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経営コンサルタント 中井隆栄の幸せな成功者育成塾。
この番組では、18歳で起業し、6社の社長を歴任した実業家出身の経営コンサルタントであり、
自ら経営塾を主催する中井隆栄が、これまでに1200人以上の経営者の方々の経営相談・人生相談に応えてきた、
農科学・心理学とマーケティングを活用した独自のノウハウで、
ビジネスと人生のバランスの取れた幸せな成功の実現をお手伝いします。
中井隆栄経営塾よりお知らせです。
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リスナーの皆さんこんにちは。経営コンサルタントの中井隆栄です。
今回も前回に引き続き、キクタス株式会社代表取締役でプロインタビュアーの早川陽平さんを迎え、
私、中井隆栄のインタビューをお届けしたいと思います。陽平さんお願いします。
よろしくお願いします。
2週にわたって先生の人生に欠かせないものということで、本と音楽を伺ってきましたが、
今日はちょっとガラッと変えて、この質問を先生にぶつけたいと思います。
中井先生の人生最大のタイミングポイントを1つ挙げるとしたら何でしょう?いきなり迫ります。
そうですね。18歳の時にレストランビジネスで起業したのが、自分の人生の中では一番インパクトがあって、
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それからその時の苦労した経験と成功体験が、そこから後の自分の人生の全てのベースになっていくと思うので、
一番と言われたらそれかな。
でもね、これ聞いてる方もそうですし、僕ももちろん先生が18歳で起業っていうのは、
ある意味プロフィール的には知ってますし、今までもさらっとお話を伺ったことはもちろんあるんですけど、
やっぱりこうやってね、ガッツリ伺ったことないので、今日いろいろお話を伺いたいんですけど、
でもそもそも18でっていうことは、高校卒業してすぐ…
大学1回生のですね。
それは改めてどういう経緯でそういう風になったんですか?
それはね、これもね、おじいちゃんの教育なんですよ。
おじいちゃんの教育でね、おじいちゃんはもともと不動産屋をやっていて、
で、うちの親父が飲食を始めたんですよ。
で、おじいちゃんがね、うちの親父、長男なんであとといなんですけども、
大学1年の時に、自分が持ってる不動産の小さいビルがあって、
で、うちの親父にね、お前ここでね、自分で商売しろと。
で、お前これから社会に出て、プロとして商売になっていくあたり、
経験を積む必要があるって言って、おじいちゃんが親父に店をやらしたんです。
で、親父その時に、クラシックが大好きで今でも大好きですけど、
すごいレコードのコレクターなんですけど、
クラシック喫茶ね、名曲喫茶っていうのがね。
あったでしょ、昔。今でもあるけど、喋ったらダメなやつね。
喋ったり本読んだりしたらダメなやつ。ちゃんと曲聞かないといけないやつ。
それを大学に通いながら、おじいちゃんにお金出してもらって作って商売やったんです。
やっぱり大学に通いながら作るんですね。
そう、第一年生。
へぇー。
それで、これは仲いいけんの教育方針だからって言うんで、
ある日大学入ってしばらく、初め単位登録したりとか何やかんや、
よくわからないしどういう仕組みになっているのかわからない時に、
何回も呼ばれて、そういう風に呼ばれて、
ちょうど、うちがやっている店で赤字で締めようっていうところがあって、
そこを、お前にゼロから全部任せたらやれって話だった。
あ、飲食店。
飲食店、飲食店。
飲食店、飲食店。
ゼロからって言っても、今赤字で言ったので、ある意味マイナスからですよね。
マイナスからですよね。マイナスから。
マイナスからで、その代わりに運転資金に2000万。
おぉー、すごいな。
銀行から借りてくれた。
当時はまだバブル前ですから、銀行借りてくれ、借りてくれなんで、
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親父がね、僕の名前で借りてるけど、親父が保証人ですから、
いくらでも反抗しますよね。
で、その通帳を2000万という、ゼロが2の後に7つ付いてるわけよ。
見たことない数字の通帳を渡されて、もう楽勝と思ったんですよ。
楽勝って、ビビるとか楽勝って感じなの?
うん、楽勝。で、僕は中学2年から親父の店でバイトをしていて、
5年間ホールもキッチンもやってるんですよ。
で、いろいろオペレーションとかも分かるし、バイトどういう風に教育したいとかも分かるし、
まあ、もう楽勝と思った。
ところが、1ヶ月目ね、あれほど人生でショックなことはなかったね。
経理から1ヶ月の市面の損益計算書が回ってきて見たら、なんと240万赤字なんですよ。
結構大きいですね、いきなり。
いきなり240万赤字なんで。で、2000万を割ることの240ですから、
8ヶ月で資金ショートだよね。
それもすぐ計算したんですね。
そう。うわーと思って、そこからそれまではバイト君たちも仲良くやろうねみたいな感じでやってたんだけど、
これダメだと。ちょっともっと切り詰めないととか、もっとこれこうしないとみたいな風になったんでしょうね。
で、お客さんはそこそこ来てたんだけど、要はもうバイトがルーズで仲良しのお客さんとか友達とかには
なんかすごいサービスしてメニューに無いもの出したりとか、
ルーズなんですよ、とにかく。そういう原価管理みたいなやつ。
で、その原価率がむちゃくちゃ高いわけ。
それを直してっていうことで言うんだけど、その当時のコックさんやった人が、
そんなね、ごちゃごちゃ言うんだったらもうやめるみたいなんで。
職人みたいな感じの方なんですか?
職人、職人。割と腕はいい子だったんだけど。
3回包丁突きつけられたからね。殺すぞって言われて。
すごいな。
そのぐらいキッチンとはしょっちゅう揉めてましたね。
そうすると何が起こるかっていうと、僕一人が孤立して、僕対店のスタッフみたいな。
結構辛かったね、あの時期で。18か19になったぐらいかな。
逃げ出したりとか、お父さんに謝ってやめたりとかなかったんですか?
それはないね。成功イメージしかないから。
すごいな。
で、僕が何をやったかっていうとね。
いつもコックがね、そしたら辞めてまた次のコックが来たんだよ。
それもまた同じことなんだけど、結局コックさんがいないとレストランなんで店が開けないんですよ。
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そうですね。
俺が辞めたらどうなるか分かってるなっていうのがあるわけ。相手にね。
小さい店だからコックさん一人とアシスタントのバイトなんですもん。
ちゃんとしたコックさんいないとレストランなんでできないんですよ。
で、僕は何を考えたかっていうと、最悪ね、全員コックさん辞めても
僕が料理できたら店開けられると思った。
なるほど。
だから学校ほぼほぼ行かないで、コックの修行に朝行ってたんです。
それまでは全然料理したこともなかったみたいな?
したこともないですよ。
想像つかない?
したこともないですけど、朝ね、知り合いでね。
東京のご縁で繋がった京都のフレンチのシェフの人がいて、
その人に事情を話したら、じゃあ俺がちょっとしばらく教えてやるからっていうんで
見習いで入れてもらったんですよ。
で、ランチの仕込みするね。
で、ランチが11時から開けるから、お店に10時には入らないといけないですよ。
で、そこから仕込みしてやるんですけど、そしたら学校行けないの。
で、1日ね、キャベツをどのぐらいかな千切り、だいたい10個ぐらい。
10個ぐらいキャベツ千切りするんですよ。
で、検証会になりますよ。
で、それしかさせてくれないし、初めね、修行だから。
キャベツ切るのはうまくなったけど。
で、フレンチはね、もうダメだと思ったのは、
なんでダメだと思ったかっていうと、
フレンチのお皿に料理が乗ってて、ソースがシュッシュッとこう書いてるみたいに乗ってるやつあるじゃないですか。
あれって、だいたい5日から7日ぐらいかかるから作るの。
どんどん毎日煮詰めていくの。
だから高いの。
そんな簡単にできるわけじゃないんですかね。
できないできない。
なんであれを、材料を入れて煮込んで、
で、冷まして、冷蔵庫入れて、
で、次の日また来たらまたガスかけて、それにワインとか入れたりしながら煮詰めていくのよ。
これは高いですね、その判定でいくと。
うん。だから、最低でも今今日さ、
仕込もうというやつが店に出るのは5日後なの。
で、その日にかけてないといけないから、
ガスの火をかけっぱなしで、
人が無人ってわけにはいかないでしょ、ガスの火だから。
誰かついてないといけない。
ずーっとキャベツ切るのとガスのスープもバーンしてるわけ。
それしか仕事になれない。
これはもうね、俺は無理と思って辞めました。
すいませんって言って。
そこはちゃんと判断したんですね。
で、イタリアに行ったんですよ。
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イタリアは何がいいって、
今作ったやつがすぐ食べられるよ。
で、そこで、
イタリアは何がいいって、
今作ったやつがすぐ食べられるよ。
もちろんイタリアも手残ったスープとかありますよ。
あるけど、全部が全部そうじゃないし、
基本的には塩と胡椒とレモンとオリーブオイル、
この4つがあれば何でもできるから。
そうなんですね。
この4つさえあれば、もうどんなもんでもできる。
これにバルサミコがあったらもっと奥行き深くできるし。
で、これイタリア習いに行って、
で、やっぱり国産と揉めて、
3人目も喧嘩してやめて、
で、しょうがないから僕がしばらく、
1年ぐらいかな。
1年ぐらい厨房入ってましたね。
1年って割と入ってますよね。
うん。
イタリアンは今でもそこそこ作れるし、
あとね、まかない作るのむちゃくちゃうまいよね。
あーもうなんか話聞いてたけどお腹空いた。
まかないってね、結局ね、
残ってるもんで作るから、
その日に何が冷蔵庫に残ってるかっていうのは、
わからないわけですよ。
で、それで考えて作るから毎回クリエイティブで。
確かに。
僕ね、味見しないんですよ、基本的に。
え、なんでしないんですか?
んー、いやなんか、
インスピレーションなんで、
大体の感覚で大体この味、
これとこれとこれとこれを組み合わせて、
この味になるっていうのがわかるんで、
途中で味見しない。
それはでもそれこそ習って覚えるもんじゃないか。
やっぱりそこは先生ご自身で。
トレーニングですよね。
やっぱりセンスみたいなところなんじゃないですかね。
そういうのもあるかもしれないね。
うん。
だから、子供の頃からうち実家レストランなんでね。
あーそうか。
そうそうそう。レストランが、
自宅からね、歩いて5分ぐらいのとこにあって、
で、ちっちゃい時暇じゃない?
友達と遊ばない時とかね。
暇じゃない?
レストラン行って必ず厨房入って、
厨房の中で遊んでた。
渋いですね。
子供の時幼稚園とか小学校の、
低学年ぐらいの時かな。
そこでやっぱり、
レストランなんでうちにない調理器具とかね。
見たことないものがあって楽しかったわけですよ。
それだとかなり影響されてると思うね。
うん。
そして、だから1年厨房にも入って、
そのままコックやろうなんてことはもちろん思わなかったわけですよね。
思わなかったね、それはね。
そこからどう展開していく?
あのね、そうそう。
それでね、すごいね、成長したのかね。
成長したの。すごい反省して。
反省。
要は、3回包丁突きつけられて、
もう辞めるって奥さん辞めたから、
それは俺が悪かったと思うよね。
その、自分が料理勉強して、
厨房入って分かりました。
すいませんでした、みたいな。
それが何かというとね、
当時ね、高島屋さんの近所にあるんですよ。
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街中に、その店がね。
高島屋さんの販売員、ハウスマンが
結構来てくれてて、
女性多い店だった。
はい。
で、その時に、
レストランって毎月やるとこもあるけど、
うちはさすがに毎月やってないから、
四季でね、
3ヶ月に1回、
季節メニューっていうやつをやると
言えるわけですよ。
春メニュー、夏メニュー、秋メニュー、冬メニュー、
その時の旬の素材入れて。
それの試食会でもあって、
だいたい3品のメニューに載せるのに、
やっぱ10から15品ぐらいは
作ってもらわないといけない。
試食して、
原価もチェックして出すんですけど、
その時に、
こっちは素人で分からないから、
そこまで、
せっかくコックさんが作ってくれたやつを、
なんかちょっとセンスないな、みたいな。
もうちょっと、
うちの来てるハウスマンの若い女の子たちが、
なんか好むような、
そういう味付けにしてくれない、みたいな。
抽象度高すぎですよね。
何言ってもこれ、うーんとか言って、
やってたから、そりゃ怒りますよね、
プロで一生懸命作ってるのに。
それが自分で料理が作れるようになって、
キッチンに入るようになって、
そのキッチンに入ってる気持ちも分かったし、
あとはその指示がね、
バルサミコがあと2ダッシュ足しといて、
とかそういう、
具体的な指示が言えるようになった。
ああ、そっか。
ようでは感覚というかね、
女の子に受けそうな味で、みたいな。
そうじゃなくて、これは、
バルサミコがあと2ダッシュね、
2ダッシュか2振りね、
足りないって、分かる?
もう舌が分かってるから。
これもうやってみてって言って、
これがね、
すごい自分の中で、
なんていうのかな、
人生の大きな経験で、
やっぱりその、
なんていうのかな、
相手の立場にならないとやっぱり、
お互い人間同士だし、
プロ同士、
僕は半分は間違ったかもしれないですけど、
やっぱりその、
なんていうのかな、
お店なんでチームで回していかないといけないし、
その前にチームって
一人一人の子だから、
一人一人を尊重するっていう話と、
やっぱりそのコックさんっていうのはね、
シェフっていうのはプロで、
やっぱりプライド持ってるから、
それだけのことを、
僕が高校とか中学行ってる間に、
料理学校行ったり、
どっかで修行したりとかして、
プロとしてずっと何年もキャリア積んでるわけじゃない。
だからその人たちはやっぱりそのプライドも
理解しないといけないし、
そこが尊敬に値するところだと思うし、
そういうふうに、
人のことが、
目線じゃなくて、
人の立場っていうか、
気持ちっていうか、
そういうのがね、
初めてそのことで、
3回対面にあって、
18:03
成長、
すごいそこで成長できたような、
感じがしますね。
でも逆に言うと、
今先生がおっしゃって、
ある程度分かったって言った時も、
まだ21とかそんくらいですか?
21ぐらいね、
20歳か21歳ぐらい。
だから結果的に普通はそれ、
下手したら僕なんかまだまだですけど、
社会出てからね、
ほとんどじゃないですか。
それがもう20歳そこそこで全部、
そういう意味では経験してみたら、
やっぱ大きいですよね。
大きいですよね。
結局レストランビジネスでも全部人なんで、
お客さんも人だし、
従業員も人だし、
サービスするのも人だし、
料理するのも人だし、
なんていうのかな、
その業者さんをね、
すごい大事にしてたね。
それは覚えてますね。
そのことで、
気づきがあってね、
人それぞれの立場があって、
気づきがあって、
やっぱ尊重してあげないといけないなって、
業者さんに偉そうにする人とかいるじゃない。
僕はすごい親切にしてたし、
社員旅行に行ったら、
必ず担当の配達してくれる業者さんに、
お土産あげたりとかしてたから、
そうすると何が起こるかって、
何かね、
何か急にブームになって、
みんなが欲しい欲しいって、
在庫切れになったり、
欠品になったりする商品とかあるんですよ。
年に1回とか2回とか。
僕は、
そういうふうに業者さんを大事にしてるから、
その時に、
例えば注文が100個来て、
在庫が20個しかないと。
そしたらやっぱり、
普段からお世話になっているところの
20個を届けますよね、
人の気持ちとして。
人がいないようですけど、
当然後ろにいるわけですよ。
そう、そう、そう。
うれしいキャンペーンとか、
お得なイベントとか企画とか、
案内とかも、
まず僕のところに来る。
ずっとやってるから。
それを学びましたね。
今お話し掛かってると、
先生おっしゃってる、
実際に中に入った、
相手の立場を分かって、
一番大きいと思うんですけど、
もう1個お話し掛かりながら、
僕はその、
例えば先生と出会った時、
中井塾もそうですけど、
どちらかというと、
良い意味ですけど、理論派。
理論を大事にしてる。
だからセット力があったんですけど、
逆に今日の、
ここまでの3種のインタビューって、
結構その、
音楽好きだったりとかっていうのもありますけど、
結構直感というか、
感覚的なところもすごいある方なので、
逆、なんかその辺のバランスを、
今の話し掛かってると、
何が大きいのかなと思ったんですけど。
うーん、やっぱ苦労したもんね。
苦労しますよ、そんな。
朝からコップの修行行って、
だから10時に行くでしょ。
だから家9時ぐらいに出て、
10時に行って、
21:00
で、ランチ終わって、
それから閉めて、
で、お昼、まかない食べて、
で、そっから自分の店が、
5時から開くから、
4時に開けて掃除しないといけないから、
そのまんま自分の店に行って、
開けて掃除して、
1時ぐらいになるね。
で、帰って、また次の日朝から、
朝9時に家出て、
修行呼ぶんだから。
もう学生じゃないですね。
そうそう、だから学校ほとんど行ってない。
ゼミと体育しか行ってない。
でもさっきの、
逃げ出そうなんてことは、
もちろん思わなかったって話ですけど、
フレンチからイタリアンっていうところに
転換したことも含めてですけど、
今先生が理論立てて話された、
確かにその通りだなと思うんですけど、
ご自身で走りながら気づいたのか、
やっぱり、それはその後の人生でも
そうかもしれません。
何か機能に立たされたとき、
分岐点があったときとかって、
先生はケースバイケースかもしれませんが、
基本的に相談するタイプですか?
自分で決めるタイプですか?
僕はね、基本は自分で決めますね。
相談はするけど、
情報として相談はするけど、
決めるのは自分で決めます。
その時に、決めるための、
大事にしてることというか、
先生よく聞くんですけど、
決断力とおっしゃってますけど。
そうですね。
大事にしてることはね、
やっぱり最後は、
失敗した時に後悔しないかどうか。
これを言う理由でこれを選んだから、
もし万が一外れても、
それはもう仕方ないって思えるかどうか。
そこをですね、基準はね。
決めたらやるから。
神様じゃないですからね。
絶対ってことは今でもないわけですよね。
ないないない。
失敗しますよ。
立ち直るの早いから、
やったってことはあったかもしれないけど、
同じ失敗はしないから。
本当にこのね、
ターニングポイント一つってことでね、
18歳の企業の話を伺いましたけども、
青岡にもめちゃめちゃありますもんね。
大きな意味で言うと、
その次東京でサーリーマン4年間ね、
修行してそこですごい
柴田良三社長っていう、
お亡くなりになったんですけど、
僕の最初のメンター、
このメンターにすっごい育てていただいたっていう、
それもやっぱ大きなポイントだし、
帰ってきて、
実家のレストランの当時、
14軒ぐらい親父がやってたんですよ。
その親父のレストラン全部ついたっていうのも、
大きいポイントだし、
それからその次に、
あれですよ、親父の弟、
おじさんが不動産の管理会社を
立ち上げたはいいけども、
大赤字でどうしようもなくなって、
病気で倒れちゃって、
それを僕が引き取って、
2年半で黒字にして、
今もう24期目に入ったんで、
20年ぐらい続く、
ビジネスモデルを作ったわけですよ。
それも大きな転機だったし、
あとはそのJCで、
京都青年会議所で理事長をやらせてもらって、
24:00
これも大きな転機で、
すごい成長、
すごいもう、
JCで強制的に成長させられるから、
すさまじい成長して、
すごい成長しましたよね。
あとはやっぱり、
経営コンサルタントとしてデビューして、
本も出して、
講演とかセミナーができるようになって、
中井塾立ち上げて、
それぐらいですかね、
人生のターニングポイントは。
結構たくさんあると思う。
何でしょう、
お話伺いたいんですけど、
最後に今回3回目で伺いたいんですけど、
そのターニングポイントを振り返っていった時に、
共通することというか、
ご自身としてこれだけは
そのターニングポイントでしてきた、
もしくはこれだけは
俺はポリシーでしなかった、
だから今がある、
みたいなことはありますか。
決めたことをやるってことですかね。
決めたことをやる。
決めたらやる。
この会社プロジにしようって決めたら、
プロジにする以外のことは考えないから。
ああ、
シンプルだけどもうそこなんですね。
決めたことを必ずやるみたいな。
そこにいろんな不安とかマイナス要因が
もちろんあるにしても、
もうやる。
決めたらね。
逆に言うと、
これちょっと成功するイメージが始めたら
持てないなってのはやらない。
イメージできないことは実現しないので、
これちょっと難しいなと思ったら
もうやめますね。
でもなんか、
僕ももちろん先生のすべてを知ってるわけじゃないですけど、
先生がされていること、
このポッドキャストもそうですけど、
始めたらまず続けますよね。
うん。
その継続力がやっぱり半端ないな
というふうに思いますね。
決めたらね。
さあ、ということでお話尽きないのですが、
今回第3回ということで
中井先生のターニングポイントを
伺いました。
さあ、いよいよ次回は最終回ということで
最後の質問を用意しています。
また中井先生、来週もよろしくお願いします。
はい、ありがとうございます。
今回の番組はいかがだったでしょうか。
あなた自身のビジネスと人生のバランスの取れた
幸せな成功のための気づきがあれば幸いです。
なお、番組では
リスナーの皆さまからの質問を
ホームページの受付フォームから募集しています。
また、全国各地から900名以上の経営者が通う
中井高芳経営塾幸せな成功者育成6ヶ月間ライブコースに関する情報は
ホームページをご覧ください。
では、またお見にかかりましょう。