1. 神田大介の経験
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2024-05-28 10:14

中学の話1

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1年生の時の担任が、早川先生だったんですけれども、中1ですね。中学2年生の担任は、トドロキ先生という方で、車3つのトドロキですね。
体育教師でした。
バレー部の子もやってたと思いますけど、じゃあバレーが強いのか、強いというか、自分がバレー出身なのかってよくわかんないですが、
トドロキ先生は、極めて先生っぽいというか、明るくて楽しい感じの、わかりやすい。
それで、体育教師ですから、ちなみに当時、私が通ってた中学校はめちゃくちゃ荒れていまして、その話はまた別にしようと思いますけれども、
そういう中でも、やっぱり堂々としたもので、そのトドロキ先生のクラスは一定の秩序を保ってたなというふうに思います。いい先生ですね。
ただね、私が1個だけどうしても納得いかなかったのが、うちのクラスだけトドロキ先生が国語もやるんですよ。
国語って、中学、今は小学校なんですけど、教科担任生なんで、国語の先生って別にいるんですよ。
1年生の時の国語の先生は、これも本当に忘れがたい先生で、小川陽子先生っていうね、作家さんと同じ名前で、
本当に小川陽子さんって作家で出てた時に、え、嘘?あの先生が?と思ったんですけど、どうやら別人ですけど、
小川先生は、とにかくこれは当時の中学教師としては極めて潔いを放っていまして、
まず、それなりのいい歳ですよ。早川先生よりはちょっと下ですけれども、おそらく、中学生の時見てわかんない、40代、50代。
50代じゃないかなと思いますけど、それぐらいの迫力のある人で、とにかくその迫力はすごい強かった。ビシッとしてましたね。
テストの問題も、当時すでにパソコンはあったわけですよ。パソコンもワープロもありましたが、全部手書き。
手書きでテストを作る人っていうのは、もう小川先生しかいなかったですね。
これがめちゃくちゃ難しいですね。全然点が取れなくて、30点40点は当たり前の世界。たぶん平均がそれぐらい。
私は国語はすごく得意だったんですよ。得意教科は何かって言われたら国語と社会っていう、もう完全に文系野郎だったんですけど、
それでも70点行くかな、行かないかなみたいな感じのテストを作っていくんですよね。
まあ難しいっていう。たぶん私はそういう国語の授業が大好きでしたね。
やっぱりおこがましいというふうに言われちゃえば、それまでですけどもレベルの高い授業を受けられるっていうのは、もう俺には嬉しかったですからね。
だから国語の授業自体も、王道っちゃ王道ですけどね。そのときの心情であるとか情景を考えるみたいな授業だったわけですね。
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小川先生とのやりとりを覚えてるのはやっぱりテストで、どっちだったのかな。答えは覚えてるんですよ。
車って書いたんですよ。車が答えだったのかな。
僕は自動車って書いたんですよね。何の問題。一体どの文章に関するどういう問題だったのか全然覚えてませんけど答えだけ覚えてます。
小川先生は元として車しか認めないわけですよ。
自動車って書いて、まず車と自動車って意味は同じ。
同じって言うと不正確になるけれども、包含するものがあるし。
わかるんですよ。小川先生の言っている趣旨ってのもわかって、要はその時代背景的に明治とかの文章だったと思いますけれども、それを中一のテストで出すのかって話なんですけど。
明治時代の話だから、そういう車なんだと。自動車とかっていう言葉は今の自動車に対して当てはまるものであって、やっぱり当時は車だろうと。
人力車とかの時代もあったわけですし、それから馬車とかね。自動車っていうのが本格的に普及していくのはもちろん昭和の時代ですよ。
ただそこで言っていたこの車っていうのは別に人力車でも馬車でもなくて、エンジンで動く車の話だったんですよね。
だから蒸気機関だったな。ともかくエンジンで動く車なんですよ。それは自動車じゃないですか。自分で動く車の自動車に違いないですよね。馬とか人力は返さない機械の車だから。
それはだって、そんなものは受け取りが手の問題であって、そこに意味の違いっていうのを見出すっていうのは、それはあなたの主観じゃないですか。
っていうことを小川先生とやりあって、小川先生はガンとして聞かないんですよね。何度言ってもね。私もそういう趣旨のことを中一ながらに伝えたんですけど、全然受け入れられなかったっていう。
点数は変わらなかったですね。細野先生とはエラい違い。だけど、それってやっぱり中一のやり取りとしては結構レベル高い感じしますよね。
私はそういうところも含めて小川先生というのはいい先生だなと思ったんですよ。で、中二。
トドロキ先生はね、人格的には申し分ない人なんですけど、残念ながら国語の教師、体育の先生なんでね、国語は本業じゃないんで仕方ないんですけれども、
教科書の文章を頭からずっと読んでいって、熟語とかが出てくると、ちょっと難しい言葉が出てくると、黒板に版書してその意味を辞書とかに書いてあるの。
辞書じゃないんですよ。教科書レーダーみたいなのがあって、それに書いてある意味をひたすら書いていくっていう。ただそれだけなんですよね。
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これはつまらなかった。そんなことは私は欲していない。だって別に。辞書あるいは自分でできることだし。
そもそも教科書レーダーって言ったかな。普通に本屋さんで売ってましたけれども、教科書の問題って教科書にもありますよね。
数学の教科書とか特にありますけれども、単元のまとめ。単元。すごい久しぶりに使った言葉だな。
一つの文章が出てきたら、その後に練習問題みたいなのがついてたりするじゃないですか。その答えが載ってるやつ。教科書を販売している会社。
ちなみに教科書も地域によって全然違うんですよね。東京書籍だったのが京輪館になったりしましたけど、教科書を作ってる会社が出してたりするんで、商売にはなるんでしょうね。
だからそういうのを買って、授業の前にアンチョコみたいにしてね、使っている生徒とかもいましたし、私はもちろんそんなの使わないんですけど、必要ないんでね。
やってましたが、とにかくそういうのを持ってりゃできるみたいな。一体全体、授業でそんなことする人があるのかっていう感じのことを思ってまして。
やっぱり授業ってそういう生のやり取りであるとか、もっと深いところをやって欲しいなって思ってましたんで、残念でしたね。
本当にもうここの授業は退屈で、数回見切りをつけて私はずっと内職、塾の宿題とかをやってましたね。良くないですね。
先生も全然確実に気づいてたと思いますけれども、先生のスコープはでも私じゃなくて、もう少しここがあんまり得意じゃない子の方に向いてたんでしょうし、
それはそれで一つのやり方だと思います。
とどろき先生は別に私の内職には全く干渉しなかったので、その辺も先生の信念、哲学があってのことでしょうから、仕方ないんですけれども、やっぱりそこら辺は義務教育の限界というのを感じさせるところはどうしてもありますよね。
しょうがないんですけどね。では私に合わせて国語をやったら、みんな国語の授業つまらないと思って嫌いになっちゃうかもしれないから、
とどろき先生がやってたことが悪かったとは思わない。間違ってたとは思わないんですよね。
学校という空間の問題ですよね。なかなか大変ですね、学校ってね。誰が悪いとかじゃないんだよな。
仕組み自体も学校という仕組みはあってしかるべきだと思いますしね。そういう先生が2年生の時は担任でしたね。
ちなみに3年生になるとまた小川先生が国語の担当になったんで、それで私はまた少し国語が好きになるというか、
とどろき先生には申し訳ないですけど、あの授業のままだったら関係ないからどうせ聞いてないから。
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でもちょっと高校留見の時、何かしらがこじれてた可能性はないとは言えないんじゃないかなって気がしますけどね。
小川先生は3年生になった時にもね、日記の宿題を出すっていうね。夏休みに1日1文なんか書けっていう。
で別に日記じゃなくていいから、その時に思ったことを書けっていうですね。なんか小川先生らしい宿題を出してきて。
だからあれですね。いわゆる新聞における転生人語みたいな、1日のコラムみたいなもの。
何でもその日にやったことを書けってことじゃなくて、思ったことを考えたこととか、読んだ本の感想とか何でもいいから書けっていう宿題が出て、
マジめちゃくちゃ頑張ってやりましたもんね。ってか楽しかったもんね。やってて。
そのノート、たぶんね、夏休み中でノート1冊、普通の大学ノートみたいなやつ。
じゃ足らないくらい書いたと思いますけど、ないんだよなぁ。もうないなぁ。どっか行っちゃったなぁ。
今読み返したら面白そうですけどね。中3の時の私は何を考えてたんでしょうね。
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