2023-09-25 24:06

【##43】「リッチメディア/カヤックなどIT企業を複数経験→地域アドバイザー⇨地域おこし協力隊を経て家業を後継」前編

第23回目のキッカケインタビューは、インターン・新卒時代にはIT企業で複数キャリアを積んで、現在は栃木県矢板市の地域おこし協力隊の活動を経て家業でもある有限会社手塚武商店 代表取締役として活動。現在は矢板市にある廃校を利活用した10月オープン予定のキャンプ・イベントスペースの運営準備中でもある手塚さんにインタビューさせて頂きました。学生時代の経験から地方に興味を持ち、社会人のスタートからなりたい自分を描きながらキャリアを逆算して積み重ねてきた手塚さんの働き方の推移は多くの方の参考になると思います。様々な組織の立ち上げ・成長フェーズを経験して、キャリアの中で多くの人と出会ってきた事が財産だという手塚さんのキッカケインタビュー、ぜひお聴きください。


⦅略歴⦆手塚 将之(てつか まさゆき)

1989年栃木県矢板市生まれ。電気通信大学情報通信工学科卒。大学時代にママチャリで日本縦断したことで、地方に興味を持つ。さまざまな業界のWEB集客のコンサルティングや新規事業開発、イベントプロデュースなどを担当しながら地域アドバイザーとして従事。現在は実家の家業の跡取りをし、年間で数十社のITサポートを行いながら、栃木県矢板市で地域おこし協力隊としてイベントなどを開催。

経歴:

2008年- 2013年:電気通信大学情報通信工学化

2013年- 2015年:株式会社リッチメディア

2015年- 2017年:面白法人カヤック

2017年- 2019年:株式会社グロースハックスタジオ

2019年- 2020年:都内でフリーランス

2020年- :有限会社手塚武商店 代表取締役に就任

矢板市地域おこし協力隊着任

2023年- :矢板市地域おこし協力隊退任、現在は矢板市にある廃校を利活用した10月オープン予定のキャンプ・イベントスペースの運営準備中


■本日のパーソナリティ

- こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983)


■本日のインタビューゲスト

手塚 将之さん


▼取材記事 ※一部抜粋

県内で活動する協力隊:https://www.tochigi-iju.jp/people/team/nasu-area/yaita-city/p14115/

廃校を活用し、教育旅行をキーに地方創生。地域のファンづくりを展開:https://localletter.jp/articles/closed-school/


この番組「キッカケラジオ」は、20〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。

人はキッカケがあれば必ず変われる。人生を変化させてきた、内的キッカケや外的キッカケをご紹介していきます。

人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。

同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。

パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。

1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。

40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって

日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。

30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし

50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。


こどもの未来株式会社では

「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、

「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。


▼千葉祐大 個人のSNS

Twitter:https://twitter.com/Baccho1983

Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/

Facwbook:https://www.facebook.com/Chibayuta

note:https://note.com/babytech2020

mail:yuta.chiba@kodomono-mirai.co.jp


▼こどもの未来株式会社

HP:https://www.kodomono-mirai.co.jp/

note:https://note.com/kodomomirai

Meety:https://meety.net/matches/rOPStmnWeJfz

Yourust:https://youtrust.jp/users/yutachiba

E-mail:contact@kodomono-mirai.co.jp

サマリー

今日のゲストの方のお話をお楽しみください。子ども未来株式会社の加納奈々さんがご自己紹介されます。加納さんは、オサムさんとリチミューに進むことを決めています。以前はリッチメディアでの仕事を経験された後、面白法人カヤックに入社し、自社メディアのマーケティングを担当されていました。カヤックでの仕事はマーケティング系が主なものでしたが、あるタイミングでリアルイベントの担当を任されることになり、その準備と実施に半年間ぶっ通しで取り組まれました。リッチメディアやカヤックなどのIT企業での経験を積まれた地域アドバイザーが、地域おこし協力隊を経て家業を後継するまでの経緯についてお話しいたします。

20代のキッカケ
キッカケラジオ、この番組は、20代・40代の生き方・働き方を応援する番組です。
パーソナリティの子ども未来株式会社の千葉です。
今日はですね、週に1回行っているキッカケインタビューの20、多分ですけど3人目。
うる覚えなんですけれども、だいぶ人数も増えてきたなと思っておりまして、
今日もゲストのお客さんに来ていただいております。
今日はですね、もう1名特別パーソナリティが来ていただいておりますので、
加納さん、自己紹介をお願いいたします。
はい、みなさん初めまして。
子どもの未来株式会社の加納奈々です。
あ、初めましてじゃないですね。
この前、サンフランクラブの山田さんに登場したんですけれども、
私が外でナンパをしてきた人が主人公として出る会議には特別出演させていただいていますので、
今日のゲストの方のお話、楽しみにお聞きください。
よろしくお願いします。
はい、子ども未来も一緒にやってもらってる。
そしてもう奈々香さんと呼んでるので、奈々香さんと2人でいければなと思ってまして、
今日は奈々香さんが連れてきてくれたゲストのオサムちゃんに来ていただいておりますので、
オサムさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
オサムちゃんって呼ぶの、僕は前まで全然そう呼んでなかったんでね、
今、無理して呼んだ感じはあるんですけれども。
僕も実は別の文脈でね、面識があった方が奈々香さんと仲良しで、
今日ゲストに来てもらっていて不思議なように感じてるなと思うんですけれども、
ちょっとじゃあインタビュー深掘りしていくんですけど、
簡単にまず自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
はい、哲川雅之と申します。
あだ名がオサムと呼ばれてますので、通称オサムと呼んでください。
今、都知事権やいたしっていうところで、地域予告招待を今年の3月までやっていて、
その後、地域活性化の事業を自分の中でいくつか進めてるというような形になっておりまして、
今直近だと廃校を1個貸し切り、街から借りまして、
その後、キャンプ場とか合宿できるスペースに今はリノベーションというような取り組みをしております。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
これね、音声でお届けしてるんで画像見ないんですけど、今Zoomで見るとね、
オサムちゃんあれですもんね、裏側Zoomの背景じゃないんですよね、それだから。
そうです、Zoomの背景じゃないです。
リアル廃校の保健室にいらっしゃると。
保健室でチェックしてます。
本当だ。
いやー、ちょっとこういう取り組みで後半、子供未来でもすごく一緒にやりたいことがあるんでね、
ぜひ聞ければなと思うんですけれども。
でも、もともとはね、東京で僕が知ってるときは、いわゆる多分どちらかというとIT業界というか、
スタッフ業界みたいなところで働いている時代のオサムちゃんと出会っていて、
今、それがもう何年前ですかね。
あれが5年6年ぐらい前ですかね。
そうですよね。そのぐらい経て、今でいうと地域の活性化とか、
さっきの都知事権とか廃校とか、また違うキャリアを選んでるとかめちゃめちゃ面白いなと思っているので、
ぜひきっかけインタビューを聞いている方の参考に、どういうふうに歩んできたかというのをちょっと深掘りしていければなと思っております。
それでは長田さん、別話ですけど、最初のキャリアぐらいからちょっと聞いていきましょうか。
そうですね。最初の大学卒業ぐらいから。よろしくお願いします。
じゃあもう大丈夫ですかね。大学が電気通信大学っていう国立理系の大学に通っておりまして、
同期みんなが大学院に進学するみたいなところの学部でした。
その頃に、もともと大学時代に日本中旅したりとか、
それこそ日本をまもたれで渋谷したりとか、ことを結構いろいろやっていたりとか、海外旅行行ってマラソンしたりとかしていた中で、
地域って面白いなってことを当時からすごい思っていて、Uターンしたりとか、IT系の仕事を栃木でやりたいなみたいなところを当時からすごい思っておりました。
大学院に僕は行くつもりがなかったので、学部卒業のタイミングで地元で企業を探したんですけれども、
当時、栃木県にIT企業があまりいなくて、面白いと思えるIT企業とか国事業部がなくて、
だったので、もう30歳になるまでは東京で修行してから、それから地元に帰って面白くとしようみたいなところで考えていました。
ありがとうございます。
東京でのキャリア
じゃあ、もともとでもあれだったんですね。学生時代からカピだったりとか、地元どこかっていう文脈じゃあったんですね。そういう意味で言うと。
そうです。ありました。
なるほど。その学生時代とかの話で言うと、今の2012年ぐらいの話ですか。これは確か。
そうですね。2008年に大学入学してるので。
2008年だとまだ社会人になってないと思うんですけど、いわゆるリーマンショックが多分あったような。
大学行って、さっきちょっと伺ったんですけど、就職活動の時期があったと思うんですけども、
じゃあ、栃木でいきなりIT企業っていうのは確かにそんなに、2008年、2012年だとスマートフォンも多分まだない時代ですもんね。
ないですね。
スカート4Sが出てくるか出ないかの時代ですね。
まだまだ聞いてる人で、結構最近20代の方も聞いてくれてるんで、あんまり時代感がない方もいらっしゃると思うんですけど。
おさむちゃん、まずは東京でやってみようと思って、東京で就職活動をされたと思うんですけど、インターンシップみたいなことも最初されてたってさっきおっしゃってたんですけど、どういう風にそれを探してたんでしょうか。
それは就職活動の中で、内定いただいた企業がいくつかあって、そこでまず最初の1社目がオーラバードという会社でインターンいただいて、そこで当時のFacebookナビっていう、今のかな、化石のようなサイトなんですけど。
本当ですか。
サイバードっていう会社にいたぐらい、ちょっと時代がずれてる可能性あるんですけど、専門家のメディアのオーラバードのあれですよね。めちゃめちゃ記憶に残ってますね。
そこでインターンしながら、就職活動はやっぱり続けていて、そこでリチメデっていう会社に学級求人でお声掛けいただいて、そこにインターン生として参画したのがキャリアのスタートだと思います。
そうだったんですね。リチメディアも多分今もある会社でしてる人も多いかと思うんですけど、もともとサイバーエージェント出身の坂本さんが独立をして作った会社だったなっていう認識がして、僕も実は坂本さん確か同い年かな、もしくは1個下ぐらいだった気がするんですけど、すごくお互いというか、世代も近かったので知っている方だったので、そこも入ってるのご縁だなと思いましたし。
リチメディアとかも結構あるですよね。それこそIT系で多分勢いがある会社。
地域活性化への転身
そうですね。勢いありましたね。
やっとります。社長の名前の通りに勢いがあるなっていう。
そうですね。
そこに行った理由とかって何なんですか?もちろん逆求人で指名があったっていうのもあったと思うんですけれども。
当時から地域で何かやりたいみたいなところをやっぱりすごい思っていて、なので30代になるまでに20代のうちにこういうスキル身につけたいっていうのを結構明確に当時から思っていて。
かつ、そういう地域でIT系の仕事とかそういったものって活動ありますよねって話をいろんな企業にしたんですけど、震災前だったんですよ。
だったので結構皆さん共感してくださる企業は結構少なくて当時は。
なるほど。
地域で何かやるとかありえないからみたいな話をいろんな会社の方が言っていて、その中で唯一、面白そうだからやってみればって言ってくれたのがリチミューでした。
なるほど。
当時エンジニアがいた時代だったので、それがアベジャっていう会社の岡本さん。
なるほど。
岡田さんが当時面接官で、営業の方も元キーエンスの役員だった方がリチミューでいらっしゃったので、その方が2人で話を聞いてくださって、うちの会社やってみればっていう話からリチミューに進むことを決めてます。
なるほどですね。ありがとうございます。
いやでもすごいあれですね、まだ社会人になるまでのインターンの話だと思うんですけども、めちゃくちゃ将来の軸がしっかりしていて、逆算していてそれを選択する感じだったんですね、おそらく岡本ちゃんは。
そうですね、20代の時には結構逆算で全部考えてやってました。
なんか面白いですね、インタビューね、いろんな方、これまでも20人以上してきたんですけど、結構僕なんかも自営業の息子だったので、なんとなくそういう逆算タイプになるかなと思うんですけれども、結構人によっては目の前の課題を乗り越えたらしいことを見つけていく方もいれば、そういうやりたいことから見ている方もいるので、いろんなパターンの方がいるなっていうふうに毎回インタビューをしていると思うんですけれども。
今でこそ地方創生みたいなことを叫ばれてますけど、その当時から、まだ震災前とかそのタイミングでもう地方創生っていうところに一歩をこう自分のね、進む道を立ててたっていうのは本当におさんのさんならではなかったなっていう、おさんのさんって言っちゃったけど、なんかすごい新鮮なお話ですね。
そうですね。なんか地域、日本をチャリで縦断するときにやっぱりすごいいろいろ思っていて、なんか地域に行ったときにおすすめの居酒屋とかいろんなことを検索するんですけど、すごい大手のチェーン店しか出てこなかったんですよ、当時。
なので、なんか地域ってそこじゃないよなっていうふうに当時すごい思っていて、なんかすごい便利になったけど、まだまだ情報追いついてないし、ちゃんとした情報を届けてられてないよなっていうのを当時からすごい課題意識を持っていて、なんかそれ解決できる仕事できたらいいなっていうので、ウェブ系のでやりたいなっていうところで、どういうスキルが必要なのかところは因数分解してました。
リッチメディアでの経験
なるほどね。素晴らしいですね。やっぱり行動してることがやっぱり現体験になってるというか、そこから感じたこととかね、自分に必要なことを逆算してやってらっしゃるなっていうのが、多分その20代の人とかにすごく参考になるようなエピソードかなと思って聞いています。
後半もね、いろんなおさまちゃんネタがありそうなんで、少し時間軸を進めさせてもらっていくと。
じゃあリッチメディアはインターンをやって、その後そのまま新卒でも就職されたっていうことですよね。
はい、そうです。
結果じゃあ合計で何年?2年か3年?
リッチメディアは合計3年ですね。
はいはいはい。3年ぐらいか。ちょっとこの辺苦労したエピソードとかあれば聞き出しとして聞きたいなと思って。若い人に大変なことやるなと思って。
苦労したことしかないので、それを言えばいいのかわかんないですけど。
でも本当に社員が多分当時30何名の会社だったんですよ。
ターン始めの時が30何名の時で、僕辞める時が150名超えてたので。
すごい成長率だな。
そうですね。なのでそういったところを全て見れたっていうところがすごい面白かったのと、大変だったのはもう本当に大変だったので。
なんかもう寝る暇がないぐらい。会社に何作したかわかんないし、会社にパジャマ置いてました当時。
帰るの諦めたりとか、あと僕リッチメディアで仕事しすぎて家2回失ってるんですよ。
どういうことですか?
お金なさすぎて、最初にいろいろ節約するじゃないですか。節約する時の最初の手段が家なくすだったんですよ僕。
ああ、家賃ね。
家賃の固定費なくそうって言って、兄貴の家に走廊したりとか、あとは先輩、会社の中の先輩の家に半年間に走廊して廊下で寝たりとか。
っていうのをしながら、結構無稽の仕事をずっとしてました。
なるほどね。放送ギリギリならないって多分僕だと思うんですけど、真音声だからギリギリ読んで進めさせていただきますよ。
時代もあります。僕も2010年、2012年ぐらいとかって変えらず働いてたんで、今でいうことはあまり良くないなと思いますけど、やっぱり若い頃にやり切っておくってすごい大事ですよ。
多分大変だったと思うんですけれども、振り返ると良かったと思われますよ、そういうのは。
なんかもうすごいメンバーに恵まれていて、今でこそネタっぽくめっちゃ仕事してましたし、家なくしましたって言ってますけど、
当時のメンバーが最終決戦だったらもう一回行ってもいいですっていうぐらい信頼はすごい高いです。
先輩も同期も含めてなんですけど、すごいいろんなことを学ばせてくれたし、やっぱりすごい挑戦できた環境だったので、
ここにやっぱり飛び込めて、その変化が激しい中をすごい楽しみながら進めていけたとか、っていうのがすごい財産だなと思っているので、
結構そこはすごい、僕の中では社会人生の中で一番濃くて、すごい楽しみがあったタイミングでしたね。
なるほどね。野中さん、めちゃくちゃ良い話ですね、これ。
良い話、もう資産だってことだよね。
そうですね。
チームの仲間たちがね。
はい。
逆算でね、多分IT系とかそういうウェブとかメディアとかみたいなところのね、いわゆる実力を尽きる文脈において選択をされたのかなっていうふうに思ってたんですけど、
結果的にはそこで出会った人が資産になっているという、すごい素晴らしいエピソードだなと思っています。
そういったリチウベディアをその後3年ぐらい働いて、その次のキャリアに移ったきっかけとかあれば伺ってもよろしいですか。
リチウベディアを辞めた理由としては、上場賞に1回されてるんですけど、上場するかもしれないっていうタイミングで人数増えた、増えすぎて裁量権が結構なくなったりとか、
面白法人カヤックでのマーケティング
あとはそのすごい僕が憧れてたメンバーとか先輩とかが結構いろんな別のキャリアに進み始めたタイミングだったので、
僕はその会社に対してすごい人として気持ちがいいから頑張れたことがあったので、上場承認とかもそういうのいろいろなことがあったので、
タイミング的にも一区切りしたのかなと思って、次のキャリアに進もうと思ってました。
次のキャリアはどういう軸で探されて、どこに行かれたんですか?
1社目か3社目は当時営業が多い会社だったので、そことは真逆の会社に行こうと思ってまして、企画力とかそういったものを試せるエンジニアが多い職場というところで、
面白法人カヤックの方に任命させていただきました。
地域時期といえばカヤックみたいなところですね。
この辺でも聞いてる人とかにもぜひ参考になればと思いますけど、
この当時のカヤック、2000何年の建築になるんですか?
2015年ですね。上場した半年以内に入ってますね。
なるほど。面白法人カヤックで、パタパタしてる中で上場して話題になってますよね。
そうですね。
覚えてらっしゃいますかね、その時のカヤックって何人ぐらいのフェーズだったと思いますか?
その時が350人ぐらいとか。
もうでもそのぐらいにも行ってらっしゃったじゃないですか。
そうですね。いましたね。
ありがとうございます。カヤックバランスぜひ聞いていければなと思っていて。
年齢で言うと多分おさみちゃんより僕が40代、少し上だったと思うんですけど、僕の世代の上場する前のカヤックとかってまたより尖ってる印象。
サイコロ級とかやってるのってカヤックですか?
サイコロ級は僕らの時もありました。
ありました。あったんだ。
あれは未だにあります。
そうなんだ。田中さんサイコロ級知ってます?カヤック。
知ってるかな。
実はカヤック応募したことがあって。
マジですか。
そうなんだ。
全然知ってない。
そうそうそうそう。
なんかあれだよね、佐藤さんって名前の人だけボーナスが出るとかそういうの。
そうですね。そういうのもありましたね。
何々取れましたね。
面白いですよね。知らない人とかは知らないようにしますけど。
あんまり一般的な会社の資本主義とはちょっと違うというか。
独自のカルチャーだったなって何故か思っているし。
それこそその当時もそうかな。鎌倉ですよね。
本社が鎌倉だったんですけど、僕が勤めた時には全ての機能が横浜にありました。
そうなんですね。なるほどなるほど。
ありがとうございます。ちょっといろいろ聞いて。
そしたらそうか、カヤックに入られて。
カヤックではどういうことをやろうと思って入って、実際入ってみてどうだったかとかちょっと伺ってほしいですか。
カヤックではもともとその1社目の時にマーケティングとか、
集客系の仕事がすごい多かったので、SEOとかリスティングとかそういったところがすごい強かったので、
カヤックに入って自社メディアのマーケティング全般を主に担当してました。
カヤックは規格が強いんですけど、やっぱりマーケティングっていうところがやっぱりそういう専門の人がいなかったりとかしたので、
僕が入って、社内の自社メディアのSEOだったりとか、
あとはリリースする案件のSEOチェックだったりとか、マーケティングサポートみたいなところでやってました。
うん、なるほどね。そうかそうか、確かに。
そうか、その強みを生かしてそこにどんどん、そうですね、即戦力で入られたってことですよね、実際に。
はい、そうです。
ありがとうございます。カヤック、300年。カヤックはこれもちょっともう少しエピソード記載する。
リアルイベントの担当
結果何年ぐらいそこで働いてたんですか。
カヤックは、カヤックも合計2年半ぐらいだと思います。
2年半ぐらいはいらっしゃる。
はい。
ありがとうございます。この時のだから、おさむちゃんが多分年齢で言うと10代後半とかになってるぐらい。
そうですね、20代後半、25、26、27とかだと思います。
27ぐらいとか、はいはい。ありがとうございます。
結構最近、きっかけのインタビュー聞いてくれてるんですけど、もともと30、40とか多かったんですけども、
最近、そうですね、20代後半で初めての転職だったりとか、人によっては結婚を考え出したみたいな断成状態を聞いてるんですけど、
多分そのぐらいの年齢のおさむちゃんの今エピソードかなと思ったときに、
どうでした?その前の会社が多分しのり忙しいみたいな。
はいはい。
なので、さすがにそこと比べると働き方もちょっと変わってきた感じなのか、もしくは全然マインドとしては同じぐらい働いたとかって、どんな時代だったんですかね、その時は。
僕はSEOとかリスティングで企画職じゃなくて、一応エンジニア職で入っていたいと思うので、
そこまでガツガツって形ではないんですけど、ただ、ある程度マーケティング成果を出して落ち着き始めたタイミングで、リアルイベントやってほしいっていう風に言われて、
東京ゲームショー出展とかを担当してもらったんですけど、それはもう大変でした。
もう寝る間もないぐらい半年間ずっと走り切るみたいな。
なので、そこら辺とかは上場してからもあんま変わらなかったのかなと思ったんですね。
そうですね。面白いです。
回答できそうだともうちょっとだけ聞かせてもらって前半できるかもしれないけど。
リアルイベントとかちょっと聞くと、もともとご自身の強みというか、マーケティングの一環と言えば一環かもしれないですけど、
例えばエンジニア職の人がメインでやる仕事じゃないなというふうにパッと言うんですけど、
それってなんでおさむちゃんに指名が行ったんですか?
多分人がいなかったからだなと思うんですけど。
冗談で、もともとSEOとかそういったところもやったんですけど、
将来こういうことをやりたいという話は結構上司にもずっとしていて、
地元で何かやりたいんですよねって話していた時に、
地元に何かやるんだったらリアルにできといた方がいいよって話をしていただいて、
多様な経験を積む
それで最初からすごい大きいんだけど、東京ゲームショーこの授業で出展するから、
担当としてやってほしいって話でご指名していただいてやってきました。
ありがとうございます。やっぱり長田さんすごいおさむちゃんいろいろ行動されてますね。
きっとそういうことを言語化したりとか周りの人をきっと、いい意味で巻き込む。
もちろんそれで近所成果も出しているからこそ、
たぶん上司の人もこれもやってみればっていう感じだったのかなと思うので、
やっぱりそうですね。今のおさむちゃんとかってご観聞きたいことで言うと、
もうたぶん独立もされていろいろやってるっていうフェーズだったに対して、
まだまだ会社員っていうフェーズだったとしても、
やっぱりすごい行動してるからこそいろんなチャンスを掴んでるのかなと思ったり。
そういうのって大事なんだなと思って聞いてましたね。
本当にやっぱり自分がこうなりたいんですっていうことを、
どこに行ってもおさむちゃんって人には必ず伝えていて、
やっぱりそのビルがあると、人がこれやってみたらみたいな感じでチャンスを取れたり、
ないかみは大変かもしれないんですけれども、
そういうことを引き寄せてきて、今のおさむちゃんもあるんだなと思って、
すごい面白く感じています。
面白いです。
もう1社分だけ前半で聞いてみましょうか。
かやく、ケレアを積んでいって、20代の後半になってきたと思いますけど、
もう1社、独立フリーランスになる前に会社員を挟んでいると思うんですけども、
そこに移ったきっかけとかって伺ってもよろしいですか?
まず、かやくっていう会社辞めるきっかけが、
かやくって全員社長合宿っていう合宿があって、
全社員が社長になりきってアイデアを出すっていうプレスト会議があるんですけど、
そこを年に2回あるんですけど、その中で10代発表っていう中で、
かやく鎌倉に帰りますみたいな、
言い出されて、全機能を鎌倉に移動するっていう発表されたんですよ。
それが2017年とかなんですけど、
独立に近づく
僕鎌倉に興味が全くなくて、
僕都知事帰りたいのに、鎌倉行っても落ち着いちゃうだけだし、
多分タイミングなんだろうなっていうところがあったと。
なので、その当時いろんな繋がりがあって、
会食とかさせていただいている中で、
3社目に行く会社の代表とたまたま飲みの席にご一緒させていただいて、
その時に僕がこういうことやってるんですよとか、
今まで1社目、2社目とかで、
1社目だとマーケティングで事業を作る。
2社目だと企画、面白さから事業を作る。
その時に、僕の中でしっくりこなくて、
新規事業ってもっと楽しくて面白いはずなのに、
なんでこんなに2つのルートで行っても成功率低いんだろうなっていうところを、
その代表にずっと話していて、
その時にそういう新規事業を開発するためのサービスみたいなのを作っているから、
一緒に作らないかっていった会社に3社目として現職しました。
なるほどね。今でいうとグローズアップスタジオというか、
事業を作る事業モデルって、結構当時はまだ珍しかったですかね。
そうですね。新規事業の伴奏サービスとかっていうサービスは、
市場的には全くなかったので、
競合があまりいない中でやってましたね。
僕だからこの時代に一度お会いしてるんですよね、きっと。
そうですね。この時代だと思います。
代表が三本さんですよね。
三本さん。
代表広岡です。
申し訳ない。代表は広岡さんか。三本さんと一緒にやってたんでしたっけ。
そうです。
僕も共通の知人の三本さんっていう人。
僕もだからあれだな。
この時代一回フリーランスに僕もなっていて、
個人事業で仕事をしてる時に一緒にお仕事した人が一緒に繋がっていてみたいな、
ご縁だったと思うんですけども。
なるほどですね。でもなんかやっぱり、
その人すごいですね。言語学力がやっぱり高いというか、
それぞれの会社に選択して、今自分は次これをやってみようと思って、
みんながどっきりとやられてやってるなっていうのはすごく印象的だなと思ってます。
はい。
ありがとうございます。
ちょっと前半はここまでにさせていただいて、
後半ですね、いよいよ多分独立に近づいてくるフェーズもあるのかなと思っているので、
その辺を深掘りさせていただければなと思いますので、
前半のインタビュー、三本さんありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
24:06

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