一言目がなかなか出ないんですけど、話題がちょっと決まってくると話ができるんですけど、
何でもかんでも話せばいいってわけじゃないし、
黙っててもそんなに苦じゃないんで、私自身はね。
なんですけど、せっかくだから楽しく話そうって思ったときに、
うまく話し始めて、受け答えのテンポがつかめると楽しく話せるかなと思います。
ただ、人好きでいろんな人にすぐ声かけて、いつでも仲良くなれるなんて思ってないです。
それは私はアメリカに来て、日本だとそんなのが簡単にできたのに、
英語になるとそれがとっても難しくて、人格が変わったように思ってしまって、
それで、私は一体何を話したいんだろうか、私は何を伝えたいんだろうかっていうのは、
30ぐらいで初めて向き合いましたね、その気持ちに。
それは私も海外に行って、雑談じゃなくて、
自分が本当に興味あることをそれぞれが話すっていうのが楽しいじゃないかっていうふうに、
素で思えるようになったのは、アメリカの人と話したときに実感したかなと思うんですよね。
要は、挨拶のときには決まり文句で声をかけるけど、
私が感じたアメリカの人は、その後の会話が定型文じゃないというか、建前じゃない?
うん。本当に好きなことをまっすぐしゃべる感じですね。
そうそうそうそう。
いいですか、アメリカのどこでどんな方々とお話したか、
もうちょっと具体的に教えてもらっていいですか。
私は一番最初の海外出張は、マレーシアで工場の立ち上げでした。
で、担当者は自分だけで、もう英語しゃべらないと仕事にならない感じで、
もう全然英語、中学校3年生の英語レベルで話をして、
ただ、私が教える立場だったんで、聞いてくれるんですね、向こうの人がね。
で、わかんないと聞き直してくれるんで、こうだこうだって言うと、
たまにそれは何という単語ではないかとか言われて、
あ、そうだったそうだった、てへへへみたいなのがあった後、
英語力がついたのは、そのサポートを電話で知っているときが一番英語力がググって上がったんですけど、
昔はね、こういうズームとかないんで、海外の人と話をするのに電話しかなくて、
電話はつらい、ほんとにつらいです。
トラブルがあったんで教えてくれっていうのがあると、
それが、当時はね、メールもいい加減で、ファックスでやってきたりして、
こっちから説明用の図を書いたファックスを送って、
ついたころに電話で、図の何とかを見てくれ、これはこういう意味だからこうやって、
ソフトウェアのどこどこ何とか書き換えてくれっていうのをやったのが英語力が上がったときなんですけど、
その後、アメリカに出張することがあって、最初に出張したのはどっちだっけな。
ボルダーっていうとこですね。コロナ度首。
はいはいはい。
だから西海岸で乗り換えて、ボルダーに入って、
そこで私たちは実はお客さんでソリューションを買うっていうことだったんだけど、
ソフトウェアの中身を教わるのと相談するのとかをやっていて、
たまに出張して、そこで昼間はソフトウェア談議というか、
ここのサーボの定数の決め方はねえみたいな話をしつつ、
ここのCPU特殊だからここにコツがあってみたいなのを習いつつ、
ちょっと実験しようとかっていう話があって、うまく動かないねみたいな話をするんだけど、
夜は向こうの方が私たちお客さんだったんで、
近くのうまいとこ連れてってやるよって言って、
おいしいとこに毎日連れてってくれる中でお話をするっていうのが、
最初の英語で食事をしながら雑談をしなければいけなくて、
私が日本人一人で英語喋んなきゃいけないっていうときでした。
小さぼけもあるし仕事の疲れもある中で雑談をするだなんて、
もう大変ですよね。
そうそう。で、雑談はできなかったんですけど、
やっぱり向こうの人がいろいろ始めは聞いてきてくれて、
それについて答えるっていう感じだったのが、
だんだん私たちもどこに行くのが一番面白いかこの辺でみたいな話とかっていうのがあって、
いろいろ家に招いてもらったりね。
アメリカの人を家に招いてもらうと、
家に訪問するとね、ツアーをしてくれるんで。
そうそう、家ね、ベッドルームまで。
で、廊下に写真がだーって並んでいて、
これはいつので、これはいつので、これはいつのでって言って、
写真の説明をしてくれてみたいな話があったり、
違う方のうちでは、銃撃つとか言われて、
銃撃つって何?みたいな。
楽しいですよね。
どこで?みたいな。裏庭?
裏で。
みたいなのもやったりとかっていうので、
だんだん建前じゃなくて、
雑談ができるっていう風になったのは、
ちょっとアメリカの人と話してやった気かななんていうのは、
実感としてあるんですよね。
そのね、絵会話の教科書をユリカさん作ったやつが結構面白くて、
その共通の興味というものを浮き彫りにしてくれる教科書なんで、
非常にしゃべりやすくなるってやつなんですよ。
それでその、実はちょっと次の話題にも関わるんですけど、
吉安さんに相談したかったんですけど、
実はこの英語と日本語の言語交換の、
このユリカさんの本を盛り上げるために、
実はポッドキャストが3つぐらい立ち上がる予定なんですね。
そうするとこの3つのポッドキャストを結んで、
その英語をしゃべる喜び、そして日本語をしゃべる喜び、
で本音でしゃべりあって分かりあって通じる楽しさみたいなものを、
みんなで体験していけるような、
それぞれの会話、
例えば英語を学んで、
どうやって英語をしゃべっていったらいいかなっていったときに、
誰に向かっての英語なのかっていうことを、
この教科書を使うとですね、
このアメリカ人で、こういうのが好きなアメリカ人で、
っていうのが分かる浮き彫りになるんですね。
まあそういう会話が広がっていくときに、
いろんな会話を聞けたらいいなと思って、
これをポッドキャストにはぴったりなんじゃないかなと思ったんですけど、
吉橋さん、そんない理科とかそんないグループみたいなのをやってたときに、
グループでやるメリットを一番活かすような、
これまでやってきて、こういうグループ同士の、
例えば違うポッドキャストがこういうふうに結びつくと、
すごく盛り上がるとか、
そういうコツみたいなのがあったら教えてほしいなと思って。
えっと、何て言うんですかね、下世話な話って言うと、
言い過ぎかもしれないですけど、
グループで始めたのは、
何かを狙ってっていうよりも必要に迫られてです。
そもそも。
一つはさっきもちょっと話した、
サーバーを借りるのに番組数が増えた方がいいよねっていう、
一個のサーバーで複数配信した方がいいっていう、
効率がいいっていう。
あともう一つは、やはりポッドキャストを始めても、
誰も聞いてくれない時期が長いんですよ。
だって、どこで宣伝しても誰も聞いてないんだからっていう時に、
やっぱり有名な人に宣伝してもらうっていうのがとても大事で、
そういう時に、今はね、科学系ポッドキャストでつながりましょうとかってあるんで、
誰かが始めたら、誰だか始めたよっていうのを紹介したりね、
宣伝したりっていうのができるんですけど、
その当時はやっぱりそういう術がなかったので、
お互いがお互いを宣伝して、
グループで何とかする。
どこどこでどんなコミュニティがあるよとかっていうのがあったんですけど、
そういうところに入れなかったというか、
うまく見つからなかったのもあって、
グループで始めたっていうのが元々の。
なので、メリットがあるからというよりは、
宣伝する場所を自分たちで作んなきゃいけなかったから、
グループで始めたっていうのが一番大きいと思っています。
自分で作ったっていうのが楽しさっていうのもあるじゃないですか。
もちろんもちろん、あります。
もう一つは、科学系ポッドキャストは、
科学っていう共通のものでつながっているんで、
新しく聞いてもらうのも比較的敷居が低い一方で、
私たちのところは同じようなカテゴリーを作らないことで、
他のことにも興味を持ってみませんかとか、
うちのやつがつまんなくてもお隣がありますよっていう、
いろんなものを売ってる売り場が横に並んでるっていうので、
どれか聞いてくれるかもしれないなっていうところもあったりして、
そういう感じの思惑もあったりはしました。
すでにもう10年以上やってるんで、
それぞれがそこそこリスナーがいる状態なんで、
たまに同じグループの番組を宣伝するとか、
どことけ何さんが言ってたのをなんとかっていうのをやるぐらいで、
最初の頃はやっぱり番組をよくするための工夫とかのノウハウをお互いね、
みんな素人だったから一緒にやるとかっていうのはありましたけれども、
今はそんなにたくさんグループだからっていうのはなくて、
他の番組もやってるのでそっちも聞いてねっていう感じになってるかなと思います。
作れないからこその面白さみたいな。
特にタツさんは組み立てた会話をすることが会話だと思っている人だったんですね。
会話というものを理解していない。
講義とかね、講演会をする人はやっぱりそういうのがいいお話だと思ってらっしゃる人がやっぱり多いし、情報の濃い1時間をどんだけ喋るかって話だと思ってるんですけども。
そっちはそっちでいいのかもしれないですけど、やっぱりどこか会話なんじゃないかと思っていて、リスナーとの。
そうするとあんまり台本台本しすぎてないほうがやっぱり伝わるのかなって気はするんですよね。
台本をしっかり書けば書くほど文章でよくなってきちゃうんで、テキストのね。
それで最初のパートナーの指揮者のカルロスは真逆だったので、2人は戦いましたね。
要はライブだろうっていう感じのところに対して、全部不明に音符書いておけばダメだろうって言って、たぶん全部不明に音符が書いてあったってライブはできるよねっていうところに落ち着かなきゃいけなかったんですよね。
そうです、まさに。だからタツさんにとってはすごいいいトレーニング期間があって、1年間。
まさにその通りですね。
トレーニング期間があって、でもそこは会話の形を考えるいいきっかけだったんじゃない?
すごいいいきっかけですね。
まさか想像してなかったでしょ?ポッドキャストするときには。
いや、全然考えなかった。やっぱり喋ってたら楽しくなるのかなって思ってたんですけど、そういうことじゃないんですよね。
やっぱり自分をどれだけ出せるかとか、相手をどれだけ受け入れられるかとか、相手の良さがどれだけ出るかも自分の向き合い方で全然違うし。
もう学ぶことだらけな感じ。
いいじゃないですか。学ぶことだらけはいいことですよ。
それがポッドキャストの楽しさでもあると思います。
ゆりかっぽい視点で身の回りのことを見てみませんか?奏でる細胞2周年記念会
ゆりかっぽい視点で身の回りのことを見てみませんか?そんなゆりかの時間、いい!
はい、聞いていただきました。いかがだったでしょうか?
吉橋さんの後半、レジェンドのですね、すごい言葉がたくさん含まれていたと思いますね。
私がお話ししてて、すごく私がね、満足している自分に気づいちゃったんですよ。
吉橋さんとお話しすることによって自分のことも振り返ることができて、私が考えてきたことを吉橋さんが組んでくれたっていうんですか?
組んでくださったっていうんですか?大変嬉しい時間でした。本当にありがとうございました。
本当に素晴らしかったですね。ありがとうございます。
僕はね、今回学びがすごく多かったし、ポッドキャストをやってきていろいろ感じたことを、もう一度吉橋さんの言葉で縁取ってもらったなと思います。
来た来た来た来たとゴーギャン来たぞと思ってゴーギャンの部屋でちょっとしばらしい時を過ごし、
そしてゴーギャンの部屋を出ると、大きな大きいアメリカの作家の大きな素敵な絵があって、
綺麗だなーって言うと、これもいいかなーなんて思うんだけど、やっぱゴーギャンだよねーって思ってまた回るっていう。
なるほどね。それはでも新しくないんじゃないですか。
私ずっとそう言ってた。
でしょ?僕だってこの間ボストンの美術館に約1年前に行った時にユリカさんから頂いたアドバイスは、
ゴーギャンの人はどこから来てどこへ行くのか、あれだけ見ればいいっていうアドバイス頂いたじゃないですか。
そうそうそうそう。
結局5時間いたんですよ。
ゴーギャンの前に?
いや、全部で5時間。
素晴らしい。
その中で最も贅沢なゴーギャンの絵の楽しみ方をしたと思います。
僕は物理学者と2人で行ったんですよ。
私だって彼にも伝授してるから。
ボストンに行くならゴーギャンだよーって。
その2人で行ったんですね。
彼はそのボストン大学あそこはですね、なんとボストン美術館年間フリーなんです。
それはね、実はインディアナもそういうことしてまーす。
意外とね、学生に優しいのよね、美術館って。
彼はそれでも何度も行ってるところなんで、僕に合わせて回ってくれたんですけど。
でもまあいろいろ説明もしてくれるし、いいなと思いながら、
でもゴーギャンの例の絵に関してはそんなにマークしてなかったみたいで。
私もあんだけ行ったというのにもかかわらず。
僕がきちんと説明をしたんですけど、そこで物理学の彼の今の研究の相談が始まり、
あのゴーギャンのあの名画の目の前でその視界を見ながら約1時間研究の相談に乗ってました。
絶対。
サイエンスを語る、しかも僕の専門の生物学ではなくて、
物理学について1時間語りながら絵のエネルギーを太陽を浴びる日光浴のようにゴーギャン浴してきました。
素晴らしい。
なんかね、やっぱ人はどこから来てどこへ行くのかっていうのにふさわしいテーマを語ったと思います。
ゴーギャンも喜んでると思います。
そうですよね。時空の時間を超えるような話題でしたね。
いいこと言うね。
そうかもな。私ゴーギャン好きなのはそういうところかもしれないな。
そうか。
だからね、私はゴーギャンのどこが好きかっていうことを日々楽しむ。
ありがとうございます。
えっとですね、僕、吉安さんのこの言葉で思い出して大学時代の一番目があるんですけど、
ゴールの決まっていない会話をするのが苦手だというお話がありました。
うんうんうん。
で、なぜそのお話をするのというところについこだわってしまって、
生産性のないお話っていうのはちょっと苦手みたいな傾向があるというお話が出て、
全くそれである世界の青木さんという方がいたんですよ。研究室の長いね。
その人が大体こうチャチャ入れてきて、
そして俺のリアクションを見ることによって楽しむっていう、いわゆる関西系のノリの方だったんですね。
そのなんかチャチャ入れとかどうこうがもうなんか無駄に感じて、
僕はちょっと生産性のない話はやめようよ青木さんって言ったんですよ。
うんうんうん。
ああ、なんや達さんよと。プロダクティブやなかったなあって言われて。
プロダクティブな達さんやからなあって言われて。
ノンプロダクティブはダメらしいって言う感じで、
バーンって広がっちゃって飲み会の度にプロデューサー達さんのお出ましやーって言われるようになりまして。
そういう話だったね。思い出したよ。
そうプロデューサー達さんの前ではみんな生産性に気をつけて話すよって言われて。
言ってたね。ずっと言ってた。
あれ一言言っただけなのよ。生産性のない話はやめようよって言っただけなんだけど。
私達東北人だからさ、関西の方に会うのって大学デビューなのよね。
うん、だけど世界の青木さんはさ、世界についてた青木さんの中でも。
懐かしいね。懐かしい。
懐かしかったね。そういうことで。
世界の青木さんってそっちの世界の青木さんだったのね。
ゴルフの方だと思ったってことね。
どこの青木かなあと思って。
いやいやそういうことです。
あ、学部長の話もしますか。リオンの。
おしゃれな人の話ね。
あれはさ、本当に学会でね、リオンに行ったんだけど。
そこにね、半年ぐらい住んでたんですよ。もうすでに。
そこに行ったので、その町を案内してあげるよって言われて、学会のついでに行ったんだけど。
見せてくれるところの、なんていうの、順番みたいなのもすごくよくて。
やっぱり町の歴史、綺麗なとこ、町で一番大きい教会。
そして川が二つあるんだけど、その川をクルーズイングで行けるような船に乗せてくれて。
全てが最高。
そして最後はさ、町で一番おいしい。
町で一番というか、まあ有名なね、おいしいところに連れて行ってもらえるっていう感じで。
いろんなところ旅行するけど、そこに住んでる人にその町を紹介してもらえる機会ってなかなかないでしょ。
だからこれまでいろんなところ回ったけど、ガイドさんとかじゃなくて、自分の知り合いが、
どんな目で僕はこの町行って、こういうところがいいところで、この町に住んでる人たちってこんなほがらかなところがあるとか。
夕方を楽しむんだよねって言って、その夕方に町の人たちの憩いの場になっているようなところで、