1. ケイシャのしゃべり場
  2. #14 ぶっちゃけ、ミドル世代の..
2021-09-10 24:50

#14 ぶっちゃけ、ミドル世代の転職どうですか?/P.小澤 利男&P.窪田 善仁

【内容】小澤Pは大手広告代理店から50代で転職/豪快な経歴を持つ窪田Pは40代で転職/最短でPになる方法/転職のきっかけは?/お客さんの課題に真摯に応えたい!/江口カンの口説き文句/広告会社と映像制作会社の違いを実感/独立も考えていた二人/大阪が最高なワケ/5年後はどうなってたい?/終活/映像技法は無くならないが、出力先は進化する/大阪でNo.1になりたい!

【ゲスト】
小澤 利男/代表取締役副社長 兼 プロデューサー      
窪田 善仁/プロデューサー

【出演】
山内 香里/アシスタントディレクター
泥谷 清美/広報

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※件名は「ケイシャのしゃべり場」にしていただけると助かります。

00:04
ケイシャのしゃべり場。
はい、始まりました。ケイシャのしゃべり場。この番組は、映像制作会社KOO-KIのメンバーが日々感じているおもろいを語り合い、発信するトーク番組です。
私、KOO-KIアシスタントディレクターの山内と
KOO-KI広報のヒージャーが、毎回いろんなメンバーとともにイルクザ屈算していきます。
よろしくお願いします。
本日のゲストは、KOO-KIのプロデューサー2名をお呼びしました。
福岡で副社長兼プロデューサーをしてます大沢です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
KOO-KIの大阪オフィスプロデューサーの久保田です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回お呼びしたプロデューサーは、歴の長い応募書プロデューサーお二人ということで、お二人の経歴をざっくりと自己紹介していただけたらなと思うんですけども。
これから?
お願いします。
誕生からお願いします。
生まれた時から。
名古屋から。
名古屋生まれ、東京育ちです。
東京のADK、僕が入ったこれはまだASEHI通信社って会社でしたけども、今は協会3位の広告会社で、東京で30年営業1つやってきて、福岡で5年過ごして、合計35年過ごした上でKOO-KIにやってきたという感じですね。
KOO-KIに来たのが、おいくつの時でしたっけ?
56?
あれ?今も歓励超えてる?
超えてるよ。
ちゃんちゃんこもらえますか?
盛大にお祝いをしましたよね。
赤い靴をいただきました。
大ベテランじゃないですか。
ありがとうございます。じゃあ次は久保田さん、ざっくりとお願いします。
僕は神戸生まれで、ずっと関西ですね。
中学3年、高校3年、大学6年っていう経歴ですね。
大学院生ではなくて、ただの留年ですね。
ラグビーにもっと落ちすぎたので、勉強がおろそかになった。
そうなんだ。
そっからアメリカに2年。
で、向こうでちょっとゴルフ。
勉強するという嘘をつきながら、親に嘘をつきながら、ゴルフざんまいの毎日っていう海外生活。
で、帰ってきてプロゴルファーにやらせてくれって親に言われて、死んでくれって言われてましたね。
死んでくれと。
1億近い金を積み込んでるんやから、死んでくれって言われて。
03:02
っていう、金のかかる子供でしたね。
すごい。
俺そんなレベルの人と一緒にゴルフやろうって言ってるわけね。
豪快。
恐ろしい。
ブロックするってことでしょ。
相当上手いんですか、やっぱり。
目指したかったっていうだけで。
そうなんだ。
ラグビーからいきなりゴルフですか?
そうですね、ラグビーから。
今思えば、ラグビー10年やってたんで、その期間ゴルフに費やせばよかったって思うぐらい。
今はゴルフの方が楽しいですね。
じゃあ、ラグビーからのゴルフからの製作会社Pみたいな。
そうですね。
26で初めて給料っていうのをもらった。
そうなんだ。
その大阪の製作会社には何年ぐらい務められたんですか。
マットアームズには7年ぐらいかな。
2年間東京でPMを経て、大阪本社に戻り、3年目でもうプロデューサーになったんじゃん。
すごい。
それやっぱり早い方なんですか。
早いと思う。
最短じゃなかったから。
そうなんだ。
もともとプロデューサーにいち早くなりたくて、人の弁当とか手配するの嫌なんですよね。
そうなんですか。
自分の舵切りでいろいろプロジェクトを進めたいっていう。
そうですね。っていうのもあったし、人とつながることがすごい好きなんで、それで仕事に活かせればっていうので、プロデューサーが一番向いてるんじゃないか。
早く案件取れればすぐにプロデューサーになれるっていう。
すごい。
もう1年分からガッツリ営業かけて取ってきました。
営業のかけ方って、私やっぱり普段営業職じゃないのもあるんですけど、どういうふうに行くんやろうみたいな気になるところはありますか。
当時はすごいね、やっぱり飲みニケーションじゃないけど、大阪は特になんですけど、飲みに行って仕事をもらうっていうのがすごいベースで、
僕の先輩もそういう仕事の取り方をやってきてたんで、その時期結構な2億円くらいかなの仕事を一晩で30万円のシャンパンを開けて、
で、次の日スケジュールを持って彼のところ行ったら、その2億円が他社から僕の方に流れてきた。
翌日に仕掛けに行くんですね。
翌日に仕掛けましたね。
結構また行きましょうって言われる人多いけど、それをまたにせずにもうすぐに行く。
もう早速ビーンワンプロデューサーの片鱗が。
いやいやいや、ですよね小澤さんね。
たぶん久保田とか俺がやってた頃って、ソリューションっていう言葉もあんまりなくて、この人と仕事をしたいっていうような俗人的なところが強かったから、
06:03
気が合うとか楽しいのか、ちゃんとやってくれるとかいうところで信頼を得てっていうところで言うと、
確かに会食とかゴルフとかマージャンとかそういった個人的なつながりはすごく強かった。
ADKと仕事をしたいんじゃなくて小澤と仕事をしたいとか、久保田と仕事をしたいって話であって、
別に会社と仕事をしたいわけじゃなくて、お前としてんだよみたいな。
今よりもより強かった時代じゃないかなって思いましたね。
そういう時代だから転職してもお客さんはそのまま個人についていくっていうことがでっかいんじゃないかなって思いますね。
それでも怒られないんですか?お客さん持ってきやがってみたいな。
最初は結構言われるけど、別にそういう契約してるわけでもなく、お客さんが選ぶことなんで。
だからこっちが持ってっちゃうと怒られるけど、お客さんが指名してくれる分にはしょうがないじゃないですかっていう感じで、そう言わせちゃうのが強い。
今ちょっと面白いなって思いました。
この番組も他の会社の人がフラッと聞いた時に、小澤さん面白い人だなとか、久保田さんと実際に喋ってみたいなみたいなっていう、
例えばメーカーの人とかがそういうのを聞いて、うちの会社の宣伝をここの空気の人にやってもらいたいなみたいなって思ってくれたらいいなっていう狙いもちょっとあったりするんで。
めちゃくちゃ重い。
気軽にって言っときながらね。
めっちゃ重いよそれ。
営業のツールの一点になるってことだよね。
そういう狙いもちょっとあります。
そこは行く行くわーんでしょ。行く行くわーみたいな。
ざっくりお二人のキャリアの話聞いたんですけど、ちょっとそろそろ第1回目いい時間なんですが、お二人とも結構自分のキャリアを積み上げた後に空気の転職を決められてるじゃないですか。
その考える転職の決め手というかきっかけみたいなものとかって何かあったんですか。
俺は営業の現場からどんどん立場が上がっていくじゃないですか。
会社の方からはその組織での売り上げとか利益を全面退避、テンパーアップみたいなことで毎年毎年ミッション付けられるわけですよ。
そういう時にでかい仕事を取ってこういった話になるね。
何でもいいから儲かる仕事を取ってこういった話になるわけですよ。
とってもお客さんが困っていて、だんだんテレビのメディアを使う必要ないとか新聞なんていらねえとか、もっとSNSとかサイトでバンバンやった方がいいんじゃないかみたいな案件も時代的に増えてくるタイミングの中で、儲かんないわけですよ。
09:14
お客さんに真摯に答えてるよ。スケール作れないのよ。
スケール作れないけど、絶対にテレビなんか使わない方がいい仕事とかっていうのもあるわけですよ。
そういう大きな仕事とか儲かる仕事を取ってくるべきだということと、もう一方でお客さんにちゃんと答えていきたいという時に、フリーハンドじゃないのも嫌だなっていう感じになっちゃったのよ。
久保と違って高校会社だったから、簡単に言うとテレビのスポットを自重する仕事が一番儲かるわけですよ。
だからそんなことする必要ないのはテレビのスポットをどうやってプランニングするかっていうふうに目がいく仕事にせざるを得ないという時に、嫌だなって思い始めちゃった。
もうそういう時代じゃないのかと思い始めて、もうちょっとお客さんの問題点を解決するためにフリーハンドでメディアを設計したり、クリエイティブをしたりということで、
これが一番ベストウエイトですねって思われるような仕事をしたいなと思っていたにも関わらず、立場も立場だったんで、会社から大きなミッションがある中で、もんもんとしてたっていうタイミングになった感じですよね。
そういう中で、九州支社長を5年間辞めて、東京にまた本社に戻ってこいって言われちゃったんで、じゃあ会社辞めますって言って。
どこに行くこともなく会社辞めて、本当は独立しようと思ってたの。お客さんの課題に答えられるような、やらしいけどコンサルとか、そういうことやろうと思ってたら、会社を辞めるっていうふうに話をしたら、ありがたいことに3つぐらい声がけがあったんですよ。
じゃあ打ち終えてよみたいな。でもシャラリーも嫌だなって思ってたんで、誰かに命令したら嫌だなって思ってたんで、自分でやりたいなって思ってたんだけど、そういう中にひとつエグチ感の口説きっていうのがあって。
どうやって口説かれたんですか?
開港一番お父さんに今いくらもらってほしいって。
こんぐらいですけどって言ったら、じゃあ払えるなとか言い始めて、何の話っすかって話。
それお金で釣られてますやんかって。
最初はね。そういったことで空気に入ったんだけど、航空会社の延長線上に俺、こういった政策の会社っていうのがあると思ってたんで、通用すると思ってきたんですけど、通用しねえなっていうことも発見されて、今になると。
それとどういうポイントが違うんですか?
やっぱり航空会社って来てみたら何も作ってなかったなっていうのがよく分かって、プロダクションに丸投げやんとか、僕らが窓口に立って手伝ってくれる会社が外部にもいっぱいあったっていうことがよく分かりました。
12:08
見えてなかったってことですか?外部の会社。
見えてないですね。
営業だからその先にはプリティブディレクターがいたり、コピーライターがいたり、社内に。
さらにその先にプロダクションがいたり、さらにさらにカメラマンや照明さんがいるわけじゃないですか。
で、俺がやるって言ったらみんなバーッと動くじゃないですか。航空会社まで。
で、俺やった気になるじゃないですか。
でもやってねえやんっていうことが。
で、当然今の空気っていう会社は自分たちで手を動かして、汗もかいてっていう人をやるじゃないですか。
だから本当の意味で作ってるっていうことになるんだなっていうことが分かったんだけど、
その土現場を知らないんでね、航空会社に行った時。
その予想とだいぶ違うんだよ。
だから土現場に弱いなって感じ。
プロダクションの苦労に気づいたというか。
かなり。そうなんだ。
いや、死ぬ前に気づいていただいて感謝してますよ。
死ぬ前に。
死ぬ前に。
じゃあ江口さんはどういったことを期待して小沢さんに声かけて、小沢さんはどういったことを期待して入った感じなんですか?
多分江口さんは、僕の前に長里さんっていう副社長がいましたけど、
彼が辞めていったので、コンプリートの立場から経営を見るような人間が欲しかったんだろうなと。
だから経営者として俺を雇ったんだろうなと。
そんなに経営者の差異学ねえなって言われたのかなっていうのと、
もう一つは小沢さんは経営より横道を作る方が好きであって、
彼としては経営差違いがあったんじゃないかと。
確かに。
江口さんとの出会いはいつぐらいからなんですか?
江口さんは空気、ADKの時に、俺は直接やってないんだけど、
ADKとして空気だったら江口さんに発注したりもしてるし。
当然、福岡にいて江口さんの名前を知らない人もいなかったので、
僕が属していた在会の集まりなんかで江口さんを講師に呼んで、
喋ってもらったりもしてたんですよ。
その後飲み行ったりしたりとか。
直に仕事じゃなくて、知り合いっていう程度でお付き合いしてたんですよね。
ディレクター陣は知ってたんですか?
これは江口さんしか知らなかった。あと誰も知らなかった。
だから江口さんが俺を連れて空気に入ってくるときには、
誰こいつっていう感じがめっちゃ空気としてあって、
お前誰やねんって。
そうですよね、突然副社長ですもんね。
トータル江口さんに金で引っ張られたってことですよ。
いろいろ言ったけど。
結論をね。
さすが落ち着ける。
いろいろ周り口読み言い張ったけど。
いやいやいや。
次は久保田さんですかね。
僕はね、アットアームズからTYO行って、DNAでしょ。
15:02
なんで今4社目なんですけど、
プロダクションってすごい、それぞれ色っていうのがあって、
社風みたいな感じなんやけど、
自分が稼ぎを得ていく人間ってやっぱり、
その自分が儲けた金どう使われてるんだろうみたいなところに
だんだん気になっていくんですよ、年齢とともに。
それが気になりだしたときに、
あれちょっとこの会社のやり方間違ってるんじゃないかなみたいな、
結構強いものに噛み付くタイプなんで。
それでなんか結構上と漏れて辞めていくっていう経緯が多かったかな。
小澤さんと一緒で、僕もDNA辞めるときに、
本当は独立したくて、自分の野望を持ちたいという気持ちはあったけど、
タイミングに今西との再会っていうのがでかくて、
モメン社長といろいろ喋ってる中で、
空気が東京に立ち上げ、次は大阪もっていうタイミングと結構マッチしたんで、
じゃあぜひちょっとやらせてくださいっていうので、
空気に転職した。
久保田さんはずっと大阪がいいんですか?
大阪がいい。大阪最高っすね。
大阪最高なんだ。
東京にしばらく行ってた期間を経て、やっぱり大阪がいいなって思ったんですか?
東京はやっぱりね、ビジネスとしては絶対東京やと思うけど、
もうすごい土壌が広いから、
もう大阪ってすごいちっちゃいお風呂にお湯をみんなで取り合ってるみたいな感じですよ。
でもそういうのも好きかな。
働くなら東京、住むなら大阪って思ったけど、
両方大阪で両立できるんであれば、もう大阪の方がいいかな。
だからどこにも行きたくないんで、福岡とか東京に飛ばすのやめてください。
もう無理やろうと思ってる。
噛みつき出しますね。
そうなんだ。それも最初からもう大阪はもう、
久保田の好きにしていいよみたいな感じだったんですか?
まあでも、それは1年経って、やっぱり数字を出した時にそう思ってもらえるかなと思ってたから、
ある程度、軌道には今乗せれてる感じはするので、
空気の色っていうのを大阪で広めたいなっていうのは。
すごい、めちゃめちゃ心強いですね。
いやいや、プレッシャーやけどね、そう言いながらね。
なんか俺、ちっちゃい会社のいいところかもしれないんだけど、
俺が入ってまだ6年なんだけど、
すんごく人入れ替わってて、
俺が入った頃にいた人、半分くらいも入れ替わってた。
辞めていたし、入ってきたしっていう風になってて、
意外に入れ替わってて、
そういった意味で言うと、大阪、久保田の人、今4人だっけ?
そうですね。
空気の土壌、福岡で作ってる空気の土壌に馴染んでない人が、
大阪で空気っていう看板仕事やってくれてるじゃないですか。
空気の風土や匂いは感じながら、久保田色で作ってるじゃないですか。
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それが大阪にいるお客さんからすると、
久保田がやってるのは空気だというふうに見えるわけで、
そこがケミストリーかなって思います。
そうですね。コントロールできるもんじゃないですからね、人とか。
会社っていうのはそういったもんかなと。
意識しないでどんどん変わっていく。
新陳代謝はあったほうがある程度は、
ずっと変わらないよりはっていう感じはしますよね。
今回最後に、お二人の会第1回の最後に、
じゃあそんな中小澤さん的に空気の、
自分がいる空気の3年後5年後とか、
久保田さん的に大阪オフィスの5年後3年後、
こうしよっかなみたいな目標とか野望とかがあれば聞きたいな。
小澤さん5年後あるじゃないですか。
もう就活じゃないですか、本当の。
何万ダブルっていう。
遺産の整理そろそろ始めていただいて。
いやでもね、本当に時間がねえなって感じがしてて、
皆さんと一緒にできる時間がそんなに、
10年はねえなって感じがするので、
何を残していくのかなって話なんだけど、
また別の回で出てくる話でもあるけど、
YouTubeが出ようが何が出ようが、
映像という技法で世の中に何かを伝えていったら発信していくっていう、
コアのところっていうのはこれからもずっとあるだろうなっていう、
そこが真ん中だなっていうところなんだけど、
出力するところっていうのはあっちこっちいろいろ変わってくるわけで、
タブレットだったりいろいろデバイスがいろいろあるけど、
もっとどんどん変わっていくじゃないですか。
どんどん変化していって、
もっと空中にいろいろ物が映ったりしてっていう風に変わっていくような中で、
あんまりテレビモニター、CM15秒尺で何を表現という風に決めないことが大事かなって感じがしますけどね。
特に若い人がもっと自由にいろんな表現の場がこれからどんどん増えていくから、
どんなところでも映像っていうのは生きるけど、
テレビモニターを映す映像が真ん中ではないっていう感じのビジネスを作って残していけたらいいなって感じですかね。
バックセットしてますけどね。
じゃあこれからやっていく小澤さんの案件は、
そういうふうな新しいモデルじゃないけど、
そういうことに挑戦していきたいみたいな。
だけど昨日も河原に言われたけど、
本当に小澤さん無理めな案件ばっか持ってきますよね。
え?無理めな案件?どういうことですか?
例えば今やってるテレビ番組、空気でテレビ番組なんか作ることないんだけど、
持ってきちゃったりするわけだし、
この間熊本の施設のインタラクションみたいな案件見たらそんなに例がないんだけど、
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やってみたりしちゃったりするわけですよ。
イムズもすごかったですもんね。
ちょっと周辺の違ったところの案件を持ってきて、
キャパシティだったり可能性を開くのが問題不明だと思ってるんで、
美容によると無理めな案件を持ってきてる小澤って感じなんですけど。
そういう意図を聞いて、こうして改めて聞けるのは、
またいい議論の場になりそうですごくいいですよね。
それを聞いて、Aとかなるほどとか持ってくれると、
話が広がったりするのでいいかなと思うんですけどね。
すごいですね。小澤さんの年になってもチャレンジ精神が今でもあるっていうのは尊敬しますよ。
意外に熊本はすぐ来るからね。
意外に?
意外にドライバーが止まらない時が来るからね。
すぐ来るからね。
クラブに頼らないといけないからね。
大阪5年後、どうしようか。
今結構人が増えてたりとかもしますし。
一番の目標は大阪でナンバーワンになりたいっていう気持ちはあるんだけど、
そのナンバーワンっていうのは、もちろん財力もそうかもしれないけど、
遊びも仕事も本気っていう感じで、
他のプロダクションにない色をお客さんに提供するっていうのがこれからのミッションであり、
これはずっと続くんちゃうかなと思う。
今の人数よりももっと人数が増えないと、
今まで経験してきたけど、大きくなればなるほど絶対崩れていくっていうのが、
崩れるって会社が崩れるんじゃないの?
チームワークが崩れちゃうっていう、
統率できないぐらいの規模になるっていうのはあんまり良くないんじゃないかなって、
今までのゲームビデオを見てるから、
大阪5年後、どうしようか。
大阪5年後、大阪5年後、
大阪5年後、
大阪5年後、
今までのゲームビデオを見てるから、
あと1人か2人ぐらいのプロデューサーを育てるのか入れるのかして、
もうあと3、4人ぐらいは増やしたいかなとは思ってるけどね。
それもタイミングなんで、人との出会いで落ち着きたいって思うんですが、
いるかいないかはこれからやしね。
あとはドキがプロデューサーを宣言してくれます。
ドキさんPMがいいって言ってましたよね。
カタクナに断るけどね。
ドキさんっていうのは大阪オフィスにいる看板娘の、
ジジコロがし。
プロデューションマネージャーの女性ですね。
もうやり手の、いつか出てほしいですね。
私は久保人さんみたいにはできないって言ってますからね。
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いろんな意味でできないんじゃない。
そうなんだ。
周りのスタッフからはあいつが社長って言われてるからね。
そうなんだ。
また別の回でドキさんもお呼びしたいと思ってるんで。
これドキと小澤さんもおもろかったんちゃうかなって。
ひじやちゃん。
この一番若手と一番上が喋るっていう企画はぜひやっていただきたい。
私もいいんじゃないかなと思ってましたけどね。
じゃあちょっと1回目はこういう感じで終わりたいと思います。
それじゃあ次回も引き続き小澤さん久保人さんとおしゃべりしていきたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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