1. 神田大介の経験
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2023-11-29 10:55

すっぱい地図

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私の父親は仕事が忙しくてですね、まあ昭和の父親はみんな忙しかったかもしれないですけどね、24時間戦いますか、ビジネスマン、ビジネスマンと言ってね、というのより少し前ですけれども、戦後の経済成長期、高度経済成長期って、言ってみれば働けば働くほどお金が儲かるみたいな、そういう時代でもあるしね、羨ましいなっていう、
感じも今となってはしますけれども、当時は大変だったと思いますよ。なんせね、長時間労働当たり前だし、パワハラセクハラ当たり前の世界ですからね、そういうところで把握縛って頑張ってたっていう、そんな日本だったと思いますけれども、
私の父親も後多分に漏れずと。で、父との思い出ね、あのさらっと前に触れましたけれども、私の父親は、私が8歳の時に死んでましてですね、あんまり思い出ないんですよね。写真とかであんな顔だったなーっていうのは覚えてますが、まあそれもだから写真で上書きされた思い出っていう可能性結構高くてね。
父親の思い出っていうと一つには、私ね、鉄道好き、鉄道好きっていうかね、交通機関好きって言った方がいいかもしれないですね。バスも好きだったですからね。だから私のうちには、バスのおもちゃとか鉄道のおもちゃ、プラレールとかね、ありましたし、それから電車に乗るのも好きだったんですよ。
でね、よく覚えてるのは、父親にね、たまに休みの日っていうことになると、日曜日なんかですね、一緒に電車乗りに行きましたよね。で、帰ってきてから地図広げてね、東京の地図ですよ。空ごとに分かれているような地図だったと思いますけれども、それで線、蛍光のマーカーで線引っ張ってね、今日はこの電車に乗ってここ行ってここ行って、こうやって乗り換えて帰ってきたんだぞーなんていうことをね、二人で見たりしましたよね。
その地図懐かしくてね、酸っぱかったんですよ。匂い酸っぱい匂いしたもんな。なんでかというと、私がゲロぶっかけたからなんですけどね。あの、車酔いですよね。子供ってなんで車酔うんですかね。私もほんとね、車弱くって、今はさすがに吐かないですけどね。三半期間がおかしくなった?強くなったんでしょうね。
で、父親の車に乗っているときに女性家なんかいて、ゲロがいて、地図にぶっかけちゃったんですね。それを使ってたもんだから、ずっと臭いんですよね。スーパーいい匂いするの。だけど地図を買い替えるのもなんだっていうことで使ってましたね。どうもなんか貧乏ったらしいですね。でもそういうのはまあ、もったいない精神ってことだよね。
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で、電車に乗りに行くってのがあったでしょ。あとね、東京の都心の方だと思うんですけれども、2階建てのバスを運行するってことがなんかありましてね。2階建てバス。ロンドンバスみたいなやつ。今でもないですよね。本当にいわゆるロンドンバスみたいじゃなくて、もっとちゃんとしたでっかいバスの2階建てだったと思いますけど。
それでね、それに乗りに行ったんですよね。そしたら私がうんこを漏らしたんですよ。ごめんなさいね、さっき汚い話ばっかりでね。これは本当に妻とか聞いたら激怒しそうですけどね。本当だからしょうがないよね。小学1年生だったかな?だと思います。
で、まあ嬉しかったんですよね。乗りたかった。バス乗れてね。だけどトイレ行くことががんばっていけなくなっちゃったんだな。でね、もう困っちゃってね、父親と2人で行ったんですけど、どこで、まちながらからパンツなんかもね、どこで買っていいか、子供のパンツなんかわかんないし、どっかデパート行って買ったみたいですけどね。その後のパンツどこで始末したんでしょうね。
あのあれですよ。やっぱり昭和の男っていうかね、家事とか全然できない人だったようですよ。だからよくあの私の母が語り草で言ってたのが、ハップラーメン一つ作れないんだと。なんか母が出かけてて、で私と子供が家にいて、でインスタントラーメンでも作ったらなってね、それもたまにはいいかっていうことで作るわけなんですけれども。
いわゆる容器の中に入っているタイプですよね。袋麺とかじゃなくて、袋麺になると複雑すぎて作れないかったんでしょうね。バカみたいな話ですけど、本当にそういう人たちがいた時代なんですよ。
今でも赤いキツネとかね、ああいうやつ。ペロってめくってお湯注ぐやつ。あれって中にスープとかかやくの袋入ってて、それをバッと開けてかけて、その上から沸騰したお湯を入れて3分なり5分なり待つっていうやり方じゃないですか。
これをスープを開けずに、粉末を開けずにそのままお湯注いじゃって食べて、味しねえなって。するわけないですよね。スープの粉入ってないんだからね。でそのまま食べちゃったっていうね。
そんなことはありましたね。カレーライスには必ず生卵をかけて食べてましたよね。当時のスタイルですかね。茄子の入った味噌汁が嫌いだって言ってましたね。そんなことしか覚えてないな。
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でも優しかったですよ。子供は自転車乗りたいですよね。私も乗ってましたけど。私はデブだったんだけど、早々に補助輪は取れて普通に自転車乗るようになったら、子供が乗る自転車ってのは妹にお下がりってことになったわけですよね。
ただね、兄弟あるあるかもしれませんけれども嫌なんですよね。妹とか弟の方はね。またお下がりかと。とりわけ私と妹は性別違いますからね。歯磨きのコップも私は水色で妹はピンクでしたもんね。今だったらなんでやのっていう話だと思いますけれども。
それしか売ってなかったんですよ。事実上ね。
ちなみにね、見たこともないアニメのキャラクターが書いてあってね。私のはアーサー王伝説で、妹のはコグマのミーシャって書いてあったと思いますけど。見たことないです、そんなアニメはね。
で、その妹に私の自転車、補助輪付きのやつを払い下げ、払い下げじゃないですね。あげることになったと。
ただ妹は嫌なわけですよ、当然ね。私の自転車は水色でしたからね。それもなんかよくわかんない、見たこともないキャラクターが書いてあるようなやつでしたよね。
そしたらね、父親が不憫に思ったんでしょうね。あのね、手の器用な人でしたね。だから自分でなんかいろいろ買ってきて。
で、あられちゃん、あられちゃんって知ってます?鳥山明先生ね、ドラゴンボールで有名な。ドラゴンボールの前に書いてた、これもめっちゃ人気あった漫画で、ドクタースランプあられちゃんってあって。
その主人公ですよ、メガネの女の子ね、あられちゃんのキャラクターを模写してトレースしてたかな、なんかしらからね。
で、それをこうなんか丁寧に、あれですよ、絵の具じゃないと思う、なんか油性のもの、ペンキアクリル絵の具みたいなもので綺麗に塗装して、
ニスとか塗って、ニスなのかな、なんかわかんないけど、要するに落ちないように雨の日とかね、自転車は雨は当たりますからね。
加工をしてね、それを前カゴにバチンと貼って、だから女の子が乗っても別に問題ないような感じの自転車に、あと新しい色を塗り替えてね、塗装にして、妹にあげてましたね。妹はご機嫌に乗ってましたよ。
これがね、なんか私には一切遺伝されていない父親の才能ですよね。
そしたらその手先の器用さっていうのは、今私の長男はすごい器用なんですよ、折り紙とか得意でね。
まあまあその器用さがどっから受け継がれたのか、妻の方からも知れないんで、妻の父もね、私の義理の父も手先器用な人なんで、そっちかもしれないですけど、ともあれね。
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両方から聞けばそれは心強いですよね。父方も母方も器用な人がいるって言うんだから。
自転車に思い出してましたけどね、毎度引き合いに出して悪いけど米原くんね。
米原くんちはね、お兄ちゃんが二人いるんですよ、年の離れた。
年離れた5、6年だったと思いますけれども、お兄ちゃんは年後なんですよ。
一番上のケン兄ちゃん、二人目のユ兄ちゃんですね。
年後のお兄ちゃんが二人いて、三番目が米原くんなんですけど、米原くんね、子供ながらにね、なんで赤い自転車乗ってんだろうって僕は思ったんですよ。
ジェンダー意識がない時代のことですからね。
したらね、親御さんは三人目は女の子が欲しかったんですって、上二人男の子だったから。
だけど男の子になっちゃったと、まあしょうがないですけどね。
なんだけどやっぱりどうしてもね、特にお母さんの方とか悔いがあるというか、なんか諦めきれないところがあって。
僕の友達は米原隆博って言うんですよ。
よくあるというかね、当時多かった名前、隆博くん。大助も多いんですけど隆博も多かった。
たこちゃんって呼んでましたもんね。たこちゃん、たこちゃんって。
なんかちょっと女の子っぽい格好させられててね。
だから自転車も多分それの流れで若干赤い感じのものを乗せられてたんでしょうね。
そんなたこちゃんはね、しかしおもなちがシュッとしてたんで、めっちゃモテ男になって普通に男性街道真っ白に歩んでいくんですけれども。
ちょっと長くなりましたかね。今回はこんなところで。
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