っていうような気がしますね。
なるほど。すごいですね、小学生の時になんかそうやってメタで自分が置かれてる環境ってそんな風に見たことはなかったから。
なかったな、私も。日本の小学校ですよね、ゆみこさんは。
そうですね。私大学院まで日本になんで。
同世代の友達から、例えばどんな風な学びだったかとか、なんか覚えてることありますか?
例えば、よくアウトドアの野外キャンプに行かされてて、
うん。
辛いんですよね。なんかすごい楽しいんですけど、私どこかイントラバートな内向的なところがちょっとあって、他の人と一緒に、例えばみんなでボートを漕いでキャンプに行くとかも怖くてやりたくないんだけれども、
でも行ってみると、なんか他の人と一緒になんかやったり、他の人がやってることを真似したりしてると、できるようになるっていうことをすると、なんか成長した、できなかったことできるようになったっていうのを感じていて、
で、あれは自分一人では怖くてできなかったけど、他の人がいたからできたなみたいなのが感覚があったりとか。
うん。すごい。
なんかすごいですね。その自分の成長したなって意識するっていうことを、私はその年頃の時したことがなかった気がして、同じような多分体験をしてる。
今振り返ると、例えば文化祭とか体育祭とかで、一緒にそれぞれの強みを補い合いながら何かをやって、振り返るとそれが自分たちの成長につながってたと思うんですけど、
学びの体験というフレームで私は捉えたこと全くなくて、ゆみこさんはこういうふうにこの体験の意味付けとか、この体験で得たものとかを整理する。
そういうことをすでにその時からされてたから、ラーニングが。
すごいナーディーだったんですよ。ゆっくりで考えてる時間が長すぎたんだと思います。
いやーすごいなー。ピアラーニングのネイティブって感じですよね。
そうそうそう。ネイティブネイティブ。
自然にその環境の中にさらされて、もう当たり前にピアラーニングをしていたっていう感じですね。
当たり前にピアラーニングという概念を実感として習得していたって感じですよね。
トモコさんは今のお話のされ方だと?
文化祭とか、それは中高生ぐらいの感覚ですか?
そうですね。チームベースでやることはいっぱいあって、中高時代。
なんか学んだっていう、それこそ経験学習みたいなサイクル回してたことは全くなくて、
目標があって、汗かきながらみんなで到達して、到達した後はすっかり忘れて、次の道にみたいな感じで、
なんか全然人間として自分が成長したとかそんなの全く考えなかったので、
私はもうピアから学ぶとか、先生とかその権威の前にいる人じゃなくて、
横にいる人が自分にとって気づきをくれるんだって気づいたのは相当後の方ですね、大人になってから。
なんかそれを聞くと、結構私のいた環境にいた大人が、
自分たちが合ってると思うなみたいなことをすごい言ってきたっていうのはあるかも。
今思い出したのが、バレーボール部のコーチがいつも、
俺が言うことで納得しないんだったらやらなくていいってすごい言われてて、
チーム感でみんなで考えて、みんなで話し合って、
これは自分たちの役に立てて、
ずっと思ったらやるみたいなことをやれみたいなことをすごい言われてて、
いつも大人を見てればいいって言うんじゃないんだな、
自分の周りでみんなで考えて、みんなですることが大事なんだな、
みたいなのはその人にすごい教えられたような気がする。
素晴らしい。
えみさんはどうですか?
私は本当に孤独な人生なので、もともと一人っ子ですし、
仲間の存在っていうのはあんまり経験してないんですよね、そもそも。
学びどころか。
なのでチームとかも得意じゃないし、
本当一人で考えて、一人でやって、一人で完結するっていう感じだったんですね。
なんでピアラーニング、ピアの存在を意識したっていうのは、
本当に留学して、大学院でTESOLっていう英語教育のプログラムに入ってから、
周りに英語の先生、同じような境遇の人たち、同じような興味の人たちがいて、
あ、一緒に考える。
ってこういうことかっていうのを初めて体験してた感じですね。
その頃って同時にね、それこそデュイとかピアジェとかビゴツキとか、
そういう理論も入れながら仲間と一緒にやるっていうことを実践していくっていう、
そういうので初めてピアラーニングを知っているっていう感じなんで、
ネイティブとは全然違う学び方ですね。
そうですね。本当にゆみこさん、おそらくおっしゃるように、
周りの大人が主体性、あなたが周りのものすべてを学びのきっかけ材料として、
頑張れ!みたいなサポーティブな環境を作ってくれた中で、
内向的な人もいれば外向的な人もいたかもしれないけれども、
みんながネイティブに周りから学びを紡ぎ出す筋肉を、
若い時から鍛えられていたんだろうなっていう、
なんかこの今2対1で何かそこが違う気がしていて、
エミさんみたいに、私も理論を後で、
載せたのはあるんですけど、
そのちょっと前に、
集合研修の設計とかをやる側になった時に、
ああ、この人たち横から学ぶのすごい重要、
むしろそれが全てじゃない?みたいな思ったことがあったので、
理論を知る前に目撃して、
ああ、この20人のために前に登壇できる唯一の先生とか権威っていないんだな、
みたいに思って、
もはやファシリテーターというか、ネタをちょっと投げて、
その投げたものに対して自分たちで横で、
学び合ってもらう、
っていうのが一番この人たちにはいいんだな、
っていうのを見た時に、
横から学ぶっていうのは、
特に経験豊富な大人とかあるんだな、
っていうところから入ったんですけど、
大学院に行ったら、
ああ、なんだ、もう経験とか関係なく、
5歳とか3歳とかでも横から学ぶって全然あるね、
みたいなのは、
後で学んだっていう感じですかね。
いやー、私は理論からしか入れなかった気がするんですよね。
仲間から学ぶ必要みたいなものを考えたことがなかったし、
自分一人でできてるつもりで、
いたので、
もしかすると先生っていう立場って、
そういうふうに自分を仕向けないと、
教団に立てないみたいなところがあるかもしれないんですけど、
教室の中ではそれぞれが一人なので、
自分で立たなくちゃっていう意識がすごく強くて、
理論から入って、
これが学びには重要なんだよって教えてもらったから、
ようやく恐る恐る仲間の方を見るようになってきたっていう、
そういう気がしますね。
私今思い出したのは、
今の話を聞きながら、その2つを全く違う単語で私は思ってるなって思ってて、
それもなんか自分で気づいてて面白かったんですけど、
1個目の表現しなきゃいけないじゃないですかっていう話は、
私の中ではモチベーションとアカウンタビリティの世界だと思ってて、
人がいるから伝えたくなるとか、
人がいるから伝えなきゃいけないみたいな行動を喚起するためのエッセンスが1つと、
もう1つの想像、
イマジネーションってゆみこさんが言った単語は、
私の中ではサプライズとか、
自分の前提をグラッとさせられる、
刺激が投げられてくるっていう2つを私は思っていて、
全然違う単語をゆみこさんは使ってる。
ちょっと似てる世界の話かも。
その2つが私も全部終わりか分かってないんですけど、
想像感、やっぱりゆみこさんの世界観を作って学ぶとか、
私とゆみこさんのスタイルの違いみたいなのが、
このキーワードの選び方でもあるなっていうのを聞いてて面白かった。
すごく分かりやすい。
でも多分起こそうとしてるプロセスはすごく似てるところがあって、
作りながら学ぶっていうのも、
なんで作るってことなのかなっていうことをすごく考えてて、
私はプログラミング教育の研修とかもするので、
プログラミング教育の専門の人たちに比べると、
私はもう全然専門が追いつかないし、
違うんですよね。
やっぱりプログラミング教育は作るためのメソッドで、
作るってこと自体も1つのメソッドで、
作ることによって表現することができるから、
作るって言ってるけれども、
いわゆる作るっていうことじゃなくても、
表現するってことってあるのかなと思うし、
そういう研修の世界とか、もっとビジネスの世界とかでも、
似たような感じで、内面で抱えてることを外に対外化する。
そのための図とか、そのための言語っていうのがあるんだろうなっていうのは感じるので、
なんかそういう繋がりなのかなと思ったりします。
えみさんはこの2人の話を聞いて、今どういうことを思ってますか?
なんかまだまとまってないんですけどね。
多分2つあって、1つはゆみこさんが最初におっしゃったこと、
2つに近いんだけれど、何かこう具体的になっていく。
特にそれが、例えば技術だったり知識だったりを見たりしたときに、
あ、自分はそのやり方好きだなとか、それはやらないなとかっていう壁打ちをすることによって、
自分の考え方とかを具体的にしてるなっていう部分があるんですね。
もう1つは、ティアってやっぱり専門とか興味とか、近い人たちっていう印象が私はあるので、
近いからこそ、
こそ、絶対的に相入れないものが逆に出てきて、
そこのところで自分の考えに対してチャレンジしたり、
自分にはなかった視点をもらって視野を広げていく。
そういうことはあるかなというふうに感じてましたね。
うん、分かる気がする。
そのティアっていうのは、そこがちょっとコミュニティと違うのかもしれないけど、
コミュニティより実はティアの方が広い言葉なのかなと思うんだけど、
自分の…
同じ人たちだけじゃなくって、自分にチャレンジすると自分と違う考えを持つ人、
コミュニティってもうちょっと何かしらの共通点を持つ人が集まるっていう感じがするけど、
それはティアが煮詰まったようなものなのかもしれないけど、
ティアっていうともうちょっと広い概念というか、いろんなティアがいて、
私も研修でよくティアラーニングって言っても、コラボレーションするだけじゃなくって、
その人がやったことを見て同調して真似してみるっていうのもティアラーニングだし、
反面教師になるっていうのもティアラーニングだし、
とかそういう話をするんですけど、
なんかそういう意味で本当ティアっていうのは実はすごくいろんな人がいて、
その人にチャレンジしてもらうことによって自分の考えとかが磨かれていくというか、
ここは分かるなっていう気がしました。
メタで言うと、この3人の今日の学びの仲間の対話もある意味ティアラーニング中って感じですね。
そうですね、本当にバックグラウンドと違う感じが。
ね、そうですよね。
コミュニティっていう感じでも今ないし、それぞれバラバラなところに。
結構ティアで学び合う。
なるほどな。結構今まで抽象的な話をしてたので、
なんか具体で、実際に今の仕事でティアラーニングってそれぞれ生活にどんな形で存在しているのかお伺いしてもいいですか。
やっぱり私、ものづくりそのものがティアラーニングのためのプロセスだなってさっきもちょっと言ったんですけど、
すごく思っていて、なんで作ることがいいのかっていうと、
ものを作ることによって自分の考えとか自分の理解とかが全部具現化されて、
具現化されてたなぜティアラーニングがいいのかっていうと、
具現化されてたなぜティアラーニングがいいのかっていうと、
具現化されてたなぜティアラーニングがいいのかっていうと、
それが他の人に見えて、他の人と一緒に学べるようになるからって、
やっぱりティアで学ぶためには何かしらのアウトプットが必要で、
そのアウトプットをさせる仕組みとしてのものづくりっていうのがすごくあるなと思っていて、
でもそのアウトプットするってすごく難しいことだなっていう気もしてて、
すごくそれがナチュラルに出る人もたくさんもちろんいるんですけど、
私たちの学校教育とか、多くの人の経験とか、家庭とか、あと文化的なものもすごくあると思うんですけど、