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  2. V.75-2 写真家・荒谷良一さん..
2024-02-15 39:39

V.75-2 写真家・荒谷良一さん「自分の身の周りにある発見」

前回に引き続き、写真家の荒谷良一さんにお話を伺います。
六本木ヒルズからの風景や、「いつか見た日本」というテーマで写真を撮り続けている荒谷さん。
お話は、最近のテーマとされている代々木公園での撮影から、お聞きしていきます。 
荒谷さんHP:https://aratani-photo.com/
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ。皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
前回に引き続き、写真家の荒谷良一さんにお話を伺います。 六本木ヒルズからの風景や、いつか見た日本というテーマで写真を撮り続けている荒谷さん。
お話は、最近のテーマとされている代々木公園での撮影からお聞きしていきます。
今撮っているのは代々木公園ですけどね。
ああ、代々木公園。じゃあ、代々木公園も行かれて、時々撮って、やっぱり時間帯とか季節が全然違うでしょうから。
うん。一番興味あるのは、代々木公園が都会の公園じゃなく見える瞬間っていうのが、要するにあんまり人がいない時間、夜明け前とか、そういう時がすごく神秘的で。
へー。
そういう時間帯を狙って、霧が発生することもあるんで。そういう時に行って撮ります。それもきっかけがあったんだけどね。
ある広告の、それはすごい昔の話なんだけども、広告の仕事で、モデルを使って撮影する仕事で、
たまたま霧が発生して、その写真がすごく綺麗な写真になっちゃって、別にそんなつもりなかったんだけども、別にスモークマシーン持って行ったわけでもないし、
自然に霧が発生しちゃって、え?っていう写真が撮れちゃって、それが頭の片隅にずっと残ってて、
そこからずいぶん撮ってなかったんだけども、ある時、それもまた仕事がなくなった時なんだけども、いろんなデザイン事務所とかそういうところに年賀状を送るときに、
陽気公園のモノクロの写真を送ったら、あるデザイン事務所が、え?っていう感じで、え?これ陽気公園なの?みたいな感じで、
陽気公園もびっくりしてもらうことがあるんだなと思って、さっきの六本木不立の展望台から撮った写真もそうなんだけども、
僕が自分自身では普通に見えてても、見る人が見ると、え?そうなの?みたいな感じでびっくりしてもらえる時っていうのは、そういう感動というか、そういうのを大事にしたいなという気持ちがあって、
それでちょっと撮ってみようかなと思って。でも撮っててもね、そんな大した変化があるもん。撮れなかったんですよ、その当時は。
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それで展覧会やろうと思っても、なんかつまんないなと思って、あんまり良くないなと思って。で、最近デジカメになってからやっぱり、無駄っていうかフィルム無駄とすごいお金かかっちゃうけども、
すぐ行って撮って、それで持って、ダメだったらダメで仕方がないっていう感じで。入場料かかんないしね、入場料がね。ここから朝一番で行くんで、車で行ってパパッと撮って帰ってきてもそんなに大したこともないんで。
朝だって夜明け前の一日間だから。そんなに自分の中で大した負担になることでもないんで。
そう思うと東京都TVも近しいというか、そういう感じですよね。
けちって言うんじゃないけど、自分の中でお金かけないで行けるところに行くのかな?なんだろうね。自分の身の回りで何か見つけたいっていう気持ちもあるのかもしれないし。
あとね、そういうのもたまたま機会があると言ってもお金がないっていうのもあるんだけども、よくよく考えると、若い頃って自分のスタジオにいたときもそうなんだけども、田沼先生についていたときもそうなんですけども、周りの人間は例えばスタジオのときにはモデルを使ってポートフォリオを作るとか。
例えばそういうドキュメンタリーをやっている人は海外に行って珍しい風景を撮ってくるとかっていうのが、やっぱりポートフォリオを作るっていうのは普通だったからあるパターンなんだけども、なんかそれ言い方失礼だけどずるいよね。
そんな特殊なことをしなくて普通の人ができることで勝負したら、それでいいって言われたらかっこいいねって。
そうですよね。本当に身近なところでシンプルな素材を用いて撮ることによって、そこから見えるものってあるじゃないですか。
それでかっこいいって言われたらすげえかっこいいなって思って。
僕10年間、いつか見た日本っていうテーマで、普通の日本の風景の写真を大きいカメラで撮ってた時期があるんですけども、それも名所、旧籍に行くんじゃなくて、もう世界遺産とか日本などに行くんじゃなくて、例えば横道通れたらちょっといいなって思える風景があったらそこで写真撮るとか。
それと同時に普通の人々っていうテーマで、そこで出会った本当に普通の、モデルでもタレントでも何でもない、例えば職人でも何でもない、例えば田んぼで畑を耕してる人とか、それとか仕事してる人とか、たまたまそこ散歩してる人とか、ちょっと素敵だなと思う人に声をかけて写真撮って。
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そんなことをやってたんですよ。それが自分の中で賞になっているのかなっていうふうに。でも今思うと、そういうのをやっててよかったなって思いますよ。
なぜかっていうと、例えばモデルを使ってスタジオ撮ったりしてたら、そういうのばっかりでポートフォリオ作ってたら、それって10年経って20年経って価値は出るかっていったら、歴史的な価値ってなかなか。
そうですよね。
こういう木造工舎ってもうなくなっちゃってるから。
そうですよね。
普通の人々なんて、今そこら辺で声をかけて写真撮らせてくれって言ったら大変なことになっちゃうから。
そうか。そういう時代でもありますね。
その時代はそういうふうに協力してくれる人がいっぱいいて、それで思って、その時ね、大抵の場合住所と名前を聞いてたんですよ。
住所と名前を聞いて、写真プリントして送ってたんですよ。
へー、はいはいはい。
送ると向こうから野菜を送ってくれたり、お米を送ってくれたり。
嬉しい。
そういうのもね、ひとつのきっかけっていうか。
そうですよね。
そんなのも、なんか嬉しいですよね。人と人とのつながりっていうか、そういうのを感じられる。
その当時の写真っていうのも、やっぱり今見るとすごく、自分の中で癒されるっていうか。
撮った瞬間はそうですよね、その時なんだけど。やっぱりこれもそうですけど、時間が経つことによって見えてくるものだと。
ありますあります。時間が経つことによって、やっぱりその時に気づかなかった優しさとか愛情とか、そういうものっていうのは見えてきますね。
大切さっていうかね。今だからこそ大切にしたいものっていうのは。
本当にあの当時はそういうの気がついてても、そこまで重きを置かなかったかもしれない。
やっぱりね、モデル撮る写真はかっこいいなと思ってましたから。僕も働くから見て。
すげえ素敵な風景の中で、きれいな女の子を撮ってる写真とか。そんなのってさ、僕の知り合いよくやってましたから。
かっこいいなあ、いいなあとか思ってたけど、僕はそういうのを雇う能力もないし、お金もないし能力もないっていうか、そういう機会がないし。
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でも今は自分がやったことはよかったなって思いますね。
だって生身の、本当に別に飾りもしない人たちと出会って写真を撮るって、すごく大切なことだな。
そこでコミュニケーションが生まれるっていうのはすごい大切なことだなって思いますね。
今は特にね、僕のホームページ見ていただきたいんだけど、あの中で最後に僕がラブっていうテーマでまとめてる写真があるんだけども、
やっぱり今大切にしなくちゃいけないのは、愛っていうかな、そういうこと、人を大切に思う心とかっていうのが重要かなって思ってて。
辛いことが多すぎちゃってね。去年から今年にかけてとかね、その前には寝るくらいになることもあったけども、
生きてる間にここまで辛いことが多く起きるかってね、やっぱちょっと信じ方があったんだけどね。
そういうのがあるから、僕は本当に普通の生活の大切さっていうかね、それを見て欲しいし知って欲しいし、そこに何か価値を見出して欲しいなって気持ちはありますね。
いやー辛いよね、本当にね。
僕が六本木ヒルズの展望台からの写真展やったときに、この間お見せしたビデオっていうかな、プロモーションのムービーがあるんだけども、
あれ、そういう舞台演出やってる人間に頼んだって言ったんだけども、彼にお願いするときに、
彼自身が仕事で今自分が大切にしていることは世界平和だって言ったのね。僕も自分の中でやっぱり大切にしたいものって世界の平和だと思うんだよね。
そういう共通点があったから、なんかできたかなって。すごく大雑把な話だよね、世界平和なんて。もうめちゃくちゃすごい大きな話であるでしょ、大雑把な話であるんだけども。
僕がそのビデオを作るときに言ったのが、六本木ヒルズの展望台って、今はちょっとね、52階からしか見えないんだけども、オープンエアでスカイデッキっていうところがあって、真上が見える。
真上見たりとか西見たりとか東見たりしてると、この空ってずっと繋がっちゃってて、そのとき福島第一原発のほうだってその空がずっと繋がってるわけだし、もっと言うと世界各国全部繋がっちゃってて、別に空の上にボーダーライン引いてるわけでもないし。
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だから僕の中で、いつもジョン・レノンのイマジンがかかってるんだよねって話してて、これを見てると、この風景見てると。だからそういう気持ちをやっぱり大切にしていきたいなっていうのがあって。やっぱりみんな繋がってて、それでその下で生きてて、今みたいな辛いことが起きてるとね、なんでこんなことになっちゃうんだろう、くだらないことになっちゃうんだろうとかね、すごい思いますよね。
まあそういう気持ちがね、ずっとあることは、なんか偉そうに格好つけてるわけではないんだけども、ありますあります。だから今こういう写真をこうやっていろんな人と繋がれたこととか、そういうのってすごく良かったなって思いますね。そういうのをずっと自分の心に持ちつつやっていきたいなっていうのはありますね。
これからも撮り続けて、そういう風にしていきたいですね。
欲しいよ、それはね。でも、やっぱり真に、だんだんだんだん比重的に真に来たのは、そういう愛情とか、そういう平和とか、そっちの方が来ますよね。何だろうね、まあ年取ったからね。
いつか見た日本というテーマ。身近な路地の風景。普通の生活を大切にしたいということ。写真を通していろんな人と繋がることができたこと。そしてお話は写真から映画のお話へと展開していきます。
年取るという単純なことだけじゃなくて、さっきも言ったように機械。いろいろな機械があるじゃないですか。それがやっぱり増えるじゃないですか。いろいろな機械っていうのは当たり前なんだけど、生きていれば。
それは単純に数だけの問題じゃなくて、積み重なる部分もあって、積み重なっていくと、そうすると、その時その時でやっぱりいろいろな思いを重ねていくんですよね。
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僕はさっきも言ったように、ずっと機械を大切にするっていうことがやっぱり重要なのかなって。一つ一つの機械を大切にしていくっていうのが重要かなって思いますね。そうするとそれが本当に重要なことがどんどん重なっていって、どんどん自分の本質的なところに近づいていくのかなって。
大切にしないで、単純に一つ一つ数だけで終わらせちゃってると、あんまり意味がなくなっちゃうんだけど、重ねていって、それじゃ次の機械、こういう機械が生まれたから、それじゃ前の機械のことを活かしながらまた次の機械を大切にしていこうなって思いますよね。
さっき言ったように、音楽を一緒にコラボやろうっていう機械で、それでそういう機械で山形の知り合いの人からパンフレットを送られてきた機械。それを組み合わせたらこういう機械が生まれるんじゃないか。
向こうに行けばまた何かの機械が生まれて、その人と会って、そこからまた何か新しい知り合いもできて、機械が生まれて、それじゃそれをまた増やしていこうっていう。
別に僕はすごい行動力があるわけじゃないけども、船が浮かんでて、その船が流れに少しずつ流されて、いろんな島にたどり着いて、その島で何かもらって、その島からまた何か流れていって、また次の島に行って。
そこにいろんな知識というか経験が積まれていって、そこだけの経験じゃなくて、次の経験が生まれていって。
自分だけの力じゃなくて、そこに行くまでの海の流れとか風とか空気とか、その島にたどり着いた時のたどり着いたところにどういう植物があったとかどういう食べ物があったとか、そこに誰が住んでたとか。
そんなのが一つ一つの経験として積まれていって、次に行かせてもらえるんだなっていう。自分から行くっていうよりは何か行かせてもらえちゃうんだなっていう。
もしかしたら舵だけちょっとだけこう切ってる中でその後こう行ってて、またちょっとこっち行ったらこう行ってるみたいな。
舵も自分で切ってないかもしれないね。
ああ、そうか。そうかもしれないですね。それももう自然の感じというか流れがあって、きっかけ機械に沿って。
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写真もね、写真を撮るという行為だけじゃなくて、写真に写ってしまったものっていうのも、これ自分だけの力じゃないような気っていうのはすごくしますよね。
ああ、そうか。はい。
たまたまそこで何かそういうふうなシチュエーションになっちゃったっていうのはあるんですよね。別に僕の方で組んでないから。
そういう写真っていうのは、僕にとってもいろいろな発見があるんですよ、実は。自分で組んでないから。
例えばまた話が戻っちゃうけども、コマーシャルの仕事って自分で組むことが多いんで。
自分でっていうかデザイナーが組んで、自分でいろいろと機材を使って、自分で工夫しながらそのデザイナーの作ったラフに合わせるために一生懸命組み立てていくっていう、そういう作業なんだけども。
こういう写真って、その場に行ってその場で判断。シンプルにするだけなんで。こっちから子供にここにいてくれとかそんなこと言わないんで。そうすると偶然できちゃった。
で、この間コンテンツなんかやったときにすごく有名なデザイナーの方に、いい写真ってどういう写真か分かるかみたいなこと言われて。その方すごい年上の人なんだけど。誰かがカメラマンの背中を押した写真なんだよねみたいな話をしてて。
で、僕自身が撮ってるっていうわけじゃなくて、誰かって言ってみれば神様みたいなものなんだけど。それがポッと背中を押しちゃって、撮れちゃった。撮れちゃったっていうのがね。
そのデザイナーの人はね、この写真とかすごい好きで。こういう配置なんて僕自身がやろうと思ってて。でもすごく完璧に近い配置になっちゃって。
これ、ブロニーのカメラで66の写真っていうのはワンロールで12枚しか撮れないんだけども。12コマ目に1枚だけシャッター切った写真なんだよ。
自分の頭の中にデザイン的なものっていうのは常にあるから、こういうことは計算してるのかもしれないけど、その人が言うには、やっぱりここにこれがあることによってバランスがすごい取れてるよねって話をしてて。
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これは自分でやろうと思っても撮れないです。でも多くの人がこの写真はすごい気に入ってくれてて。僕の親友人なんかもこの写真買ってくれたし。そのデザイナーもすごい気に入ってくれて。
僕も大好きなんだけども、この写真はね。これは何名も撮ってるの。自分で彼らにいろいろと注文付けてくれてるんだけども。ただ雨が降ってて、白黒の傘をさしてるなんてこれは。
こんなのは僕が操作できることじゃないし、これが両方同じ色の傘だったらまた違って見えちゃうし。写真ってそういう偶然っていうか。
もちろん意図してやる写真も当然写真ですけど、偶然をはらんでるような写真みたいなもの。
だからそこがすごく面白いのかなって思ってて。僕ね、映画は好きだって言ったじゃないですか。今の映画ってやっぱりCGが多いのね。
見てて途中でやっぱり飽きるんだよね。すごく。だってこれって偶然撮れちゃったものっていうか、フィルムの時代の。もちろん監督とかがめみつに組んで作るんだけども。
でもやっぱりね、その後に色々と手を加えちゃったものってやっぱり違うんだよね。
役者なんかもやっぱり、最終的に変えちゃうっていうかね、少しいじっちゃうところもあるだろうし。要は想像の範囲を超えるものが、今の表現って少ないなって思ってて。
なんかわかります。遊びっていう言葉じゃないけど、はみ出すものみたいな。
写真とか、絵と違うところっていうのは写真って偶然はらんでるから、作者の思った通りにいかないことが多々あるわけであって。それが面白かったりするんだけども。映画なんかも監督の思わぬところの見え方っていうか、そういうのが多々あると思うんだけども。
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フィルムの頃ってそんなのがね、緊張感っていうかね、そういうのがあったんだけども。デジタルっていうか、作り込まれたやつって、一番最後のポスプロっていうか、作り込むときにモニターでもう綿密に計算しちゃうから、そうするとそこからはみ出したものがなかなか出づらくなっちゃってるっていうか。
それもちろん計算され尽くされてるんだけど、昔の映画も。僕ね、こないだね、黒澤明の真の侍の4Kリマスター版のブルーレイっていうのを買ったんですよ。
真の侍は何回も見てるんだけども、すっごい見てるんだけども、それがフィルムをすっごい綺麗にして、元に戻したっていうのも元に戻したんだけども、本当にいろんなものが見えるんですよ。
すっごい映画だなって思いました。本当にすっごい映画だなと思って。奇跡に近いような映画だなと思って。3時間半なんだけど、本当に面白いし。ライティングとかカメラワークとか、役者の表情とか息遣いとか、これ奇跡だよねって思うような。
緊張感。こういう言い方って失礼なんだけど、CGでまとめ上げられちゃった映画って、そこら辺の緊張感があまりにも少なくて、ワクワクドキドキっていうのがあんまりないんだよな。ごめんなさいね、また話が脱線しちゃったけど。
そうか、そうですよね。おっしゃる通りだなという気がします。技術がすごくシンプルに上手にしてますから、やろうと思えばできますし、やるのかやらないのか置いといても、そう思うと確かにそうだよなという気がしますね。
映るところの侍がすっげえ競争でいるわけですよ。こんなの計算したってできないよなっていうのがあって。顔のアップなんかも結構多様してるんだけども、あの頃のピント合わせってメジャーでピント合わせるじゃないですか。
ああ、そうなんですね。
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距離でピントを合わせる助手っていうのがいるんだけども、その緊張感、すっげえなと思って。そういうのを頭の中で想像しながら見ると、うわあ、すっげえ緊張感のある撮影現場だなと思いながら。
ああ、もうね。今、BSで黒澤明の映画を結構やってるんですよ。この間、椿三重郎で、生きるもやって、隠し鳥舌の三悪鬼も全部見たんだけども、なんかすっげえなと思って。隠し鳥舌の三悪鬼なんてね、もうスターウォーズだしね。
もうスターウォーズ完全に真似だなと思いながら見てたけども。
最初の頃に、隠し鳥舌の三悪鬼の一番最初の頃に、石段の上をわーっと武士が駆け下りてるシーンがあるんだけども、もうすんごいんだわ、この武士院が。
砂ぼこりっていうか土ぼこりで、わーっとほこりが立っちゃって、なんか見えなくなっちゃうんだけども、いや、すんごいなと思って。もちろん計算すると思うよ。黒澤明ってめちゃくちゃ計算するから、あの人って。死体の一個一個まで全部計算するから。
でも、計算されつくされてるんだけども、それ以上のものが見えてくる瞬間っていうのがあって。これなんかもやっぱり計算はしてるんだけども、自分の計算以上のものが撮った後に出てきちゃったっていうね。
これも自分の中で計算してる。これは計算してないんだけども、でもこうなっちゃったってやつだからね。
さっきおっしゃってたよい公園で霧の感じとかっていうのも計算とかじゃなくて、それは自然のものでもあったりとか、写っちゃったみたいな。
計算はしてます。計算はしてるっていうか、こういう風に見えるだろうっていうのは自分の頭の中にあるし、どういう角度で見ていけばこういう絵作りができるだろうなっていうのは自分の中にもちろんあります。あるんだけども、それ以上のことが起きちゃうっていうのがあって。
俺の自分の頭を超えたものができてたっていう。そういう喜びっていうのはすごいですよね。
めったにないですよね。
ないです。
そうですよね。
めったにないから出会った時の喜びって大きいですね。
もともとね、マイケル・ケンナーっていう人が好きで、マイケル・ケンナーの写真なんかよく見てて、やっぱり霧のシーンとかも好きなんだけども。
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マイケル・ケンナーはね、ずっとモノクロで撮ってるんですけども。そういうシーンが、よい公園で撮れるときにすごく嬉しかったっていうのがあるんですけども。
でも、なんかそれ以上っていうかね、自分の頭の計算する以上のものができちゃうっていうのは、その時の若い。
だから、六本木市の展望台から見てても、自分の頭の中でこういう風に日が沈んでて、こういう風な色になるといいなっていう、そういう頭っていうのはあるんですけども。
それ以上のものが見えた時に、やっぱり感動するっていうか。
僕はウィリアム・ターナーっていう画家が好きなんですけども。
ウィリアム・ターナーっていうのは、やっぱり夕日とかそういうのを随分描いてるんだけども。
その時に向こうが盛り上がって、やっぱりああいう風に日立の展望台から見たような風景になるような絵っていうのもあるんですけども。
そういう絵が自分の頭の中にあるのね、もちろんね。好きだから。
そういう風な瞬間になるのを望むんだけども、それとはまた違った瞬間になった時に、また喜びっていうか、それが自分の写真になった時。
嬉しいなって思う時はありますよね。
作っていただいたムービーの中に、ゲリラ豪雨から虹になるシーンっていうのは、もちろんそれは期待してました。自分の頭の中に。
天気予報を見ながら、ゲリラ豪雨になるだろうっていう。
ただ、東京タワーに襲いかかるように、ゲリラ豪雨になって。
タイムラプスっていうのは、もうカメラアングル変えられないんで。
そうですよね。ずっとですね。
それで、その画面の中に何とか虹が収まってくれたっていうのは、もちろんあそこら辺に虹が来るっていうのは分かったんだけど。
でも、ああいう格好で収まってくれたっていうのは、本当に嬉しかったですよね。
だって、タイムラプスっていうのは、あれは7秒間に1コマ。
あの時は7秒間に1コマかな。それで、約2時間近くやってるんだけども。
始めた時には、ああいう風になるっていうのはもちろん想像つかないんで。
自分でCGでやってるわけじゃないから。
そうですよね。
ライフにちょうどど真ん中にある東京タワーに襲いかかるように、ゲリラ豪雨が来る。
あの感動っていうか、なんかすげえな。
自分の想像を超えてるよなって思いながら、自分の中で見てましたね。
あそこにいらっしゃったわけじゃないですか。
当然、いらっしゃって撮ってるからですけど。
ずっと撮れてるというか、その時の感じとかがすごいんだろうなと思いましたね、あれは。
いやー、もうワクワクドキドキ。
そうですよね。
だから、置きっぱなしだから、自分でその時に何するってことはできないし、
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途中でバッテリー切れちゃったらどうしようかとか。
そういう心配もあったし、ちゃんと露出が合ってるだろうかっていう心配もあったし。
帰ってきて、そのデータを見て、それをつなげてみて、やったという風には思いましたけどね。
そうですよね。
これはもう、そう簡単には二度と撮れないだろうなっていう。
本当に。
実際の自分が体験できる場所にあるものっていうのは。
そうか。
だから僕、ヨギコインにこだってるのはそこなんだけども、ヨギコインって大抵の人知ってるじゃないですか。
そうですね。
大抵の人が知ってる場所で、そこでそういう特別な風景が見れるっていうのもワクワクドキドキしてるのが、それがね、やっぱり面白いんだろうな。
だから僕、日本にこだわるっていうのもあるんですけどね、実はね。
普段、例えば、特殊な人間しか行けないような場所で撮ったりとか、
そういうのって、なかなか一般の人には自分の感情移入することが難しいけども、
例えば、新宿のビル街で変わった風景見れたりとか、やっぱりワクワクドキドキしますよね。
これ、あの場所知ってるっていうようなところで。
ゴジラも。
そっかそっか、そうですよね。
ゴジラも実際に知っている場所で、たとえばシンゴジラなんかも武蔵小杉で暴れまわってるから、そこら辺で何か。
確かに面白さがありますよね。
そうだよね。
そりゃそうっすね。
そういうワクワクドキドキっていうのが、やっぱり何か写真ってあるんじゃないかなと思って。
実際にそこにあるし、そこにいろんなことが起きたら、そこでワクワクドキドキするんじゃないかなっていう。
そうっすよね。
だから、陽気公園。さっきも言ったように年賀状出したらこれが陽気公園って言ってくれたから、それは僕にとっても嬉しいっすね。
そうですね。
宮崎駿って結構そういう身近に感じられるところを使ったりするんだよね。そこでやっぱり感情移入しやすくしたりするんだよね。
隣のトトロなんかも自分の心の中にある田舎の原風景みたいなところってあるから、幼い頃そういうところで遊んだよなっていうね。
そうですよね。
そういう原風景っていうか、そういうのっていうのはあるんじゃないかな、人それぞれ。
そう思うと木造校舎も原風景的な。
ここの中で書いたんだけど、僕はツボタジョージと宮沢賢治の小説、動画が好きで。
彼らの動画を読んでると、そこの主人公は頭の中でこういう木造校舎でダンダンじゃないかなっていう。
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木造校舎の窓開けてある向こう側に大きな大木があって、風が吹いてサラサラって音が鳴って、その向こう側に青空があってポカポカ浮いてる雲があるんじゃないかなっていう。
僕は東京生まれの東京人だから、全然そんなことは分からないんだけども。勝手にそんなことを想像して、いいなって。そういうのっていいよなっていう。
やっぱり体のどこかにそういうものがある。例えば日本人であればそういうものがあるんじゃないかなみたいな。
さっき言ったように、いつかみたいに日本っていうのは、自分の中にある、僕は田舎が東京なんで、憧れなんですよ。田舎に対する憧れ。そういう原風景に対する憧れ。
ちょっと道をパッと行ったらすごい広い、広大な広場があって、向こうに山が見えて、山の向こう側に雲があって、向こう側にずっと続いてる道があって。
本当に普通の風景に憧れを持ったりするんですよね。
今日お話聞いてて、例えば木造工舎、ロボンヒルズとかちょっと違うものに思えてしまうんですけど、ちゃんと原谷さんの中では繋がっていて、近くにあるとか行けるとか、そういうふうに思いましたね。
特殊なところじゃないところがいいんですよ。本当に普通の人が普通に行けて、普通に接してられる風景。その中で発見があるといいなっていうのがあって。
自分の身の回りをちょっと見ると、いろんなところにいろんな発見があって、ワクワクドキドキすることもできるし、そういうものを大切にしようという気持ちにもなってくるし。
ヒルズから見てて、どんどんどんどん空が変わってきて、太陽がちゃんと日が沈んで、美しい色に空がなって、それがまた次の日も繰り返されるなんて、すごいことだなって思いますよ。
だって今ね、そういうのをちゃんと楽しめない人たちがいっぱいいるんだから、そういうことができる、そういうことがちゃんと与えられているっていうのは、すごいことだなと思います。
普通の風景への憧れ、そして自分の身の回りにあることの発見。これからも写真を撮ることを通して様々な機会、そして人と出会っていく。そんな新谷さんの思いを存分にお聞きすることができました。
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新谷さん、ありがとうございました。
それではまた次回、ユミナワさんのキクヒトラジオでお会いしましょう。
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