00:18
みなさま、こんにちは。
こんにちは。
この番組では、あらさわで同い年のリリーとウイスキーがゆるい雑談を展開しています。
はい。
はーい。
今週はですね、我々あらさわ世代にとても馴染みのあるトピックにしようかなと思って。
はい。
一番最初のさ、エピソードでさ、自己紹介した時にさ、我々はまの1992年代生まれっていう話を。
年代生まれね。
うん、そう、話をしたと思うので。
今週はちょっとその、どれだけ恵まれてないかという、悲劇に恵まれてきたかっていう話しようかなと思って。
なるほど、なるほど。
面白い記事をね、見つけたので。
フグで不運、悲劇の1992年生まれっていうことで、その、悲劇をまとめてくれてる記事をね、見つけたので。
一緒に、その、同い年の皆さんは一緒に振り返っていきましょうと。
そして、ちょっと我々同士で傷を癒していきましょうという。
癒していこうと、なるほど。
そんなお話でございます。
ちなみに、1992年生まれが悲しい世代だってよく言われてるけど、1992年代だからね。
だから、同じ学年って意味ね。
あたし、1992年生まれでは実はないので。
なるほど。
ギリ年越してるんだよ、あたしは。
猿年の皆さんだよね、1992年生まれ。
そうだね、92年生まれ。
その、りりんも言ったように、92年代生まれってことだよね。
同じ学年だった。
学年で区切ってから。
で、じゃあ、具体的に何が不遇なんだっていうお話に入っていきましょう。
はいはいはい。
まず、何個かあるんだけど、我々が生まれた年から振り返っていって、どういう不幸があったかっていうお話を、じゃあまずはしていきましょうか。
生まれてから、OK。
まず最初ね、一番最初生まれた年、1992年、バブル崩壊。
いきなり。
だいぶパンチ効いてるね。
いきなり不遇だよ、本当に。
ちょうどね、我々が産声を上げた1992年の9月にバブルがはじけます。
なるほど。
はじけたか。
で、これ以降景気が悪くはなっても、良くなる実感がまるでありませんと。
なるほど。
確かに生きてきた中で景気良いなと思ったことないわ。
失われた20年とか言われるもんね。
やばい、その失われた20年間、俺たちはさまよってるわけだ。
もう30年になるよ、だから。
30年になる?
失われた30年になりますよ。
はい、次。1997年、我々5歳の頃の年。
03:01
消費税がですね、3%から5%に上がります。
なるほど。
これはなんかもう、生まれた時から消費税は5%みたいな感じだったもんね。
ものごろついた頃にはもう5%だったから、なんか逆に3%の実感がないね。
ないよね、3%だった時あったんだって思ったもん。
そうそう、俺もなんか100円のもの105円っていうイメージがすごい。
そうだよね、ずっと105円だったもんね。
なんか5円玉とかよく持った気がするもん。
ちょうどね、計算しやすいもんね。
そうそうそうそう。
105円でなんか5円がよく使われるかなっていうイメージがあったから。
だけどさ、今10%だからそれの倍になってるわけじゃん。
まあ生成食品とかはね、8%とかだけど、
だから結構すごい上がったなっていうのはなんとなく実感としてはあるかなって感じだけど。
確かに、2倍だもんね、確かに。
はい、次。1998年、我々6歳の年。
ゆとり教育がスタートします。
なるほど。
これだからゆとり世代はとかね、よく言われるよね。
ちょうどだよね、だから。
ちょうどだから俺らが小学校入るくらいからゆとりがスタートしたと。
そういうことになるね。
そこら辺もでもやっぱりちょっと記憶があやふやというかさ、
自分たちからしたらさ、ちょうどね、学校入るときにそれがスタートしてるわけだから、
それ以前の教育とかあんま知らない。
っていうか、まず何がゆとりなんだって話で、
演習率が3だったとか言われるけど、そんなことないよね。
3.14だったけどね。
ね、みんな3.14だったからそこら辺のさ、
なんか勘違いもちょっと生まれてるよねって思うけどね。
あと大経路面積の求め方を学校で教えてもらわなくなったって言うけど、
そうだったっけと思ったら全然わからなくなった。
いや、がっつり今も覚えてるけど。
教えてもらったよね。
てへんかけるたかさ、あれ?
わるにとかだよね。
うん、忘れかけてるけど。
うん、普通にやったよ。
やったよね。
だから多分地域によってあるんじゃないかな、違いが。
あ、待って、大経はてへんかけるたかさわるにじゃない?
それ三角形じゃない?
あれだよ。
上てかけるかてか。
そう、上、もう忘れた、もう知らない。
もう大経路面積求める機会がないから忘れました。
学校土曜休みだったっけ?
そうそう、土曜の話とかも普通に学校行ってたよ。
はっきり記憶があるわ。
記憶するけどね、俺も土曜休みだった気がするけどね。
これも地域によるのかね。
でもまあちなみに私小学校は2年生までしか日本の学校で教育を受けてなくて、
まあそれ以降はマレーシアにいて、
まあでも日本人学校だからカリキュラム的には同じかなと思うけど、
でもあの日本の土地で教育を受けたら小学校の2年生までだったから小学校はね。
だからまあ多少なんか違いはあるかなと思うけど。
普通になんか俺土曜あった気がするけどな。
忘れちゃったよもう。
あったっけと思って。
あ、待って台形の面積書いてくれてる。
06:01
台形の面積イコール上底プラス下底かける高さ割る2です。
はい、ありがとうございます。
今後使う機会があればね。
台形の面積をまとめることないと思うけど。
なんか土曜日といえば2週間に1回投稿とかだったような気はしなくもないけどね。
なるほどね。
で、この記事参照にしているその記事曰く4年生の頃には全て土曜日が休みとなりましたって書いてあるから
やっぱり私にはあんまり実感がないというか、
その4年生の頃には日本にいなかったからやっぱりそこは私わかんないけど、
記憶としてなんかある?4年生の頃から。
多分なんかどうだかね。
土曜日日曜日は確かになんか少年野球やってた気がするからもしかしたら土曜日休みだったかもしれない。
あ、そうなんだ。
まあでも他のことに時間使えるからいいじゃんって思うけどね。
俺はどっちかというとなんかずっとね、毎週6日で学校行くよりは土日は別のことしてもいいんじゃないかなと思うけどね。
けど結局その時間の使い方って本当に人それぞれだから丸1日寝たりとか丸1日ゲームして終わるような子もいるんでしょうし。
時間の使い方がピンキリだよね。
ては思うけどね。
はい、次。2008年ですね。
我々16歳。高校の入学式大雨で新品の制服びしょ濡れ。
いや、これは私マジで覚えてる。本当に悲しかったから。
そうだったっけ?俺なんか全く覚えてないな。
高校の入学式でしょ?雨だったっけ?
地域によるでしょ。
でも私関東だったから千葉だったからだから横浜あたりも降ってたんじゃないって思うけどね。
でも関東だけだったのかな。この記事の書いた方はどこ出身なのかがちょっとわかんないけど関東エリアは少なくては雨降ってたと思うよ。
4月?
そうだったっけ?
そっか、まあでも覚えてないってことはそこまでショック受けてないってことだね。
そうだね、そこまでショックではなかったけど。
いや、私マジでショックだったよ。ローファーさ、憧れのローファーよ。憧れの女子高生よ。
で、新品の制服着てさ、せっかくウキウキして入学式行ったらびしょびしょになって、新品の服。
で、ローファーなんて革靴だから濡れたら大変なわけよ。
だからそれが一番ショックだったんだけど、だからもう下ろしたてのピカピカのローファーがびしょびしょになって。
で、家帰ってきてどうすんのこれってなって、新品なのにって言って。
で、新聞紙めっちゃ突っ込んで乾かしたの覚えてる。
本当にショックだった。
確かになんかいるけど、そんな感じだったっけ?4月とかだよね、入学式って。
4月の1日とか、まあそのどに…
1週間だよね、1週目だよね。
重なってたらまあ4日とかそういう風になってたかもしれないけど、まあ最初の1週目だよね、の月曜日だったと思うけどね。
09:04
どうだったっけ?
覚えてないならそれはそれでいいことだと思うよ。
本当?
うん。
俺だって入学式全然覚えてない。
俺全然覚えてないな、入学式は。
卒業式とか覚えてるけど。
集合写真とか撮らなかった?
撮ったような気がする。
写真とかも残してないの家に?
家に残ってると思うけどね、今ちょっと海外にいるからわからないけど。
探さないと出てこないタイプのやつだよね。
そうそうそう。
タイムカプセルみたいに埋まってるかもしれない。
次ね、2009年我々17歳の時に新型インフルエンザ大流行、修学旅行は中止。
本当にすごいショックだったから、特に覚えてる私。
覚えてる?
修学旅行とか普通に行った?
俺行った気がするけどね。
そう?気がするなの?
いや、うん、行ったと思う。修学旅行って高校2年生だよね。
そうそうそう。
オーストラリア行ったわ、オーストラリア行った。
待って、マジで行ってんの?私もオーストラリアの予定だったんだよ。
で、インフルエンザが流行って、あーもうこれちょっとダメだなってなって。
で、中止っていうか場所を変えて、場所と時期を変えて、国外から国内になったっていうのが我々の修学旅行だったんだけど。
もう本当にさ、オーストラリア楽しみにしてたから、先輩とかも行ってて、その前のとき。
お土産もらったりとか話とかいっぱい聞いて、あー楽しみってなってたのにさ。
で、このインフルエンザのせいで全部台無しになったから、もうこれもう特にショックが大きかったやつで。
マジか。
そう、だからオーストラリアに対する思い入れも結構大きくなったから、最終的に行けたのは良かったけどさ。
何度目の正直だよって。
実はもうこの修学旅行の前にもなんか行く機会があって、それがなくなってるから、本当に3度目の正直とかそんな感じなの。
なるほどね。
どこ行ったの?オーストラリアの。
オーストラリアのゴールドコーストとシロニーかな。
いやーいいなー。
なんかホームステイして、2人1組になってホームステイしたのと、あと集団でクラスごとに。
すごいねそれ。だって学生の人数、だって1学年に何百人とかいるじゃん。予定組むのが。
それすごいよね。だからどうやってやったんだろうと思って。
大体2人1組になって、1人1つの家庭に行ってみたいな感じ。
同じ性別同士でしょ?男子生徒なら。
男子生徒同士で。
なるほど。どうだった?
なんかまあ普通に、その時は全然英語喋れなかったから。
なんか普通に、老夫婦だったんだけど、老夫婦の人と家の手伝いしたり、どっか一緒に行ったり食事したりっていうイメージがあるけど。
何日ぐらい滞在したの?
わかんないな。3日とかかな。3日とか4日だった気がするけどね。
12:01
結構長いな。
だからだって、全校クラスだから、1学年200人とかいたと思うから、200人300人くらいいたから、150組?
要は単純計算で割にして、150組のホームステ家族ハウスなんてあんのかなと思って。
それか確か2つ、大きく2つグループに分けて、最初シドニーで、最初ゴールドコーストでとかいう風にうまくやってたから、もしかしたら同じホストファミリーにもう1組がいてた可能性はある。
そうじゃない?たぶんね。その方がうまく回るだろうからね。
なるほどね。
それでもね、そんなにホストファミリーっていいのって感じだけどね。
でもだいぶその計画というか、そういうオーガナイズ力がすごい必要だと思うから、学校側がすごいなと思うけど。
そうだね。
いやけどやっぱ今でも覚えてるよ。だからその時に彼女とかいたから、夜中ホテル抜け出して2人きりになるみたいな、なんかよく高校生が考えたことをやったり。
中学旅行あるあるみたいな。
あるある。だから抜け出して、ホテルのロビーでね。
部屋は入れないから、ホテルのロビーで待ち合わせでちょっと外出かけるみたいなのをやった記憶がある。
だからシドニーの街並みはそれで覚えてるよ。夜抜け出して歩いたから、今でもなんかシドニー行ったらこんな感じだったなみたいな。
どこのホテル泊まったか覚えてないけど。
で、さらに続きの話なんだけど、実はオーストラリアに滞在してた時に母校の修学旅行先がメルボルンになったのね。
それで実は高校3年生、2年生担任担当してた人が連絡きて、お前メルボルンいるんだよみたいな。
実は修学旅行で行くからって連絡きて、実は2年前くらいにお会いして、まさかのオーストラリアで再会っていう。
すごいね。
そういう奇跡もあったりして、だからすごい思い出の地であるけどね、オーストラリアは。
まずさ、元担任から連絡が来るっていうことがすごいんだけど。連絡先知らないよ、普通。
そう、なんか同窓会みたいなのがあった時に連絡交換して、グループみたいなのがあって。
ああ、そういうのは。先生来るもんな、そういうのって。
来てくれたね。
そうなんだ、面白い。相変わらずやっぱり人との繋がりが。
繋がりは大事だね。
人との繋がりが、繋がり力が強いやっぱウェスキーは。そういう話聞いてるだけでも多いけど。
だからそれが修学旅行の思い出だったかな。
いいね。話でも逆に、だからそういうのを思い描いてて、このぶち壊しだからさ。
どこ行ったの?
うちらは結局、オーストラリアのどこだったかちょっと、どこの予定だったか覚えてないんだけど、
それが予定変わって、春休みの一部を使ってですね、
どこだった?大阪、神戸、広島の3カ所に行ったんだけど。
15:00
マジか。
だってさ、神戸から広島までまずその短い移動の距離なのに新幹線使ったし、
なんかよくわかんないお金の使い方してて。
使い方してて。
なんでっていう。
バスで良くないっていう、集団のバスで良くないっていう。
多分だから時間の節約したかったんじゃない?
あー、なるほど。
結局我々の春休み使ってやってるわけだよ、それ。
春休み短くなって、で、お金もよくわかんない使い方されてて。
だってオーストラリアに行くはずだった分のお金を使ってそこに行ってて、で、ほぼ返金がなかったんだ。
そうだよね、そうだよね。
無駄になんか、今思えばそうだよね、そのオーストラリアに行くはずだったお金をそのままそっちに使ってるわけでしょ。
そうそうそうそう。だからそう、ちょっとねーっていう。
まあ別に何もなかったよりは楽しかった。やっぱりユニバーとか行ったし。
あーそれいいね。
でもなんかユニバー行って、でなんか船の上でなんかご飯とか食べたりもしたことあったと思うんだけど、
その後にさ原爆のね跡地、被害を受けたとことか博物館とかそういうのをね見て、
なんか気分の落差が激しくなるよね。
そうだね。
まあそういういろんな経験をさせるっていう目的でやってはいるんだろうけどもね。
やっぱり圧倒的にオーストラリアが良かったっていう気持ちになってしまうから。
うん、なるほどね。
結局その後ね、下の学年もねオーストラリア行かないで沖縄とかに変更になったんだよ確か。
で、その後、そのさらに後、いつからか覚えてないけど選択肢になったとかいう話聞いて、韓国かイギリスかみたいな。
おーすごいね。
まあこれもちょっとあんまりはっきりは覚えてないけど、いやーなんかめちゃくちゃだなと思ったけどね。
まあ選べるってのはまあいいね。
そうだね、確かに。やっぱりでも就学旅行ってさ、高校生活の中でも特に大きな思い出になると思うから。
やっぱりね、インフルエンザに関してはさ、もう誰もコントロールできないことだからさ、しょうがないけど。
まあそんなこと言ったらね、それこそコロナ世代の人たちは就学旅行も何も全部なくなっちゃってるからね。
そうだね、だからさ、結局我々の世代が不運で不運だって言ってるけど。
もしかしたら。
コロナ禍に今はれて、今ね、一番楽しいはずの大学生活をあんまり制限されてしまってる子たちの方がかわいそうなんじゃないかって思う。
なんかね。
あるけどね。
あとまあ我々の上の世代のさ、氷河期世代とかなんてもうさらにひどい打撃を受けてるわけだから。
まあでも。
まあ俺らの場合はね、まあその節目節目で。
そう。
ドンピシャでいろいろなんか災害が来てるからっていうのはあるんだろうね。
じわじわやられてるよね、うちらの世代。
じわじわやられてる、しかも必ず節目なんだよ、絶対。
そうそう。
18:00
大きいイベントが絶対20代に向けて成長してくるにあたってさ、家庭でさ、大きなイベントがあるわけ。
その大きなイベント全部いろいろと砕かれて、夢を砕かれててさ。
いやほんとそれ。
いやでもウェスキーはさ、修学旅行ちゃんと行けてるし、大雨もあんまり記憶にないということはあんまり影響を受けてないと思うから。
まあまだ良い方だと思うけどね。
まあそうだね。
次、2010年ね。
我々降参の時、18歳の時、ゆとり教育が終了。
これ知らなかったんだけど私。
俺も知らなかった。
私たちの18歳の時に終わってたんだね。
そうなんだ。
そもそもゆとり教育が何だったのかっていうことすら、俺も曖昧というか、ずっと多分その教育で育ってきたから。
さっき言ったけど、ゆとりから始まってゆとりで終わってるから。
何が違うのかが分からないというか、俺らが受けてきた教育がゆとりなのか、それともどうなのかっていうのはよく分からないし。
なんかさ、世の中とのズレがかなり大きいと思うんだよね、まず。
だって演習率普通に3.14でやってたし、土曜日も学校あったしっていう。
俺らの世間一般的なイメージからして、これだからゆとりはってよく言われるでしょ。
もう決まり文句みたいになってしまっているじゃん。
だからイメージによる弊害が大きいんじゃないかなって思うけど。
そうだね。周りの偏見というか、そういうのもあるかもしれない。
さらに続きます。同じ年、2010年。
同じ年。
就職率史上最悪。
え、そうだったの?俺はそのまま大学に進学したから、その就職率とかっていうのは見てなかったから、当時。
だから。
全然分かんないんだけど、そうなのかね。
これだから、高校卒業してすぐに就職した人たちが特に影響を受けてるってことだから。
なるほど、なるほど。
それかわいそうだな。
いや、そうだね。驚愕並みだから。
いや、史上最悪っていうのも具体的な数値で出てないからいまいち分かんないけど。
でも、この2010年あたりってまだリーマンショックからリカバリしきれてないぐらいの頃なんじゃないかと思うから。
なるほどね。2008年とかだもんね。2009年。
2008年。だから、そういうのも多分あるんじゃないかなと思うけどさ。
で、その後にさ、2011年3月に東日本大震災があったじゃん。
それで、高校の卒業旅行だったりとか、大学の入学式も中止っていう人もいたわけで。
これは本当にさ、パンデミック、トリンフルンザとかもそうだし、入学式の大雨もそうだし、東日本大震災もそうだけど、自然災害に本当に見回りすぎだよねっていう。
いや、本当にそうだと思う。
これは、卒業旅行は特に予定していなかったから特にいいんだけど、大学の入学式とかは結構影響あったっていうか。
21:00
何やってたか覚えてる?その時。
卒業式?
卒業式あったの?3月11日。
いや、3月3日とか4日だったんだよ。だから、確か卒業式できたんだよ。
で、ちょうど3月11日は、もともとラグビーやってたから、ラグビーの練習をしてたのかな。
後輩たちに教えに、グラウンドにしてたの。今でも覚えてて。
で、それこそお昼とかだったじゃん。14時何分とかだったでしょ。
14時46分。
で、ちょうどだから練習最中で、グラウンドのライトみたいなのあるじゃん。
大きい、そのグラウンドを照らすライトみたいなのあったんだけど、それがすごい揺れたのを覚えてる。
怖っ。
で、みんなでグラウンドの真ん中に集まって、その無事を確認して、
で、ちょうど確かバイクに乗ってたから、で、帰り、バイトかなんかした、多分したんだよね。
で、バイトに行かなきゃいけなかったけど、もう信号が全部止まってて、
車もすごいことになってて、
すごいことっていうのは、渋滞とか?
渋滞で、すごいことになってて。
だけど、その当時はそんなことがあったけど、バイト行かなきゃと思ってたから、どんなことがあっても、
とりあえず、車の渋滞をかいくぐって、バイクだったから、スルスルスルスル抜けて、
いった覚えがあって、で、行ってみたら、バイト先のビルが日々入ってたかなんかで、普通に休みで。
そんな思い出がありまして。
それはでも、家に普通に帰れたからラッキーな方だと思うけどね。
そうだね、そうだね。
帰宅難民とかにならなかっただけ、まだね。
みんな都内の人たちは、みんなもう帰れないっていう人もいただろうね。
そうだよね。
歩いて帰ってきたっていう人もいるもんね。
結構いたっていう話だね。
リリーは何してたの?
私その日、卒業ライブが夜ぐらいからあって、
同級生の子たちで楽器とかやってる子たちがライブハウス借りてやるっていうのがあったから、それに行く予定で、
それまで暇だったから、なんか家の中で何やってたかな、何やってたかまでは覚えてないけど、
普通に家の中にいて、で、そしたら家に一人だったの、その時。
家族のみんな出かけてて、実家だったんだけど。
で、いきなりさ揺れ出して、うわ、これやばい、これマジで死ぬわと思って。
で、自分の部屋じゃなくてリビングルームにたまたま行ったから、
ダイニングテーブル大きいのあったか、その下にまっすぐにスッと入って、
携帯持ってたから、これやべえなと思ってすぐに、何かあったらツイッターみたいなのその時からずっと、
癖になってるかな、なんか地震あったら即ツイッターの地震速報を開くのが癖になってるかも、私。
なるほどね、情報共有したりどういうことになってるかっていうのを把握するの大事だから。
24:00
で、やっぱり携帯の地震速報とかでさ、すごい不安になる音出すじゃん。
うん、今でも覚えてる。
当時ガラ系だったけど普通になったと思うんだよ、ギャーギャーギャーっていう。
ギャーギャーギャーってやつだよね、わかる。
もうこの世の終わりかっていうアラームね。
そう、ギャーギャーっていう音の後に、その後にテレンテレンってすごい不安になる。
テレンテレンテレン、テレンテレンテレンでしょ。
すごい怖いよね、あれね。
悪夢が来るんじゃないかっていう。
実際そういう風な心理にさせるような音を作ってるんだろうけどね。
作ってるんだろうね。
あれは怖いよね、本当に。
本当に怖い。だから一回収まったら、やっぱり案の定ガタガタ揺れるか、家の中のもんなんかもういろんなことに倒れちゃったりとか、崩れたりとかして大変なことになってたんだけど、
あーまずいなと思って。
まずは水だなと思って、揺れた直後に確かお湯張って風呂桶に。
で、家族に連絡して、なんかやばいことになってるっていう話したのは何となく覚えてるけど、
その後テレビとかつけて、あーなんかすごい大変なことになってるって思ったのぐらいしか覚えてなくて、
あとその日なんかアンパン食べてたのしか覚えてない。
アンパン覚えてるのか。
薄皮アンパンを食べてたのしか覚えてない。
わかんないけど。
そう、それぐらいですね。
いやーけど、衝撃だったね、あれは地震はね。
あのウスキーがいたの、横浜でしょ。
横浜。
そう、私千葉だからより震源地に近いじゃん、横浜より。
近かったんだ。
うん、より、駅上化とかしてた千葉は裏安とかの埋め立て地エリア。
そうだね。
そういうのもあって、なんかまあ色々やっぱりすごい怖かったよね。
いやー確かに。
で、大学は私東京だったんだけど、その後4月にね、新学生大学行った時に、
すごい都心の大学だったから、縦に長いから建物がね、20階とか、20階以上あったかな。
うん。
大学の講義室がさ、15階とかだったりすると、エレベーター節電とかしてて、
えー。
間に合わないの、授業にエレベーター持ってると。
全然間に合えないでしょ。
うん、1個とかしか動いてなかったから、エレベーター。
だからもう、あーもうしょうがないって言って、階段登るしかないから15階分登ってさ、
もう、
えー。
鹿の足みたいにもうなんかガクガクなっちゃった、足。
ガクガクな、授業どころじゃないじゃん。
本当にそれ、そういうのしか覚えてない、私。
だけど、俺も今覚えてるのは、大学の入学式がなかったでしょ?
なかった。
で、なんか5月から、5月から始まった。
うーん。
っていうイメージがある。
そっか。
そうだね、入学式、まあ入学式って別に、大学の入学式なんか特にね、友達もいないし、
うん。
なんかやることなかったから。
うん。
で、まあ、もどもど部活も入ってたから、大学の。
うん。
もうそこで友達ショーもできたし、
うん。
だからそこまでなんか、そうだね、入学式ってやっぱ、
27:00
あんまり思い出ないね。
うん。
入学式なかったんだ、私のとこ多分、
うん。
なんか写真があって、友達と一緒に、その一緒に入学した友達と一緒に撮ってる写真とかあったから、
その大学の看板みたいなとこで。
うん。
そこはあったとは思うんだけど、うちのとこは。
なるほどね。
うん。
ちょうどけどね、入学のシーズンでもあったからさ、その地震がね。
うんうん。
だから、そうだね、なかったというふうに覚えてるけどね。
うん。
やっぱりでもさ、地震の後、いろいろ不便だったよね、節電とかで。
うん。
やっぱり電気がいつもより使えないとか、
うん。
その、私の場合はエレベーター被害とかがあったんで。
そうだね、そういう被害はあったと思う、絶対。
あと、そうだ、電車もね、なんか節電かなんかの影響で、
終電がいつもより早くなってたりとかして、
うん。
で、それ知らなくて終電逃したときとかあった。
マジか。
3月の終わりに。
そう、そうだね、俺電車は使ってなかったから、高校、大学になるまで。
ああ、うんうん。
そこまで覚えてない、だから自転車とかバイクだったから。
いや、いいね、そっちの方がもうフレキシブルだもんね、だいぶね。
そうだね。
うん。
電車がちょっとあんま好きじゃなかったから。
そうですよね。
言ってたもんね。
うん、そう。
だから、そうだね、まあそれくらいかな、思いでは。
じゃあ次ね、2013年、我々ようやく20歳、成人式の時は、
記録的な大雪で、振袖は真っ白になりましたと。
俺覚えてる、覚えてる。
覚えてる、覚えてる、私も、ほんとに。
いや、もうすごかったもん、結局横浜だったから、横浜アリーナでやるんだけど、
雪がすごくて、俺もう途中でもう抜け出したもんね、もうなんか、これもう無理だと思って。
ひどかったよね。
会場までは行ったけど、雪がすごすぎて、もうそれどころじゃねえやと思って、
俺普通に家帰った覚えがある。
で、途中、よくあるじゃん、同窓会みたいな。
成人式の後にね。
その同窓会だけ出て終わった気がする。
だから、成人式のその日の思い出ってあんまなくて、雪がすごすぎて、もうこれいいやと思って。
でも人がすごいんだよ、ほんとに。
もうアリーナの中に何万人って、2万人とか3万人だと思うんだけど、
それくらいの人が来るわけで、友達と連絡取ってない限り、会えないし。
不可能だね。
そうそう、だからもういいやっつって、その横浜のアリーナの近くのパスタ屋さんかなんかでパス食ってた覚えがある。
え、一人で?
友達と。
友達と。
成人式で男の子の場合は、スーツかなんかなのかな?
そう、スーツだったね。
じゃあ、まだ可動性があるというか、動きやすいと思う?
機動性はあるね。
まだ女の子よりは。
フリソデでさ、普段着ないもの。
すごい動きづらいのね、あれ。
特にあの、ゲタ?
あの、履くやつね。
あれ、すっごい歩きづらいの。
もうなんか、一歩30センチ、30センチじゃないな。
30:02
10センチくらいしか進まないくらい、ほんとに動きづらいんだけど。
それで雪のコンビネーションって、もうほんとに地獄よっていう。
雪だって足しみるでしょ。
だからね、うちはね、車、会場まで車だったんだけど、
でも、車もさ、うち千葉だから、普段スタッドレスとか履かないのよ。
1年中ノーマルタイヤなんだけど、
あの、ほんとにスタッドレス履かないと危ない。
もしくはチェーン付けないと危ないレベルで雪降ってたから、その日は。
だからもう親が、あ、これヤバいって言って、
ちょっともう、外出たくないって言って。
でもやっぱ成人式だし、朝からいろんな準備してたから、
すっごい運転気を付けながら会場に行った記憶はあるね。
なるほど。
うん。
成人式の、ないな、記憶はだからあんまり。
あんまりないよね。
私も、結局は、ふりそで着るのが一番の醍醐味だと私は思ってたから、
結構、まぁ友達にも会ったけど、
まぁ友達に会うんだったら、その同窓会?
その後の別の会場でやる同窓会とかの方が多分会えたと思うし、
うん。
確か私も行ったんだよ。行ったんだけど、
その時はだから、ふりそでは着てなくて、
普通に私服に着替えたんだけど、
何を考えてたのか分かんないけど、
その時、すごい気に入ってたね、厚底の靴があって、
それ履いて行って、雪超凝ってんだよ。
あの凍ってる上をさ、7センチとかある厚底にさ、靴履いたの。
ヤバ。
クッソ危ねえやんって。
で、もう何を考えてたのか分かんないけど、
それで行って、転ばなかったのが良かったんだけど、
すごい歩きづらくって、で帰りさすがにこれ歩けないなと思って、
タクシー乗って帰ってきた記憶ある。
しかも、成人式はまあ出た人もいただろうけど、
その後さ、同窓会でさ、もう雪がすごすぎて、
もともと行くつもりだったけど、
結局天気がひどすぎるからちょっと行かないってなって、
会えなかった人とか結構いたし。
それ、じゃあもう全然会ってない人もいるわけだ。
そうだね、だからそっちの方がなんか二次災害的に大きいんじゃないかと思うけどね。
多分確かに。
だってね、同窓会ってメインじゃん。
成人式もそうだけどさ、
まあ成人式は写真撮って終わりじゃん。
なんかよく分かんない市長かなんかの話聞いてさ、
お説教ね。
説教聞いて終わりじゃん。
だけど、その後じゃん、やっぱりみんな久しぶりに高校卒業してから会う、
みたいなのがあってさ。
ねえ、やっぱりここでもまた自然災害を受けてるなっていう。
そう考えるとさ、結構日本って自然災害が多いよね。
多いけど、まあ増えてるよ。増えてるけどさ、
こんなドンピシャでさ、不死身に当たるかって話よ。
確かに確かに、ティンポイントでね。
本当にさ、呪われてるなって思うのが、だからそういうのが理由なんだけど。
確かに、だからまあ悪夢の世代って言われてるんだろうね。
一応、記事の中では一番最後に2014年、我々は21歳の時に内定式も安定の雨って書いてあるけど、
33:03
これはちょっと私あんまりわかんないっていうか、そもそも内定式なかったから。
これはあんまりかな、なんか2014年に関しては別に普通だった気がする。
まあ雨だったのかもしれないけど、別にそこまで。
もうなんか、なんなら今までいろんなことが起こりすぎてて、
もう多分みんな強くなってると思うんで。
ああ、まあね。
でもね、これは私関係ないけど、同じ年の2014年の2月だったかな。
うん。
私ちょっとうよ曲折あって大学辞めて専門に入り直して、で2年で卒業してっていうのがあったから、
で2014年の3月が卒業だったんだけど、その卒業の直前の2月に卒業展示、卒典って言って、
私クリエイティブ系の学校行ってたから、その制作があって卒業制作が。
で作品作ってそれを展示するっていう最後の卒典があったんだけど、
その時に大雪でまた。
まじか。
2014年の2月ちょうど、その時大雪で搬入の時。
うん。
その卒業制作の作品をね、搬入する時に大雪だったのね。
うん。
結構荷物になるわけよ、搬入。
それで雪降りられたから、それもすごい困ったし。
もうなんかね、これだから他の同じ学齢の他の人たちは多分あんまり影響ないと思うけど、
私ピンポイントでまた大雪の影響を受けてるっていう。
いやーなんか何がというと雪に左右されます。
ねー。
俺だから、なんかその入社内定式とか、それこそ俺も大学卒業して普通に多分2014年内定式だったけど、
なんかそこまで多分11月、10月の半ばとかだったからその大雨は多分避けられた気がする。
そんなになんか悪いイメージはないから、あんま覚えてないんだよね。
なんか入学式もそうだけど。
うん。
入る時って覚えてないんだよね、あんまり。どっかに入るってなった時って。
出る時の方が覚えてるんだ。
出る時の方が覚えてる。
卒業とかもそうだし、退社とか会社退社するとかそっちの方がなんか覚えてるかな。
なるほどねー。
やっぱ入る時ってなんか別になんかそこまで思い出ないんだろうね。
わかんないけど。
あんまり逆に言うと期待してないとかかもしれないね。
だから記憶に落ちないみたいな。
そうだね。
うんうん。
いやまあいいことだと思うよ。
うん。
で、やっぱり1992年代の人たちはこうやってさ、いろいろなことが不死身不死身にあるから、
もうなんか年を重ねにつれてもうなんとなくメンタル強くなってる気もするけどね。
だからなんか忘れてきちゃってるのかもしれないし。
うん。
ちなみになんかどっかこの別の記事でなんだけど、我々世代1992年生まれの世代が野球のなんかドラフト指名かなんかで不作の年って呼ばれたとかいう話も聞いて、
ひでえこと言うなと思って。
芸能人もそんなになんか大したのがいないみたいなこと書かれたりとかしてたけど、
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我々と同い年の芸能人って言ったらまあ有名どころで言うとやっぱキャリーとかかな、キャリーパンミューパンミューとか。
キャリーパンミューパンミューか。
サッシーとか。
うん。
俺もなんかわかんねえな。他に誰がいる?俺も全然わかんないな。
本田翼ちゃんとかそうなんじゃない?同い年だね。
あ、本田翼。
うん。
なるほどね。
あのAKBとかだったら横山優衣ちゃんとか。あ、郷里香やめ同い年だね。
あ、なんかそうだね。郷里香やめちゃんはなんか横山出身とかだよね。
あ、そうなんだ。
うん。なんかだから聞いたことある。
この子はでもあの同い年なのはなんかセブンティーン昔読んでたことがあって、
その時セブンティーモデルやってたからこの子が。
なるほどね。
だからそれで、あ、この子同い年だって思ってたから、それで覚えてる。
なるほど。
男性って逆にいんの?なんか女性ばっかだけど。
あ、染谷翔太君とか同い年じゃなかった?同い年だ。
そう。
それぐらいかな?
俳優の方?
知らない?
わからない。
そっか、まあでも最近あんまり見ないかも。セレナゴメスと同い年だって。
え、そうなの?
女の子だけど。
意外セレブリティで。
セレナゴメスと同い年なんだ。なんか年下のイメージがあったけどね。
ジャスティン・ビーバーとかは?
ジャスティン・ビーバーはね、1個下だったかな。
え、1個下なの?逆に。年上だと思ってたんだけど。
ジャスティン・ビーバーはね、ちょっと待ってね。
ほんとだ、2個下だ。だけど、3月生まれの1994年だから。
まあ、1個下か。
そうだね、1個下だね。
え、知らなかった。まさかの1個下なんだ。
年上ではないと思ってた。だいぶ若い頃にデビューしてた。
そっかそっか。
なんかずっと活躍してるからさ。
時の人だったし。
まあ、確かに。
それぐらいかな。でもほんとに男性があんまいないね。
ね。なんか女性の方が多いね、やっぱり。活躍してる人。
この頃から、やっぱ有名にある人ってやっぱ女性のモデルさんとかアイドルとか多かったからね。
あの、AKB全盛期じゃない?
我々と同世代、同い年の子でAKBの子結構ほら、
みねぎし、みなみ、さしはらり。
多かったね。
ぼこやま、ゆい。
あ、白石舞。あ、そうなんだ。同い年か。
とか。
そんな感じだね。
でも、そうだね。やっぱりでもキャリーが一番知名度で至るんじゃないかなと思ったけど。
はい。まあ、ちょっと何個か今まで我々の世代の不遇について紹介してきてきても、
特に自然災害とかね、パンデミックとか感染症とかいろいろ乗り越えて今に至ってるわけで、
我々ね、なんかゆとりだなんだとか言われたりするけど、
たくましく育ってきた世代なんですよ。
そうだね。それは俺も思う。やっぱりこういう不運な思いをしてきたからこそ、
それをまあそういった逆境に対して乗り越える力っていうのも絶対あると思うし、
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俺らの同世代の人たちは、まあもちろんピンポイントに1992年生まれだけじゃなくて、
1992年に近い年代で生まれた人も同じような経験をしてきてると思うから。
だから我々の上の世代の氷河期世代とかもそうだし、今まさにね、コロナ禍で大学とか、
自分の憧れてた、自分の想像してたような生活じゃないような生活を送っているような子たちとか、
就活にモロに打撃を受けている子たちとかもいっぱいいると思うから、
我々の世代だけではないんだけど、みんないろんなことがあって乗り越えてきてるから、
まあ今回もね、コロナ禍とか辛いこといっぱいあるけど、ウイスキーもイギリスでね、いろんな大変なことを影響を受けてますけども、
みんなもう全部乗り越えて生きているわけなので、
振り返ってね、我々頑張って乗り越えてきたなっていうのをまたね、思って、これからもいろいろあると思うけど、頑張って生きていきましょう。
頑張っていきましょうと、そういうことだね。
そういうことで、今週は締めさせていただきたいと思います。
では最後に、質問・感想、こんなトピックを扱ってほしいといった要望などがございましたら、
ビリー&ウイスキー&gmail.comまでぜひご連絡ください。
はい、お願いします。
はい、お待ちしております。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
みなさんも良い1日をお過ごしください。
さよなら。
はい。