00:02
それでは、ただいまから、水野昭子先生に、最後まで哀しそうされた朱と題しまして、メッセージをしていただきます。
水野先生は、伊那福音教会の国会をされておられます。
今日、神戸は非常に寒いですけれども、お城に来られて暖かく思ったのではないかと思います。
結構、伊那の方も寒いかと思われますけれども、しかしこうして、強い天気の時にメッセージいただけますかと、ありがとうございます。
先生は、1976年に父親の神学校を卒業されまして、ずっとあちらの松本の方、長野県の方で仏会をされておられます。
開拓伝道からずっと続けてこられました先生でございます。
どうぞ、ご期待して、メッセージを聞いてください。
水野先生、よろしくお願いします。
おはようございます。
初めて、明太に教会に来させていただいて、本当に緊張しておりますけれども、心から感謝をしております。
皆さんに温かく迎えていただいて、なんかホッとしたようなわけですけれども、
私が今ご紹介に預かりましたけれども、長野県でも名古屋の方に近い伊那市というところで、39年になります。
2016年で40年目を迎えるのでありますけれども、いつも初めてのところでは紹介させていただくんですけれども、
新学校を卒業してすぐに御教会の開拓伝道に使わされました。
4月の3日だったと思うんですけれども、初めてその教会で一人で使わされて行ったときに、
数人の方々が、それこそ三つ指をつくようにしてよく来てくださいました。
小さい時から知っている方々もいるわけですけれども、よく来てくださいました。
今は十分なことはできませんけれども、決して痩せさせませんのでというのが挨拶でしたので、
この人たちのためには絶対痩せてはいけないというふうに思ったら、こんなに育っちゃいまして、
この頃はあまり餌をやらないようにという健康管理の通達が、役員さんから皆さんに出ているようでありますけれども、
本当に教会の方だけじゃなくて、ご近所が農家の方々がありましたので、
夏には野菜が困らないほど、また様々なお料理にお石半田とか、おはぎだとか、お漬物だとか、そんなものが届けられて、
03:06
本当にエリアのカラスは生きているんだなということを体験させていただいたような39年間でした。
39の年はサンキューの年だと言われています。
ですから今年は、昨年は1年かけて感謝を表す年だなと思って放出させていただいたわけですが、
40年目はこれから新しいまた出発をさせていただきたいと願っております。
一言は祈りを捧げさせていただきます。
愛する天の父なる神様、あなたの尊い身だとお流し下さいました十字架の父を崇めて心から感謝申し上げます。
神様がご自身の血をもって買い取ってくださった神の教会を、この妙谷教会を、
こよなく愛してここまでその働きが進められていますことを覚えて感謝申し上げます。
神様、この朝特別寒い日ですけれども、お一人お一人の名前を呼んでこのところに導いてくださった神様が、
今日このところで神様の御言葉がお一人お一人のところに留まりますように導いてください。
この者は誠に乏しいものでありますから、どうぞこの者の言葉を覚えてこの者自身を隠して、
ただしご自身の御言葉がお一人お一人に留まって、またこのところから新たなる上よりの愛とまた祝福と聖霊様に満たしていただいて、
それぞれのご家庭にまた職場に学校に地域社会にお使いしてくださることをお願いいたします。
今本当に世界は本当に終わりの日を迎えるかのような厳しい時代を迎えております。
こうした時にも本当に争いのある戦争が行われているような、テロが行われているような地域や国があることを思います。
どうぞ憐れんでくださって、どうかそこにいるクリスチャンが本当に平和の道具として用いられてまいりますようによろしくお願いいたします。
またこの阪神淡路の震災から21年が経ちました。本当に多くの痛みがあったことですけれども、まだまだ心の傷が癒されないでいる方々もありになることと思います。
また東日本をはじめ本当に多くの地域にの被災地がございます。どうか憐れんでくださって、今日もその一人を一人に神様が愛をもって導いてくださることをよろしくお願いいたします。
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今日ここにお集いくださった方々の神様を送り出してくださったご家族の上に神様の祝福が一箇所にありますように、やがて必ず共に礼拝を捧げる日が来ることを信じてお委ねをいたします。
神様、全世界で捧げられている礼拝を祝福し、全てのことを御手に委ねます。感謝して、イエス様のお名前でお祈りいたします。
改札からの教会形成は、私の未熟さのゆえに様々なことがありました。午前と午後を通して少しお明かしもさせていただきたいと思っておりますけれども、教会が分裂して教会一枚が去ってしまうようなこともありました。
様々な言葉が行き交う中で、私自身が本当に牧師としてまた人間として本当に存在していていいのだろうかと思うような、そんなところも通されてまいりました。
そんな中で、この今日のテキストは、私にとって本当にここに出てくるイエス様御自身を通して、その愛に気付かされましたし、また非常にこのところを私は何度も読み返しながら、また何度か語らせていただいているのですけれども、
何度もここに出てくる弟子たちの姿に、私自身の姿を掲げながら話し合わせていただいてまいりました。本当にこの裏切ろうとしているような弟子に対して、イエス様は最後の最後までこの人格的な関わりを持ちたいと願っておられるのであります。
この新教導訳ではそのところが、イエス様は御自分の愛をこの上なく愛し抜かれたというふうに記されておりますし、また後後訳は最後まで愛し通されたというふうになっています。
新解約は残ることなく示されたというふうに訳されているわけでありますけれども、イエス様がこの最後と思われる時に、本当にもうこれで弟子たちとの交わりもこの時が最後だという、その時に最後までこの愛し抜かれた方法が足を洗うということであったわけです。
よく御存知のようにこれは最後の晩餐の時でもありますし、ルカの二十二章の方ではイエス様がすでに弟子たちがここから去っていくだろうということも十分知っておられたわけであります。
そのような時に弟子たちと最後のお食事をするこの大切な時であり、ここから弟子たちに福音を委ねようとしておられる大切な日であったわけです。
09:13
この少数の人々、十二名の人々に世界選挙を委ねようとしておられたわけですね。けれどもそのところで誰一人として足を洗うものがなかったということであります。
ユダヤにおいて食事の前に足を洗う習慣があったわけですけれども、それはほとんど奴隷の人の仕事だったわけですね。けれどもこの奴隷の働きをする人は誰もいなかった。
それはこの十二人が十二人ともこの中で一番偉いのは誰かという話に夢中になっていたわけですね。これから持ち入られるのはイエス様の次の位に出せるのは誰なのかということに、もう一人一人夢中でそのことを議論していたわけであります。
空気が読めない人を日本人は非常に問題にするわけでありますけれども、この弟子たちこそこの日がどんなに大事な日であるかということをこのイエス様が語りながらも彼らはそのことに気づかなかったわけなんですね。そして大事な日の雰囲気を台無しにしてしまっているわけであります。
イエス様は誰が偉いかってこの議論し合っている一人一人の弟子たちを見て決して憤慨はされていないわけですけれども、何か心を痛めて寂しい思いをされていたのではないかと思うのがあります。残念だなと思われたんじゃないかなと思うんですけれども、しかしイエス様は不当ではなかったわけですね。
この世から父の元へするご自分の時が来たことを悟りとこの一節のところに出てきますけれども、時が切迫しているその中にあってイエス様は弟子たちを愛されたのであります。この上なく愛されたのであります。
その一番誰が偉いか、一番高い地位にくぶのは誰なのかというように争っている弟子たちに対してイエス様のこれからのこと、そして大切な福音を委ねるためにはどのように御心を伝えたらいいだろうかと思ったときに、イエス様がなさったとき、
夕食のときからふと立ち上がって、そして上着を脱いで、長い手ぬぐいを腰に巻いて、ただ入り口を組まれたというわけなんですね。皆さんもご存知のようにイエス様は神の一人ほどいらっしゃいます。
12:09
このお方がクリスマスに人となってきてくださったというのは、人間がゴキブリになるよりももっとしつこくなってくださったということなんだと言われた方がいますけれども、本当にたちくん親の会場桶の中にお生まれになって、
そして住人と新職を共にして、そして最終的になんと奴隷にまでなられた、そして罪人の一人として十字架にかかられるわけでありますけれども、そのイエス様が一番近くにいた右側の席にヨハネさんがいたと思うんですけれども、
まずヨハネになったと思いますが、あなたの足を出しなさいと言われたわけです。足を出せというのは、ユダヤ人にとっては非常にこれはショックなことだそうであります。
このユダヤ人にとってこの足というのは体の中で最も癒やしい部分だとされていたわけなんですね。最もさろんじられている部分ですから、できるだけこの長いものをして足は見せないようにしていたわけであります。
その足に触れることができるのは召使いだけだったわけなんですね。本当にそういうこの中でイエス様があなたの足を出しなさいと言われたわけです。多分イエス様はこのようにヨハネの足を出しなさいと手を差し伸べられたと思うわけなんですね。
多分ヨハネは素直にこの足を出したわけでありますけれども、イエス様の手がヨハネの足に触れられたわけです。皆さんどうですか、このイエス様の手というのは、ご存知のようにあの盲人の目を触れて目を開けられた手でありますし、
また重い皮膚病の誰もが触ることなんか嫌なその皮膚病を手を触られて私の心だけよくなれって言われた手でありますし、大嵐が来た時に沈まれ黙れって手を挙げられた少女の身の手でありますし、そのようなこの偉大な創造の見業を成した手がこのヨハネの汚い足に触れられたわけであります。
本当にこの祝福に満ちた手が汚い、最も汚い部分である足に触れられたわけなんですね。この時初めてこの弟子たちは何が起こっているのか、今一体私たちは何を話してきたのかということに気づかされたのではないかと思うんですね。
15:11
汚れた水足を洗う水を用意して、そして足を本当に洗わなきゃいけないのはイエス様以外の誰かがしなきゃいけないことだったわけです。
ところがみんな誰が偉いかっていう、自分こそ偉いんだっていう、自分自身の今までしてきたことをきっとあれもないこうでもないと言っていたのではないかと思うんですけれども、自分がそんな奴隷のような仕事をするものではないと、自分こそはっていうような、そんな思いが邪魔をして誰も足を洗おうとしてこなかったわけです。
けれどもイエス様が、最も正しくないイエス様が弟子たちの足を洗われたのであります。奴隷となってくださったのであります。そして足を出しなさいと言われたわけなんですね。
一番汚れていたのは実は足ではなくて、誰が一番偉いかって論じ合っている弟子たちの心が穢れていたわけであります。
イエス様は足に触れられたというよりも弟子たち一人一人の心に触れられたのであります。テテロさんは多分この場面をものすごくイライラしながら見ていたと思うんですね。
気に入っていたと思うんです。自分の番が来たら絶対やらせて何かもらえないって思っていたと思うんですね。
ユダのところにイエス様は来られて、ユダの前でも跪かれたのではないでしょうか。ユダよ、あなたの足を出しなさい。ユダも足を出しました。
この時、ユダの心にイエス様の愛は届くことができませんでした。主の御心というものを彼は理解することができなかったのであります。
ついにこのテテロのところにもイエス様はやってまいりました。そして彼はきっぱり断っているわけですね。主、あなたは私の足を洗ってくださるんですか。とんでもありません。私の汚い足を洗っていただくことはできませんと彼は断っているわけです。
しかし、イエス様はこの七節八節を見ていただくとわかりになるように、私のしていることは今はあなたにはわからないと、後でわかるようになると。もしあなたが私の足を洗わなければ、私とは何の関係もなくなるとこうおっしゃったわけです。
何の関係もなくなると言われたら、テテロは焦ったわけですね。私の3年半は何だったんだろうと。今まで家族も後にし、両親の仕事も捨てて、そして従ってきたのに、足を洗ってもらわなければ関係なくなると言われたら、そんなのはとんでもないことだと思って、
18:15
彼は即座に、いや足だけじゃなくて頭も手も洗ってくださいと言ったわけですけれども、イエス様は、テテロ、私だけが罪にまみれた心を洗うことができるんだよとおっしゃっているように思えるのであります。
そして、あなたは汚れた足で福音を携えて出ていくことはできません。神の御子だけが汚れた人生を清めることができるのです。あなたは洗ってもらう必要があるのですよという、そういう思いを込めて、このテテロの足を洗われたわけであります。
本当にイエス様がこの禅則を通して弟子たちにこれから起こることを見える形で表してくださったように思えるわけです。サルバリで起こることの洞察というものをここで見ることができるわけなんですね。
ピリピリと絵の手紙の2章の5節から8節のところにも、イエス様が神の身くらいを捨ててこの家に来てくださったことが記されていますけれども、天の栄光の座を捨てられたこと、そして衣を脱いで人となってくださり、そればかりでなく手拭いをとって奴隷となられた。
そしてこの十字架にまで従われるわけですけれども、脇腹からもこの手足からも十字架において血が流されて、最後に槍で脇腹を差し通されたときに、血とそして水が流れ出たわけなんですね。
そしてこの血と水が流れ出た、この水こそ私たちの足を洗うのに尊い水と血であることを意味したわけであります。弟子様は一変でこの場の雰囲気を変えられたわけなんですね。弟子たちの固くなな心、傲慢な心、言い争っている心を溶かしました。
そして本当になんて傲慢になったんだろうかというこの思いを本当に与えられたわけであります。そしてお互いが、いや誰からが偉いんじゃない、同じこのイエス様にあってレシートされたものだという、そういう思いが与えられて、そこから本当の間違いが始まっていったのでありますけれども、一人残らず洗っていただく必要があったわけなんですね。
私たちの教会では10万週のときに消火祈祷会というのを行います。消火というのをある方は防災訓練かと思ったという、火を消すって書いてあるものですから防災訓練かと思ったらしいんです。
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ある方は胃むすりを必要とするこの祈祷会かと思ったようなんですが、実はイエス様の最後の1週間を、いわゆるキャンドルサービスは火をつけていきますけれども、クリスマスのときのキャンドルサービスはいわゆるイエス様のお誕生の障害を表すわけですけれども、
消火祈祷会はイエス様の最後の週を見言葉を読んで、読んだときにその前のロウソクを消していく。最後はイエス様が埋葬されたときには全部のロウソクが消えて、そこで木と木葬するという、そんな祈祷会なんですけれども、十字架の場面は、このジーザスとかナゼルイエスのDVDを見て、このイエス様の十字架を木葬するわけですけれども、
この詮束のところにおいては、詮束をずっとしてきたんですね。5、6年前までは、私が兄弟姉妹なしを一人一人洗ったわけです。
一回に20人近くになりますと、相当時間もかかりますし、またこちらの腰も痛くなるんですけれども、けれども本当にこの人の障害を思って、一人一人の祝福を祈り、またそれぞれの様々な障害を思いながら祈るというのは、とても恵みのときであったわけです。
けれども、5、6年前にある一人の姉妹が、「先生、今日は私はマイバケットとマイタオルを持ってきました。」って言うんですね。
で、この十四節には、互いに足を洗わなければならないってありますので、「ショウ先生、互いに足を洗わせてください。」ということになったわけです。
その日以来、この奥氏が足を洗うということから、互いに足を洗い合う千足記念日になったんですが、ご夫妻の方はご夫妻で、またご兄弟の方とか、あるいは同棲同士でとか、そんな風にしてこの足を洗い合うわけですけれども、
ご主人が奥様の前にひざまずく姿は、何かもう本当に胸がいっぱいになるようなところがあるわけですが、天守三百のご主人が帰ってきて、「今日は足を洗ってくれてありがとう。」なんて言われますと、
この奥さんは、ずっとこう誓ったり、足を洗ってくださっているご主人に涙を流しながら感動していたり、あるいはもちろん、牧師から足を洗ってもらうときには恐縮したり、あるいは涙を流す方々もありますけれども、
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ある意味で、私たちはそういうことを通して、あらためて家貴様がなさったことを、もう一度思い起こさせていただくわけですけれども、今朝いかがでしょうか。主はこの真ん中におられまして、皆さんに、「あなたの足を出しなさい。」と迫ってくださっているのではないでしょうか。
私たちの毎日の生活は、お家の中にもありましたように、本当にこのあちこちを歩き回って、様々なことをしているうちに、足が汚れてくるわけであります。私たちの心が汚れてくるわけであります。
一生懸命頑張っていると思っているときこそ、汚れてしまうんですね。家庭の中で愛せないこと、あるいは許せない思いがあり、なんだか和やかな雰囲気がないと思われるならば、すぐに足を出したいと思うのであります。
また、教会のお交わりの中で、何か不真実だなあとか、偽善的だなあと、そういうような思い、あるいは関係が何かソラドらしくてギクシャクしてきているなあ、そういう時は、「あなたの足を出しなさい。」と主が私たちに語りかけてくださっている時ではないかと思うんですね。
私たちの団体は清めを表す団体であります。正当な信仰を受け継いでいると、どこかで、もし私たちが自分の家を建てて、立場の違う人を見下そうとするならば、やっぱりそれはすぐに足を出して、
そしてイエス様の流された十字架の血潮によって、またイエス様が私たちを本当に愛してくださっているその愛によって、清めていただき、またお互いを愛し合うことを始めていくことが必要だと思われるわけであります。
今こそ、本当にこうした世の中が愛が冷えてきた時こそ、クリスチャン同士が許し合い受け入れ、そして尊重し合う本当の交わりを始めさせていただく必要があると思うんですね。
私は教会に分裂が起こって、互いの信頼関係が崩れて、非難や中傷が溢れて、教会が教会としての使命を果たせないように思えた時に、まず示されたのは私自身の傲慢さでありました。
そして、どこか上に登っていく牧師面をしてというか、何かその成功の道を歩もうとしている上に登っていくものであったなということを示されたのであります。
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そしてその時に、本当にある意味で神様が示された道は、成長とか成果にこだわる道ではなくて、むしろイエス様が言われたように、下へ下へ降りていく道を示されました。
私自身の誤解の間違いを本当に悔い改めさせていただいて始めたことは、ただひたすらに教会を愛するということからやり直させていただきました。
長いこと語りましたけれども、教会の中にある日が灯り、そして互いに愛し合うこと、互いに責め合うことではなくて、足を洗い合う関係が築かれていったのであります。
ある一人の高級高齢者の姉妹が体調を崩されたわけです。睡眠障害も重なり、また物忘れや脳の大きな手術もされなければならなかったり、
あるいはご主人を亡くして一人暮らしの状態で、教会の姉妹方に支えられながら生活しておられたのでありますけれども、やはり少し体調もあって、おかしいなと思われるようなことが度々あったんですね。
その言動が人を傷つけてしまったり、あるいは生活の管理がうまくできなくて、蓋が自分の背丈ほどにも伸びるような状況になっていたわけであります。
そういう中で、みんなそれぞれ心配はされるわけですけれども、いろいろとその人の噂が話題に昇ったり、あるいはいろんなことを非難するような言葉が飛び交ったわけであります。
いろんなことが教会にありましたから、あまり人のことは豊かく言わないようにとか、噂話をしないようにというようなことはみんなで心がけてきたわけでありますけれども、やはり女性はそういうことがどうしても気になるわけです。
心配はしているものの、なんでそうなんでしょうね、というようなことにもなったときに、ある姉妹がその話を聞いていまして、心を痛めておられまして、あるとき、随分お家からは離れている方なんですけれども、
今畑に行く途中でちょっとお寄りしましたって言われて、なんと岩の草を全部買っていかれたんですね。そしてこのことについては誰にも言わないでくださいねって言ってお帰りになったわけですけれども、
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私はその話を後からお聞きして、そして本当に、この批判する前に自分のできることをそっとする、右の手でしたことを左の手に知らせないほどにそっとする謙遜な姿にとても心を打たれたのであります。
私たちがこの様々な痛みや問題にぶつかったときに、本当に私にできることを教えてください、この人のために私に何ができるでしょうかという祈りが起こされてきていることも本当に感謝でありますし、知らないところで無音の合いの技がなされていることも感謝しております。
どうしてもこの役員会とか、あるいは特に男性の方は何かを組織化してというような、そしてリーダーを立てて組織を動かすということを考えるわけですけれども、私も教会はそういうふうにして動くものだというふうに思っておりました。
何度も会員をしながら、そしてこの教会を動かしていくというふうに思っていたのですけれども、そうしたことは本当に自発的な働きが狭められてしまうということを知ったわけなんですね。
そんな失敗の中から、むしろ愛はイエス様がされたように、本当にこの生きるところから自然に愛の技となって働きが進められていくんだということを教えられたわけであります。
10年くらい前だったと思うんですが、ハワイで国際アシュラムが開かれたときに、やはり集会のときにちょうど受願書だったものですから、選則式が行われました。アメリカ、日本、韓国、台湾の方々がその集会に集まってきたわけであります。
そして僕氏が半分くらいいましたでしょうかね、3分の1だったかもしれませんけれども、この国籍を超えて、僕氏が一人一人の参加者なしを洗ったのであります。
本当にそのとき大きな感動をいただいたのでありますけれども、日本は多くのアジアの国々に戦争の傷を与えてきた国であります。私にとっては生まれる前のことでありますから、けれどもそのことについて知らないふりをしてはならないと思いましたし、
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やっぱり自分のこととして受け止めていかなければならない、あるいはお詫びし続けて同じことを繰り返さないように、本当に今の時代こそ祈っていかなければならないと思いますけれども、そういう中でこの選則、国籍を超えての選則というのは本当に大きな意味があったと思います。
様々な歴史上の傷や痛みが、このことを通してイエス様の愛によって許され、また癒されていく、そういう幸いな時代となったわけであります。本当に今言葉では超えられないこの戦争やテロがありますし、また大震災の痛みを私たちは通ってきたわけでありますけれども、
イエス様が受けてくださった十字架の痛みに、そうした一つ一つの痛みを重ね合わせながら、その打たれた傷によってのみ癒されることを、もう一度私たちは心に留めたいと思うのであります。
そしてお互いが足を洗いずつ愛し合い許し合って平和を築くものとならせていただきたいと思うんですね。最後のところにイエス様は、私があなた方にした通りにあなた方もするようにと模範を示したのであると言われています。
互いに足を洗わなければならないと、これは主の命令であるわけなんですね。400年前より前は、今よりクリスチャンが少なかった時代だと思うんですけれども、
皆さんもよくご存知の、藍津に藍津仲松と命名した沢尾諭里という方がクリスチャン代表としておられるわけですけれども、大海の出身で、少年期に織田信長のところに人質となって、その織田信長の娘をこの嫁にもらったわけでありますけれども、生涯息宿を置かなかったこの方であるわけですね。
さかやまうこんだのこのクリスチャン代表に本当に感化されて、洗礼を受けてレオンという洗礼名をもらった代表でありますけれども、あの有名な鶴賀城が築かれた時に天守閣という天を守る閣ではなくて、天の主、天の主、
エス様を表す天守閣という主の字を変えたわけなんですね。そして七層の塔で、その七は聖書から取ったと言われているわけであります。
この方があの時代に本当に聖書の信仰に生きたということが記録されているわけですけれども、月1回の会議が開かれる時に、その時の約束事は恨まず怒らずという、そういうふうに今日の会議においてどんなことが話し上げられても恨まないこと、怒らないことということを前提に話し合いがなされたそうであります。
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で、その会議にはまずこのおじさと自身が自分で風呂を焚いて、そして家臣にその風呂に入ってもらう。また食事の用意をして、そして共にこの食事を味わう。
そして本当にその時には命に関わるような議論もなさるわけですけれども、怒らず、そして恨まずというその精神の中で会議が行われたというわけなんですね。
で、ある時、一人の他の領主の家臣が訪ねてきた時に、彼は畳の部屋に通されて、畳の部屋につまづいて転んだそうであります。そうしますと、それを見た、そこにいたいわゆる小将たちが笑ったわけなんですね。
で、それを見ておじさとは、そなたたちは畳の上での務めが一番であろうが、彼らは戦いの上での働きが一番なのだと言われて、どちらの人も恥をかかないようにそこのところの場を収めたというのであります。
で、自分の家臣に対しても、よその家臣に対しても、本当に恥をかかせることはなかった。また有名な話は、戦の利休が秀吉によって切腹を命じられた時に、あの三人の息子たちが逃れてきたのが、そのおじさとのところであったわけなんですね。
で、彼らを助けたことによって、今も家道はこの三つの原ありますけれども、現在までも残されているわけであります。
あの困難な聖書も手元にない時代に、おじさとはキリストのように生きているのであります。城内に多くのクリスチャンが生み出されたと聞いております。
傷を負い弱さを抱えている現在の日本であります。私たちクリスチャンがもう一度イエス様の前に足を出して、そして本当に一人一人が清めていただいて、
ちょっと開いていただきますかね。
ヨハネ第一の手紙の二章の六説、ご一緒にお読みして終わりにしたいと思いますけれども、ヨハネ第一の手紙の二章の六説をご一緒にお読みしたいと思います。
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466ページになります。
ヨハネ第一の手紙の二章の六説、ご一緒にお読みしたいと思います。
神のうちにとどまっているというものは、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。
この神のうちにとどまっているというものはってあります。
私たちは神様のうちに招かれてとどまっているお互いではないでしょうか。
そして私たちが本当にイエス様が歩まれたように歩まなければならない。
本当にこの伝道博会は人間の生き方に関わっています。
強さ、尊厳、人が生かされ人が救われるために、愛と敬と尊と大切さを求めて、本当にこの人生をかけてキリストが生まれたように生きるものとならせていただきたいと思うのであります。
イエス様はこの朝、皆さんにあなたの足を出しなさいと命じておられます。
どうかそれぞれに心にもう一度黙想しながら、本当に主の御前にどうぞ清めてくださいと、
私たちの自分、本当に誰にも言えないような、心の奥深いところにしまってあるような様々なことまで、本当に主の御前に持ち出して、そして清めていただきましょう。
イエス様の十字架を仰がせていただきたいと思います。
では、しばらく木刀の中に主にお祈りし、最後に斎藤先生にお祈りしていただきたいと思います。