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ゆいなわさんの聞く人ラジオ。みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、ストリートカルチャーサークルシャイン代表、DJ醍醐、藤平大介さんにお話を伺いました。
小学校時代に見たテレビ番組で、ダンスと音楽に興味を持ち、高校を卒業してからDJを続けられています。
さまざまなイベントに参加し、そこにいる人が元気になってくれたらいい、とおっしゃる藤平さんに、まずはそのDJの活動について伺っていきます。
いろいろやってることがあるんで、まず今このお渡しした名刺で、音楽で地域活性化、ダンスとかも繋がりがあったりとか、
アート部門というか、縦山ってお祭りはすごい盛り上がるじゃないですか。
お祭りの時期が終わっちゃうと、冬とか特に、昔から静かになっちゃうなっていう、ずっと住んでて、冬寂しいなって、イベントもないしって思ってたんですけど、
ここ、単発でイベントとかってあったと思うんですけど、ビーチマーケットとか、工場海岸でやってるやつとかも年2回定着してきたりとか、そういうイベントも増えてきて、ここに来て、やっと縦山の変化が感じられてるような、コロナ禍も明けてっていうか。
藤平さんご自身が変化を感じてる感じですか?
コロナ禍は、お祭りもいろんなイベントもあったんですけど、1回コロナになってから、何にもできなくなっちゃって、そっからまた今ここで、コロナ禍が明けて、お祭りも復活して、イベントも復活して、イベントごとが前に比べたら、もっと増えてきたなっていう印象があって。
単発のイベントは、コロナ前も今もあるんですけど、定期的にやるイベントが増えてきてるなって。
自分もそこで、何かできないかなって思ったときに、ずっと趣味でDJやってるので、それで街のイベントに関われないかなっていうことで今、活動してます。
普段、僕は皆さんにお話聞くときに、お仕事とか好きなことっていうのを聞いてるんですけど、活動としては音楽とかDJとかをしながら、それってもう長いんですか?
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音楽は小さいときから好きで、DJ始めたのは高校卒業して、社会人だって自分で機材、ローン組んで。
結構いい値段するものを。
そうですね。そこのタンテーブル。これはもう買い替えたんですけど、当時はタンテーブルが1つ5万円くらいして、それ2台と、真ん中に置くDJミキサーっていうのが、それも3、4万円くらい。
まずそれを買って、あとそのDJ用の針っていうのもあるので、それも結構1つ1万円前後したと思うんですけど、それも買って、それとは別にレコードも当時使ってたんで、当時はレコードでDJが普通だったんで、給料もらったのは全部音楽で使ってたなっていう。
そんな感じなんですね。音楽はどういうのが好きなんですか?
えっと、ブラックミュージックが好きで、ハマったきっかけが小学校の時に、1990年前後だと思うんですけど、ビートたけしさんの元気が出るテレビで、ダンス講師宴って、高校生が踊る。
あれが、たぶん小学校4、5年生くらいになるんですけど、それを見てダンスに興味を持ち始めて、最初は音楽よりはダンスが好きになったというか、みよみまれで部屋で練習するようになって、教わる環境もなかったので、全然上達はしなかったんですけど、なんとなく練習はずっとやってみて。
高校の時に、ダンススクールじゃない、専門学校通ってて、立山に戻ってきた先輩がいて、中央公園でダンスを習い始めたんですけど、それがヒップホップダンスで。
1997年くらいですか、高校2年くらいの時で、そこからダンスにハマっていって、高校卒業してタンテーブルを買ったんですけど、それはダンスのショーに出るのに音を編集するのが当時。
レコードの曲をDJのあれで繋げて、テープで録音して、それをイベント会場で流してもらって、それで踊るっていうのが主流だったので。
既成の曲の人もいるかもしれないけど、自分たちでちょっとリミックスして。
そうですね、好きな曲を3つくらい繋げて。
その作業をやるために機材を買ったんですけど、気づいたらDJにハマったっていう感じで、そこからずっとDJの方で活動して。
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やっぱ面白いんですよね、魅力があるというか。
そうですね、もともと音楽が好きで、中学の時バンドブームっていうかずっと80年代からバンドブームがあって、みんなギターとかベースとかドラムやってる子もいて。
自分もベースを手に入れてちょっとやってみたんですけど、楽器無理だなと思って。
DJだったらもう出来上がってる曲を流すので、もしかしたらできるかなと思って始めて、やってみたらハマってたっていう感じですね。
今も引き続きずっとやり続けて。
一回ですね、20年くらいやって、子供が生まれた時に、もうなんか多分時間取れなくてできなそうだなって思って。
引退しますって言って、イベントごと引退したんですけど、それが2018年で。
その次の年に台風で町が被災したんですが。
それが9月の頭ぐらいで。その後八幡の祭りの予定も全部なくなって。
その次の11月にビーチマーケットの復興支援としてやりましょうっていう。
このまま何もやらずにっていうのもあれだったんで、自分でできること何かなって思ったらDJしかないので。
音楽で流させてもらって、そこにいる人たちが元気になってくれたらいいなっていうのでやらせてもらって。
そこからビーチマーケットの方でもDJがいっぱい入る形になったんですけど。
そうなんですね。
そうですね。
そっかそっか。じゃあ一回休んでたけど、また再び走りは始めて。
そうですね。それが再会のきっかけっていうか。
DJって何してんの?みたいなところってあるじゃないですか。全然わかんない人にとっては。
なんか動かしてるけど。DJも例えばアナログのレコードもあるしCDもあるし、今はパソコン繋げてとかもあって。
中にはものすごくでっかい機材を使ったりとかっていろんなことしてるけど、何やってんのかな?みたいなのって。
そうですね。たぶんDJやってても知らない人って目の前に行っても何やってるのか。ヘッドホンで聞いてあれは何だろうとか。
で、ワークショップもやってるんですけど最近はじめて。
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DJのワークショップ。
でもたぶんその前に何やってるかわかんないので、まず来る人がほとんどいないっていうか。
そっかそっかそっか。
やったらなんとなくっていうか、やりたい人いると思うんですけど。
DJって左右に端テープがあって、真ん中にDJミキサーって呼ばれて、フェーダーってあるじゃないですか。
そうですよね。左右と縦と。
この横の左右に動くフェーダーが、左にやると左のレコードの音が流れて、右にやると右のレコードの音が流れて。
真ん中にやると両方の音が同時に出るんですけど。
左の曲を流してる間にヘッドホンで右の曲の頭出しって言って、曲の始まりとか、どっからミックスするかっていうのをヘッドホンで聞いてて。
左の曲のサビが来たら、じゃあ右の曲の頭、イントロを重ねるっていうか、それをミックスって言うんですけど。
その間にヘッドホンで聞いて、スピードを合わせるんですよね。
それしないと繋がんないんですね。
ピッチが違う。
まずその作業をヘッドホンで聞きながら、端テーブルのスピード調整するフェーダーを動かしながら繰り返して。
スピードが一緒になってサビが来たら、じゃあ右のイントロを入れて、2曲の曲をミックスするっていうか。
それでどんどん音が途切れないように繋げたりっていう。
そうなんですよね。
なるほど。っていう作業をずっとやると言えばやる。
そうですね。
ってことは、例えばなんかあるイベントでDJやりますみたいな時っていうのは、事前に準備しておくってことですか?
即興的にはやらないってことですか?
即興的にもやるんですけど、ある程度イベントの内容によって選曲をしといて。
選曲、合う合わないも当然あるわけですから。
そうですね。
選曲しといて、流れもある程度は決まってたりするんですけど。
特に即興でやるのはダンスイベントとかになると、ソロで1人ずつ。それこそダンスの即興。
やるソロ回しっていうか、みんなで楽しもうみたいな感じの時間もあるので。
そういう時はもう、その雰囲気を見ながら曲を入れていったりとかするんですけど。
なるほど。
そうか。ってことは、ある程度曲を知っては当然いるでしょうし、この曲を流そうみたいな。
そうですね。
それを次の曲とかに入れて、ピッチ合わせたりしながらそっちに合わせて。
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あとはもう、そういう時って本当に即興なので、ミックスしないでいきなり曲を変えたりとかも。
そうか。カットインというか、パッて変えるみたいな感じ。
そういう時もあったりとか。
そこもあるのか。なるほどね。
そういう感じの時もあったり、今週末、4月27日の土曜日に駅前のスパーク立山さんで、
イベントがリニューアルして、スパークデイっていうイベントがあって、そこでもDJさせてもらうんですけど。
その時はライブの合間でDJが入って音楽を流すっていう感じで。
今のところちょっと考えているのは、自分の出番の前が沖縄の三味線のライブをやる方で、
その後流すんだったら沖縄地区の曲を流してみようかなとか考えたり。
そっかそっか。じゃあ結構ご準備はある程度はされていきながら。
そうですね。
その時もしかしたら、ちょっとこっちにしようかなってこともあり得るとか。
ありますあります。
あるんですね。
例えば、子供がいっぱいいたら、子供向けの曲。
お客さんの様子から、客層を見て年齢層を見て、ちょっと当初とは変えるとかも。
もありますね。
へー、面白い。
そうですね。だからDJって技術的なことも大事なんですけど、
やっぱり曲のネタっていうんですけど、ネタの仕込みがすごい大事で。
そっか。
で、例えば、自分の親世代だと60代とか70代前後になると、
ディスコ系のミュージック聴いてる人とか。
そうですよね。
で、そういう曲流すと、昔を思い出して踊ってくれる人がいたりとか。
あー、そっかそっか。そうですよね。
知りますね。
なかなかいろんな、結構当然曲もいっぱい知ってるっていうのもあるだろうし、
お客さんを見ながらとかもあるだろうし、
結構ほんと、だから藤平さんご自身にいっぱい入ってる感じ?
それを出し入れしながら。
そうですね。で、やっぱり曲をいっぱい持ちすぎてるので。
持ちすぎてる、はいはいはい。
もう何万曲っていうデータがあって。
あー、そっかそっか。
で、1曲を、1個1個の曲をフルに頭に入れてるっていう感じではなくても、
なんとなくこういう曲があったなって感じで。
で、その曲を探しながら、その場を見てやったりとか。
今はパソコンとかですか?データ。
今はパソコンで、タンテーブルみたいなパソコンの音源をコントローラーする、
DJコントローラーっていうのがあるんですけど、それを使ったりとか。
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で、家でやるときはそのタンテーブルを使って。
そっか。
で、動画配信とかもたまにやってるんですけど。
そうなんですね。
で、そういうときはタンテーブルとか、レコードやったりとか。
じゃあもうその時々に合わせて物はちょっと変えながら。
そうですね。
持ち運びも大変なので。
そうですよね。
そうなんです。
イベントとかによっては。
だから当然ケーブルとかも必要になってきたりとか。
そうですね。
その場に合わせた物にしていかなきゃいけない。
特に海とか潮がすごくて。
ああ、そうですよね。
もう海で使う用の機材を。
そっかそっか。一応当たってもいいかなってやつが。
そうですね。
なるほどね。
そういうのもあったり。
そっか、じゃあそれを実際始められてから、独学でといったら独学で?
そうですね、ほぼ独学で。
当時はもうインターネットなかったので。
教則本とか。
教則本があるんですか?
DJの勉強する本があって、それ呼び込んだりとか。
あとはビデオでプロのDJの人がレクチャーしてるやつとか見て。
ダンスもそうなんですけど。
そういうのを見て独学で勉強して。
あとは人のミックスCDっていうのが出てるので、それ買って聞いたりとか。
なるほどね。
例えば本当にすごいDJさんとかの映像とかもいっぱい今YouTubeとかであると見てると、
すげえみたいなやっぱ思ったりとかもあるってことなんですね。
人によってやってることって色々違うんでしょうし。
あと例えばすごくお客さん煽る人もいるじゃないですか。
あいますね。
ああいうのは、だって作業でやってたらできないわけだから。
何かの合間で煽ったりとか。
そうですね、それもパフォーマンスという一部で。
自分はそういうのも苦手なので。
曲繋げて表現っていうか。
だからDJでもバトルっていうのがあって。
DMC JAPANっていうの毎年。
スクラッチとか。
ありますよね。
そうですね。
で、同じレコードを左右に置いてビートジャグリングっていう。
複雑な音の出し方する競い方とかあったりとか。
そういう人たちもいるんですけど。
そっちはもう苦手なので。
イベントでミックスして楽しんでもらおうかなっていうスタイルでやってます。
そう思うとDJと一口で言ってもいろんなことに。
そうですね。
ですよね。
以前というか。
僕も昔は音楽が好きで聴くんですけど。
音楽のジャンルっていうと。
例えばヒップホップとか。
そういうのが始まりというか起こりだったと思うんですけど。
今は決してそれには限らず。
いろんな音楽を。
ですよね。
今はもういろんなジャンルのDJっていうのが確立されてるので。
例えばアーティストとか。
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例えばダフトパンクとかアンダーワールドとか。
そういう人たちがいるじゃない。
ケミカルブラザーズとか。
ああいう人たちが基本的にこれでやってるじゃないですか。
ああいう人たちのDJと言えばDJなんですか。
あれはまた違うの。
作ってるってこと。
あの人たちも曲出してたりとか。
でもイベントとかでDJとか。
自分たちの曲流したりとか人の曲流したりとかしてる。
それもDJですね。
そうですね。
そもそもすごく幅の広い感じ。
そうですね。
曲の知識だけ広がっちゃえばそれだけもいろんなイベントに合わせられるかなと。
あとは自分ができる技術さえ持って。
始められるもんなんですか。
例えば僕がやったことないときで。
僕は音楽は作ったりするんですけど。
DJ的なことは全然ないので。
じゃあやりたいってなったときに。
どっから入っていくって素人ってわかんないじゃないですか。
そうですね。
今はもう本当。
さっき話した通りタンテーブルもあればコントローラーもあって。
パソコンでやるんであればもう。
曲のスピードとか。
あと頭出しも画面上で印つけられたりとかするんで。
それのデータがコントローラーで同期されるので。
そうなんだ。
コントローラーだったらボタン押せば再生になるので。
そのタイミングだけ覚えちゃえば。
練習すればすぐ。
昔はもうレコードで耳で聞いて覚えてやるっていう。
今はもういろんな選択肢があるので。
藤浦さんにとって見るとDJのやりようって簡単になってる感じじゃないですか。
昔に比べたらすごい簡単になってる。
多分誰でもできちゃうんじゃないかなって感じで。
その機材さえあれば。
そうですね。
じゃあそのコントロール言ったらパソコンにデータが入ってて音楽データが入ってて。
そこにコントローラーさえあればもうできる感じ。
できちゃいますね。
そうなんだ。
あとはパソコンがない方は、ちょっと機材高くなっちゃうんですけどUSBさせば。
でもどっちにしろデータ入れないといけないので。
パソコンが必要になってくるんですけど。
CDJもあるんですけど、今パソコンが主流なので。
パソコンとコントローラーがあれば入れちゃうかなっていう。
僕も好きで映像見たりしてる中で、何してるのかがよくわかんないっていうのがまずそもそもあったな。
それは確かにお聞きすると。
じゃあ今メインでかかってる曲があるときにDJの人は別の次の曲を聴きながら、
それを繰り返したりしてるのかな。
21:00
へー、そういうことか。
じゃあ藤浦さん自身がもっとこうしていきたいとか、そういうのってあったりしますか。
それ今考えてるのが、自分その音楽がずっと趣味でDJやってるので。
で今、縁があって長野県のコミュニティFM。
へー。
はずみのFMってコミュニティFMがあるんですけど。
そこで最初リスナーでメッセージを送ってて、DJやってますっていうイベント情報とか。
多分全国で聴いてる人がいるので、足運んでる人がいいなと思って情報とか送ってたら、
電話で喋りませんかって。それでちょっと告知とかさせてもらって。
で今またその延長で、自分が選曲した曲を流してもらったりとか。
今日も夕方なんですけど、ちょっと3曲ぐらいミックスしたのを流してもらったりとか、そういうのをやり始めてて。
自分がやりたいのは音楽で地域間の交流をやりたいなと思って。
近いところで言うとキミツキサラズのアーティストさんとか繋がったので、交互にイベントとか出たりすれば。
イベントの時は結構盛り上がっていくかっていうのがあって。
人口減少とかそういうのを考えると、完全に食い止めるっていうのは、多分この先子供自体全国的に世界的に減っちゃってるので。
そういうとこは結構厳しくなるかなと思うんですけど、人の流れは作っていけたらいいかなっていうのがありますね。
全体的に、人口という数で言ったらちょっと変かもしれないけど、流れ動くというか。
そうですね。そういうので地域活性化になれば面白いかなと。
やっぱり地域活性化をしたいっていう思いっていうのがあるってことですよね。
ありますね。
それは僕もあると言えばあるんですけど、なんでっていうと。
ずっと住んでて、街の様子をなんとなく見てて。
人口減少とか、自分白浜が出身なんですけど、仮想地域になってて。
ママ祭りとかもちょっと手伝ったりとかしてるんで、自分の地元が元気なくなっちゃうの嫌だなっていうのがあって。
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で、お祭りやらない自分が何できるのかなって思ったときに、そういうイベントをやって。
今、自分で主催してるわけじゃないんですけど、イベント手伝って、そういうのを活動できればいいかなっていうのを考えてます。
人口を増やすっていうのは、なかなか難しいと思うんですけど。
そういうイベントが増えれば、年間通して街が賑わってくれたら嬉しいなっていうのは。
そっかそっか。
そうですね。寂しい時期をなくしたいっていうか。
実際、一つ立山で言ったら大きなお祭りがいくつかあるかもしれないけど、八田町みたいなのがあって。
そこは一つ盛り上がりがすごく強いけど、秋がそれ過ぎていくと、やっぱり冬場ってちょっと浸透する感じというか。
今は4月、5月になってくると、また徐々にイベントが高くなってくれば。
そっかそっか。
そこでやっぱり人が行き来して、みんながいいよねって思ってくださる方。
例えば東京とかに住んでても、時々来てくださる方とかが増えてくれれば。
移住される方とかも、いきなり移住の方もいるだろうし、徐々に移住が入ってくる方もいらっしゃるし。
そうですね。
やっぱり皆さん、何人かこのラジオでお聞きした移住されてきた方に聞くと、立山に魅力を感じてっていうことで住んでるっていうこともあるので、
当然良さはあるなと思うし、そこで立山の魅力みたいなのがもっと発信できていけば。
そうですね。
なんか行政の方も、民間の人でも、今すごい発信するすべて増えてると思うんで。
そうですね。
自分も色んなSNSやったりとか、インターネットでラジオちょっとやってみたりとか。
全然効果はあれなんですけど。
そういう発信していって、本当は理想は住んでくれる人が増えればいいんですけど、
それがもし厳しいとしても足を運んでくれる人が増えたら、
そうですよね。
それにとってはプラスになると思うので。
そうだよな。
一旦関係人口って言葉があるとしたら、その関係人口が増えてくれるみたいな感じですよね。
そうですね。
なので、自分は音楽の交流ができてきたら、色んなアーティストの人に立山に足を運んでくれたりとか、
27:07
自分も色んな地域に行ったりとか。
今週末は自分の仲間の子が北海道からアーティストを呼んだりとか、
そういう活動を既にしているので、
そこは自分はすごいなと思って、今一緒にやらせてもらったりとか。
面白い。
そうですね。
そういうのがやっぱり徐々に徐々に繋がって5円が紡がれていけば。
立山が、僕最近思ったのは、立山は当然色んな魅力があると思うんですけど、
例えばカフェがオープンして。
結構多いですね。
結構多いですよね。
それも最近といえば最近。
老舗も当然ありますけど、結構新しめにオープンしているところが増えてきたりとか。
なんかここ12、3年ぐらいで色んなカフェが増えた。
そうですよね。そんな感じしますよね。
一回ちょっと個人的にも調査したいぐらいカフェがどれぐらいあるのかとか。
そうですね。結構あります。
あと本屋さんが、この間はお話を聞いてきたんですけど、
カズの図書室っていうところの佐々木さんとかはそこでやられてて、
またすぐ近くにほうじょぶんこっていう本屋さんができたんですとかっていうのって、
いわゆる大型書店じゃなくて個人でやれるようなそんな感じのことって。
本屋って一つ文化的なこと。
カフェもそうですし。
例えば音楽とかダンスとかそういうカルチャーな部分で竹山っていうのが、
ブランディングって言ったらあれですけど、みんなに認知されてくると。
そうですね。
そういうのってすごくいいなと思うんですよね。
それも当然一人の力じゃできないし、色んな方がそれでやっていこうっていうのが。
そっかそっか。それでまた若い方とかがつながってきて、
面白いとこだってなってくるっていう気はするんですよね。
そうですね。自分も、自分がやってるのがDJで、
それってストリートカルチャーって名刺にも書いてあるストリートカルチャーサークル。
SHINEっていうサークルを作ってて。
たまにダンスとかDJとかワークショップやったりとか。
あと、ながらは2本使ったダブルダッチっていうスポーツが。
ありますね。
あれもストリートスポーツの人たちなので。
そっかそっかそっか。
その活動をやってる子も竹山でいるので、一緒になって今。
ダンスとダブルダッチ一緒にやって、体験会やりましょうとかそういうのをやったりとか。
でも、なかなかやり始めたばっかで、なかなかは来てくれないんですけど。
そういうのが定着してくれば。
30:05
田舎だからっていうあれじゃないですか。
そういうストリートの、昔駅とか公園とかでダンスの練習してて。
都会だったら、もうそれが普通なので。
通りすがりの人って別に何も気にしなかったりとかあるじゃないですか。
今はちょっとわかんないですけど。
特に田舎町でそういうストリートで何かやってるとか、スケボーとかも問題になったりしてるんですけど。
白い目で見られたりとか。ちょっと音を出してる。
自分もクレームが来ないぐらいにちょっと小さい音で練習はしてたんで。
それでも変な目で見てくる人がいたりとかも。
都会でもそうかもしれないですけど。
マナーよくやってたつもりなんですけど。
そういうのが悪いものっていうイメージを持ってる方も多分少なくはない。
いらっしゃいますよね。
いると思うので。
そういうものが、今子供たちも普通にダンスをやる時代になってて。
そういう文化を悪いものっていうイメージから、いいものだよっていうイメージに変えていきたいなっていうのを待って、
このストリートカルチャーさんが来るというのを今、広めようという。
音楽を通して地域間の交流がしたいとおっしゃる藤浦さん。
イベントを通して地元がにぎわってほしいとおっしゃいます。
そしてお話はゴミ拾いのボランティア、マルゴミジャパンの活動についてお聞きしていきます。
この活動以外にゴミ拾いのボランティアもやってて。
月1回街中のゴミ拾いやってて。
それがマルゴミっていう。
マルゴミ。
マルゴミジャパンっていうのがありまして。
AFMのラジオDJのDJ耕作さんっていらっしゃるんですけど。
その方が始めた団体で。
で、マルゴミの活動って山道型の。
山道型。
山道参加型の活動で。
団体っていうわけじゃなくて、月1回立山ならここでゴミ拾いやりますって告知をして。
それに賛同してくれた人がタイミングがあったら参加してくださいみたいな。
そういう形なんですね。
そういう形でずっと。
強制しちゃうと行かなきゃいけないっていう感じになっちゃうといけないので。
33:03
そういう形でずっとやってて。
ゴミ拾いやってるのも駅前のゴミ拾ったりとか海のゴミ拾ったりとか。
観光客の方に気持ちよく来てもらいたいっていう思いでずっとやってて。
その活動するときもあえてストリート系の。
見た目だけで判断しないでほしいっていう気持ちも込めながら。
そういうことかそういうことか。
確かに確かにゴミを拾うっていう行為でよくしたいって思いですよね。
それが今年の6月で10年目に入るんで。
すごい。
最初一人二人で拾ってたのが今多いときは30人とか50人とか。
それは藤平さんが声かけるんですか?
SNSで告知を出して。
藤平さんご自身がどこどこでいっこんでやろうみたいな。
まるごみたて山っていうアカウントがあるんでそこで各SNSで告知を出して。
それを見た人が都合が合えばって感じで参加して。
多いときはそうやってたくさん。
そうですね。
一応最初自分がやりますって手を挙げてやり始めて。
4人ぐらい実行委員会のメンバーが揃ってきて。
一人は市議会議員の人も帰っていただいて。
その方は毎週土曜日一人で立山駅前とかゴミ拾ってくれてて。
そうなんですね。
そういう方がいたりとか。
それだけ継続されてやってるから参道する方も仲間が増えてきて。
素晴らしいですよね。
あとは光作さんのラジオ番組聞いて参道して。
立山でやってるから参加しますって。
固定のメンバーが揃ってきたりとか。
そういう活動をしたりもしてます。
やっぱりゴミはあるんですよね。
ゴミ拾いを定期的にやってるとゴミ減っていくのかなと思って始めたんですけど。
毎月やるので、街のゴミの量の変化とかも感じてて。
10年前と比べると多分街中のゴミ箱も減ったっていうのもあると思うんですよね。
公園とか駅前とか。
気軽に捨てれるようなゴミ箱自体がないってことですね。
36:00
ないので。
逆に増えてきてるのかなっていうのも感じてて。
そうか。
辞められないなっていうのがあって。
なるほど。
実際ゴミがなくなりさえ捨てれば活動としてはやらないっていうのは。
それが理想なんですけど。
そうですよね。辞められないっていうのはやっぱりゴミがあるってことですね。
もうなんか増えちゃってる。
そうなんだ。普通にだから言ったら捨てる方がいると言えばいるし。
あと自然に出てしまうゴミもあるでしょうけど。
それもあると思うんですけど。
それもなんか逆に考えると。
夏場、海のゴミが増えましたってなると。
それだけ人が来てるのかなっていうのも感じたりとか。
確かにマナー悪いとちょっと地元の人間としてはいろんなことを感じますけど。
それだけ人が来てこっちで遊んでくれてるのかなっていうのも感じたりとかしますね。
なるほど。
それがやっぱりゴミを実際に拾われてる方じゃないとわからない実践ですね。
そうですね。たぶん9年やってきたからそういう感じになってるのかなっていう。
そうなんですね。
それはでも辞められないっていうか、もう辞めないっていう。しばらくは続ける?
やっぱり街を良くしたいっていう思いだけで。やりたいからやってるっていうか。
そうですよね。
そうですね。
そう思うと藤平さんご自身が良くしたい、街を良くしたい、地域活性したいとか。
やっぱりそういう思いが真にあって。
そうですよね。
自分が例えば音楽ができる、ダンスができる、ゴミ拾いもするっていうことで。
それで何か動いてる日々を。
そうですね。それがもう自分の中の柱っていうか。
そこがずっとブレてないのかなっていう。
たぶん自分が祭りやる人間だったら祭り一本でやってると思うんですけど。
たまたま祭りやらない人間になったので、他で祭りを盛り上げられればっていうので今そういう活動をしてますね。
例えば祭りをやることもできた?
小さい時は立山にいて、小学校1,2年くらいまでは参加してたんですけど、そこから白浜に引っ越して。
でもたぶん何回かは参加してると思うんですけど。
中学になって立山はまた戻ってきて、そこからちょっと見るだけになっちゃいました。
39:01
そしたら自分ができることとして。
そうですね。
それだけゴミ拾いの活動とかもやられてるっていうのはすごく、当然見てる方もいらっしゃるでしょうし。
いろんな方に声掛けいただいたりとか、交流も縁もあるでしょうからね。
そうですね。
そのマルゴミの活動を始めるきっかけが、さっき言ったんですけど白浜出身で、
雨祭りってあるじゃないですか。
ありますね。
それが人口減少で過疎化になってくる手前の時に、たぶんそれも9年くらい前だと思うんですけど、
お祭りの存続が厳しいっていうことで、
白浜の方がDJ耕作さんに相談したみたいなんですけど、
そこから雨祭りは夕方から始まるので、日中はマルゴミは、復興支援の活動もしてるので、
復興支援イベントのマルグルっていうイベントをコラボさせて、
日中はマルグルをやって、夕方から雨祭りっていうのが流れて、
それをやり始めて白浜がまた雨祭りの時、すごい人が来て、
いろんな芸能人の方もライブとか顔出しに来たりとか、耕作さんのつながりで来てくれて、
白浜がまた元気になってきたなっていう姿を見て、
耕作さんがステージで話してたのを、自分はその時祭り見に行くだけで言ってたんですけど、
ステージで話してる時に、当たり前は当たり前じゃないっていう話をしてて、
それはなぜかというと、耕作さんって奥さんを癌で亡くしてる人で、いろんな話をしてて、
当たり前は当たり前じゃないっていうのを言ってて、
自分は2009年に、今こうして話してるんですけど、発声障害っていう声の病気になりまして、
半年くらい、もう1年以上ですかね、本当に声が出なかったっていう事があって、
仕事も辞めて引きこもってたんですけど、
何とかちょっと話せるようになった時に、外出るようになって、山祭りとか見に行って、
その話を聞いた時、何か感じるものがあったんですけど、
当たり前は当たり前じゃないっていうことを。
そうですね。声が出るのも当たり前だと思ってたので、当たり前じゃないなと思って。
42:05
耕作さんは家族が亡くされてすごい大変な思いをしたんですけど、
自分の場合はちょっとした病気っていうか、それでも結構辛かったんで、重なって。
そこから耕作さんの活動をラジオを聴いたりとか、目にするようになって、
ゴミ拾いをやってるっていうのがあれで、
自分も何か多分感じるものがあって、
じゃあ立山やりますって言って丸ごみ立山っていうのを立ち上げて。
そっかそっか。
そっからですかね。
病気の症状もまだ全然残ってたので、
人と話すことが普通っていうか、
話したいけど話せない、モヤモヤとかあったんですけど、
それでもなんとかだましだまし人と話しするようになって、
いろんな繋がりができて、
で、丸ごみのイベントを、
こっちだと雨祭りで一緒に丸ぐるやってて、山梨とかでもやったりとか、
で、一回白浜の人たちとバスに乗って、
あっちの丸ぐるに行って、
そういう活動をして、
いろんな活動をする中で学びもあって、
今立山盛り上げるのにどうしたらいいかなっていうのがあって、
そういう活動で学んだことを、
これからみんなと力合わせてやっていけたらいいなっていうので、
活動をしています。
すごいですね、それは。
やっぱりそれ行動しないと起こらないんですかね。
そうですね。
藤平さんご自身がちょっとやろうって思って一歩踏み出して、
行動し始めたことによって、それが続いていって。
そうですね。
ありがたいことにいろんな人が来てくれるようになって、
ビーチマーケットも、
今年度から自分も運営のお手伝いというメンバーにならせてもらって、
もともとビーチマーケットの時には丸ごみ立山が入ってビーチクリーンしてたんですけど、
ビーチクリーンは他の実行委員会の人にその時はやってもらって、
自分はダンスとかライブの担当になったので、
そっちの運営をやりますということで、
今年からそういう活動が始まって、
45:01
少しずつですけど広がっていって、
やっぱり発生障害という病気を抱えているので、
一応当日自分もMCというか司会をやろうとは思うんですけど、
少し調子が悪くて声が出ないといけないので、
自分の知人のカズサーFMで喋っている子がいるので、
その子に司会お願いできないかなという話をしたりとか、
それも向こうから来てくれたら地域間の交流というか、なるかなというので、
気さらず方面の地域活性化している子で、
そういう面でも少しずつは広がっている感じがありますね。
藤浦さんはこういうことをしたいという思いに賛同したりとか、
そういう方につながってきますもんね。
それでお互いやれることはやれるし、
もちろんやれないことはやれないとかもあると思うんですけど、
お互い無理ない感じで。
無理がない感じでできるというのが、
たぶん継続しているというのかなと思いますね。
そうか。
そうなんです。
自分は家族がいて、子供も小学校1年でまだつき手がかかっているとか、
隙間時間でイベントの準備をしたりとか。
そうですよね。
そうですよね。あんまりこっちを犠牲にしちゃうわけにはいかないわけだから、
やれることはやるっていう。
そうですね。
そっか。すごい。なるほどな。
でもまだまだやれることはいっぱいあると思いますし、
5円が紡がれてまた今度は何をやるかわからないですから。
そうですね。
面白いですよね、それでいろんな方と。
そうですね。やりたいことって結構いっぱいあって。
将来的には野外音楽フェスみたいなのを立山で。
いいですね。
昔、やっぱり後輩の子がすごい大きいイベントをやってたりとかしてたり。
自分がそういうのを1回でも1回やってみたいな。
確かに確かに。それはいいですよね。
そうですね。最初はちっちゃくても始められたら面白いかなっていうのがあって。
それもやっぱりもう昔から思ってたことで。
今はいろんなイベントを手伝いながら、
イベントの作り方とかを学んでるっていうか。
本当なんか音楽がない街でそういうイベントをやるっていうのは
多分相当難しいことかなとは思うんですけど、
やっぱり1回でも1回やってみたいなと。
48:00
それはやりそうな感じが。
そうなんですね。
イベントもやりたいし、あとは音楽が根付いてくれたらいいなっていうので。
そっかそっか。
今は地域活性化の活動をしてて。
さっき言った発生障害っていう認知活動も。
発生障害自体を皆さんに知ってもらう活動。
この前もカズサーFMの方でその番組に出させてもらったりとか。
あずみのラジオでもそういう話をさせてもらったりとか。
認知活動もしてるので。
もしこの番組でもお話させていただければ。
もちろんもちろん。
発生障害って聞いて、声の病気って聞くと多分生体の病気だと思うんですけど。
自分も実際発生障害っていうのを見つけて、自分の症状とあってハマるなと思って。
生体に病気があるのかなと思って検査したんですけど。
生体全然綺麗で何も異常がなくて。
じゃあなんで声が出ないのかなって思って色々調べたら、
神経の伝達の異常で、
喋ろうとするときにうまく喋れないというか、声が。
生体の周りの筋肉が無意識に固まっちゃうというか。
そういう症状が出て喋れないという。
声が詰まるとか。
よく喫煙とかあるじゃないですか。ちょっと止まってしまうとか。
そういう感じで声が詰まってとか。
ひどいときは本当にもう声が出なかったので。
空気が出るような感じで。
喋ってるとは言えないですけど、本当に全く声が出なくなって。
そこから徐々に出るようになったんですけど。
自分の場合は心音性の発生障害という診断を受けたんですけど。
発生障害っていろんな種類があって。
痙攣性発生障害というのと、機能性とか。
喫煙もそういう病気の仲間になるんですけど。
いろんな症状があって、人によって原因が違ったりとか。
自分の場合はストレスかかってたから声に症状が出ちゃったので。
ストレス軽減してきてなんとか喋れるようになったんですけど。
機能的にもうそういう症状出ちゃってると、
ストレス関係なく身体的にそういう症状になっちゃうので。
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今完全に治すっていうのがまだ見つかってない病気で。
生体の周りに注射打って筋肉をたぶん柔らかくするっていう感じの治療とかしたりとか。
それをでも注射打ってから声が出るまでに副作用があってうまく出なかったりとか。
声が出始めても何ヶ月か経つとまた効果が切れてくるので、
定期的に打たないといけないとか、そういう病気なんですけど。
結構街中でもお店の店員さんとかで、症状が似てるなっていう人とか見かけたりとか。
ああ、そうなんですね。
SNSでもたまにその病気のことを書いたりすると、
私もそういう症状になってて困ってるんですって。
それが地元の方で。
ああ、そうなんですか。
近くにもそういう人がいるんだなって。
たぶん自分が書いてなかったらその人も。
届けてないですよね。
なんか病気のこととか。
たぶん自分で調べてたとは思うんですけど、
同じ病気の人とつながるっていうのはほんとなかなかないので。
病気についてちょっと相談されたりとかして。
患者会ってあるんですけど、
政省が患者会っていうのがあって、
それ任意の、今NPOにはなってると思うんですけど、
病気の症状を書いたリーフレットを作って、
教育委員会とかに渡したりとか、そういう活動とかをしてて。
少しずつは認知はされてるのかなと思うんですけど、
まだまだ社会的には発生障害って何?っていう感じで。
結構芸能人とかでニュースでたまに声が出なくなって、
お休みしますとかそういうのも見るとは思うんですけど、
そのとき見て多分終わっちゃって。
そういうのがあるんだで終わっちゃうと思うんで。
この発生障害っていうのが社会的に、
風邪ひいたんだとかそういう感覚で、
発生障害になったんだっていう、
誰でも知ってるような病気になれば、
もっと理解は深まるのかなとは思うんですけど。
子どもも大人もそうですけど、
声が出ないだけで馬鹿にされたりとか。
自分も仕事で声が出なくて、
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お客さんと話さないといけないとき。
勤めてるときは、
同僚も自分がそういう病気っていうのを言ってたので、
声が出ないっていうのはわかると思うんですけど、
お客さんが自分のとこに来たら、
自分が声が出ない内に喋らないといけなくて。
でもやっぱり助けてくれる人ってあんまりいないのかなっていうのもあったりとか。
病気の理解って多分難しいと思うんですけど、
ちょっとした思いやりを持ってくれる人が増えたら、
例えば病気が治んなくても生きやすくなるのかなと思って、
今こういう認知活動をしてますね。
病気自体はあるといえばあるし、
もちろん軽くなったりとかあるでしょうけど、
それとは別に皆さん周りにいる社会として、
ちゃんとそういうことだっていうことがわかる風になっていけば、
より生きやすい、当然生きやすいというか、
変な誤解は生まれないとか。
自分もこの病気になって、
たぶんその以前っていうのは、
そういう目に見えな病気に対して理解はできてなかったので、
思いやりもそこまで持ててたかなっていうと、
それもちょっとなかったというか。
別にそういう人をバカにするとかはなかったんですけど、
あんまり思いやりとかは持ててなかったのかなっていうのがあって、
自分がこうして苦しんだので、
今福祉のほうでもつながりがあって、
班で持っている方でも、
ダンスやりたい方がいればちょっと教えたりとか、
知的障害の子とかにもちょっと教えた時期とかあったりとか、
そういう活動もしたりとか。
そうですね、病気になったことで自分の、
なんていうんですか、できることじゃないですけど、
活動が広がってきたかなっていう。
そっかそっか。
で、このサークルの名前が社員なんですけど、
誰でもできる環境を作りたいので、
班で持っている方でもダンスをやっちゃいけないっていうのはないじゃないですか。
ないですね。
たぶんやれる環境が健常者と比べちゃうと本当に少ないと思うので、
今後はそういう活動も広げられたらいいかなって思ってますね。
そっか。
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やりたいことがたくさんある。
結構あるので、今はちょっと限定して活動しています。
全部はいきなりできないですから、コツコツと一つずつ積み上げていくんですよね。
すごい素晴らしいと思います。
当たり前は当たり前じゃないという言葉に感じるものがあったという藤平さん。
自身の発生障害を広く知ってもらいたい。
そして将来、立山で野外音楽フェスをやりたいとおっしゃる藤平さんの
さまざまな活動の根底にある地元を良くしたいという思いが
ひしひしと伝わってくるお話でした。
藤平さん、ありがとうございました。
それではまた次回、ユイナワさんのキクヒトラジオでお会いしましょう。