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昨日ですね、弊社のウェルカムパーティーだったので、遅くまで懇親会だったりだったりで、夜更かしをしたんですけども、今日も頑張っていきたいなと思います。
はい、おはようございます。いめめめのkeethことくわはるです。ではでは、本日も朝活を始めていきたいと思います。
本日はですけども、昨日ですね、別の記事を読んでて、その中に貼られていました、リンクのですね、の中にGitLabのハンドブックっていうのがありまして、
彼らがやっている文化だったりやり方だったり、運営方針とかっていうのがドキュメンテーション化されていて、それが一般公開されてたんですね。
それを見てみようかというのを言ってたんですけど、確認したんですけど、さすがGitLabだけあって、めちゃくちゃ膨大だったんですね、情報量が。
しかもすごいカテゴライズもたくさんあってですね、歴史も学べるし、そういうノウハウが学べるんですけど、
ちょっとこれですね、ピンポイントで、ここのカテゴリーとか、この分野について何か書いてないかなっていうのを見るのはいいんですけど、片っ端から見ると本当にキリがないというか、すごく超大だったので諦めました。
なので今日はちょっと別の記事ですけど、オーガニネーショナルバウンダリープロブレムズ、Too Many Cooks or Not Enough Kitchensensっていう記事ですね。
こちらをちょっと読んでいこうかなと思っております。で、内容は今から読むのであれですけど、ざっくり解読が面白そうだったので、ちょっと読んでみたくなりました。
技術的な記事っていう感じではちょっと長そうで、ちょっと俯瞰した目線のまたお話、ちょっとビジネス寄りなお話かもしれないですけど、はい、ちょっとこれを読んでおきます。
ではでは、運が良ければ情報をオープンに共有し、大きな決断の際には習慣的に異なる視点を持ち寄る、尊敬すべき人たちと一緒に仕事をしたことがあるでしょう。
そうでない人もいると思いますけど、はいはい、それはいいよということで。
私はこれまでいくつかのオープンな職場分解に属してきましたけど、それは私にとってとても良いことでした。
重要な問題に対して人々が透明性だったり包括性、エンパワーメントを積極的に求めているところで働くっていうような大きな満足感を与えてくれますと。
しかしオープンな文化にはもちろん悪い面もあります。
オープンはただではありません。参加を可能にする仕組みがなければオープンを自称する文化っていうのは、先よっとした排除の感情を増大させる方向に容易に発展しかねませんと。
オープンはただではないって本当にその通りだなと思いますね。
何かを悪い感情を避けたいがためにオープンにしたって話なんですけど、結果的には。
私はこのことが様々な文脈で展開されるのを見てきましたので、今日はこの記事を書いてみたいと思います。
大きく3つに分かれています。
1つ目は無制限解放の有害な力学にスポットライトを当ててますと。
2つ目にオープンと構造化の間に認識されるその緊張感だったりというものを解消するのに役立つメンタルモデルというのを導入してみましょうと。
3つ目ですけど、持続可能なオープンカルチャーを実現するための有用なリソースを提供しますよという話でした。
以上ですねこの3つについて今日はちょっと見ていきましょうという話です。
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では1つ目のところから行ってみましょうかね。
1つ目はサクセスオープンスペーステンドトゥエクスパウンドと言ってますね。
成功したオープンスペースというのは拡大する傾向がありますと。
でもそれはあるかもしれないですね。
オープンカルチャーというのは、知る必要があるサークルというのは遥かに超えて、情報を広く利用できるようにし、位置決定への幅広い参加というのを呼びかけることを特徴としますと。
これは誰もが自分の専門知識を組織にとって価値規のある場所に、個人にとって満足のいく場所に持ち込むことを約束する、すごく魅力的な哲学になりますと。
かつてオープンカルチャーの最大の脆弱性を推測すると、それは悪質な行為者であると思ったものですと。
しかし私が目撃した幸運なケースではそうではありませんでしたと。
オープンカルチャーの衰退というのはオープンカルチャーそのものに起因しているんですよと。
おお、これすごいですね。なるほど。オープンカルチャーの衰退は自分自身が起因だと。
なかなか興味深いというか、言われてみたけどちょっと今のところまだしっくりきてないな。そうなんよ。
現場にいる人々にとっては台所にたくさんの料理人がいるにも関わらず、誰も食卓に料理を並べる責任も権限もないのでもどかしく感じるかもしれませんと。
こういう例えを言われると確かにかもしれないですね。
そのパターンみたいなところがガーッと今書かれていまして、6パターンくらいですかね。あるっぽいですね。
このパターンに見覚えがあるかどうか確認してくださいというので、6パターンをざっと例を書いてみます。
パターン1は定期的に開催されるミーティングは便利な定期的コラボレーションスペースとして一応スタートはしています。
チームは既にコミュニケーションや生活に対してオープンなアクセス権を持っていて、ここに秘密はありません。
これが1パターンですね。
パターン2はメンバーはこのミーティングが役に立ちそうな人、何か貢献できそうな人を招待します。
オープンな場なので自分から誘うことももちろんあります。
パターン3、招待されようとされないとより多くの人が参加します。
なぜならそうすることで自分が必要とする情報を確実に入手できたり、
自分の持っているものをチームが必要としたときにその場にいることができるからになります。
パターン4、そして会議の規模が大きくなるにつれてトーンは変わっていきます。
なぜ他の人がそこにいるのかわからなくなり口ごもるようになるのです。
スペースはパフォーマンスの場となり、雑多な仕事をする場ではなくなってしまいます。
はー、なるほど。声のデカい人がどんどんどんどん物事を進めちゃうって感じですね。
パターン6、チーム外の人たちも参加しますが多くの場合完全なコンテキストを書いています。
参加することでチームには意見に対応する負担がかかってきます。
ラスト、ミーティングには事前の打ち合わせが必要で通常は無金化されたコンテンツが含まれます。
仕事が他の場所に移りそこに含まれる情報の質も低下していると。
おおにしてありそうですね。オープンスペースにするけどオープンだからカオスになっていっているという感じですかね。
かつてはその信頼感を高めていたその空間スペースが今は信頼感を失っています。
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元のチームであれば組織全体の専門知識を利用したいと思うのはもちろん当然でしょう。
またチーム外の人間たちとうまくパッケージ化された情報がない中で必要な情報を得るために顔を出すのはいかがなものでしょうか。
これでも昨日読んだ記事とみっぱに似てるけど結局ちゃんとドキュメンテーションとコンテキストをみんなが理解しないように
やいのやいのに勝手にやっているだけな感じなのでそれは確かにオープンではあるが回っていない組織になってしまっただけな気がします。
はい戻ります。
オープンな文化ではこのパターンは会議・電子メールチェーン・メッセージングチャンネル・共有性化物・タスクフォース・重要な決定などなど何でも表現されるかもしれません。
トップからボトムまで何かを成し遂げるのは難しいと感じています。
入力セッションが反応と応答を引き起こしそれ自体がさらに行きつつ行きつつ戻りつつしますと。
すべての優先事項が互いに競合しそれぞれが小さな断片を持つ人々の中でシリアル化されるため物事には長い時間がかかってしまいますよと。
情報の非対称性にもなるしみんながみんな持っているものとやっているものがもちろん違ってきたりするのでいわゆるシリアル化されるって本当そういうことですよね。
それらは結局チームとか組織で仕事をするのでちゃんとコラボレーションしないといけないんですけど。
それがまた誰がオーナーシップ取ったりオンド取ったりとかいろんなことを加味するとカオスだろうなと思いますね。
という意味で何かを成し遂げるのは難しくなってしまうと。
これがオープンソースでオープンにやることによる弊害というかそうなる感じですね。
では続きまして次のセクションはand then the work closes offだと。
そして仕事の幕を閉じるというところですね。
空間とかスペースが大きくなりすぎたときに組織のエネルギーはより小さなインフォーマルなチームに表現されます。
まあそうだよね。
組織の惰性に任せて何かを成し遂げようとするグループが集まり必然的に難しい新しい壁を作ってしまいます。
オープンにしたけど回らないんだから今度はインフォーマルな小さなコミュニティを作っていくけど
そうすると今度は壁が出てきてしまいます。
しかしそれが断片的であったり意図的でなかったりすると
自分に大きな影響を与える意思決定から切り離されてしまうという人も出てきます。
要は内輪の人たちがなぜか外から鍵をかけてしまうような状況を作ってしまうのねということでした。
これもありそうですよね。
スミドラさんおはようございます。ご参加いただきありがとうございます。
タイトな記事をダラダラと読んでいるだけなので耳の音もいいのを聞いてください。
そのため意地表示や検討された意見や耐久性といった本質的な文脈が不明瞭になり
誰とも関係なく決定が垂れ流されることがあります。
私の経験ではこのようなことは本当に重要です。
人やチームは組織の状況や制約に自信がないと感じると
はるかに効率が落ちストレスが溜まります。
また意思決定から外されてしまうことでプロフェッショナルとしての守備範囲が狭まってしまいます。
排除、既に気迫な主体性の喪失に対する人間の深い恐怖にまっすぐ入ってしまうということもあります。
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これもよくある話だなと思いました。
難しいですね。自分がコミットしているところに対して
オーナーチップは他の人が持っているとしても自分の貢献をしているという実感がなければ
それはどんどんコミットしなくなります。
内輪の集団というのは外側の集団の人々が物事を成し遂げる方法というのを推測して
しばしば形式的な構造に積極的に惑わされることに苛立ちを覚えることがあります。
アウトサイダーは自分の仕事に影響を与える決定に対して主体性がないため
不適切な関与の試みと非効果の両方から個人的な反響を経験するかもしれません。
ある決定事項に対するインサイダーは他の決定事項に対するアウトサイダーでもあるため
組織全体を通して人々は次ぐ驚きに悩まされ常にバランスを崩します。
この組織は今、ジョー・フリーマンの普及のエッセイ
構造無用の暴君という記事があるんですね。
原文のタイトルはThe Triumph of Structuralessnessという記事があるんですけど
ここで見事に探究された機能不全の世界にしっかり入り込んでいるんですよ。
これちょっと面白そうなんで後で見てみて
明日の朝活で読むか決めようと思います。
60年代の女性解放運動について書かれたこの記事に関してですけど
これは今日のオープンカルチャーにも強く響くものになります。
フリーマンはインフォーマルなコミュニケーションネットワークの必然的な
エリート主義的ハイト的な性質について説得力のある主張をしています。
しかし一筋の希望もそこに与えていて正式な意思決定力のある主張もしています。
構造は常に存在するものでありそれを明示的かつ意図的に作ることが
効果的で包括的なチームの基盤となるんですよということを
この記事ではおっしゃられていると。
ちょっと途中から言葉が難しくなってきたり
抽象的な言葉が出てくるんですけど
言ってることは大体わかってきたなって感じですね。
意思決定のとりあえず構造の話がすごく重要で
その構造をどう考えるかって話を
その先ほどの記事では引用されていて
読んでないからちょっとわからないですけど
それに従っていくと色々見えていくんじゃないのっていう話でした。
では続いてのセクションで
パーソナルパースペクティブですね。
いわゆる個人的な見解のお話ですね。
パーソナルパースペクティブですね。
私はですねオープンカルチャー
意図的に曖昧にしていますけど
これは特典組織について
密かに言っているわけではないと。
あくまで個人の意見ですと。
案に自分の会社のことを言っているようにも
読めなくはないけどあくまで
この人本人のただの個人感想だということを
前提でじゃあ読んでいきましょう。
オープンカルチャーの成熟度っていうのが
様々な段階にある様々な組織で
時には群衆の外に
時には群衆の中にと
いったドアの両脇にいたことがあります。
この人がどっちにもいたことがあるとかですね。
内側から見ると排除が
起こっているとさえわからないこともあります。
中にいるから余計にわからないことですね。
あなたは自分が
進歩しているというふうに感じて
他の人たちはあなたがいくつかのことを
理解するために少し時間を与える
必要があるだけなんですよ。
しかし外はひどいものです。窓を叩く
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悪魔のように中になければならない
とわかっていても誰も顔を上げて
見てくれないんですよ。
これは組織にとっての効果だけではありません。
私は外部化された構造の
欠如というのが人々に深い
害を与えることを目の当たりにしてきました。
窓を叩いているような感覚は
燃え尽き症候群への近道になります。
人々は
渦を巻いてエネルギーを吸い取るような環境の中で
関わろうとすればするほど
自分を閉ざしてしまうように思えるからです。
そのデメリットはすでに阻害されている人たちに
不釣り合いに
振りかかってしまいまして
ガスライティングとかその他の認識上の不公正というのを
人として経験することもあり
その影響は自体が収束した後も
長く続くと。
目の前の問題自体は解決したかもしれないけど
人々の心にはずっと続いているということ。
何かが残り続けるということですね。
ひどいときはそれがトラウマになってしまうと。
これはまたこれで
一言で言うと
コミュニケーションのお話な気はちょっとはしますけど
結果それが大きく
影響するということですね。
現在アメリカのシビックテクノロジー
というところが一般に
構造や規模に
怪異的で
公式非公式の構造の不一致を
様々な程度で生産しているということがあります。
いずれにしても
疲弊したコミュニティだけど
試験が凍結されず一世一代のチャンスという感覚がある今
断片化と不整合というのは
余計にフラストレーションになります。
これらの組織は官僚主義に
ホラクラシーを取り切れたことで苦しんでおり
チームのスキルの優先順位が低いのも
無理はないと。官僚主義に
ホラクラシー取り入れたら
そもそも合わないんじゃないか
官僚主義とホラクラシーって
さらに
チームのスキルの優先順位が低いのも
そりゃそうだよね。官僚主義なんだから。
しかしCivic Technologyは
ファシリテーションの実践と
デザインが得意なコミュニティであるため
熟考された組織デザインのケースを作るということは
比較的良いです。そこが得意分野だからね。
うまく設計されたチーム構造が
より大きなスケールで
守備一貫した仕事を可能にするというのは
デザイン哲学の自然な延長線上にあるものです。
個人の感想なので
これ以上でもいいかでもないということですね。
だからCivic Technologyは
それはちょっと興味はありますね。
だからこの人が
Civic Technologyに
所属しているわけではなさそうですね。
非社の方は。だから外から見ている感じですね。
はい。
では続いて
オーガニゼーショナルデザイン is デザインだと。
組織デザインはやはりまさにデザインだという風に
言ってますね。デザインというか
設計と訳した方がいいかもしれないですけどね。
はい。
冒頭でも料理人をたとえに
出されていましたけどね。
料理人が多すぎるという問題を解決するために
意思決定グループを縮小し
RACIスタイル
RACIスタイルってなんだ?初めて見ましたね。
はい。
これで責任を明確にしようとするのが
一般的ですと。しかしこの問題を解決
するには過剰な調理人を
厨房から追い出すのではなく
調理人が効果的かつ
安全に働けるような厨房
業務用厨房ではステーションと言ったりするらしいですね。
というような厨房を設計
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することがとても重要になりますと。
安全なのはもちろん当然にはなりますが
レストランでいう効果的とは
一品一品食事全体が
高品質で提供されることになりますと。
つまり健全なチーム環境を構築し
各パートが共通の
目的のためにどのように関係し合うか
というのを意図的に考えることがとても重要ですと。
オープンな文化が苦境に
立たされたときに必要なのはその優れた
チームプラクティスだけではありません。
特に組織を透明なものにするために
必要なコミュニケーション作業について
これまで触れてきませんでした。
しかし持続可能な職場環境における
チームプラクティスの重要性に関わらず
テック業界では構造イコール抑圧といった
70年代以前の
フェミニスト的な思い込みが
まだ比較的一般的であると。
IT業界の歴史を調べたことがなかったので
これはこれで興味深いなと思いました。
ちょっと続けますね。
もしあなたやあなたの所属する組織が
構造化のメリットを発見しているのであれば
チームとチームの関わり方について
私が現在気に入っている資料を
共有します。
そのような資料がいくつか
挟まれているのですが
1つ目にチームのためのキーコンセプト
記事ですね。
組織モテルは継ぎ木ではなくて
成長させる必要があります。
制約やガードレールは他の組織から
そのまま利用することもできます。
Amazonのフレーミングはこのような
共通の課題を語っていて
これらを制約を有効にするための
キーコンセプトフォーチームです。
あとはツーピッツァチームの話も
出てきましたね。
ツーピッツァチーム&シングルスレッドリーダー
という話も他の記事のリンクですが
貼られていました。
あとはアリストテレスプロジェクトから
生まれた健康的なチームというのがあるんですね。
ヘルシーチームズフォープロジェクト
アリストテレスという別の記事も貼られています。
このプロジェクトから多くの洞察に満ちた
研究が生まれましたけど
最終的に私が気に入ったのは
これを基礎として構築された
チームの健康要因の新しいピラミッドです。
結局ピラミッドに戻るんですね。
あとは
もう一個だけ
貼られていますね。
ダイナミックリティミング
ダイナミックリティミング
こういう記事があって
ストーミングとかノーミングを忘れ
ハイディヘルファンドのアプローチ
というのがより有用でニュアンスのあるものだよ
という話をしています。
ダイナミックリティミングは
こうするチームは頻繁に変化することを
認識していて
チームの本質のスルーラインというのを維持しながら
キャストの変化を受け入れることが不可欠だ
というのを言っています。
ちょっと読んでないからコンテキストが高いんですけど
こういう記事もありますよと。
続いてですけども
これコンセプトに分かれてますね。
キーコンセプトは
How teams relate to each other
チーム同士の関わり方のキーコンセプトの話ですけど
ここでの
紹介記事は
チームトポロジーですね
最近僕チームトポロジーって
結構メールにするので
いい加減読まなきゃいけないんですけど
その中の一つのチームトポロジーの記事ですが
これはチームトポロジーズ.comの
ブックですね公式サイトですね
のリンクが貼られてます
これは明確なチーム構造を作ろうとする
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多くのリーダーの共感を呼んでいるようなもので
タイムリーで実用的な
これ本なんですね
この本はチームが互いにどのように関係するか
というのを一流のテーマとして扱っていて
形式的な構造を
組織が生み出す価値と一致させるための
優れたガイドラインというのを与えてます
ソフトウェアを開発する民間のチーム対象としますけど
そのケースに限定するような
メソッドもないですよ
これでもう一個ですね
もう一個の記事はテクニカルリーダーシップ
マスタークラスですね
e-bookですけどこれも本ですね
ルース・マランという方が書かれた
電子書籍ですね
こちらからですけども
理論的なことを望みながら
この本でこの分野の大きなアイディアの数々を
包括的に紹介しているので見てみてくださいと
この本は社会技術思想家たちの活発なコミュニティの中心的な存在ともなっています
テクニカルリーダーシップマスタークラスというものでした
あと他もですね
次はセクションは
他にも記事で言及されたり直接影響を受けた
他の追加記事がバラバラと貼られているので
この後ですね
この記事自体もツイートするので
皆さんの方で見てみてくださいと
最後時間も過ぎてきたので
インク・コンクルージョンですね
結論だけ読んで終わりにしたいと思います
結論から言うと
人々が困難な状況にあるとき
被害を可能にしている構造に
注意を向けるのではなくて
互いに敵対するのは本当に簡単なことですよと
私は人々が互いに感じる信頼よりも
より良いシステムのために協力するために
本当に大変な努力と
個人的なコストを認めたいと思っています
信頼よりもシステムの方なんだと言っています
しかしこの投稿は
個人が使命感と
修復的行動へのコミットメントを
共有していれば
それだけで職場文化というのを
肯定させることができる
協力体制を構築し始めることができる
というような楽観的なものを
述べただけに過ぎないと
マークヘッドとかニッキーとか
に感謝を述べますと
この投稿を私が始めたときに
期待した以上の深い学習体系に
するために意見やフィードバックを送りました
またこの記事は
今回と共に紹介したいと思います
この記事は締められていました
はい
いかがだったでしょうか
ちょっと抽象度高い記事ではあったし
いろんな記事のリンクとか
参考にしたものとか
いろんな人たちのフィードバックを得て
この記事を書き上げたというところで
わりと興味深い記事ではありましたが
抽象度高くて難しかったなと思います
どんな組織とかどんな社会とかでも
人の悩みというか
ほぼほぼ似てくるなって
思いましたし
ちゃんと言語化したりちゃんとコミュニケーション
取ったりとかドキュメンテーション残したり
っていう当たり前のことをちゃんと当たり前に
やりましょうねっていう話には感じましたね
ただ
じゃあどうやるとか具体的な方法とか
手法とかフレームワークみたいなものは
この記事のいろんな記事の
別の記事のリンクがあるのでその辺から
ノグハグをもらうのでいいと思って
その最後にデザインするのは
皆さん自身で自分の組織に対してのデザインをしてください
設計をしてくださいっていう話だと思いましたね
すごく参考になったし
21:00
いろんな情報ありがたいなと思いましたので
改めて皆さんのほうで
読んでいただければなと思います
ではですね
今日の朝方はここで締めようと思います
改めまして今日は隅田さんですね
ご参加いただきありがとうございました
僕の多分端末が
バグってるんですけど
webで参加してる他の方も
もしかしたらご参加されてるかもしれないですけど
ありがとうございました
同じようとこの記事のリンクはツイートしますので
ぜひ見てみてください
火曜日ですね
今日もまた一日頑張っていけたらなと思います
それでは終了します。お疲れ様でした