないじゃないですか。
そんなのばっかじゃないですか、その世界的なアーティストってみんなね。
いやー、ちょっと自分を信じよう。
それをちょっとなんだろうな、やっぱ自分のいいって思うものに素直にこう、なんていうんですかね。
それを素直にいいっていうふうに思うっていうことを突き詰めていけばいいんですかね。
結構ピュアな子供のような心で、素晴らしいものはすごいなって感動したまま、もし自分に関する何かを黙って赤ちゃんのように見つめたときに、
あれもすごいと思えたらそれはもう自我とは関係ないから大丈夫だと思うんですけど、
うぬぼれとかなんていうんだっけ、ナルシズムから生まれる自分っていうのはずれてる可能性があるんですよ。
自分が可愛いからみたいな、そうじゃなくて。
なるほど。
ものすごいピュアに。
だから例えば僕途中でわかったのは、自分の作品を人に聞かせたりするときに緊張したりするっていうのはまだ自我なんですよね。
そうじゃなくて、自分の作品を人に聞いたりするときに、なんかめっちゃ感動しすぎるよね。
そうそうそう。すごい深い話だなと思いながら聞いてます。
いやほんとね、どこまで行っちゃうんだろうって感じですよね、よしきも。
まあじゃあ今回は最近のよしきについていろいろ話してきた感じですけど、
こういう話のもっと深いバージョンが須田さんのトークショーに行くと聞けるという感じですか。
そうですね、その片鱗がもしかしたら今日。
今の話はね、あっという間によしきの話なんだけど、それが突然皆さんの人生にいきなりこう、
僕の話がグッと変わった瞬間にみんなびっくりすると思うんですよ。
え、どこで繋がるのかなみたいな。
それがなんで僕が喋れるかというと、さっきたまたまね、信じ切るっていうところで自分を題材にしたじゃないですか、僕の場合になって。
同じです。僕がよしきとは全く違う人間じゃん、僕はね。
しかもよしきに対して僕はスタッフとして存在していたわけだから。
ところが僕は実はちょっとある意味よしきと同じようなちょっと変わった人生を生きてきてるんですけど、
その元は多分幼稚園とか小学校の時にあるんですよ。
その幼稚園とか小学校の時に僕はどういうふうに何を思って生きていたかっていうところが、
もう見に来てくださる皆さんと全く同じ人生を元にしてちょっと視点が違ってたっていうね。
その話によってよしきだとちょっと遠すぎるしわからない。
でも僕の実体験だといきなりみんなに分かる話に分かりやすくチェンジできるっていうのかな。
自分の体験と自分の人生なんで。いくらでも細かく微調整できるわけですよ、話を。
例えば皆さん小学校の頃こうだったと思うんですけど、僕その頃こう考えてたんです。
でもそれってよしきのあれともともと同じで、皆さんもともとあるんですよって。
なんでそのときにあったはずのものをそう見えなかったかっていうと、こうじゃないですかっていうと、
なるほどねってみんながうなずいてくれるみたいな。
過去にもそういう講座やったことあるんで、電脳音楽っていうやつで講座でやったことあるんで。
その経験を元にしてしゃべるんで、ちゃんと皆さんがなるほどねっていう話ができるんですよね。
その話をゆっくり僕が説明していって、途中で皆さんが気づくのは、あれ?じゃあよしきと同じなの?みたいな。
そう共通点いっぱいありますという話になるんですよ。
そこが面白いとこです。
じゃあね、ぜひ改めて告知しますが、4月13日お昼です。