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スピーカー 2
今回のテーマはね、絵見詩です。 私と宮本さんがたびたび雑談会と称して語ってきたというかね、取り上げてきた絵見詩とか、
アテルイとか、アクローとか、ちょっとその辺を改めて取り上げてみようという回なんですけれども、そのきっかけになったのが、
作られた絵見詩という本がありまして、これは松本竹早さんという方が書かれた、何年だっけな、2018年の本ですね。
これはね、非常に刺激的だったので、私と宮本さん、これ両方ともこの本を読んできましたので、それについてちょっと語っていきたいと思います。
スピーカー 1
メディアヌップ。こんばんは、ささきゅうです。こんばんは、宮本です。
いやお盆、終わりましたね。お盆終わりましたね。お盆って僕あの、唐の書いてないんですけど、まだ。ああ、そっか。はい。
スピーカー 2
宮本さんはまさにその、生まれた土地のとこで、はい。そうなんですよ。お盆を過ごしたと思うんですけど、なんかお盆って何するんですか、宮本さん。
スピーカー 1
お盆はでも本当に、墓参りに行くぐらいで、あとまあみんなでご飯食べるっていうぐらいで、特になんか、
僕が住んでる奥州市の水沢は、なんだあの、おくり火とか、はい、おくり火、迎え火。迎え火とか、あとあの、なんだ野菜に、ああ。
こう馬にしてみたいなのが、まあただ僕の実家がやってないだけなのかもしれないですけど、飾り付けとかは特になく。
あの茄子とかきゅうりに足さして、はいはい。動物にするやつとか。するやつとか、そういうのはなく。あ、なく。はい、なく。
スピーカー 2
あとお盆にしか出てこない、謎の懐かしいお菓子ない?
スピーカー 1
懐かしいお菓子ありますね。あの、お墓に添える、ありますね。そうそう、お墓に添える時にしか出てこないお菓子とか。出てこないやつありますよね。
なんかあるんじゃないですか、お盆らしいこと。お盆らしいこと、そうですね、でも本当それぐらいっていうか、あとでもやっぱりあの、僕8月15日が誕生日なので、いつもそのタイミングで、お墓参りした後にケーキを食べるっていう。
スピーカー 2
それお盆に生まれた?そうなんですよ、お盆に生まれたので。お盆ボーンしたってことですね。そうなんですよ。
スピーカー 1
すごいね、30歳おめでとうございます。ありがとうございます。
スピーカー 2
30歳がこれから始まっていくというか、どうですか、30代になって。
スピーカー 1
30代になって、あんまり僕的には劇的な線を越えた感じの感覚があるのかなと思ったんですけど、特にないですよね。
スピーカー 2
まあね、その瞬間にはないかもしれないけど。
スピーカー 1
いやでもすごいワクワクしてます。
スピーカー 2
そのね、変化を感じるには我々が生きるスピードが速すぎるのかもしれないんで、それをあえてね、カメラで長時間録音するみたいにポッドキャストで毎期一本一本撮っておくと、
スピーカー 1
そうなんです、はい。
スピーカー 2
なんかぼんやりとした光がたくさん集まって、フィルムになんか絵が浮かんでくるかもしれないんで。
宮本さんがやってるポッドキャスト29、30、ぜひ皆さんリンクしておくんで。
スピーカー 1
ぜひ聞いてください。
第2回もそろそろなのと、あとなんか聞いてくださってる方もいらっしゃって、
なんかその中からこれ宮本くんは自分のことは喋んないのってこう言ってもらうことも多くて、
あ、それ確かに。
スピーカー 2
そうだよね。
スピーカー 1
そうなんです、それ確かにと思ったので、
なんかそれ確かに特別編というか、1回笹桐さんに話を聞いてもらうみたいなのもやってみたいなと思いました。
スピーカー 2
え、メディアンヌップで?
スピーカー 1
そうですね、どっちがいいですかね。
メディアンヌップでやって29、30を宣伝とするか、29、30に笹桐さんに出てもらうか。
スピーカー 2
え、俺は29、30に出たいよ。
スピーカー 1
あ、本当ですか。
スピーカー 2
俺その30の時まではまだちゃんとブログもツイッターもやってたんで、
その時何やってたか何感じてたかは比較的思い出すヒントがたくさんあるんで。
スピーカー 1
いいですね、じゃあ番外編。
スピーカー 2
30歳の私としてゲスト出演させていただきます。
スピーカー 1
ぜひ、いいですね。
スピーカー 2
そんな30になりつつあるというか、なった宮本さんは最近こう自分のルーツに関心があるというのが去年からね。
アテル勉強会1回、2回と重ねて早くも第3回の告知が出ておりますが、そんな矢先にですね、私が宮本さんにお勧めした本がありまして、それが松本竹林さんの作られた絵見誌と。
スピーカー 1
そうですよね、こんな本があったというか、こんなことを話している人がいたんだっていうすごい衝撃を受けました。
スピーカー 2
おそらくこれがどういう本かというと、タイトルにあるように絵見誌っていうものは作られた存在で、簡単に言えば存在しなかったんだという説を唱えている人なので、学会の中では異端子されているというふうに書かれてあったんですけれども、
なのでないっていうふうに言っている人だから、おそらくその宮本さんの身の回りとか研究者の方でこの本を取り上げることすらないと思うんですね。
だってないんだから。
スピーカー 1
そうなんですよね。
スピーカー 2
だから僕も聞いたことなかったし、多分宮本さんも聞いたことなかったと思うんですけれども、これ私がたまに参加している岩手ザラフトフロンティアっていう団体の2週間に1回やっているオンラインの勉強会みたいな、雑談会みたいなのがあるんですけれども、
そこで取り上げられていて、それで知って興味を持って。
えー。
で、えーってどういうことみたいな。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
絵見誌いなかったわけないでしょみたいな。
スピーカー 1
本当ですよね。
いたでしょみたいな。
スピーカー 2
で、そういうちょっと、え、そんな嘘に決まってんじゃんみたいな。
いたでしょみたいなふうな感じで、最初そのね、参加して勉強会に参加したんだけども、その後本が届きまして、読んでみたら、
なるほど、なるほど、一理あるというか、面白いなと思って。
で、それでちょっと宮本さんと話してみたくて、今まで感想を封じて、今日まで封じてきたんですけども。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
どうですか、宮本さんは。
スピーカー 1
いや、本当、あの、まずびっくりですよね。
なんかだから、僕もあの、第3回のアテルイ勉強会のテーマは、えーと、この僕がいる場所の伊沢の絵見誌がどういう人たちだったかっていうことをテーマにした、あの勉強会をやる予定で、
なのでその告知をスタートしてるんですけど、家ではこの作られた絵見誌っていう本を読んでいて、で、絵見誌はいなかったみたいなのをこう書いてある本があるから、
なんかそれを見た妻は、なんか、え、どっちなの?みたいな、絵見誌、勉強するんじゃないの?みたいな。
いないこともあるの?みたいな話をこうしてて、もう確かにみたいな。
結構その戸惑いっていうか、まあ僕あったんですけども、この松本さんが言ってる、僕として受け取ったのは、まあその、確かにこう、絵見誌と呼ばれてるものがどちらかというと、こう、アイヌの、こうっていうか、
絵見誌として綴られたものの特徴があるのはアイヌの人たちのことであって、東北の人たちではないっていうことをおっしゃっていて、
なので、まあそういう意味では確かにそうなのかもとか、あと実際こう討伐、こう実際にその絵見誌と朝廷側との戦がなかったんじゃないかみたいなのもあったりして、
それをこの本の中で読んでると、ああ、そっか、そういう考えになってくのか、みたいなのも、なんかすごい納得できるところはあって、
ただ、なんていうんですかね、本当に感想としては、僕自身が興味があるのはやっぱりその時代の東北の人たちっていう意味だったので、
なんかそういう意味では、なんかなんていうんですかね、そこの人たちが完全に元々朝廷側だったとかって言われたらもう、
ええ、みたいにもっと多分、じゃあどうしたらいいんだろうみたいになったような気がするんですけど、
なんかそういうことではないというか、なので、そういう意味では、ああ、そんなにショックはなかったというか、
ちょっとやっぱりうまく話せてますかね。
スピーカー 2
そうですね、今のをちょっと僕が噛み砕いて、
スピーカー 1
お願いします。
スピーカー 2
3つぐらいのことを言っていて、
1つには、恵美氏っていうのは古代の歴史書にも登場するので、いなかったってことはないんですよね。
恵美氏っていうのは実際にいたと。
ただ、その恵美氏っていうのが北海道にいた、今でいうアイヌとかいう人たちの特徴を持った人たちのこと、
それは歴史書には登場するだけれども、僕とか宮本さんとかが面白がっている北東北、
岩手の中央部より上、秋田、青森辺りにいた、
アテルイとかね、そういう人たちがいたとされる恵美氏。
その北東北の恵美氏っていうのはいなかったんだ。
そっちの方の恵美氏はいなかったんだっていうふうに言ってる本だと。
そうですね、はい。
2つ目言ってたのが、アテルイと大和川の戦いがあったみたいなものは実際なかった。
そういう考古学的な証拠がほとんどなくて、みたいなことが書かれてあって、ということですよね。
じゃあその間、東北に誰もいなかったのかみたいな話になると、恵美氏っていうふうなまとまりとしてはいなかったけど、
誰かは住んでいたはずでというか、じゃないとね、全く無人の地ってことはないと思う。
そうですね。
でもこの本は極端なのは、文献と考古学的な証拠が出ているものだけで構成しているから、
何世紀かは空白地帯だった、誰もいなかったみたいな。
スピーカー 1
そうですね、ありましたね。
スピーカー 2
いや誰もいなかったわけないでしょって普通に考えて思うけど、
これは結構極端に、はっきりとそこに証拠あるものしか書かないと言っているので、誰もいなかったんだと。
なので愛嬲のルーツになったような人たちは、一旦その北海道とかどっかいなくなって、また新しい人が入ってきたんだみたいな説を唱えているっていうことだと思うんですけども。
宮本さんとしては別にそれが恵美氏と呼ばれる人であろうが、誰であろうが、誰かはそこに住んでてということだと思うんですけど、
伊沢城も、いわゆる大和の人たちが作った城なんだっていうことになってますよね。
スピーカー 1
そうですね、はいはい。
でもそれは僕たちも勉強している過程でそれを知っていて、
でもどちらかというと伊沢城が役場的な機能を持っていて、ということもこの本の中に出てくるんですけど、
でも僕たちとしてはそれも恵美氏を支配していく機能の一つだったというか、朝廷がまだ支配できていない場所にそういう役場的な機能のある城を建てることによって、
自分たちの権威を示すことと、あともうこれからここも統治していくんだっていうのを見て、
スピーカー 2
当て類が降伏するっていうことになってくるんですけど、だから多分この方の話だとそもそもその戦がないってなると、当て類の降伏自体もそんなに嘘というか事実じゃなかったってなると、そうですよね、どういうことなんだろう。
そこはどういうことなんだろうみたいなのがありますよね。
スピーカー 1
でも笹切さんはどうでしたか、改めて読んで。
スピーカー 2
僕面白いなと思ったのは、面白いというかね、僕がなるほどと思ったのは、北東北の恵美氏がいたかいなかったかみたいなことに関しては、やっぱりこれだけのあれだとまだわかんないよねっていうふうにも思ったんですけども、
スピーカー 1
一方で面白いと思ったのは、僕はフェイクヒストリーとか、儀式、偽物の歴史みたいなもの、そういう情報が人の認識とか物語によって書き換えられるみたいなことに、現代であろうと古代であろうと関心があるんで、
スピーカー 2
恵美氏、北東北に何かそういう存在がいたっていうのが、いろんな人の想像力とか、あるいは都合の良い物語によく使われてたってことは間違いないのかなと思って。
スピーカー 1
そうですね、はい。
スピーカー 2
それはね、面白かったんですよね。
この本の中で言っているのは、古代の大和っていう国においては、お隣の中国というか、中華思想を真似する過程で、北に蛮族がいる、北敵がいると。
スピーカー 2
そうですねってか、それには自覚的になりましたね。
スピーカー 1
そうなんですよね。結構今僕なんかむしろそこを頼りに掘り下げようとしてたものなので、
むしろ当て類勉強会っていう名前にはしてるんですけど、むしろその時代の当て類を含む、ここにいた人たちが何をしてたかとかどういう人たちだったのかみたいなことが、
今の僕たちのルーツとしてつながってくるものになったり、あとはここでしか作れないものを作る何かきっかけになるんじゃないかと思って勉強したところがあったので、
そういう意味ではどういう人たちだったのかみたいなのが結構揺らぐ、
もうこの史実に出てくるものをそのまま信用してはいけないって言われると、じゃあどうしたらいいんだろうみたいにはやっぱりなりましたね。
スピーカー 2
そうですね。そのまま信用しちゃいけないっていうのは、でもやっぱりその通りだよね。
スピーカー 1
そうですね、そう思います。
スピーカー 2
で、なんかすごく見方が歪むんだなと思ったことがあって、
例えば東道物語の中でも大道年間っていう年号がよく出てくるけど、大道っていうのは魚上田村丸が東北を制圧してから以降の大道っていう年号。
つまり魚上田村丸が来て大和の支配とか影響力が及ぶようになってから、歴史とかなんとか語られるようになっていった記録に残ってるんですけども、
それを見た民族学者とかが、これはなぜなんだろうっていうふうに疑問を提出するんです。
これどういう意味かっていうと、ここはもともと恵美市の国じゃないかと。
であるならば恵美市っていうのを討伐っていうかね、討伐して征服した魚上田村丸っていうのは、自分たちを滅ぼした敵じゃないかと。
なのにずいぶん魚上田村丸を讃える碑とか言い伝えとかなんか結構いっぱいあるんですよ。
スピーカー 1
いっぱいありましたよね。
スピーカー 2
これはどういうことなんだろう、なんで滅ぼした側の方が建祀られるんだろうっていう話があるんですけど、
もしかしたらその疑問自体がある特定のアングルから物事を見てて、
つまり自分たち恵美市のルーツであるから魚上田村丸は敵だと。
なぜ敵を敬ってるんだろうっていうふうに見えるんだけど、そうじゃなくて僕らはもともと大和の末裔で、
だから魚上田村丸を崇め建祀るの普通のことじゃないって。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
素直に読めばそういうことなんだけど。
スピーカー 1
そうですね、確かに。
スピーカー 2
あまりにも恵美市って僕らのルーツで虐げられてきた民で、つまり下から目線っていうかさ、いじめられてる方が強いみたいな。
スピーカー 1
そう思います。
スピーカー 2
下から目線を使って反逆の歴史みたいなものを描こうとするとなぜだろうと思うんだけど、
素直に見たらいや、これ僕たちのじいちゃんは田村丸だからでしょって。
スピーカー 1
そうですよね。
スピーカー 2
あまりにもそういう見方を教わってるのがベースになってるんだなって。
スピーカー 1
なるほど。
あと納得できるなと思ったのは、今その奥州市の伊沢ってところに一番日本で最北端にある前方公園墳があるんですね。
ツノツカ古墳っていう古墳があって、それができたのはアテルイがいた頃802年とかなのでそのあたりなんです。
アテルイが最北を降伏するのがそれぐらいなので、その年ぐらいがアテルイなんですけど、
でもアテルイがいたとされてる場所の候補の一つがそのツノツカ古墳のあるあたりで、でもツノツカ古墳は5世紀とかそれぐらいにできてるんですよね。
前方公園墳とかはエミシの暮らしでできるお墓っていうよりは本当に大和の方の文化としてできているものなので、
なので今アテルイ勉強会の中では教わっているのは、前方公園墳ができてるっていうのはもともとエミシの土地ではあったけど朝廷側とも友好関係のある場所だったからそういうお墓があったり、
あとはアテルイにも大墓の君か、もしくは多摩の君って大きい墓の孝教の孝って書く苗字が宇治カバネが与えられてるんですけど、
それがあるのも朝廷との友好的な関係性があったから地方の豪族にはついていたんだみたいな話を聞いたんですけど、
そもそもその宇治カバネの与えられる公園、公家家の地はエミシに苗字が与えられる時につくみたいなのも教わっていて、
なのでそういう意味なんだとか、それが大きい墓って書くから、
つのつか古墳の出身、アテルイがそこの出身なんじゃないかみたいなことを今まで僕たちは考察してたんですけど、
でもこの本の中にその公家家っていう字の苗字は特にエミシだから与えられてるわけじゃないとか、
そういうこともあったり、あとはもともと討伐する対象というよりもずっと友好関係が、いい関係性がずっとあったんじゃないかっていう話もしてて、
そうすると確かにそのつのつか古墳がなんでここにあるのかみたいなことも結構すんなりわかるというか、
スピーカー 2
なんかもっと普通に仲良かったんじゃない?
スピーカー 1
そうなんですよ、そうですそうです。だから今までこちら的な僕の考えとしてあったのは、
こっちもエミシはエミシとしてで大和は大和としているけど、
こっちはこっちでちゃんとそれなりにプライドがあって、
友好関係を結ぶからそういうお墓とか文化とかもちょっとあったりはするけど、
こっちはこっちとしてあったんだっていう、なんかそういう考えでいたんですけど、
そうじゃなく単純にもともと仲良かったからいろんな文化が入ってきてたりとか、
あとまあその縄文文化のところからさらに発展した、米をエミシだけど作ってたとか、
なんかそういうのも全然普通に、それこそ役場がまだできてなかっただけで、
単純に争う関係もなかったのかなみたいなのはすごい驚きでしたね。
スピーカー 2
僕もね、それでもうほんと薄々感じたんだけど、さらにこうそうだなと思うようになったのは、
この最近ね、読んだ本で腹立ったことがあって。
スピーカー 1
腹立った、はい。
スピーカー 2
ありましたありました。
これね、赤坂紀夫先生の、これは東農にもよくいらっしゃる東農文化研究センターの元所長かな、
所長かな、元所長なんですけども、赤坂紀夫先生の東北ルネサンス、日本を開くための7つの対話っていう、
これは文庫版になったのが、私読んだのは2007年か、もともとは2003年ぐらい、
日本最高東北ルネサンスへの助賞っていう単行本があって、それを文庫化した2007年の本があるんですけども、
この中で衝撃の事実があって、
これ前ね、宮本さんに話したと思うんですけど、メディアの方に話したと思うんですけども、
赤坂紀夫先生の東北語学っていう本の中で、
恵美市の松江田っていう青年に出会ったってエピソードが出てきて、
で、そんな人現代にいるの?って驚いたって話をしたと思うんですけど、
なんとあれ作り話だったっていう話をしてて、
つまり、あの本が出たのが90年代、東北語学が出たのが90年代ぐらいで、これ0年代なんだけど、
あのエピソードやる時にちょっと作り話を混ぜて、フィクションとして書いたんだけど、みたいな話が出てきて、
あれ嘘だったじゃんみたいな話があって、
つまり、僕それに腹が立ったっていうことなんですけど、
なんでかっていうと、
赤坂紀夫先生のその著述のスタイルって、
なんかこう想像力多めっていうか、
エッセイっていうか、文学者みたいな感じなんですよね。
スピーカー 1
はい、そう感じます。
スピーカー 2
で、今にして振り返ってみれば、
エミシっていうその名前がね、笑う歴史、
なんかそういう表記なんだみたいなことをね、
つまりそのエミシの末裔だっていうその人が、
エミシっていうふうにおじいさんから教わった歴史を笑うというその表記なんだとかってエピソードが出てくるんですけど、
よく考えたら、これ作り話ですよっていうことのヒントなんですよね。
そんな名前の人いるわけないじゃないですか。
だから、それを間に受けた俺がバカだって言われればそうなんですけども、
こっちは歴史とかでそういうことに関心があって読んでるんだけど、
本当作り話だったんですよ。
スピーカー 2
なんで夢中になったのかっていう、歴史の話をされて。
つまり60年代に学生運動があって、学生運動が敗北すると。69年70年とか。
で、敗北した後に自分たちが熱中できるものを探したと。
その中に吉本隆の共同幻想論の中に、
古事記と塔の物語が取り上げられるんですけども、
それを通じて塔の物語に出会った人たちが、
その国家に対する民話というか、民の間で語り伝えられてたものとか、
征服されてきたであろう東北の古代の歴史というか、
絵見師の人たち。そういうものを発見していくんですよね。
つまり、その国家に対する戦いに敗れた学生運動の
潔気盛んな若者が、次に熱中する先として、
古代史とか塔の物語みたいなものに夢中になっていったってルーツがあるから、
どうしても塔の物語を読んでも、
坂上田村麻呂の歴史を素直に読めずに、
なぜ征服してきた人のことをこの人たちは
スピーカー 1
敬っているんだろうっていうふうにそう見るとか、
スピーカー 2
ついついこのフィクションで、
絵見師の生き残りの人に俺はあったんだって書いちゃうとか、
嘘じゃんみたいな。
スピーカー 1
そうですよね、ほんとだ。
スピーカー 2
そういうルーツから始まっているものをやっぱり読んでるから、
もうちょっとフラットな気持ちで読んでるつもりでも、
やっぱりあらゆる文章の中にそういうものが染み込んでるから、
ちょっとそういうのをね、
なんていうか、
フラットに脱色してやるには、
なんていうか、意思の力が必要だなと。
スピーカー 1
そうですね、必要ですね、確かに。
もう赤坂先生のそれが、文体がそういう、
物語性っていうか、感じられるような、
本当に読んでても面白いような本だなっていうのを感じてたんですけど、
内容もフィクションが混ざることがあるんだっていうのは確かにびっくりですね。
スピーカー 2
それを別の10年経って別の本で明かして、
しかもそれ読んだのがさらに10何年経ってからか。
そうですよね。
スピーカー 1
そうなんだ、確かに。
スピーカー 2
そうなんだと思ってね。
スピーカー 1
いやでもそうですよね、
僕もでも本当にアテルイベント協会自体も、
本当に歴史に基づくっていうか、
ちゃんと根拠のあるものをまずは学ぼうということを、
いろいろできたらと思ったんですけど、
確かにいろんな先生の話を、先生というか、
いろんな人のやっぱり話を聞けた方が、
多角的に見てなんかもっといろいろ分かったりするのかもなって、
なんかやっぱこの本を読んでても思いましたね。
スピーカー 2
一方そのね、僕宮本さんが言ってたみたいに、
じゃあ作られた絵見紙はいなかったとして、
オーガニックな絵見紙?
絵見紙というか絵見紙じゃないかもしれない。
そうですね。
もしかしたら大和の人かもしれないけど、
ここに古代暮らしてた人がどういう暮らししてたんだろうってこと自体は、
人暮らしてたのは明らかにあるからですね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
あるからさ。
それ自体はあるわけじゃない。
もしかしたら誰も想像したことがないというか、
描いたことのないその当時の人の像みたいなものを描けるかもしれない。
スピーカー 1
そうですね。だからそれはすごい可能性があるし、
めちゃくちゃ平和な時代だったのかもしれないけど。
そうだよね。
スピーカー 2
僕らのイメージだとさ、
なんかこう割と原始的な武装をしたゲリラ集団が。
スピーカー 1
本当そうです。
スピーカー 2
当時で言えば近代的な鎧を着た坂上田村麻呂の集団に、
ゲリラ戦を徹底的に十何年、
何年?九年とかね。
もっと、そんなの分からないけど、
十何年間戦いを挑んで、
ついに敗れて。
悔しい!みたいな、
そういうストーリーが思わされてるけど、
全然そんなことなかった。
スピーカー 1
そうですよね。
なんか坂上田村麻呂たちが来て、
全然どうぞどうぞみたいな土地空いてるから、
城建てるのはその辺がいいんじゃないか、
みたいなこと言ってるかもしれない。
かもしれないね。
スピーカー 2
京都まで連行されたと言うけど、
京都まで仲良く旅行しに行ったかもしれない。
確かに。
スピーカー 1
そうですよね。
確かに。
そしたら急に、そうですよね。
本当にそれこそ、
確かにその処罰を、
やっぱり坂上田村麻呂が拒んだっていうことの意味も。
スピーカー 2
友達連れてきたのに、
スピーカー 1
そう、友達連れてきたのに。
スピーカー 2
殺すの?
スピーカー 1
殺すのみたいな。
感じはすごいよく分かりますよね。
スピーカー 2
かもしれないしね。
スピーカー 1
そうですね。
確かに。
だからその辺はより気になってきますね。
スピーカー 2
でもこれ今、
スピーカー 1
その岩手ザ・ラストフロンティアのやつみたいな、
すごい面白そうなやつをずっとやってたんですね。
僕知らなかった。
スピーカー 2
そう、代表の久保さんが、
僕と同じようにフェイクヒストリーに興味が、
多分あるんだと思うんですけども、
最初は津軽外参軍師、
青森のフェイクヒストリーで有名なやつの話をして、
次に作られたMCのやつをやると。
僕も岩手ザ・ラストフロンティアの活動を詳しく知ってるわけじゃないんですけども、
岩手のいろんな地域の資源、価値みたいな、歴史とか含めて、
掘り下げようみたいなことをしている活動、
特に観光とかいろんなプログラムに混ぜ込んでやってる、
それをやっている人たちが、
フェイクヒストリーとか、
都合のいい物語に織り込まれることに、
ちゃんと注意をしようと思ってる。
そのこと自体がすごく健康でいいなと思ったんですよ。
だいたいさ、縄文なんとかっていう、
縄文仕草とか、
仕草ないかもしれないけど、ベト仕草みたいな、
縄文時代の人たちはとても素晴らしい暮らしをしていて、
現代人が忘れてしまった価値観を大事に持っていると。
我々はそれを受け継ぐ、
現代のなんとかですみたいな、
そういう山ほどあるんだけど、
縄文人と我々の間に断絶あるでしょみたいな、
そういう都合のいい物語にパッと飛びつかずに、
それでなおかつ本物、
そういうものだから本物を見つけていこうみたいなことをしてるんだと思うんですね。
そういうことをしたいんだと思うので、
逆にフェイクヒストリーとか、
そういう誤った物語の事例なんかを内部で、
僕は外部の人もいつでも参加していいみたいなんですけど、
勉強会してるってことで、
スピーカー 1
これはすごい面白いですね。
確かにちょっと次回から僕も参加したいなと思います。
スピーカー 2
知らなかった。
次回がいつだろう?来週かな?
スピーカー 1
いや、
スピーカー 2
8月28日。
2週間後と言われました。
半分ぐらいしか参加してない。
スピーカー 1
いいですね。
そうか。
スピーカー 2
衝撃の。
衝撃の。
だから、ただみおむさんのやつがいいのは、
アテルイ勉強会っていう名前はいいなと思って。