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2023-10-01 16:36

#22 レコメンデーションが生み出す欲望

YouTubeやTikTokなどのソーシャルメディアによるレコメンデーションから始まり、欲望形成の外部化について話をしました。

サマリー

YouTubeやTikTokのレコメンデーションが彼の欲望を操作している状況について話しています。彼は外部の刺激に影響されて新しいことにハマり、レコメンデーションと一体化していることに気づきます。彼はそれが悪いことではなく、本を読む場合も同じようなメカニズムが働いていることを述べています。彼はYouTubeやXなどのタイムラインが彼の欲望の形成に影響を与えることがあるが、彼は自覚してそれと付き合うことで自分の幅を広げることができると考えています。しかしその主体が誰であるかによって影響力は異なります。

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こんにちは、栗林健太郎です。
最近、自分のある傾向に気づいたので、その話をしたいと思います。
自分のある傾向と言っても、僕自身のことなので、どうでもいいと言えばどうでもいいことなんですけど、
このポッドキャスト自体がそういうどうでもいい話をする場なので、その辺は良いとしましょう。
このポッドキャストでも色々話しているんですけど、
例えば、先日ギターの練習を始めました、みたいなことをポッドキャストにしました。
で、動画を撮ってYouTubeにアップしたりしているんですけど、
その前は万年筆に急にハマって、それで万年筆をいくつか買って、紙のノートに日記を書いたりしています。
そんな感じで色々なことをやっているんですよね。
今年の頭はアマチュア無線をやったりとか、デジタル簡易無線、要するに無線にハマっていたんですけど、
そういう色々なことに手を出しては数ヶ月やって、また次のことに行くみたいなことを繰り返しているんですが、
それは自分では色々なことに興味があって、
時々新しいことをしたいなと思って、そういうことに手を出す。
要するに気が多いから新しいことをどんどんやるんだと思っていたんですよ。
そういう風に自分のことを思っていたというか、そんなに深く考えていなかったんですけど、
そういう仕組みなんだと思っていたんですけど、
これがこの間ある人と話していて気づいたんですが、全然違ってたんですよね。
会話をしているときに、アンチプさんって色々なことをやるけど、なんでそんなに色々なことをやるんですかって聞かれて、
それでその時に気づいたんですよね。
だいたい僕が何かを始めるのって、YouTubeの動画きっかけなんですよね。
万年筆もそうだし、ギターもそうだし、
無線はちょっと違ってて、友達が無線が面白いよって言ったんでやってたんですけど、
だいたい動画を見てなんか面白いなと思って、いつの間にか始めてるみたいなことがあってですね。
結構そういう外部の刺激に影響されて、なんか気づいたりやり始めちゃってるみたいなことがあってですね。
レコメンデーションと欲望の操作
あんまりにもYouTubeのレコメンデーションですよね。
レコメンデーションで色んな動画が出てくるわけですけど、
それで何でもかんでもレコメンデーションに反応するわけじゃないですけど、
たまに金銭に触れるものがあって、ピピンと来て、そこからそういうものを見出すと、どんどん同じようなジャンルが出てくるじゃないですか。
それでそれを見てる間に、だんだん自分でもやりたくなってきて、ハマり始めるっていう感じだと思うんですけど、
あまりにもそのことが自然になりすぎて、レコメンデーションと一体化してしまってですね。
それが自分がやりたいと思っててやってるのか、レコメンデーションに操作されてるだけなのかっていうのが、
区別がつかなくなってきていて、結論的にはレコメンデーションに操作されてるんですけど、
それで振り返って気づくまで、自分がそういう状態にあったっていうことすら分かんなかったんですよね。
それでその話をしてて、そういえばYouTubeを見てなんかやり始めてますねみたいな話をして、
完全にレコメンデーションに自分は一体化しちゃってるんですよみたいな話をしたんですよね。
それは良いか悪いかで言うと、どっちでもあり得ると思うんですけど、
例えばXとかで話題になったりする話だと、
親が実家に帰ったら陰謀論とかにハマってて、
なんでかなと思ったらYouTubeでどんどんレコメンドされて、
そういう陰謀論的な動画にどんどんのめり込んでいく。
そういうエピソードが語られたりしますけど、仕組みとしてはそれと同じですよね。
ハマる内容が、僕自身はあんまり陰謀論みたいなものに興味がないので、
あんまりハマったりはしないんじゃないかと思うんですが、どうなんですかね。
こうやって別のものにハマってるわけなんで危ういですよね。
ともあれ、そういったことというよりは、
何かアクティビティみたいなものに急にハマったりしているわけです。
YouTubeとTikTokの特徴
YouTubeとかもすごいですけど、TikTokとかもすごいですよね。
あっちの方が多分もっとスピードが速い気がしますよね。
スピードっていうのは、YouTubeもそうですけど、
見てるとだんだんその傾向が変わっていくみたいなレコメンデーションになってるじゃないですか。
TikTokとかも、動物の動画をじっとよく見てたら動物がどんどん出るようになるし、
最近僕はギターやってるんで、ギターの動画をTikTokでよく見てるんですね。
見てるんですねというか、多分意識はしてないんですけど、
滞在時間がきっと長いんでしょうね。
それで、ストレッチをしながらTikTokを見るっていう習慣があるんですけど、
ストレッチをしながら足伸ばしたりしながら見てるんですが、
やっぱり音楽の動画を見る時間が長いからか、
どんどんどんどん音楽の動画ばっかり流れてきてですね、
それでいつの間にかストレッチが終わってからもずっと見るみたいな感じになって、
もう今ほとんど音楽の動画ばっかり出てきてですね、
TikTokといえば可愛い動物とか、女の子が踊っている動画とか、
そういうものが前は流れてた気がするんですが、
そういうものではなくて、誰かが演奏したり歌ったりしている動画を見るアプリになってきているわけです。
そんな感じで、レコメンデーションにすごく一体化して、
それによってある種自分の欲望が操作されているという状況なんですけど、
これが悪いかというと、あんまり悪いとは個人的には思っていないわけですね。
一般論として良いか悪いかという議論はいろいろできると思うんですけど、
個人的にはそんなに悪いことではないし、
自分として危うさを非常に感じるというほどのことでもないわけです。
レコメンデーションと本の読み方
それはなぜかというと、例えば僕は本を読むのが好きというか、
本をよく読んでいるんですけど、本を読むというのも結構それに近いことがあるわけですよね。
例えば、何らかのジャンルに興味を持って本を読み始めるとして、
そうするとそのジャンルの近辺にある本とか、あるいは参考文献に挙げられている本であるとか、
例えばそのジャンルにおいて、これは読んどかないとみたいな本とか、
そういうのがいっぱいあるわけですよね。
そうするとそういうものを次々に買って読むわけですよ。
それは別に自分が読みたいって思っているというよりは、
もちろん好奇心があって読みたいという気持ちもあるんですけど、
あんまり自分の素の欲望がそういう行為に借り立てているというよりは、
読まないとなみたいな感じで読んでいるので、
そうするとそんなに自分が何かをやりたい、自分発信で何かをやりたいと思ってやっているというよりは、
何か外の世界に自分の欲望を形作ってくれる仕組みがあって、
それに乗っかっているだけみたいな感覚がずっとあったわけです。
本を読むということにおいて。
なので、そういう意味ではそれがすごくシステマティックに効率化されたというだけであって、
あんまり構造としては、YouTubeとかTikTokとか見て、
そのレコメンデーションに自分の欲望の形成が一体化されて、
何か知らんけどいつの間にか新しいことをやったり、全然違うことをしているみたいなのって、
そんなに昔からの構造と変わらないなとは思っているんですね。
それが、本の場合は読むのも時間がかかるので、
そんなに頻繁にあちゃこちゃ言ったりはしないんですけど、
し、いきなり全然関係のないジャンルがレコメンドされるということもそんなにないので、
あんまりあちこち言ったりはしないんですけど、
動画サイトのタイムライン
動画だと結構ダイナミックにうろうろすることになりますよね。
なのでそういう意味では、いいこともあるわけですよね。
今まで全然興味なかったことに対して取り組み始めるみたいなことなんで。
例えば万年筆とかって、僕自身はずっとパソコンで何かを書いているので、
手書きをするっていうことはもうだいぶやってなくて、
むしろ非効率だから手書きとか嫌だと思ってたんですけど、
万年筆買ってノートに書き始めたら、この話もいつかしたいんですが、
結構いろいろいいことがあったわけですよね。
それで今まで知らなかったような良さみたいなものに気づけたりしたんで、
それはとても良かったわけです。
そんな感じで自分の趣味を開いてくれたということはあるわけです。
そうやって自分の欲望の形成というものを外部のある種のシステムに委ねるということは、
もちろん問題がないわけではないし、
一般論としてそういうことは気をつけて扱わなければいけないことだとは思うんですけど、
個人的なことに関して言えば、
使いようによってはそうやって便利に自分の幅を広げてくれるようなものとして使えるようなと思ったわけです。
ただ、自分自身あんまりそういうのを自覚しないでやってたんで、
それはあんまり良くないことだとは思います。
やっぱり自覚的にそういうのに付き合うっていうのは、
基本的な態度としてはあった方がないよりはいいのかなとは思っています。
そういうのがないと陰謀論にハマる人みたいなそういうのになりかねないので、
自分をコントロールできないから、
なんか趣味みたいなのにハマり続ける分には全然いいですけど、
なんかそういう怪しげなことにハマっちゃうと大変なんで、
ただ、YouTubeに限らずですけど、
フィルターバブルってやつですよ。
そういうのがあるんで、
動画に限らず何らかのよくわかんない考えにハマる、
現にもハマっているのかもしれないですよね。
そういうことはあり得るんで、そんなに一言という感じはないんですけど、
ただ、Xとかもそうだし、インスタとかもそうだし、
タイムラインっていうのが時系列、最新順に並んでいるものではなくなって久しいですよね。
どんどんレコメンデーションとか、
そういうおすすめみたいなのがどんどんタイムラインを形成するようになってきて、
自分でコントロールする、タイムラインっていうのは自分で作るものだったわけですけど、
それがシステムが作ってくれるようなものになって、
欲望の形成の主体
久しくて、それに反対する人とかもいるわけですけど、
自分自身は結構便利に使ってますね。
Xのタイムラインとかも、基本おすすめで見ている。
基本というか、もはや時系列順のタイムライン見ないですね。
おすすめしか見なくて、そこで結構自分が最近興味あるような話題、
例えば最近だったらAI関連とか、そういう話題についてどんどん流れてきたりするんで、
便利だなと思ってみたりしています。
ただ、そういうのとの付き合い方みたいなのも、
自覚的に付き合わないと危うい面もあるんで、
自覚的に付き合うことで自分の幅を広げていくのに便利に使えれば、
それはそれでいいのかなと思ってますというのと、
あとそれは別に現在の情報環境固有の問題ではなくて、
何かしら例えば本であるとか、
ある種の一つの体系みたいなものに触れるというのは、
ある意味ではそういう外部の装置、システムみたいなものに
自分の欲望の形成の仕方を預けるということではあるので、
逆に言うとそれができないと、
ある種の体系性に近づくこともできないわけですよね。
自分の欲望一本だと、
本当に自分がたまたま目にしたものしかわからなくなってしまうので、
何か一つのことをやるというのは、
一般的なそういうことであったりはするといえばするんですけど、
ただそれをレコメンドする主体が誰なのかという問題になるわけですよね。
ソーシャルネットワークサービスの運営者が主体に、
この場合はなっているわけですけど、
本の場合はそういうわけじゃなくて、
例えばある種のコミュニティであるとかアカデミアであるとか、
そういったものが主体、誰か一企業とかじゃなくて、
何らかの人々の集合が主体なわけですけど、
歴史が主体なわけですけど、
そこが大きく異なる点ではあるんですが、
構造的には自分の欲望の形成を外に預けるという意味では同じだったりするわけです。
その辺も付き合い用だよなという、
何かあんまり面白い結論ではないですけど、
ともあれそういうふうに自分の欲望が形成されているんだなというのに、
気づいて面白かったのでちょっと話してみました。
それではまた。さようなら。
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