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ノギツ一家のプレゼンツ、ノギツRです。
どうもみなさんこんばんは、東横名人です。
どうもみなさんこんばんは、東横名人です。
お相手はいつものように私、東横名人と、今日もズームで長野からこの方です。
こんばんは、坂本です。
坂本さんは、今日3時から長野の中で、遠征をされていたわけでですね、
もうそろそろ24時間近く寝てないっていうことになるんですけど、
もうお目目がすごく重たい状況になってると思うんで、
サクサクと終わらさないとダメなんですけどね、もう最後の3本目で。
家によく、今このコロナ禍なんで、
お家にいることは多くて、昼ごはん食べる時間帯とかに、やっぱり鉄子の部屋とか、
サーッと見たりもするわけなんですけど、
だいたい今の鉄子の部屋って、結構昔振り返ることってやっぱり、
人が死ぬとすぐ、鉄子さん振り返りがちじゃないですか。
まあまあね。
鉄子さんが振り返ってるわけじゃなくて、番組の構成上ね。
まあまあそうすることによって、鉄子さんも楽で生きるからいいんだろうなと思うし、
個人を忍ぶっていう意味では、いい取り組みなのかなと思うんですけど、
やたらね、40代後半とか50代前半ぐらいの鉄子さんを見ることが最近多くて、
ベスト10とかでも。
なんか、全然子供の頃思わなかったけど、黒柳鉄子の40代とか50代って、
なんかすごいエロいなって思い出してきたんですよ、最近。
坂本さんこれね、今85年ぐらいの動画とかが結構上がってるんですよ、
ザ・ベスト10とか。
まあちょっとバブルの前ぐらいなんですよ。
鉄子さんは1933年生まれなんで、85年になると52歳ぐらいなんですけど、
50前後の黒柳鉄子ってめっちゃ可愛いなって今から見たら思うんですよね。
今の鉄子さんと比べればね。
今はジェネリックって言ってるおばあちゃんだけど、
子供の頃思わなかったけど、今見たらなんかすごい猫の人って思い出しましたね、改めて。
僕は小学校ぐらいの頃にベスト10見てたんですよね。
今でもよく覚えてるのが、なぜか竹内マリアの不思議なピーチパイと、
西条秀樹のヤングマンが9999でしたっけ?
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ベスト10の得票っていうかポイントね。
最高得票が確かそれだったんですけど。
あれって全然基準ないんでしょ?
一応レコードの売り上げと優先とかリクエストのハガキとか全部出したやつっていう。
よくわからないパラメーターがあるんでしょ?
公正ベストヒット100とかみたいな土曜日の番組とか。
全日本会話選抜みたいな。
そういうのがあって、子供の頃それ信用してましたからね、僕。
99999だーみたいな。
レコード大賞っていうのはレコードが一番売れた人がもらうもんで、
優先はリクエストが一番多かった人が取るもんだから、
別にそれ優先はいつき広瀬でも問題ないんだって思ってましたから。
思ってましたね、確かに。
よくわからないけど。
でもね、小学校の頃は僕、コレネギ・テスコさんのことを綺麗なお姉さんって思ってました。
そういう意識はなかったですね。
でしょ?
確かベスト10が終わる時か何かの時に、一番最後のことを覚えてるんですけど、
くめさんがコレネギさんに、確かね、踊りましょうかって言ったんですよ。
シャルイダンス。
そう。で、くめさんとコレネギさんが確か最後踊ってたシーンを覚えてるんですよ。
その時のテスコさんがね、色っぽかった。
いや、今見ると50多分、ベスト10って終わったの80、形成になるかな何かぐらいで多分終わってるんですね、確か。
だから多分テスコさんは50後半ぐらいなのかな?
そう。だからね、もうその頃は綺麗なお姉さんって感じではなかったんですけど、ちょっと色っぽかったですよ。
なんかね、喋り方がね、すごい可愛いっていうかエッチな感じなんですよ。
早口だけど。
うん。
ベスト10は89年の9月だからほぼ平成になったと同時ぐらいに終わってるんですよね。89年だからテスコさんは54歳。
テスコさんもともとが露出の激しい服ってほとんど着なかったじゃないですか。胸元開いてるとか、下手したら腕も出さないような、そんなイメージだったんで。
だからこの人がクミユロシに体を預けてるっていうのが、いや、預けてるっていうより踊ってるだけなんですよ。手握って。
でもそれだけでもね、なんかね、あのその、コロネネギテスコさんのイメージとは全然違うんで、エロいなっていう。
なんか、うーん、そうなんですよね。今よくネットでね、若い時にニューヨーク行ってましたよ、みたいなやつとかよく出てきがちだし。
うん。
なんかそういう若い時のやつが可愛いのは出てきがちだけど。
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まあもちろん可愛いですよね、この人。若い時はね。
やたら間違えて、ひしみゆり子の画像が検索されてきたりね、こうやって。それは、それはちょっとちゃうやろ、みたいな思ったりもするんですけど。
意外とね、出るとこは出てるタイプだと思うんですよね、この人。
そうそうそうそう。結構そういうイメージもあるし。確かにあのね、えっと、トットちゃんのやつを、えっと、ドラマでやってたんですよね。
うん。
あの三島光がやってて。で、やたら森瀬真嗣が、吉田孝太郎が森瀬真嗣の役をやるんですけど。
うん。
毎回会う度に、あの森瀬真嗣演じる吉田孝太郎が、「一回どう?」って言うんですよ。一回やらしてってことをよく言うんですよ。
で、またそんなこの時に三島光が、「また今度ね。」っていうところを見て、なったりしてたんですけど、僕は。いいなあみたいな。
もちろん今の時代だったら、誘うセリフも怠るセリフも両方ともにね、ちょっと問題があるような、あの受け答えなんでしょうけど。
この時代からするとまあ、理想的な受け答えですね。
また今度ね。
うん、そう。
まあもちろんね、この方独身じゃないですかね。
貫き通しますね。
あの想像したことないし、想像してはいけない。下手するとあの、やんごとなきお方と同じぐらいのレベルで、そういうことは想像してはいけないタイプの人なんですけど。
この人がベッドの上であの玉ねぎ頭をほどいたら、たぶんすげえ興奮するやろうなと思うんですよ。
いや、そうですよね。たぶんね。
この鉄骨を知ってるのは俺だけっていう。
それはあるね、たぶんね。
確かに。
だって髪の毛下ろすときあるんでしょ、これ。
あると思う。
家でもずっとこの髪型ってわけでもないでしょ。
いや、でもこの人がこのえなぎ鉄骨を演じてるのか演じてないのかわからないんですけど、まあ、すごい人ですよね、やっぱりね。
いや、すごいと思いますね。お化けですね、ほんとに。
世代的に言ったら誰と一緒なの?
えっと、草笛光子とか。この前も僕映画を見に行きましたけどね、老後の資金がありませんっていうのを。
あれはね、天美諭の映画じゃなくて草笛光子の映画ですよ。
マジで。
41歳の時からヌードになってたりするんですよね、これね。
篠山鬼神がね。
有名なあれですけど。
何年生まれですか、この方。
1933年生まれ。昭和8年生まれですね。昭和一桁生まれ。
ということは、あの戦争待っただなかっていうか、その終戦の時はもうすでに中学生になるかならないかぐらい。
ぐらいですね。うちの親父が35年生まれだったんで2歳年上なんですよ。
そう考えるとすごいですね、やっぱりね。もうそれこそ伝説級の俳優とか女優さんと同じじゃないですかね。
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厚見清史とか森瀬ひさやとか。
本当に久米博史と組んでたっていうのもある意味すごく縁深いところもあって。
久米博史はお父さんがテレビの開発者だったんですよね。確か技術者で。
紅木徹子はやっぱりNHKの本当に最初の立ち上がりの時から、テレビの立ち上がりの時からっていうところで。
テレビを代表する2人が、ゆかりのある2人がずっと番組やってたって考えたらやっぱすごいなと思いますけどね。
今となってはいろいろと賛否両論あるんでしょうけど、やっぱりザーベスト10っていう番組の化け物さっていうのはね。
いやでもやっぱり今これの話題があるからベスト10のyoutubeとかいっぱい見てると、なんでこんな演出してるの?っていっぱいあるじゃないですか。
そう、だから電車に乗ったままとかね。
そうそうそうそう。
コンサートの終わりっていうのはね、もうこれお約束で、いつも大体ね、バンドとかが出てくるとき、お客さんと一緒に待ってるっていうのはよくあったんですけど。
本当にあの電車の中とか、それからあのマッチがビルの中走り回るとか。
クララキサー!ってやつね。
あとキッカー工事が暴れまくるとかいっぱいあったんですけど。
いややっぱりね、これよくサザンの小畑さんも言うんですけど、あの時代にベスト10に出していただいて、
いつきひろしと沢田賢治と、キャンディーズとか松田聖子とかああいうアイドルの人たちと、一緒に歌うそういう舞台があったっていう。
今から考えたらすごいことですからね。
そう考えるとやっぱりあれやな、あのオフコースって空気読めてなかったね。
読めてないよ、なんかあの本人たちのご意向により出れませんとか、え、なぜ出ないの?みたいな。
うちの兄貴なんかはそれに触発されて、その方がかっこいいんだよみたいな。
俺もその頃は、あ、その方がかっこいいんだと思ってましたけど。
いいやん、別に。
で、あのアニソンを歌いだすとその歌手が嫌いになるみたいな。
コヒルイマキカオルとかがすごい好きだったけど、シティハンターの歌歌った瞬間に、あ、もうええわって。
でもコヒルイマキカオルってその前にも両手一般のジョニーとかいろいろ歌ってなかった?
そうそう歌ってた歌ってた。でもシティハンター歌ってから、あーちょっといいかなコーヒーはみたいな。
コフィーって言ってる時点で恥ずかしいけどね。
なんか両手狭いなと思いながら、それがかっこいいんだとか思ってたりとか、こうベスト10に出ないことが正義みたいなね。
でもやっぱりね、ああいう風にあのベスト10に出ないっていう、そのオフコースだけやったらかっこいいですねって言ってたんですけど、今の紅白もそうですけど、だんだんみんな出なくなっていくじゃないですか。
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で、ベスト10の地位が落ちていくでしょ。結局回り回って、やっぱりみんなの首を締めましたよね。
ああいうのよくないよね。なんかもうちょっと適度に出てたらよかったのにね、たまにね。
そうやっぱりね、ベスト10って入りましたよね。
そのテレビ局にとってもそうですし、音楽業界にとってもそうですけど、あれがないから、結局僕ら今何が流行ってるか知らないじゃないですか。
分かんないね、本当にね、曲って。何を、だってFMも聴かないし。僕ら大阪だったら、立原圭介がね、ラジオ大阪で決定全日本歌謡選抜ってやってたじゃないですか。
電力もあったりとか。分かんないですよね。ブンブンリクエストもないし。あるのかな、今まだ。
もちろんね、僕はね、早見優を満たすたに、早見優がローラースケートに乗って水色の服を着ながら夏色の話を歌おうのを満たすたに、ベスト10を見たことによって、長良圭介も歌えるようになってるわけじゃないですか。
多少ないともね。
少なくともその今の歌謡曲のその流れというか、何が売れてるのっていうのは、いつも頭に入ってましたからね。
今何歌流行ってるんだろう、夜遊び?
え?夜遊び?
夜遊び?キングヌー?
キングヌー?一応長良圭出身ですから。
キングヌーは?
そうですよ。
クリーピーナッツ?
もうね、ちょっと分かんないし。
分かんないですよね。
たぶんね、うっせーわとかも遅いでしょ?
うっせーわ、アドでしょ?アドが踊ってるんでしょ?
あれはもう遅いでしょ、きっと。
いや、なんか恥ずかしいですね。もうちょっと分かるようになりたかったな。
だからね、そういう、まあでも、やっぱりね、テレビ自体がもうね、普通の人たちからそっぽ向かれてるような状態なんで、もう無理っちゃ無理なんですけど、
結局そのテレビをないがしろにしてる人たちもいたじゃないですか。
やっぱでも、テレビ局が悪いわけじゃないんですけど、やっぱりテレビを盛り上げるっていうことを各業界もやっぱり考え直さないとね。
まあなんか、一体感生まれないですよね、確かにね。
こういうね、フラッグシップっていうか、こういう番組ってやっぱ、あるとその業界にとっては大事なんで、やっぱり業界全体がこうやっぱり協力してでも。
やるべきでしょうね。
そうそう、ただ出てますよ、ぐらいの感じでみんなで作らないことには、なかなかこれは、でもベスト10って本当にすごい番組でしたね。
いや、よく分かるだってぶっ飛んでますからね。
まあある意味だからTBSがすごいコンテンツ大事にして、あの、小出しにいろいろお借りしするとかっていうのは分かるし。
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これ生放送でしょ、でも。
生放送でいろんなとこ中継して、生歌で歌ってましたからね、やっぱりね。
1時間で納めるんですよ。
もちろんね、ベスト10からベスト4、4位までは全曲歌えないんですけど、フルコーラスでは。
それでもね、やっぱり、いつきさんとかも、みんな来てましたからね、毎週。
コンサートで忙しかった野郎に。
よく考えたら、ベスト10で別に出たからってギャラスゲーもらえたわけではないんですよね、この頃。
もちろんね、これに出て顔を打って、曲を打ったらレコード。
あの頃はショーレースっていうのがね、あったので、そういう意味でみんなのNHKに出たりベスト10に出たりっていうのをやってたんでしょうけど、
それ以上にやっぱりこう、貢献しないとって思ってたと思うんですよね、みんな。
岡田さんなんかもコンサートでも言ってましたけど、
あっきり言ってサザンオールスターズってその頃出てきた頃って色盲扱いだったじゃないですか、最初。
コミックバンドみたいな。
そういうコミックバンドの一発屋の色盲扱いのサザンオールスターズ、しかも若くて、
ろくに礼儀も知らんようなわけのわからんバンドなのに、
沢田健二さんとかが、そんな隅っこにいないでこっちに来なよ、みたいな感じで声かけてくれるんですって、沢田健二が。
だからもう別にジャンルとか全然関係なく、この歌謡会、芸能界っていうので若い人を育てないとっていうのがあったらしいんですよね、やっぱり。
そういうのがいいなと思って。
沢田さんは今でも自分たちのことをロックバンドとも言わないし、ポップスとも言わないじゃないですか。
僕らは歌謡曲ですって言うでしょ。その歌謡曲っていう言葉が結構好きなんですよね、やっぱり。
今思うとね、また結構最近90年代とか80年代の曲が流行ってたりしますしね。
そうですね、なんかコマーシャルなんかもわざと80年代の地方CMにするとか、ああいうのも流行ってますからね。
そう、だからね、ある意味でも本当にザ・ベストっていうのはその前世紀、前世紀を毎週のように見れて、
ヤンヤン歌うスタジオとかトップ10とか、ああいうのも見れて、本当にザ・芸能界っていうのを楽しんでいられた時代。
まあ今なんかいろんなね、いやこれ事務所の力がとか、まあそういう奪った見方で僕らもずっとしてたけど。
ゴリ押し感みたいなね。
ゴリ押し感みたいな、まあでもそれ差し置いてもやっぱりやった方がいいよねって思いますけどね、みんなのために。
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その事務所の力関係のゴリ押し感っていうのも、それも含めてプロレスやんっていう。
それが楽しいやんっていう。
そう、あのおにゃんこクラブがなかなかベスト10に出れなかったりね、TBSとフジテレビが揉めて。
忘れもしないですよ、なんかフジテレビと喧嘩しているけど、いや僕らそんな喧嘩してないですよって、わざとおにゃんこクラブの曲が流れてる時にフジテレビのロゴがサーフィンしてるみたいな。
ほら仲いいでしゃろ、みたいな。
あの頃テレビ局とんがってましたしね。
いやー、いいですよね、楽しくてね。
言ってもあの頃たぶん一番才能ある人たちが集まってたのもテレビ局だったんですよ、きっとね。
たぶんね。
だからもちろんね、すごい企画とか面白さもいっぱいあったんですし、テレビ局が一番あの時代の最先端走ってる時代だったんで、それも当然だと思うんですけど、
いや確かにね、面白かったんですよ、そのショーレースも含めて、その生放送のハプニング。
ハプニングなんかたぶんね、僕らが見えないところでは山ほどあったと思いますよ、あれは。
無理矢理ねじ伏せてるのもあったんでしょうね。
よう生歌でみんなの承諾してましたね。
別にあの、パフュームの悪口とか言うわけじゃないですけど、結構無理がない、今だと下手したら。
パフュームがザベスト10も出れないでしょ、たぶん。
そうだからね、今だとそのザベスト10からオファー来ても、いや、じゃあわかった行きます、デパートの上で歌います、みたいな人がどんだけいるのかなっていう。
なかなか難しいですね、そう考えると。
だからそこにしかもあの、久米博士と暮屋大輝哲子って。
すごいね、でもね、そう考えたら。
今でこそね、もうちょっとあれですけど、僕らの世代の久米博士って言ったらやっぱり、その喋りの天才っていうイメージしかないじゃないですか。
で、暮屋大輝哲子さんはもちろんね、もうそういうタレントとしてはものすごい人なんで、その2人にこう司会をやらせて。
もちろんあの、夜の人差し寄の井上純さんとかもよかったんですけど。
まあちょっとベスト10だけはちょっと別格かな。
違いますね、人差しを見たいけどな、また。
あの沢田健二があの時を歌ってる時にあのパラシュートをつけて歌ってたんですけど、毎回。
あれどっかの商店街で歌ってたんですけど、あの商店街って一体どこやったんでしょうね。
まあ面白いですよね、昔のその東京の商店街とか画像とか見えますからね。
そう、結構ね、まあ抜粋っていう言い方も失礼ですけど、ほんと下町で歌ってたりするんですよね。
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もうなんか場所があったらどこでもいいですみたいな。
僕よく見るやつは、スケバンデカの風間さん芝居群のリベンバーで、月島の商店街で歌ってるっていうのがありました。
アゲイドになる前の。
最初に銭湯とかいろんなところから別々歌って、最後商店街の大通りで合流してくるんです、風間さん芝居群が。
今やったらなんかもう撮影許可もおりんような場所でいないでしょうね。
ガードマンいっぱい雇って、犠牲張ってましたけどね、見てたら。
そう、であのザーベストっていうのあれ見てから、あのうちの近くやって出てくるやついましたからね。
最後あのほら、あの見たティーフルじゃないですか。記念撮影とか、ハイポーズとか。
その瞬間増えてたりしますもんね、商店街の人が。
まあ必ずドリフの全員集合でも言われることですけど。
なかなか今生放送のそういうドキドキ感みたいな味わうのは難しいですからね。
まあやっぱ保険かけるといろんなことを準備しないとダメだから。
歌番組で生放送って無理ですか、やっぱり。
やってなくはないんじゃないですか、NHKとかだったら。歌コンとかはやってますけどね。
ああいうコールからやってるやつは。
NHKでもなんかやってましたよね。
それは歌コンですよ、多分。
あ、それが歌コンか。
西条秀樹とかこういう人もやってたのかっこいい近代放送か。
今考えると毎日のように歌番組ありましたね。
そうですよ。
まあまあ仕方ないですけどね。
歌に飢えてたのかなあってか聞けないからか。
そもそもレコードもないし。
そう考えたらでもなんで俺アップルミュージックとか契約してんやろうと思いながら。
サブスクは持ってますけどね。
そうですよ。
まあまあ考えたら僕ら歌に飢えてたんですね。
だからあんなにザ・ベスト10とか歌番組をはしごしてハヤミを追いかけまくってたんですね。
今でもその時間も多分YouTubeに撮られてると思いますよ。
うん、ですね。
そもそもビデオもない時代だったので見返すっていうことも無理だったですからね。
まあね、1980年代初頭とかだったらね。
僕一回メーカーに電話したことありますもん。
どういうこと?
コカ・コーラのCMにハヤミ・ユウちゃんが出るんですけど、いつ流れるかわかんないじゃないですか。
メーカーに電話したら教えてくれるんですよ。
24:00
何時何分に流れますとかこの番組に流れますっていうの。
目安を教えてくれるんだ。
そう。この番組この番組っていうのを教えてもらって、
その番組は別にビデオとかないから、ひたすらコカ・コーラのリンゴ持ったハヤミ・ユウちゃんをテレビの前で正座して待つって言いましたみたいな。
今そんな電話したらは?って言われるかもしれないですね。
YouTube見てくださいって言われるかもしれないですね。
まあまあもちろんね。
公式があるんで。
いやもうね、あの時に思いましたよ。
いやもう日本史上最高にコカ・コーラのボトルが似合うアイドルやなって。
ハヤミ・ユウは。
そう思いません?
よくわからないけど、そうだったのかな?
ハヤミ・ユウってコカ・コーラのコマーシャルなんて出てたの?
うん、出てた。
コカ・コーラ本体ってだいたいエポとか、初めてじゃないのさみたいな素人の子がやるやつじゃないですか?
そうじゃなくてコカ・コーラのメロイエローとかそういうコマーシャル?
ヤンバさんとか。
コカ・コーラボーターでやってた?ハヤミ・ユウって。
ボーターは全部ハヤミ・ユウだったんですよ。コカ・コーラの。
CMがね、ほとんど記憶になんですけどね、ちょっと流れてた気がするんですよね。
で僕、メーカーに電話したんが、そのハヤミ・ユウの時と大葉コミコの時に電話したんですよ。
あーでも、夏色のナンシーでコカ・コーラのコマーシャルやってるなこれ見たら。
あーコーラ、コカ・コーラ好き。
いやもうコカ・コーラっていう、ほらユウちゃん英語喋れるやん。
はいはい。
コカ・コーラっていう文字がもうハヤミ・ユウにぴったりじゃないですか。
今もう綺麗でね。
いやもうどんだけ可愛いの。
もうこれね、高1ですよ。高1ぐらい。
高1か高2。
高1か高2。
もうね、ハヤミ・ユウと結婚するって思ってました。
もうね、だって自分の好きな球団のね、なんかサウンドロゴとか作ってましたもんね。
レッツチャレインレッツランキューってやってましたからね。
ですよ、もう運命やんこんなの。
運命ですよね。
その頃まさかそんなね、なんか線路に入り込んで炎上するとか思ってないな。
いやほんま松本ユウ、松本ユウにザブラ化されたんですよあれは。
ユウちゃん悪くないんですよ。
そういうふうに書こうか。
松本ユウの写真集も持ってましたけどね、あの水着の切れ足付きの。
そうか、コカ・コーラのコマーさんって素人だけじゃなかったんだ。
僕ね、このポスターをね、近所の酒屋さんとかに頼んでもらったんですよ。
これをね、イエスコックイエスオで貼ってたんですよね、部屋に。
なるほど。
あったね、このダルマ型の瓶ってあったね。
そう、見た?今のダルマ型の瓶持ったこのユウちゃん。
うん、見た見た。
バッと持って。
日本で一番コーラの瓶似合うアイドルでしょ。
なるほどな。
しかもこの胸のこのね、ちょっとこの、なんていうんですか、控えめなところと太ももの隙間。
ほぼほぼ。
ほぼほぼ俺の理想。
27:01
あ、そうですか。
そうか、こういう時代のやつもあったのか。
ハヤミユウだけですか、これって。
このハヤミユウの前までは結構外人やったんですよ、コーラって。
誰だかわからん。
でもあるな、コークが好きだ。
ヤザーエキシンみたいなコークもあったみたいですね。
このヤザーの左側にこの冬バージョンもあるんですよ、ハヤミユウの冬バージョン。
左2つが、2つ目がね。
このガンロかなんかの前でコーク好きっつ。
このポスター手に入れるのも大変やったんですよ。
コーラ、ケースほど買いましたもん。
コーラのコマーシャルって今やってないもんね、でも。
ですね。
あ、急いで発売。これがデビューね、これがデビュー作。
はいはいはい。
急がなくてもいいのにね。
そう。
これ全然売れなかったんですよね。
ちょっとね、ビンの形も変わってますよね、今とは。
コーラはいろいろ変わってますね、最近もね。
また500ミリが売らなくなって、ちょっと小さくなったり、それから中途半端が大きくなったりとか。
でもね、今家の近くにね、このビンの販売機あるんですよ。
そんな、そんなビリッジバンガードじゃないのに。
で、ちゃんと出てくるんですよ、ビンが。
ビンのコーラおいしいからね、一番。
おいしいんですよね、やっぱりこのビンで飲むと。
いやー、やっぱ早見優の話をし始めるとね。
いやごめんなさい、変な地雷踏んじゃった。
地雷ちゃうやろ。
そっかー、いやいや、まあ僕は徹子さんがすごいなっていう話だったんですけどね。
いやでももうあれですよね、あのベスト10がすごかったからアイドルが出てきたのか。
このアイドルが両三博のようにね、大量に出てきたじゃないですか。
松田聖子を筆頭に、中森明から早見優から松本優から。
これはどっちがどっちってことじゃないんですけど、どっちにとってもよかったんでしょうね、これ。
まあね、まだ考えれないですからね。
まさかこの頃ね、そんなこういうアイドルと渋谷家体が合コンしてるなんて知らなかったから。
それはでも今から考えたらするわな。
そうしますよね。
そりゃするよな。
そばにいるんだもん。
ちゃんと結婚したファンさんとか偉いよね。
偉い偉い。
そうですね。
すごいですね、コカ・コーラのコマーシャルってコカ・コーラテレビCFクロニクルっていうので売ってたりするんですよね。
DVDがね。
Aちゃんとか。
この判刑関係どうやってんのかなってすごい思いますけど、成り立つんだこれが。
でもこういうCMのDVDって時系列で並べてくれると、コカ・コーラだけじゃなくてカップヌードルでもそうですけど欲しいなと思いますね。
30:03
そうですよ、それができるのってYouTubeとかで懐かしいCMみたいな。
ずっとあれ見だしたらもう止まらないですけど。
夜中とか見ると。
こういう昔懐かしんでてもなって感じはするんですけどね。
でも本当に黒柳さんもそうですけどすごいですよ、あの人らは。
やっぱりね、前レースの話で星野さんの話をしたんですけど。
黒柳さんって。
進化と共にって話ですからね。
そう、本当にテレビの進化と共に歩んできた人なんで、そういう人が持ってるその経験とどたんば力って言うんですかね。
なんかあった時のその対応力っていうのはちょっと僕らではどうしようもない部分がありますよね、やっぱり。
今YouTubeもやってますしね、テスコさんはインスタもやってるし。
ありとあらゆる、よく中島みゆきがね、あらゆる世代でトップ取ってきたって言いますけど。
ラジオの時代からやってるんですよ。
すごくないですか。
こんなとこにも星野和義理論があったんですね。
そう考えるとすごいですよね、やっぱり。
すごいなぁ。
いや本当だから、昔のね、いいともの、テスコさん出てる回とか見てるとものすごいですからね。
だからね、もちろん頭の良さとか回転、そういうのもあるんですけど、持って生まれたその元祖不思議ちゃんじゃないですけど、ちょっとやっぱり違いますよね、この方。
偉人ですね、でもね、本当に。
タモさんもね、昔のタモさん見るとすごいですけど、要はあんだけ毒気が抜けるなっていうぐらい。
本当だから、テレビの進化と共に生きてきた人だから本当に強いですね。
いいですね。
多分、でもテスコさんにとったらテレビってただのおもちゃというか、自分が楽しむためのツールなんでしょうね、きっと。
はい、ということでね、今日もまた80年代とかを懐かしむっていう感じになって、どうなのかなぁ。
楽しいんですけどね、見てるとね、なんかあったなぁ、これっていうのね。
あの頃はテレビ、どんなテレビでも結構楽しかったですよ。
歌番組だけじゃなくてプロレスでもそうですし。
勢いが全てっていうところもありますからね、力はそれに秀せてるっていう感じも今からしたら。
そう、だからね、木曜スペシャルとか水曜スペシャルも、今見たらドヤねんっていうところもあるんですけど。
まあね、結構間延びしてる、VTRとか間延びしてるけど、そういうの力あったなぁと思いますけどね。
33:06
ですね。
多分ね、風雲竹市場とか、今見てられないと思いますよ。
間延びしてるな。
いや本当に、あれでよう1時間もたしてたねっていう。
十分楽しかったですからね。
何が楽しかったのか。
でもやっぱり、あれ世界各国に輸出されてるぐらいだからやっぱりすごかったんですよ、コンテンツとしては。
ですよね。
はい、ということで今日は紅鉄工を語る回っていう話でした。
まああと10年ぐらい起動しですね。
いやいや10年と言います。
もっともっと。
草笛みつく見てたらまだまだ大丈夫そうだなと思いましたけどね。
いやあと20年は大丈夫でしょ。
すごいなぁ。
次は対面になっているのか、またチームになっているのか、どちらかわからないんですけども。
今日はここまでで終わりたいなと思います。
それではみなさんおやすみなさい。
さよなら。