今、それを話してみて、あんまり僕の中で、この前、パトキョーさんやって半年ぐらいするけど、
思ってなかったけど、もしかしたらこれ繋がってんのかもなってやつが一つ、思い浮かんだやつがあって、ちょっと話してみていいですか?
ぜひぜひぜひ。
ありがとうございます。さっき冒頭で言った話に一瞬戻りつつ話すんですけど、本に助けられたことが結構ある気がするんで、僕がさっき話させてもらいましたと。
例えば自分の、いろんなシーンでそれを感じたんですけど、それのもしかしたら一番最初ってこれかもみたいなやつを今ちょっとふと思いついて、
僕はもともと生まれが秋田の一番北の、日本海側の一番北にあたりなんです。
そこらへんって青森と秋田の県境あたりにある白神山地っていう山があるんですけど、世界遺産になっている山があって、そのふもとあたりで生まれて、
家も材木屋とか林業とかやってる家なので、そういう森とか自然とか環境循環みたいなことってちっちゃい頃から身近だったというか、それがあるから生きているみたいな感覚で、
結構ちっちゃい頃に祖父だったりとかにすごい助けてもらってたなって感覚があるんですよ。
ただ、そのとき僕、父親が海外で働いていて、故に母親の実家である秋田で生まれて、秋田で育つみたいな感じだったんですけど、
5歳ぐらいのときに父親が帰ってきて、そこから突然の都会に引っ越しをしてるんですよ。
はいはいはい。
神奈川の横浜に引っ越したんですけど、父親が横浜にその前にいた人だったので、
そのときの感覚、すごい覚えてて、すごい嫌だったんですよ。
ほんとに秋田というか、白神山地あたりの自然だったりとか人だったりとか、すごい好きだったというか、
それがすごい自分として嬉しいなーみたいなことを容赦を受けながら、物心をつくまえながら、すごい感じたような感覚があって、
それが突然都会に行ったときに言葉も違うし、
秋田とかだと学校への峠口とかでスキー板履いたりしてたんですけど、そのとき。
へー。
でも横浜ってあるわけないじゃないですか。
うんうん。
全然違うとか、言葉が、秋田の言葉ってあっちの言葉ってすごいダサいんだみたいなこととか。
へー。
そういうのが結構いろいろあって、僕の中で何かすごく嫌な気持ちになるというか、
塞ぎ込むみたいな感覚を結構この都会に引っ越して感じてたときがあったなと思っていて、
そのときに最初、僕が出会ってめちゃめちゃ救われたというか、
日々楽しくなっていったきっかけがたぶんハリーポッターなんですよ。
おー。
たぶん僕が5、6歳のときとかに、ハリーポッターの賢者の石が出たあたりだったんですよね。
なんか父親が、わかんない、何が僕のそういう状況を指したのかわからないけど、
賢者の石って、当時の本、5、6歳からめちゃめちゃ分厚いじゃないですか。
その本を買ってきて渡されること自体は初めてだったんですけど、
なんか無言で渡されて読めみたいな。
えーみたいな感じで、そんな本をたくさん読むとか好きみたいな感覚そのときなかったから、
わかんなかったけど読み始めたら、そこの世界、本の中にあるシンプルに魔法の世界というか、
それこそ、ハリーポッターって最初、意地悪な親戚の家の階段の下に閉じ込められるみたいな。
次元から賢者の石って始まりますけど、そういうところに自分を重ねちゃったりしたりとか。
でもそこからいろんなものが展示して、ハリーも成長していくみたいなのを見ていくのがすごい楽しかったしワクワクしたみたいなものが、
結構僕の中で救いになっていったみたいな感覚があって、
そのときに僕の中で、なんでそれが救いになったのかっていうのが、
僕の中でずっとわかってなかったけど、今ちょっと話でずっとひらめいたことがあって。
そっちの方を今話したかったんですけど。
ぜひぜひ。
僕、秋田にいるときに祖父に、ほら、ちっちゃい子って読み聞かせてもらうとかってあるじゃないですか。絵本とか。
僕、絵本とかじゃなくて、祖父が学んでた能の教科書を読み聞かせられた。
えー。
そう、祖父が能楽とか歌舞伎とか趣味でやってたので。
能の教科書で石橋って書いてある石橋という演目があって、それを読みながら、
最初僕が祖父の足、あぐらの中にちょこんと座って読み聞かせられてるんだけど、
途中で祖父が、もういてもたっても言われず、能の舞を始めるんです、僕もいて。
っていうのが毎日あった日々がすごくあって、それが僕すごい好きだったんですよ。
祖父が書かれてるものを読みながら、それすごく何か反応して体に出ていく。体で何か表現しようとするみたいな。
何か違う世界に、ここから違う世界に連れてってくれるみたいなものが、何かしら祖父にもあるんだろうし、
それを見て僕もそれを感じた。
僕の上書家の中ですごく強い経験のひとつとしてあって、
石橋ってどういう話かっていうと、
物語自体作られたのは室町時代なんですけど、
物語の舞台が多分紀元前だと思うんですが、
若情報誌だったかな。
とあるお坊さんが天塾に行こうとするときに、すごい険しい道を歩いていて、
ここの橋を渡ったら、そういった天塾ですよみたいな橋があるんですけど、
そこにお坊さんがたどり着いたときに、先に進もうとするんだけど、それ止められるんです。
それはその橋がめちゃめちゃ細くて長くて険しい道で、
誰もそれを途中で死んじゃうとか倒れちゃう、落ちちゃうみたいな橋だから止めたほうがいいよみたいな言われるんだけれども、
そのときにちょっと立ち止まってみたときに、その山の奥の方から獅子、今でいうライオンですね。
獅子がやってきて、その橋の上で舞うっていう。
それでその舞を踊って、能が終わるっていう物語はそこで全部終わるんですよ。
この先ないんですよ。
ただその獅子は、そのお坊さんだったり世の中を祝福するみたいな感じで待ってるんですよね。
それで物語が終わるっていう、今思うとすごいしりきれとんぼな感じの物語思うんですけど、
それで舞いたくなっちゃうっていう、自分の祖父とか思い返して、すごく僕は影響を受けた感覚があって、
それをたぶん横浜に移って、パリポッタ読んだときに、自分が追体験したような。
たぶんあのときってマジで、物語に出てくる魔法を全部記憶して、
杖でどう振るのかとかも全部覚えたりとかしてたんですよ。
みたいなものは、もしかしたら祖父のものを反射して訳したかもしれないし、
そういうふうに助けられた。それで結構僕、横浜で生きるというか生活するのが楽しくなった感覚があるんですよね。
そういうのが僕の中でも強い体験の最初の頃のものとしてあるんだなぁみたいなことは、ちょっと今初めて思った気がしました。
なるほど。なんか本って、読んで精神的に救われるっていう感覚は言われがちかもしれないけど、
結構物理的な変化を起こしてくれるものな気もしてて、
美味しそうなご飯のシーンで本当にお腹が鳴るみたいなね、読んでて。
あー、はいはいはい、確かに確かに。
本当にやっぱり臨場感ある文章とかにあると、本当にこっちも息切れしてきたりとかね。
変化すら起こることってあるなーってずっと思ってて、実際ね、読んでる人が踊り始めちゃうとかね。
だから、救われるっていうのがなんか、ただただ心が救われるだけじゃない、なんかもう一歩フィジカルな感覚が上乗せされてそうな気がして。
なるほどー。でも確かにそうですね。
うんうん。
あー。
なるほど。
すごい大変だったのねー。
面白いな。やっぱりそういうのが、今僕が話したやつが、
本質的に僕がこういう取り組みをしたくなる、絶対に根本化っていうと、もうちょっと奥があるのかもしれないなと思ったりもするけど、
今の現状の僕の認識としてはそこら辺にあるような気がしていて、それがなんか僕にとって変えがたいというか、なんかすごく大切なもの。
だからこそ、ある意味それを共立させようとした時に、やっぱ本屋さんとかってあんのかなっていうのがパッと出てきた感じがするし、
それの派生系というか、それを意味を広げた時にポッドキャストっていうのがあって、なんかそこが繋がってんだなーみたいなことを今改めたら感じたような気がする。
はいはいはい。
そうだよね、さっきその恩送り的な気持ちもあると言ったけど、
あーはいはいはい。
最初の原体験の救われた感覚を、やっぱ同じようにちょっと辛い状況から同じように救われる人がいたらいいなって、そんな気持ちもあるですかね、北村さん。
そうですね、たぶん辛い状況からっていうところもあるし、
辛くなかったとしても、なんかより、この本があることによってより楽しくなっていくみたいなとか、よりポジティブになっていくみたいな感覚がたくさんあるよなーって思ってる。
で、うん、なんか今よりもより、なんかちょっとプラスワンするみたいな。
うんうんうん。
うん、わからない、プラス0.1かもしれないけど、なんかそういうのがやっぱ本にはあるのかもなーみたいなことをちょっと思うなーって感じました。
いやー、あると思います、ほんとに。
なんか、あー俺の話はいいか。
あー、でも出てきて。
いやいや、すぐ思いつきを喋りたくなっちゃうから。
いや、なんか、本ってこう、読んだけど、めっちゃくちゃ良かったと、すげー感動だった。
でも、あれこれ1回目のとき喋ったっけ、ちょっと記憶ないんだけど、内容が思い出せないときってあるんだよね。
あー、うんうんうん。
助かれてめっちゃ良かったのに結末覚えてないとか。
ほんとにあって、でも、それって覚えてなくても、自分の血液の中に流れてる気がしてて。
はいはいはい。
乗り込んだ物語がね。
うんうんうん。
で、その物語のシーンとかと近い人生の場面とかが訪れたときに、ずっとその、蘇ってくるというか、その時が来るまで忘れてたんだけど、
はいはいはい。
そこで初めてこう、力肉になるみたいな感覚がある。
そうそう。だから、読書は読んだ瞬間に救われるだけじゃなくて、やっぱり読み溜めておいたものが、未来の自分を救ってくれることもあるんじゃないかなとかって思って。
あー、なるほど。
そうそう。
あー、その時はわからない、受け取れてないけど、っていうのがあるのか。
あったな、なんか印象深かったなー、ぐらいな、かもしれないんだけど、時間が経ってから、あれ、なんか、あの時の本のシーンが今自分の人生にやってきたみたいなときに。
あー、なるほどなー。
やりそう、それ。
なるほどね。
分かりましたね。
うんうん、確かにね。
ゆうやさんはその問いを今自分自身に跳ね返してみるとどんなことを感じたりするんですか?
あのね、そう、久しぶりに思い出してその問いを、貴様との話。
で、そういえばあの時には思いついてなかった一つ、今見つかった。
何なんですか?
このポッドキャストを容赦するわけでもないんですけれども、
はいはい。
シンプルで、人とホーム話をすること。
あー。
で、昨日ちょうど同僚と飲んでて仕事終わりに。
で、その時に共通のね、あの本めっちゃいいよねって話をしてたら、やっぱりその本を読みたくなったんですよ。
次読み返す本それにしようと思ってるんだけど、だからすごいシンプルで、人と本の話をすれば本は読みたくなるんじゃないかっていうのが。
なるほどね。
面白い。
で、だからこそ本、直接対話じゃなくてもこういうポッドキャストを聞いてその対話に入っていくことで、それも本に関するコミュニケーションだと思うから、
このポッドキャストがきっての本への喜びを取り戻させるパワーが備わってるんじゃないかなって思って。
いやー、なるほどな。
いやー、さすが先輩っすね。まとめてきます。
でも全然。
なるほどな。でも確かに人と本の話、でも人と本の話ちゃんとするって結構難しいっすよね。
僕も結構思ってるかも。
どういう難しさですか。きたむが思うと。
難しいって言ってたのは、例えば昨日りみやさんが同僚と飲んでて言ってたじゃないですか。
僕も昨日、東京のゴタンダでオフィスで同僚と10人ぐらいオフィスで飲んでたんですよ。
ただ、じゃあその場で本の話をするかっていうと一切しない。
なんかの笑い話をしてるか、よく記憶に一切残らないようなしょうもない話をしてるか、仕事の話をしてるか。
仕事は僕別に直接的に本のことは別に扱ってないので、
本の話をするっていう機会は多分僕同僚とほぼほぼ一切ない。
そうなの?意外だな。
もちろん途中途中のちょっとした雑談のときに1対1で稀にちょっとあり得るとかはあるかもしれないけど、
何かそこでめちゃめちゃ話すかっていうと、そんなことは全然なくてのは思っていて。
なんかその飲みの場で話すみたいなことを聞いた瞬間に、結構なんかやられてないかもなって思ったっていう。
そっか。あれか、なんか俺が北無と飲むときは結構この話が出てくる気がする。
そりゃそうっすね。今年前半だっけ、どっかでユウヤさんとユウヤさんの会社の近くで飲んだときとかはひたすら本の話はした気はするんですけど。
やっぱりその本の話をするよね、できるよね。
なんか共通の趣味というか共通の言語体系として話せるよねって思える相手だったらもちろん話せる。
そういう相手が普段会う全員ではないっていうところなのかな。
今の僕が言った難しい意見したのって。
なるほどなるほど。
まあそうではね、どの飲み会でも誰とでも話すかと言われたらそんなこともないかもしれない。
だから定期的に読書の喜びを取り戻したければ定期的に本の話をできる仲間がいるといいのかもね。
なるほどね。そう思うとなんかあれですね、やれるのかよくわかんないけど、
この番組とかを聞いてくれてる人とかは誰かと話すという機会じゃなかったとしても、
僕たちが話してるみたいな話を聞いてることを聞くことによって間接的に話してるような感覚になってくれたりすると喜びみたいなものがちょっとばかし出てきたり取り戻すみたいなものがあったら嬉しいかもなって思ったのと、
でも今の自分の環境ってそういう人が周りにいないんだって全然あり得るじゃないですか。
僕も全然あり得る気がするし。
そういう人が普通に集ってちょっとおしゃべりできるというかそういう話ができるみたいなのがあって、
なんかすごい大切なんだなって思ったし、そういうのがもしかしたら、
このPodcastとかわかんないけど、僕自身が将来的にやるかもみたいな本屋さんとかってそういう様子とかって結構大事なのかもなってちょっと思ったりしました。
はいはいはい。それ面白いかもね。本屋さんって結構静かというか、
例えば服屋さんだったら店員さんがすごい話しかけてくるじゃん。
はいはいはい。
お客しますかとかさ、本屋さんって基本的に声かけないと思うんですよね。
でもそうじゃなくて、結構気軽に本の話ができちゃう本屋さんだとか面白いかもね。
確かにな。
なんかアパレルショップのようにすごいしょっちゅう来られるとちょっと嫌かもしれないけど、
でもあれですよね。自分からちょっと話したいなって思った時に周りに話せる人がいるかっていうと、本屋さんって一切ないから。店員さんですら結構難しいよな。
忙しいしね。
忙しいですよね。そうですよね。
いやー、そう思うな。なるほどね。ありそう、それ。
キタムが本屋やったら、キタムは常にフリー。いつでも話してる。
そうなりますよね、そうなりますよね。
決済系は全部自動化すればできなくはないかもしれない。
なるほどね。
でもあるよな。例えばあれですね、他に。完全に予約制の本屋さんみたいなのって今あったりする。
なんか前、しあがた書店やってる仲間と話してる時に、そういう人がいるのよって教えてもらって、今度は行ってみたいなと思ってる。
多分東京にいくつかあるような話を聞いて、完全予約制だから予約してそこに行って、その店員さんが一人で隅っこにいて、あと自分一人だけみたいな。
もしかしたら間接的に話しやすくなってたりするかもなって今想像したりしましたね。
うんうんうん。
完全に予約制でどうやって採算になっちゃったんだ。
リアルな話。
すみません、結局時間がすごいオーバーしまして。
全然気にしなかった。
楽しかったな。なるほどな。
なんかあれですね、番組であることを完全に忘れて普通にタメ語でいっぱい喋っちゃってました。
全然全然。
大丈夫ですか。
そういうのがいい。ラジオだからってなんか洋々しくというかカチッと話すとかをしちゃうと多分逆にさっきで言う喜びから離れていくとかあるのかもなって思ってましたね。