1. 名谷教会 podcast
  2. 2011/04/10:聖日礼拝(旧音源)
2011-04-10 34:34

2011/04/10:聖日礼拝(旧音源)

2011/04/10 聖日礼拝(旧音源)


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ご着席ください。
ルカの福音書22章39節から46節、新約聖書の164ページ、ルカの福音書22章39節から46節までです。
それでは、お読みいたします、ルカの福音書22章39節。
それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。
いつもの場所に着いた時、イエスは彼らに、誘惑に陥らないように祈っていなさいと言われた。
そしてご自分は弟子たちから石を投げて届くほどのところ離れて、ひざまずいて子を祈られた。
父よ御心ならば、子の杯を私から取りのげてください。しかし私の願いではなく御心の通りにしてください。
すると御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。
イエスは苦しみも耐えて、いよいよ雪に祈られた。汗が血のしずくのように血に落ちた。
イエスは祈りを終わって立ち上がり、弟子たちのところに来てみると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでしまっていた。
それで彼らに言われた。なぜ眠っているのか、起きて誘惑に陥らないように祈っていなさい。
それでは聖歌体の賛美397話に続きまして、内田牧師より汗と涙と血を流すキルストと題して説教をいただきます。
大きい国は海の果て
水通りする海の実を
まぐさめを手
03:00
主の十字架は輝ってい
まぐさめを手
輝ってい
まぐさめを手
輝ってい
揺れる大口に立ち行く
十字架を追い
水をあふれ火を燃えて
島根広げ
竜巻を
まぐさめを手
輝ってい
主の十字架は輝ってい
まぐさめを手
輝ってい
まぐさめを手
輝ってい
揺れる大口に立ち行く
十字架を追い
青海に描かぬ大空
運命ならず罪も消え
まぐさめを手
主の十字架は輝ってい
まぐさめを手
輝ってい
まぐさめを手
輝ってい
揺れる大口に立ち行く
青十字架を
06:03
おはようございます
青川大の皆さんの賛美の後に こうして見言葉を取り継がせていただく
講演を感謝いたします
一つ残念なのは私がいつもここで 皆さんの背中を見て聞いている
というんでしょうか 私も向こう側で皆さんの顔を見ながら
一緒に聞きたいなとそう思ったんですが
でも揺れ動く地に十字架は輝 けりその賛美を通して私もしっかり
とその十字架を仰がせていただき ました本当に感謝であります
私たちは今樹南節ですね教会の 小読みでいう樹南節にいるわけ
ですがこのことを改めて覚えたい と思うんですね
そして来週の日曜日今年は四月 十七日主炉の成日これをイエス
様がエルサレムに入場なさった ときに群衆が主炉いわゆるなつ
めやしその枝や葉を道に敷いて そして群衆がイエス様を迎えた
それを記念する主炉の成日を迎える わけです
そして四月の二十一日の木曜日 このときイエス様が弟子たちの足
を現れたそのを記念する先即の 木曜日そして二十二日の金曜日
がイエス様が十字架におかかり になったその樹南日であります
そして続く二十四日これが週の 始めの日主がよみがえられたその
ことを感謝しそしてお祝いする イエスだと続くわけであります
主が受難された主が苦難を受け られた神の御子が苦しみを受け
られたそれはどうしてなのかその 訳を私たちはしっかりと覚える
ということこれが私たちの信仰 の原点でありますしまたそのため
には神の御子イエスキリストという お方がどういうお方なのかということ
をしっかりと私たちが学ぶということ それが私たちの信仰の土台になる
わけですね私たちは今一度神様 の前にへり下ってきょうはルカ
による福音書の二十二章の中から イエス様を仰がせていただきたい
とそう願っております 一言お祈り をしてきょうの御言葉をいただきます
天の父なる神様こうして私たち をこの御堂へと導いてくださり
ありがとうございます私が来たという よりも神様が私たちをこの御堂
09:05
へと導いてくださったことを感謝 をいたしますそしてあなたを賛美
するという人として最も尊いこの 特権に預かっていることを覚えて
心から感謝をいたしますどうぞ 精一杯あなたをあがめます賛美
しますそしてこの礼拝を捧げます どうぞお受け入れくださいそして
あなたの御胸を御言葉を通して きょうもお聞かせくださるよう
お願いをいたします世にあって はたくさんの人が悩み苦しみまた
試練にあって悩んでいます神 様どうぞそういう方々にどうぞ
教会を通しまたクリスチャンの 働きを通して御言葉が届けられる
ようにこの福音といわれる良い 知らせを全世界に伝えていくことが
できるようにその教会の働きを 私たちが全うできるように助けて
くださいそのためにもまず私たち が神からどんなに愛されている
かを覚えることそしてあがべの 愛をもって全世界に出ていくことが
できるようにそして隣人を愛し 出ていってその隣人となること
神様どうぞ導いてくださいきょう もまたあなたの御言葉を待ち望み
ます 神様の三十数年の生涯それは三つの
ものを流す生涯であったということ をきょう皆さんと一緒に考えた
イエス様は涙を流された涙には どんな涙があるでしょうか私たちは
どんなときに泣きそしてどんな ときに涙を流すのでしょうか悲しい
ときに泣き嬉しいときに泣きそして 悔しいときにも泣き寂しいとき
12:04
にも泣きそして感動を覚えた ときに涙を流すわけです誰はば
かることなく泣くこともあります し誰にも知られずそっと一人で
涙を流すこともあるんです涙は 見せずとも心の中で泣いて涙を
流すそういうときもあります神 の御子でありながら人としてこの
ように来てくださったイエス様 イエス様も私たちと同じように
涙を流してくださったそのことを ヨハネの福音書の十一章を読みます
とそのことが書かれてあるんです マルタとマリアその姉妹が兄弟
のラザロが死んだという知らせ をイエス様のところに伝えに行き
ましたイエス様はそのことを聞いて そのお家に向かったわけですその
ことがヨハネの福音書に書いて ありましたイエス様はその家に
行って兄弟をどこに置きました かと尋ねられましたするとその
家にいた人たちがいます三十六 節そこでユダヤ人たちは言った
御覧なさい主はどんなに彼を愛 しておられたことかイエス様は
涙を流してくださった愛する者 が亡くなったときに私たちと同じ
ようにイエス様も泣いてくださる そういうお方であります私たち
もこれまで愛する人を亡くした ことがありますこれからもそういう
ときがあるかもしれません何度 もございました息子を残して癌
で召されまた中学でも神様はお 取りなさるわけですある姉妹も
15:26
そうでした病の戦いの中にありました けれどもある日お父さんが祈って
やってくださいと言われた祈れない 言葉が出ない祈ることは牧師の
仕事ですでも祈れない泣けて泣けて 言葉が出ない祈れないでもあなたの
涙が全てを語っている涙が祈り となっているからそれでいいんだ
そして私も一緒に泣いているから 大丈夫だそうイエス様は私に語り
かけてくださるお方であるその ことを私は確信したんです本当に
私たちが暗いときに悲しいとき に寂しいときにまた喜んで一緒
に泣いていてくださる涙を流して くださるお方であるそのことを
きょう覚えたいんです 二つ目にイエス様は汗を流された
宮沢賢治の詩の一つに雨にも負 けずというその詩を皆さんも御
存じだと思うんですが雨にも負 けず風にも負けずという詩ですね
その中の数節東に病気の子供あれば 行って看病してやり東に疲れた
母あれば行ってその稲の束を追い 南に死にそうな人があれば行って
18:03
怖がらなくてもいいと言い北に 喧嘩や訴訟があればつまらない
からやめろと言いそういうもの に私はなりたいというあの宮沢
賢治の詩 イエス様というお方はまさにこの
ような東に病気の人あれば行って 看病し西に疲れた母あれば行って
その稲の束を追いあちらの村に 行っては癒しこちらの町に行って
は慰めそして山に登っては群衆 を前にして神の国を説かれたイエス
様はその労働の汗をいつも流して おられたのではないかもちろん
あちらは中東ですから汗をかいて もすぐ乾くような乾燥した地ですけ
れどもイエス様というお方は常に 行動をされそして労働をなさって
いたそういうお方であるそのことを 私たちは福音書を通して見ることができます
イエス様というお方はどんなお方 なのかいろいろなことを私たちは
福音書を通して垣間見ることが できるんですがイエス様には道
と性の部分があると思うんですね いわゆる道の部分はそのように
行動されるイエス様勢力的に働かれ 動かれそして人々のところに行って
交わるというそういう道のイエス 様のお姿ともう一つは性のイエス
様のお姿それは父なる神様と静かな 交わりの時を思っておられたという
ここでもイエス様はいつものように いつもの場所でそして祈っておられた
というあるいは群衆からそっと 一人どこ行ったんだろうイエス
様はまたどこかに行かれてそこで 静かに神様と交わっておられた
そういう性のお姿を私たちは見る ことができるわけです今日のこの
御言葉の箇所ここでもイエス様 は神様と交わっておられた姿が
見えるわけですイエスは出ていつもの ようにオリーブ山に行かれ弟子たち
も従ったいつもの場所に着いた ときイエスは彼らに言われたこの
いつものようにいつもの場所で 祈っておられたそれはどこなのか
それはマタイによる福音書マルコ による福音書からこれは月瀬真
根の園であるということが私たちは 見ることができるわけですしかし
21:17
いつものように祈っておられたん ですがこのときばかりはいつも
とは違っていたなぜかこれを最後に イエス様は十字架にかからなければ
ならないとその前のそしてこの 月瀬真根で祈りをなさったその
ことがここに書かれてあるわけ ですその祈りの状況が血の雫の
ように汗をかいて祈るどんな祈り だったんだろうか汗を流すそして
その汗が血の雫なぜそこまでイエス 様は祈られたのかなぜそのような
祈りをしなければならなかった のかそのことを私たちがもっと
もっと深く思いめぐらすときに 私たちのイエス様への愛あるいは
イエス様への献身がさらにこの 杯を私から取りのけてください
この杯はどんな杯あるいはその 杯に何が入っているのかイエス
様でさえ飲みたくないその杯とは 何なのかそこに入っていたもの
24:07
それは人間すべてが持っている 罪あるいはこれまで犯してきた
罪そして十字架刑という恐ろしい 罰のすべての入った杯誰も飲み
たくないましてや何の罪も犯していない イエスご自身がなぜこの杯を私は
飲まなければいけないんですか 正直言って飲みたくないんです
願わくわくの杯を取りのけていただき たいんですその祈りをイエス様
はしてくださったわけですその 杯に入っている私たちの人間の
持っている汚いどろどろしたもう 見るにも絶えないあるいはもう
異種の放つそんなものを誰が飲み たいでしょうかしかしイエス様は
それを飲まなければならないということ を覚えられたわけです神の御子
としてこの世に来たそして父の 御心がどういうものであるのか
を日々の祈りの中で覚え多くの 働きの中で自分がこの人間の世界
に来たその意味をイエス様御自身 がしっかりと受けとめられてそして
二つ目の祈りをなさったわけです しかし私の願いではなく御心の
通りにしてくださいしかし私の 願いではなくあなたの御心の通り
にしてくださいこの祈りをイエス 様はなさったこれはまさに勝利
の祈りですこの祈りなくして十字架 を受けることはできなかった私の
願いではなく主よあなたの御心 がなりますようにこの勝利宣言
の祈りをもってさあ行こう自分 はこれから十字架に向かうのだ
イエス様が汗を流してくださった それは労働の汗でもありそして
祈りの中でも血の滴りのような 汗を流してくださったのは私たち
が本来飲むべきその杯それを飲 まなくてもいいお前たちは飲ま
なくてもいい私が飲み干すから お前たちはそれが父の御心である
ならばそれを私は受け入れます とイエス様はその杯を飲むことを
27:08
祈りの中で決断なさったわけです そして三つ目にイエス様は血を
流された聖書が私たちに語ること それは私たち人間というものが神
様の御心を痛めるようなことを しまたそのような心を持ちそして
神様を悩ませるようなそういう 罪深い生き方をしているだから
本来私たち人間が神様から罰を 受けなければならなかったそういう
存在であるしかしイエス様がそれを 全部自分が引き受けようとお前たちの
代わりに私がその罪罰それを一切 身代わりに負うから私の命を代
価にしてお前たちの罪の一切を 罰の一切を帳消しにしてください
という神様への祈りをしてください 父よ彼らを許してください彼ら
は何をしているのかわからない のですから何を言っているのか
わからないのですから何を考えている のかわからないのですから神様
を知らないのですからどうぞ許 してあげてくださいその罪とその
罰の一切を私が負って十字架に かかりますから許してやってください
というその祈りを捧げてくださ ったそのことのゆえに私たちは
今これは神様の許されて今ここに 覚えたいと思うんですね
イエス様があの十字架で流して くださったその血をもう一度私たち
が崇めることを通して私たちが 本当に神様から愛されそして許
されているんだということをしっかり と覚えたいと思いますイエス様
が取ってくださった 神の御子の命を差し出さなければ
私たちの罪は上がない得ないほど 私たちの罪というものは恐ろしい
ものであるなおも愛のない生活 お互いが争い合いあるいは助け合わない
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愛のないそういう生き方をした ときにますますその傷口を広げる
ようなことをしていいんでしょうか もうこれで十分だと言われるぐらい
肉を割いてくださった肉をしっかり といただきそれを覚えてそして
流してくださったその血をそれに 相応しく私たちも生きていきましょう
そしてその傷口が少しでも癒される ように私たちは願うものであります
しそれには私たち自身はまだまだ 罪深いものですいろいろな過去
にいろいろなものを背負って生きて いくものですしかし大切なのは
そういうことではなく今私はどういう 生き方をすべきなのかそしてこれから
私たちはどう生きていくのか私たちの 愛するあるいは大切な子どもたち
や若い人たちこれから教会を担って 行ってもらわなければならない
そういう彼らに良き手本となり また良き証を立てて
イエス様は血潮を流してくださった そしてその血潮のゆえに私は贖い
とられたのだそして私はこのお方 をただそれを信じて自分の口で
告白するそれが私たちの救いであり 信仰の原点であります
ヨハネ第一の手紙のもし神が光 の中におられるように私たちも
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光の中を歩んでいるなら私たちは 互いに交わりを保ち
巫女イエスの血は全ての罪から 私たちを清めますお祈りいたします
恵み深い天の父なる神様私たち の救い主イエス様を今日も拝する
ことができたことをありがたい イエス様は涙を流してくださる
お方また祈りにおいてもそして 血を流してくださったそのお方
であることを今日も覚えることが できたことを感謝をいたします
このお方をこれからも見上げて ただただこのお方のみを見上げて
生きていきますどうぞお導きください 主キリストの皆によってお祈り
いたします アーメン
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