1. 神田大介の経験
  2. おばあちゃん先生のド迫力
2023-12-22 10:39

おばあちゃん先生のド迫力

00:06
ただいまね、小学2年生の2学期をまだ進行しておりますけれども、とにかくあのうちのクラスはね、担任が5人目だっていうこともありまして、本当にあの異様な空気感でね、クラスもザワザワザワザワしてました。
そんな中で、クラスの児童の一部が万引き事件を起こしたりとかっていうのもありまして、そんなザワザワした空気感がますますぐザワザワしたのが、その万引きをしていたですね、ちょっとこうね、歯振りのいい、派手なグループ。
派手なグループって、小児のせいぜいのんですけれども、の子たちが、普段からね、ちょっと目をつけて悪口を言っているというか、あからはまに悪い態度をとるですね、バカにしていた、そういう女の子がいて、その中身なりが悪い女の子だったんですけど、
その中でね、道具箱とかにみかんとか給食の食べ残しのパンとかを入れているようなそういう子だったんですけど、バカにしてたんですよね。
したらある朝、学校に来たらですね、なんか大変な騒ぎになってまして、何かなと思ったら、その歯振りのいい、みなりのいいグループの連中が、学校に置いてってた教科書、ノートの類がね、全部ぐちゃぐちゃにのりづけされてましてね、とてもひらけない状態になってた。
あの道具箱に入ってたのり使ったんですかね、まあなんかね、教科書ノートを狙ってて、机全体にのりがぐちゃぐちゃに染み込むような感じで、一体に入ってましてね、ただ私は全く何の被害もありません。
多くのクラスメイトは被害がありません。明らかにその女の子に対して態度が悪かったグループが狙われていて、もうその子たちの机のとこだけね、道具箱のところであらゆるものが全部のりづけ、のりづけされているというか、のりで埋まっているという感じ、のりの海に浸ってるという感じでしたね。
恐ろしかったですよ。朝からね、要するに授業が終わった後にあったんでしょうね。朝早く来たってことじゃないと思いますよ。その子の姿なかったですしね。
その子がやったっていうのは後にわかった。その時にはね、まず朝大変なことが起きたってことだけがわかったわけなんですけど、そんなの調べればすぐわかりますからね。
結局ね、いじめみたいなことをやってる人たちっていうのが視解消されたっていうことで、何ら別に同情するところもないんですが、こういうことが起きること自体、やっぱりクラスがいかに無茶苦茶だったかってことですよね。
03:04
誰もそういうふうに咎める人がいなかったと。早くそういうところに気づいて、そんなこと言っちゃいけませんよと。確かに給食の残したものを道具箱に入れるとかよくないけれども、だからといってそんな馬鹿にしてはいけないと。
その給食を入れてた子に対してもそんなことしちゃいけないよとかっていうふうにあってれば、たぶん起きたかったことですよ。
いずれにしましてもですね、また学校が大騒ぎになって、その時に担任をしていたおばさん先生はですね、本当に全然指導とかしない人。そうだから授業もしてなかったけど指導もしないんですよね。
彼女がやっていたことといえばプリントを配ることとテレビを見せることだけ。
ちなみにそこでテレビを見てる時にたまたま私が出てきたんですよ。
前に話をしたと思いますけれども、幼稚園の卒園式の日に行った洋画のマクドナルドでテレビカメラ回ってて盛り上がりましたよね。
教室でプリントに飽きた子供たちがですね、テレビ見てたら、小学5年生の社会の番組だったと思いますけれども、
当時、牛肉オレンジ問題があって自由化交渉、貿易自由化交渉ですね。
アメリカと日本の間で、日本は完全にお腹が欠けてたわけですよ。アメリカより貧しかったから。
だけど経済力をつけてきて、当時1980年代の初頭ですね。
オレンジなんかは、みかんが日本にあって、アメリカから安いオレンジが来ちゃうと、日本のみかん産業とか柑橘類の産業が大変なことになっちゃうと。
あるいは牛肉もそうですよね。日本にも牛っていうのは当然いるわけです。和牛がいるわけですけれども、
アメリカから安い牛肉が大量に来ちゃったら、これはもうたまったもんじゃないと。
牛肉の農家は、地下の農家が潰れちゃうということで、高い関税をかけたんですけれども、それはもうやめてくれと。
当時、代わりといいますか、自動車産業とか日本でもすごい盛んになっていて、アメリカが貿易赤字がすごかったんですよね。
日本からものすごい自動車を輸入しているにもかかわらず、こっちからはオレンジも牛肉も売れないということで、自由化交渉というのがなされていたというニュースの解説動画と映像として、
私がその牛肉をたっぷり使った、しかもマグナムですからアメリカ産の牛肉であろうという、牛肉をパクついているシーンがイメージ映像として使われたわけですよ。
それが2年生の時に出てきて、わーっつってみんな騒ぎになって、さっそくその先生も、普段何も言わない先生もどうしたんですかみたいな感じで言ったら、
監督、監督、監督が出てます、みたいな感じになって、もうその頃には先生がテレビを見た時には私のシーンは終わってたわけなんですけど、
06:07
そうやってテレビを見せることとプリントをやらせることしかしなくて、基本的に学習態度、静かにしなさいみたいなことを全然言わない先生だったんですよね。
何なんでしょうね。授業の指導もしなければ生活の指導もしないっていう人だから、やっぱりそのさっきのノリの海事件みたいなことが起きるんだろうなと思いますよね。
とにかくクラスの雰囲気は最悪というか常に浮ついた感じの状態だったんですけれども、最後に親うちが現れます。
千葉先生っていう、これも女性のおばあちゃん先生だったんですけど、私が1年生の時に担任だった奈良先生とは全く体育の違う人で、奈良先生はとにかく優しかった。
包み込むような、吉永さゆりさんのような感じと言いますかね。顔は違いますけど、そういう優しい先生でした。
ところが千葉先生はね、千葉って言うぐらいだから千葉新一さんと言いますかね、違うけどめっちゃ厳しい先生で、だってですよ。
当時千葉先生が言ってたのが、戦時中には教師だったっていうわけですよ。
子供を疎開させたって言ってましたからね。疎開先でも教師をやってたって言ったんで、それって少なくとも昭和20年までには学校の教師だったっていうことでしょ。
昭和20年ってことは1945年には先生だった。
めっちゃ若く見積もって20代で考えて1920年ぐらいには生まれてるってことですもんね。
だからひょっとしたら大正生まれの可能性ある。昭和一桁、少なくとも昭和一桁ですよね。
非常に規律を重んじる。もちろん児童に対しては無容赦なし。
非常に怖い先生がやってきて。
ただ、だからもうね、定年はとうに過ぎてるはずなんですよ。
おそらくはもうそのクラスの参上に強引なしたですね、小学校側が探してきたんでしょうね。
退職して、ゆうゆう自敵で過ごされていたであろう千葉先生を連れてきてですね。
しかしまあ厳しかったもんですから、もう一発でクラスは閉まりましたね。
もうそういう変な悪いことをする奴はいなくなったし、千葉先生の登場によってピシッとクラスが引き締まる。
いやあ、本当に学校の先生って大事ですよね。
私ね、すごく千葉先生のことを覚えているのが、私は当時すごく本をたくさん読んでいたんです。
09:03
本をたくさん読んで、これあれですよね。
よくいろんな学校でやっていると思うんですけれども、読書料のグラフみたいなのを作っていて、
なんか一冊読むとシールを貼るみたいな感じで、私はもう圧倒的なトップ。
クラスの中で私だけグラフの紙が足りなくて突き抜けるみたいな水上特教だったんですよ。
1日3冊ぐらいのペースで読んでいましたからね。
そしたらね、ゆかはくんに、ゆかはくんってのは学期大将なんですよ。
学期大将で、私が友達だったんですけどね、ゲームウォッチをゆかはくん家から盗んできたっていうね。
そのゆかはくん、本当にゆかはくんはすみませんでした。
に、そんなあんな簡単にやっていることは嘘だろうと。
あんなペースで本を読めるわけないっていう趣旨のことを言われましてですね。
そしたらね、でもそれを聞いた千葉先生がね、簡単ならできるって言ってくれたんですよね。
千葉先生は僕のことを信用してくれたわけですよ。
実際読んでたしね。
なんかね、すごいそれを今でも感謝してますね。
僕みたいなものをちゃんと見てくれてるんだなってことはね。
正直そうやって他にいろいろ問題を抱えている児童がいる中で、
僕なんかどうだっていいというか、普通の子なんですよ。
なんだけど、やっぱりちゃんとそういうところでね。
ああ、本当にちゃんと僕のことを見てくれたんだなっていうのは嬉しくてね。
やっぱりいい先生にあたるって大事なことですね。
10:39

コメント

スクロール