TALENT TALK。才能が見つかれば、仕事も人生もうまくいく。この番組では、一人一人に秘められた才能を見つけ、その才能を活かして、自分らしい仕事や人生を作っていくためのヒントを発信していきます。
こんにちは、パーソナリティを務めます株式会社タレント代表のタカチンコと佐野隆史です。
野村 同じくパーソナリティを務めます音声プロデューサーの野村隆史です。TALENT TALKシーズン2第35回です。よろしくお願いします。
前回何が起きたかっていうと、前回はチームマネージャー、チームリーダーとって必要なことっていうテーマだったんですよね。
どんなチームリーダーというかマネジメントしてるんですかって、タカチンさんに聞いていただいたときに、私が相手が一体何が見えてるのか、相手の視点を見るようにするみたいな話をしたじゃないですか。
それが今回の話と被っていたっていうですね、聞き手としては良くないですね、あのことを起こしてしまったんで、早速今回その話でいきましょうか。
そうですね、本当にこういうこともあるんだなと思って面白かったですね。
すみません、本当に。
どんでもないです。
じゃあ改めて今回のテーマを教えてもらっていいですか。
はい、今回ですね、意見の異なる人と理解し合うために必要なこととはっていうテーマです。
お願いします。
はい、ありがとうございます。
前提なんですけれども、そもそも今回人間って相反態度って言われている、こう全然違う態度を持ってる人ですね、に対してネガティブ評価する傾向が生じるっていうものがあると言われているんですね。
はいはいはい、まあそうですね、そんな感じがしますね。
そうですね、これも結構学術的に言われているものでして、最終的には肯定的に捉えるにはなかなかかなり意識しないと難しくって。
ネガティブな印象をどうしても反対意見のものに対して持ってしまうという挙動があると。
で、2つ目がナイブリアリズム理論というものなんですけれども、自分には客観性がすごいあるという思い込みと言われているもんですね。
はー、なるほど、面白いですね。
自分は客観的に見れているんだ、この世の中をとか、この対人関係を客観的に見れているんだという思い込みが、もうすでに人間にはデフォルトで備わっていて。
で、客観的に僕は全部受け止められているからとか、理性的に考えられているからみたいなことを持ってしまうというのは、実は思い込みであるという大前提があるんですね。
なので、この前提があるからまず認識がずれ始めているということが起きています。
要は人間はバイアスによってその相手のことを誤解してしまっているかもしれないということですね。
こういう前提があるんですけれども、今日参考にしたいなと思っている論文は、京都先端科学大学のマッカンバラさんが書いている論文なんですけど、これも日本心理学会優秀論文賞というのを2022年に取っているものですね。
今回の研究対象が、学生87名で、男性40名、女性47名に実験をしているんですけども、意見の選択というものをまず持たせてるんですね。
1つ目が死刑制度の存続、2つ目が原子力発電所の増設、3つ目が裁判員制度の導入といったように、意見が賛成反対に分かりやすいものですね。
どちらかの意見を持ってくださいという形をしてもらいます。
さらにそのグループと、次に作詞っていう野村さん作詞ってやったことありますかね。
野村 本当は動いてないけどぐるぐる動いているように見えるみたいなそういう画像ですよね。
そうですそうです。あとは見え方が切り替えると、あれ違う見え方になったみたいなものも作詞なんですけども、
そういうふうに人は見ている認識が変わっていったりとか、実際動いてないのに動いて見えてしまうっていうのは錯覚、作詞が起きているっていう状態だと思うんですけども、
こういったものを見たグループと見てないグループっていうのにも分けたりとかしています。
その参加者をまた作詞の画像を見たグループと見てないグループに分けたってことですね。
そういうことですね。それらをバイエスがどれくらい持ってるかっていうのを確認していくっていう実験なんですけども、
結果的にはですね、作詞を見ていないグループに比べて作詞を見たグループの方が自分と違う意見が出たときにバイエスの認知が結構緩和されているってことが分かった。
なるほど。面白いですね。
要は偏見が減ったってことですね。
ええ。
これつまりどういうことかっていうと、客観的には見えてない、ちゃんと自分は分かっていないとか、錯覚が起きているのかもしれないっていうことをちゃんと理解すると、
そういう思い込みが一回外れて、バイエスが結構なくなっていってるってことが分かってきたんですよ。
これ面白い実験ですね。
面白いですよね。
面白い。だから画像を見て、本当は動いてないんだけど、そのぐるぐる見えてるのを自分が体験すると、
自分の認知なんてこんないい加減なんだなっていうふうに思って、
意見が違う他者に対しても、この人はこの人でこういう意見持ってるだろうしなみたいな、
要は自分が必ずしも正解が見えてるとは限らないってことを自覚するってことですね。
そういうことです。大学生の時にとある本を読んだ時に、その本廃盤で売られてないと思うんですけど、
この作詞のことが書かれてたんですよ。
あなたはこれをどう見えますかって言った時に、僕はただのブロックにしか見えなくて、
でもよく見てください、これライフって書かれてますよねって言ったら、
めちゃくちゃライフって文字が隠れてたんですよ、その作詞の中に。
面白いですね。
要は人は見方を変えれば、その世界が急に変わって、
そこにこれはもうライフにしか見えないって風になってしまうぐらい影響が強いものだってことが言われてたんですよ。
要はでもバイアスっていうものを結構人間は持ってるし、バイアスを強く持てばそっちに向かうけど、
得られないものもあるし、得られるものもあるよねみたいなことが本で書かれてていて、
その頃から僕も結構バイアスのことが好きになっていって、
いろんな体験しないといろんな見え方が分からないんだってことが分かっていったんですよね。
最終的にはもう本当に関係なくいろんな人のことをフラットに見るようになっていった結果、
バイアスチェンジが結構できてるなっていう感覚が持てるようになってきたんですけれども、
それによって人の理解は分かった気ではいてはいけないっていうのが最終的に分かるようになってきた。
そうすると対話の時にコミュニケーションで対話ができるようになるんですよね。
丸々さんが思っていることって、僕がこういうふうに認識したんだけど、
違う認識を持ってるかなっていう問いが生まれたりとか、
これってどう思うのとかっていう問いが結構頻繁に生まれるようになってですね、
結構総合理解が促進したなっていう記憶があったので、
この論文読んで改めてやっぱそうだったんだなっていうのを再確認させていただきまして、
野村さんなんかもいろんなこと経験しすぎてバイアスがあんまりないというかかまされててますよね。
野村 いや、でも多分ですけど、これいろいろ経験したら逆にたどり着く心理としては、
もう自分のバイアスは絶対にあると。
どんな状況であってもその客観的に判断することは不可能であるというふうに逆に自覚するかなと思うんですよね。
そうですね。
野村 だからどうしても人間である以上フラットにフェアに見たいと思うんだけど、
何らかの色眼鏡はかけてしまっているかなと思うから、
それを差し引いてちゃんと判断するっていうのが大事かなと思うんですよね。
その差し引いてっていうのは、さっきの前回で言ったマネジメントで言うと、
客観的に見たら自分は明らかにこの状況は悪いと思っていて、
関係している担当の○○さんがこれはミスってるっていうふうに、
しっかりと強めにフィードバックしなきゃいけないみたいなことを思ったとしても、
それっていうのは多分何かのバイアスがかかってて、
まずは向こうの人がどんな目線でこの現象を見てるかっていうことを聞く。
その上で、それでも多分バイアスはかかるんだけど、まだ緩和されるから、
その上でちゃんと判断するみたいなことをやんなきゃいけないのかなっていうのは思うんですよね。
これってバイアスがかかりすぎることにて勘違いが起きて、
最終的にはそれによって意見の層が生まれてしまって、
仕事の成果が出ないみたいなこともかなり堅いだなと思うんですけど、
もう一つはやっぱり勘違いされたって思って勝手に進んでいくと、
その人のことをリスペクトできなくなっていくんですよね。
自分のこと勝手に解釈されたよって思って、
あの人は私のことを理解してくれないから、
もうちゃんと説明するのめんどくさいなみたいな。
とかにだんだんとなっていきがちだなと思っていまして、
これがよくあるのが、世代を超えたコミュニケーションとかっていうのも、
このバイアスがやっぱり働いちゃうんですよね。
時代によって言葉の定義や認識も変わってくるじゃないですか。
なので、もう本当に一番最終的には野村さんが言った通り、
自分には必ずバイアスが存在してて、
他者を客観的に理解することができないんだっていう前提に立ちながら
コミュニケーションを取ることしか方法がないんだろうなと思っています。
本当にそうですよね。
完璧にフラットな人間はいないと思うんですよ。
フラットだったら感情がないかもしれないですよね。
確かにね。
AIみたいに常に淡々とジャッジするみたいな感じですよね。
そうですね。
AIでさえバイアスされるなと思いますよね。
こっちに導いてって回答してるなとか。
もともと何をデータとして入力させるかで全然違いますもんね。
そうですね。
バイアスって偏りなんで、偏らないことはないっていう風に考えると大前提そこだし、
あと才能で言うと、人の才能ってそれぞれ結構違うじゃないですか。
それもラベリングしすぎることが結構リスクだなと思ってて、
僕は昔、あなたの才能はこれですねって結構当てるゲームしてたんですよ。
なんですけど最近ってかなり細かい質問で掘り下げて、
その人が使った言葉をベースに本当にこれで合ってますかっていう確認をするようにしてるんですけど、
じゃないと結構バイアスが入るなと思ってますし、
一番代表的なのが、B型だからこれだねみたいな感じのバイアス。
日本人が好きなやつですね。血液型占い。
そうなんですよ。
で、例えば最近流行ってるパターン系のやつとか占い系のやつとかもいっぱいあると思うんですけど、
それも結構当たってると思うんですよ。
なんですけどバイアスなので、あくまで参考にするくらいで、
人のことをちゃんと知るほうが精度が高いんじゃないかなと思いますね。
そういうことですね。
マネジメントに置き換えると、やっぱり自分が必ずしも正解だと思わないってことなんですかね、メッセージとしては。
もう間違いなくそれですね。
自分が絶対、むしろ自分が間違ってるかもしれないっていうぐらい前提に立ってコミュニケーション取る方がいいと思います。
そうすると本当に理解し合うところにたどり着くのかなって思ってます。
はい、ということで今回はですね、意見の異なる人と理解し合うために必要なことということで、
まずは自分が全部客観的に見えてるという思い込みを排除する。
作詞が起きてるってことを自覚するってことですかね。
そういうことですね。自分は大して見れてないよってことですね。
はいはいはい。
そこを理解するっていうのが大事ですね。
これね、人生のどっかで転換がある気がしていて、あれじゃないですか、ずっと受験勉強というか、学校に行ってる間って先生が正解を教えてくれるじゃないですか。
そうですね。
基本的にはそうで、大学はだいぶ自分で探求するみたいな風になりますけど、でもやっぱりその考え方の癖って結構強くて、
常に年長の人は正解を言ってくれると、自分に対して。
で、それが考えが強いというか、そのまま引きずってると、じゃあ自分がその上の立場、チームリーダーとか上司になった時に、
このメンバーの方々に対して正解を言わなきゃっていう風にやっぱ思っちゃうと思うんですよ。
今はこういう状況だから、これが正解だと思う。
はい。
言っちゃうと。で、何でかっていうと、自分が一番この業務について、今のこのメンバーの方々よりも見えてるから、分かってるからっていう風に。
はい。
思っちゃうと思うんだけど、でも実際多分ね、人生のどっかで世の中に正解なんてものはないってことに気づくんですよね、きっと。
そうですね。
上司だろうがチームリーダーだろうが正解なんて知らないっていうことに気づいて、ただ椅子に座ってる以上は決める責任も権限もあって、その椅子に座ってる以上は。