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2020-01-28 25:29

第15回【黎明期回】廊下で大宴会する昭和の下宿

定年前のおじさんが話しておきたい、昭和の話シリーズ。

アシカガcastさんで紹介されていたコンデンサーマイク SHURE MV5をワンクリックで買いまして、早速届いていたので、それを使った初めての配信です。


00:04
Lyustyleの素敵瞑想ラジオ、第15回目のきょうは【黎明期回】です。
定年前のおじさんが話しておきたい昭和の話について語ります。
はい、始まりました。第15回のきょうは【黎明期回】です。
【黎明期回】というのはね、インターネットの前あたりぐらいまでのですね、
昭和の時代から平成というあたりの様々なイノベーティブな出来事について、
お話をするようなキャストなんですけれども、
定年前のおじさんがですね、話しておきたい昭和の話という、
そういうようなシリーズもやっていこうかと思っています。
今日はですね、廊下で大宴会する下宿というね、そういうような話なんで、
一体どういうことなのかということね、楽しみにしてください。
はい、それでね、まず下宿ということについてね、
まず最初にお伝えしておきたいと思うんですけどね、
昔のグループサウンズというのがね、僕らの子供の頃、1960年代の中頃の頃、
流行ったことがあるんですけど、そこにスパイダーズというね、
超有名なグループサウンズのバンドがありました。
坂井正明さんとかね、井上隼さんとか、そういう方がおられたんですが、
そのギタリストで、釜八博さんという方がね、おられました。
もう千年お亡くなりになったんですが、
その方がですね、1975年にリリースした、
我が役友よという歌があるんですね。
これは昭和の中頃までのですね、若者の風俗を書いた、
若者応援歌というような曲なんですけども、
この中に次のような一節があるんですね。
それはね、語り明かせば下宿屋の、
おばちゃん酒持ってやってくる、我が役友よというね、歌なんですね。
そこの中に出てくる下宿。
この下宿というのはですね、部屋を曲がりして住ませてもらうことなんですけど、
または、もしくはね、
学生たちを住ませる用途のためだけに建てられた建物のことですね。
普通の家の空いている部屋を曲がりしてですね、
食事付きで住ませてもらうこともあったし、
またその大家さんの家の横に曲がり用の部屋をたくさん集めてね、
たくさん作って、たくさん作ったアパートみたいな建物を作ってね、
みんなでそこに住んでいるというような、そういうこともあったんですね。
03:03
曲がりタイプというのはですね、今の朝ドラでやってるんですが、スカーレットでありますね。
そのスカーレットがまだ15歳ぐらいの頃にね、
主人公がね、住んでいた荒木草というね、
ドラマを見られていた方はご存知と思いますけれども、
普通の大家さんの家のね、いくつかの空いている部屋に、
学生とか新聞記者とかね、役所を辞めた男とかが暮らしてて、
みんなで集まってご飯食べてましたね。
ひとつの兄弟のような、親兄弟みたいな、そんな感じでしたね。
家の中のひとつの部屋ですからね、
みんな同じ部屋の屋根の下に住んでいる兄弟みたいなもんでしたね。
入り口なんかはね、ふすまか引き戸でしたね。
ですから鍵があるとかいうような感じではなかったです。
プライベートなんかね、ほぼ引き戸一枚で仕切られているような感じで、
鍵かけて誰か分からないというような感じではなかったですね。
それが曲がりですね。
あとね、アパートタイプというのがありますけど、
これで有名なのはね、よく皆さんご存知じゃないかと思う、
時和荘ってありますね。
手塚治虫さんのところに、若き日野石森翔太郎さんとか、
赤塚富士夫さんとか、藤子富士夫さんなんか、
そういう漫画家がね、みんな手塚治虫の住んでいた時和荘というアパートに集まって、
漫画を描いていましたね。
考えてみれば今、私が挙げた名前のうち、
藤子富士夫さんのお一人以外はみなさんも亡くなっていますね。
考えてみればね。
そのようなですね、どちらのタイプも、
住んでいる人がみんな兄弟みたいに暮らしていたということなんですね。
そこが今と違いというとこかもしれませんね。
当時の下宿と今のマンションの違いということなんですが、
そうですね、下宿とマンションの違いは何かなということなんですけど、
これまでにお話ししたことがあって、ある程度イメージはできたんじゃないかなと思うんですけど、
最大の違いはですね、
部屋が家の中にあるか外にあるかということじゃないかと思うんですね。
どういう意味でしょうかね。
下宿の場合ですね、部屋は一つの建物のまさに部屋なんですね。
アパート形式になってはいてもですね、
玄関で一度靴を脱ぐんですよ。
そして大きな家に入って、そこから廊下を歩いて、
その両側に作られた部屋に入る。
郵便物もですね、その部屋のある建物、
アパートという建物の住所に届きます。
何々相誰々という感じですね。
部屋がですね、家として独立しているわけじゃなくて、
一つの大きな家の中に部屋が十何個かあるというようなのが、
アパートと私たちが下宿、下宿と言っているものとの違いですね。
06:00
それに対してですね、マンションはですね、部屋の一つ一つが家ですよね。
住所も当然異なります。
いくら隣と言っても別の住所ですね。
独立してますし玄関も別々です。
それがですね、今のマンションと、
私が今からこれから話す下宿というのの大きな違いだと思いますね。
またね、教養ですね、冷蔵庫とか電話が教養であることが多いですね。
一つの家の中にある部屋、それが住まいなんで、
冷蔵庫も風呂もトイレも電話も教養でいいんですよ。
ですからね、風呂を沸かす風呂盤とかね、ありましたよ。
便所掃除等盤もありました。
一つの家の中にね、みんなで住んでいるようなもんですからね、これでいいんですよ。
それでね、すごく楽しかったことがですね、
一つの家に住んでいる兄弟みたいなもんなんで、
よくね、どこかの部屋に集まってね、酒盛りしてましたね。
家庭教室先とかからね、時々良い酒をもらうこととかがあるんですよ。
そんな時はね、月宿に帰ってきて階段を上がりながらね、
良い酒もらってきたぞーと叫ぶわけですね。
そしたらね、それぞれの部屋からね、おーとかね、おーとかね、叫び声があがって、
みんなで何か一品持ち寄ってね、その叫んだ主の部屋に集まるんですね。
私の部屋にはですね、なぜかね、実家からよくね、海苔が送られてきてたんですよ。
海苔を炙ってね、持っていきました。
あとね、卵とキャベツとかがあればね、簡単なお好み焼きみたいなものができますよね。
それをささっと焼いて、皿に乗せて、それをみんなでつつきながらね、酒を飲んだことを覚えています。
たったそれだけでね、7時ぐらいから夜中の12時、1時までね、飲めるんですよ、みんなでね。
20歳前半というのはね、結構人恋しいものなんですよね。
一人で論文とかね、レポートとかね、書かなきゃいけないじゃないですか。
そうするとね、積量感に襲われるんですね。
一人一人彼女ができてね、部屋に入りづらかったりするんですが、
そういう時はね、俺はたった一人で何やってんだろうなというような寂しさを味わってたんですが、
まあそういう寂しさもまたね、いいんですよね。
でもね、そういう寂しい時にね、酒もらってきたぞーの声に救われていくんですよね。
そしてみんなで語り明かしてましたね。
一人になって放っておかれるということはなかったような覚えがありますね。
でね、カレーを作るとね、必ず食べに来る後輩とかいましたね。
一つ家の中の下宿ではですね、どこの部屋で何を作っているのかとかすぐ分かるんですよ。
カレーとか作っていたらね、下宿以上に匂いが伝わるでしょ。
私もね、よくカレーを作りましたよ。
09:00
でもね、作ったカレーをね、全部自分で食べられたということはね、まずなかったですね。
で、カレーを作る時、これで3日は食べれるなと安心しているんですがね、
ほぼ必ずね、来る後輩や友達がおるんですね。
でね、作ってようやくできたと安心しているとね、
おや?何作っているんですか?とかね、わざとね、分かっているのにね、聞いてくるんですよ。
ん?カレーたい?カレーたい?っていうのは福岡のね、博多弁みたいなね。
カレーたい?
たらね、へーって言うんですよ。
で、その後ね、無言でね、お互い見つめ合うんですね。
で、仕方がないから、食べていくか?って聞くんですよ。
たらそいつがね、え?いいんですか?とかね、
狙ってきているくせにね、こっちが必ず食べられるのにね、
ひと通りこのやりとりがね、儀式のようにないと先進まないっていうのはね。
そこに同じ部活の仲間が、またこれがまたベストなタイミングでやってくるんですね。
で、御床板に預かってカレーを食べている後輩を見てね、
あら?どうした?カレー食べているの?なんてね、これまたわざとらしく聞いてくるんですよ。
で、仕方ないのでね、食べていくか?って聞くんですよ。
そうすると、お?いいの?とか言ってね。
これもまたね、定まったやりとりなんですけどね。
で、こうしてね、やっぱ3日分と思って作ったカレーを、
私は3日前まで食べたことはありませんというような、そういうもんですね。
あとね、下宿はそれぞれの部屋に役割がありましたね。
あの、なんかうすらとね、あったんですよ。別に決めたわけじゃないんですけどね。
で、まあ私の部屋なんていうのは、さしずめカレーを食べる部屋だと認識されてたかもしれませんね。
あと私の部屋はそれ以外にね、新聞を読む部屋とかね、お茶を飲む部屋とか、
そういうことで認識されていたような気がしますね。
下宿の中でね、新聞を撮っていたのは私だけだったんですよ。
まあ、あの、専攻していた、あの、勉強がね、あの、常、あの、新聞読まなきゃいけなかったんでね。
で、2階のね、住人はね、下宿に帰ってきて階段を上がってくると、
必ずその正面にある私の部屋をね、まず訪れるんですよ。
でね、あぐらを、当然のようにね、入ってきてあぐらを書くとね、
こたつの上に置いてある新聞を手に取ってね、読み膨れるんですね、しばらくね。
で、私はね、その間ね、あの、お湯をね、沸かしてお茶を入れてやるわけですね。
で、まあ新聞とお茶でね、友人は満足するんですけど、
まあその後自分の部屋へ帰っていくんですよ。
隣はね、先輩の部屋だったんですけど、
その部屋とね、その隣のもう1つ、隣の部屋、あの2つ、2つ、なんていうの、
もうその部屋とその隣の部屋の2部屋がね、酒飲み部屋でしたね。
だいたいその2人がね、酒を得てくるんですよね。
一番奥の部屋はね、オーディオ部屋だったんですね。
12:00
すごくオーディオに凝っている後輩がいてね、
バイトで得たお金は全部レコードの針とかね、
そういうのに使うんですよね。
なんかね、なかなか理解できなかったんですが、
その彼がね、先輩、すごい針が入りましたよ。
聞き比べてみますか?とか言ってくるんですよ。
それでね、酒持ってね、部屋を訪ねるんですね。
そうするとね、壁一面にすごいオーディオセットが組んであるんですね。
30万円くらいするね、マランツのアンプとかね、
そんなのが積み上げてあるんですよね。
そこでリリトナーとかかけるんですけどね。
当時レコードですよ、当然。
まだCDなんてこの世にない頃ですからね。
でね、一旦そのリリトナーとかかけるでしょ。
いい音だねと、すごいアンプとすごいスピーカーでね、
臨場感あふれる音楽を聴くんですよ。
それを聴いた後、じゃあね、針変えますよって言うんですよ。
でね、プレイヤーのトーンアームの先の針をね、
付け替えて同じ曲を聴かせてくれるんですね。
そうするとね、びっくりするほど音が変わるんですよ。
これ本当に驚きましたね。
まあね、生涯の中でおそらく出会うことがないだろうなと思うようなね、
そんなオーディオセットでね、針の違いで聴き比べさせてくれるような
そういう部屋がありましたね。
まあそういうね、下宿だからこそそんな役割がね、
いつの間にかできていたんでしょうね。
だからね、今の方々それ聞いてプライベートってどうなってんだと思ったかもしれませんけどね。
プライベートなんていうのはね、少しあればいいというところだったかもしれませんね。
でも兄弟みたいな暮らし方してるんで、
プライベートとかね、そういうのはね、あまりないのかと思われそうですけどね、
少しはあるんですよ。
プライベートなんていうことはあんまり言わなかったんですけど、
お互い分かっているんで、入られたくないところまでズカズカと入ってくることはあまりなかったんですね。
まあそういった意味ではね、本当のプライベートっていうのはちゃんと守られていたかなと思います。
まあそういってもね、今から見ればね、
プライベートなどないんじゃないかと思われるような、そういうこともありました。
例えばですね、部屋の上にはとりあえず鍵があったんですけど、
あってもないようなものだったということなんですよね。
ドアに鍵がついてたんですけどね、この鍵開くんですよ。
ドアノブを固く握ってね、親指で鍵穴の中心を押さえてグッとひねるとね、
ガシャンという音がして内側からの鍵が一緒に回ってね、開くんですよね。
みんなね、それ知ってるけどね、やらないだけなんですよ。
でもね、時々入られてましたよ。
一度はね、下宿に帰ってきたらね、
おい、酒飲み居るけん来やーい!って言うんですよね。
酒を飲んでるからおいでっていう意味ですよ。
おい、酒飲み居るけん来やーい!って言うんですよ。
15:01
で、行ってみたらね、なんと私が部屋に置いてた酒をみんなで飲んでるんですよね。
私の部屋に忍び込んでね、持って行って飲んでたんですよね。
でね、もっとすごいことがありましたね。
圧巻はですね、私が帰ってきたらね、部屋が開いていて友達が入ってるんですよね。
まあ、それぐらいならいいんですけどね。
よく見てみたらね、その友達がお茶を沸かしてね、新聞勧誘員だか何かの人を接待してたんですよね。
お茶を入れてね、ちゃんと鍵かけてたんですけどね。
私の友達がね、それも別の下宿の友達ですよ。
入ってきてね、接待してましたね。
もう鍵なんてね、あってないようなね、そういうような部屋でしたね。
でもね、そういうようなプライベートっていうのがね。
失礼しました。
ほぼないようなもんだからこそね、助かった面っていうのもあるんですね。
まだね、インフルエンザと風邪の区別なんかがついてないような、80年代の初頭の話ですよ。
私は朝大学へ行こうとして立ち上がった途端にね、クラッとしたんですが、そのままバターンと倒れ込んだんです。
どうやらすごい熱が出ているということはわかりました。
でもね、動けないんですよ。
水が飲みたくてもね、体が動かない。
もうなんか金縛りにあったような感じで動かないんですね。
そのままね、午前中が過ぎました。
もうそのまま死ぬんじゃないかと思いましたね。
ところがね、昼になって、私が絶対に出席しないといけない講義を受けに来ていないことを怪しんだ友達がね、様子を見に来てくれたんですよ。
どんどんどんと外から音を叩いてね、おいいるかって言うんですよ。
返事の章にもね、声が出ないんですよね。
そうするとね、おいどんどんどんと言ってね、
だからね、ドアの外にはスリッパを並べて置いてあるんで、私が中にいるのはわかっているんですよ。
そうするとね、次の瞬間、ガチャガチャガチャっとドアを操作して、鍵を開けて2人の友達が中に入ってきました。
で、倒れたまま動けなくなっている私をね、発見してね、水を飲ませてね、お粥を作ってくれたんですね。
あの時ね、2人が鍵を開けてというかね、ドアノブをハックして中に入ってきてくれないと、
あのまま帰らない人になっていたかもしれないなって思いますね。
そういうような状況だったからこそ助かったという面もありましたね。
さて、さっきの釜矢津博士の歌に戻りますね。
語り明かせば下宿屋のおばちゃん酒持ってやってくるっていう歌詞がありました。
そこにちょっと戻ってくるんですが、
おばちゃんが酒持ってやってくるという宴会ですね、私たちは毎年繰り広げていました。
年末の大宴会なんですが、
18:02
そのね、下宿、みんなが集まって、
そうですね、2階に1人、2人、3人、4人、5人、6人、10人、1階に8人ぐらい、全部で15、6人ぐらいいたんですよ。
1年生から4年生までね。
その1年から4年まで全員が集まってね、
まずね、年末の大掃除をするんですね。
それぞれの部屋を自分たちでということで、
教養の廊下とか階段、それから風呂、トイレ、玄関、
そういうのをみんなでまず大掃除してきれいにするでしょ。
それからね、午前中にそれをやって、午後からはね、みんなでね、ボーリングに行って遊ぶんですよ。
そしていろいろね、帰りに買い込んできて、夕方から大宴会です。
それでね、どこでするかって、廊下なんですよね。
廊下が長い廊下の両横に部屋がありますでしょ。
その廊下が宴会場なんですよ。
廊下にね、各部屋からこたつを出してきて、ずらっと並べるんですね。
そこに買ってきた料理をね、盛るんですよ。
で、それぞれに窓があって、その窓の3のところにね、
ライト、蛍光灯というかデスクライトとかありますね。
あんなのを持ってきてくくりつけて、廊下を明るくしましてね、
そこにみんなで座って宴会するんですよ。
廊下で宴会とかね、あんまり聞いたことないんじゃないですかね。
これがね、楽しくて楽しくてですね。
まあね、彼女がいなかった僕でもね、
と、みんな自分もね、自分だけ彼女がいないとみんなが思ってたんですけどね。
みんなで一緒にね、飲んで騒ぎました。
彼女がいない寂しさとかね、吹き飛ぶ瞬間でしたね。
そのうちにですね、みんなで一緒にね、
そのうちにですね、宴会が盛り上がってくると、リーダーの先輩がね、
よし、おばちゃん呼んでくるぞって叫ぶんですよ。
すぐにね、何人もがね、アパートの隣にある、
実家、大屋さんのところに走っていくんですよね。
で、おばちゃんって呼び行くんですよ。
そうするとね、おばちゃんも分かっているんですよ。
石おびん持って階段上がってくるんですよね。
で、語り明かせば下宿屋のおばちゃんに酒持ってやってくるっていうのはね、
本当のことでね、当時、どこでも行われていたような景色かもしれませんね。
はい、というようなことでですね、第一回目、下宿の話をしました。
プライベートっていうことについての考え方とか感じ方がね、
今とはちょっと違うかもしれませんね。
今よりもね、感じられるプライベートっていうのは、
ずいぶん小さかったかもしれないんですけど、
でもその時代に行くと、
鍵があるのか分からないようなね、部屋の中でね、
一人勉強して、一人料理をして、一人悩んでね、一人涙したような時間もね、確実にありました。
でもですね、あの、酔っ払って帰ってきた中道部の友達がね、
寝ている僕の部屋にね、鍵を開けてズカズカ入ってきてね、
酔っ払って帰ってきた中道部の友達がね、
寝ている僕の部屋にね、鍵を開けてズカズカ入ってきてね、
21:02
酔っ払ってね、余裕に任せて柔道の技をかけてくるんですよ。
それは嫌でしたね。
はい、というようなことで、
昭和の話、廊下で大宴会する下宿の話、いかがだったでしょうか。
はい、雷鳴木、第15回のポッドキャストですね、雷鳴木でした。
定年前のおじさんが話しておきたい昭和の話ということで、
最初に下宿の話をお送りしたところです。
どうかね、昔はどうだったの、というようなことがあったら、
ぜひ質問してください。
僕らだからこそ話せることっていうのがね、あるのかもしれません。
今日はですね、ちょっと特筆すべきことがあって、
初めてですね、きちんと書斎でですね、
毎日の日曜日にですね、
きちんと書斎でですね、
マイクを使って今撮っています。
この前ね、足利キャストさんのところで、
紹介されていたマイクがありまして、
何ですかこれ、
シュア、コンデンサーマイクの新製で、
非常に有名なシュアっていうね、マイクの会社がありますが、
そこのシュアのMV5っていうのがいいと書かれていたので、
僕もこれからPodcastをちゃんとやっていくにあたっては、
いい音で撮りたいなって思っていたのでね、
ちょっと見てみたんですよ、Amazonで。
お、これいいんじゃないかなと思ってね、
ワンクリックですぐに買うっていうボタンを押してね、
昨日落ちたんですよ。
そうするとね、今日届いてました。
早速それを使って今録音をしてたんですがね、
音はいかがだったでしょうかね。
iPhoneにつないでね、
iPhoneで今直接録っているんです。
PCにも当然つなげますしね、
MacでもAndroidでもいけるみたいですね。
非常にそういうようなシュアの定評のある、
シュアのコンデンサーマイクをiPhoneで使えるっていうのはね、
とってもありがたいことでね、
お値段もですね、リーズナブルで、
なかなか昔から僕はバンドをやってるんでね、
ギタリストだったので、
自分で歌を歌うことがなかったので、
マイクはね、これまで持ったことがなかったんですけれども、
マイク持つならシュアのマイクが欲しいなって思ってたんで、
今回初めて買ってみてですね、
とても嬉しいなと思って今録っているところなんですよね。
どういうふうに録れているかまだ分からないんですけど、
きっといい音で録れるかもしれないですね。
録れていたらいいなというふうに思っています。
そうですね。
コーチングも私させていただいているので、
24:02
次回のセッションの時にはこれを今度はPCに繋いで、
そしてこれを使ってコーチングのセッション、
Zoomで行っているので、
それでさせていただこうかなというふうに思っていますね。
ということで、
今日はシュアの話を、
REIWAのシュアのMV5というコンデンサーマイクで
話をさせていただきました。
ということで、これで終わりたいと思います。
ハッシュタグですね、
知的瞑想というハッシュタグで今いろいろとですね、
コメントといただければとてもありがたいです。
このラジオは知的瞑想ラジオというのですが、
知的瞑想で止めています。
ラジオとまで書くとね、
ラジオっていろんな表記があるじゃないですか。
わざとね、地に点々つけたりね、
王をね、和王の王にしてみたりね、
これどっちも私なんですけどね。
それで違うハッシュタグになってしまってはいけないので、
知的瞑想で止めていますので、
どうぞハッシュタグ、知的瞑想で、
ツイッター等でツイートしていただければありがたいなというふうに思います。
質問も待っております。
どうぞ質問をお寄せください。
はい、ということでまた。
25:29

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