1. ケイシャのしゃべり場
  2. #66 【KOO-KI 25周年】スペシ..
2022-11-04 27:54

#66 【KOO-KI 25周年】スペシャル企画はじまるよ❗️/【社外ゲスト】岡田 賢さん&KOO-KI嶋村 雅己

【内容】2022年12月12日でKOO-KIは設立25年!/KOO-KIの歴史を知るスペシャルゲスト登場!/大御所コピーライター岡田さんの紹介/岡田さんと仕事をする事が多いKOO-KI P.嶋村さん/岡田さんが最初にKOO-KIと仕事をしたきっかけ/当時、福岡の広告業界はサッカーゲームが大流行り⁉︎/岡田✖️江口✖️嶋村、最初の仕事は「洋服の青山」/岡田さんから見た江口さんの第一印象は?/若き日の岡田さんの心を掴んだ江口さんの企画とは⁉︎/福岡PARCOオープニングCM「みんなの宣伝部」篇の舞台裏/au・LISMOドラマ「ヘンチメン「つぶやき三四郎」「おしい!広島県」ドラマ「めんたいぴりり」「ダメ田十勇士」 /直近KOO-KIとのお仕事/「お願いドミノ」「おしまイムズ」 /岡田さんが撮影現場に行くワケ/KOO-KIと並走して頂いて約20年!/岡田さんとKOO-KIの関係性/スパーリングパートナー

【ゲスト】
岡田 賢さん/Salon de Harem(ハレム株式会社)コピーライター、CMプランナー
嶋村 雅己/KOO-KI プロデューサー

【出演】
山内 香里/KOO-KI ディレクター            
泥谷 清美/KOO-KI 広報      

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info@koo-ki.co.jp
※件名は「ケイシャのしゃべり場」にしていただけると助かります。    

【Sound material provided by】OtoLogic https://otologic.jp/

00:04
ケイシャのしゃべり場。
はい、始まりましたケイシャのしゃべり場。この番組は、映像制作会社KOO-KIのメンバーが日々感じているおもろいお語り合いを発信するトーク番組です。
私、KOO-KI山内と、
KOO-KIヒージャーが毎回いろんなメンバーとともにゆるーく雑談していきます。
よろしくお願いします。
来る12月12日、KOO-KI株式会社創立記念日ということで、実は弊社25周年を迎えさせていただくということで、
12月までまだ結構時間あるんですけど、25周年にちなんだプログラムを組みましてですね、
ちょっとずついろんなゲストを交えながら、盛大に25周年を祝っていこうかなと思っておるところなんですが、
特別プログラムといってもスタンスはいつもと変わらずで、ゆるーくやっていこうかと思っております。
というわけで、25周年初回シリーズのゲストをお呼びしたいと思います。
KOO-KIでプロデューサーしております島村です。
PALM株式会社のコピーライターの岡田健です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
KOO-KIではおなじみの岡田さんを。
大御所コピーライターに来ていただきました。
岡田さんといえばね、おしい広島県であったりとか楽天カードマンですよね。
そうですね。
こちらのコピーをやられた名コピーライターさん。
日本人で知らない人いないじゃないですか、そのコピー。
そうですね。
そうですよ。ガンガン流れてますもんね、今も。
そうですね。その辺を歩いているおじさんおばさんも多分知ってるという意味では、一番有名な仕事かなと思いますけどね。
あとは、石鹸。
石鹸ね。諦めないでですね。
諦めないでってマヤミキさんに言わせたのはこの人なので。
そうなんですか?
そうなんですよ。
みんなね、マヤミキさんのモノマネするときは、みんな言うと思うんですけど、フレーズを。
知らなかったそれ。
まだにマヤさんがネットニュースになるときは、必ず誰かが諦めないでってコメントを。
そうなんですね。
じゃあちょっとこれから、岡田さんのね、今までの経歴とかについてはちょっとこれから聞いていこうと思うんですけど、
島村さんはシャープ5からシャープ8のプロデューサー買いぶりっていうことで、めちゃくちゃお久しぶりですね。1年以上。
そんなに経ちますかね。
はい、お久しぶりです。
いつも社内で喋ってますからね。
前回はあれですね、仕事の話もしてもらいつつ、結構自分のね、趣味みたいな。
趣味の話しかしなかったような気がしますね。
そうですね、ちゃんとしっかり仕事の話もされてましたよ。
プロデューサーの説明をしていただきました。
島村さんをお呼びしたのは、岡田さんと結構仕事をすることが多い。
03:01
信仰が深い。
ということで、島村さんもお呼びして、この4人で空気の今までの25周年をちょっと振り返ってみようっていうようなシリーズでございます。
我々の知らない、25年間のお話を聞けたらいいですね。
そうですね、私も空気の歴史で言うと、もう来たばっかりというか、知らない話を聞ければなと思います。
先ほども、いくつか岡田さんの代表的なお仕事のことをご紹介させていただいたんですけれども、
改めてご自身から自己紹介というか、お聞きできればなという感じなんですけども、よろしいでしょうか。
改めまして、ハレム株式会社の、通称サロンドハレムって言うんですけども、
主に広告のコピー、それにまつわるCMの企画を中心にやっております。
なんでサロンドハレムっていうかっていうと、弊社の代表の手嶋雄二という、この人こそ九州を代表するコピーライターなんですけれども、
彼のご両親が熊本、ふるさと熊本で美容室をやってまして、その時の名前がサロンドハレムだったので、
ご両親はもうお病気でちょっとお店がやれなくなったんで、野後だけでも受け継ぎたいということで、
5年前に一緒に立ち上げた時に、名前だけはこれにしていいかと言われて。
あ、5年前なんですか。
そうです。だから今年弊社も5周年で、くうきさんより20歳年下ということになります。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
じゃあサロンドハレムさんよりも前からくうきとお付き合いがあるってことですね。
そうですね。その前がフリーの時期がだいぶ長くありまして、そのフリーの時期が、
おしい広島県とかもそうですし、その前の仕事も含めて、くうきさんとの仕事はフリー時代から始まってますね。
そうなんですね。
最初は、島村君も前にいた自然プロダクションの仕事で、モーショングラフィックの仕事があって、一度行ってるんですよね。
役員のマクドナルドの隣だったっけ。さっきより小さいビルに行った時に一度。
最初のけごの時だった。
これ多分えぐちさんも知らないと思いますけど、初出しの話ですけど、その時にただ誰と打ち合わせしたか覚えてなくて、
もめんさん、しらかわさんのどちらかではないかと。
当時のタイミングでいた人間で動かしていてっていうと。
初期のメンバー。
仕事をしようとしたきっかけも、えぐちさんの本当初期の仕事ですけど、ドコモのピックウォークっていうイヤホンが顔で。
喋るやつですよね。
外国人風の方が。
それが僕すごく好きで、えぐちさんというディレクターが、最近だとピックウォークっていうのを作ったんですよっていうのを聞いて、あれ好き好きって言って、
じゃあぜひぜひ、くるきさんとやりましょうよって言って、その流れで確か打ち合わせに行った記憶がありますね。もちろんそういう仕事ではなかったんですけど、その印象がすごく良くて。
06:11
それが最初でしたね。
それを皮切りに交流を深め、そこから深めていったっていう感じですか。
そうですね、あとはですね、その頃私サッカーゲームにすごく凝ってて、その当時、モメンさんとかもやられてたんですよね。
白川さんとか。
その前白川さんも行ってました。
だからサッカーゲーム大会とかで一緒になってました。
最後にレポートを書くんですよね。
総集編みたいな、僕スポーツライターに憧れていたので、トーナメントとかやるんで、その総評とかを書いたりとかして。
岡田さんも参加もしてるけど、試合前の展望と、このグループではここが要注意だみたいな展望と、終わった後にいかにいい試合だったかみたいなレポート、僕は参加しないけど読むのが楽しみです。
それもうeスポーツの実況じゃないですか。
eスポーツの走りですよ。
ちゃんとドラフト会議みたいに抽選会っていうのがあって、国を選んで、競合した場合は抽選で引いて、選んでもらうということになりました。
2人1組で、その2人がどこかの国代表を操作して戦うという。
ワールドカップサッカーゲーム大会っていうんですよね。
本当に丸1日やってますよ。予選から決勝まで。
楽しそうだな。
その頃はみんな打ち合わせと勝して、その後の打ち合わせはもうそろそろ終わったから一勝負やろうかみたいなのの方が、主になってる気配がみんななんとなくありましたよね。
最大の時は2人1組なんで、32チームぐらい出るんで、もう5、60人の人が一気にその日稼働しなくなっちゃうから、某代理店の人が反対運動を起こしたぐらい。
やめろって言って仕事が。
仕事が回らなくなるからやめなさいっていうぐらいの感じでやってました。
断れるもんだって。その日は大会があるからスケジュール入りませんよって。
でもそれを主催してたのは岡田さんですか。
そうです。
主催をされてたんですね。
主催してたんですよ。
今もそんなパワーないですけど。
福岡の広告業界はもともと代理店員とかプロダクションとかプロダクション同士とかプロデューサー同士とか割と仲がいいんですけど、それを象徴するような催しでしたね。
いろんなプロダクションとか代理店とかを見たし。
その流れで茂名さん、白川さんは存じ上げてましたね。
09:00
その頃はまだ仕事はしたことなかったんですけど。
そうなんですか。
そういう意味では江口さんよりも出会いという意味では早かったかもしれないですね。
そうなんですか。
白川さんの方が早かった。
順番としてはってことですね。
あった順番としては。
ちゃんと答えると。
岡田さんが空気と一緒に手掛けた作品も伺っていきたいですよね。
そうですね。だから最初は2003年の洋服の青山のCMの話が来たときに、これは演出が江口さんで島村君も一緒だったんですけど。
そうですね。僕が前の会社で制作進行してる頃ですね。
サッカー選手を使う仕事だったので、マイケル・オーウェンという選手なんですけど、スタッフにサッカーに詳しい人がいないと言われて、誰かサッカーに詳しい人ということで、さっきのサッカー、じゃあサッカーゲームのあいつがいるだろうみたいなことで呼ばれたのが最初なんです。
遊びが仕事になったわけですね。
このマイケル・オーウェンという選手がイングランドのリバプールというところの選手で当然で、僕リバプール大好きというかリバプールサポーターなので、愛がすごいんですよ。
だからすごくサッカー選手をリスペクトしたようなコピーとか企画とかを出すんですけど、江口さんはサッカーとか全然知らないから興味ないから、なんか変な企画ばっかり出すんですよ。
オーバーヘッドキックをするとか、いや、オーウェンオーバーヘッドキックしませんとか、そういう感じで。
だから第一印象は正直悪かったです、僕は。
サッカー愛があるからそう。
そうそうそうそう。
で、今考えると知らないぐらいの方が企画の幅広がるので良かったんですけど、そんな感じであんまり感じ悪かったんですけど、
ある時、江口さんが出した企画が、今でも僕、人の企画の中でこれを超える企画はないという。
ちなみに商品は洋服の青山のフレッシャーズフェアだったんですよ。要するにフレッシュマンスーツを売るっていう広告で、で、オーウェンがなぜか森の中を歩いてるんですよ。
そしたら生首のサッカーボールがゴロゴロゴロって転がってくるんですよ、目の前で。髪の長いオチムシャみたいなのが転がってきて。
で、「はい、注目!」つって、〇〇がオーウェンに説教し始めるんですよ、そこで。
はい、人という字はっていうと、オーウェンがバーンって蹴っ飛ばせます。
で、念向情熱って言いながら、生首が飛んでいくっていう。
で、常識を蹴っ飛ばせっていうコピーが開いてるんですけど、それでもう参りました。
で、そっからもう一気に。
わしづかみ。
なんかわしづかみって感じですね。それがもう強烈な出会いとして覚えてますね。
形になったものももちろん良かったんですけど、それ以上に生首さんが出した企画が、やっぱちょっと今まで見たこともない。
12:04
さすがにでもお客さんはお買い上げされなかったって感じですね。
一応、見又また像で提案するっていうところまでは行ったんですけど、本人はさすがにNGだったんで。
というところまで行ったんですけど、お買い上げにはならなかったです。
で、その後色々、えぐちさんと仲良くなって、その後印象的なのはやっぱり福岡パルコのオープンの時のキャンペーンですけどね、パルコ宣伝部。
あ、あれもですか。あれ面白かったですね。
パルコ宣伝部もえぐちさんとがっつりやって。
あれもショート撮られてましたよね。
そうですね。パルコ宣伝部も面白かったですね。
あれはしんどかったですね。
なかなか企画が決まらなくて。パルコ宣伝部っていうフレームは結構早く決まったんですけど、なかなか具体的なセリフが。
そこでちょっとえぐちさんとやりとりがあって、色々付き換えされたりとかしながらやりとりはしましたね。
パルコ宣伝部が、福岡パルコがオープンするにあたって、宣伝活動の準備をしているという設定で、
本当にカウントダウン1週間くらいのカウントダウンで6日前に、
6日前でどうするどうするって言ってるのが流れ、1日ずつお話が進んでいって、
明日オープンだどうするんだって言って、
彼らが頑張って作ったCGMがオープン当日に流れるという仕掛けだったんですけど、
連動してたんですか。
仕掛けだったんですけど、マジでその裏がまた同じようにどうするどうするって思ってて。
リアル宣伝部。
やべえやべえ、間に合わねえって。
もうドキュメンタリー撮れるやつ。
そういう仕掛けだから、1日たりと違えられないわけじゃないですか、納期とかは。
劇中劇のようなキャンペーンでしたけど。
これはだいぶ、でも出来上がりは楽しかったですけどね。
その後、江口さんとは携帯のドラマとかですかね、変地面とか。
英雄リスモドラマですね。
つぶやき三四郎とかその辺をやってて。
つぶやき三四郎も。
あの頃はのけのオフィスで、江口さんとのけの会議室のモニターに江口さんがパソコン繋いでワードで、
お互いなんか口立てでセリフとかシチュエーションとか言いながら台本作ってましたね。
すごく印象的です。
一緒に台本作ってたんだ。
それを経て、それを経て広島に行くのかな。
有名な押井広島県。
そうですね。
2012年ですかね。
10年前ですね。
歴代のこの押井広島県とかずっと変わりますけど、全部岡田さんの。
15:01
主に最初の頃でだんだん、これはもう広島こそ島村君がもうマスターオブセレモニーというか、
もう土中心だったので、もうだんだんその広告からコンテンツというか、コンテンツ開発とか。
変わってきましたね。CMじゃなかったですね。
もっと大きな方向に変わっていったんですけども、初期の一番最初は、
確か、ロケ版に行ったんだよね、3人で。
それすごく覚えてて。
3人で?
なんかのんきに瀬戸内のたとおびとかで写真撮ってSNSにアップとかしてました。旅行気分で。
岡田さんと島村さんと江口さんで?
江口さんで行った。
広島県のキャンペーンにやるにあたって、そもそも広島にあんまり行ったことが、ちゃんと行ったことないから、
まずは見て回ろうみたいな感じで。
ネタ探しも含めどんなもんかも、こんな良いとこがありますよと県の方から紹介はされるものの、
そこ行ったこともなければ見たこともないんで、いろいろ見てました。
最初は知らなかったんですね。なんか今すごくね、広島大好きな感覚かなと思いましたけど。
まあだいぶ通ったので、あれですけど、その当時は江口さんも知らないとPRできないよねということで、いろいろ見て回りましたね。
そこで生まれたんですか?
そうです。
トータル何年間ぐらいありました?広島って。
2003年から?
2012年から。
2011年、9年、10年弱ぐらいやってまして、
その中でも岡田さん、惜しい広島県っていうワードの、
いまだに広島に行くとですね、広島の方から言われたりもしますけど、惜しい広島県って。
知ってる知ってるって言われたりするんですけど、そのワードを生み出すのに岡田さんが多大な貢献をしていただいているのと、
その後もガイドブック作った時とかは、もちろんガイドブックに使う言葉もそうですけど、
ガイドブックの中のコーナーを取材と編集、ライティングを担当してもらったこともあったりとか。
すごいな、CMの仕事、企画のCMからコピーからそういう編集仕事まで。
それはたまたまですよね。
必要とあれば色々とちゃんと答えていただけるっていうのが。
それに関してはね、江口さんも半分シャレでというか、
なんか面白いからやってくださいよみたいな感じで。
これに関してはね、江口さんほとんど何も言わない。もうノーチェックでニヤニヤしながら見てたり。
その表現のコアの部分とかすごく厳しいんですけど、
あれに関してはもう本当に自由にやらせてもらって本当に楽しい仕事をしています。
18:03
すぐに領域を横断するから。
何でもできちゃう。
じゃあそれから2014年に明太ピリリがありの、
2016年にNHKのタイガドラマのスピンオフムービー、ダメ田重遊誌とか。
これもいいんですよ。
ダメ田重遊誌の時は、最初は確か2分ぐらいの、
あの当時2015年とか6年ですけども、なかなか若者のタイガドラマ離れみたいなやつがあったから、
若い人にタイガを見てもらうようなコンテンツを作りたいと。
ウェブ動画を作って、そこから本編に誘導したいみたいなことから確か入ったと思います。
だけど気がついたら、ちょっとドラマになってて、どんどんこうしたら面白いとか。
10分近くありましたね。
13分ぐらいですね。
最初は三谷さんも、俺のタイガドラマに何してくれるの?みたいな感じだったんですけど、
すごい気に入ってくださって。
ダメ田重遊誌って、すごい笑えるところもたくさんあるけど、最後はちょっと悲しい話じゃないですか。
泣きますね結構。
三谷さんが、このダメ田重遊誌ってすごくいいけど、僕だったら彼らにこう声をかけるって言って、
最後、詰め書に坂井さんが演じる真田信重が言って、お前たち生きろみたいなことを言うんですよね。
命の大事にしろみたいなことを言うんですよね。
本家からのアンサーソングが。
そういうことだよね。
最初はウェブで流れてたんですけど、最終回は総合テレビというか、全国ネットでダメ田重遊誌が流れたっていう。
で、それをフリにして、本編の最終回のそのシーンもあったっていう。
だから、もちろんえぐちさんの力ですけど、
作ったコンテンツが良くて、どんどん露出が出世していったってことですかね。
じゃあその様々なえぐちさんのミラクルを間近で見て来られたっていう。
だってもうエピソードがどんどんどんどん溢れてきて。
そうそう。
えぐちさんとのお仕事の他にも、最強はもめんさんとのお仕事がね、割と空気では多い印象で、
2020年都心会WE LOVE天神競技会のお願いドミノですとか、
2021年おしまいイムズ THE LAST SHOW。
これは良かったな。
イムズが閉館の時のキャンペーンですね。
これはね、もちろん懸垂幕とか言葉も多かったキャンペーンなんですけど、
イムズマンを使うっていうのは決まってて、
めんさんが打ち合わせの時に最後イムズマンが吹き抜けを焦点するっていうのはどうですかって言った時に、
もういいですねって。
そこゴールから先にできたみたいな。
そうなんですか。
21:01
いいですね、あの象徴的に。
そうですね、あれはすごく印象的でしたね。
35mぐらい。
けいちゃんのしゃべりは何回か話題に出ている作品ですよね、
イムズのラストキャンペーン。
釣るやつね。
河原さんの回とかでも結構釣りの仕込みの話とかが結構出てたような気がしますね。
小田さんって必ず現場に行かれますよね。
そうですね、それはもちろん行かない人もいるんですけど、
僕が行く理由は一つはやっぱり行かないと企画が絵空事になっちゃうというか、
現場こうやって動いてて、このぐらいの予算だとこういうことができてみたいなやつがわからないっていうのと、
あとやっぱり単純に現場が好きというのもありますけど、
特に江口さんの現場とかは見たいですよね。
確かに。
見ることによってまた次の企画の糧にもなるし。
現場にはドラマがありますもんね。
江口さん結構その場でセリフを変えたりとかもするので、
そういうのも勉強になるし、みたいな形で行ってますね。
もめんさんはすごくアプローチが江口さんとは違って、すごく柔らかい。
江口さんが厳しいって言うわけではないですけど、
いろんな人の意見とかを柔らかく吸収しながら、だけど結果上がりはきっさき鋭いというか、
もめんさんが作りたいものがちゃんと出てる。
もめんイズムになってる。
そこはだいぶやっぱり違うなと。
トータルで言うと、岡田さんと空気ってだいたい何年ぐらいの付き合いになるんですかね。
そうですね。
最初のやつは、
でも2003年からだから、20年ぐらいじゃないですか。
すごい。
ほぼほぼ空気のことをずっと見て、映像してくれているっていうことですよね。
最初はやっぱり江口さんとやらせていただくことは多かったんですけど、
最近はもめんさんとか上原さんとか。
大阪チームも頼りにしてますし。
最近はちょっと広がってきましたけど。
私たち映像屋さんじゃないですか、空気って。
その映像屋さんが、自分たちでも割と企画から制作までやりますよみたいなところを言いつつ、
外の企画屋さんの力も貸していただくっていうことについて、
島村さん的にはどんな感じで岡田さんのことを思われているのかなみたいなのがちょっと気になるんですけど。
その時々で、岡田さんになっていただきたい役割というのは微妙に違ったりはするわけですけど、
そうですね。
例えば江口さんの場合は、最終的には江口さんが考えて決めたものを、
江口さんを引いては空気の提案として出していくわけですけど、
24:02
そこに至るまでにやっぱり色々アイデアを練りたいわけじゃないですか。
その時に江口さんが、仕事のタイプにもよるんですけど、よくあるパターンとしてはこういうことを考えていると。
岡田さんどう思うか、一緒に打ち合わせしてくれませんか、ディスカッションしてくれませんかみたいな感じで、
よく江口さんが、岡田さんがスパーリングパートナーだからって言い方をするんですけど、
だから結局必殺パンチがどっちのパンチだったかは割とどうでもよくて、
話しているうちにこうだったらどうかなって言ったら、だったらこういうのもあるよねとか言って、
やり取りしているうちに、じゃあこっち方面でちょっと岡田さんちょっとまた考えてきてって、
俺も考えるから、何日後かに宿題持ち寄りねみたいなことで、延長戦が行われたりとかして、
結局話して話した結果、いいとこ取りで、岡田さんがそのまま書いたものかどうか、
江口さんが最初に出したものかどうかっていうとそれぞれ違ったりするんだけど、
最終的にはいい企画になっていて、みたいなパターンが割と江口監督作では多いかもしれないですね。
グルーブが合うってことですよね。
そうでしょうね。だから岡田さん成分の入り具合はその時々で全然違って、
話したがゆえに全然違うものにするっていうパターンもなくはないんですけど、
じゃあその時に岡田さんが役割を果たしてくれてないかというと全然そんなことはなくてっていうんです。
みたいな感じですかね。
その通りです。
さっきのモニターでお互い言いながら決めていくみたいなものも象徴的なんですけど、
スパーリングパートナーと言ってはもらってるんですけど、
意外と簡単に殴り倒されるんですけどね、こっちは。
続いてねえみたいな。一発で。
一発でっていうのは要するに向こうがすごくいいアイディア、いい言葉みたいな。
えぐちゃん言葉もすごい。
文章力すごいですよね。
すごいから、それいいっすねみたいな感じで。
いやでもね、そこでいいですね、じゃあ終わりじゃダメなので、
こちらはこちらで考えるんですけど。
周りの反応もえぐちゃん気にしてるので、
企画こんなん考えたんだけど出した時にみんながどう言うかっていうのがそのいいっすねも重要で、
まださんがいいっすねと言ったかどうかみたいなこともこの写真にしてると思うので。
あとあれですね、コピー的なことで言うと、いわゆるコピーっぽいコピーって言うんですかね。
レトリックというか、ちょっとあるじゃないですか、いかにもコピーっぽいコピー。
広告っぽい。
広告っぽい、ちょっとレトリックの入ったような、テクニックの入ったようなコピーは嫌いますね。
へえ。
コピーっぽいですねこれみたいな感じで。
あんまりそういうのが採用になったことはあんまりないですね。
言いたいことはすごくシンプルなんですけど、表現の方法として、そういうところでも新しい表現っていうのは探していて、
もちろん散々掘った上に原点に戻ったりすることもあるんですけど、
その下村くんが言った、最終的にどっちが何を考えたっていうことならないっていうのは、そういうところで掘って掘って探して探して、
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最終的にたどり着くみたいなことが多いんですかね、江口さんの場合は。
マジバディですね。
マジバディ。
バディですね。
ほんとほんと。
というわけでちょっとこれまでおよそ20年、空気と一緒にというか、江口さんをはじめとした空気と一緒に走り続けてきてもらった岡田さんということで、
そのエピソードをいろいろ聞いてきたんですけど、次回は岡田さんと一緒に空気の歴史をちょっと見ながら、
あんなことあったねみたいな感じのことを振り返っていこうかなと思います。
あんまり詳しくないですけど。
それじゃあ第1回目はこんな感じで終わろうと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
27:54

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