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はい、6月20日火曜日ですね。
ころそろ朝9時半になりました。
今日からですね、ちょっと実験的に9時半からやってみようかなと思ったりしてます。
いつも9時帰ろうと言いながら、9時10分とか15分からやってるので、
いつの間にか9時半で時間ガンとずらしてみたらどうかっていうのを実験にやってみようと思ってます。
はい、おはようございます。ひめみのkeethこと桑原です。
では本日も朝から始めていきたいなと思います。
本日の記事ですけども、先日ですね、
フロントエンド界隈では超有名な水谷さんがシェアされてた記事ですね。
「サッカーは帰納法」という記事がありまして、これがすごく面白そうだったので、
ちょっと今日も朝から始めて読んでみようかなと思っております。
今日は10時から特別研の会議があるので、
ちょっと早めに終わるかもしれないですけど、ご了承いただけるかと思います。
というところで、ではでは早速読んでいきたいと思います。
サッカーは帰納法というところですね。
後ほどこの記事シェアしますので、皆さんの方でも見ていただければと思います。
じゃあ行きましょう。
高口いでのりさんですかね。
わかんないですけど、海生高校の3年生の方の記事だそうですね。
はい、入部して早くも2年が経ち、短シーズン面に入ってからすでに数ヶ月が経過している。
驚いたことに、今まではあれほどまでに複雑気あんまりないと思っていたサッカーが、
近頃とてもシンプルな姿をしているのではないかという風に感じるようになりました。
それはそれは、乱立していたサッカーの事件や、いわゆる良いプレーみたいなものがある時期を境に、
一つの塊へと習慣を始めたような感覚であります。
思えばですね、サッカーに限らず新しい概念を学んだ時には決まってこういう感覚を伴っていました。
沸点を境に止まるところを知らずに進んでいく気化のようにボコボコと理解と情熱が湧き上がるという感じです。
この世には何かを深く考えたり、原因を推論したりする時に出るアプローチが大きく分けて2つ存在しています。
一つ目は機能法と呼ばれる手法で、ざっくり言えば個別の具体例から抽象的な法則を導き出すというものになります。
そしてもう一つは演役法と呼ばれる手法であり、機能法の推論の矢印を逆銃にたどる方法ですね。
つまり抽象的な法則を具体的に当てはめることでその性質を明らかにしていくというものになります。
近頃感じたある種の修練というものは、具体が抽象へと昇華されていく感覚に近かった。
具体的な知見を溜め込めば溜め込むほどに、知識の水槽は熱を払います。
スマホのメモにせっせせっせと書き殴ったサッカーの知識がやっと見せ結んだのかもしれません。
こんな分かりにくい書き出しでは何を伝えたいのか曖昧だが、詰まるところを言いたいのは、少なくともサッカーにおいて演役的なアプローチは用法を守らないと大きな落とし穴になり得るということです。
あしきにも原則と呼ばれるチームでの約束事が存在しています。
いわゆるゲームモデルみたいなものだろうか。
この世の中にも戦術用語と称されたキーワードがししるる至る有様で無残に打ち捨てられており、そのどれもが何やら難解そうなオーラを纏っている。
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文字通り戦術かぶれだった入部当初の僕は、やれポジショナルプレイだのやれ戦術ピビョダイセーションなのに踊らされ、その言葉の持つ本質を知りもしないくせに大層なプライドをぶら下げていました。
アカテミズムがサッカー界への侵食を進めれば進めるほど、体系化された物事の見方や考え方が現場に輸入されます。
ところが、抽象的な考え方やプレイ原則を抽象的なまま理解することはとんでもなく難しい上に、誤解の温床にもなりうります。
一つのプレイに様々な要因の絡むサッカーは、分かりやすいキーワードを提示されるとプレイ全てがその文脈で見えてしまうことも多い。
特にテクニカルな人はスカウティングにおいて似たような現象に遭遇したことがあるに違いない。
人のマッチレビューは書いてから読むという格言が格言たり得るのもこういった背景からでありましょう。
サッカーを演役的に眺める落とし穴はまさしくこういった部分にあります。
何も抽象的な考え方やキーワードが間違っているというわけではないんです。
それらはきっとある程度正しいのだろうし、合理的なのでもありましょう。
ただ、そこを出発点にして全ての事象を眺めると、あら不思議、相当しか見えなくなってしまうんですよ。
なるほどね。演劇法から入るとそういう落とし穴がある。
じゃあどうすればいいのかというところなんですけど、最も愚直かつ単純に誰の目にも明らかな一つ一つのプレイの良し悪しを判断していくしかないのだ。
言い換えるなら、よりピッチ内の、より低レベルの、より細かいスケールでのプレイを出発点にして、抽象的な考えを練り上げることであります。
ケーススタディのように試合をつぶさに観察して思考を止めないこと、そこから得られる膨大なまでの情報量を一つ一つ整理していくこと、
それによって導き出せる素晴らしいプレイのぼんやりとした輪郭を確かめること、
すなわち機能法的なアプローチでサッカーに臨むことであります。
一度は膨大なケースの数に唖然とすることだろう、しかしじっと我慢して共通点を探していくと、とても簡単に原則に集約されていくことに気づきます。
そして大抵の場合、集約された原則というものは、世間でもてはやされているキーワードと非常に近いニュアンスを持っている。
しかしながら、盲目的に抽象的なプレイ原則を信じ込むのと、一度掘り下げてから練り上げるのとでは内在する質が大きく異なります。
その機能法的な営みにこそサッカーの本質が眠っており、知識がまとまり帯びていく感覚こそがサッカーの理解に一歩近づいた菓子なんだろうと思います。
ピッチ内に話を戻しますと、上のカテゴリーに属している選手は、掘り下げと練り上げが上手いと感じることが多く、
出場機会をつかめていない選手ほど、知識の整理や集約が済んでいないと感じることが多い。
大学年代において技術の目覚ましい向上は難しく、それゆえオフザボールでの準備に上達の余地が残されていることを考えれば、
いかにプレイしたいかするべきかというプレイイメージの改善が上達のすべてだと言えよう。
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だからこそ個別のケースをうまく集約させ、余分なコーナーケースはそぎ落として洗練された意思決定基準をつかみ取ることが必要かけつだと思います。
各優自分も理論体系の方が実践的な手法よりも好きな人間なので、この部分は苦労しました。
個人的に言えば、テクニカルが最も苦手としているのはこの作業であり、機能法的なサッカーへの望み方であります。
ポジショナルプレイをポジショナルプレイのまま理解しない態度、言うなれば膨大な動画から機能法的にサッカーの法則を導き出したウィエルサのようなサッカーへの向き合い方であります。
初めからペップのような理論整然とした理論体系を持てる人間などいません。複雑系の真と言わせれば、複雑なものは複雑なまま理解するべきだとなるのかもしれませんが、僕にはそれが難しすぎました。
代わりに行ったことと言えば、ひたすら試合を見てその部分構造を観察し、試行実験をやめないこと、こういう場合はこうだったがこうしてきた場合にはどうするのが良いのかを考え続けることであります。
体の向き一つとっても、整体を整体のまま理解するのがいかに非効率的で本質的でないか。語儀を丸呑みするだけではプロのプレーの大半は整体しているようにも見えてしまい、整体していないようにも見えてしまいます。
まずは自分で日頃の練習の中でおびただしい数の試行を繰り返し、時にコーチや先輩のフィードバックを受けながら、正しい整体の輪郭は自分自身で掴み取るという必要があります。
そのためにはプレーし続け、映像を見続け、他人と意見を交わし続けなくてはいけません。複雑なものは一度分解してから再構築するしかないのであります。
最近流行りのエコロジカルアプローチというのはそういった面で非常に機能法的なアプローチであります。プレーの本質を見抜くのに合理的でもあると思います。
学習の本質は才なのだ、そうだ。才から本質を抜き上げることができたとき、初めて転移というのが訪れます。
とはいえ、プレー原則のような抽象的なキーワードが全く必要ないかと言われればそうではない。
個別の具体例を見つけたり、そのプレーをためるのを助けるためのある種の装置として抽象的なキーワードは大きな役目を果たします。
いわゆる学習者にパラダイムを与える役割だと。
さっきの例で言えば、生体を知らなければ生体を掘り下げることすらできない。
ピッチ内に放り出されたプレイヤーは大海原を漂っているようなものであり、何を選べばいいのかもわからない。
学習者に正しい道標を提示する意味で、指導者が抽象的なプレー原則を授けるのには理にかなっています。
優れたキーワードはそれだけでプレイメージを沸かせてしまうものなのだと。
繰り返して言いたいのは、学習者はそれを鵜呑みにしてはいけないということだ。
示された道標に道標以上の価値はない。
最終的に収束していく先がその言葉であったとしても、その言葉や概念の持つ領域は自分で確かめていく必要があります。
近頃、新入生のコーチをやらせてもらう機会があり、指導していく中で感じたのは、
良くも悪くも真面目な東大生は言われたことを忠実に受け取るものの、そこからはみ出すプレーを意識的に選べないということだ。
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ありきたりな言葉に肩代わりさせるなら実験が足りない。
分かりやすい言葉やサッカーの本質を捉えたようなキーワードに流されてほしくない。
プレーして、プレーして、プレーして、その中で様々なケースを試してほしい。
得られた個別具体のプレーを集約させ、サッカーの形を明らかにしてほしい。
今のトップも育成も少々キーワード主義、シチュエーション主義になりすぎている。
大事なのは2つの階層を登ったり降りたりすることなのにということですね。
戦術コンセプトとなる抽象的なものの奴隷になり、
あしきのサッカーに溺れているプレーヤーを見るととても辛い気持ちになります。
今のチームに足りないのは、具体的な局面から抽象的な判断基準をまとめ上げる集約能力な気がしています。
そして、戦術理解度とはまさしくこの能力のことであると思います。
そして僕自身も今まで以上にもっと掘り下げて、もっと練り上げていかなければならない。
サッカーの本質を捉えてサッカーを誰よりも詳しくなりたい。
あしきにいられる時間も半分を切ってしまっている。
もう寄り道をしている時間などないのだ。
持てる力のすべてを捧げてその分の価値を積み上げたい。
というところで、この記事は締められておりました。
はい。
これほんと高校生が書いた記事なんですかね。
言語化力半端ないですね。
僕、今社会人でもう36歳なんですけど、こんな記事書けない。
圧倒されました。
ほんとなんか大人が書いたような記事だったなと思いますけど、
だからこそすごいスッと頭に入りましたね。
サッカーは機能法という言葉に集約されている通りですけども、
まさにその具体からしっかり入っていって、
そこからいわゆるパターン認識ですよね。
いろんなものの共通部分だったりパターンを見つけて、
そこからどんどんどんどん抽象度を上げていく、練り上げていくというところですね。
その練り上げのアプローチの先に、
いろんな戦術的フィギュアダイゼーションみたいなキーワードがあったりするんですけど、
そういうとこに結果たどり着くかもしれないですけど、
頭から戦術フィギュアダイゼーションなんだっていうのを知って、
概念的なものをやって、それを具体的に試してみるっていうのが、
たぶん一般的な指導者の方法はそうだと思います。
ただそのアプローチは指導者側の視点では正しいんですけど、
僕ら受ける側というか学生側の方とかプレイヤー側の方はそうではないと。
たどり着いた先なのか、得られたものかっていうのは全然話は分かってくるし、
練り上げていったからこそ見えてきているものは全然別物だと思いますね。
というところもあって、この方はサッカーをやっぱり機能法的にやっていく。
自分の中でしっかり膨大に実験をして、自分の中でいろいろ考えて、
その上でいろんな人と意見を交わしながら作っていくっていう風に近いかもしれないですね。
理論とか抽象的に戦術的なものはもう作られているかもしれないですけど、
それを改めて自分で作ってみるっていうところを体験するのが、
この人の言っている本質なんじゃないかなと思いましたね。
いやでもすごかったですね。
ただただ僕は圧倒されました、この記事さまに。
この話って、うちの組織体系もうちの代表が言っている通りなんですけど、
戦術的プリオダイゼーションの要素というか、内容を盛り込んだ実は組織体系になっているらしいんですよ。
僕も去年この戦術的プリオダイゼーションというワードですね、
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すごく頭の中で考えました。
僕らのはサッカーではないので、やってないのでサッカーをしているような体験ではなく、
僕は組織の方の側でこれどういうことなんだろうっていうのをいろいろ考えて考えてみたんですけど、
本当にですね、これをやってるかやってないかで、
たぶん理解しているかも、同じようなものとして理解しているかもしれないですけど、
具体的な解析といいますか、現場への落とし込みっていうのは全然変わってくるだろうなと思いますし、
自分の言葉でちゃんと言語化できるっていうのはすごく大事なことだなと思っていますので、
まさに自分の方で具体的にいろいろ考えていくっていう、
この具体から入って練り上げていくっていうこの言葉は本当に素晴らしいなと思いましたね。
途中にも出てきましたけど、学習の本質は才なのだそうだっていうこの一言ですね。
この水口さんも取り上げられてましたけど、確かにこの言葉は僕もすごく刺さりましたね。
才から本質を練り上げることができたとき、初めて天位が訪れるっていう風にこの方はおっしゃってますけど、
これはさすがに僕もなんて言うんですかね、電撃が走りましたね。
なるほどってちょっと思いました。
はい、というところで。
ただただ感想しか述べられないんですけど、とても素晴らしい記事だったし、
これ改めて読みたいなと思いましたね。
これ多分スポーツ全体にも同じようなこと言えると思いますし、
僕ら社会人の会社、組織においても同じようなことは全然言えるなと思いました。
とにかくやっぱり僕ら人間は抽象度っていう、抽象的に考える必要はあるし、
その方が再現性もあって、組織としての改善だったりビジネスに添加はできるんですけど、
それを演劇的に入るか機能的なアプローチで入るかって、
その人が今後活躍するかどうかは結構差が出るんじゃないかなってすごく感じましたので、
僕もまずは具体から入っていこうと本当に思いましたし、
新しい概念とか技術フレームワークとか考え方とか、
いろんなものが新しいのがどんどんIT業界に入ってくるんですけど、
それの捉え方はやっぱりまずは僕も機能的にやっていくほうが、
自分の学習のアプローチとしても正しいというか近い気がするので、
そこから入っていこうかなというふうに思った次第ですね。
皆さんの方でもぜひぜひ読んでいただければなと思います。
じゃあちょっと短いですけども、
今日の朝方はここで終了していきたいと思います。
改めまして本日の参加者は、
ペイシューさんですね。
ありがとうございます。ご参加いただきありがとうございました。
明日も技術の記事じゃなくて別の記事を読もうと思っています。
先ほどTwitterのタイムラインで面白そうな記事が流れてきて、
IT業界とかエンジニアのストレス回りのお話、イベントがあったらしくて、
それのまとめ記事が出ていましたので、
ちょっとそこを読んでいこうと思います。
やっぱストレスとか、
まさに僕らは今ストレス社会に生きていますので、
その辺の専門的な人をお呼びして、
イベントをやったっていうのを記事になってましたので。
あのフォークエルさんがやられてましたので、
そこをちょっと読んでいこうかなと思います。
明日はですね。
はい、じゃあ今日はここで終了したいと思います。
火曜日ですね。
また今日も一日頑張っていけたらなと思います。
それでは終了します。
お疲れ様でした。