1. 神田大介の経験
  2. 底辺ぼうや
2023-11-24 09:57

底辺ぼうや

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皆さんは、どんな子供でしたかね。
私は、まず太ってました。
幼稚園の頃は、まだ小太りぐらいだったんだけど、すごい覚えてるのは、小学2年生の時に出ました。
小学2年生、私の話題の方向なんですけど。
ローレル指数っていうのが当時あって、なんか非満指数みたいなもんですよね。
それに引っかかって、クラスで私と蕎麦島君っていう同級生と2人しかいなかったです。
保健室に呼ばれて、痩せろって指導を受けましたよね。
体重重かったんですよね。非満体だったな。足も遅かった。
小学校って、やっぱり足の速さっていうのが、全てのヒエラルキーを決めてくるじゃないですか。
とりわけ男子の間ではね。
そういう世界の中で私は底辺なんですよ。底辺だったよな。
だけどね、小学1、2年生ぐらいだと勉強ができるみたいなの、あんまりわかんないですよね。
だって1たす1は2とかわかるから。
僕は勉強はね、昔からできたんですよ。
覚えてるのは、小学校入る前だよな。
幼稚園の時にすでに小学生がやるドリルみたいなのやってましたね。
趣味で。趣味ってことはないよな。親が買い与えたんでしょうけど。
でもね、簡単にそういうのはできちゃったんですね。
あとあれだな。親が言ってたのは、これは親バカだと思いますけどね。
2歳にして漢字が読めたって言ってましたね。
これどういうことかっていうと、真ん中の中、中っていう字があるじゃないですか。
こんなもん漢字立ってないひらがなみたいなもんだな。
それを私は認識してて、中日新聞の中かな。名古屋ですからね。
っていうので覚えて、ガス釜にガスの出力で中ってのがあって、これ中だって言って、この子は漢字が読めるって言ってね。
親バカだな、完全に。
あとはだから渋滞っていう表示。
うちの親父は車持ってましたんでね。たまに高速道路とか乗るわけですけど渋滞って表示出るでしょ。
渋谷。私の家から一番近い都会、都会っていうとね、町っていうと渋谷だったんで。
田園都市線でも渋谷っていうのは一つのターミナルですから、渋滞のことを渋滞っていうふうに呼んでたらしくて、渋谷の渋と渋滞の渋が同じ漢字だって認識していたよって。
これも親バカですよね。それぐらいわかるんだろうって思いますけど、漢字が読めるっていうね、それを持って言っていた。
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親ってのはね、バカなもんですね。
うちのおばあちゃんもね、私のことを長谷川家蔵に似てるって言ってましたもんね。
誰か知らないと思いますけれどもね。ググってください。
昔の歌舞伎役者ですよね。俳優さんと言った方がいいか。
私はだから、勉強は小学生の自分なんかには全然苦労することはなかったので。
だけどそれがすごいことだっていうのは、はっきりしてくるのって、もっと少数分数とか少なくても習いだしてからでしょ。それまで差ないですよね。
だから私は底辺を這いずっていて。
幼稚園の年長さんの時に、私はキリスト教系、カルトリック系の幼稚園に通ってたんで、演劇もね、やっぱりキリスト教絡みのやつやる。
でもうちは違ったわ。キリスト教系の幼稚園でね、私はユリ組だ。
バラ組、スミレ組、ユリ組って3つクラスありましたね。
それがね、私の妹が行く台になったら突然変わっちゃってね。
なんかミカエル組、ラファエル組、ガブリエル組って、天使の名前に変わっちゃって。
すごいですよね。BR系のバンドみたいな。
私の妹は確かにミカエル組なんですよ。
私はユリ組っていうね、同じ幼稚園に通ってるのにね。
ユリ組はね、バラ組があれだ、ベツレヘムでね、キリスト御聖誕っていうやつ。
これ必ず毎年やるんですよ。年長さんの一クラスがね。
ユリ組は違うわ。ねむり姫だ。スリーピングビューティーですね。
ねむり姫とか王子様の役とか、私は当然お声がかかんないわけで。
役割は兵士B。覚えてますよ。
だけど一生懸命衣装を作ってたな。銀色の帽子被ってね。
兵士B。
小学校上がってから覚えてるのは、ヨネハラ君っていう友達がいたでしょ。
彼はね、モテたんですよ。今思っても結構なんか可愛らしい顔してたし。
それでね、バレンタインデーね。小1だな、たぶんな。
の時に同じクラスの女の子から、今井さんって言ったかな。
なんかヨネハラ君を公園に呼んできてほしいって言ってね。
近所の丸山公園だったと思いますけどね。
何って言ったら、いや簡単にチョコレートあげるから呼んできてよってね。
バレンタインデーのチョコレートって僕はあんまりよくわかってなかったんですよね。
ヨネハラ君を連れて行って、ヨネハラ君は思いを込めた、ちゃんとしたチョコレートをもらってて。
僕はおなじみ、50円で買えるハートチョコ。そんなもんでも嬉しいですよ、デブだもんね。
チョコレート食ったって思いでありますけどね。
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そういう底辺坊やだったんですよね。
だけど何だろうな。
小児の時には、小児って学級員とかあったっけな。やってないのかな。
本を読むっていうのがありましてね。どこでもあると思うけど。
学校に図書室があって、そこで本が借りられるんですよ。
借りた冊数っていうのが、サラリーマンの営業部員の成績よろしくですね。
教室の後ろに貼ってあったんですよね。
1冊読むとシールを1個先生が付けるわけですね。
クラスの全員の名前をバーって並んでて、そこにシールを貼っていくわけですよ。
グラフになるわけです。簡易的な棒グラフですよね。
私は圧倒的、1日3冊のペースで読んでましたからね。
グラフが僕だけ足りなくなって突き破ってましたから。
そしたらね、それを学期大賞のゆかはくんがね、おかしいと。
あんなの本当に読んでるわけないと。そんなに読めるわけないと。
読んでるのはあったんですよ。
正直ね、私にとってね、小学校低学年向けの本なんてのは、
小学校低学年の時点では赤子の手をひねるようなもんですよね。
30分もあれば1冊なんかすぐ読めちゃうから、もっと短かったかもしれないですね。
だからね、そんなのは全然余裕だったんですけど。
ただまあほら、それは腕っぷしで慣らしてる薄着でおなじみゆかはくんにはわかりませんよね。
ゆかはくんはね、本当にね、当時ね、何だろう、世田谷だけなのかな?
薄着をするっていうのがすごくもてはやされているというか、学校で奨励されていて。
まあほら、日本って寒風摩擦とか、冬でも寒い格好して肌着たいよみたいな文化あるじゃないですか。
あれだと思いますけど、服に点数をつけるんですよ。
シャツ1点、パンツ1点みたいな感じで、当然ズボンとか靴下とか全部点数がついて、点数が多ければ多いほどダサいと。
ダサいっていうか、厚着であるからよくありませんね。
これをだから子供たちの間ではダサいっていう風にみなす風潮がありましてですね。
みんなで薄着を着させてたんですよ。
ゆかはくんはいつも7点とかなんですよ。
7点ってすごくて、もはやね、真冬の海空にランニング着てるんですよね。
ランニングってタンクトップっていうかね、袖ないやつ。おかしいでしょ。
だけど、それ着るとやっぱりTシャツよりもね、ランニングの方が点数が1点低いんですよ。
それでもみんなゆかはくんにはかなわない。
僕はどう頑張ってもね、そんな点数だと10点ぐらいが関山より平凡ですよね。
ゆかはくんは7点。
まあ調子悪くても8点は取ってたっていうね。
そういうゆかはくんは、やっぱり僕のそういう読書がちょっと気に食わなかったらしくてね。
すごまれましてね。
そしたらね、でも当時の谷野先生がよかったですね。
簡単ならできるって言ってくれてね。
おばあちゃん先生でしたけどね。
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そういう自信っていうのはつきましたよね。
僕はこの道で生きていけるんだなっていうのはね。
ただ今考えても、小学2年生3年生ぐらいの時は私の読書量のピークで後を落ちるばっかりですね。
中高生ぐらいの時はまだ読んでましたけどね。
今全然本当に読まなくなってますからね。
本当千葉先生、当時のおばあちゃん先生には本当に申し訳ない。
おそらくは間違いなくもうすでに天国にいらっしゃると思いますけれども。
だって当時60をすでに超えてましたからね。
それ40年前ですから。
でもそれじゃあ生きてる可能性あるか。
すいません。もし生きていらっしゃったらごめんなさい。
でも全然先生の教えがあって、私今あると思ってますので。
やっぱ大事ですね。
教育ってね。学校って。
今回はこんなところで。
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