1月の運動距離振り返り
あ、俺です。キョウヘイです。
いやー、難しいですね。30分一人で話すっていうのは。
前回やってみて、すげー思いました。
なので、なんだろう、もうちょっと何話すか決めてから喋ろうよみたいな感じで、
いきなりもう3回目やろうとしてるんですけども、
勢いね。それはさっき言いました。
んー、じゃあ一体何の話をするかということなんですが、
そうね、今日から2月1日なんで、
まあじゃあ、1月どのくらいランニングとかしたかについてちょっと振り返っていきたいかね。
まずランニングは180キロ走りましたと。
いや、マジ全然走ってないんですけど、
12月が70キロ弱だったのから比べると、頑張りすぎな感じはあるかな。
こんなの走んなくてよかった。
最終的にはもっと距離を伸ばしていきたいっていうか、
距離を伸ばすのが目的っていうよりは、
余裕を持って毎日気持ちよく走れるぐらいにしたいかなっていう感じはあるかな。
まあね、180だと微妙に抑制してる感じはある気がする。
ただ、怪我治ったばっかりなので、
そんなにすげー頑張ってまた怪我したくないっていうのがすごく大きくて、
走るのやめてチャーリンコ乗ったりしてるのもあるかもしれませんね。
で、ランニングが180キロで、
チャーリンコ、これ主に通勤ライドなんですけど、250キロぐらい。
で、個人的なランニングの距離と、
バイクの、チャーリンコの距離の換算する式があるんですけど、
だいたい2.7。
つまり、2.7っていうのは係数なんですけど、
チャーリンコの距離を2.7で割ったのがランニングに換算した距離ってことかな。
なので、245キロだと2.7で割ると90ぐらい。
だからランニングに換算すると270キロぐらいの分の運動をしたと、1月は。
まあ悪くないんじゃないですかね、270キロね。
キロキロうるせえと思うと思うんですけど、一番わかりやすいのは距離なんでそこは勘弁してください。
で、この換算じゃあどうやってるのかって話なんだけど、
これ超細かな話になるんだけど、
TSSっていう考え方があって、それで一応換算してることになります。
TSSって何かっていうのはトレーニングピクスとかやってる人は詳しいと思うんだけど、
トレーニングストレススコアっていう値です。
トレーニングストレススコア出すにはFTPっていう考え方が出てきて、
これはファンクショナルストレスフォールドパワーなので、
なんていうんだろう、機能性なんちゃら式一とかって日本語で言うと思うんだけど、
それがFTPですね。
FTPは本当の定義はちゃんとみんな調べてほしいんだけど、
めちゃくちゃ適当っていうか、すげえ簡単な理解で言うと、
1時間維持できるパワーのこと。
1時間内で出し続けられるパワーのことね。
で、パワーなんですよ、パワー。
パワーなので、これはワットで測ります。
なので、ランニングだとちょっと円が遠い気もする値だよね。
ランニングってだいたいペースとかハートレート、心拍数で測ることが多いじゃないですか。
これがパワーなんですね。
パワーだと、なんでパワーから始まるかって言うと、
今、ランニングとチャリンコをどうやって同じ評価基準で当てはめるかっていうことを話しているので、
それに使うのがTSSって話に戻ってくるんですけど、
トレーニングストレススコアっていうのはパワーでやります。
最近はコロスの時計とか使っているとパワーが出ると思うので、
ランニングでもパワーを測る術が最近はあるんですね。
パワーっていうのは、自転車のパワートレーニングっていうのが有名だと思うんですけど、
自転車だとパワーすごく測りやすい。
ペダルにかかる力で何ワットっていうのが簡単に出る。
自転車だとFTPっていうのは簡単に測れたりするんですよね。
最近だとZWIFTっていうバーチャル空間で自転車のトレーニングするっていうプラットフォームがあって、
ZWIFTで適当にコード入れるだけであなたのFTPはいくつですよっていうのを教えてくれたりもするんですよね。
FTPが分かると、要するにそのFTPで1時間運動するとTSSが100なんですよ。
1時間ギリギリ維持できる運動パワーで、出力で1時間運動するとTSSが100なんですね。
だからFTPを1時間出し切ればTSSが100。
これを覚えてください。
覚えなくてもいいか。
要するにチャーリンコとランニングをどうやって比較しているかなんですけど、
TSSが100と。
ランニングでもチャーリンコでもTSSが100を出すためにはFTPの運動を1時間する必要があるんだけど、
ランニングでTSSが100の運動ってどんな感じかというと、
これも諸説あると思うんですし、ツッコミはいくらでも入れていただいて構わないんですけど、
LT層だよね。式1層。
ここで言っている式1はスレッシュフォールドなので、
FTPのファンクションスレッシュフォールドのTと被っているので、
大きなズレはないと思うんだけど、式1層を1時間やったらTSSが100だと思ってくださいと。
例えば、キロ4で1時間15キロ走ればTSSが100の運動をしたと。
こういった形で自転車とランニングを同じ土俵で比較ができるんですね。
それをやった時に、同じTSSを稼ぐのに距離を見ると、
俺の1ヶ月の平均で見ると、だいたい2.5から2.7という数字が出てくるので、今2.7を当てはめていますと。
距離換算とトレーニングストレススコア
すげえ話で長くなったんだけど、この2.7という係数は個人的な持ち物だと思うんですけど、
みんなもなんとなく2.5ぐらいで割ってみるといいんじゃないかな。
だからチャリンコ250キロ乗ったらランニング100キロ換算ぐらいの気持ちで計算したらいいんじゃないかな。
別にチャリンコとランニングを合計して、俺みたいにラン換算270キロとかやらなくてもいいんですけど、
これ一つの分かりやすい例ですね。
何の話だったかというと、1月はそのくらい運動しましたということだな。
だんだん全然足も痛くなくなってきたし、ただまだ2.3ヶ月サボったんで心配機能が全然元に戻らないですね。
だいたい常にキロ4分で5キロ10キロはコンスタントに走れてたんですけれども、今それは全然できなくて。
4分20秒ぐらいで朝トラック行ったら5000キロ走ってるんだけど、なんで全然だよね。
1キロで20秒遅いんで、だから5キロだと100秒?だいぶ1分40秒か。
それなかなか大変だよね。
ハーフマラソンだと4分ぐらいかかっちゃうのか。
4分縮めるの大変だもんなーということで、まだまだですね。
そんな感じで頑張っていきたい。
そういったことを1ヶ月はやっていたというのが近況ですかね。
ということで、近況とか雑談とか3回目はしゃべればいいんじゃないかなと思うんですが、
そうだな、あと何してたかな。
本は割と好きなんで結構読むんだけど、最近読んでた本が、手話の関係の本を何冊か読みましたね。
なんでそこに興味を持ったかというと、きっかけはNetflixで見たコーダー、愛の歌という映画ですね。
この映画はどんな映画かというと、簡単に紹介すると、
コーダーっていうのは、Children of Deaf Adults だから、
デフってローの人のことなんだけど、耳が聞こえない人たちのことなんですけど、
耳が聞こえない親に育てられた子どもたちのことをコーダー、C-O-D-Aでコーダーって呼ぶようなんですけども、
そのコーダーが主人公の映画を見たんですね。
これがなかなか感動的な映画だったんだけど、それで面白いなと思ったんですよね。
これって、ローとかの話って障害に関係する話にもなるので、センシティブなトピックだと思うんだけど、
担当職においてすごく興味深かったんですよね。
そのコーダーの人たちって言ってみれば、バイリンガルなんですよね。
音声言語も使えるし、手話も使えるっていうバイリンガルなんですよね。
そこを考えだしたら、ものすごい興味持っちゃって、手話っていうのは言語なんだなと。
俺たち言語って言ったら外国語を思いつくと思うんですけど、
例えば日本語とか英語とか韓国語とかいろいろあると思うんだけど、
朝鮮語って言ったほうがいいんですか?
そういうのがいろいろあると思うんですけど、
そういう音声言語のことばっかり考えてたのが、
なるほど、あれは手で表現する言語なんだなっていうことに気づいたんですよね。
面白そうだなと思って、手話の本を読んでみたのかな。
手話を文化人類学的に言語として捉えるみたいな新書が3日あったので、それを読んでみたのかな。
手話の世界を訪ねようって本なんだけど。
これはなかなかすごく良かった。
簡単に言うと目から鱗なんですよね。
我々っていうのは、この言葉もいろいろ抵抗がある人もいると思うんですけど、
聞こえる人たちは、聞こえない人たちのことを反で思った方たちだと思っている部分があったと思うんですよね。
誤解を恐れずに言うけど、何なら助けてあげないとぐらいに思っていた。
それがすごい思い上がりだったなと。
すごい恥ずかしいなっていうことをこの本を読んだり、
自分の中で反でってのは一体何なのかだとか、
手話っていうのが言語としてどういうものなのかっていうのを知ったりすることで気づいたっていうのがすごく面白かったかな。
何でも俺は面白かったって言うんですけど、
人生の判断に使う基準って大体面白いかどうかなんで、
面白いからやるっていうのは俺の中で最大の評価だと思っていただきたいんですけど、
すごい面白いなと思ったわけですよ。
調べていくと手話っていうのは自然言語だと。
自然言語の条件みたいなのがこの本に書いてあったんだけど、
二重分節性だとかなんだかで、要するに音があって音を組み合わせることで意味を持つ単語になるみたいなことが言語の定義みたいなんだけど、
手話もそうだと。
手話って俺らジェスチャーとか身振り手振りだと思ってる部分あると思うんだけど、
実は手話っていうのはボキャブラリーの語彙の部分とか表現力、
例えば形状的なこと、抽象的なこととかもちゃんと全部説明できるきちんとした言語なんだっていうのをその本でちゃんと情報として知ることができて、
そうなんだっていうのはありましたよね。
手話の興味深さと言語特徴
本当にこの年になっても知らないことで死ぬことがあるなと思って、
だから面白いんですけどね、人間がやってるのは人生やるのはね。
知らないことをどんどん覚えるのが面白いと。
でね、ハンデっていうのは一体何かみたいな話もすごく考えさせられて、
なんかハンデっていうのは我々割と絶対的なものだと思ってる部分があるかもしれないんだけど、
社会的なもんなんだなって、それでその本にも書いてあったんだけど思いましたよね。
社会的なもんってどういうことかっていうと、
すごく簡単に言ったら、その時の都合によっていくらでも定義が変わる社会の都合によってね、
要するに今の社会って、我々のいる社会っていうのは耳が聞こえる人、
口で、音で喋る人たちが大多数を占めているので、それに応じてデザインされているわけであって、
そこがそのハンデであるかハンデでないかの基準になっていると思うんですよね。
バリアフリーとか言ってますけど、要するに全員が車椅子に乗っている社会だったら、
そもそも車椅子に乗っているほどハンデになりませんし、
だからカーズの世界って全部バリアフリーじゃないですか。
あいつらみんな車だからね。
あんな中には飛行機も出てくるんで、プレーンズとかも出てくるんで、
ちょっと話がややこしくなるんでこの辺にしておきますけど、
カーズとかの世界っていうのはだから、
俺たちの住んでいる社会みたいに歩ける人と車椅子に乗っている人たちの間はないわけだよね。
それハンデでそういうことなわけじゃないですか。
手話の意義とハンデの概念
その考えを考えていくと、これは本の中にもあったことなんだけど、
例えば手話の人たち、ローの人たちが10人いるところに俺が1人で突っ込んでいったら、
ハンデを持っているのは俺なんだよね。
アメリカ人が10人で喋っているところに俺が1人で突っ込んでいって、
ちょっと例えが悪いな、俺はアメリカ人と喋れるんでそれはいいんだけど、
そしたら俺がハンデを持っている方になるわけじゃないですか。
すみません、手話わかんなくてごめんなさい。
皆さんちょっと助けてください。
手話から音声言語に通訳できる方いらっしゃいませんか?みたいなことになるわけですよね。
そうやって考えたら、さっき言ったような、誤解恐れずにもう一度言いますけど、
助けなきゃなぐらいに思っていた部分というのが、すごいしょうもない、狭い考え方だったなというのは思いましたね。
そういう反省点の話もいいんだけど、それ以外にやっぱり面白かったのが、
だから手話が言語だというところですよね。
俺たちなんで、今あのって言いましたけど、あれとかこれとか、なんであれとかこれとかっていうことをきちんと説明できないじゃないですか。
説明できることもいっぱいあると思うんですけど、なんであれっていうとか、
どうしてその音を当てはめたかっていうのを説明できないじゃないですか。
手話のことを身振りだと思ったりするから、例えば全然知らないですけど、
もし私っていうのを意味する手話が自分のことを指差すようなことだったら何か意味あるなって思うし、
逆に全然そういうような指の使い方とかしてなかった場合には、なんでかなって思ったりするじゃないですか。
で、なんでも何もねえよと。だって俺らって知らないじゃないですか。
なんであれっていうか、なんでそれっていうか知らないじゃないですか。
そういうところも本当に何も知らなかったんだなっていうのが、最近何冊かそういう手話とかの本を読んで思ったことですよね。
何の話なんだっけ?近況、近況。
あとは、日本の五十音とかあると思うんだけど、必ずしもそれを使って思考してないっていうことですよね、手話の人たちは。
あくまで我々、日本語を使っている人たちとコミュニケーションするために、
例えばあいうえおとあいうえおに対応した手話があるとは思うんだけども、脳みその中でも、
例えば、私は今家に着きましたみたいなことは音で考えていないわけですよね。
これ言い出すと、本当は自分はそういうふうにいちいち頭の中でこういう風に出しているのかというとそれも違うと思うんだけど、
あとこの話もめちゃくちゃ興味深いのは、例えば英語でしゃべっているときって英語で考えているから、
要するに自分がどういう風に考えているか説明できないんで勝手に想像するんだって話なんだけど、
一個一個対応していないっていうのはめちゃくちゃ興味深い、面白いなと思って。
だからどういうことなのか知りたいっていうのはすごくある。
なのでちょっと思ったんですよね、その手話を俺も覚えてみようかなって。
勉強してみようかなって。
ただこれ、本当生半可な気持ちだと日明かしになっちゃうとまずいなっていうのはありますよね。
なんていうか、やっぱりスペイン行きたいからスペイン語を覚えるとかっていうのとはもうちょっと性質が異なる。
今言ってと思ったのは、それも逆に特別扱いしすぎで失礼なのかな。分かんないな、難しいな。
なんていうか、こういうことって繊細になろうとすれば無限に繊細になれるし、
なんていうか、無限に当たり前のように振る舞われるしすごく難しい話ですね。
なんですけど、なんでそこまでやってないかっていうと、まずあれだな、
今例えば俺たちエスペラントとかラテンとか覚えようとしないじゃないですか。
実際コミュニケーション使わないからね。
趣味だけで一つの言語を覚えるってものすごく難しいと思うんですよね。
だって使わないと絶対上手くならないし、逆にコミュニケーション使わないんだったら、
俺としては知らない言語を覚える必要ってないと思うんだよね。
研究とか趣味とかで覚えたいって人はもちろんいると思うんだけど、
俺はそれは全然興味ないんだよね。
誰かとそれによってやり取りできたりするし、
今まで通じなかった、意思を伝えることができなかった形で意思を伝えることができなかった相手に伝えるっていうことが新しい言語を覚える、
手話の言語性と文化
やっぱり最高の利点だと思うし、
あと言語って文化とどうしても絶対に切り離せないものだと思うので、
言語を知るってことはそこの文化についても触れられるっていうことなので、
そこで何だろうな、詩は面白そうだなって思ったんだけど、
環境がないっていうのが大きいかなと思いました。
かなりの能動的な労力を割かないと維持できないだろうなっていうのがあれだよね。
全然、例えば外国語をしゃべる環境にないのにそこのお金払ってスクールに通ってそこの国の言葉を覚えたとしても、
実際使わなかったらじゃあそれってどうなるのみたいな部分もあると思うし、
それに似てるので結局、そこまでやってないんですけど、
これちょっと話広がりすぎちゃったんですけど、
最近読んでた本とか得た知識の中では、この部分はすごく面白かった。
だからテイクアウェイとしては別の言語なんだなと、
ハンデっていうのは我々の身勝手な決め事なんだなっていうのが学びだったなっていうのが最近ありました。
その中で読んだ本の中で、みんなが手話で話した島っていう本があって、
それはアメリカの東海岸、マサチューセッツってどこだか全然わからなかったんだけど、
そこにあったマーサーズ・ヴィニャド島っていう島があって、
そこは遺伝的な要因で、ローの人がすごく多かったと。
普通の環境に比べるとものすごく多かったと。
なので、そこの島では住民みんなが音声言語をしゃべれるかしゃべれないか、
耳が聞こえるか聞こえないかにかかわらず、
全員手話で話した時代っていうのが何百年かあったっていう、そういう本を読みましたと。
これもすごく面白くて、さっきも言ったけど、
最近の読書と韓国ドラマ
ハンデっていうのは結局気まぐれな社会的なカテゴリーなんだよなとか、
社会の在り方っていうのをね、
いやお前誰なんだよって話なんだけど、
全然別に俺が社会の在り方考えたってしょうがないんだけど、
考えるのは俺の自由なし、ただでしょ。
だから考えてたんだけど、そういう印刷でしたね。
だからこれは今後どこまで実際に行動に移すかは別の話なんだけど、
今後自分の考え方に影響を残すような本だったな。
その本の中に出てくる、例えばまだ生きてる老人とかは、
もう今はいないんだと思うんだけど、
80年代とかにこの書いた人がインタビューした時には、
その耳が聞こえなかった人たちを思い出す時に、
その人は耳が聞こえなかったんだよねっていうのは最後まで言わないらしいんですよね。
何でかというと、耳が聞こえなかったっていうことがその島では属性じゃなかったと。
人を識別するための属性じゃなかったと。
なんかすごくお金持ちだったとか、あの人はこういう仕事をしてたとか、
あの人は量が上手かったとか、そういうことは言うらしいんですけど、
あ、そう、耳が聞こえなかった人なんだよねっていうのは出てこなかったっていうのがすごく興味深かったなって思ってたかな。
あとは何読んだ?
なんかナルスは天下を取りに行くって本を去年読んだんですよ。
ナルスシリーズの2冊目が出て。
ナルスの天下を取りに行くが1冊目で、なんか変なエキセントリックな女の子がいろいろ活躍する本なんですけど、
そこそこ面白かった。
その続編が出たんで読んだんですけど、これも面白かったかな。
これは割と番に受けする気もしますね。
ただ業の間がめちゃくちゃ空いててスカスカで、
これは100ページくらいで収まる本だから、もっとたくさん書いてほしいなって思いましたね。
ちょっと読んだ本全部話すと無限に終わらないのでこのくらいにしておくんですけど、
あとは最近めちゃくちゃやってるのが韓国ドラマ見まくってますね。
韓国ドラマとか韓国の映画見まくってますね。
韓国の悪い言葉を覚えては同僚の韓国人の人にちょっと変な言葉を覚えてるんだけど、
これ試していい?試していい?ちょっと人事には言わないでもらっていい?
悪気はないんで試していい?とか言って試したりしてるんですけど、
昨日ずっと見てたネットフリックスのやつだ。
砂の上にも花は咲くっていうドラマが終わっちゃったんですけど、
これ面白かったな。
なんかすごく尊いんですよ。
幼馴染と30過ぎて再会してどうのこうのみたいな。
なんとかその主人公2人は可愛いんですよね。
まあ面白かった。よかった。
あとはAmazonプライムで見た誘拐の日っていうドラマもすごくよかったな。
これはツイッターの友達が教えてもらったんだけど、
これもなんかね、子役がすごくよくて、
もうあれは子役じゃねえな、この子は女優だなと思って、
もう子役っていうの失礼だなって思ったぐらい面白かった。
その前に見たネットフリックスで見たライブっていう警察官のドラマもあったんだけど、
あれもすごく面白かったな。
なんていうか、ああいう視点で作られた警察モノのドラマって
あんまり日本じゃ見ないんじゃないかなと思った。
なんか青島とか太陽に覚えろとかのイメージが多いんですけど、
全然日本のドラマ見てないんで舌がぶるなって思われたらそれまでなんだが、
ちなみにこのなんちゃらキャストは俺がすべて生ハンカーの知識で舌がぶって話すので、
そこはいいんです。全部。
知らないことも知ってるふりして話すのがコンセプト。
うん、ってことはない。知らないことはあんま話さない。
あとはネットフリックスで見たビーフってやつね。
日本語のタイトルって逆情ってついてるんだけど、
ビーフすごく面白かった。
これはアジア系のキャストばっかり出てくるドラマで、
なんていうんだろう、
その抑圧された人たちの日常でのちょっとしたことで引き起こされる怒りとか憎しみの連鎖みたいな話で、
ほんと見てて、毎回見ててすごく不幸なことが起きるんじゃないかって予感にあふれてて、
見ててすごく辛いんだけど、
でもさっきから気になって。
で、なんかちょっと短いんだよね。1時間ない感じで。
それですごく面白かった。
ラストの方には若干スクイーもあったりしたと思うんですけど、
ぶっちゃけ全然、全部覚えてないんだけど、面白かった。
そういうような暮らしをしてますね。
韓国ドラマなんか面白いんだよな。
やっぱなんかスケールが違いますよね。
金のかけ方が違う。
これはもう国が何というか、産業として、
いやこれも知らないで言うけど、国が産業として促進してなかったら無理だろうっていうような規模ですよね。
だいたいさ、これどうなってんの?
韓国ドラマって1時間5分とかあって12回とかあるでしょ?
これNetflixで1時間5分ってことはよ、
75分だけでしょ?
日本のドラマ1時間もので40分ぐらいでしょ?
賞味中身が。
ってことは、何?2時間枠を毎週やってんの?韓国のテレビって。
すげえな。これを何?みんな見んの?2時間。
すごいよな。これテンションよく持つよな。
だいたい韓国って何チャンネルなんだろうな。
ちなみに韓国は行ったことあるんですけど、
それは10歳の時に行ったんですよね。
うちの親父がそこそこイカれた人で、
若い頃に右翼的な民族運動的なことをしてたんですよ。
ピースボートでの韓国体験
右翼って聞くとみんなしょうもない凱旋者とか思いつくと思うんですけど、
それよりはもうちょっとちゃんとしたことをしてたみたい。
具体的な組織の名前とかはここでは言いませんけど、
割と研究したりしてたっぽいんですけど、
今でも有名な鈴木邦夫さんとかいるんですけど、
その人たちと若い頃親交合同で、
親父が死んだ時には墓前にも来てくれたっていうようなエピソードもあるんですけど、
何を言いたいかっていうと、
親父の友達の一人に岩木信子って人がいたんですよ。
岩木信子って3,40代の人だと覚えてると思うんだけど、
ヒレークか何かで国会議員に当選したピンクのスーツ着たおばちゃんなんですけど、
おばちゃん見なんだけどおじいちゃんみたいなおばちゃんなんですけど、
あの人が若い頃、最近までやってたんだと思うんだけど、
少年の船っていう愛国的な子供たちを集めて、
外国に連れて行くっていうピースボートの、
ピースボート乗ったことないんで知ったかぶりなんですけど、
ピースボートを置いといてそういう少年の船ってやってたの。
親父が岩木信子の先生の後輩だったから、
韓国に行くやつに乗れよって言われて、
弟と2人で、俺10歳の時、弟が小1ぐらいの時、
小1と小4ぐらいだったと思うんだけど、
乗せられて、船に乗ってプサンまで行ったんですよね。
で、俺それまですげえ車用意するタイプだったんだけど、
なんかそれから往復1週間かけて、
片道3日ぐらい船の中で暮らして、
で、船の中ってなんか海水でお風呂入ったりするんですよね。
ちょっと想像すればわかるけど、
まあ水がきっとすげえ貴重なのと思うんですよ。
で、海水のお風呂とか懐かしいな。
あとあの、異様の匂いずっとしてるんだよな、船の中って。
異様で動いてないと思うんだけど、あれどういうこと?
エンジンがそういう匂いするの?よく知らないんだけど。
で、船の中で現地の子供たちと国際交流するみたいな、
そういうのでみんなで組体操じゃないんだけど、
マスゲームじゃないんだけど、そういうのを練習したりして、
とにかく韓国に子供たちだけで、
で、班長とかで班組んで行くんだけど、その班長が、
今考えたら全然子供なんですよね。
たぶん中学3年生とか?高3までいたのかな?
まあその子供たちで班作って、
班長当時すっげえ大人に見えたんですけど、
それでなんかみんなで班生活みたいなのして、
それで行くっていうのがあって、
それが韓国だったのね。話しながらだったんだけど。
それが1987年で10歳だったんで、
まあもう年はいいんですけど、
その、そう、だから88年はソロオリンピックだから、
親の影響と自己表現の重要性
なんかソロオリンピックに湧いてるような韓国、
ソロオリンピックに湧いてるような韓国のところに行ったはずなんですよ。
で、この前ネットフィックスで見たソウルバイブスって映画が、
ちょうどソロオリンピックの年の映画だったんですけど、
あれ?こんなんだっけな?と思って。
なんていうか、まだ当時は、
あちらの国では、
例えば日本の歌謡曲とか禁止されてたりとかしてたような時代で、
あの、我々も現地のガイドさんから、
その日本人の子供たちだけでトイレとか行かない方がいいですよ、
とかって言われてたんですけど、
で、何したんだろうな。
なんか割と、
なんか、その朝鮮時代の遺跡とか見に行ったりしたんですけど、
全然話はそれじゃなくて、
韓国、行ったことあるよって話がしたかっただけなんだけど。
で、それからもう30年経つけど、
2回目はまだ行ってないんだよな。
行きたいな。
イテモンクラス辺りから韓国もう一回行きたいな、
熱があるんだよな。
なんか、いいよね、ちょっと。
でももうちょっと言葉を覚えたらいいですかね。
で、現地、当時行ったんだけど、
全然、チーズトッポッキも食ってないし、
サムギョプサルも食わなかったし、
何しに行ったんだろうな。
よくわかんないですけど、
韓国行ったと。
その流れで中国でも行ったことあるし、
割とガキの方から変なことさせられてたんですけど、
そういう話も今後したらいいかなと思いますね。
で、親父も割とイカれたやつでもう死んじゃったんだけど、
で、前回の話はDIYのね、
何でも自分でやってみようって気持ちも、
今よく考えてみると、
実はその親父が色々こう作ったりしてるのを
見てたのがあるんじゃないかなと思うんで、
親の影響は測り知れないよねっていうことで、
これずっと喋ってると、
永久に話が終わらなくなっちゃうんで、
これにしようかなと思うんですけど、
で、親父の面白いエピソードを一つ話すと、
俺が小学校の時に、家に帰ったら、
庭に部屋が一つ増えたってことがありましたね。
なんか親父は内装業とか建築業とかずっとやってて、
会社作ったり潰したりしてたイカれた男なんですけど、
家帰ったら部屋が増えたのはさすがに俺もウケた。
そういうことができんだなっていうのを見てたんで、
今俺も自分で何か手を動かしてやってみようとか、
こんなもの作れるかなっていうのは、
割と自由に考えられるようになったっていうのは大きいですね。
そういう親父を見ては俺がこうなったんだけど、
こういう俺を見ては子どもたちがこの特性を受け継いだかっていうと、
またそれは別の話なので、
すげえ面白いなって思うし、
一体親から子に何が与えられるんだろうなとか、
一体何を得るんだろうなっていうのは、
これ多分永久に喋れるトピックなんで、
また今度喋りましょう。
うん。
じゃあ、そんな感じで。
またねー。