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はい、こんにちは、清鷹です。今日はですね、努力というものについてちょっと考えてみたいんですよね。
努力だと思ったらですね、それは終わってるというかですね、負けというかですね、まあ負けでもないんですけど、
もうその時点で終わりなんじゃないかなというふうに思うんですよね。
努力をですね、努力と思わずにやっていける力っていうのがですね、実力をつけるというのかですね、うまくいくというのかですね、そういうことなんじゃないかなと。
努力だと思ってしまうとですね、それは、やらされているというか、嫌なことをやっているとかですね、やりたくないことをやっている。
だから努めて、力を注ぐわけですよね。
てことなんじゃないかなぁと 旗から見てですねあの人すごい頑張ってるなぁという人が
いたとしてもですね本人に党の本人はですねそれを努力と思ってなかったりすること って結構あるんですよね
むしろ楽しいとかねあの面白いとかですね そういうことなんじゃないかなぁと
で
努力は夢中に勝てないとかいう言葉ってあるんですけど 本当そうだなというふうに思ってて
僕もですね 今夜中までこういろいろやってますけどこれは見る人から見たらですね
努力なのかもしれないんですけど僕は面白くてやってるっていう 面白くてやってれるからまあ楽し続けられるし
結果が見えてくるしみたいなところはあるなぁと思ってるんですよね それぞれその人のその人にとってですね
あの夢中になれる分野っていうのはあるんだろうなぁと思いますし
夢中になれないというのが努力をしているというふうに思った時点でですねそれは その人のジャンルじゃないのか
例えばジャンルじゃないとかですねあるいはその方向性が違うとかですね取り組んでる 方向性が違うとか
あるいはその 物の見方とか心構えが違うとかですね
なんかその違ってるはずなんですよねだから努力はしんどいと思うんですよね
まあねそれで頑張って無理をしてうまくいく人もいるとは思うんですけど うまくいったとしてもですねそれはやっぱりしんどいんじゃないかなぁというふうに思うんですよね
努力は夢中になれないっていうの誰が言ったのかなぁと 努力は夢中になれないじゃない
努力は夢中に勝てないっていうのはですね誰が言ったのかなぁと思ってちょっと調べてたらですね なんと
中国の古典のですね 中から孔子がですね言ってるみたいなんですよね
原文はですね天才は努力をする人に勝てないと 努力をする人は
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面白がって楽しんでいる人に勝てないみたいなそんな感じなんですよね まあこれは昔から言われてるっていうことはですねまあそういうことなのかなぁというふうに思うんですよね
まあでも意外なのはそれを孔子が言っているっていうところ 孔子って言えばですね
儒教でなんか努力性っていうそういう感じじゃないですか
なんかその 昔からのそのなんていうのかなぁ
その厳しめな道徳的な価値観みたいなそんな感じがするんですけど
だからなんか努力性みたいなことを 言いがちな
イメージがあるんですけどまあその孔子でさえですね あの楽しんでいるものには
勝てないぞというようなことを言っているということですね まあ相当そういうことなんだろうなというふうに思うわけですよねはい
ということでですね今日はちょっと努力について考えてみたんですけど あとはですね
もう一つの問題としてはですねあの 努力
まあ今回お話ししたその努力と 認識した時点でですね努力なんだということの他にですね努力の方向性というのがですね
取り組む方向性っていうのもですね あのもう一つの論点としてはあるんだろうなというふうに思ってて
まあそういうのについてはまた別の機会にですねお話をしてみたいなと思うんですけど 今日はですね
あの努力について考えるということでですね 努力と知った時点で負け
負けという言い方もあるんですけどねはいというそういうお話をしてみました はいそれではまた次回お耳にかかりたいと思いますさよなら