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2023-01-15 28:39

今年の抱負を話す回

僕は年始に、今年の抱負、を考えて手帳などに書き留めておきます。

今年はうさぎ年で年男ということもあり、職場の新年会で職員の前で抱負を述べないといけないかもしれない、と思いネタを作っていたのですが、結局は前に出て話すことがなかったので、考えていたネタの供養としてポッドキャストで話しています。

そのほかにも、妄想大百科やニュートンのリンゴなどのコーナーもありますので、ぜひ最後までお聞きください。


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使用しているBGMは、フリーBGM・音楽素材MusMus https://musmus.main.jp

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こんにちは。2023年始まって早いもので、今日1月15日です。
あっという間にね、この1月が終わりに近づいてるなっていう感じです。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去るというふうに言われますが、まさにその通りだなぁなんて思ったりします。
僕はね、毎年その年の抱負みたいなのをね、1月の1日だったり2日だったりにね、考えるんですけど、今年は何か新しいことを始める年にしようっていうふうに思ったんです。
それもあってね、ちょっと休んでたポッドキャストをね、再開したわけなんですが、加えてね、何か資格の勉強っていうのもね、始めてみたいなっていうふうに思います。
年末にはね、来年は気象予報誌の勉強をしたいっていうふうに言ったりもしたんですけど、気象予報誌もね、ごちごち勉強はしていこうと思っているんです。
でもね、まずは仕事でもね、直接役に立ちそうな防災誌、これの勉強からスタートしようかなというふうに思っています。
僕はね、障害福祉の仕事に携わっているので、社会福祉士であったり精神保険福祉士であったり、そういった資格を持っていると、いろいろと仕事する上でね、助けになってくれるんですけど、
これはね、資格を取ろうと思うと1年半、通信の学校に通ったりとかしないといけなくて、お金もね、そこそこかかるということでね、ちょっと中学進学を迎える子どもがいるね、
親としては、なかなかそこまでの出費がいっぺんに出せないというところもあって、今年は一旦断念することとしていまして、その代わりにね、本とかを買って防災誌の勉強をして、その防災誌の資格が取れたらいいなというふうに思っています。
うまくいくかどうかわからないんですけど、ぜひね、応援していただけると嬉しいです。
話はね、少しだけ変わるんですが、うちの職場ではね、1月4日が仕事始めでして、その日にね、出勤している職員なんですけど、一同集まって新年会みたいなものをね、開くわけです。
そこでですね、その年の年男、年女がですね、その1年の抱負を話すっていうね、イベントというか、そういう場がね、設けられるわけなんです。
これはね、各事業所で1名か2名、選ばれて話すわけなんですが、今年はね、うちの事業所から新しく入った方が、その年男だったので選ばれてたんです。
ただね、この方、去年のね、年末からコロナの陽性者になられてですね、お休みされてました。
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で、おそらくね、事業所で休んでるから発表する人がいないっていうことにするんだろうなと思ってたんですけど、
万が一ね、朝僕出勤して、お前年男だから代わりに言えって言われたら、さすがにいきなりその朝に言われたら何も言えないなと思ったので、
1月3日の夜にね、急いでネタを仕込んだわけです。文章とかちょっと作れなかったんですけど、こういう感じで話をしようみたいなネタを作って、
ドキドキしながら新年会に臨んだわけなんですけど、幸いというか不幸というか、名前がね、呼ばれて前に出て話すことはなかったんですが、
若干ね、話してみたいなっていうところもあってですね、なんかその言えなかった、考えたけど発表できなかったことっていうのが、なんかもやもやして溜まっているので、
この場を借りてね、僕の言おうとした新年の抱負みたいなのをですね、供養しようかなっていうふうに思います。
皆さん突然ですが、僕のヒーローアカデミアっていう漫画をご存知ですか?ご存知の方いらっしゃいましたら手を挙げていただけると嬉しいなと思います。
この漫画の中にですね、プルスウルトラっていう言葉がね、よく登場するんです。
でね、このプルスウルトラってどういった意味があるかというと、もっと先へとかさらに前へっていうね意味があるんです。
この言葉の起源は古代ギリシャ時代に遡ります。
スペインとアフリカの間にある地中海と大西洋を分けるジブラルタル海峡の両端に巨大な2つの柱が立っていたそうなんですが、
この柱はね、ギリシャの英雄ヘラクレスによって作られたことからヘラクレスの柱っていうふうに呼ばれていました。
なぜヘラクレスがこの柱を作ったかというと、英雄ヘラクレスに与えられた10番目の難題であるゲイリオンの牛を盗んでくるっていう難題があったわけなんですけど、
その牛を盗んだ時に岩山を引き裂いてジブラルタル海峡を作ったんだそうです。
その時に引き裂かれた岩山を海峡の両端に立てて、ここから先はもう何もないから行ってはいけないっていう意味を込めてネクプルスウルトラと書いたんだそうです。
時代が進んで大航海時代となって、多くのヨーロッパの船乗りが大西洋に乗り出していったわけです。
大西洋の先でアメリカ大陸を見つけたり新天地をたくさん見つけていくわけなんですけど、これによってジブラルタル海峡よりも先に世界がまだあるということがわかったんですね。
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なのでこのネクプルスウルトラっていう言葉の修正というのが必要になってきました。
その時、当時のスペインの国王カルロス1世がネクっていう部分を外してプルスウルトラという言葉を国のスローガンにしたんだそうです。
このスペインのプルスウルトラっていうスローガンは今でもスペイン国旗の中に刻まれていまして、スペイン国旗を思い出していただけると国旗の真ん中あたりに文章みたいなのがあるじゃないですか。
あれ2本の柱が立ってたりするんですが、その2本の柱の中央部にプルスウルトラっていう文字が刻まれています。
と長々と話したんですが、結局何が言いたいかというと、今年はこのプルスウルトラ、さらに先へっていうね、今の自分よりも1歩でも2歩でも先に進める、そんな年にしていきたいなというふうに思います。
こんな内容のことを話そうと思っていたわけです。
ただね、今思うとこれ、人前で間違いなくしゃべるっていうのはかなり難しいなっていうふうに思います。
今回もこれ3回ぐらい撮り直して、ようやくこのクオリティで載せてるわけなので、
一発で多分これ言えないだろうな、神々になって頭の中真っ白になって言葉出なくなってたかもしれないななんてのをね、これをね録音しながら思ったわけなんです。
そういう意味ではね、前に出て話をしなくてよかったのかもしれないですね。
はい、といったところで今週も窓の外スタートです。
それでは今週は妄想大百科のコーナーから行きたいと思います。
今週の妄想は、気象予報誌に合格したら障害特性と気象条件についての論文を書いてみたい。
僕は何度も話をしているかなと思うんですけど、障害福祉の分野に携わっています。
そこでね、知的障害であったり、発達障害であったり、精神障害であったり、そういった方と関わることが多いんですが、
ここでね、なんで急に調子が悪くなっちゃうのかなとかね、思うことがあるんですよ。
特にこれといった原因になるようなことはないのに、調子が悪いっていうことがね、よくあって、
それってね、もしかしたら気圧であったり温度であったり、そういったことがね関係してるんじゃないかなとかね、思ったりするんです。
敏感な方はね、気圧が変わると頭痛がひどくなるとかね、そういったこともあるじゃないですか。
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それと同じようにね、精神的なものも気象条件にかなり大きく左右されるんじゃないかなと思うので、
この辺りを根拠付けて、研究というか論文みたいなものを書いていけたらいいなあっていうふうに思っています。
気象予報士の勉強をしたいなと思ったのも、それがきっかけであったりはするんですけどね。
弱い50を前にね、何を言ってるんだとかね、思われるかもしれないんですけど、あくまでね、これは今僕の中にある妄想なんですが、
嘘から出た誠っていうね、言葉もあるじゃないですか。それに僕の名前誠なんですけど、
これね、ここでこんな感じで妄想だっていうふうに話すことで、もしかしたらそれがね本当になるかもしれないっていうね、願いも込めて今回はね、この話をしてみました。
それでは次はお便りのコーナーですが、残念なことにコメントもお便りも何もなくてですね、ちょっとコーナーできないんです。
ぜひお聞きの皆さん、何かコメントなり感想なりでもいいので書いていただければと思います。よろしくお願いします。
でもね、これで終わってしまったのでは面白みがないかなと思いますので、今週はお便りはなかったんですけど、僕のね好きなことというかそれについて話をしたいなというふうに思います。
僕はね、音楽結構幅広く聞く方かなっていうふうに思います。クラシックからね、ファンクまで結構いろいろ聞いてるんですけど、そんな中でもね特に好きなのがブラームスとですね、日本のロックバンドのブランキージェットシティなんですよ。
この2つはね全く共通点がない、そう思われるかなと思うんですけど、もちろんその通りなんです。何の共通点もないんですけど、じゃあなんでね、この共通点のない2つが特に好きかというとですね、ブランキージェットシティは僕が中学校の頃かな、
イカテンっていうねテレビ番組があって、そこに登場してね人気が出てメジャーというかね売れていったっていうバンドなんですけど、そのねイカテンに初めて出た時の衝撃がすごかったんですよ。
他のねバンドとは纏っているものが違うなって、音楽が違うなっていうのをね、中学生でね、ど素人の僕が聞いてもねわかるぐらいすごかったです。
そんだけすごかったんでね、それからもうどっぷりとブランキーにハマってしまいまして、メジャーデビューした後のねアルバムも全部買ったし、
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ライブもね、その当時なかなか行けなかったんですけど、最後のねラストダンスっていうね、解散前のライブにはね出席したっていうね経緯があります。
解散後もねそれぞれのメンバーはソロとかでね活躍をしていたわけなんですけど、その音楽もねやっぱり聞いているんですけど、
僕の中ではねやっぱりそのブランキーがやっぱり一番だなと、ソロになっていろいろアルバム出したりねされてても、
そのアルバムとかよりもブランキー時代の曲がかっこいいし、いいなっていうふうに思います。
一方ブラームスなんですけど、なんでねブラームスが出てくるかっていうと、これね僕の学生時代の思い出なんですよ。
当時ねちょっと憧れてた方がいてですね、その人がとてもねクラシックに詳しかったんですね。
なんか店とか喫茶店とかね行った時にバックミュージックというか店の音楽とかでねクラシック流れていることあるんですけど、
その人ねだいたいその曲が何かっていうのをパッと言うんですよ。これはベトベンの何々だねとかね。
嫌味に聞こえないような感じ、普通の会話の中でふっとそういうことを言うんですね。
それがねとても素敵で、僕もねこういうふうにあのパッとクラシックのね名前をね言えるようになったらいいなーっていうふうに思ったんですね。
で、その方がね大好きだったのがですねブラームスだったんです。
それを知ってからねブラームスのいろんな曲を聞いたりとかね、あと指揮者によって結構クラシックってね変わってくるっていうのを耳にしたことがあったので、
指揮者がね違うブラームスのアルバムいろいろ聞いてみたんですけど、残念ながらね音楽音痴の僕にはその違いっていうのはわかんなかったんですけどね。
それでもねブラームスのね高級曲とか大好きで、コーヒーをひいてね丁寧に入れたそれをね飲んでる時とかにブラームスかけて一人でねなんか浸ったりとかねすることがあります。
お聞きの皆さんのね好きな音楽だったり好きな本だったり活動だったりそういったことねお便りに書いていただけると嬉しいです。
それではニュートンのリンゴのコーナーです。今日はイギリスのソーシャルワークの歴史その2ということで、民間による史的事前事業についての話をしていこうと思います。
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この史的事前事業なんですけど、起源はね前回お話ししたイビザベス求品法よりも古い時代から始まっています。
中世のねキリスト教信仰背景として行われていたものが起源というかスタートだというふうに言われたりもするんですけど、これはね
中世のキリスト教において人は罪を持って生まれてくる。その罪をね清めることができるのは教会とかねあと聖職者のみなんだっていう考え方がありまして、これがね
職友情というものにつながっているわけです。 要はねお金を出してこの職友情、教会が発行してるんですけど、これを買うことで人々はね
罪を清めて死んだ後天国に行って安楽な生活ができるんだっていうふうに言われていました。 これがねおかしいんじゃないかっていうふうに意義を唱えて改革を進めていこうとしたのが
ルターとかのね宗教改革、恒例につながってるんじゃないかなっていうふうに思うんですけど、もしねこの流れが間違っていたら教えていただけると嬉しいですけどね
お金を出してねこの職友情を買っていくわけなので、買える人はねやっぱり裕福な人なんですよ
で 死んだらね安楽な生活したいじゃないですか
なので裕福な人たちが死を前にして 教会にねその自分のお金とかを職友情を買うという形で寄付していったこと
によって教会はねお金を得ることができて 教会はねそのお金の一部を使って教区内のね
貧困者とか病人を援助していったっていうのがね 民間の私的自然事業の始まりだというふうにね
書かれていました でもね時代が進んでいって18世紀ぐらいになってくるとですね
この死を前にしたお金持ちが教会とかにね お金を寄付していくっていうのは
親族からしたらねちょっと それはいかんだろうっていうふうになるわけですよ
教会にお金が行って自分たちの方に来ないのってやっぱり嫌ですよね なので色々と不満が出てきましてこれが財産権の侵害になるんだっていう
ふうなね 訴えとかも出てくるようになりました
それを受けてね1736年に遺族の相続権を保護する法律っていうのがね 制定されていくわけです
この法律ができたことによって 自然事業への寄付とか教会への寄付とかを行う場合には
遺書作成しないといけなくなって その遺書を作成するにあたって法的な手続きっていうことがね 必要となってきました
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その法的な手続きが必要になったことによって 寄付財産の使い方についても
ちゃんとね書かれるようになったんですね 例えば
盲目の人のためにこのお金を使いますであったりね お金がない貧困で飢えてるような人のために使いますであったりね
そういった使い道っていうのがね その遺言上に明記されることとなりまして
ちゃんとね何のためのお金なのかっていう目的ができたことで そのお金をね
まとめてその目的のために使っていくっていうね 民間の事前団体っていうのがね 生まれることとなります
それでここから19世紀にかけてキリスト教の福音派とかをね 中心として信仰復興運動っていうのが起きてきます
でこの信仰復興運動はですね 19世紀のイギリス資本主義のね
発展に伴う自由奔放主義といったね 個人主義的価値観の影響を受けながら
個人の行いこそが魂の進化を示すというね キリスト教個人主義っていうね考え方を生み出していくこととなったんだそうです
でこの考え方を持っている人たちは競ってね 罪深い困窮者
この人にね援助の手を差し伸べていったというわけなんです なんで罪深い困窮者っていうふうに言われてたかというとですね
宗教改革が起こったんですけど その結果として 信仰を表現するためには自分の職業で労働しないといけないという考え方が出てきたわけです
労働がちゃんとできていない だからね
困窮しているわけなので 自分の労働ができていない人っていうのはね
信仰ができていないっていうふうに思われて罪深いというふうにね 言われていったわけです
一方でねこの信仰を表現するために労働しないといけないという考え方は 強い労働意欲にもつながっていってですね
資本主義社会の形成に大きな影響を与えていっていたわけです
少し話が逸れてしまったんですけど キリスト教個人主義が出てきた結果として18世紀後半ぐらいからね
それ以前は裕福な人がお金を寄付して 貧しい人を助けていたっていう構図だったのが
今度はね 裕福な人たちだけではなくて 庶民もね 困窮者に対して援助をして
事前事業に参加していくっていうね 流れが出来上がっていきました
で 特にね この事前事業に参加していった人たちっていうのはね 女性がたくさんいたというふうに本にはね 書かれていました
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多くの女性がね 事前事業に参加した背景というか なんでそうなったかっていうところまでは書かれてなかったんですけど
想像としてはね やっぱり男性よりもね 女性の方が母性が強かったのかもしれないなっていうふうに思います
なんかね ほっとけないというか なんか援助をしないといけない してあげようっていうね 感じが強かったんじゃないかな
僕はね そんなふうに思っているわけです
こうして1800年代後半にはですね ロンドンにはね 640もの事前事業団体がね 作られたっていうふうに言われています
で たくさんの事業団体が個々にね 活動してたら いろいろとね 弊害が出てくるわけですよ
無駄にね たくさん援助してるところがあったら 逆にね 全然援助されてないところがあるとかいったね ムラができたり
あと たくさんたくさんね 援助を受けることで その援助を受ける人がね もう何もしなくても生活できるんだからっていうふうな考え方になってしまって
自立のね 意欲がなくなってしまうとかね そういったこともね 起きてき始めたわけです
これをね 何とか防止していかないといけないということで 支援とかのね 調整をする役目として
事前組織協会というものがね ロンドンに設立されることになりました この事前組織協会がね 作られたことによって 各事前団体っていうのが組織化されていって
重複救済は防がれたりとかね 救済の申請とか審査とか あとね 訪問指導などがね 一元化されていったわけです
この救済の申請とか審査とかね こういったものを一元化するためにね 作られたのが 地区委員会というもので
この地区委員会ではね 個別ケースのニーズ検討であったり ケース記録が作成されてたりとかね
必要のある対象者に対してはね 適切な事前事業団体というものが紹介されていくというね サービスが提供されていて
これはね 今ね 僕たちが行っているケースワークの原点だとも言えるみたいです
政府は政府でね 貧困救済してたじゃないですか エリザベス給費法をね スタートとして行っていて
民間は民間でね 事前団体を作って 貧困層などの救済を行っていたわけなんですけど
これがね うまく噛み合っていれば とても良かったのかもしれないんですけど
実際はね 政府の貧困救済っていうのは かなりいい加減なやり方だったんだそうです
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例えばね 働く能力のある人を収容してね そこで仕事をさせることで
自分のね 救済費っていうのを自ら負担する 自らね 稼いでもらうっていう労働上っていうものがあったんですけど
ここにはね 実は仕事ができないようなね 児童とか病人なんかもね いろいろと入れられてまして
適切にね そこで労働がなされてなかったっていうね ことがあったりしまして
じゃあなんでね こういうふうになってしまったのかっていうと
働ける人っていうのはね 実際その労働上とか行かなくてもね 一般で働いているわけなんですよ
なので結局ね その労働上に収容される人っていうのはね 一般でね 働くことの難しい子供
児童であったり 病人だったりね 障害者 あとね 老人だったりしたわけです
本来ならね こういった人たちの労働能力っていうのを 給品官っていう人がね ちゃんと見極めていたらね
こんなことにはならなかったんでしょうけど 結局ね お役所仕事だったのかもしれないですね
結構ね いい加減な感じで 労働上の中に入れて
その結果ね 働けない人たちの世話のための 収容コストっていうのがね かなりかかるようになっていってしまったわけです
自分で働くことができない 元々ね 労働上っていうのは 自分で働いて 自分の救済費っていうのを賄っていこうっていうことで作られたわけですけど
働けないので 自ら救済費を負担することができないためにね コストがね たくさんたくさんかかってきたっていうわけです
このね 政府のやり方っていうのはね 次第に貧困救済の不信感につながっていったんですね
その結果 政府の給品行政の改革っていうものが 議論されるようになっていくわけです
この議論の結果ですね 給品行政を廃止して 政府による社会保障制度っていうものを作ったらいいんじゃないかっていうふうなね 提案がなされていって
その後ね 福祉の展開っていうのは この社会保障制度を作ったらいいんじゃないかっていうものにね 近い形で進んでいくこととなったわけです
この後ね 一次大戦で世界恐慌があっての二次大戦っていうね 激動の時代を進んでいったりする中で
19世紀に貧困者救済をね 主に行っていた民間事前事業団体っていうものは 20世紀になってくると
政府の社会保障制度の枠組みの中に取り込まれていって その存在感っていうのがどんどん薄らいでいって
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最後にはその形っていうのが残らなくなってしまったっていうふうにね 言われています
このようにしてね ソーシャルワークっていうものも 主としてね 政府の機関であったり
自治体機関などにね おいての公の職務として まずは発展していくという形になっていくわけです
といったところで ざっくりなんですけど イギリスのソーシャルワークの歴史その2をね 終わらせてもらおうと思います
それでは今週はこのあたりで失礼します エピソードの概要欄に
Googleフォームのリンクと あとTwitterのリンク貼ってますので そちらからコメントやメッセージなどお待ちしております
リスナーの皆さんとのつながりが ポッドキャストを続けていくモチベーションにつながりますので どうぞよろしくお願いします
それでは皆さん 次回もお楽しみに
パーソナリティは誠でした
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