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2023-02-01 15:01

Season -No.164 朝活「Creative Considerations For Generative Art Collections」をダラダラ読む回

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はい.第164回は


Creative Considerations For Generative Art Collections
https://www.fxhash.xyz/article/creative-considerations-for-generative-art-collections


を読みました💁

今回は1/3くらいでしたが,とても興味深く考えさせられる問がたくさん書かれており,読み応えも抜群でした.ぜひ皆さんも読んでみてくださいー!


ではでは(=゚ω゚)ノ


  • Generative Art
  • Collections
  • Considerations


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00:04
1月28日、土曜日ですね。
遅刻は朝9時を回りました。
今日は良い天気ですね。
東京はですけども。
ただ、今日も凄く寒いので、体調に気を付ければなと思います。
はい、ありがとうございます。
めめめのkeethことくわはらです。
では、本日も朝活を始めていきたいと思います。
本日はですね、何の記事を読もうかと悩んだんですけども、
昨日と同じようにJSAインフォを読んでもいいなと思っていたんですけど、
今日は、僕が読みたい記事を読みたくなりました。
今朝ですね、僕の別のアカウントの方で、タイムラインに流れてきた記事だったんですけど、
これすごく面白そうだなと思ったので、読みたいと思います。
最近僕がずっとやっている、ジェネラティブアートがあるんですけど、
こっちのアカウントじゃなくて、別のアカウントで作った作品とか、
ダーダー流してるんですけど、そこの方で流れてきたものですね。
そのジェネラティブアートに関する一つの考察記事があるんですね。
それが面白そうだったので、読んでいきたいと思います。
タイトルにあります。
クリエイティブ・コンシダレーション・フォー・ジェネラティブ・アート・コレクションズ
ジェネラティブ・コレクションズの作成、クリエイティブ・コーディングの際に考慮すべき質問とコンセプトのような
包括的な対応というのを今回作っています。
というのがこのものになりますよということですね。
なんかPDFとかあるのかな?もしかしたら。
私のスケッチブックというのは、半ば書きかけのコンセプトとか、
思考の断片だったり、あらゆる方向を指す矢印で埋め尽くされ、
各ページはまるでパンク図を投げ入れた後の鯉の池のようです。
私はいつもアイディアを出そうとするよりもコンセプトを集める方が好きなんです。
アイディアじゃなくてコンセプトの方がいいと。
この人は好きですと。
私にとってアイディアとは、特定の状況や問題を解決するためのものという印象があります。
はー、なるほどね。
ある種、作に近い感じかな。
しかし、様々な哲学や方法論の本質を探ることで、
音楽、写真、建築、ジェネラティブ・アートなどなど、
異なる分野の間でより簡単にそのコンセプトというのを移行することができるんですと。
コンセプトは、より根幹的というか、裏側にあるようなものなので、
逆に言うと、いろんなところでも応用が利く、幅が利くということですよね。
で、ちょっと続けましょうか。
ですから、核となるコンセプトを探し出すことで、結果的にアイディアも湧いてくるんだと思います。
コンセプトはアイディアの源泉だと。
私はよくアウトプットの美学、コレクションのデザイン、価格設定など、
ジェネラティブ・アートに関する考えやアドバイスを求められることがあります。
で、私はいつもそのような質問にできる限り答える手助けをしたいと熱望していますけど、
正直なところ、私自身も他の多くの人々と同様に、
この出現した空間について経験不足であり、好奇心旺盛であるというふうに考えています。
私自身の想像的なプロセスに明確さと一貫性を足せるために、
スケッチブックの中に散らばっている多くの思考の断片から、
このアイディアと質問のリストを作りましたよと。
これはとても興味深いですね。
人の思想的なところを読むって僕結構好きなんで、
その辺の話が気になりますね。
これらは私のデザインプロセスの様々な段階で探求のためのプロンプトとして機能しています。
この文章はジェネラティブ・アートに関連して主にアーティスト向けに書かれていますけど、
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他の分野にも適用できるよう、ほとんどのポイントを一般的なものにするよう努めました。
この文章をコレクターや美術愛好家の方々にも読んでいただき、
アーティストの頭の中にある多くの考察とその結果として起こる想像的プロセスの本質に注目していただければなと思っています。
このテキストはチェックリストとして、あるいは特定の方向での成功性を保証するものではありません。
むしろその目的は自分自身や他の人と議論する中で生じるかもしれない反応について、
あなたがどのように感じるかを優しく導き強化することなんですよと。
そのためこれらの質問は代わりに検討事項として考えるのがより適切であるという風には感じています。
正解も不正解もありませんと。
重要なことはこれらの考察は学術的・エモーラ的であることを意図していないことですね。
あくまで言ってしまうと個人の感想レベルになってしまうかもしれないですけど。
私はできるだけ普遍的で中立的であるようにこれらの多くを書きましたが、
それらは主に私自身の考え、フィードバック、コレクターとして得た経験、
セイブラー?サブラーかな?テサラクト?アースブラー?アレスラー?アレスか。
いや、その他のプロジェクトの作成を通して学んだ教訓について基づいていますと。
そのため、この分野での私の経験が増えるにつれて、
この文章を更新し、明確にし、洗練にし、簡素化するつもりでありますよと。
このリストは必要に応じてどのような順序でも参照できるように設計されており、
あなたの想像的なプロセスの中で現在どこにいるかによって、
一度に考慮すべきことをいくつかまたいくつか選ぶことができるようになりますと。
このテキストは鮮やかな意味での失礼、緩やかな意味でのカテゴリーに分けられており、
いくつかはその検討の背景を説明するための前置きや追加テキスト及び質問なしのものがありますけど、
検討事項の多くはカテゴリー間で重複し、微妙な違いがある言い回しになっている場合が多いですよということでした。
そういうのを踏まえた上で、次のセクションですね、いきたいと思います。
コレクターがコレクションからエディションを鋳造したり入手したりすることを選択するとき、
それはそのコレクションの物語の中に参加する行為を意味していますと。
ジェネラティブアーティストというのは、そのコレクションを利用可能にするという行為を通じて、
他の人々をその完成のプロセスに迎え入れるというような招待状を差し出しているんですよと。
このような申し出の何がこれほど魅力的なんだろうかというところですけど、
ジェネラティブエディションがどのような作品になるかを予測することは困難ですけど、
コレクションの一部を所有することというのはコレクターにとってどのような喜びをもたらすのでしょうか。
ここでは商業的に成功したジェネラティブコレクションから得られる潜在的な金銭的利益のことではなく、
芸術的なプロセスそのものの観点から述べているんですよと。
コレクションについて考えるとき、常に複数のレベルを考慮しなければなりません。
まず最も明白なレベルというのは、個々の作品または反復であります。
次に、より広い文脈の中で一連の作品やグループがどのように見えるかというのを考えます。
例えば、同じアーティストの他のコレクションとの関連でコレクションを考えることです。
ジェネラティブアートと造兵局の作品の出現により、コレクターはコレクション制作の過程で必要か不可欠な存在になります。
不可欠な存在となったんですね。
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また、多くの人が所有するコレクションというのはコミュニティと大差ないことから、
コレクションが貴族意識など人間の基本的な要求を満たしているとも考えられます。
コレクターがコミュニティと紐づくのか。
ちょっと考えたことなかったですけど、言われてみればそうかもしれないですね。
理由はどうあれ、人々が参加したくなるようなコレクションを作るにはどうしたらよいかということを考えるのは有意義なエクササイズだと思います。
良いコレクションが魔法のように感じられるのはなぜでしょうか。
これにはプロセスがあり、それを洗練することができるのでしょうか。
以下はコレクションとそのコレクションの構造に関する質問のリストになります。
これらの質問には明確な答えはありませんが、あなたの個人アプローチを最もよく表す方向やあなたを導くのに役立つように書かれています。
ということで質問がぶわーっとつながるんですけど、その質問をざっと一個一個読んでいきたいと思います。
これについて自分なりの考えをまとめておくか、自分なりの答えを作っておくのは確かにいいかもしれないですね。
では一個一個ダーッといきますね。
まずコレクションは望ましいものであるか。
何がコレクションを望ましいものにするのか。
何が良いコレクションを作るのか。
何がコレクションまたは作品群をまとまりのあるものにするのか。
個々の作品とコレクション全体どちらがより望ましいか。
またコレクションの一部または全部を持つことは楽しいことだろうか。
基本的あるいは一般的なアウトプットというのもそれなりにユニークであるように管理されているか。
アウトプットは一貫しているか。
このコレクションではアウトプットの間に大きな違いがあるか、あるべきか、そしてそもそもあるのか。
異なる出力は同じコレクションの一部とみなされるのに十分な類似性を含んでいるか、あるいは異なるコレクションに属しているように見えるか。
主観的に言ってアウトプット間のギャップが大きすぎず、別々のコレクションに分けるべき、もしくは分けることができるポイントというのがあるか。
これはコレクション全体に対する認識に影響を与えるか。コレクション性に影響をするか。
私のコレクションの一般的な出力と考えられるものを受け取ることは個人的にそれでも幸せでしょうか。
あと美的な望ましさというものはあるだろうか。もしそうならそれに貢献する要素は何だろうか。
どんな作品、アーティスト、アートムーブメント、デザインシステムが一貫して私にインスペーションを与え共鳴させてくるのか。
コレクションの背景にあるコンセプトは理解しやすく伝えやすいか。
例えばエディション数が少なすぎて何か特別なものが現れる可能性が低くなっていないか。
エディション数が多すぎて特別なものでさえ一般的に感じられコレクションがまとまりを失う危険性はないか。
ユニークなアウトプットと一般的なアウトプットの比率はどの程度か。
特別なあるいはユニークな出力っていうのは大多数の出力と何が違うか。
これは人為的あるいは意図的にコントロールされたものなのか。
例えばそのレアな出力の割合を一定にするとか。
それともランダム性やアルゴリズムによるユニークさの結果なのか。
もしコレクターがコレクションの単一の反復を所有するとしたら、
それを十分にユニークで所有したり飾ったりするのに美的に満足していくものでしょうか。
つまりそのコレクションはもし売ることがなかったとしても大切にすることができるようなものでしょうか。
自分の方でもこれ何か考えてみたいと思いました。
では続いていきましょう。次のセクションですね。
続いてのセクションは無形物についての考察ですね。
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Considerations about the intangible
出力やアルゴリズムには時折それ自体が意思を持っているように見える不思議なものがあります。
一方ではこれは複雑な変形のシステムを通して供給される特定のランダム性の理論的な結果と考えることができます。
しかし私たちはこれをほとんど精神的、哲学的、または幽閉なものとして認識する能力を持っています。
ある種の出力が機械の中の幽霊のような結果であるようにということですね。
これは事実じゃないかもしれませんが、以下の質問というのはコレクションとそれらの部分を相話以上として認識するかどうかについての考察になります。
美しく最適化されたアルゴリズム、シンプルでエレガントな行動、また多くの人が目にしない部分ですねそれは。
これらは私たち自身の認識やプロジェクトの説明だけでなく、アウトプットそのものやイテレーションが他の人によって翻訳され受け取られる方法にも影響を与えるでしょう。
こっちにもいろんな質問がバーっと続く感じですね。
以下の質問はコーディングのような臨床的で論理的な活動を超えて、私たちのコレクションに不思議な感覚、クラフトマンシップ、何か特別なものという感覚を吹き込む方法を検討するために作成されたものです。
シュレディンガーの猫のような雰囲気でこの質問に取り組んでみてください。
じゃあその質問もバーっと読んでいきたいと思います。
ジェネラティブアウトが生きているということを論証することはできるだろうか?
ジェネラティブなアウトプットがそのパーツの相和以上のものになるポイントはあるだろうか?
私はコードをコントロールできているのか?それともコードが私をコントロールしているのか?
言い換えれば私はまだ私が作成しようと意図したものを目指しているのか?
それともセレンディピティ、公文エラー、数学エラーなど何か別なものを探っているのでしょうか?
これいい質問ですね。
既存のコードが望ましい結果を生むとしてもコードを単純化、リファクタリングすることに何か利点があるのか?
これは確かにですね、何のためにリファクタリングするのか?
今回のジェネラティブアウトプットは、コードをコントロールできているのか?
それともコードが私をコントロールしているのか?
言い換えれば私が作成しようとしたものを目指しているのか?
それともセレンディピティ、公文エラー、数学エラーなどのために何か別のものを探っているのでしょうか?
この問いを自分に投げるのは今の僕にとってはすごく刺さるなと思いました。
何のためにリファクタリングするのか?
今回のジェネラティブアウトにおけるリファクタリングを僕は考えたことがなかったな。
やっぱりプログラマーなので、リファクタリングもしできるとか、単純化できるんだったらそれをするでしょうというか、
脳死でやっていましたけど、果たしてそれは利点があるのかっていうのは結構大きいですね。
認知コストとかって話もあったりするし、
OSSじゃないですけど、周りの人に自分の作品のコードを学習だったり、
アイディアの発想とかのための材料にしてもらうみたいなことを考えたときに、
自分の書いたコードが果たして、リファクタリングした結果のコードがどれだけ貢献するかみたいなとか、
いろんな考え方はありますけど、何か利点があるかっていうのを考えたことはなかったので、
これはちょっといい問いですね。ありがとうございます。
あとは自分のアルゴリズムにどれだけの自立性を与えたか?
このアルゴリズムには驚きを与える能力があるのだろうか?
アルゴリズムが人格を持っているように見えると言えるでしょうか?
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アルゴリズムに人格ですね。
機械が作った出力は、作成者の魂のようなものをまだ持っているのか?
ジェネラティブアートには精神的な側面があるのだろうか?
異形の念や喜び、好奇心、不思議な感覚を伝えるアルゴリズムを作ることは可能なんだろうか?
仮にジェネラティブアートがコードだけではないとしたら、他にどんなものがあるのだろうか?
可能な限りシンプルな方法で自分が達成しようとしたことを実現できたか?
エレガントなコードは、たとえ多くの人の目に触れないとしても、コレクションの品質や職人技の近くに影響を与えるのだろうか?
次は一貫性についての考察になります。
Considerations about Consistency
ジェネラティブアート、特にコレクターがイテレーションを中像して入手する形式では、
ジェネレーターを工場、エディションやイテレーションを製品と考えても違和感はないでしょう。
この文脈で考えると、一つのイテレーションから次のイテレーションへの一貫性、
コレクション全体としての一貫性、コレクション間の一貫性など、
複数のレベルにわたって同時にある程度の一貫性が望まれるかもしれないことがわかるかもしれません。
これは私がフラクタル一貫性と大まかに呼んでいる概念です。
そのため、このような一貫性を生み出すための哲学理念、プロセスを探すことは、
コレクションの寿命と作品全体のまとまりを確保するため重要なことです。
そのためには、文脈とは全く関係のないところに答えを探しにいくこともあります。
例えばタイ料理では、辛さ、甘さ、酸っぱさ、塩辛さ、スパイシーさの組み合わせによって満足のいく食事ができると言われていますが、
日本料理では、甘味、苦味、塩味、酸味、そして旨味ですね。
概念的には満腹感や満足感をもたらす香ばしい味や食感のことのバランスが追求されるのです。
とはいえ、ほとんどの料理にはこのような理論があり、確実に満足できる料理が作られています。
では、ジェネラティブアートにも同じようなコンセプトがあるとしたら、それはどのようなモデルでどのように実現されるのでしょうか。
それぞれのコレクションの美学に適した視覚的な味の透過なバランスを生み出すシステムは存在するだろうが、
それは一貫して満足のいくアウトプットを生み出すのに役立つのでしょうかという問いでした。
なかなか面白い問いですね、これは。
というところですけど、ちょっとすみません。
ちょっと短いんですが、今朝の朝方は一旦ここで区切って、また明日続けていきたいと思いますね。
明日多分残り全部読み切れる気はしますが、寝坊したら無理なので、また明後日に続くかもしれないです。
というところで、今日はジェネラティブアートに関する考察のところを記事を読んでいきましたので、参考になれば幸いです。
また明日も読んでいきたいと思いますので、興味のある人は参加してみてください。
では、今日は土曜日ですね。ゆっくり休んでいただいて、明日は日曜日ですね。
勉強するなり、飲んで遊ぶなり、だらーっとするなり、好きに休日を過ごしていただければ幸いです。
では終了したいと思います。お疲れ様でした。
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