00:02
アーメン、感謝します。
最終、素晴らしい参事を感謝いたします。
では、今日もですね、見言葉に入る前に、隣の方々とアクセスしながら、
聖日礼との互いの時を思い出したいと思います。
はい、よろしくお願いします。
よくいらっしゃいました。
ありがとうございます。
今日は初めてのですね、方々もいらっしゃいますので、感謝しています。
よくいらっしゃいました。
では、一言お祈りいたします。
愛する天皇陛下神様、稲葉芽賛美たちです。
私たちを、今年も半年、全ての災いから、病から、危険から、守って下さい。
また、守って下さるだけではなく、豊かな恵みと富に富んでおられる神様が、
上からの愛と慈しみと憐れみと、また許しと、恵みを豊かに豊かに注いで下さいましたこと。
その恵みのゆえに、私たちが今あること、生かされていることを、心から感謝申し上げます。
どうかしよう。
今日も神様の御前に、神が知れおっております。
どうかしよう。
一人一人の心の中に、霊の中に、あなたが御言葉を持って、お語り下さい。
知るとして下さい。
命の御言葉、愛の御言葉を、主御自身がお語り下さいますように、お願いいたします。
このものは隠して、あなたの英語だけを表して下さい。
神様の御名によってお祈りいたします。
アーメン
御言葉を取り付かせていただきたいと思います。
皆さんの中では、一人息子、あるいは一人娘の方がいらっしゃるんでしょうか。
私は皆さんの兄弟のことをまだ詳しく知りませんけれども、たぶん一人息子、一人娘の方がいらっしゃるかと思いますけれども、
大体親は子供が一人の場合、あるいは後から生まれてくるんですけど、
03:08
最初の子にはものすごい愛を持って、愛情を持って、金のように宝石のように育てたりするんですよね。
良いものを食べさせ、良い洋服を着させて、
身体にちょっとした傷さえついたら大騒ぎするんですね。
子供が一人だけじゃなくても、長男や長女には本当に愛を持って育っていると思うんですね。
写真も一番多く撮る。でも二番目、三番目になったらアルバムの数が少ない。
牛がそうなんですね。今座っている彼女が少女ですけれども、写真も一番たくさん撮ったんです。
アルバムも一番多い。でも二番目、三番目、少ない。
ところが皆さん、もし皆さんの本当にお子様が一人だけだとします。
その一人だけのお子様、それも万が一ですよ、たとえです。
先に天国に送ったとしましょう。
そうしたら、その悲しみというものは言葉では言い表せないことなんでしょうね。
ところが、もし皆さんが一人息子あるいは一人娘を、多くの人々の命を生かすために
その一人しかいない息子、娘を、もし犠牲にするのでしたら、その愛は、犠牲というものはもう最後の愛、最後の犠牲と言うでしょう。
それは自分の一人しかいない息子とか娘の命と、それは効果、取り絶えたものだけなんですね。
今から一つの映画の一部分を見てみたいと思うんですけれども、実際にあった出来事、事件でしたけれども、
この事件を基づいて映画に作ったものです。
父や息子の話が出てきますけれども、字幕は映画のテーマですけれども、見たらわかります。
今から5分ほどですけれども、一緒に見てみたいと思います。
10:58
はい、ここまでです。皆さんいかがですか。
11:01
この監督さんがですね、私が調べたところはクリスタルでして、まるでですね、
イエス様が多くの人々を救うために、神様がその独り子なるイエス様を犠牲にしまして、
多くの人々を救われたように、今のですね、父親が息子を救う、息子のためだったら、その撤去と言うんですか、
その撤去をあげるしかなかったんですね。しかし記者には多くの人が載っていたんですね。
その多くの人々を守るために、事故を防ぐために、その撤去の下に挟まれている息子の命を犠牲にするしかなかったということですけれども。
皆さん、イエス様は神様です。
イエス様は神様と全ての面において同一の、ですから皆さん私だけはですね、
12:09
イエス様を知ることによって神様を知ることができる。
イエス様を愛することによって神様を愛することができる。
イエス様の御言葉に従うことによって神様に従うことができるということです。
ですから皆さん、私たちはですね、私たちが信じているイエス様がどんなお金なのか、それを正しく知らなければならないです。
正しく知った上で、その信仰の上で、私たちの人生をさせていくことができるということです。
ではですね、今日はイエス様のことですけれども、聖書の2つのところを開いていただいて、
そこからまずはイエス様が神様であること、その次はイエス様が神の子、一人子であることを探してみたいと思うんですね。
まずは新約聖書の中にセコスというところがあります。
新約聖書420ページです。
テトス第2章13節です。
はい、よろしいですか。ではご一緒にお読みしたいと思います。
三杯、祝福された望み、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるキリストイエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。
ここにですね、大いなる神であり私たちの救い主であるキリストイエスとありますね。
イエス様は神様なんです。イエスキリストは神であり、また同時にキリストであるということなんですね。
ではまずこれを覚えておいていただいて、そしてその次はマルコム福音書第1章1節、新約聖書64ページです。
新約聖書64ページ1節。
15:01
ご一緒に三杯、神の子、イエスキリストの福音の始め、アメン。
ここにですね、イエス様は何と書いていますか。神の子ですね。さっきの一つは神であると。このマルコムは神の子であると。
どっちにしてほしいかというと、イエス様は神である、同時に神の子であるということです。
今日の御言葉には数字も一箇所だけですけれども、神はその一人子となっていますね。
今日の第1話4の中節のところですね、日本語は一人子となっていますけれども、
英語のテイストにはですね、そのところをHis one and only sonとなっていますね。一人唯一の息子。
この内容はですね、実は私たち人間の理解力、知識をですね、いくら作っても完全には理解することができないんですね。
神であるならば同時に神の子である、イエス様。そのものが神秘なんですね。
今日は三味一体についてですね、ちょっと短く勉強ともにしていきたいと思いますけれども、
たまには聖書に書かれているように、固い食物も食べる必要があると思うんですけれども、この三味一体、
父なる神、子なる神、そして聖霊なる神、神様、イエス様、聖霊様を指して三味一体と言うんですが、
実はですね、先ほど申しましたように、我ら人間の頭では、知識力では、理解力では十分に理解することは不可能。
もちろん説明することすら不可能な概念なんですね。それはなぜかと簡単に言えば、
神様は私たちよりはるかに無限で偉大なお方だからなんです。
だから私たちは神様を完全に理解することができると期待すべきでもないんです。
ですから皆さん、私たちはその真実で広々として、無限な神様の御前で謙遜にそれを信仰によって受け取るべきなんです。
18:09
この三味一体をですね、聖書に基づいてキリスト教会はこのように定義をしていますけれども、
この文章だけはですね、皆さん是非覚えていただきたいんですね。
もちろんこの文章自体はちょっと難しいんですけれども、
でも他の例え話とかで説明するとそれが板になってしまいますので、この文章、是非覚えていただきたいんですね。
ではですね、ご一緒にですね、みんなで神話から一緒に読んでいきたいと思います。よろしいですか。
三、神は唯一の存在であるが、その単一の神格の中に永遠かつ対等な三つの威嚇が存在する。
この三つの威嚇は、その本質は同一であるが、その存在は個別である。
いかがですか。難しいですか。皆さん。分かるような分からないようなかもしれません。
この文章はキリスト教会が教理として神格として決めた。神様は唯一の存在です。
その神格の存在が単一、一つなんですね。その中に永遠に、そしてかつ対等な三つの威嚇があります。
その三つの威嚇は、その本質においても同一。しかしその存在は個別。神、子、神様で個別に存在するという答え。
聖書を一箇所だけ見てみたいと思うのですが、創世記第一章一節をお開きいたします。
聖書を一緒に開いていきたいと思います。一章一節ですけどね。一緒に読みましょう。
はじめに神が天と地を想像した。
日本語は神、これが複数形なのか単数形なのか知りません。また想像したもこの動詞が複数形なのか単数形なのか知りませんけれども、
私が調べたところ、言語のヘブライ語がありますけれども、正によく知っているものではないのですが、調べてみたところ、
21:00
なんとこの神というヘブライ語の言葉は単数形じゃなくて複数形。
それで後で見たら、われわれというところを言っているんですね。神様は神、みこ、精霊様、永遠から御一世でしたから、
この日本語は神がとなっていますけれども、実は三つがおられる。それ、複数を意味しますね。
しかし、天と地を想像したの想像したは、ヘブライ語言語は動詞も複数形があって単数形があるんですね。
この素晴らしい言葉ですけれども、この想像したという動詞は単数形になっています。不思議でしょ。
これが三民体の大きなヘルシーであります。
お勉強はここまでしておきまして、今日はその独り子なる家様のことを一緒にお聴きしていただいて、
そして私たちが、皆さんが何を信じているのか、それを確認していきたいと思うんです。
今日の御言葉にあるように、家様を独り子と言っています。独り子なんですね。家様は独り子なんです。
簡単に言えば、神様には一郎しかないんですね。二郎、三郎、四郎、五郎は会えない。
娘は何と言うんですか。五郎の子が何と言うんですか。
さあ、後で教えてみます。
皆さん、ここに大きな意味があります。独り子。一人。たった一人なんです。
それは他にはない。この方のみという属性的な意味での一人という意味なんです。
それは今日の御言葉にあるように、神様が私たちに御自身をあらわせたんですね。
御自身をあらわして、見せたくて、教えてやりたい。
その神様の御気持ちが、たった一人、唯一の家様を通して、神様がどんな御方なのか、
その先生が、その御先生がどんな御方なのか、それを私たちに教えたかった。あらわしたかった。
それで、イエス・キリストをこの世にお使わせになって、イエス・キリストを通して、
24:07
イエス様は100%神であり、100%人間であるから、
イエス様を自分の目で、今、皆さんが私を見ていらっしゃるように、イエス様を実際に見た人がいた。
彼らはイエス様を実際に見た。そして、イエス様から御言葉を教えていただいて、
イエス様がなされる素晴らしい奇跡や優雅な素晴らしいことを目撃した。
それをどうして誰を知ることができるんですか?
神様を知ることができる。
それが、神様の御心だったんですね。
もう一度申しますと、神様が私たちに御自身を現した方法、あるいは道と言うでしょうか。
それは、イエス・キリストが唯一です。
他には、言い換えますと、神様にお会いできる道は、一本道、唯一の道、
One way Jesusと言う、イエス・キリスト追い取りしかいない。
それが、一人御という意味です。
すなわち、私たちが救われる道、救われる方法は、イエス・キリスト追い取りしかない。
神様をそう決めたんです。
そう定めたから、他には方法がないんですね。他の道はないんです。
そういった点を見てみましょう。
ユハネ、14の6節。
今日、聖書課長を多く見ますけれども、ユハネの福音書、第14章、6節。
新約聖書、209ページですね。
では、14の6節をもう一度読みましょう。
イエスは彼に言われた、私が道であり、真理であり、命なのです。
私を通して出なければ、誰一人、父の身元に来ることはありません。アメン。
ここにですね、もうよくお存じかと思いますけれども、
日本語の聖書は、道であり、真理であり、命とありますけれども、
英語の聖書だけ見てもですね、これは、the road, the truth, the lifeとなってますね。
27:05
唯一という、唯一の道、唯一の真理、唯一の命という。
だから、イエス様を通して出なければ、誰一人、父の身元に来ることはありません。
私はですね、2004年でした。
東京にビーリグラン先生の集会があって、
韓国からですね、ボランティアで参加したところ、
代々木公園で四つの法則を持って伝道していたんですね。
回っていたら、おじさん3人がですね、
城間からお酒を飲んで、あそこで何か話し合っていたところ、
ちょっと近寄って、日本語、少し喋れなかったから、伝道しようと思ったんですね。
でも、不思議にもよく聞いてくれたんですね。
そのところ、天国に行く道は一つしかありませんよ。
神様に聞かせている道は一つしかありませんよ、と言ったんですね。
そしたら、そのおじさんがですね、いや、そうじゃない。
だって富士山へ登る登山はあそこであると言ってですね。
だから、イエス様とか何とかさんのことを唯一しか言っていない。
それは独占的なお話だ。他の道もいっぱいある。
だから、自分が真面目に生きていけば、富士山の峡道に登れるようにもいけるんじゃないか。
そういうふうに言ってですね。いや、そうじゃありませんよ。
もう一本道ですよ。唯一の道ですよ。
もうあのとき、ほぼ1時間ですね。話しておきたんですね。
それで、どんどん話しながら、どんどん飲んでですね。
飲んでですね。あとはですね、何と喋っているのか、それは。
言葉はわかんない。ああ、そうですか。
それでも、ぽつりでやめたんですけれども。
世の人々はだいたいそういう思考を持って、真面目に生きていけば天国に行けるんじゃないか。
あるいは、他の宗教も、みんな、キリスト教も宗教だし、愛も宗教、これも宗教だから、
もう、それぞれ宗教に信じていけば、みんな、ゴールは一つじゃないかと言われます。
しかし、先章は、イエス様を追い取る。
神様が定められた道は、一人御なるイエス・キリストなんです。
30:01
この言葉さえ見ればわかるんですね。
もう一つ見てみましょう。
人の働き
四書十二節
新約聖書
二百三十三ページ
四書十二節
四書十二節三杯
この方以外には、誰によっても救いはありません。
天の下で、この皆の他に、私たちが救われるべき名は、人に与えられていないからです。
アーメン
皆さん信じますか?
この方、イエスですね。
この方、イエス様以外には、誰によっても、どんな宗教によっても、救いはありません。
神様が定められた唯一の道なんです。
だから、私たちは幸せなものなんです。
恵まれたものなんです。
他のところにいない、神の下にいるこの恵みは、素晴らしいことじゃないです。
主は一つ、信仰も一つ、バーテスマンも一つ、だから教会も一つ、生徒も一つ。
どうか皆さん、この三に一体のこの真理のことを深く理解して、
そして、このイエス・キリストが唯一なる救い主であることを、
独り子であることを、そのこの真理を握ってですね、
この真理の上に信仰を固く歩んでいきたいと、そう願っております。
では、神様はなぜ、私たち人類に独り子なるイエス・キリストをお使わせなかったのか。
その目的が、今日の箇所によく記されています。
今日の箇所をご覧ください。
神はその独り子を世に使われ、その方によって、その次が重要ですよ。
私たちに命を得させてくださいました。
皆さん、神様が私たちに、全ての人々に永遠の命を得させるために、独り子なるキリストをこの地に生まれさせてください。
お使わせになったということです。
33:06
それは、私たちに永遠の命を与えるためなんです。
永遠の命を与えるためです。
ですから、この独り子なるイエス・キリストにお会いすれば、生きることができる。
永遠の命を得ることができるということなんですね。
ですから皆さん、こういう説明をすれば、どうかなと思ったんですね。
この永遠の命というものは、神様、イエス様、聖霊様の三位一体の神様の合同作戦というようなものです。
私たちは皆さん、お一人お二人を救うために、神様が永遠の計画を持って作戦を計画を立てました。
それでイエス様は、この敵人にあった私たち、悪魔の手の元にあった敵人にあった私たちを救うために、
まるでイエス様がですね、007みたいにですね、司祭みたいにですね、敵人の心に使わされた。
それで聖霊様がですね、広報課でですね、素晴らしい声も聞いてくださって、感動を与えてくださって、わかるように聞いてくださって、
そしてその敵人から私たちを救出してくださった。これが神の合同作戦ということです。
皆さん、私たちは神様を知る前には、まるでサタンの、まるで何ですね、実際にサタンの敵人の元に囚われていた捕虜でした。
世の人々は、この敵に囚われている闇の捕虜であり、死の捕虜なんです。
生きているようですが、実は死んでいる。動いているようですが、実は死んでいる。
そういった人々が、私たちの周りには何と多いのでしょう。
身体は生きている。息はしている。しかしその心が、霊が、死んでいる人が何と多いことです。
本当に魂、しかし皆さん、例えば毎日のようにもう死にたい死にたいと思う人、あるいは全く正反対になってですね、真面目に真面目に生きていけばいいんじゃないかと思う人、
36:08
どんな人であろうが、イエス・キリストに、唯一の一人となるイエス・キリストにお会いしなさい。
恵まれれば、全く新しい人生が、光の人生が、永遠の命の人生が始まるということです。
敵人から私たちを救出してくださるんです。
先週、私は教団の教職者、選挙講師がありまして、教団の福島にある塚川の資音の子というところで、2泊3日、修行会のワクチンみたいなところに行ってきました。
そのところ、ある先生と車の中に隣に座って、いろいろ話していたところ、その先生がどういうことがあってクリスタルになったのかお話をしてくれたんですね。
その先生は、高校のとき、また青年のときにひどい鬱を病んでいたんですね。
この先生の話によると、もう何で自分が生きているのか、もう死にたくて死にたくて、苦しくて狂って、そしてこの心の苦しみを忘れたくて何をするか、リフトカットをするんですね。
それでもう半筆でここに、私が見ても100以上の地図がざらざらだったんですね。
何でこれをするんですかと聞いてみました。そしたら、この先生の話は、こうカッと来たら、痛いんですよね。
そうすると、この身体の痛みのゆえに心の痛みをその瞬間でも忘れられる。
だからこれをリフトカットをするんです。でも後で治るんですよね。
そうすると、また前の間、そういう引きこもり、不登校になった。
その先生は、インターネットでスーダーになったある人と同じうつうつでメールとかして、しんどいね、死んだいね、そういうメールをやったりを結構しばらくやっていた。
ある日、その向こうの人が人産として亡くなった。
この先生は、いや、もう自分も生きる意味がないと、いよいよ自分も祈って立とうとしたところ、本当に勇気がなかった。
39:01
しばらく時間が経っていたんですね。神様はその頃、素晴らしいことになって、向こうのその息子さんのお母さんが、自分の息子が亡くなったから本当に苦しいんですね。
そのところ、シビアで通して、イエス様を信じることができた。
その奥さんも、聖地の世の中である一方に素晴らしい御言葉に出会って、そしてイエス様に出会って、いや、ここに命がある、ここに死にがある。
それで、そのお母さんがこの先生のことを知っていたわけだから、この先生に手紙を送って電話をして、
あなた、もう死んでいけ。もうね、神様にあかんよ、と言ったかわかりませんけれども、もうあかんよ。
そのお母さんが、聖地も送ってくれたんですね。
それで、この先生はもう、いつかは死ぬから、もう先生を呼んでみよう。
で、その先生が呼び始めて、そして神様がその先生に与えてくださったその御言葉は、皆さんよくご存知のマサイの9章、11章、28節のところです。
そのところを一緒に開いてみましょうか。
になって今日、えっと、1章28節、21ページですね。よろしいですか?28節ですよ。
3、はい、すべて疲れた人を思うによ。
はい、この御言葉が、その先生の心の中にもう光のようにですね、照らされて、
いや、こんな自分も、何の値打ちもないように思えたこの自分も、
イエス様が愛してくださる。癒させてくださるんだ、と。
それでイエス様は死んで、薄がなくなって、癒されて、
神話の神学にも行ってですね、また、なんと、一年先輩の女性の先生と結婚もして、
偉い娘さんもですね、2歳かな、3日目にですね、失礼してくださったんですけど、
本当に幸せな人生を暮らして、闇の中にあった人が、この一人ごとのイエス様に出会った時に、
人生が、闇が、光に穢れたんです。自分ではどうしようもない。
42:04
抜け出したいんだけど、抜け出すことができない。
しかしイエス様は、一人ごとのイエス様だから、神様が定められた唯一の救いの道だから、
そのイエス様が、その足枷、鎖を解き放ってくれたんですね。
なんと素晴らしいことでしょうか。これが、一人こなるイエス様の道です。
もう一度申しますが、イエスキリストだけが唯一の道です。唯一です。
イエス様は一人こなるところも、皆さん、ですから、イエス様を持つ人は、神様を持つ人なんですね。
イエス様は神様だから、イエス様を持つ人は、神様を持つ人。
さあ、神様はすべてのものを持っておられる。とみんとんでおられる。
そうしたら、私たちはイエス様を持っている。それと神様を持っていると一緒。
だから、私たちはすべてのものを持っているものなんです。
それで、イエス様も神様を、アバキキオ、お父さんと呼ぶんですよね。
でも、皆さんじゃないですか。私たちも天皇お父様と呼ぶんですよね。
だから、イエス様と私たちは兄弟なんです。兄弟なんです。お兄さんなんですね。兄なんです。
聖書を見てみましょう。ローマみたいな手紙。
第8表、16節。これは私の説明ではありませんよ。聖書はそう教えているんですね。
ローマ人への手紙、第8表、16節、17節です。
主役聖書、301ページ、16、17。
私たちが神の子供であることは、見たまご自身が私たちの霊とともに明かして下さい。
もし子供であるなら、でもあります。
私たちがキリストと栄光を共に受けるために苦難を共にしているなら、
私たちは神の相続人であり、キリストと共同相続人であります。
ここに最後に、皆さんはイエス様と共同相続人なんです。
45:04
対等なんですよ。イエス様には9割、私たちは1割じゃありません。
同じく共同相続になります。
ですから皆さん、私たちはイエス様を持つものだから、すべてのものを持つものなんです。
信じて下さい、信じてください。
ですから皆さん、世の中であるいは周りの親妹、家族の中でいても、堂々とあるクリスタンになっており、堂々とあるクリスタンであっており、
世の人々が皆さんを見て、うらやましいな、私もクリスタンになりたい、どうしたらあなたのようになれるんですかと聞かれるほどの堂々とあるクリスタンであっていただきたいです。
私が高校の時に、同じクラスに韓国のインソンという町でしたけれども、大きな会社の会長さんの息子さんが家に行ったんですね。
彼は、何と言うんですか、威張るほど堂々とあるんですね。
もう、ビビることしない。
もう、いつも堂々なんですね。
現在は何と言っても、ビビらない。
誰から何と言われても、恐れない。
自信があるんですよ。自信がある。
何で自信があるんですか?
自分の後ろに脅すためがいるからなんですね。自信がある。
ただ、お金のことだけではないと思うんですね。
皆さんは自信ありますか?
全てのものを持っておられる、全てのものの持ち主であられる神様が、私たちのお父様なんです。
だから皆さん、自信を持ってください。
世の中にいていても、恐れてビビることはありません。
自信を持って堂々と振る舞っていただきたい。
イエス・クリスを語で伝えることは、恥ずかしいことではないんですけどね。
イエス様を信じてくれませんか?
イエス様を信じてくださいとですね、大胆に言える信仰を持っていただきたい。
この自信感というものは、皆さん、世の中で言われるマインドコントロール、そういったものであります。
神様を信じる信仰から生じるものなんです。
もう一回見てみましょう。
第二ポイント、読書。
九説、十説、このことは本当に重要な箇所なんですけども、
48:11
よく覚えていただきたいんですね。
352ページです。
九説、十説です。
では、ご一緒に3回。
人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見ろ、生きており、
罰せられているようであっても、殺されず、
悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、
寂しいようでも、多くの人を止まって、
何も持たないようでも、全てのものを持っています。
これが皆さん、私たちなんです。
皆さんなんです。
人々が見てですね、何も持っていないように思えても、いや、そうじゃない。
私たちは全てのものを持っておる。
神様を持っておるから。
この信仰を持っていてください。
貧しいことはありません。
決して貧しいことはありません。
富に富んでおられる神様が、
その神様はですね、もう司会大使の金持ちのビールケーキさんより、
あるいはトヨタのカイトさんより、大金持ち、
富に富んでおられる全てのものは、神様のものなんです。
その神様が、私たちは息子、娘だから、
良いものを持って与えてくださらないはずがありません。
これは、貧困から来る自信、堂々さなんです。
唐い張りがありません。
貧困から来るものなんです。
神様、満たして満たしてください。
また、二つの教会のお話をしたいと思うんですけれども、
実際にですね、また先ほど申しました選挙コースにて、
二つの教会を回らせていただきます。
その中の最初の教会の写真を見せてください。
教団はですね、日本同盟の教団の内子キリスト福音教会という教会ですが、
実はこの教会は、前は堅くは似ていましたけれども、
本当に古いボロボロの態度でした。
でも立ってはいてですね、礼拝をしていたところ、
二年前、地震があったんですよね。
その時に、倒れてはいなかったんですけど、大きな傷があって、着けなくなっていました。
でも礼拝は守れるほどだったんですね。
51:01
その先生が、小成という先生ですけれども、
次の写真を見せてくださいね。
真ん中に立っていらっしゃる先生ですが、
その先生は地震の後、自分の教会にも大変なんですね。
しびがって、いつ倒れるか知らない。
でもなんとその先生は、福島県だけではなく茨城県や、
そのところ、2年間、1000回以上、仮設住宅や、
あるいはもっと広い教会の支援をしたり、ボランティアをしたり、
ボランティアを集めたりして、そのコネクトがあって、
私も去年、この先生の気配で奥のところを回してもらったんですけれども、
その先生は海外から、日本国内から、あるいは韓国からの支援金を集めて、
自分の教会が大変なんです。
だけども、もっと広いところを教会に行って、
その教会を建築することに専心をして差し上げて、
また仮設住宅を回って、この生活を2年ほど、ずっと、今もしていらっしゃる。
その日に、なんとその教会の審査さんも素晴らしいですね。
その審査さんが、その先生、カナリ先生にですね、
先生、うちも大変なのに、うちはほったらかしで、ことだけ回るんですが、
そういう人は、ひとりひもになる。
先生、もうたくさんやってくださいと。
神様は生きておられる。
この先生とこの審査さんのことを、神様は見ておられ、
なんと神様が、後からまた素晴らしくて、研究を、
というか、見たって見えた。
でもこの先生はまた回って、周りのところに回ってました。
でも全部満たされて満たされて、
もう先生の教会も建前をしてくださいよとですね、
言われて、もう全部潰して、
それで審査さんもアスファルトでね、この前は土の土のところです。
アスファルトきれいにして、階段もですね、うちくらいでしょうかね、
これくらいのきれいな階段を、千金一円もなくても、
神様が全部満たして、きれいな階段を、
全てのものを持っておられる神様が建ててくださるんですね。
神様が生きておられる。
安倍内閣の皆さん、その時の思い、
これはよくご存知の方もいらっしゃると思うんですけれども、
日本衛生基礎教団の白沢栄光教会ですね、この階段も行ってみました。
旧階段はあるですね、そこのところは私は行ってないんですけれども、
この階段の星が三百何坪だそうです。
54:02
ちょうどこれですね、きれいな階段も一緒に建ててくださるんですね。
神様が本当に多くの人々を通して、階段もきれいに建ててくださる。
すげえな雑誌あるかな、ない?
階段は内より広いんですね。幅も広くて、長さも広いんです。
でも本当、幅が似ているんですね。
神様は生きておられる。
神様は生きておられる。
ですから、私たちは逃亡したことはありません。
貧しいこともありません。困ることもありません。
今日の見言葉をもう一度一緒にお読みしたいと思います。
この見言葉の上に、私たちの貧苦がかかされていることを覚えていただきたい。
今日の見言葉を一緒にお読みしましょう。
3回、神はその一人子を私たちに命を得させてくださいました。
ここに、愛が私たちに示されたのです。
アーメン。
イエス・キリストは唯一の救い主です。一人子です。
イエス・キリストを持つ人は神様を持つ者であり、神様を持つ者は全ての者を持つ者である。
神と共に共同の相続になる。
私をもって、貧困をもって、また、今日は新しいしもはん日が始まりますので、貧困になって歩んでいきたいとお願い致します。
では、今日の見言葉を覚えて、しばらく心を合わせてお祈りしたいと思います。
まずは、感謝の祈りをされていきましょう。
この一人になるイエス・キリストを信じさせてくださったこの恵みを感謝します。
感謝の祈りをしましょう。
また、周りに、この一人になるイエス・キリストを信じられない方々に、私たちが確信をもって、自信をもって、
述べ、伝えることができる信仰を私にも与えてくださいとなってですね、
王との祈りを今一緒にしていきたいと思います。
一緒にお祈りしましょう。
ハレルヤ神様、あなたの恵みを心から感謝致します。
あなたの恵みを本当に心から感謝致します。
一人になるイエス・キリストが私たちを愛してくださいましたことを本当に感謝致します。
君は生きておられる。
そしてその神様は、本当に一人になるイエス・キリストをこの地に送ってくださいました。
57:02
そのキリストを信じる者には、永遠の命が与えられ、そしてイエス・キリストと共に共同の相続人として下される。
イエス・キリストを持つ者は神様を持つ者であり、神様を持つ者は全てのものが与えられている息子であることを本当にこの恵みを心から感謝致します。
どうかしよう、私たちが本当に常に神様の身元に、このイエス・キリストと共に本当に歩む道をしよう。
どうぞあなたが憐れんで導いてくださいますようにお願いを致します。
どうぞしよう、このまた新しく始まる本当に組織も、
どうぞしよう、あなたが豊かに祝して恵んでくださいますようにお願いを致します。
どうぞしよう、我々の心の中に本当にこの確信をお与え致しますように。
どうぞしよう、豊かに祝してください。
神の恵みに富んでおられる、本当にその信仰に立たせてくださいますようにお願いを致します。
どうぞしよう、御言葉を感謝致しますように。
どうぞしよう、本当に感謝致しますように。
イエス・キリスト様の御名によってお祈り致します。
では一言お祈り致します。
一人御なるイエス・キリストをこの世にお仕わせになり、
そのキリストを信じる者に永遠の命を与えて下さい。
またイエス様と共に共同相続運として全てのものをもたさせて下さる神様、
この救いの恵みを心から感謝を申し上げます。
どうかしよう、いつもこの信仰の上に私たちを立たせて下さい。
そして忘れることがないように、この道を御自身が御祭りになさる時まで堂々と歩んでいけるように、
どうぞ、内なる人を強めて下さい。
どうぞしよう、妙谷教会の上にも本当に私たちが信仰を持って、
神様がいかに素晴らしいことなのか、
主が満たして下さる、いなして下さる、また解決して下さる、
全ての問題を解決して下さる神様の恵みを体験できますように、
どうぞ素晴らしいお明かしできますように、
どうぞ神様の表裏として生きるようにして下さいますように、お願いを致します。
教会の本当に様々な働きを通して、この教会が本当に少しずつ、少しずつ、本当に新しく恵まれていることを本当に心から感謝を致します。
この街にはあなたの民が大勢います。子供からお子様方まで大勢います。
死んでいくその人々に、私たちがこの救いのスクリーンを持って述べて下さい。
共に救われる恵みに預かることができますように、
教堂の救いの承認として私たちを持ち入れて下さいますように、お願いを致します。
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教会姉妹土地の中で、心の病やあるいは体の病、あるいは様々な病をもって抱えている教会姉妹たちがいるんです。
どうぞ主よ神様、あなたの愛の手をもって、主が癒して下さり、恵んで下さり、
何より主をもっと愛することができますように、どうぞ主を豊かに祝して下さりますように、お願いを致します。
感謝します。神様の御難によってお祈り致します。