キッカケラジオ、この番組は、20代・40代の生き方・働き方を応援する番組です。
パーソナリティの子ども未来株式会社の千葉です。
今日はですね、週に1回行っているキッカケインタビューの20、多分ですけど3人目。
うる覚えなんですけれども、だいぶ人数も増えてきたなと思っておりまして、
今日もゲストのお客さんに来ていただいております。
今日はですね、もう1名特別パーソナリティが来ていただいておりますので、
加納さん、自己紹介をお願いいたします。
はい、みなさん初めまして。
子どもの未来株式会社の加納奈々です。
あ、初めましてじゃないですね。
この前、サンフランクラブの山田さんに登場したんですけれども、
私が外でナンパをしてきた人が主人公として出る会議には特別出演させていただいていますので、
今日のゲストの方のお話、楽しみにお聞きください。
よろしくお願いします。
はい、子ども未来も一緒にやってもらってる。
そしてもう奈々香さんと呼んでるので、奈々香さんと2人でいければなと思ってまして、
今日は奈々香さんが連れてきてくれたゲストのオサムちゃんに来ていただいておりますので、
オサムさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
オサムちゃんって呼ぶの、僕は前まで全然そう呼んでなかったんでね、
今、無理して呼んだ感じはあるんですけれども。
僕も実は別の文脈でね、面識があった方が奈々香さんと仲良しで、
今日ゲストに来てもらっていて不思議なように感じてるなと思うんですけれども、
ちょっとじゃあインタビュー深掘りしていくんですけど、
簡単にまず自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
はい、哲川雅之と申します。
あだ名がオサムと呼ばれてますので、通称オサムと呼んでください。
今、都知事権やいたしっていうところで、地域予告招待を今年の3月までやっていて、
その後、地域活性化の事業を自分の中でいくつか進めてるというような形になっておりまして、
今直近だと廃校を1個貸し切り、街から借りまして、
その後、キャンプ場とか合宿できるスペースに今はリノベーションというような取り組みをしております。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
これね、音声でお届けしてるんで画像見ないんですけど、今Zoomで見るとね、
オサムちゃんあれですもんね、裏側Zoomの背景じゃないんですよね、それだから。
そうです、Zoomの背景じゃないです。
リアル廃校の保健室にいらっしゃると。
保健室でチェックしてます。
本当だ。
いやー、ちょっとこういう取り組みで後半、子供未来でもすごく一緒にやりたいことがあるんでね、
ぜひ聞ければなと思うんですけれども。
でも、もともとはね、東京で僕が知ってるときは、いわゆる多分どちらかというとIT業界というか、
スタッフ業界みたいなところで働いている時代のオサムちゃんと出会っていて、
今、それがもう何年前ですかね。
あれが5年6年ぐらい前ですかね。
そうですよね。そのぐらい経て、今でいうと地域の活性化とか、
さっきの都知事権とか廃校とか、また違うキャリアを選んでるとかめちゃめちゃ面白いなと思っているので、
ぜひきっかけインタビューを聞いている方の参考に、どういうふうに歩んできたかというのをちょっと深掘りしていければなと思っております。
それでは長田さん、別話ですけど、最初のキャリアぐらいからちょっと聞いていきましょうか。
そうですね。最初の大学卒業ぐらいから。よろしくお願いします。
じゃあもう大丈夫ですかね。大学が電気通信大学っていう国立理系の大学に通っておりまして、
同期みんなが大学院に進学するみたいなところの学部でした。
その頃に、もともと大学時代に日本中旅したりとか、
それこそ日本をまもたれで渋谷したりとか、ことを結構いろいろやっていたりとか、海外旅行行ってマラソンしたりとかしていた中で、
地域って面白いなってことを当時からすごい思っていて、Uターンしたりとか、IT系の仕事を栃木でやりたいなみたいなところを当時からすごい思っておりました。
大学院に僕は行くつもりがなかったので、学部卒業のタイミングで地元で企業を探したんですけれども、
当時、栃木県にIT企業があまりいなくて、面白いと思えるIT企業とか国事業部がなくて、
だったので、もう30歳になるまでは東京で修行してから、それから地元に帰って面白くとしようみたいなところで考えていました。
ありがとうございます。
なるほどね。素晴らしいですね。やっぱり行動してることがやっぱり現体験になってるというか、そこから感じたこととかね、自分に必要なことを逆算してやってらっしゃるなっていうのが、多分その20代の人とかにすごく参考になるようなエピソードかなと思って聞いています。
後半もね、いろんなおさまちゃんネタがありそうなんで、少し時間軸を進めさせてもらっていくと。
じゃあリッチメディアはインターンをやって、その後そのまま新卒でも就職されたっていうことですよね。
はい、そうです。
結果じゃあ合計で何年?2年か3年?
リッチメディアは合計3年ですね。
はいはいはい。3年ぐらいか。ちょっとこの辺苦労したエピソードとかあれば聞き出しとして聞きたいなと思って。若い人に大変なことやるなと思って。
苦労したことしかないので、それを言えばいいのかわかんないですけど。
でも本当に社員が多分当時30何名の会社だったんですよ。
ターン始めの時が30何名の時で、僕辞める時が150名超えてたので。
すごい成長率だな。
そうですね。なのでそういったところを全て見れたっていうところがすごい面白かったのと、大変だったのはもう本当に大変だったので。
なんかもう寝る暇がないぐらい。会社に何作したかわかんないし、会社にパジャマ置いてました当時。
帰るの諦めたりとか、あと僕リッチメディアで仕事しすぎて家2回失ってるんですよ。
どういうことですか?
お金なさすぎて、最初にいろいろ節約するじゃないですか。節約する時の最初の手段が家なくすだったんですよ僕。
ああ、家賃ね。
家賃の固定費なくそうって言って、兄貴の家に走廊したりとか、あとは先輩、会社の中の先輩の家に半年間に走廊して廊下で寝たりとか。
っていうのをしながら、結構無稽の仕事をずっとしてました。
なるほどね。放送ギリギリならないって多分僕だと思うんですけど、真音声だからギリギリ読んで進めさせていただきますよ。
時代もあります。僕も2010年、2012年ぐらいとかって変えらず働いてたんで、今でいうことはあまり良くないなと思いますけど、やっぱり若い頃にやり切っておくってすごい大事ですよ。
多分大変だったと思うんですけれども、振り返ると良かったと思われますよ、そういうのは。
なんかもうすごいメンバーに恵まれていて、今でこそネタっぽくめっちゃ仕事してましたし、家なくしましたって言ってますけど、
当時のメンバーが最終決戦だったらもう一回行ってもいいですっていうぐらい信頼はすごい高いです。
先輩も同期も含めてなんですけど、すごいいろんなことを学ばせてくれたし、やっぱりすごい挑戦できた環境だったので、
ここにやっぱり飛び込めて、その変化が激しい中をすごい楽しみながら進めていけたとか、っていうのがすごい財産だなと思っているので、
結構そこはすごい、僕の中では社会人生の中で一番濃くて、すごい楽しみがあったタイミングでしたね。
なるほどね。野中さん、めちゃくちゃ良い話ですね、これ。
良い話、もう資産だってことだよね。
そうですね。
チームの仲間たちがね。
はい。
逆算でね、多分IT系とかそういうウェブとかメディアとかみたいなところのね、いわゆる実力を尽きる文脈において選択をされたのかなっていうふうに思ってたんですけど、
結果的にはそこで出会った人が資産になっているという、すごい素晴らしいエピソードだなと思っています。
そういったリチウベディアをその後3年ぐらい働いて、その次のキャリアに移ったきっかけとかあれば伺ってもよろしいですか。
リチウベディアを辞めた理由としては、上場賞に1回されてるんですけど、上場するかもしれないっていうタイミングで人数増えた、増えすぎて裁量権が結構なくなったりとか、
あとはそのすごい僕が憧れてたメンバーとか先輩とかが結構いろんな別のキャリアに進み始めたタイミングだったので、
僕はその会社に対してすごい人として気持ちがいいから頑張れたことがあったので、上場承認とかもそういうのいろいろなことがあったので、
タイミング的にも一区切りしたのかなと思って、次のキャリアに進もうと思ってました。
次のキャリアはどういう軸で探されて、どこに行かれたんですか?
1社目か3社目は当時営業が多い会社だったので、そことは真逆の会社に行こうと思ってまして、企画力とかそういったものを試せるエンジニアが多い職場というところで、
面白法人カヤックの方に任命させていただきました。
地域時期といえばカヤックみたいなところですね。
この辺でも聞いてる人とかにもぜひ参考になればと思いますけど、
この当時のカヤック、2000何年の建築になるんですか?
2015年ですね。上場した半年以内に入ってますね。
なるほど。面白法人カヤックで、パタパタしてる中で上場して話題になってますよね。
そうですね。
覚えてらっしゃいますかね、その時のカヤックって何人ぐらいのフェーズだったと思いますか?
その時が350人ぐらいとか。
もうでもそのぐらいにも行ってらっしゃったじゃないですか。
そうですね。いましたね。
ありがとうございます。カヤックバランスぜひ聞いていければなと思っていて。
年齢で言うと多分おさみちゃんより僕が40代、少し上だったと思うんですけど、僕の世代の上場する前のカヤックとかってまたより尖ってる印象。
サイコロ級とかやってるのってカヤックですか?
サイコロ級は僕らの時もありました。
ありました。あったんだ。
あれは未だにあります。
そうなんだ。田中さんサイコロ級知ってます?カヤック。
知ってるかな。
実はカヤック応募したことがあって。
マジですか。
そうなんだ。
全然知ってない。
そうそうそうそう。
なんかあれだよね、佐藤さんって名前の人だけボーナスが出るとかそういうの。
そうですね。そういうのもありましたね。
何々取れましたね。
面白いですよね。知らない人とかは知らないようにしますけど。
あんまり一般的な会社の資本主義とはちょっと違うというか。
独自のカルチャーだったなって何故か思っているし。
それこそその当時もそうかな。鎌倉ですよね。
本社が鎌倉だったんですけど、僕が勤めた時には全ての機能が横浜にありました。
そうなんですね。なるほどなるほど。
ありがとうございます。ちょっといろいろ聞いて。
そしたらそうか、カヤックに入られて。
カヤックではどういうことをやろうと思って入って、実際入ってみてどうだったかとかちょっと伺ってほしいですか。
カヤックではもともとその1社目の時にマーケティングとか、
集客系の仕事がすごい多かったので、SEOとかリスティングとかそういったところがすごい強かったので、
カヤックに入って自社メディアのマーケティング全般を主に担当してました。
カヤックは規格が強いんですけど、やっぱりマーケティングっていうところがやっぱりそういう専門の人がいなかったりとかしたので、
僕が入って、社内の自社メディアのSEOだったりとか、
あとはリリースする案件のSEOチェックだったりとか、マーケティングサポートみたいなところでやってました。
うん、なるほどね。そうかそうか、確かに。
そうか、その強みを生かしてそこにどんどん、そうですね、即戦力で入られたってことですよね、実際に。
はい、そうです。
ありがとうございます。カヤック、300年。カヤックはこれもちょっともう少しエピソード記載する。