2種類目は「お金がなくてもある程度、快適に暮らせるビレッジ(場所)を作る事」。現在のタンザニアのビレッジの話と日本に同じようなビレッジを作りはじめた最初の話
サマリー
タンザニアにおける日本人の観光ビザの入国制限や新しい大統領サミアの施策について話されています。特に、観光ライセンスの取得が難しいことや、地域のビジネスへの影響が焦点にされています。このエピソードでは、田舎でのゼロ円生活を見据えた村作りの取り組みや、シングルマザーとその子供が共同生活を始める様子が語られています。この村作りは、実際の生活条件を体感しながら、温かいコミュニティを形成する試みです。
タンザニアにおける観光ビザの問題
こんにちは、近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第44回の話をさせてもらえたらなと思っています。
前回、僕がやり始めた、世界中の人達が釈然と生きていけるためにやり始めたことの2つ目の話をしてて、
3個目の話に行くかもとかって言ったんですけど、前回の最後に、全然話終わってなかったなっていうことに気づいたので、
ただ2個目の続きをします。タンザニアに関してなんですけど、タンザニアは今どうなってるかっていうと、
今、住み込み始めて3年ぐらいですかね。3年ちょっと経った状態で、今正直、本当は誰が住んでるかっていうのが、
僕は今半年以上ちょっとビレッジに戻れてないので、分かんない状態で、多分タンザニア人が2人ぐらいとケニア人が何人かいるみたいなことじゃないかなと思っていて、
今ちょっといろいろ問題があって、日本人の観光ビザで入国した日本人が入れないみたいな状態になっているので、
ちょっと行きたいっていう人とかも声かけてくれるんですけど、なかなか入れない状況になっていて、日本人でビレッジに入ろうとすると、
労働ビザを持ってかつ居住許可証っていうレジェンツパンミーと思ってる人だったら、タンザニア人とケニア人と同じ待遇なので入れるっていう状態で、
タンザニアはケニア人のパスポート持ってる人はかなり仲間として認めてるみたいな風潮があるらしくて入れるらしいです。
そんな感じになってきてて、なんで日本人が観光ビザで入れないかというと、
ああいう開発途上国って年々ルールがどんどん変わっていくというか、
ちょうど僕が目をつけてたエリアっていうのは、今後いろんな投資家たちがどんどん海沿いの土地を買ってっちゃうなと思っていた土地だったので、
大統領が何年前だっけな、
タンザニアってコロナがないから、コロナなんてないから神に祈って働けって言った国で、
本当コロナとか無視してたんですけど、その時のマグワイ大統領っていう男性の方が、コロナじゃないと思うんですけどコロナの最中にいきなり亡くなっちゃって、
それで副大統領が女性だったんで選挙とかはなくて、選挙の前に大統領とかが亡くなったりとか辞めたりすると、
副大統領が繰り上げるっていう形で、サミアさんっていうアフリカ初の女性大統領が急に生まれたみたいな感じで、
その人はマットっていうとあれだけど、世界中の事例をお手本にしながらやるタイプっていう感じで、
その前の大統領はかなり我流というか、コロナなんてないとか言い張ってしたったりとか、
あとは1個前の大統領が良かったのは、タンザニアは一時産業の部分をすごい強くやっていくんだって言って、
一時産業をやってる人たちに対して電気代とか水道代とかをすごい安く提供したりとかみたいなことをやってたので、
僕としては1個それは大事な方針だったし、それが前の大統領が亡くなった時点で、
そのルールがなくなるのはどうなのかなっていうのを結構僕もだし、いろいろ農業をやってるタンザニア人たちとか、
僕の一緒に会社やってる人たちを気にしてたんですけど、そこは今のところ引き継がれてて良かったんですけど、
サミアさんって新しい大統領は、国を豊かにしていくために観光と貿易を1個柱として、
新大統領サミアの政策と地域の影響
外から人を呼び込んでいったりとか、輸出輸入含めてその部分を重点的にやろうってなって、
それをやるとしたらどのエリアからやるんだみたいな形で、
タンザニアって日本の国土の2.5倍もあるのでめっちゃでかいので、国全部で仕掛けていくとかっていうのは難しいと思うので、
そのサミアさんが狙ったのが、海沿いに経済の使徒のダレスサラムっていうのがあって、
そこから北の方に上がっていくとケニアと国境があるって感じなんですけど、
今のところ僕が見てる感じ、アフリカの中心になっていくのはこれから南アフリカ共和国ではなくてケニアになるんじゃないかなと思ってて、
ケニアはかなりスマートなやり方っていうのかな、
今の資本主義っぽいところに、資本主義っていうかあれだけど、ちゃんと約束を守るみたいなこととかも、銀行とかも、
明日にはカードできてますって言って、明日取りに行ったら、確実かわかんないけどちゃんとできてるみたいな。
タンザニアとかの場合、まだ明日できてるって言われて、明日行くと、
いやなんか昨日はできてると思ったんですけどとか言って、
多分2日後ぐらいにはできてるかなとか言われて、2日後に行くと、
いやちょっと明日には出来上がるって言って、その次の日行くと手に入るぐらいの感じで、
ケニアはそういう意味ではかなりいろんなテクノロジーの部分とかも入れて、かなりスマートにやってきている感じがするので、
世界中とアフリカをつないでいくハブっていう意味においては、僕はケニアになっていくんじゃないかなと思っていて、
なので、そうするとダレスサラームとケニアの間にあるエリアの海沿っていうのが、観光としても人が来やすいし、貿易の拠点としても海沿いだなと思っていて、
そしたらまさに僕が狙って買われるなって思った土地があるタンガ州っていう州のパンガニシっていうエリアが重点エリアに決まっちゃったんですよね。
そのせいでめっちゃ国の監視が厳しくなって、だからそれまでは僕らが買った土地に、
お金とかは全然取ってないんですけど、来てる人たちから、でも観光ライセンスで来てる以上、そこは観光ビザか、観光ビザを取って人が来ちゃってる以上、
その土地には観光ライセンスっていうのはちゃんと取って、防災計画みたいなものとか、ゴミの捨て方とか、受付所がちゃんとあるとか、そういうのを全部ちゃんと満たせみたいな感じに急になってきちゃって、
観光ライセンスとかちゃんと取ろうかなと思って、いろいろやりとりしてるんですけど、かなり細かいというか、進めるたんびにお金をどんどん取られるし、なかなか終わらなくて、
しかもかなりしっかりしたコンクリートとかで施設を作れみたいな、君たちが作ってるような、周りのタンザニア人たちの家はほとんど同じような作りなんですけど、今回観光客をちゃんと受け入れるって意味においては、
このレベルの作り方だと事故が起こるかもしれないから、ダメだみたいなこととか言われ始めちゃって、今そこでどうしようかっていうところをむにむにやり続けてるんですけど、
そうするとでも観光ライセンスが取れるまでは、観光ビザでそこに人が入った場合は違法行為っていうことになって、僕らっていうよりはそこに入った人が捕まるっていう感じらしいんですよね。ロジック的には、よくわかんないんですけど、
僕らの土地に観光ライセンスの人が勝手に入っていて、何でそれが問題なのかが全然ちょっとわかんないんですが、彼ら的にはダメだっていうのをずっと主張していて、僕のパートナーというか秘書的なムタとかに、スワヒリゴとかでちゃんと交渉してもらってもやっぱりどうしてもダメだっていうことで、それで今観光ビザで入国した人の日本人は受け入れて、
日本人だけじゃないですね、何人でも観光ビザで来た人は受け入れられないという状況になってしまっています。
ゼロ円生活の村作り
タンザニアに関してはそれぐらい、それぐらいというか今現状としてはそういう感じか、あとタンザニアでは観光ビザの件で来れなくはなっているんですけど、その規制がかかる前っていうのは最初の1年間とかの間で、何人か日本人の友達とかも来てくれてて、でもやっぱりアフリカとかだとすごい距離があるから、
僕の友達とか比較的行動力がある人も多いんですけど、100人ぐらいがタンザニア行きたいとか言ったんですけど、100人中多分5,6人ぐらいしか本当には来てくれてないっていう感じで、そうだよな、距離あるしなみたいな、ケニアの人とかはサクサクとやっぱり入ってくる、当たり前だけど近いからっていう感じですけど、
なので、でもこういう何かあったときにゼロ円で暮らせるような場所っていうのは身近なところにあったりするのもいいと思うし、ここで経験した暮らしっていうのが自分の暮らす場所でもすごい参考になると思ったので、じゃあ大陸に1個ぐらい作ってもいいかっていう発想にまたなって、
そのタイミングで1個目のこと、自然をどう守るのかっていう部分で買った土地っていうのが、日本に3ヘクタールの湧き水が出る山っていうのを買っていたので、そこでもう同じことできるだろうなっていう気もしたので、日本でやることに決めました。
中南米のアマゾンもやっていきたいなと思ったんですけど、これ多分前話だと思うんですけど、中南米はエコビレッジの発祥のエリアでもあるので、かなり同じようなノリでやってる人たちがいるんだなっていうのが確認できたので、中南米に関しては自分で作るのはやめました。
アジアエリアなのかな、すごい調べてるわけじゃないので、もしかしたら近くに似てるような取り組みしてるところがアジアの中にもあるかもしれないんですけど、あまり見受けられなかったし、見つけられなかったので、日本でもここまで徹底的にゼロ円生活にこだわっているようなところを自分では見つけられなかったので、日本では作ってもいいかなと思って、
今からだと2年ぐらい前だから、2023年の1月から、1月5日から3ヘクタールの分け水が出る山で、地区100年以上の小民家が一個、ボロボロの小民家がついていて、
あと、元牛小屋が一個あって、古くないんですけど、中途半端な年代に作ったクラ的な位置づけのものがついてるような場所に住み込みで、1月5日から村作りをスタートすることにしました。
なんで1月5日からスタートにしたかというと、やっぱり一番寒い時期がどれぐらい寒いのかっていうのを知りながら村作りをしたかったんで、季節のいい春とか秋とかから始めちゃうと、
この程度、その穏やかさに合わせちゃって、家の断熱的な部分とかが緩くなっちゃうかなっていう感覚があったので、なので1月5日から住み始めて、
体感っていうんですかね、1年で一番寒い体感の時期とかをまたぐような形で暮らしてみて、どれぐらい寒いかっていうのを体感しながら住む場所のクオリティーを考えていきたくて、1月5日スタートで始めました。
でもここでちょっと結構びっくりする。1月5日から本当は僕含め、男性5人と僕と、あと女性1人と、1人僕の友達の、友達っていうか拡張家族っていうコンセプトで、
このポッドキャストでもしゃべったと思うんですけど、シフトっていう拡張家族っていうコミュニティをやってるところで、シングルマザーの方で子供が2人いるっていう人がいて、一緒に暮らしてたんで、家族ともどもにすごいもちろん仲良く暮らしてて、下の子供が当時10歳か11歳だったかな。
でも学校にはもう行きたくないみたいな感じで不登校になっているような状況で、彼にこの村づくりの話をしたら、もし一人でも受け入れてくれるんだったら行きたいみたいになって、
お母さんは一緒には仕事の関係で来れなかったのもあって、全然僕ら的には子供1人で来ても全然一緒にいいよって感じだったんでみんな。
なので、日本人の男性6人と女性1人と10歳の子で住み込みで、住み込みって言ってもまだ、牛小屋とか蔵とかも含め、おもやも含め、本当に荷物がめちゃくちゃある状態だったんで、
簡単にすぐ住めるっていう状態じゃなかったので、各自テントと寝袋を持ち込んで、家の中に強引にテントを張る人もいたし、山の中でテント張ってる人もいたし、みたいな形で住み込みでスタートしました。
でも1月5日からスタートしたんだけど、そこに実は僕がいないっていう状況でスタートしたっていう話は次回にさせてもらいます。
共同生活の始まり
では。
15:33
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