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2017-12-19

第50回 「本当の悟りとは?」

中国の禅僧によって作られた「十牛図」。そこから本当の悟りについてお話しします。北川の新居鎌倉ならではの自然の生活音、空気感もお楽しみください。

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kitagawa@kiqtas.jp



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北川八郎 人生を変える出会い
こんにちは、早川祐平です。 北川八郎 人生を変える出会い、今日は第50回です。
静かに50回です。 今日も鎌倉スタジオからお届けしています。 先生、50回ですよ。
早いね、あっという間だね。 あっという間です。 今日配信されるのは12月19日頃でしょうから、本当に1年。
もう何万人となったんやね。 今もう2万人を目指して、もうちょっと出ているところですけど、本当にありがたい限りですね。
ちなみに12月19日。 先生、クリスマス近いですけど。 ああ、クリスマスか。
先生、なんかサンタグロースの格好させられたことないんですか? それはないね。
すごい似合いそうですけどね。
日本人ですか?
この番組もクリスマス直前ということで、50回を皆さんのギフトになるようなお話ができればと思いますけど、ちょっと先生質問してもいいですか?
この鎌倉の新しいスタジオでも先生の机の上はいつものようにいい意味で散乱していましてですね。
ちょっとメモを見つけたんですけど、従牛図というキーワードを見つけたんですけど、これ何でしょう?すみません、勉強不足で。
勉強不足で。
中国の禅の禅僧の話なんだけども、禅僧がなぜこの世界に行った。
銃の牛の、自分とこの牛が逃げた。それが悟りなんだけど、それを求めて人間がそれを追っていく。
銃の段階をずっと示してるわけね。また牛が山に行って、自分が求めて迷いの世界に入っていって、山に登って成功したりしながら、
最後は全てを捨てて、牛に出会う。牛ってのは悟りなんだけども。
へぇー。
牛と出会って、宮まで行って、最後に支配する世界、光の世界に行くんだけど、それさえ捨てて、市の中、街の中に住んで悟りを得た者が、偉い地位に留まってはいけたら、そこまでは悟りではないっていう話なんだよね。
最後はどこに行くかって言ったら、見えない。
見えない。人々に気が付かないで、多くの人々の中に住んでいて、周りを幸せにしてしまうっていう世界が、最高の世界。
だから、大きなお寺の館長さんになったり、大きなお寺の中で威張ってたり、批判するわけじゃないんだけど、そこはまだ悟りの段階ではないっていうかね。
じゃあもう、それこそどっか山の上に大きな豪邸建てて、そこから見下ろすとかっていうのでもない?
それは全然、それは賊の望みの光っていうか。
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そうか。
ある意味、賊邸建から離れて遠くにいるようだけど、むしろ賊にまみれてるっていう。
そうそうそう。そこがまだ旧の世界っていうか、悟りを得たって思ってる世界は、そもそも輝いてる世界っていうかね。
でも、輝いてたらダメなんよ。
へぇー。
まだ、輝いてる間は意向が強すぎるから、多くの人々が頭を下げてしまう。
下げちゃいますよね。
偉いとか威張ってるとか、悲観が強すぎるから。だから、輝いてるのはまだまだ未熟なんよ。
うん。その光すら別に出さないというか。
うん。だから、パワーがあるとか、エネルギーがあるとか、みんな言ってる人は、僕はまだまだやなっていう。
あの人はすごいパワーとか、なんとか、光輝いてますとか、まだ意向が強すぎるっていうかね。みんなが、みんなを引き寄せてしまう。
夜の中、夜の強い光は、良い虫も悪い虫も全部引き付けるけども、もっとそれ、なんかね、すごい世界、その上の世界があるっていうかね。
うん。
それは光をこう、全ての光を穏やかにしてしまう世界。それがある。
すごいですね。それは人間でも到達してる人はたくさんいるんですね。
到達、たくさんいる。過去にいた、禅僧でいたと思うよね。多くの人々。まあ、禅僧だけではなくて、悟りを得たというか。うん。全ての人々を救いたいと思う。まあ、キリストもそうやし。
うん。
なんか、そういう意味では、ある意味山に登って、そこからまた最後、降りてくるというか。
降りてくる。で、街の中で生活していく。そうすると。
うん。
その人がいるだけで、こう、人々が和むっていう世界があるんやけど。
うん。
中国の言葉、あの、面白い話がちょっとあるんやよね。それは、あるこう、街で、こう、老人が居酒屋で、こう、なんていうか、お酒を飲んでる。
だから、そこにこう、まあ、街のこう、なんか、こう、商人や男たち集まって、わいわい酒飲んでるって、すごい活発で、わいわいわいわい、こう、騒いでる世界に、こう、パンとドアが開いて、その街で、一番の、こう、行く。
一番の、こう、意向、威勢のある親分が、ばーっと入ってくるわけね。
だから、みんなが、その人が入ってきたから、わーっと立ち上がって、親分とか、すごい、寄せ合いになっておりますとか、しーんとなってしまう。
だから、その親分が、こう、わーっと入ってきて、もう、光で輝いてるわけね。
で、みんなが、併浴して、わーっと親分と手を合わせるというか、で、おお、おお、と言いながら、わしの師匠がおる、とか言って、探したら、そこで、老人が一人、酒飲んでる。
で、あの、挨拶して、どうぞ、ありがとうございました、とか、いろいろ言ってるんだけど。
うん。
その時、わたしは、こう、この町を治めてきたし、これだけの部下もいるし、これだけの多くの人が、わたしが来ただけで尊厳されてるし、わたしは、輝いてるから、あなたの教えを守ってます。
わたしは、かなりのレベルに来たと思います。っていうようなことを言うんだけど、老人は、こう、いや、まだまだ、おまえ、だめだよ。
うん。
おまえは、輝くすぎるし、その意向を、意向をね、おまえの意向を、なんか、見せびらかしすぎるっていうか、で、それで、みんなが、併浴してるに過ぎないから。
うん。
もう少しなんだよ、と言ったら、いや、わかりません、っていう。じゃあ、わからせてあげるから、いったん、外に出てごらん。
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うん。
そして、こう、隙間から、この様子を見てごらんっていう。そしたら、その人は、外に出るんよね。
はい。
で、外に出てみたら、みんな、緊張してたのが解けて、今まで、その人がいる間、みんな、しーんとしてた、恐れをなして、しーんとしてたのが、今度は、その人が出たら、また、みんなが、わいわいわいわいわい、騒ぎ始めて、わー、みんな、楽しそうに飲み始めた。
うん。
で、その同人が、やわらたって、こう、静かに、こう、出て行ってくんよね、こう、そっか。そしたら、みんなが、途端に、なんか、お、なんか、寂しくなったね、とか。
うん。
あ、なんか、そぞろ、ね、むらしくなったね、とか言って、みんなが、同人が出た後に、その場が、冷え、寒しくなったので、みんなが、急に立ち上がって、帰り始めるっていう。
うん。
で、その人は、驚くよね。
そう。
ああ、今まで、みんなが、にぎやかで、歩いてたのは、たとえば、
ただ、その人の存在だけで、みんなが、楽しそうに、生きてたんだ。その人と、気づかないけれども、その中にいるだけで、みんな、穏やかになって、争いもなく、楽しそうに、飲めてたんだ。
自分が、入るということは、意向に、触れさせてたし、あらゆることは、治めることは、できるけれども、人に、安らぎを与えてなかったんだ、っていうことに、気づいたっていうかね。
うん。
だから、なんか、こう、光のシャワーを浴びるっていうかね。
はい。
だから、光が大きくなると、
うん。
電灯と一緒なんやね。
その人が、輝いてると、それが眩しいけれども、もっと大きな太陽やね。もっと大きな太陽の中にいると、光の中心が見えないんやね。ただ、光の輪の中にだけ、いるだけで、いいわけやね。だから、光の輪の中に、今日みたいに、安らぎの輪の中にいることに、さらに気づかないっていうか。
そこは、当たり前になっちゃってるわけですかね。
うん。で、太陽が、今度は寒くなる。
確かに。
それと同じように、その人がいなくなると、みんなが、急に寂しくなって、なんか、落ち着かなくなってくる。
っていうのが、まあ、獣牛、猫。
その、獣の人ですね。
だから、輝いてる間は、まだダメなんだ。パワーがある間は、ダメなんだ。移行を集めてる間は、ダメなんだ。もっと、それを気づかない、大いなる存在、その人を中心とした光の中にあると、人々は、その光に行き着かないけども、その光の中で、安らぐことができる世界ってのがあるっていう。だから、もっと大きくなんなさい。
そうか。
っていう、猫。だから、急に人々が、その、
そう。
寂しくなったりすると、輪が乱れたり、元気がなくなったり、争ったりするけども、その人がいる間だけ、そのエネルギーで人が、こう、安らぎ、平和感になるっていう、過去に何人かの聖者が出てきてるんやね。
へぇ。
それが、斎藤の、こうしたり、っていうか。
うん。
先生、ちょっとその、逆説的に伺いたいんですけど、その、獣の人は、そういう人ってことですけど、まあ、そこの、さっきの彼は、弓だとしたときに、必ず逆に言うと、そういう階段が、さっきみたいにあって。
うん。
えーと、そういう、まあある意味、俺はすごいだろみたいな、光を出すっていうのも、そういう意味では、正しい段階を踏んでる。
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そうそうそう。それが急よね。求めていいよ。だから、もう一つ上の世界があるよっていうかね。その上の、最後の世界まで、今世目指してごらんっていう、その、グルっていう詩を教えたんやけどね。
はい。
禅僧が。それが、獣儒図に書いてあるわ。
うん。
だから、ぜひ皆さん、獣の、牛の図っていう、禅の世界の中に出てくると思うんだけど。
はい。ちょっと調べてみますね。なんかそういうの、いろいろ本とかもありそうですね。
うん。
でも、人は結構、そこまで、争奪できる、悟りを得ることができれば。
でも、非常に分かりやすかったです。先生、さすが。
うん。
はい。
宗教図書。
だけど、なんか、その人と同じ世界にいてよかったって思えるんですよ。いるよね。
うん。
あ、同じ時代に生まれてよかった。
ああ、そうですね。
あ、その空気を吸ってる自分が幸せっていう。
うん。
ああ、この人といてよかったと思えるような人に出会えることが、やっぱ、なんか、すごい。
そうですね。
それが、グルっていうかね、と思うんやけど。
うん。
そういう人でも探してみてほしいですね。
はい。
さあ、この番組では、皆様からのご質問を募集しております。詳しくは、北川先生ホームページ、もしくは、北川アットマークキクタスドットJP、北川アットマークKIQPASドットJPまでお寄せください。
さあ、そして先週もお伝えした通り、来年3月3日、土曜日11時から、初の公開収録を、学士会館、東京神保町で取り行います。
こちらではですね。
はい。
えーと、皆さんにお話を頂いて本当にありがとうございました。
うん。
людиと並んで paintingをしていただきなんですけれども、魅力的に pne-pandantaでは、最初からやりたく、憧れ広いです。
なんでもうわやっ、結構。
いいね、いきましょう。
そうですね。
はい。
fråいがためました。
はい、はい、イエス。
どうもなるほど。
はい、ありがとうございます。
いえいえ。
ありがとうございます。
はい。
はい。
いやいつも、僕と、さあ書かないという人たちから、どういった視聴も僕にサスペンション、心身の、毎日の見通しにつながっています。
そうですね。
皆さんも良いクリスマスをですね
ということで先生
ありがとうございました
ありがとうございました

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