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スピーカー 1
本日のメディアヌップは、宇野恒博さんの最新作、『庭の話』を取り上げます。 『庭の話』は、2024年12月に発売されたばかりの宇野さんの最新作です。
前作かな、遅いインターネットが2020年に発売されて、それから4年経って、最新の単行本が出たので、
早速、私、読みまして、ぜひこれについて、今日話してみたいと思います。 この中身なんですけども、『庭の話』っていうと、なんかガーデニングの話かなと思う方いらっしゃるかもしれないんですけども、
書き手が宇野さんですので、中身はですね、情報社会論とかですね、社会学とか、そういった内容になっております。
ぜひですね、メディア・ヌップのリスナーの皆様、よく私がメディアの話なんかも取り上げるので、ご関心あるんじゃないかと思いますので、ぜひ本編お楽しみください。
スピーカー 2
メディア・ヌップ、こんばんは、佐々木裕です。 こんばんは、松浦幸です。
ようこそいらっしゃいました。 はい。
スピーカー 1
松浦さんは、確かゲストが前回が、メディア交配機ってシリーズに出てもらったのが、もう1年以上前だと思うんで。
もうそんな前になりますか。 そんな前ですね。
久々の登場なんですけども、それでもメディアは面白いというポッドキャストをやられている松浦さんからですね、
今回持ち込み企画で、2話の話の話をしたいというご連絡を受けましたんで、
はい。
スピーカー 2
もうご連絡を受けて、もうすぐ2日後ぐらいにもう撮ってみたいな感じなんですけど。
スピーカー 1
で、最初にですね、改めて、何でこの本の話をしたいのかっていうのを、
ちょっと自己紹介から紐解いていきたいなと思うんですけども、
改めて松浦さんから自己紹介をいただいてもよろしいでしょうか。
スピーカー 2
そうですね。松浦茂樹と申します。
コミュニケーションプランナーっていう肩書きで活動しています、それで言うと。
で、自己紹介で言うと、そもそも佐々木さんと初めて会ったのが、
もうほぼ20年前になりますね。ライブドアという会社。
スピーカー 1
20年前ですね。ちょうど20年前。
スピーカー 2
ちょうど20年前ですよ。2005年ですよ。事件が起きるライブドアにいまして。
今ね、ちょうど騒がれてフジテレビの話もそうですね。
回収がどうだろう、20年ぶりだみたいな。
スピーカー 1
20年経つと、確かにそんなこともありますね。
スピーカー 2
そんなこともあって、その前のキャリーもあるんですけど、
デジタルメディアっていう意味合いで言うと、ライブドア、スタート。
そこからワイヤード、グリー、今ハフィントンポストじゃなくて、
ハフポスト日本版。そしてスマートニュースでまた佐々木さんと一緒になりまして。
で、一つデジタルマーケティングの会社挟んで今、独立して、
先ほど言ったコミュニケーションプランナーっていう形で、
インターネットのコミュニケーションっていうところをですね、
お客さんと商品のプロダクトとかマーケティングも含めて、
そういういろんな人と人の間に入っているコミュニケーションを
設計する仕事っていうのをしています。
で、今回それで言うと、プラットフォームについて
喋っていることがこのほうとても多いんですけど、
プラットフォーム3回やってますと。ライブドア。
ライブドアもライブドアニュースっていう形で情報を集めるのもそうですし、
僕そもそもECがスタートだったりとかするので、
ライブドアデパートがスタートだったりとかするんですけど、
ライブドアデパートのモールタイプなので、
お店集めてきて提供するんですよね。それで言うと。
スピーカー 1
Amazonというかね、そのプラットフォームといえばAmazonが頂点に
というか最も有名なものとしてありますけども、
それの一形態ですよね。
スピーカー 2
そうですね。ECプラットフォームもやりました。
で、Gleeでゲームのプラットフォームもやりましたと。
サードパーティーのね、スタジオが入ってきてGleeっていうところで
認証を受けてやるっていうプラットフォームもちょっとだけやりましたと。
で、スマートニュースもニュースアグリゲーターという形でやって、
3回プラットフォームのお仕事をやってきた身からすると、
XとかFacebookとかいろんなプラットフォーマーがいるんですけど、
そこが変わってきていることについて、あれやこれやとですね、
書かれて、やっぱりUNOさんの本は読まねばならないと思って読んだ次第ですね。
スピーカー 1
そうですね。まさにこれプラットフォーム資本主義に関する批判から始まる本なんで、
まさにそのプラットフォーム側にいた立場として見逃せない内容ですもんね。
スピーカー 2
そうですね。そして実際そのプラットフォームを通じてコミュニケーションすることがとても多いので、
お仕事上の設計もそればっかりなので、やっぱりそこを見極めなきゃいけないし、
自分ごとにするのであれば、いつまでお仕事として成立するんだろうか。
みたいなのもあるわけですよ。
スピーカー 1
まさにそういう関心で、今回もこの企画持ち込んでいただいたと思うんですけども、
私も私でものすごい関心がありまして、この2話の話に描かれていること。
私も改めて自己紹介をすると、この本に合わせて自己紹介をすると、
今から20何年前ですよね。キャリアの最初にブログサービスの開発と運営というのをやりました。
今でいうライブダブログもそうですし、その前はココログというのをやってたりしました。
あとはRSSリーダーとかソーシャルブックマークみたいなWeb 2.0関連サービスと呼ばれるようなものは、
大体開発か運営かその両方か経験があるので、
この本の中でよく出てくるWeb 2.0的なるもの、双方向性のある情報技術が世の中をポジティブに変えていくんだっていう楽観的な時代から、
いややっぱりそんなことないんだっていう悲観的な時代から、結局個々のユーザーが世の中を作っていくんじゃなくて、
巨大なプラットフォームに結局塗りつぶされていくみたいなところまで一応一通り中の人として経験をしてきました。
あとこの本の中にさらに書かれてあるんだけど、ブロックチェーンを使ったサービス、Web 3.0と一言呼ばれるような、
そういったサービスも今現在提供しているので、この本の中で時に批判の対象になったり、時に懐かしさの対象になっているようなWeb 2.0とかWeb 3.0みたいなものの当事者であり続けているので、
ものすごく関心があるんですよね。しかもこの本で、このタイミングでだけで関心があるんじゃなくて、
情報技術、インターネット上で何かサービスとかコミュニティを作って運営していくっていうので、ほとんど現実社会での社会学とか情報社会学とか、
そういうものとすごく密接に関係あるんで、もう本当に20何年前からそういう本を読むのが好きで読み続けているような人なので、
そういう意味で、宇野さんの本に限らずですけど、そういうの出たら大体読むんですけど、宇野さんとは特に僕、世代が近いので、宇野さんが1977年生まれかな。
僕が1980年生まれなので、学年でいうと2個ぐらいの差なんですね。あれ松浦さんとも同世代ですか?宇野さんとも。松浦さんの方がちょっと上ですよね。
そう、74年生まれなので、宇野さんからするとちょっと上なんですよ。 3歳ぐらい上みたいな感じですね。でもほぼ同世代ですよね、体験しているものとしては。
体験しているものが同じっていうことは、宇野さんってよく本の中でサブカルチャーのコンテンツを例に出していっぱい物々語るわけですよね。
それこそガンダムの話もだし、仮面ライダーもそうだし、あとリトルピープルの時代、遅いインターネットより前の本の表紙が仮面ライダーで、タイトルにリトルピープルってある。リトルピープルは村上春樹の1984の中に出てくるリトルピープルなんですけど。
そういったものがもう全部同世代で被ってきてるんで、見逃せない作家であり本でありっていう感じなんですけども、今日はちょっとそんな2人がですね、この本、庭の話を読んだ感想を交換し合うという趣旨でございます。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
まず最初に聞いてみたいのが、この企画、松浦さんの持ち込み企画なんですよね。
はい、ですです。
なぜ持ち込んでくださったのかって、そこからお聞きできればと思いますが、どうですか?
スピーカー 2
そうですね、それで言うとやっぱり、先ほどお互いのプロフィール紹介しましたけど、お互いがお互いでやっぱりやってきた世界観と、そういう話じゃないですか、それで言うと。
スピーカー 1
いや、ほんとそう。ほんとそうなんですよ。ほんとそうですよね。
スピーカー 2
はい。で、ただ視点の違いもあると思ってて、やっぱりね、僕からすると佐々木さんは、この本の中で作る、制作をやる人でもあるじゃないですか、それで言うと。
スピーカー 1
そうですね。この本のだいぶ最終章の方に、その話が出てきますけど。
そうですね。僕その意味でも、そうそうそうそう。面白かったです、その辺。
スピーカー 2
はい。僕はそういう意味では制作の人ではないんですよね、それで言うと。
そうなの?
あくまで場作りの人ですからね、それで言うと。
スピーカー 1
でも僕、松浦さんのものづくりの側面も知ってますよ。クイズのイベントを作ったり。
うーん。
ああいうことも、宇野さんが言っている、投資に終わらない、消費に終わらない、制作の現場に人をタッチするっていう生き方と、僕重なるように思いましたけどね。
スピーカー 2
あ、そうそうそうそう。それはそうなんですよ。だから、コンテンツとしてのものを作るのか、コンテキフトとしてものを作るのか、ステージとして作るのかっていろいろある中で言うと、
そこのやっぱり違いの視点のところは絶対にあるんだろうなっていうのがあると思っているので、そこのやっぱり違いのところからこの庭の話っていうところを切り口が変わって見えるような形になると面白いなと思っています。
スピーカー 1
なるほどなるほど。じゃあその共通点と、あと違うところもありそうで、話してみたら面白いんじゃないかっていうのが持ち込んでくださった、あるっていうことですね。
スピーカー 2
そうです。ポイントかなと思っています。
スピーカー 1
ちなみに今この番組とかいつも聞いてくださる方向けにこの庭の話をちょっと頑張って要約してみようと思うんですけども、
これ何の話かっていうと、当然ながらガーデニングの話ではなくて、このプラットフォーム資本主義に覆い尽くされた世の中をより良く生きるにはどうしたらいいか、どういう考え方を用いてみたらいいんだろうかっていうことを、
いろんな方法で、いろんな例え話でやっていくっていう話なんですけども、その中に庭っていうアナロジーというかメタファーというかが出てくるんですね。
これが最初から最後まで出てくるんですけども、この庭っていうのが大体どういう意味で出てくるかというと、難しいな、これなんていうかな。
スピーカー 2
だからやっぱり家にがあって庭があるみたいなイメージがまず取れると思うんですよ、庭のイメージ。
ものすごく宮殿の庭みたいにバッカでかい庭みたいな感じではなくて、これで言ってる庭はそれで言うと本当にちょっと広めではあるけど、庭ですという感じで、
そこの庭にはいろんな人だけではなくて、庭のいろんな種類がありますと。木であったり石であったりとか、いろいろとガーデニングできるんで、
できるんですけど、でも自分でフルコントロールできない、それで言うと。雑草生えたりとか、そういうのもあったりとかする中で、そういう多様性というかコントロールできない。
コントロールできるとコミュニティ作りましょうみたいな話になると思うんですけど、それは違う。そうじゃなくてアンコトラブルなものも含めて、庭的な存在の中でどういうふうに、庭的な存在をメタファーにしてどう生きるかみたいな話なんですよね。
スピーカー 1
そうですね。家に対する、家っていうのが人間がコントロールしたコンフォートな空間だとすると、庭っていうのは人がコントロールできる部分もあるけど、むしろそうじゃないものの方が多くて、それが虫だったり動物だったり、
そういうものがデイハイリーするというのもあるし、あと花のメタファーも出てくるんですよね。そうですね。花っていうのは人間と人間以外の動物、それこそ虫とか昆虫とか、それを両方引きつける。綺麗な花だなって人が寄ってくることもあるし、蜜を吸うために虫が寄ってくることもある。
スピーカー 1
そういった花があったり虫がいたり人がいたりみたいな、そういうものっていうものを作り出す。庭を作り出すことによってそのプラットフォーム資本主義と呼ばれているような相互評価のゲーム。すごい簡単に言うと、いいねを押し合うような承認欲求を満たすゲームの中に閉じ込められている。
そういうものから抜け出すというかね、そういうオルタネティブを作るのに庭っていうものの例えが出たり、具体的なアクションが出たりとかしてるんですけど。しかし、例えば遅いインターネットってもっと分かりやすかったと思うんですけど、庭の話ってどういう本だろうか伝えるのにちょっと一瞬困りますよね。
スピーカー 2
僕はさっきコミュニケーションプランナーって言い方して、今のやっぱりプラットフォームのコミュニケーションって能動的に探しに行くか、受動的に受け入れるかのどっちかみたいな設計から始まるっていつもやってるんですけど、そうするとですね、庭の話ってそもそも興味関心からすると入りにくいじゃないですか。
いやー庭の話があってさーって言われても、なんだそれみたいになっちゃうじゃないですか。今みたいに説明するだけでも結構大変です。逆に庭の話自体がキーワードとして、あまりにも庭も話も一般的なワードすぎるから、全然これだけだと悩みの解決にも何もならない。
タイトルだとプラットフォームのコミュニケーションをそもそも拒否してるんですよ、これ。能動も受動も。そこも含めて、対プラットフォームに対するアンチテーゼみたいな感じになってるなとは思いましたね。
スピーカー 1
でもおそらくこういうタイトルすら、視聴者の狙いというか、いかにも新書のタイトルにつけそうな、人の関心を引っ掻くバズりそうな、時に違和感を生じさせたり、人を怒らせたりしながら、ついつい一言ものを申したくなるタイトルのつけ方っていうのは、新書のタイトルとしてもSNSの書きっぷりとしても今や一般的なものだと思うんですけども、
そういうタイトルをつけないっていうことが、すでにプラットフォームに関心を刺激され続ける奴隷のような人間のあれを拒否してますよね。
そうです。なので、じゃあどうやってみたいな話があるんだけど、だからもうこの本を読んでみて思ったのは、ある意味、UNOさんのそういう意味での庭の中のいるんだろうなっていう実感も持ってた。
スピーカー 2
中道体の話だったじゃないですか。である、する、みたいな形じゃなくて、中道体っていうのは、ただそこにいることで伝わるっていうのが中道体の話で言うんであれば、UNOさんが広い意味で持ってる、能動的に作ったわけでもなく、受動的に作ったわけでもなく、UNOさんっていう中、そういう存在自体の中道体としているっていうところに入ってるから、この本も読めたんだなって思った。
スピーカー 1
まあそうですよね、その全体庭の話のメタファーでいくわけですけど、プラットフォーム資本主義に対抗していく手段として身近な道具、身近な例え話でお話を積み上げていくんですけど、なんかそれが民営とかケアとかパターンランゲージとか、それこそすごい身近な例で言うと銭湯とか、それこそ高円寺の小杉湯みたいな具体名が出てますけど、
なんかそういった物事からなんか語り起こしていくんですよね。で、それがなんか本当身近なもの、そのUNOさんが今こういる庭の話的なものからこの大きな論を立ち上げていこうってしてる本なんだと思うんで。
これ何の本かなとタイトル読んで僕はよくわからずに、もう頭から順番に読んでたんですけども、最初ね、とっつきにくかったんですよ。なんか話が一個一個小っちゃいから。
たしかね、松田さんと話したときに、残り1章か2章残した状態で読んだ途中の感想で、なんか面白いなと思う部分となんかついていけない部分と混ざり合っててよくわかんないような状態ですけど、あともうちょっとですとかって言ったと思うんですけど、
僕残り2章がすごい面白くて、そこでね僕全部一気に挽回してて、この本すごい面白いって最後思うように。その最後の2章っていうのがタイトルで言うとなんだっけな。
スピーカー 2
消費から政策へかな。
スピーカー 1
そう、消費から政策へ。それが最終章ですよね。
それが13章で、14章が庭の条件から人間の条件。
この2章がすんごい面白かった。すごい面白かったし、なんか自分も実感が持てたっていうか、この例え話自分はよくわからなかったなみたいなものが途中途中あったんですけども、この最後の2つに関してはすごく自分も実感が持てて、自分もやっている実感も持てたし、こういうことが書きたかったんだなっていうのはね。
すごい満足度高かったです、この本。
スピーカー 2
政策のところが、この本に書いてある中で言うと、作ること自体が目的になって陶器みたいな形で生み出すみたいな話があったじゃないですか。それで言うと。
それが単純にただ単に作ることだけに重きを置くみたいな。それで言うと。
目的を持ったはならん。この中の本でもありましたけど、ランニングするけど別に痩せたいとかすごい記録を残したいとか言うんじゃなくて、
宇野さんで言うとランニングする中で別に途中で行為によって根拠を取ったりとか、そういうところも含めて、とにかくランニング自体。
そういう意味での何かしらの動くこと自体、いるっていうこと自体に引き戻すことっていうところが、割と政策っていうところの部分に回帰して、回帰なのかな。でもなんかね、そう捉えたんですよ。
スピーカー 1
消費社会、消費から政策へっていう話だったから。
その14章が、ハンナ・アーレントの全体主義の起源からこの議論がスタートして、
スピーカー 1
ハンナ・アーレントが人間の条件っていう本で、人間の基本的な活動を3つに分けたと言ってて、
1つが労働で、1つが政策で、1つが行為。
労働っていうのは賃金を稼ぐような、お金のために働くライスワークみたいなことですよね。
政策は何かより目的がある、何か作っていく。
で、その行為ってあって、行為はお金を稼ぐためでもなく、何か作り上げる目的があるわけでもなくて、行為はただの行為なんですね。
だからさっきので言うと、ランニングしてるっていうのは、マノソンでフルマノソンを走るためとか、痩せるためとかっていうのは目的でもなく、
閉じながらお金を稼ぐためでもなく、ただの行為であるみたいな。
スピーカー 2
確かそういう文脈で出てきた話だったんじゃないかと思うんですけど。
そういうところが身に染みてみたいな気がしてて、それで言うと。
で、直近で見た、うさみさんって方のツイートでこういうのあって、
男は40を超えると、ジムに通い、筋トレを始め、走るようになり、自転車に乗り、キャンプに行き、山に登り、コーヒーを入れ、スパイスカレーを作り、中華鍋を育てて、蕎麦を打ち出し、燻製に手を出す。
スピーカー 1
ありましたね。
スピーカー 2
これもアクションですよね。本当に。
なっていくもんだなっていうふうにあるし、そういう感じでどんどん時間を作っていくみたいな話。
で、うさみさんがこう言ってるんですよ。
社会で地位を築けなかった氷河期世代のおじさんおばさんが救われる道は遊ぶしかない。
だから政治化するメッセージは、中年は我慢をやめてもっと遊んで消費しろみたいな話があって。
なるほどな。これも一つの、さっきの生き方、これからの生き方、社会のある様子をたまたまプラットフォームが変容していく中で言うんだったらっていうのは、
うさみさん、うのさんの本、読んでるか読んでるか読んでないような気がすごいするけど、でもこの本読み終わった後にこのXのポスト見て、ははーみたいな感じで思ったんですよ。
スピーカー 1
うさみさんが消費って言ってることを、うのさんとか国文広一郎は多分浪費って言葉で言ってる。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
これは暇と退屈の倫理学の中で、暇と退屈を分けたり消費と浪費の違いを論じたりしてる本の中で、浪費って言うとなんかすごくお金無駄遣いして悪いことみたいな。
浪費って言葉自体にネガティブなニュアンスがあると思うんですけど、ここではそういう風には言っていなくて、正しく浪費をすることっていうのが正しくっていうのかな。
堂々と目的に捕らわれるとか、何かのためにガンジガラメンとかじゃなくて、本当に浪費するってことがすごく大事なんだみたいなことを言ってるんですけど。
多分そのうさみさんが言ってる消費っていうのは、多分浪費のことでしょうね。
スピーカー 2
そうですね。浪費のことですね。だからこの話で言うんだったら、消費っていうところが本当に必要に応じて行ってる行為のこと。
入浴しなきゃいけないとか、ごみ捨てしなきゃいけないとか、みたいな感じなので。
それが消費。に対して浪費っていうところが一時的な快楽も含めて使っていくんだっていうことだと思うんで。
スピーカー 1
だから心当たりありますよね。昔の話も心当たりがあるし。
年取ってっていうのもそうかもしれないし。話の年取ってだけじゃないの。今の世の中の中でどうそういうプラットフォーム資本主義みたいなのに飲み込まれるように対抗するかみたいなものとかって、
スピーカー 2
すごく本当に課題感があるっていうか、いつもそのこと考えてるんで。
課題感もあるし、でも結局そっちの方向に流れてってるんじゃないかなと思うんですよね。
消費社会っていうところ。どんどんどんどん物を買って、どんどんどんどん物を消費していくっていう消費社会から脱却して、
制作社会かな、言い方で言うんであれば。制作社会へ移行していく。作ることっていうところに時間を持てるような形になる。
時間を浪費するっていうところに移行していく流れがあるんじゃないかなっていうのは見えてきてるので。
スピーカー 1
それで言うと、いい例えだなと思ったやつがあって、これ何ページだ?13章なんですけど。
今日において物を消費することからは人々がその味を覚え始めた時のような魔力は失われている。
人間がエンジンを発明してからおよそ150年で機械による身体拡張の快楽、運転を安全と引き換えに手放すことにためらいがなくなり始めているように、
消費の魔力もすでに損なわれて久しって書いてあるんですけど、これすごいいい例えだなと思ってて。
僕よりも上の世代ってバイクとか車とか、エンジンの乗った乗り物に対するフェティッシュな愛情がありますよね。
スピーカー 2
あります。
スピーカー 1
これっていうのは宇野さんがここで書いてあるようなエンジンを発明されてから、そういうものに愛着を感じる。
例えば、もっと上の世代だと宮崎駿とか富野由悠季みたいなアニメ作品の中でもずっと機械を書き続ける人もいれば、車をコレクションし続ける人もいるけど、
僕とかは普通にカーセアで、普通に電気自動車で安全にできたら何でもいいですよって思ってるんですよね。
だから機械による身体拡張の快楽を安全と機械に手放すことに全くためらいがなくなる世代が登場するまでに100年から150年かかってそうなっていると。
で、同じように消費の魔力。楽しいものを買うことが自分の個性とか自分の生活の充実に直結するって思ってた消費の世代、1980年代、90年代みたいなのがピークにあるとしたら、
もうそんなものどうだっていいじゃんって思う世代がもう現れてますよねってことはここで言ってると思うんですけど。
これ本当にそう思いますよね。
スピーカー 2
はい、本当に。
スピーカー 1
これ本当にそう思うんで、いい例えだなと思いましたね。
スピーカー 2
はい、もうだって機能だけもう残っていればいいみたいな。機能が使えればいいし、機能を所有する必要性がないからっていうのもあると思うし、
それで言うと、いわゆるじゃあブランド物ってなんだっけみたいな話があるじゃん。
財布とかそういうところで機能だけで言えば、お札とコインを格納するだけのものに対してすごく高い財布っていうのも存在したけど、今やビニールの財布とかでも全然問題ないんですよみたいな感じでもやってきて、
どんどんどんどんそういう意味で資本っていうところから外れていくみたいなところがある。
で、なってきた時に自分で作った財布だったらなおのこといいじゃないですか。さっきの男は40を超えると何々始めるっていう感じで。
自分が作った何かの方がいいわけじゃないですか。
それこそだって、先日自分と佐々木さんと行ったツバメ山城で、佐々木さんはフライパンを買うわけで。
スピーカー 1
僕フライパン作ってる。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
ちょっと意地悪なものの見方をすれば、蕎麦を打つとか、コーヒーを入り始めるとか、フライパンを打つとかってことすらこと消費のパイプラインに乗せられてるとも言えなくもないけど、言えなくもないんですけど。
でも、与えられた、これを買っておけば間違いないっていうものよりかは、世界に1個の、自分で体験して作った、仮に部活動でも、そういうものの方が、ことの方が満足度高いっていうのはその通りですよ。
スピーカー 2
うん。っていう風になっていくんだなーみたいな話なのかなと思って。
スピーカー 1
僕だってリンゴとかね、リンゴジュース作ったりね。
うん。
その、本作ったり。制作っていう行為をこう、自分の中に取り戻してるっていうことをなんか、すごくしてる実感があるんで。
スピーカー 2
うん。やっぱそこなんだよな。で、さっき言った制作も小さい制作の話じゃなくて、なんか、僕で言うとイベント作ったりとか、そういうところも含めてっていう話につながってくるから何かしら、
ね、能動っていうわけではないんだけど、それも含めて。で、いてもらうような中道体っていうところをできるような、まあ庭にどれぐらい入れますかみたいな話になってくるんですよ。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
で、これ読んだ後で、自分がどっかの庭にいるっていう実感あります?
スピーカー 1
どっかの庭。庭か、僕その、自分が住んでるところ、東京の西大陸後に住んでいるということと、あともう一つ岩手県東の市にしょっちゅう行って、そっちでもなんか生産活動してるっていうのがあるんで、
そこでの人間関係とか、計らずも起こること。庭の条件ってこの本の中に何個あるんですけど。
計らずも起こることに巻き込まれていく。近所の小学校、自分の子供を通わせている小学校の人間関係及び地域と、
遠野でやってるその農業とか観光とかのことで起こるあれこれっていうのは、まさにそれです。庭の条件を満たしてますね。
スピーカー 2
なるほどね。あんまりそこに干渉しすぎるのもまた違うって、遠野さんも書いてたりとかしますよね、それでいうと。
なんかコミュニティ、もう作りました入ってどうだーっていうんじゃなくて、そこにはもう不確実性も含めて、やっぱりこうゆるくみたいな形があるじゃないですか。
スピーカー 2
フォローされるからどうしても始まってしまうっていうところがあるんで。
それで本当にいいんだったっけっていうところですからね。
ソーシャルネットワークそんなにみんなに好きだったっけみたいな話になるので。
スピーカー 1
僕、公の場であんまり言ったことないですけど、
LINEを退職してスマートニュースに入った理由ってそれなんですよ。
LINEのミッションってクロージング・ザ・ディスタンスっていう人との距離をつなげるっていうかクロースにするみたいな。
もちろんメッセンジャーのサービスなんで、当然それが人と人をつなげるのが一番大事なんですけど。
僕は人を除いて世の中にアクセスしたかったんですよ。
当時の今もですね、スマートニュースっていうのはソーシャル性を一切持たないアルゴリズムでコンテンツアグリゲーションしてデリバーするっていう、
そういう思想を持って、しかもそれを実際に実践しているソーシャル抜きのプロダクトだったし、
しかもプロダクトだけじゃなくてそういう考えを持っている会社だったんですね。
だから僕それがすごいいいなと思って。
浜本会生さんに会った時に、本当にそういうつもりで作ってるのかどうなのかって僕にとっては大事だったんですよ。
たまたまそうなってるのか、本当にそうなのかって言ったら、
スピーカー 2
あの会生さんの性格、松田さんもすごくよくご存知だと思うんですけど、
スピーカー 1
会生さんがまさにそんな人付き合い得意じゃないタイプで、
でもいつもユニークなこと考えてて、人に喜んでもらうこと好きな人じゃないですか。
だから孤独なまま世界に深くつながりたいって、本当に思ってる人が作って経営してたんで、
これは僕すごく好きだ、この会社好きだと思って。
まさにそういうことが書いてあるんですよね、この本にね。
スピーカー 2
そうですね。
この本に書いてなくて、僕がちょっとだけUNOさんの世代より上の話をするのであるならば、
スピーカー 1
僕からするとそれはパソコン通信なんですよ。
スピーカー 2
あ、そうですよね。
パソコン通信も入っていくと、基本的にはことしかないんですよ。
人のプロフィールは存在しないんです。
もちろん自己紹介掲示板みたいなところって、私これですみたいな形で書くのはできますけど、
当時なんてね、検索とかそこらへんとか弱いからフローでバンバンバンバン流れていくから、
誰だったっけって話があるんだけど、でも基本的にそういうふうに作り出されたことでしか、
ことものでしか見えないっていう世界観しかなかったので。
でも全部雑多に見るかというとそうでもない。
そうなると何かしらのテーマみたいな形で入っていって、
雑多でそこの場にいることだけ。ロボオンリーでもいいわけですよ。
リードオンリーメンバーだけでもいいわけですよ。
スピーカー 1
それでもいることを許してくれる場でもあったんで。
スピーカー 2
何週も何週も回ってそういう感覚もあるなっていうふうに思いましたね。
スピーカー 1
確かにな。
それもまたなんか庭感がありますね。
スピーカー 2
庭で今一度昔々のインターネットっていうところが育ってきて、
いろんなものが付随してきて、人が登場し探し出せるようになり、
感情も含めてショートにつけるような形になってくるっていうふうになると、
今のプラットフォームみたいな形になってそれでどうだったっけみたいな話になってしまう。
そういうところを改めて認識し直すっていうのが、
スピーカー 1
揺り戻しが来るみたいなところかなと思ったんですよね。
この本の中で、そうだ、序盤で書いてあることを飛ばしちゃったんですけども、
一時期話題になった議論なので聞き覚えある人いるかもしれないんですけども、
デイビッド・グッドハートっていう人が、サムウェアな人々と
エニウェアな人々っていう言葉を使って説明したことがあって、
サムウェアな人々っていうのはもうどこかでしか生きていけない人。
エニウェアな人々ってどこでも生きていける人々。
これエニウェアな人々がどういう人のことを指してるかっていうと、
グローバル企業で勤めて、世界中どこでも働ける環境と技術とネットワークが、
友人関係とか社会人の関係があるようなそういう人たち。
そういう人たちっていうのは実は世界中どこでも同じような人と付き合ってるんだと。
サムウェアな人々っていうのはそこでしか働けない。
それは技術であったり仕事であったり、言葉とかいろんな理由があるけど、
そこでしか生きていけない人々。
その人たちの間での価値観の分断みたいなものが加速してて、
またお互いがお互いを憎しみ合うみたいなことが起こってるみたいなこと。
何年前だろうな。2,3年前か何か僕見た覚えありますけど。
それが冒頭から繰り返し繰り返し出てくるんですけど。
これ見た時に自分でどっちなんだろうと思う。
何者なんだろうと思ったんですよ。これ見ながら。
なるほどな。
スピーカー 2
そこの観点で言うとやっぱり、これは自分の体験上で言うと、
カフィントンポストをハーフポストでやっちゃったっていうのがあるので、
あれでグローバルで、強制的にってお仕事だから。
繋がっちゃって、どこでも賢でもっていうところの部分も含めてインストールされたから、
今でももちろん新宿というエリアに住んでたりするけど、
でもデジタルも含めて、アニュエアな実感はある。
スピーカー 1
人から見たらアニュエアな人に見えるような気がすると思うんですけど、
サムウェアになりたがってるっていうか、戻ろうとしてる行動だけ見たらそんな気がするんですよね。
農業やったりとか。
スピーカー 2
そうそう。だから僕から見ると、やっぱりローカルな文脈っていうところに出したところのサムウェアのところの文脈は
スピーカー 1
やっぱり佐々木さんは強く、やっぱり党のも含めて持ってるっていう印象があるので。
スピーカー 2
僕はローカルな文脈自体は好きだし、旅が好きだからそれぞれのサムウェアの場に入っていくのはものすごく好きだけど、
自分自身が好きですよ。大好きだけど、
スピーカー 1
でも自分自身がサムウェアに根差してるんだっけって言われたら、そうでもないところがあるので。
そうか、そうなんですね。
スピーカー 2
元の北海道人の札幌っていうようなアイデンティティはなくもないけど、強いかって言われたらまたそれは、
強度合いが別にゼロじゃわけでもないしいいっていうのはあるんだけど、そこまで持ってない。
もともとその北海道という土地柄が、わりとみんな開拓で全国各地から集まってきたっていうマインドセットはあるので。
スピーカー 1
土地柄としての。いうのがあるから、エニウェアの文脈がちょっと強いのかなとは思うんですけど、個人的に。
僕、やってることとしてはどっちつかずのことをしてるのかなとも思ったんですけども、
この本の中の、これもまた終盤かな、第14章か何かに、こういうのが出てくるんですよね。
まずはエニウェアな人々の生きる世界を、陶器から製作へと引き戻すことだ。
そしてこの製作を技術的にだけではなく社会的に民主化して、
サムウェアな人々に拡大して、この分断を解消することだ。
そして当然のことだが重要なのは世界のほとんどの人々が関わる公社のほう。
途中、労働家、製作家、工医家みたいな話が出てきて、
エニウェアな人々っていうのは、陶器って書いてあるけど、投資とかかな。
エニウェアな人々の中でも、さらに限定的な人々のことを特に象徴的に指してると思うんですけども。
知識もある、時間もある、お金もある、ネットワークもある。
そういう人たちが最も経済的に行動しようとすると、投資とか陶器になりますよね。
私たちの共通の知人にもいっぱいいますよね。
そうやって、プチ上がって、投資家、インフルエンサーやってる人たくさんいますよね。
普通にそれが、最も自分の影響力とか能力を、効率的に経済的にレバリッジを利かしていく方法だってことだと思うんですよね。
普通みんなそうするでしょっていう。だってそれが合意的な行動なんだもんってなると思うんですけど。
野田さんが言ってるのは、そういう人々をもう一回その制作のところに引き戻すっていうことを言ってるんだと思うんですよね。
僕ここでハイライトを引いてたのは、俺何者なんだろうって前から思ってたんですよ。
エニアやな人なのか、ダメやな人なのか。何者なんだろうと思ってて、よくわかんないどっちかだなと思ったんですけども、
こういうふうに宇野さんが言ったことで、なるほど、僕が今リンゴ作るとか本作るとか、
そこだけ取り出すとあんま儲かんない。そこだけ取り出すとあんま儲かんないですよ。
もっとそれ以外のこともやってるから価値があると僕は思ってるんですけど、
それだけ取り出すと何か非効率なことをね、結構熱心にやってることって、
面白いと思ってやってるんですけど、その面白いと思ってやってることに、
何かこう意味があるかもよって言ってくれてるような気がして、ちょっとね、そこが面白かった。
スピーカー 2
そうですね、僕もこう引いてるところで言うとね、制作を技術的にだけじゃなくて社会的に認識させて、
ダメやな人々に拡大して、その負担を解消することっていうところも、僕も引いたりとかしてるので、
ここなんだろうなーって思うんですよね。まあね、資本主義のゲームだけだったらね、
働かなきゃダメですよって話になっちゃうんだけど、そうじゃなくてみたいな話ですからね。
働かなかったら負けじゃなくて。制作しなかったら負けぐらいな言い方にもなるんでしょうね。
スピーカー 1
確かにね。僕確かにそう思うんだよな。自分が作らなかったら、自分が生きてなかったら、
スピーカー 1
この世に生まれなかったものを作らなかったら、生きてる意味がないんじゃないかと思うからね。
そういうことをするわけですけど。
スピーカー 2
いや、だから本当、だからなんだろうな、制作の喜びっていうところを、さっき遊ぼうみたいな話あったんですけど、
作ること自体が遊びじゃないですか。それで言うと。遊びの側面あるじゃないですか。
なんで僕はクイズのイベントを作って、みんな楽しんでもらう。
これにもちろん、資本主義的なところの部分でイベントキャラがあるのかもしれないけど、そこじゃないしみたいな。
っていうところも含めて、やってった方がいいし、そういう空間が庭という表現で、
あちこち具体的な形で個人社会にとっての庭っていうところが、いろいろできてくるところがいいと思うし、
言ったら、やっぱり今やってるパーソナルトレーニングのジムも、そういう意味での確定のところもあるのかな、みたいな。
スピーカー 1
確かに松浦さん、パーソナルジムの経営もやり始めてるから、それも場作りですよね。
スピーカー 2
そう、場作りで庭で、入ってくる人、要するにそこに加入する人があったらアンコトロールじゃないですか、当たり前ですけど。
で、アンコトロールの人々が入ってきて、それでちょっとコミュニティみたいな形で話をするじゃないですか。
そうすると、緩い関係性も含めて、でも別に孤独に黙々とトレーニングされる方もいるわけですよ、それでいうと。
っていうのがあるんだから、なるほど。こういうところで自分が用いる政策みたいな部分を発揮することで、
一つ社会のそういうところに気を詰めたら、それがそれなのかなって思う。
スピーカー 1
なるほどね。いや、確かにそう上げてると松尾さんもいろいろやってますね、なんか。
なんかその、ハフポーとかグリーとかスマートニュースとか、メディアとプラットフォームを往復してきた経営の人が、
今ジムとクイズ等とかって上げると、いいですね、これなんか。庭の豊かさがありますね、なんか。
スピーカー 2
うん、そう。だから一方で仕事のコミュニケーション論のところで言うと、
いや、プラットフォームに対してどういう風にしようか、Googleがこんな感じで変わっていきますねとか、
Xとかね、メタの方針とかいろいろ考えて、こういう風にコミュニケーションを組み立てなきゃいけないですねっていう、
デジタル仕事のっていうところがあるんだけど、でもそれだけじゃダメだよなってずっと薄っすら思ってたところで、
それ以外のプロジェクトで手をかけて動かしていくわけじゃないですか、それでいうと。
うん、そうですね。
っていうところを見ていくことが、うのさんのこの本でちょっと裏付けられてるところもあるし、
我々共通というか一緒にやってるプロジェクトで言うと、やっぱりつばめ山場はまさにタムウェアなところの部分から広がってて、
あれが大きな意味での庭っぽいとこすごいあるじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。あそこはすごいありますね。
スピーカー 2
はい。っていう話なのかなって思うんですよね。
スピーカー 1
最後、プラットフォームの話になったんだ。
いや、プラットフォームの話で言うと、本当この1年ぐらい、日本で言えば東京都知事選をめぐるあれこれとか、
あと兵庫県知事選をめぐるごたごたが、今なおずっと続いていることだと思います。
スピーカー 2
続いてます。はい。
スピーカー 1
あとは、ちょうどこれを収録しているのは1月21日なんですけど、
昨日トランプ大統領の就任式前後で、いわゆる一国の大統領が独自コイン、ミームコインで資金到達を簡単にできる。
これだけを挙げれば事実。ただの事実なんですけども、
それによる不安みたいなもの、不安というか大丈夫かこれみたいな、そういうものを見る中で、
あえてやっぱりプラットフォームがそういう状況を乱したり増幅させたりしてる中で、
いやーこれなんか大変な世の中だなってこう、
絶望がね、僕この1年間ぐらいさらに深まっているところがあるんですけども、
僕その、この本読んで、あとこの本読んだのと、あと最近の僕のトレンドで言うと、
イデオンを読んだの。あ、違う、読んだじゃない。
イデオンを読んだの。本も読みました。だから、
イデオンのアニメと小説を見たことと、
あとそれを通じて、富野由悠季っていう監督の作家性に触れたのがすごい影響してるんですけども、
急に富野由悠季の話してあれですけども、
基本的に人間とか世の中に絶望してると思うんですよね。
すごく人間って愚かでくだらなくて、なんていうか無駄な殺し合いをして、
こんなくだらない生き物はないって思って、誰よりも思っているのに、
でもそれで諦めずに、それをちょっとでも上回るような希望を、
すごく情熱的に描くコツじゃないですか。
その絶望の深さゆえに、人間の中にある希望を諦めずに厚く描いてるみたいなね。
そういう正義を訴えてる。で、そういう訴える正義って言うのが、
僕は小さい時には鬱陶しく感じたんです。
政治的なものって鬱陶しくて、
いといしげさと的なるもの、この本の中ではそう出てきますけど、
もっと軽い語り口みたいなものとか、
そういうものの方が生きやすいっていうか、受け入れやすいなと思ったんですけども、
年取って自分もおじいさんに近づいてきて、だんだん頑固になってきて、
世の中に許せないみたいな絶望が深くなっていくにつれて、
その絶望に負けないぐらい厚く、
自分の中にある希望とか期待とか、情熱について語らないといけないんじゃないかって、
スピーカー 2
どんどん思ってきて。
スピーカー 1
だからこの、僕はその庭の話とか、庭の話に関連して、
孤独なまま世界に接続することとか、今キキとしてさっき語ってたのは、
そういうことをキキとして語ることとか、語ってることを録音して広めることとか、
っていうのを少しでも抵抗する手段として、
頑固なおっさんとしてやり続けなきゃいけないんじゃないかって思ってきて。
この本を通じて、その態度を後押しされた気分にもなったし、
あと最近ガンダムにハマってるんで、ガンダムから勇気もらってるみたいな。
スピーカー 2
僕もね、それで言うと、庭自体が余白を取り戻すための場かなと、それで言うと。
スピーカー 1
余裕?
スピーカー 2
絶望もするんだけど、結局プラットフォームなくなるかって言ったらなくならないと思うんですよ。
ある意味における。いろいろ形態変わるかもしれないんだけど、こういうのはなくならないし、
そういうのをベースで付き合っていくんだろうなっていうところがあるんだけど、
それだけだとつまんないんですよ。
つまんないのをどうにかせんやならんなっていうところからしてみたときに、
余白っていうところが緩やかに交わる場じゃないですけど、
余白、余裕みたいな形で、たまたまみたいな形。
できたらいいんじゃないっていう場っていうところを、庭という風に言うのであるんだったら、
その偶然性も含めて、偶然の豊かさって言えばいいのかな、みたいなところを、
やっぱりそれは自分で作っていくことで、それを楽しんで、さっきの中途単位でいてもらう人がいるんだったら、
それでいいんじゃないねっていう感じ。
そういうのがあるんだったら、やっぱり今やってるイベントもそういう気持ちだし、
ジムもそうだし、お仕事でやってるっていう側面もあるかもしれないけど、
でも結局やっていくことがそれであるんだったら、
どんどん庭っぽいのを作っていって、そこに不確実性が増えるんだったらそれでいいんじゃないのっていう気持ちに、
スピーカー 1
この本を読んで思いました。
スピーカー 1
全部現実効果を塗りつぶすっていうことへのこう、
釘を刺すっていうかね、
対抗になるのかなってこう読みながら。
スピーカー 2
そうですよね、ファイトで言うとね、
本の中でも戦争に例えてね、喋ってるパートもありますし、
それがある意味ずっと、
西野監督がやってきた戦いの場でもあったりとかしますからね、
それで言うと、まさに。
で、ある意味だったらやっぱりここも含めて楽しむも含めて、
そうですね、余剰か、余剰いいなと思いましたね。
スピーカー 1
そう、余剰ってなんかネガティブなっていうか、
ポジティブな意味に聞こえないと一生思うんですけど、
例えば浪費っていう言葉がポジティブに転換するように、
余剰っていうのもいいんじゃないかなと思って、
最近思ってしまって。
スピーカー 2
余ってくるもんですからね、それで言うとね。
余ってどんどんどんどん増えていくものっていうのが、
やっぱり大事かなっていうふうには思いますしね、それで言うと。
なるほどな。
スピーカー 1
これぜひ、未読の方は、
これね、たぶんね、皆さんヒットする、
戦闘の例えがヒットする人もいれば、
いろんな例えがヒットすることもあると思うんですが、
最終章あたりね、どんどんどんどんテンション高まっていって非常に面白いので、
おすすめです、ぜひ。
スピーカー 2
途中ね、ちょっと難しくなるときはあるんですけど、
僕もやっぱり最終章になってハッと腹打ちもしたので、
スピーカー 1
ぜひ同業者の方にはおすすめしたいと思います。
じゃあ最後にですね、
ご出演いただいた感想をいただいて最後締めにしたいと思います。
じゃあ本日ご出演どうもありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
やっぱ本の感想をこういうふうに違う角度で聞ける、話せるっていう機会って、
多そうでね、少ないんですよね。
スピーカー 1
ない、全然ないですね。
僕ハイライトめちゃめちゃつけながら読んでるのに、
読んでるけど、あらゆる本を読んでますけど、
その後に喋る機会がないともう忘れますからね。
全然忘れる。
スピーカー 2
っていうのがあるから、話すことによってやっぱ自分の身に染みるところがあるかなっていう
一点において言うとやっぱ良かったし、
で、これを元にお互いの感想言い合いのところで、
ちょっとでも身に染みるところがあるから読んでほしいし、
それで読んでくれるって形だったら、これもうある意味の余剰じゃないですか。
我々の。
スピーカー 1
そうだ、まさにポッドキャストがそうです。
そうなった、そうなった。
スピーカー 2
っていう余剰を楽しむっていう一点においてで言うんだったら、
その時点だけで、なんか目的とかそういうんじゃなくて、
これで言ってる、もう庭としてそれが叶えられてるっていう状態でいいんじゃないかなと思った次第です。
スピーカー 1
ありがとうございます。
僕はもうこういう読んだ本の話するの好きなんで、
それ自体楽しかったのはもちろんなんですけども、
僕も松浦さんも過去ライブドアとかスマートニュースで
同僚だった時期を経ながら、
今あの人何してるのって言われた時に、
一言で説明できない状態に今なってると思うんですよね、お互い。
スピーカー 2
なってますね。
スピーカー 1
でもそのコミュニケーションプランナーですとか、
作家企業家ですとかって一応その説明求められたら言う時の
肩書きっていうかやってることはあるんですけども、
やってること全部言おうとするとすごいいっぱいになるし、
これって何なんだろうって思ってたんですけども、
実はその行動というか、
今四五十代になってそういう行動を選択してるっていうことが、
なんかその庭とか、
何かその政策とか行為とか、
この本の中に出てくる言葉を使って説明すると、
なんか一つのアクチュアルな、
このプラットフォーム資本主義に対抗する一つのスタンスであったり、
行動であったりすると、
そういう意味ではすごく共通してるものなんだなと思って、
すごい共通点を感じて、