00:02
はい、皆様おはようございます。このラジオでは、片付けコンサルタントのまっちゃんが、自分の日常を好きになるための片付け、シンプルライフ、日々の学びについて、ほぼ毎朝10分ゆるーくお話をしていきます。掃除や片付け、朝活のお供にぜひ聞いてみてください。
はい、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は最近ですね、
前の土日、お休みの時に、友人と、
友人の知り合いでね、兄弟で、姉妹か、姉妹で、目が全く見えないおばあちゃまたちがいて、
彼女たちは、目が見えないんだけど、2人で生活してるんですね。
すごいじゃないですか。
で、行きたいところがある。
岬の方に行きたいし、
なんかすごい歴史とか、すごい好きみたいで、その関係で、こういう城跡とかね、
そういう歴史あるところに行ってみたいっていう話だったので、一緒に私ついて行ったんですよ。
それでね、すごいあの、いろいろハッとさせられたんですけど、
あの、全く目が見えない人と、
私月そう乗って、人生で初めてだったんですよね。
まあ電車とかで乗る時にチラッとお見かけすることありましたけど、あの白いステッキを持っている人たち。
で、おばあちゃまたちは多分、詳しくは聞いてないんですけど、昔は見えてて、途中から多分見えなくなった。
方々なんですけど、あの、もうあれですよ、本当におばあちゃまだちです。80代とかなんですけど。
あの、普通にね、目見えないのにさ、あのステッキ使って階段登るわけですよ。
そう、まあ、あの、百歩譲ってね、子供の時から若い時からある程度見えなかったら、
もうステッキが手足のようになってね、感覚をつかんでね、階段ひょいひょいひょいって登り降りするのは、なんとなくわかるんですけど、
途中から見えなくなって、
あの、そしてそのご年齢で、階段を登り降りとか、
トイレに入ってね、あの、手探りで、あの、この辺が便器で、ここがトイレ流すとこですよって言うと、
はいはい!とか言って入ってくんですよ。すごい!と思って。
そう、で、車のさ、乗り降りとかもさ、別に手で誘導しなくてもさ、乗るわけよ。
なんかもう、すごい世界だなって、ちょっと改めて思ったんですよね。
で、あの、目が見えない分、多分他の感覚もすごい敏感なんでしょうね。
なんか、私たちがわからない音とか、やっぱり感覚がすごいずば抜けてて、
03:06
なんか、車に乗っている時とかもね、
あ、さっきより車の折りが少ないですね、とか、
え?みたいな、気づかんかったわ、みたいな。
なんか、そういうことがね、たくさんあって、
あ、なんか、目に見えるだけが世界じゃないんだって、改めて思ったのと、
私がすごい思った、改めて思ったことがですね、
あの、目が見えないということはですよ、
あの、彼女たちと会話する時に、すべて言葉で表現する、する必要があるんですよ。
例えば、海をね、見に行った時に、海の音とかね、香りとかはね、皆さん、彼女たちはね、わかるけれども、
あの、目で見えないから、どんな色の海が広がっているのかとか、
そもそも目の前にどんな景色が広がっているのかとかね、
あの、言葉でしないと伝わらないわけですよ。
で、どんな海ですか?何色ですか?って聞かれた時のね、
私は自分の言葉の表現の幅の狭さにね、すごい落ち込み、落ち込みました。
はい、あの、あ、あ、うん、青色、みたいな。
そう、青色ですね、みたいな。
あの、もうちょっとこう、詩的な表現が、自分降りてこんかなーっていうぐらいね、
あの、あっさ、みたいな表現しかできなくて、ちょっと、あの、言葉の表現の、あの、出来なさに、ちょっと落ち込みましたけど、
私の友人も同様のことで落ち込んでて、
はい、これからもうちょっとね、語彙力を増やしていこうって、はい、あの、ちょっと勉強になりました。
あと、あの、何かしらね、私たちってこう大事なところに行ったりするとさ、思い出に残そうと思ってさ、
写真撮るじゃないですか。で、写真を撮ろうとして気づいたんですよ。
あっ、彼女たちは、そういえば写真見えないんだった。
その分ね、私たちが発したその場の言葉とか、空気とか、
あの、体験っていうのをね、すごい噛み締めてて、
あー、別に形に残さなくても、
こう、その場そのままの、今の目の前にあるものを、
こうやって全力で浸るっていうものは、素晴らしいことだなって。
あの、写真を撮らない旅っていうのは、ある意味すごくいいなって、あの、思いました。
なので、今まで気にしたことないんですけど、
あの、メモを書いたものとかね、写真を見たりする、こう思い出すっていう行為は、
06:04
結構私たちは視覚に今まで頼ってたんだけれども、
きっと彼女みたいに目が見えない人たちは、視覚情報以外で、あの、記憶を呼び戻したりとか、
あの、懐かしいなぁ、みたいな、あの、
思いをね、
あの、できる、
ある意味できるからね、あの、視覚以外の言葉とか、香りとか、
あの、そういったものをすごい、あの、最大限に使ってるな、私より確実に記憶力いいなっていうくらい、
あの、あの時のあの発言とか、あの、あそこに行った時のこの村の名前とか、すごい覚えてたので、
あ、それがあの、賢いからだとは思うんですけど、
でも自分が失った感覚以外の感覚が研ぎ澄まされてるんだなって思いました。
なので、あの、どうしても目が見えると、目にね、頼ってしまうところもあるから、
私たちもその視覚以外の嗅覚とか、
ね、あの、記憶力とか、語彙力とか、そういったもので、
あの、思い出を振り返ったりとか、
いろんなその場を楽しむっていうことをしたりとか、
できるんだなって、改めてね、私はすごい衝撃を受けて、
あの、誘ってくれた友人にすごい感謝しましたし、素敵な、あの、
盲目だということを忘れさせてくれるぐらい素敵なね、
あの、女性2人に感謝しました。
そして、あの、別に、
何、まあ、その方たちね、結婚している人と、
ナナさんが亡くなっている方でね、2人で、
女2人で暮らしてたから、
あ、私将来友達と2人で暮らせてみるんや、もしかしたら、
ね、年重ねていっても、あるんだと思ったら、
楽しそうってちょっと思いました。
その2人はいろいろお取り寄せして、なんか食べ物楽しんだりとか、
あの、目が見えないながらも、
今回の私の、私との旅みたいにいろんなところに遊びに行って、
人生エンジョイしてる感じがあったんで、
未来は明るいなって思いました。はい。
というわけで、あの、今日ちょっと別のテーマ話そうかと思ったけど、
小話に長くなっちゃったんで、
あの、今日はちょっと一旦こんな感じで、締めくくります。はい。
とにかく私は、あの、語彙力がないことに、あの、衝撃を受けたのと、
写真を撮っても、
写真が見えない人が、
いるんだっていう、新しい視点をね、
得ることができました。はい。
そういう人にとっては、インスタとかさ、
09:00
フェイスブックとか、
意味のないものになるわけだから、
人よりなんかこう、本質を見抜くことができるような気がするなと思って、
私も少し話す時に、
自分緊張してたなって、改めて振り返ると思いますね。
見た目で判断されない、
ね、
からこその人の本質、喋りながら、
見抜かれてるかなって思いながら、
喋っておりましたけれど、はい。
というわけで、今日はこんな感じで終わります。はい。
皆さんももし、あの、
自分見た目に、視界に頼ってるなっていうことがあったら、
あの他の五感もね、
あのフルスロットルで、
時には浸ってみてください。
私はそれからちょこちょこ目をつむって、何かをしたりすることをね、
あの、やるようにしてます。目をつむってご飯を食べてみたりとか、
目をつむって、ちょっとドアを開けてみたりとか、
もちろん開けれませんでしたけど、はい。
ではでは、また次回のポッドキャストでお会いしましょう。
今日も一日、あの、味わい尽くしてください。
ではでは。