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2018-11-18 34:58

2018/11/18:なぜイエスなのか? 私たちの望みであるイエス・キリスト

2018/11/18 ウェルカム礼拝
尹善鎬牧師
ローマ人への手紙 5:5-8
00:00
改めて皆さん、おはようございます。
今日のウェルカム礼拝と、また子供祝式にようこそいらっしゃいました、
家族の方々、あるいは初めての方々、誘われておいでになった方、本当に感謝いたします。
今日は、ウェルカム礼拝の第2回目のメッセージになりまして、なぜイエスなのか?2になります。
そして、私たちの望みであるイエス・キリスト、私たちの望みであるイエス・キリストという題にしてお話しさせていきたいと思います。
先週は、絵画のところで、レンブラントの宝島息子の機関という絵を一緒に見ながら、そこから神の愛を一緒に感じ、また感覚するところを、時を持ちました。
今日は予告をしましたけれども、バハという素晴らしいフリちゃんの音楽家、学校でも中学あるいは高校でよく学ぶ人でありますが、
その人に関する信仰、あるいは歌にどういうストーリーが溶け込んでいるのか、それをお話しさせて、
その中でバハの曲、一曲の曲を2曲カットしましたけれども、一緒にまた鑑賞しながら、今日のお話をしていきたいと思います。
ちょうど秋葉原の紅葉の時期に素晴らしい音楽を聴いていることは本当に感謝いたします。
もっと素晴らしかったらオーケストラが、先祖のオーケストラがあって演奏してもらうのが最高だと思いますけれども、
なくても今はデジタル弾きでいくらでも弾けますから、それでもいいかなと思います。
まず軽くクイズから始めていきたいと思います。みなさん学生のときを思い出してみてください。
1番、音楽の母と言われる音楽家は誰でしょうか。答えは、センデルです。
2番、ピアノの詩人と言われる音楽家は誰でしょうか。ショッパンじゃなくてショパン。お座りください。
3番、音楽の師と言われる人は誰でしょうか。バハ。はい、当たりました。
今日は、ヨハン・ジェバシアン・バハの音楽、彼が信じたエース・キリスト。
実は彼はドイツのルーター派の信仰をもらった、とても深い信仰を持っていたクリスタンだったんですね。
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彼の音楽に溶け込んでいるキリスト教信仰についてお話をしていきたいと思います。
今日のいろいろな資料は、私の友人牧師でスコトランドで予約したものがいますけれども、
彼が古典文学や音楽にも、いわゆる造形が深いものであって、彼からいろいろ教えてもらいました。
音楽の師と言われるバハは、とても良いキリスト教信仰を持った良品から生まれて育ちました。
いわゆるクリスタンホームで育ちました。
当時ドイツは宗教化改革者であるルーターの影響を受けて、キリスト教の国といっても尊熟のないくらい、
キリスト教の音楽とか文学とか、あるいは正義社会に全般的にキリスト教の影響がとても濃い、いわゆるキリスト教が盛んな国でした。
でもバハのお父さんも町の学師だったんですね。
でも非常に貧しかったんです。
でもそのお父さんは音楽が好きでした。
そのような音楽の影響を受けながら育ったバハも自分も、いや、親父のように音楽家になりたいと思ったんですね。
ところが親にとても反対されたんです。
なぜなら学師になっても金持ちになれないし貧乏だし、だからもうお前は音楽になってほしくないと、
そういうふうにして反対されたそうです。
そういうふうにバハは非常に貧しい当年時代を送りました。
そして高校卒業して大学に入りたかったんですけれども、お金がないから、その余裕もなかったんですから、
また食べていくために教会のオルガニストとして就職させてもらいました。
彼は若いときからパイプオルガンがありますけれども、オルガニストとして天才と言われるそれくらいの人材でした。
そんな裕福説のある青少年時代を送ったバハが、21歳のときに作曲した曲が、名前のことは難しいですけど、
ポッカッタとフーガという曲です。オルガン曲の中では最も親しまれている曲だそうですけれども、聴いてみてください。
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はい、みなさんいかがでしょうか。
今回のバハのことについてアドバイスしてくれた僕氏は、この曲をこういうふうに解説していました。
吹雪が荒れ降り、嵐が吹きつけています。
バハの疾風怒涛の荒れた感情がとてもリアルに現れている曲です。
でも青少年時代が不幸なこともありましたし、そんなバハの感情がよく現れている曲だなとそういうふうに思います。
ところがですね、面白いのは、この曲をバハが教会の礼拝の祖学としてこれを演奏したんですね。
そしたら、当時の人々は耳慣れない曲だとか、教会の細かな雰囲気とは合わないとか、人の気を狂わせる曲だとね、そういうふうに言われて、
実はその教会のオルガニストからクビになったんです。
そして働くことができなくなって、また別の教会に移ったりしています。
でもその中にあっても、このオルガニストとしてまた作曲家として、このバハの名声が世の中にたくさん知られていきました。
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そして、32歳の時にYマル宮廷のオルガニストとして採用されまして、6年間そこでですね、演奏していた時にバハのオルガン曲のほとんどはこの6年間作曲されたそうです。
一方、先ほどね、申しましたようにバハはとても信仰深いクリスチャンでした。
バハがドイツの経典というところで、家庭にも恵まれて子どもたちもですね、実はバハが亡くなるまで子どもがなんと20人も子どもがいたそうですけれども、
この経典の時代は家庭的にもとても恵まれて幸せな時だったそうです。
ある逸話によると、彼はその経典での仕事が終わって家に帰るんですね。
そしたら子どもたちと奥さんが待っている。
そうするとこのバハはメヌエットという曲をよく作って、子どもたちの信仰のためにその曲をよく用いて、
そこにソウジョシュの神様について家様について、よく自分の子どもたちの信仰のために使われた曲が、皆さんがよく武道の曲として知られているメヌエットという曲なんです。
その中でメヌエットと教祖という曲、よくご存知の曲だと思いますが、聴いていてください。
多くの人々が驚きに近づくんですけれども、実はバハはこれを信仰教育のために作曲して用いたということを一般にはなかなか知られていないようです。
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この30代のバハは本当に祝福された時期でした。金銭的にも名誉にも、それから何より愛され家族に囲まれた、本当にそういう時期を送っていました。
その最も幸せなバイマルの宮廷楽団長の時代を一番よく表している音楽が、バハの無伴奏チェロ組曲という曲です。チェロという楽器皆さんご存知でしょう。
それはバイオリンとかビオラのような楽器を補奏する形として作られた楽器だったそうですね。ところがこのチェロで、しかも無伴奏で独奏するということは、当時はまだ考えられない演奏法だったそうです。
しかしこのバハは、このチェロを独奏する楽器に蘇らせたというように紹介されています。3番目の曲ですが、無伴奏チェロ組曲を聴いていてください。
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いかがでしょうか。とても美しいんじゃないでしょうかね、皆さん。貧しかった青少年時代を経て、ついに安定した家庭、音楽家として名声を得て、本当に成功したと言われている時代でした。
ところが、そういうふうに金銭的にも裕福であって、家庭費を恵まれていた時代でしたけれども、この時期バハは、なぜか人生の虚しさみたいな心を感じて、信仰を持っていましたけれども、意味ある人生を。
本当の人生を歩みたいと、そういうような切なる気持ちを抱いていた時代でもあったそうです。この時期に作られた曲が、あの有名なジーセンジョーのアリアンという曲です。聴いていてください。
何かですね、心の金銭に触れる、愛せつな曲だなと思います。幸せな生活を送っていましたけれども、人生においての本当の意味を求めていた時代に、この曲が作られたそうです。
結局、バハは旧邸楽団長を辞めて、大執事のトーマス協会の音楽監督、また執事さんに就任して、200曲近くのカンターターを作曲しました。
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いわゆる教会音楽ですね。ここで最後の曲を聴く前に、バハの素晴らしい信仰を知ることができることがありますが、それはバハが自分が作曲した楽譜があるんですけれども、その楽譜の最後のページに必ず信仰の印として書いた言葉があります。
これです。ソリデオ・グロリアといって、日本語に訳しますと、ただすにのみ栄光という言葉であります。実際に楽譜にこういうふうにサインしていました。
はい、次。右側のそのところにありますよね。それがソリデオ・グロリアというバハの信仰、告白、サインのようなことを必ず楽譜の終わりに書いたそうです。
それは、この音楽を演奏して、あるいはそれがみんなが聴いて、バハが有名になるんじゃない。この音楽を通して、ただ神様にのみ栄光がありますように、という彼の素晴らしい告白でした。はい、いいです。
バハはドイツで生まれて、キリスト巨神公に恵まれた人物でした。彼はね、今までお話ししましたように、本当に特設を経た人生を歩んできました。成功もしました。名誉も得ました。金銭的にも恵まれていました。
しかし、彼は自分のその音楽才能を活かして、自分が信じていたら、創造主の神様にのみ栄光を期する人生を歩みたいと、実際に歩み通した人物でした。人はただ唯一の神のみにあって、人生のまことの意味を見出すことができる。
そして、まるでバハがですね、あなた方もただ主に栄光を期する人であってほしいと言いたかったのではないでしょうか。
キリスト教歴史の中で、イエス・キリストの使徒として、実存人物であるパウロ・フォールというですね、フォールという人物がいます。彼は最初は、イエスが神様とか救い主だとか、そんなことを全く認めない人でした。認めないところからイエスを信じる人々が大嫌いでした。
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必死になって、そのキリスト教を信じる信徒たちをもう捕まえて、処刑させる、投獄させる、そういう人でした。
ところが、ある日のことでした。この最初は、彼の以前の名前はサウロでしたけれども、サウロの時代、彼が遠く離れている今のシリアの首都のタマスコに、そこに行ってキリスト教徒を捕まえて、エルサレムの裁判に立たせるために向かっていた時でした。
その途上で、突然、太陽よりものすごい強い光が天から射し込まれて、サウロを照らしました。彼はもう地面に倒れ込んでしまいました。その時に、こういう声が聞こえてきました。
サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか。突然の声を聞いたサウロはびっくりしました。そして、あまりにもその光が強かったから、目を開けられないくらいの光でした。
そして、やっぱりサウロは言いました。あなたは誰ですか?すると、イエス様は、私はあなたが育てているイエスが、キリスト教を持ちし、感心をもたらない、いや、感心をもたらないくらいじゃなくて、迫害しまくっていたサウロは、そこでイケル、シュウ、イエス、キリストにお会いしました。
彼の人生の中で、まるで満塁宝物のような人生最大の逆転が、その後サウロという名前からパウロに変わり、名前だけ変わったのではなく、彼の人生を全くイエス、キリストによって変えられました。
以前はイエスを信じる信者たちを無視して迫害していた彼でしたけれども、今やイケル、シュウ、イエス、キリストを宣伝する、お伝えする神の人に変えられました。
皆さん方、イエス、キリストにお会いさえすれば、人生最大の逆転法無難が始まります。人生全ての問題の答えが、上から悩む必要もありません。貧しくても困ることはありません。精としても高ぶることもありません。死ぬことも恐れません。
このパウロが書いたたくさんの手紙があります。多くの教会に書き送った手紙がたくさんありますけれども、その中の十三数が聖書に入れられて聖典になっていますが、
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ローマにある教会の信徒たちに書き送った手紙の中に、今日の御言葉の五書八説、主をお持ちの方は主報の五ページありますが、ローマ日程の手紙、五書八説にこういう御言葉があります。私が読み出します。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する御自身の愛を明らかにしておられます。
皆さん、世界には数多くの宗教があります。実はその宗教は少しだけ考えてみるならばわかることがあります。その宗教は実は人間によって始まり、人間によって作られたものにすぎないということです。
そして何より世の中の宗教は条件を求めます。報酬を要求します。簡単です。こういうことです。何かをしたから報われるという思想です。
あるいは、たとえばお金をたくさん捧げたから天国で最上の場所に行けますよとか、あるいは金欲を徹底的に行ったから仏になるよとか、こういうふうにして人たちを動かしているんです。
しかし、今日の御言葉にありますように、キリスト教ではもう既にイエス・キリストが私たちが何にもする前に既に私たち一人一人のことを知ってくださって、祝福の道を、救いの道をあらかじめ備えておかれたということであります。
すべての罪を許すためにイエス様が十字架に死んでくださって、すべてを償ってくださった。その生きる人イエス・キリストに出会ってほしいと私たちを招いてくださっておられます。
日本人の方々は宗教と言ったら怖いというイメージがあります。あるいは何かしなくならないんじゃないかと、拘束されるんじゃないかと、禁止されたレジーを奪われるんじゃないかと、そういうふうな心配を持っておられるようです。
27:00
確かにそういうふうに思われることも無理ではないかもしれません。なぜなら正しく知るチャンスが実はなかったのではないでしょうか。あるいは噂だけ聞いて知っていたり、あるいは間違った情報だけ知っていたりしたからなのではないでしょうか。
私たちクリスタルは確信を持って申し上げることができます。キリスト教は誰も拘束しない。自由を取り上げることは全くありません。
キリスト教が教える手には生きる術、キリストにお会いさえすれば、その方がどれだけ私を愛して恵んで一歩一歩導いてくださり、全ての災いから守ってくださるかを本当に嬉しく体験できるんです。
そしてその愛と恵みに感謝して感謝してやまなくて、自然な応答として神の愛に応えることになります。
そして霊波に行ったり、あるいは電動したり、あるいは放射したり、あるいは今日のこのようなこの時に皆さんを誘ってくれた教会の神徒はそういう方々なんです。本当の自由、本当の解放はイシエル宗イエスキリストのみにあるのです。
さて、パハの最後の作文に移りたいと思います。このように、先のようにですね、楽譜を一つ一つに主にのみ栄光と信仰を表したパハ、彼がラヒプチーノ時代に作曲した名曲が日本語のタイトルでは主よ、人の望みの喜びよという曲です。
ロイズホの正確な意味は、イエスこそ我が喜びという曲です。聴いていてください。どうでしょうか、皆さん。ここまで聴いたことある曲だと思いますけれども、実はこの曲は教会音楽のカンターターのコーラル合唱に登場する曲で、実は歌詞がついているわけです。
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今も歌っていましたけれども、その歌詞の意味がとても素晴らしいです。その一部を紹介したいと思います。私を読ませていただきます。
イエスは私を愛し、私のためにご自身をも差し出してくださるのだ。ああ、だからイエスを離しません。たとえこの心が張り裂けようとも。以上です。
本当にいいです。本当に素晴らしいバハの進行を表している曲だと思います。ところで、メッセージはそろそろ終わりになりますが、本日も多くの人々はいろんな楽しみや喜びを探し求めながら暮らしていると思います。
今日も神戸マラソン大会がありますけれども、多くの人々がマラソンを楽しみます。健康のためのこともありましょうし、趣味のためでもありましょう。
他にゴルフだったり、旅行だったり、絵を描くことだったり、写真撮影だったり、カラオケだったりするんですよね。この前テレビを見たら関西だとか東京だとかある電車の車両が最後の運行になって、
一番先頭の車両にたくさんの人が乗って、スマホやビデオカメラでそれを撮って楽しんでいる様子がテレビで出ました。もちろんそれらがとても悪いことだとは思いませんけれども、
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果たしてそういったいろんな活動や趣味、そこに本当の喜びと、どんなものにも奪われることのない希望と望みが果たしてそこにあるのでしょうか。
皆さんの人生を本当にどんなことがあっても絶対的に支えてくれるものなんでしょうか。おそらくそんなことではないと思います。しかしあります。どんなことがあっても絶対的に私を、私の人生を、未来を、いや亡くなった後にも永遠に支えてくださるお方がおられます。
その方はイケル宗イエスキリストなのです。バッハが告白したようにイエスこそ我が喜びなのです。多くの喜びがあってはその中の一人ではありません。唯一なのです。
このイケル宗イエスキリストに支えていただこうではないでしょうか。いきなりでなくても良いでしょう。一歩一歩一つ一つ委ねてみようではないでしょうか。あるいはお試しでもいいかもしれない最初は。
パオロが出会ったイエスキリスト、今日皆さんお気になったこのバッハが出会ったイエスキリスト、それから今日皆さんを誘ってくれた教会の信徒さんが出会ったイエスキリスト、その方に出会って望みのある人生を歩もうではないでしょうか。
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